主体性と環境

 私は講演の中でよく旭山動物園のオランウータンの話をします。旭山動物園では、他に先駆けてオランウータンの空中散歩を観客に見せました。大勢の観客のはるか上のロープを伝わって、隣にあるえさ場まで移動するのです。それを見ている観客は、落ちやしないかとヒヤヒヤして見ています。その時に、飼育員がこう言います。「皆さんは、オランウータンが落ちてはしないかと心配して見ていることでしょう。ご安心してください。決して、落ちません。もし落ちてしまうようでしたら、この世には、オランウータンは存在していません。そんなことでは、遺伝子は残してこれるはずはないからです。」
 すべての遺伝子は、自分たちの種を存続させるように受け継がれています。それを、人為的に、意図して何かをしてしまったら、もともと持っている力を失わせてしまっていることが多いのです。ところが、18日のニュースで、「能美市のいしかわ動物園で、オランウータン1頭が空中展示施設から落下、園内を逃走した。」というニュースが流れました。空中展示施設とは、旭山動物園にあるような「空の散歩道」といって、高さ10?13メートルの鉄製支柱4本にワイヤを張り、来園者は頭上を行き来するオランウータンを観察できる仕組みです。このニュースを聞いて、私はどうして落ちたのだろうと思いました。人間に飼われていることによって、本来持っている力を失わせてしまったのだろうかと思いました。
すると、そういうわけではなく、逃げないように、乗る台の下には電流(約9000ボルト)を流しており、このオランウータンは、その電線に誤って触れ、驚いた勢いで落下したとみられています。やはり、人為的環境が、本来持っている力を上回ってしまったのです。しかし、さすがオランウータンだと思ったのは、ふだん、その部分に触れないようにするのは、「触れないよう学習させており」と言っていて、「したがって、これまで問題はなかった」と言っていることです。人為的環境には、本能ではなく、学習が必要なのですね。
 最近、動物園の動物たちは子育てをしなくなったということをよく聞くようになりました。もともとは動物は、出産、育児ということは、自分たちの遺伝子を残すためには自然のことでしょう。しかも、その育児にしても人間のように育児書を読むことも育児相談することもしません。それなのに子育てができるのは、「身体にもともと備わった感覚に身をゆだねてそれに導かれることが大きな理由である。それが身体の規定力というものである。」と、早稲田大学教授で、人間と動物の親子関係を考察している根ヶ山光一氏は書いています。さらに氏は、この身体の規定力という力は大人が持っているよりもはるかに子どもに備わっている能力のほうが強い主張性を持っていると言っています。ですから、子育ては、大人からの規定力よりも、子どもの身体からの訴えにしたがって自然と適切な子育てに導かれていることが多いといいます。
 ですから、子どもの主体性を再認識する必要があるのです。子どもを大切にするからと言って、ただ子ども中心にしようという「子ども主体」という情緒的なことではなく、遺伝子を残していくという営みでは子ども主体というのはとても重要なことなのです。そんなことから最後に根ヶ山氏はこんなことを提起しています。
「そういった主体性・能動性がのびのびと発揮できるような環境作りと、それをふまえたおとなと子どもの望ましい共生の創生を模索していく必要があるだろう。」

主体性と環境” への4件のコメント

  1. 根ヶ山教授の論には心から納得させられます。氏の専門分野が、「発達心理学」「比較行動学」で、研究主題が「個の自律性の発達に関して、親と子はいかに主導性を分有すべきかを行動学的に分析。人間も動物だという観点から、離乳と食発達、育児と家屋、子どもの事故、親子の反発性などに関心を持ち…」とHPには紹介されています。かたや我が藤森先生は、保育現場での子供の観察や実践からこの問題にアプローチされているわけですが、学術的にもその正しさが証明されるわけですね。ついでに、根ヶ山教授は、2006年度子ども環境学会賞を受賞されていますが、この学会のコンセプトは興味深いですね。「子ども環境学」とは、教育学、保育学、発達心理学、体育学、医学、建築学、造園学、社会学、都市工学、環境工学などの研究者の学際的な総合科学だそうです。あらためて、藤森先生の保育理念は子ども環境学そのものですね。そのすそ野の広さを実感します。

  2. 子ども主体ということがしばらく大きなテーマになりそうです。本来は遺伝子に問いかけて対応すれば良かったのでしょうが、遺伝子の声を聞く力をなくしてしまったのかもしれません。私自身、子どもに何かをしてあげる存在ではなく、子どもと共生していく存在というところから、関わり方を考えてみようと思います。

  3.  オランウータンもそうですが、サルにしても木の上に住んでいる動物が全て木から落ちているようでは、すでに絶滅していますね。動物が自ら生きようとする能力、遺伝子を残すための力を誰からも教わっていないのに、基から持っているというのは凄い事だとつくづく思います。それは子どもも一緒で、自ら生きていく上で必要なことをやろうとして、大人はその行動を注意し、やめさせているかもしれません。実際に私も現場にいて、子どもが今必自分に必要なことを何も理解せずに頭ごなしに注意していた事が何度もあったと思います。今回のブログを読んで、改めて子どもとの関わり方環境作りを見直す必要があると思いました。

  4. 保育園、幼稚園、学校という子どもの育ちに関わる職業に従事している大人は、一般的には「先生」と呼ばれます。そしてこの「先生」という呼称を持つ職業に従事している「大人」はこれまた一般的に「躾ける」「教える」ことが期待されているようです。最近この「主体性」を「保育者の主体性」とする議論に触れることがあります。この「主体性」という概念は依存から自立・自律というベクトルを持ちますが職業区分としての保育者に「主体性」というのは明らかにおかしい。「保育者」は子どもたちの「主体性」を実現させるべく子ども周囲の環境を構成していく役割を担っているのです。保育園、幼稚園、学校における主体の実現者は子どもをおいて他にはありません。「保育者」や「先生」の「質」問題が大手を振って歩いているようではわが国の将来に覚束なさを感じます。

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