茶摘み

もうすぐ「夏も近づく八十八夜」ですね。八十八夜とは雑節の一つで、立春から数えて88日目の日のことを言いますので、今年は、5月2日です。少し前では青森では雪が降ったそうですが、八十八夜は夏に近づく半面、「八十八夜の別れ霜」「八十八夜の泣き霜」などと言われるように、遅霜が発生する時期です。霜のなくなる安定した気候の訪れる時期であると同時に、まだまだ霜も降りることがあるという春から夏へ移る境目の日として重要視されてきました。ですから、雑節として、農家の人にこのころは気をつけなさいというために入れられているのです。また、「八十八」という字を組み合わせると「米」という字になることから、この日は農家の人にとっては特別重要な日とされてきました。東北や山間村落では豊作を願うため、様々な占いを行います。現在でも禁忌が守られているところもあるようです。
八十八夜ころから「あれに見えるは 茶摘みじゃないか」という歌の題名が「茶摘み」というように、新茶の摘み取りが行われます。しかし、まだまだ霜が降りるときがあり、昔は藁をひき、霜を防いだようですが、今は、扇風機で風を送ったり、黒い網で覆ったりしています。また、ちょうど八十八夜の日に摘んだ茶は上等なものとされ、この日にお茶を飲むと長生きするとも言われ、珍重されてきました。そうはいっても、日本列島北から南まで長いわけですから、地域によって、茶摘みの時期は異なります。
たまたま週末に佐賀県「嬉野温泉」に宿泊しましたが、この地は、「嬉野茶」として550年の歴史があります。このお茶は、美容と健康に効果があるといわれ、茶葉が一枚一枚丸いため、玉緑茶(グリ茶)と呼ばれています。江戸時代には、大浦慶という人が嬉野茶を長崎から海外へ出荷し、その利益が坂本龍馬や大隈重信の活動資金になったと言われていています。
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この嬉野市は、2006年1月1日、藤津郡塩田町と嬉野町が合併して誕生した、佐賀県で9番目の市です。少し時間があったので、重要伝統的建造物群保存地区の中で「商家町」として指定されている塩田津に行ってみました。ここは、長崎街道の宿場町として発展した塩田宿を後世に残すための保存運動が行われ、2005年に嬉野市塩田町の川港及び周辺の町家群が指定されています。長崎街道は、江戸時代に整備された脇街道の一つで、豊前国小倉の常盤橋を始点として、肥前国長崎に至る路線で、57里(約223.8km)の道程で、途中に25の宿場が置かれていました。そして、江戸時代においては、鎖国政策の下で全国唯一、幕府が外国との交易を行う港である長崎に通じる街道として、非常に重視されました。
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この旧長崎街道の塩田宿は、交通の要衝であり、有明海に注ぐ塩田川河口7kmの位置にあり、干満の差を利用した河港(津)として栄えたことから「塩田津」と呼ばれました。そして、水陸両路を利用し、明治以降も有田焼の原料となる熊本の天草陶石を陸揚げし陸送する、陶土の町としても繁栄しました。siotatu.jpg
今は、訪れたときには道には人っ子一人いず、閑散としていましたが、たまに出会う町の人は親しげに声をかけてくれました。人がいない分、地中に埋められた電線のおかげもあって、町のたたずまい、耐火機能をもつ江戸後期から明治にかけての「居蔵造」の町家、その他の施設が時代をさかのぼった気にさせてくれます。
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