寺子屋の生活

寺子屋に子どもを出す時、親はどのような心境だったか、子どもたちはどのような心境だったかが「江戸の学び」の中で市川寛明さんが紹介している川柳で読み取ることができます。
「手習子 腹が痛いと 母に言い」という句を読むと、学校に行きたくないと思った時に、母親に「おなかが痛い!」というのは変わらないようです。しかも、母親というものは、それはわがままで行きたくないと思う反面、本当におなかが痛かったらどうしようと心配します。私は、行きたくないときに、おなかが痛いといわゆるうそを言っているのではなく、行きたくないときには本当におなかが痛くなるのだと思います。多くの病気は、気の持ち方でそのような症状になることがあるのです。ですから、その気持ちを理解してあげなければ、おなかの痛いのは治らないでしょう。
「いきは牛 帰りは馬の 手習子」学校に向かう子どもの様子が目に浮かびます。登校する時には、朝からなんとなくだらだらして、歩くときもぶらぶらしますが、帰ってくるときは一目散に飛んで帰ってきます。これは、会社に行くお父さんにも言えることかもしれません。子供だけを責められませんね。
「手習子 弁当箱を さしに持ち」「昼飯を 外から怒鳴る 手習子」寺子屋では、給食がありません。だからといって、みんなお弁当を持ってきたわけでもなく、それぞれの家庭の状況、考え方でお弁当の子や自宅に帰って食べる子などさまざまであったようです。これは、外国と似ています。だからといって、差別観を持つとか、可哀そうということよりも、個々のあり方を尊重するといった今の時代の先端の考え方です。
「さはがしい 八つ上りまへ 九々のこゑ」寺子屋の授業は、基本的には個別指導です。一斉に教師が声を張り上げて、みんなを前に向かせて講義をするという形はとりません。しかし、寺子屋の終了時間である八つ(おやつというように、今で言うとだいたい午後3時ころ)になると、みんなで集まって「お帰りの会」のようなものをやっていたようです。そこでは、みんなで声をあわっせて九九を暗唱していたようです。
その暗唱が終わると、子どもたちは一斉に、蜂の子を散らしたように部屋から外に飛び出していきます。「手習子 蜂の如くに 路地から出」子どもたちが出たあとの部屋は、嵐お後の静けさのように、突然静かになります。「手習の 跡は野分の 八つ下がり」この句からは、いわゆる授業中でも、そんなシーンと静まり返っているのではなく、かなり子どもたちは自由にしていたようです。それは、帰宅したわが子の顔を見ればわかります。
「八下り 母の吹き出す 黒坊」顔に墨をつけて帰ってきた子を見て、叱るよりは吹き出してしまいます。隣の子とふざけあっていたのでしょうか、また、先生に怒られて顔に墨を塗られたのでしょうか。こんなおおらかな親子関係はほほえましいですね。そして、「急いで顔を洗っておいで!」と言いつつ「手習子 母の頼みで 糠袋」今でいう石鹸の代わりのぬか袋を子どもに渡します。「顔を洗ったら御飯だよ!」という母親は少し前までいたような気がします。「手習子 一皮剥けて 飯を喰い」
このようなおおらかで、自由にのびのびと生活、勉強をしている子どもたちは、当時、世界の中でも非常に高い学力を持っていたようです。このころの寺子屋に、もう一度学ぶべきかもしれません。