気象を読むというのは、とても重要なことだったでしょう。それは、衣食住に関係するからです。特に、食は多いに天候が影響しました。それは、生活自体が自然と共生していたからです。確か以前のブログに書いたことがあると思いますが、ある時から人間は自然を征服しよう、押さえつけようとしてかえって自然の脅威にさらされることになってきてしまっています。もう一度「自然と共生する」ということは、「自然に沿って生きる」ということであり、「自然を読み取る」ことが必要になってきています。
本当のことはわかりませんが、初めて自然を読んだのは、「ノアの方舟」だったかもしれません。日本では、日食のときに天岩戸が閉ざされ、同じ皆既日食が原因で卑弥呼が殺されたという説があります。自然現象は、人間の暮らしに役に立つこともあり、また、暮らしを襲うこともあり、また、それを利用して民を統率したり、戦いに利用したりしました。
自然の力を借りて戦った有名な逸話の一つに「借東風」という言葉があります。これは、その字の通り、「東風を借りた」ということで、東風を利用して戦ったということです。このタイトルの京劇があり、そのDVDも発売されているくらい有名な逸話です。この「借東風」という言葉は、いまでも中国でよく使われるそうですが、たとえば、会社で部下が素晴らしい企画書を提出したときに、上司はそのままほめるのではなく、さりげなく「君の提案は正に“諸葛亮借東風”だね」などと使うそうです。この言葉の由来のエピソードが、映画「レッドクリフPartⅡ」の主題です。
「赤壁の戦い」では、劉備と孫権の連合軍は、敵対する曹操の大軍に比べて圧倒的に戦力的に少ないのにもかかわらず、その曹操の大軍を破ったという歴史的に有名な戦いです。このなかで勝利を呼び込んだのが「冬場における東南の風」を利用した戦艦への火攻めだったのです。曹操軍は、艦隊を鎖で繋ぐ「連環の計」の作戦を立てたのに対して、そこに火を放つ「火計」の策を考えますが、風向きが逆で味方のほうに火が来てしまうということで困り果てていた周瑜に対して、孔明が「東南の風を起こしましょう」と提案し、まさにその風が起こり、大勝利を得るという話です。
季節は冬でしたので、この時期には「東南の風」はほとんど吹かないようですので、「三國志演義」では、諸葛孔明が七星壇を築いて祈祷を行ない、3日3晩「東南の風」を吹かせたことになっていますが、正史の「三国志」には、強風が吹いたという程度しか記述はないそうです。どちらにしても、風が変わりそうだという読みがあってこの計を使ったということで、孔明は、当時の風水学の一部、現在の気象学に卓越していたのでしょう。
「東南の風は、呼んだのか、読んだのか。」ということで、映画のパンフレットに大東文化大教授の渡邉義浩さんが書いています。
「そもそも、近代以前の戦いは、すべてを合理的な判断で行うわけではない。うらないなどの呪術が、軍事と密接に結びついていた。こうした呪術的兵法を“漢書”では、“孫子”などとの“兵家”と区別して、“兵陰陽家”と呼んでいる。軍を起こすときに、その日時の吉兆を定め、天体の方角に留意し、天象・気候を観察して、鬼神の助力を得るという、きわめて呪術性の高い兵法である。」
しかし、孔明は人智を超えた呪術的な能力で風を呼んだのではなく、あくまでも風が起こる場所を気候の観察から予測したのではという考え方のようです。
「自然と共生する」ということは「自然に沿って生きる」、とはまさにその通りだと思います。今回ブログのテーマは「気象分析」ですが、私自身は、「共生」=「沿って生きる」、に着目しました。私はそもそも「相手軸」人間とは思うのですが、どうも「相手に沿って生きる」ということがあまり上手ではありません。過大評価して失敗したり逆に過小評価して好機を逸することがしばしばありました。人の「共生」ができていなかった、自分中心であった、と反省しきりとなります。さて、気象分析ですが、「ノアの箱舟」は確かに当時の気象状況を客観的・科学的に捉えた末の所産でしょう。気象は現在、もっともっと注意を払うべき自然現象でしょう。
鎌倉時代の大聖哲・日蓮の生涯を調べてみると、気象にまつわる史実を見つけることができます。時の幕府に弾圧された日蓮は、鎌倉の刑場である竜の口で斬首されそうになります。しかし、突如江ノ島のほうから「まり」のような大きな光ものがあらわれて、命を永らえれたと伝えられています。大きな光ものとは、今でいえば隕石による流れ星のようなものでしょうか。赤壁の戦いの「東南の風」は、戦局を有利にするために、孔明がその風が吹くことをあらかじめ知っていた可能性がありますが、この日蓮の「光もの」はどう説明したらいいのでしょうか。人間の一念には、自然をも動かす力が秘められているように思います。
「自然に沿って生きる」ために「自然を読み取る」と考えると、その大切さがわかります。「自然を読み取る」のは明日の天気を知るためといった単純なことではないですね。自然との共生が言葉だけで終わらないように、自然を読み取るためにも、もっと自然を知らなければいけないです。
今の時代、衛星などで地球の動きをみながら気象予報をしているので、確実ではありませんが高い確率で天気を予報できていますが、諸葛孔明が自分の目で観測し「東南の風」が起きる場所を予測できるのは、今の時代と比べると、とてもすごい能力ですね。それがたまたまだとしても、三国志が好きな私にとっては、諸葛孔明は風を呼んだと思っています。また、孔明がそのような能力があるのは自然と共生しているからなのかな?と思いました。もう少し自然に沿って生きてみようと思いました。