みる

 先日、私の園の保護者に「脳の臨界期」の話をしたところ、「脳の臨界期までに子どもにしなければならないことは何ですか?早期教育ですか?」とある父親から聞かれました。私は、「それまでに大切なことは、子どもに、いろいろな経験、体験をさせることです。」と答えました。臨界期以降、さまざまな学習をしていくうえで、バーチャルな世界での勉強が多くなります。その時に、その学習内容が身につくか、定着するかは、それまでの体験が、ものを言います。たとえば、「田」という漢字を習った時に、本当の田んぼを見たことがある子は、その字の形を実感から覚えます。見たことがない子は、その形をそのとおりに暗記しなければなりません。
 昨日のブログではありませんが、漢字でも、その字の形は覚えても、その字をどのような場面で使うかは、考えないといけないのです。パソコンで、音を入れると、その漢字がずらっと出てきます。その中から、どの漢字を選ぶかは自分が決めなければなりません。最近は、前後関係からパソコンが予想してくれるようにはなりましたが、微妙な場合は、書き手の気持ちの問題もあるので、やはり人間が決めざるを得ないのです。昨日の漢字の例の「みる」もたくさんの意味があります。
一番多く使われるのは、もちろん「目で事物の存在などをとらえる。視覚に入れる。眺める」という意味です。ただ、漢字では、このただ目に入れるだけでも入れ方のよって使う漢字は違ってきますが。その次の意味に「見物・見学する」があります。この意味では「劇をみる」などに使います。そして、「そのことに当たる。取り扱う。世話をする」という意味があります。このときは、「看る」と書きます。「事務をみる」「子どもの面倒をみる」のように使います。そして「 調べる。たしかめる」という意味があります。「辞書をみる」など使います。そして「こころみる。ためす」ときにもみるを使います。「切れ味をみる」などがそうでえす。「観察し、判断する。うらなう。評価する。」としては、「手相をみる」「将来をみる」「人をみる目がない」などに使います。「診る」という漢字を使うことが多いのは、「診断する」場合で、「医者にみてもらう」などがそうです。「新聞でみた」と使う場合は、「読んで知る」という意味で使います。「痛い目をみる」
というときのみるは、「身に受ける。経験する」という意味です。「見当をつける。そのように考える。理解する」という意味では、「明日は雨とみられる」とか「このようにみると」などと使う場合などでしょう。また、言われてみれば、そういう使い方もあると思うのが古語などに「夫婦になる。連れ添う」というときにも使うときがあります。 また、「みる」という単独で使わないで、「さわってみる」とか「やってみる」というように、動詞の連用形に「て」を添えた形に付く場合があります。そうすることによって「ためしに…する」「とにかくそのことをする」という意味になります。
「みまもる」というときの「みる」はどれが適当でしょうか。

みる” への4件のコメント

  1. 「みまもる」という時の「みる」はどの字を使うのかということですが、正直、保育の門外漢ですのでよくわかりません。で、あれこれ資料を繰っていたら、大阪でのセミナーの時の安家先生の講演のレジメのタイトルが、「育ちをみ(見/看/観/視/診)取ることー発達的視点から」となっているではありませんか。そうか、見守るとは、ただ単に見てることではなく、子どもの心の動きを観ることであり、世話をすることは看ることでもあり、発達を見通すことは、診ることになるのかと勝手に納得しております。保育の多面性と奥深さを「見る」という言葉から感じ取ることができます。

  2. yamaya49さんの言われているように、私も「みまもる」の「みる」はいろんな意味があると思っています。様々な場面でいろんな「みる」を使うことが保育者には求められているんでしょうね。私の場合、みているだけで発達までをまだまだ見通せていません。まず自分がいろんな目で「みる」ことができるようにならなければいけないと思っています。

  3.  「みる」という単語は本当にたくさんの意味がありますし、漢字だけでなく「さわってみる」「やってみる」のような使い方もあります。これだけたくさんの意味があるのは、やはり「みる」という行動はとても重要な事のような気がしました。子どもに色々な体験をさせるにしても、まずは目からその情報が入ってきますし、目で見るから体験ができます。「みる」というのは保育士が子どもを「みる」こともとても重要ですが、子どもが色々なものを「みる」ことはもっと大切だと思いました。

  4. 「みる」の漢字は本当にさまざまです。(見/看/観/視/診)のどれを用いるかはテスト問題にもなっています。その意味で「みる」の内容は決して容易ではありませんね。そしてあまりにも頻繁に使用されている「みる」はこれまた多様に解釈されます。私たちが用いる「見守る」も実に簡単に「眺める」と誤解されてしまいます。藤森先生は「見守る」ことをきちんと定義されて使用していますから、しかも実践の現場から仰っているので私としては大いに首肯しているところです。但し、今便宜上「みまもる」に「見守る」という漢字を当てましたが「見」も「守」も果たしてこれでいいのかと疑問におもうところなきにしもあらず、です。「みまもる」「MIMAMORU」これからの世界にたいして大いに貢献する日本語となるような気がします。

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