小野

寺子屋における教科書ともいえる「往来物」によく登場する人の一人に「小野小町」がいます。彼女は、女子のための往来物によく登場するようです。彼女は、クレオパトラ、楊貴妃と並ぶ世界三大美女の一人といわれています。また、百人一首の中にも収められているように歌の才能も多くの認めるところだったようです。しかし、その美しさゆえに恋多き女性として、華麗な恋遍歴を積み重ねていきます。その美貌も歳とともに衰え、多くの男性は去っていきます。そんな心境を歌にしたものが有名です。
「色見えでうつろうものは世の中の 人の心の花にぞありける」(花の色は目に見えて色などがはっきりと変わっていくことが分かるが、それに比べてその変り方が目に見えないのは、人の心だ)というように、人の心の中が変わっていく虚しさをうたっていますし、晩年には、あの百人一首でも有名な「花のいろは移りにけりないたずらに 我が身世に降る長雨せしまに」(いたずらに過ぎていく時の移ろいの中で、春の長雨が降っている間に、自分もただ眺めているだけで何もしないうちに色褪せてきてしまった。そんな今は、どうすることもできない)というような、美しさの人生は、最後は嘆きの人生のようです。
 寺子屋の教材としては、あまり恋物語は適していないので、歌人としての紹介だったようです。それにしても、小野の小町はずいぶんと逸話が多い人物です。また、その逸話を題材にした能や浄瑠璃や謡曲などがあります。それらの作品群のことを「小町物」というほど一つのジャンルを形成していました。能の小町物には、和歌の素晴らしいよみ手として彼女をたたえるものと、恋物語を題材にするものなどがありますが、「卒塔婆小町」などに代表される小野小町が年老いてからの話などがあります。この話の挿絵には、年老いて、乞食になって卒塔婆に腰かけている姿が描かれ、とてもみじめなもので、こんな姿で、百人一首のあの歌を詠んだと思うと、みじめになりますね。
こんなに逸話を多く残した小町ですから、各地に彼女にまつわる場所があります。先日、妻と訪れた山形県にある「小野川温泉」もゆかりがありました。
小野川温泉の開湯の由来は、こんな伝説があります。承和3年(836)に小野小町が父親を探して京都から東北への旅を重ねます。そのころ父親は、出羽の守(山形県知事に該当)として山形に居たのです。僅かの供をつれた若い女性の孤独な旅でした。しかし、長旅で身も心も疲れ果てて米沢の街はずれの小野川までやっと辿り着いたとき、小川に自分の顔を写してみました。すると、川面に映った自分の顔は、疲れきって、鬼のように見えます。(後に土地の人達はこの川を鬼面川と呼ぶようになりました)そして、疲労が重なり大病を患って倒れてしまいます。しかし、小町は偶然その川辺に湯煙を見つけました。そこを少し掘ると滾々と湯が湧き出てきたために、これは天からの授かりものと考え、その湯に3日ほど浸かると、小町の体の内側から元気が湧いてきて肌にも張りがでてきました。そうして後もう一度小町は、おそるおそる川面に自分の顔を映してみました。すると、そこには今度は若く妖艶で美しい顔がありました。しかも、偶然釣りにきた父親とも再会する事が出来ました。さらに温泉療養を続けて、病気も完治し、京へ帰ることにしました。再び美しくなった小町は、京でまた貴公子たちの注目を集めます。しかし、残酷にも歳には勝てないということを思い知らされるのです。この小町が開湯した温泉は、「小野川温泉」と名付けられ、この地には「小町休み石」や「薬師如来尊堂」など小町に縁があるものが点在しています。天正17年(1589)には伊達政宗も湯治に訪れたそうで、米沢市の奥座敷として米沢十湯の一つに数えられています。

小野” への4件のコメント

  1. 考えさせられることの多い寺子屋の話が続いたので、なかなか頭が小野小町に切り替わりません。江戸時代の子ども達の遊びを描いた絵を見ていたら、しゃぼん玉で遊んでいる姿がありました。人生のはかなさをしゃぼん玉に見ていると説明にありました。小野小町の歌には花が登場していますが、こうした心にスポットを当てることは大切にされていたんでしょうね。

  2. 先生の「寺子屋」シリーズを拝見して買った書籍は数冊。
    講談社 石川英輔著 大江戸生活事情を今読んでいます。
    お江戸にあこがれます。
    未来を予測するには歴史を学べでございますね?
    自分は高校・大学とすべて理数系の学校でした。
    http://www.mod.go.jp/gsdf/yt_sch/
    大半は方程式や実験で忙殺される授業でしたが、単位として文系授業もあります。
    現代国語や古文・漢文、歴史・地理などの授業はどちらかといえば苦手でしたが、ある古文漢文の先生が面白い方で、講談師のように先生のブログのような逸話を机を叩きながら話されます。
    漢文でも教科書の漢詩の解説のはずが、それこそ三国志「赤壁」の講釈になり授業は脱線。
    でも、とても面白く、目を耀かせて聞いていましたし、記憶にも深く刻まれました。
    この先生の口癖は「諸君らは将来、理数を駆使して仕事をすることになる。しかし、理数の窮理を理解するには言葉を知るべきだ」
    というものでした。
    以前、藤森先生がお話されていたお言葉が思い起こされます。
    『ドイツ視察で通訳を頼みました。その通訳にはランクがあって料金が違います。上級通訳は、ただ言葉を翻訳するのではなく依頼者の専門分野にまで渡る知識に基づいた翻訳が出来るのです。』
    嗚呼、コミュニケーション・・・
    小野小町関連書籍を買いに走らねばなりますまい・・・
    先生・・・授業の速さについていけません(笑)

  3. 映画館で見逃した「レッドクリフ」をようやく最近ビデオで見ることができました。テレビ画面でも結構な迫力でしたが、スクリーンではさぞやと思わせる壮大なスケールですね。俳優陣も重厚な演技で三国志の世界を表現していました。そのなかでも特に、「江東の二喬」とうたわれた絶世の美女「小喬」を演じた「リン・チーリン」の美しさに目を奪われてしまいました。台湾出身のモデルさんらしいですが、この映画の成功で、日本でも俄然注目を浴びているようです。「もののあわれ」に生きる小野小町もいいですが、小喬のような「民のために」は自分を犠牲にしてでもという「芯」の強い女性にとても惹かれます。映画を見ながら、「この人、ええなあ」と盛んにいうもんだから、家内は「私はどうなん?」と聞くので、あわてて「あんたは、小喬の次にきれいや」と言ってやったら、「そやったら、うちは美女と野獣の夫婦やな」とほざくのであります(笑)。

  4. 米沢・小野川温泉、行ってみたいですね。伊達政宗公も湯治されたとか。そして「小野小町」伝説。小野小町はあちこちに伝説を残していますが、伝説の残されている土地に共通することがあります。それはその土地の女性が美しいということです。秋田にも小野小町伝説があり、それゆえでしょう「秋田美人」は夙に有名です。私が知る秋田出身者も例外なく美人さんです。さて、話は代わって、最近家内の書道の作品づくりに協力しました。もっとも私ができることは書写する漢詩や和歌を選ぶことですが。今回の作品は「かな文字」でかな文字に映える和歌を選んだら今回のブログで紹介されていた「花のいろは移ろいにけりないたずらに」の一句でした。諸行無常を表現した小野小町のこの句は私のお気に入りです。絶世の美女の作品だけにいとあわれ、です。 

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