学齢

来週には、小学校の入学式があります。東京では、桜の開花は早かったのですが、そのあと冷え込んだために入学式のころは、桜が満開のようです。「サクラ咲いたら一年生 ひとりで行けるかな 隣に座る子いい子かな 友達になれるかな 誰でも最初は一年生 ドキドキするけどドンといけー ドッキドキドン!一年生」
日本では、小学校への入学は、学校教育法(昭和22年)第22条によって定められています。「保護者(中略)は、子女の満6才に達した日の翌日以後における最初の学年の初めから、満12才に達した日の属する学年の終わりまで、これを小学校(中略)に就学させる義務を負う。(後略)」このことにより、保護者は6歳になると小学校に行かせる義務があるという「義務教育」という考え方が生まれます。そして、学校に就学して教育を受けることが適切とされる年齢のことを学齢といいます。戦後の日本では、義務教育の対象年齢のことを学齢と称するため、日本国籍者についての学齢期と義務教育期は同一のものをさしていることになります。
しかし、この学齢期が小中学校教育を受けるのに最適な年齢であるかどうかは個人によって違います。そこで、多くの外国では、児童の発達に合わせて小学校に入学する時期を猶予して基準年齢を遅らせたり、逆に早めたりすることがあります。日本でも義務教育への就学猶予という制度もあります。その理由としては、病弱、発育不完全その他やむを得ない事由のために就学困難と認められる場合です。しかし、多くの外国では、特にヨーロッパでは学齢に達した児童が学校の授業に適応できる程度まで成長しているという「学齢成熟」に達しているかいないで判断することが多いようです。ドイツ連邦共和国などでは、その時期は、保護者や現場の教員などの意見が反映されます。こうすることで、小学校入学後に落ちこぼれて落第をすることを減らせるというメリットがあるようです。
日本では、あくまでも年齢主義をとっているので、原級留置処置といういわゆる落第もあまり見られません。外から見える形がみんなと同じでないと、可哀そうという考え方が強いようです。しかし、江戸時代の寺子屋ではどうだったのでしょう。
寺子屋でも基本的には入学年齢は決められていましたが、その運用では、現在のヨーロッパをはじめとする諸外国と非常に近いものがありました。それは、実年齢というよりも成熟年齢で判断をしていました。しかし、それも面白いデータがあります。それは、地域差があるということです。江戸と下野との表が「江戸の学び」(河出書房新社)にあります。寺小屋への入学年齢が下野では、1歳1名、2歳3名、3歳7名、4歳2名、5歳11名、6歳6名、7歳4名、8歳4名、9歳3名、11歳1名、12歳1名です。ずいぶんと各年齢に散らばっています。それに比べて江戸では、6歳26名、7歳8名、8歳6名、9歳3名、10歳1名、12歳1名となっています。当時は義務教育ではありませんが、江戸では、6歳になったら寺子屋に通わせるという均一的な考えが強かったようです。また、小さい年齢から預けるのは早期教育ということではなく、先日のブログでも書きましたが、地方では、寺子屋は託児的な意味合いが強かったからでしょう。ただ、成熟してから入学をさせるという意味の就学猶予はどちらの地域でも行っています。
周りの目を気にせずに、本当に子どものことを考えると、そうなるのかもしれません。