小学校の新1年生が入学式を終えて、教室に入るとまず何をするのでしょうか。私は、新しい学校建築を体験するために小学校に勤務したことがありますが、新1年生を担任したことを思い出します。体育館で入学式を終えて教室に戻る途中で、並んでいた一番後ろの大きい子が手をポケットに突っこんで、ぶらぶら歩いていました。そこで、私が「手をポケットから出しなさい。」というと、「うるせえなあ、てめえだってするくせによ!」と言われたのです。この後の経緯については、かつてブログで書いたのでここでは書きませんが、そのあと教室に入ると、みんなきれいに並んである机の前に立ちます。そして、一斉に「起立!礼!着席!」という号令のもと、イスに座ります。この日から、子どもたちは延々と何年も机の前に座って、多くの時間は先生の話を聞いて過ごすことになるのです。考えてみると、なんともすごい話です。
このような一斉授業に対して、最近多くなっているのが学習塾などで見られる個別指導といわれるものです。しかし、どうもこの定義はあいまいで、塾によって違うようですが、多くは講師1人に対して生徒が少人数であるとか、いわゆるマンツーマンで指導することを指しているようです。一斉に多くの人数を相手にするよりは、少人数を相手にするほうがきめ細かな指導ができるというものです。
では、寺子屋などで行われた個別指導というのはどのようなものだったのでしょうか。どうも、塾で行われているような個別指導とは少し違うようです。また、「江戸の学び」(河出書房新社)の本の中から読み取ってみたいと思います。まず、一斉授業の象徴である教科書ですが、寺子屋ではどのような教科書を使っていたのでしょうか。たとえば、「読み書きそろばん」となると、当然手本が必要になってきます。これも以前のブログで紹介しましたが、「往来物」という往復書状を師匠が書き写した手書きの「お手本」が渡されました。それを見ながら「草紙」という練習帳に写していくのです。その時に、「個別指導」というのは、個別に教えるということではなく、その子にあったお手本が渡されるということのようです。本の中で群馬県のある寺子屋の例が書かれています。「師匠が弟子一人ひとりの必要性を勘案して策定した計62人分の個別学習カリキュラムを記した「弟子記」「次弟子記」がつくられた。一人ひとりの名前を挙げて、そのものが学ぶべき教科書である往来物が選択されている。」
いわゆる学習は自主性と自発性を持って行われていたために、個別指導というのは、個別の習熟度によって教材を変えたり、指導内容を変えたりしたということで、教え方の問題ではないということで、特に、一人ひとりを相手にしたということではないのです。そのように環境をその子にあったものを用意するということがきめ細かいということで、教師一人当たりの子どもの人数を少なくして指導するようであれば、かえって、一斉よりも管理が強くなってしまうことになるのです。
このような寺子屋での個別指導は、画一性や落ちこぼれをなくし、おおらかな教育を生んできました。本の中で、「もしも、寺子屋で一斉教授を行おうとすれば、寺子屋で起きていた子どもたちの悪ふざけは、学習の障害として排除されなければならなかったであろう。子どもたちのおおらかさは、寺子屋で採用されていた個別教授のあり方に強く規定されていたのである。」
私たちの子ども時代は、一斉が当たり前だったのですが、最近、小学校でも習熟度別指導を取り入れている学校があるようですね。幼児期に自律を習得してない上に、授業が理解できないのでは、子供たちが授業中にうざけたり走り回りたくなるのもうなづけます。そんな子供たちを強制的に従わせるのではなく、授業のやりかたを子供たちに合わせていくほうがいいかもしれませんね。その意味で、日本の寺子屋の伝統を習熟度別指導に生かしてほしいですね。子供たちを一声で一斉に何かをさせることはこれからの教師の要件ではないと思います。
学習塾の宣伝で「個別指導」の文字をみることがありますが、正直この言葉だけでは授業の姿が見えてきません。また、「個別指導」でないところは、個の違いは認めない指導ということになるんでしょうか。こうした言葉は意味があいまいなものが多い気がします。誰にでもわかる、姿のはっきりみえる言葉がいいですね。
私も中学3年のときに高校受験のために塾に通っていました。その塾も理由は分かりませんが、途中から一斉の授業形態から個別指導に変わりました。形態は先生が一人に対して生徒が二人の授業形態です。しかし、その形態というのは確かに授業を邪魔する人はいませんし、先生も授業はやりやすいかもしれません。ですが、それというのは一斉で授業するのと、あまり変わらないような気がしました。むしろ一斉授業よりも先生から監視され、やることを全て指示されるので、個別と言う名の一斉授業ですね。寺子屋のような、子どもが自主性と自発性を持って学習できる環境というのを見習うべきだと、ブログを読むたびに何度も思います。
保育園勤務の前は10年ほど「学習塾」に関わっていました。「一斉指導」からはじまりついには「個別指導」に変わり、その後はおそらく「寺子屋」的学習塾になっていたと思います。保育園勤務となっても夜7時から9時ころまで自宅で寺子屋的学習塾を行っていました。毎回4~5人の中高生が教科書や問題集を持参し、自分に必要なところを学習します。わからないところや答えあわせをしてほしい場合生徒は「先生!」といって私を呼びます。私は生徒のところに行って分からないところについて教えたり答えあわせをしたりしていました。中には2時間の間全く私を必要とせずに帰ってしまう子もいました。全体の雰囲気が静かなので部活で疲れた中学生は眠ってしまいます。お月謝を頂いておりましたので生徒が眠ってしまった場合は保護者の方と相談してどうするか決めます。実におおらかな学習場だったと今振り返っています。