昨日のブログで書いた日本における児童観について、同じようなことを山口県立大學の准教授であるウィルソン・エイミーさんが書いていました。
「アメリカでは、子どもは“小さな大人”としてみられることが多いように思います。生まれて間もないのに、飾り付けがきちんとされた個室を与えて、1歳児なのに、小さなジーパンをはかせて。厚い生地のジャケットやひも付きの靴、大人のものと変わらないようなファッション。お話が少しできるようになったら、選択肢を与えて“今日はパン?シリアル?”“どっちの絵本がいいの?”とか、子どもの考え方や意見がしっかり育つような教育をしています。しつけにおいても、大人の社会で子どもが礼儀正しくいられるように、しっかりとした“YES・NO”を求めるし、従わないと罰を与えることがあります。(近年では、体罰ではなく、好きなテレビが見られないとか、一定期間と友達と遊べないとか)。それがうまくいったときに、礼儀正しい子どもに育つのですが、その逆に、ショッピングセンターのど真ん中で体を床に投げ出して大泣きしている子どもを見ることも少なくありません。」
子どもに選択させるというのは、一見子ども主体に思いますが、実は礼儀から意見を言わせようとしたり、また、責任をとらせようという大人の考え方をあてはめていることが多く、子どもの意見を尊重しているというわけではないようです。ですから、かえって、このような礼儀正しさの強要は、わがままを言ったり、無理なことを強引に押し通そうとする子を生んでしまっているのです。それに比べて、日本では、こう考えているということが続けて書かれています。
「それに対して、日本では、子どもに自分で着やすい服を着せること、一緒に寝ること、子どもの行きたい方向に親も行くといった、子どもを中心とした生活をしているように思います。私の子どもの保育園の保育士を見て、いつも感動し自分も見習おうといているのは、子どもの怒りやイライラ感を無理やりにやめさせようとせずに、そのまま受け止め、子どもの気持ちをわかってあげることで子どもが素直になるということです。
日本の子育てがうまくいったときに、アメリカと違った意味での“子どもの文化”を伝えることで、子どもらしさが育っているような気がします。」
新入学の時期に、小1プロブレムについてのコメントがいろいろなところで言われていますが、1年生が自分勝手なのは、幼稚園、保育園時代に個性を重視しすぎるからということを聞くことがあります。しかし、私は、どうもアメリカのように子どもを早くきちんとさせようとすることに原因があるように思います。幼児期に、きちんと子どもを子どもとして扱われ、その時期の育ちをきちんと保障され、子どもの思いをきちんと受け止められた子ほど情緒が安定し、素直になると思います。また、1年生できちんとさせようと急ぐよりも、寺子屋のように、小学校に入っても、もう少しおおらかに、子どもらしさを保証してあげる環境を考えたほうがいと思うのですが。
「昔のように子どもをきちんとさせる」という「昔」とはいつのころのことなのでしょうか。戦時中のことなのでしょうか。礼儀正しい武家社会でも、子どもが大切にされていた「子どもの文化」が日本にはあったようです。
いよいよ、「小1プロブレム」が起こる真の原因が明らかにされました。目から鱗です。プリントアウトしたブログが、赤線で真赤です(笑)。『1年生が自分勝手なのは、個性尊重の幼児教育のせいではなく、礼儀正しい子供に無理やりに躾けようとすることにある。』ーこの言葉を声高に幼小連携を叫ぶ小学校関係者は、肝に銘ずべきであります。『幼児期に、きちんと子供として扱われ、その時期の育ちをきちんと保障され、子どもの思いをきちんと受け止められた子供は情緒が安定する』ーすべての幼児教育関係者は、この言葉の意味するところを自らの園の保育に生かしていくことが大事です。
「幼児期に、きちんと子どもを子どもとして扱われ、その時期の育ちをきちんと保障され、子どもの思いをきちんと受け止められた子ほど情緒が安定し、素直になる」
自分の迷いと向き合わせてもらいました。このブログを読んでいると、自分の見たくない部分に目を向けなければいけないときがあります。保育も子育ても奥が深いです。
山口県立大學の准教授のウィルソン・エイミーさん、なかなか素敵なことを書いてくれています。エイミーさんがお世話になっている「保育園の保育士」さんの保育の様子は子どもの「情緒の安定」とは何かを示しています。「子どもの気持ちをわかってあげることで」とは子どもの気持ちに「共感」することですね。これは藤森先生がいつも仰っていることです。「小1プロブレム」の原因を「幼稚園、保育園時代に個性を重視しすぎるから」とする見解には疑問があります。むしろ「子どもを早くきちんとさせようとすること」に「原因」があるとされる藤森先生に同感です。「小学校に入っても、もう少しおおらかに、子どもらしさを保証してあげる環境を考えたほうが・・」とは全くその通りです。私たちの乳幼児教育養護をもっともっと伝えていかなければなりません。
今回のブログでは自分自身、明日から見直すべきことが見つかりました。今まで子どもを主体的に考えることが大切と思っていましたが、それは上辺だけの言葉の理解に過ぎなかったのですね。子どもを一人前の人間として関わったり、何事も自分で決めることを強要し自分の責任を感じさせたりなど、それというのは、子どもを主体的に考えていると言えなかった事に気づきました。中には自分で決めることが、まだ無理な子もいますし、発達段階が遅い子もいるわけであって、皆がみんな一緒なわけがありません。子どもを主体的に考えるというのは、子どもに全て選択させるとかでなく、子どもの素直な気持ちを受け止め、理解してあげてから、初めて子どもを主体的に考えることが出来るような気がしました