あす

井上靖の小説に「あすなろ物語」という作品があります。この小説は、明日は檜になろうと願いながら、永遠になりえない「あすなろ」の木の説話に託し、何者かになろうと夢を見、向上と発展を望みながらもがき、ついにはその願望も果たせない人間の悲しい運命を重ね合わせた作者の自伝的小説だと言われています。しかし、作者の井上は、「自伝小説ではありません。あすなろの説話の持つ哀しさや美しさを、この小説で取り扱ってみたかったものです」と述べています。
「あすなろ」という木は、その読み方からもそうですし、漢字で書いても「翌檜」と書くように「「あすは檜になろう、あすは檜になろう」と思いながらもついに檜になれない悲しい木であるといわれています。確かに、「檜」という木は、日本特産の木で、建築材として最良です。また、奈良や京都などの仏像のほとんどは、この「檜」が彫られています。それは、やわらかく、彫りやすく、それなのに耐久性があるからです。ですから、全国で植林されています。
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その名前も、「火の木」というように、この木を使って火をおこしやすかったために、昔から重宝されていたでしょう。また、よく、浴槽に入れたり、部屋のにおいに使ったりしますが、この幹や葉からとれる精油は香料や薬用になります。慣用句として「檜舞台」ということがありますが、檜は非常に高価な木材であって、これで作られた舞台は一流のものだったため。能楽や歌舞伎などは、すべて檜舞台で行われます。ですから、ここで踊ることは、自分の能力を発揮することができる「晴れの舞台」なのです。
「日本三大美林」には、「青森の檜葉(ひば)」「秋田杉」「木曽の檜」(ひのき)が選ばれています。確かにその中には「檜」がありますが、青森の「ヒバ」という木は、あすなろの木のことです。高級建築材としては、ヒノキが有名ですが、この青森ヒバ(あすなろ)は、それよりも高級な材木と注目されています。
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それは、ヒバは、昔から「ヒバ普請の家には蚊が3年は寄り付かない」といわれるほど、殺菌性のあるヒノキチオールの含有量が多く、ダニの発生を防いだり、特に白蟻には他のどの木よりも強く、また、腐りにくく、耐水性があって湿気にも強く、強度もヒノキと同じくらいあるので土台や柱、軒廻り、浴室、濡縁、ベランダなどに用いられます。
ただ、ヒノキのように大きく育つのが遅いので、「明日はなろう」という未来を夢見ているかのように見えたのでしょう。先日、いただいた「ブリザードフラワー」の中に、このあすなろの葉が入っていました。それは、「明日はヒノキになろう」という希望を表しているのか、殺菌作用を利用しているのかわかりませんが、両方あるのかもしれません。
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これを見ると、ヒノキにはヒノキの良さがあり、ヒバ(あすなろ)には、ヒバの良さがあるので、「ヒバは何もヒノキになろうとしなくてもいいのに」と思ってしまいます。三国志の中の劉備玄徳が提案する「天下三分の計」という「三勢力が鼎立し均衡を保つ戦略」は、劉備が提案する真意とは違うかもしれませんが、私は、このように提案します。それぞれがそれぞれの良さを持って、それぞれが自立し、それらが連携を持ち、お互いが成り立つという考え方が必要なような気がします。

あす” への4件のコメント

  1. あすなろ物語は、中学の国語の教科書で読んだような…。今の自分もひょっとしたら、ヒバの木のように、明日はヒノキになろうと無理に背伸びして生きているんじゃないか…。藤森先生という「太陽」の光を浴びることで、ヒノキになれるような錯覚をしていたかもしれませんね(笑)。所詮は、ヒバはヒバ。何かに変わろうというのは、劣等感の裏返し。どうせなら大器晩成のヒバの大木になろう!自分らしく・・・。なんだか独り言のようなコメントですいません。

  2. 連携の大切さはよく言われますが、それぞれが自立していて自分をどのように社会に生かすかということがしっかりなければ、依存が強くなり、いい関係は築いていけないと思います。きちんと自分をもっていることがまずは大切で、その部分が弱い集団や社会にならないように気をつけなければいけないんでしょうね。表面だけ、形だけににならないようにと思っていますが、簡単にはいきません。まだまだまだまだです。

  3. 「あすなろ」・・・小学生の頃何かの折に意識する機会があったと思います。あまり覚えていないのですが頭の奥底にひっかかっています。おそらく学校の先生か誰かが大人になったら大成することのたとえとして用いていたのかもしれません。私の父は木造建築の大工でした。現在の家は父が建てた家です。そして氏神の御社も父が建築しました。お稲荷さんを祀るその社は総檜です。もう25年ほど経ってしまいました。創建当時は社殿の引き戸を開けると檜の香りが漂い、何とも不思議な感じがしました。あすなろの木=ヒバも父の作業場にあったと思いますが当時父の仕事を敬遠していたのでさまざまな木材を知る機会を逸したと今残念に思います。今回のブログをきっかけとして「ヒバ」の存在を頭の中に入れておきたいと思いました。

  4.  翌檜は檜ではないのに「あすは檜になろう」と常々思い、ついには檜にはなれない悲しい木。なんだか名前の由来を聞くと、共感できます。それは私も「あすは檜になろう」と同じように、「あすは、あの人のようになろう」と思っているからかもしれません。誰だって憧れの人はいるだろうし、憧れの人のようになりたい、という気持ちは持っているはずです。ですが、翌檜は翌檜しかない良さを持っているように、人もそれぞれ良さを持っているはずです。同じような人がたくさんいても意味がないように、人それぞれの良さがあるから成り立っているのですね。

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