もうすぐ映画「レッドクリフ」のパート2が公開されます。この映画は三国志の中の「赤壁の戦い」といわれる戦いを描いていますが、パート1では、曹操の大群が押し寄せてきたところで終わってしまったので、早く見たいと思います。三国志と言えば劉備玄徳と諸葛孔明に代表されるような軍師との絆と、その軍師の作戦の面白さがあります。この関係は、他の将軍においても存在していました。また、それは日本でも、NHK大河ドラマで取り上げられた信玄と山本勘助であったり、今放映中の上杉景勝と直江兼続と関係です。
これを、今の社会に置き換えるとどういう関係でしょうか。村上龍が司会で、東京テレビ系で毎週放映されている「カンブリア宮殿」で、「絆スペシャル 社長を救った名参謀 ~アイツがいたからオレがいる~」という特集を何週か放送されていました。その意図として、「天才エンジニアの本田宗一郎を経営面から支えた藤沢武夫、松下幸之助の教えを社員に伝え、松下イズムを浸透させた高橋荒太郎・・・日本の高度成長の中核を担ったビッグ企業には、カリスマ経営者を陰で支えた名参謀たちの姿があった。そして、それは現在も同じ。「アイツがいたから、今のオレがいる・・・」カリスマ経営者の陰には、必ずそれを支える名参謀たちがいる。社長のアイデアを具現化させる技術者、経営判断に迷った時の相談相手、財務を支えるスペシャリストなど様々な場面で、「片腕」と呼ばれる人たちがいなければ、ヒット商品やサービスは生まれなかった。未曾有の不況の中、経営者と社員の「絆」が改めて問われる時代。企業を成功に導いたカリスマ経営者と名参謀の「絆」から、今の難局を乗り切る知恵を探る。」
これは、どんな職場でも、どんな組織でもいえる気がします。また、その「絆」は、リーダーとサブとの関係だけでなく、リーダーと職員との関係においても大切なことです。何かを始めるときとか、改革をするときとかには特に大切です。テレビ番組「カンブリア宮殿」では、そのような絆で会社の改革をした人取り上げていました。
村山敦氏はかつて副社長として松下電器(現パナソニック)の社長に新たに就任した中村邦夫氏(現会長)の下、「破壊と創造」を掲げた松下電器の構造改革を支え、Ⅴ字回復に貢献しました。中村氏が「僕は決断するだけ。形にするのは村山さん」と言ったという名参謀でした。2003年からは松下での実績を買われ、初の民間企業出身社長として、関西国際空港株式会社の陣頭指揮に立っています。
ローソンストア100の仕掛け人と言われた河原成昭氏は、1店舗当たりの1日の売上げで、本家ローソンを凌駕し、業界トップのセブンイレブンに迫る勢いを見せている新規プロジェクトを成功に導いた名参謀です。日本電産の永守社長を創業時から支えているのが副社長の小部博志氏です。2人の出会いは、同じ下宿に住んでいた4つ年上の学校の先輩後輩の関係でした。小部氏は、引越しの挨拶の際、「子分にしたる」と言われたといいます。今はM&Aなどで海外を飛び回る永守氏に代わり、日本で本社を仕切るのが小部氏の役目ですが、永守氏が会長に就任したら、社長でなく副会長になる見込みだそうです。常にトップを支える小部氏の「ナンバー2」の美学だそうです。
小さい頃のやけどがもとで両足を失い、中村に義足を作ってもらった大森少年が、大人になり中村ブレイスに入社して、義肢装具士となり、今は他の人たちのために義足を作っています。社長が社員につなげ、さらにたくさんの顧客へとつながった幸せの「絆」の連鎖です。
社会の中にも、幸せの絆の連鎖を作っていきたいですね。

今日のデザイン

今日、Googleで検索しようと検索ページを開いたら、そのロゴが「はらぺこあおむし」になっています。園で、子どもたちに人気があり、保育者にも人気のある絵本ですので、たいへん見慣れたその絵を見た瞬間、なんだかインターネットの世界との違和感を感じました。しかし、3月20日は、「はらぺこあおむし」が1969年、アメリカで出版されて今年で40周年を迎え、その出版記念日のようです。ですから、3月16日から20日は「はらぺこあおむし」の公式イベント週間となっているそうです。ですから今日のロゴは、作者エリック・カールのデザインになっているのです。
出版されてからずいぶん経ちますが、それでも40周年です。この絵本が出版された頃に親しんだ人たちは今、アラフォー世代ですね。ところが、ブッシュ米元大統領が、子どもの頃に読んで印象に残った本として、「はらぺこあおむし」を挙げたそうですが、出版された時には、もうブッシュは大学生ですから、どの国の首相や大統領は本を読まないようですね。
わが子もご多分にもれず、エリック・カールの絵本が大好きでした。息子が寝る時に何度も「よんで!」とせがんだのは、「パパ、お月さまとって!」でした。娘に月をとってとせがまれて、パパは本当に月を連れてきます。エリック・カールの本の特徴である仕掛けが、上下左右に広がり、空の高さや月の満ち欠けなどを表現しているとてもわくわくする絵本です。
日本で「はらぺこあおむし」が出版されたのは1976年で、エリック・カール氏が住むアメリカ、そして出身国であるドイツに次いで世界で3番目の出版となりました。それでかわかりませんが、エリック・カールはとても親日家で、何度も来日しています。いつの来日かわかりませんが、息子と会いに行ったことを覚えています。その時に買った「はらぺこあおむし」の絵が入ったシャツを買いました。今は、園に飾ってあります。私も、その時に買ったのではありませんが、エリック・カールのデザインのグッズを持っています。
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エリック・カールは、「1,2,3どうぶつえんへ」で鮮烈なデビューをはたし、「はらぺこあおむし」は、エリック・カールの3冊めの絵本です。今では世界の33の言葉で出版され、絵本の傑作として多くの国のたくさんの子どもたちから愛されています。
なぜ、こんなに愛されているかというと、子どもが興味を持ち、親にも買わせるポイントをいくつか持ち合わせています。「変化に富んだ物語に、ハラハラドキドキ」「希望と期待」「困難を克服」「いろいろなたべもののなまえもおぼえ」「自然に数をおぼえ」「色彩が、心をイキイキさせ」「1週間の曜日や1日の日のめぐりなど、社会のしくみを知ることができ」「しかけは、まだ話をよく理解できないごく幼い子どもたちでも楽しめます」などがあるといわれています。

ミヤマヨメナ

東京では、ここに2,3日急に暖かくなりました。そういう季節になると、さまざまな花が咲き始めます。園の裏の入り口には、昨年植えた草が残っていましたが、春になって花をつけ始めました。一つは、パンジーといわれている三色スミレです。大きな花の品種や、小さい花の品種とも花をつけています。
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もう一つは、これはパンジーのように決して派手ではありませんが、この花からとても日本的な美しさを感じます。また、その名前もとても日本らしさを感じます。
この花は、もともと日本の多くの場所に自生する多年草のキク科の草です。道端でよく見かける野菊の一つで、秋にうす紫か白い菊の花をつけます。一般的にそれらをまとめて「ヨメナ(嫁菜)」と呼ばれます。この種類は、若芽を摘んで食べることがあり、古くは万葉集の時代から使われていたようで、オハギ、あるいはウハギと呼ばれています。それを入れて炊き込んだ「ヨメナご飯」なども有名です。そのヨメナの中で、山地の日陰に生える多年草で、多くの野菊が夏から秋にかけて咲きますが、3,4,5月の春から夏にかけて開花する種類があり、その名を和名で、は深山に生えるヨメナの意味で、「ミヤマヨメナ(深山嫁菜)」と呼ぶ品種があります。春に開花するので「野春蘭」「野春菊」「東菊」と呼ばれ、古くから栽培されていました。
こうしてミヤマヨメナは、栽培品種として改良されてきました。特に江戸時代から、茶花、庭の下草として利用されるようになり、それ故に改良が行われ、様々な園芸品種が存在しています。切り花に向く草丈の高くなる品種と鉢植えに向く背の低い品種の2タイプに分けることができます。花色は主に紫、白、ピンクなどと多くあります。
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時は鎌倉乱世の時代。源実朝が急死して源氏直系の将軍が居なくなったために北条政子は京の皇族の鎌倉への下向を、後鳥羽上皇に要請しました。その結果、源頼朝の血筋で左大臣・九条道家の子・三寅が決まりましたが、まだ幼いため、政子が代理として政務を見る事になりました。そして、三寅は8歳で元服して藤原頼経と名のり、征夷大将軍になったのですが、この将軍後継者問題で、幕府の横暴に屈した後鳥羽上皇は、その子・土御門上皇、順徳天皇らと密かに倒幕の計画を練り、ついに後鳥羽上皇は諸国の兵を募って挙兵します。武士が政権を握って以来、初の朝廷と武士との対決であった「承久の変」です。そして、上皇軍は敗北し、首謀者の後鳥羽上皇は隠岐島へ、土御門上皇は土佐へ、順徳天皇は佐渡へ流されます。その後、順徳上皇は、20年余年後に亡くなるまで佐渡島で暮らします。都での雅やかな生活が忘れられない日々の続くある日、庭に咲く清楚な野菊に目がとまり、気に入ってこの花がそばにあればしばし、みやこのことも忘れられると漏らします。そして、こんな和歌を詠みます。「いかにして契りおきけん白菊を都忘れと名づくるも憂し」それ以来、島民の間ではミヤコワスレと呼ぶようになったといいます。
それが、ミヤマヨメナの別名として栽培されるようになったのです。今の時期、花屋に行くと色とりどりの花の中にあって、清楚で可憐な草姿をし、日本的風情が感じられる「ミヤコワスレ」は、その名からも哀愁を感じ、ずっと親しまれてきました。これらの由来にはいろいろな説があるようですが、その花を眺めながら、そんな時代と、その時の思いに気持ちを馳せることも、花を眺めるときの趣向かもしれません。

くるみ

私のような年齢になって気になるのがメタボ対策でしょう。そして、コレステロール値や中性脂肪、血糖値などの数値が健康診断の後で気になるところです。これらすべての予防に効果がある食べ物として「くるみ」が紹介されていました。
それは、「カリフォルニア くるみ協会」というところのHPですが、こんな教会があるのですね。この協会は、その名の通りカリフォルニア州のくるみ生産者と加工・販売業者を代表する機関で、カリフォルニア州農務局の管轄のもとに各種調査・研究、輸出相手国での啓蒙活動を行う非営利団体だそうです。1986年までは日本では殻付きくるみの輸入は禁止されていました。しかし、解禁と同時にこの協会が設立されています。
2004年に、米国食品医薬品局(FDA)が政府としてこれまでで最も強力にくるみを推奨する内容の画期的な決定として「低飽和脂肪・低コレステロール食の一部として1日1.5オンス(約42g)のくるみを摂取し、摂取熱量を増加させなければ、冠動脈性心疾患のリスクが抑制できるということを、断定はできないものの、裏づける研究が行われている」と発表しています。ひとつかみほどのくるみが、食事摂取基準を満たすだけではなく、コレステロール低下や抗炎症作用以外にも重大な健康効果を示すことが証明されているといいます。
アメリカだけでなく、昨年12月には、スペインでの研究では、地中海食に、3種類のナッツ(主にくるみ)を加えた食事が、メタボリスクを削減する効果があるとの報告がなされています。地中海食とは、スペインやイタリア、ギリシャなどの地域で日常的に食べられている食事で、オリーブオイル、野菜、魚介類などが多いのが特徴で、昔ながらの和食と並び、ヘルシーなことで知られています。その研究では、メタボが、週1リットルのバージンオリーブオイルを摂取した場合は6.7%、1日30グラムのミックスナッツ(うち半分がくるみ)を摂取した場合は13.7%、低脂肪のものを摂取した場合は2.0%有病率が低下したそうです。
オリーブオイルに豊富に含まれる不飽和脂肪酸は、くるみにも豊富に含まれています。特にくるみに含まれている不飽和脂肪酸は、αリノレン酸といい、オメガ3(n-3系)脂肪酸のひとつで、いわし、さんまなどの青魚に多いEPA、DHAの仲間です。そして、このオメガ3脂肪酸には、LDL(悪玉)コレステロールを下げHDL(善玉)コレステロールを増やす働きがあり、その結果として動脈硬化を予防し、血液サラサラ効果や、脳卒中などの抑制効果もあることが知られています。くるみは、このオメガ3脂肪酸を、ナッツ類の中で最も多く含んでいる。
以前は、くるみなどのナッツ類は、「食べると太る」と言われていましたが、1990年代の半ば頃から、くるみに含まれる脂質は、健康効果の高い良質な不飽和脂肪酸であり、コレステロール値はゼロ、ということが広く知られるようになりました。そのほかにも、ビタミンB1、ビタミンE、カルシウム、鉄分、食物繊維などのさまざまな栄養素もバランスよく含んでおり、現在は、むしろ、体によいと評価されています。それだけでなく、肝臓を保護する作用や、認知症の予防などについても、研究が進められているそうです。
 私は「くるみ」が大好きなので、もう少し食べようかなと思っています。

防災無線

 八王子市では、夕方「夕焼けこやけ」の曲がどこからともなく流れてきます。それは、夕方になる場合は、小学生にそろそろ帰る時刻になったという知らせでもあります。私が子どものころは、住んでいたのが下町でしたので、夕方になると夕食のみそ汁の具のために豆腐売りがラッパを鳴らしながらやってきます。そのラッパの音がするのを合図に家路についたものでした。
それぞれの自治体では、さまざまな曲が流れます。今日の新聞によると、岩手県宮古市では、シューベルトの子守唄が午後9時に流れていたそうですが、今月いっぱいで中止になるそうです。そこで、見出しには、こんなタイトルが付けられています。“「眠れー眠れー」眠れない子守歌中止へ”というものです。なんだかシャレになりませんが、「眠れー、眠れー」と流れる曲が、大音量のために、若い夫婦は「せっかく寝かしつけた子どもが起きて困る」、早朝の漁に備える漁師らは「寝たのに目が覚めてしまう」など「うるさい」と苦情が増えたためだそうです。とりわけ網戸にする夏場には苦情が殺到するそうです。確かに毎日午後9時に流れるというのは騒音かもしれません。市の担当課は「多くの市民のやすらかな眠りのためには、しかたありません」といっているそうです。
しかし、この曲はなにも住民を寝かしつけるためではないのです。市町村が防災行政のために設置・運用する防災無線である「市町村防災行政無線」の点検のためです。防災無線とは、人命に関わる通信を確保するために整備された専用の無線通信システムで、公衆通信網の途絶・商用電源の停電の場合にも使用可能なように整備されています。その中で、市町村防災行政無線は、市町村が整備するもので、3系統あります。一つは「移動系」と呼ばれるもので、防災情報を収集するため自動車へ搭載し、持ち運び可能な移動局と役場などの基地局とで通信するものです。「同報系」と呼ばれるものは、屋外スピーカーや戸別受信機で、住民に対して防災情報を周知するものです。今回の苦情から取りやめたのは、この系統に対してです。そして、「テレメーター系」というのは、観測点と指令所を結び、降水量・河川の水位測定などのデータを収集するために使用するものです。
どんな災害の時に住民に知らせるのかというと、「大規模災害発生時の避難勧告、避難命令などの告知」「緊急地震速報や武力攻撃等の緊急事態における国民への情報伝達」「火災発生の知らせ、消防団員の招集、鎮火報告」「戦争犠牲者追悼のための鐘・サイレン(8月15日、8月6日、8月9日)」などがあり、東京では、「光化学スモッグ注意報等の告知」に使われたり、地方では、「運動会の延期連絡」に使われることもあります。
また、各地でよく聞く音楽は、「朝・昼・夕(07:00・17:00が多い)の時刻を知らせる音楽・鐘・サイレン、児童の帰宅を促す放送」で、この設備が故障していないことを確認するための試験のために毎日放送されているものです。曲としてどんな曲が使われているかというと自治体によって違いますが、多くは「夕焼小焼」とか「ふるさと」です。あと、「家路」「赤とんぼ」「蛍の光」「エーデルワイス」などのようです。朝夕曲を分けるところもあり、朝は「メヌエット」というところもありました。また、夏は「やしの実」、秋は「この道」、冬は「浜地鳥」というように季節によって変えるところもありました。モダンなところでは、「イマジン」が流れるところもありました。
まあ、どんなに良い曲であっても、点検のためであれば仕方ありませんが、なにも午後9時に流すとか、朝晩流さなくてもいい気がしますが。

カチカチ

今から100年前の1909(明治42)年6月19日に生まれ、39年目の同じ6月19日の早朝、玉川上水から入水自殺をした遺体が見つかったのは、太宰治です。ということで、ことしは、太宰治の生誕100年で、それに合わせて、さまざまなイベントや企画が行われています。先日紹介した津軽弁で語った「走れメロス」の本もそうですが、今日のニュースで流れたのが、青森県・弘前の菓子製造販売会社「ラグノオささき」が太宰の小説「津軽」を題材にしたクッキーを完成させたというものでした。パッケージは1944年に出版された太宰の小説「津軽」の初版本を模しており、中身は100%青森産のリンゴファイバーを使ったクッキーだそうです。菓子のキャッチコピーは「これは、食べる小説です」というものです。
また、太宰が晩年を過ごした東京・三鷹市と生誕の地の青森県五所川原市で、6月20日に「第1回太宰治検定」が行われるというニュースもありました。テキストは太宰の小説「津軽」を題材に、物語を読み進めながら津軽地方や太宰について学べる仕組みで、検定の問題は「津軽」と公式テキストから出題され、択一式で100問予定されているそうです。例題には、「小泊村(現・青森県中泊町)で、太宰と(子守の)たけは30年ぶりに再会する。再会場所はどこか。(1)たけの自宅(2)国民学校運動場(3)竜神様」というような問題が提示されています。
太宰は、自ら愛人と入水自殺を何度も計ったように、男女の愛については独特の見解を持っているようです。こんな結びを書いています。
「曰く、惚れたが悪いか。古来、世界中の文芸の哀話の主題は、一にここにかかっていると言っても過言ではあるまい。女性にはすべて、この無慈悲な兎が一匹住んでいるし、男性には、あの善良な狸がいつも溺れかかってあがいている。作者の、それこそ三十何年来の、頗る不振の経歴に徴して見ても、それは明々白々であった。おそらくは、また、君に於いても。後略。」
この文は、おとぎ話の「カチカチ山」のパロディー版として書いた太宰の「カチカチ山」の最後の文です。カチカチ山は、誰でも知っている話ですが、その残酷さは、童話の多くが持っている残酷さに比べても群を抜いています。それは、ウサギが狸にひどい仕返しをするというよりも、狸が助けてくれたおばあさんを殺して、それを汁にして、おじいさんに狸汁と言ってだまし、全部食べさせてしまうなどです。
太宰のカチカチ山の書き出しではこう書いてあります。「カチカチ山の物語に於ける兎は少女、そうしてあの惨めな敗北を喫する狸は、その兎の少女を恋している醜男。これはもう疑いを容れぬ儼然たる事実のように私には思われる。これは甲州、富士五湖の一つの河口湖畔、いまの船津の裏山あたりで行われた事件であるという。」
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カチカチ山から見た河口湖
ここに書かれている河口湖畔の「カチカチ山」に日曜日に妻と行ってみました。ロープウェイで登ったカチカチ山である天上山公園は、河口湖の全景や、富士山の裾野まで見渡せる絶景のロケーションでした。
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  カチカチ山から見た富士山
特に、快晴だったこともあって、あの残酷なカチカチ山の話も、美しい富士と、山頂に設置されているかわいらしいウサギとタヌキの置物で、おとぎ話だったのだということを思い起こしました。
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今月11日に米経済誌フォーブスが2009年版の世界長者番付を発表しました。それによると、マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏が2年ぶりに首位に返り咲きました。一方、日本人トップはカジュアル衣料ブランド「ユニクロ」を手掛けるファーストリテイリングの柳井正社長および柳井家で、全体では76位でした。
この発表に先立って2月19日に2009年の「日本の富豪40人」を発表しています。もちろん、その時に柳井正会長が、任天堂の山内溥相談役を抜いて初めて首位に立っています。柳井会長は前年の6位から一気にトップに立ったのですが、これは、最近のユニクロの快進撃があります。そして、この結果は、たんに売り上げの増加だけでなく、さまざまな分野でも評価されています。
昨年、ユニクロは世界三大広告賞といわれる「Cannes」「One Show」「Clio」において、すべてグランプリを受賞しました。特に、「カンヌ国際広告祭」では、日本勢は素晴らしい快挙で、ラジオ部門で「キャノン」、サイバー部門で「ユニクロ」、チタニウム部門でも「ユニクロ」の3つのグランプリをとりました。
カンヌ国際広告祭は、世界最大級の広告賞で、毎年6月下旬に、フランスのカンヌ市にて開催されています。審査は世界中から選抜された審査員によって行われます。また受賞者が受け取るトロフィーがライオンであることから、別名「カンヌ・ライオン」とも呼ばれています。最初は、劇場CM部門のみでスタートしましたが、その後テレビの台頭でテレビCMが加わり、1992年には屋外看板・印刷媒体を含めたプレス&ポスター部門(2005年からはプレス部門と屋外広告を対象とするアウトドア部門に分離)、1998年にインターネット広告を対象としたサイバー部門、1999年には媒体の活用手法を競うメディア部門、2002年にはDM(ダイレクトマーケティング)を対象としたカンヌディレクト部門、2005年にはラジオ部門と総合プロモーションを評価するチタニウム部門、そして2006年にはSPを対象としたプロモ部門と、今では9部門があります。
キャノンがグランプリをとった「ラジオ部門」は、画無しで、音(言葉)だけで表現しなければならない広告です。作品は、キヤノンマーケティング・EOS Kiss デジタルカメラ「SHUTTER CHANCE」(電通)で、シンプルなアイデア、どこの国の人がいつ聞いても理解できる普遍性、 きわめてクオリティの高いSEなどが評価されたようです。
また、ユニクロがグランプリをとった「チタニウム部門」(正確にはチタニウム&統合キャンペーン部門)は、唯一、全審査員メンバーをカンヌ事務局側が選出する部門で、「今までに無かった」とか「エポックメイキングな」広告を選ぶ部門です。ですから、無理してでも選ぶ必要がないほどとても価値ある賞です。もう一つの受賞した「サイバー部門」は、比較的歴史の浅い賞ですが、ハードウェアにおいて先進の欧米を差し置いてユニクロが受賞したことは、特筆に値するといわれています。
 売上が多いというのは、商品がいいのはもちろんですが、CMを見ても職員のレベルの高さを物語ります。そして、その質の高さを社長が支えているのです。献金のようなはっきりしない方法で収入を得るよりも、質の高さの提供で収入を得たいものですね。

ルソーの夢

 昨日のブログではありませんが、「歌は世につれ 世は歌につれ」という言葉通り、歌は時代に翻弄されます。日本でうたわれた多くの歌は、歌詞を変えることにより、文部省唱歌となり、賛美歌になり、軍歌となったりしました。それによって禁止されたり、利用されたりもしました。この歌も、同じように時代に翻弄されながら、子どもの歌として定着をしていきます。
 教育論「エミール」や「社会契約論」などの著作で知られるジャン・ジャック・ルソーは、フランスの哲学者であり、政治思想家でもあり、教育思想家でもあり、作家でもあり、そして音楽家でもありました。彼は、オペラ・バレエ「優雅な詩の女神たち」などを書いています。その中で、ルソーが作曲した喜劇「村の易者」の挿入歌に「「Hush, my babe」という歌がありました。この曲をもとにして、作者は不明ですが、「ルソーの新ロマンス」という歌が作られ、その旋律はヨーロッパ各国へ広まっていきます。そして、この歌が元になって、1788年にチャールズ・ジェームズ作曲の「メリッサ」という別れを歌うラブソングが作られます。そして、この歌の変奏曲「ルソーの夢」を、ドイツ系イギリス人音楽家ヨハン・バプティスト・クラーマーが作曲します。この変奏曲の楽譜は1812年にイギリスで発行され、フランス、ドイツでも人気がありました。
 一方でこのメロディーはイギリスにおいてキリスト教賛美歌として再び改編され、最もよく知られたバージョンである賛美歌「グリーンヴィル」というタイトルで日本にも伝わっています。その7年後の1881年に、同じメロディーが「見渡せば」という新しい題名と歌詞で、文部省音楽取調掛(現東京藝術大学)が発行した「小学唱歌集」初編に掲載されます。平安時代の古今和歌集にある素性法師の和歌 「みわたせば柳桜をこきまぜて宮こぞ春の錦なりける」を基本にしています。しかし、」見渡せば」も賛美歌も、広まる前に消えてしまいます。それは、その曲に東京音楽学校(現東京藝術大学)教授である鳥居忱が作詞し、「戦闘歌」として1895年に軍歌集『大東軍歌』に掲載されたからです。この戦闘歌は歌うだけでなく、歌詞に合わせたふりつけがあり、小学校では遊戯曲として用いられていた記録が残っています。「一隊の児童を円形にし、各生の間隔は、左右手を繋ぐまでにしておく。「用意」で各手を垂れ、円の中心に向う。見ワタ・・・で各生は右手を額上に上げ同時に蹠をあげて、爪立ちになる…」こうして戦時中の幼稚園遊戯曲としての色合いも濃くなっていきました。このメロディーは、他にも、軍隊行進曲「進撃突撃行進曲」になったり、韓国では唱歌「植松」、中国では軍歌「尚武之精神」になったりしています。
 第二次世界大戦の終戦から2年経った1947年、軍歌としての「ルソーの夢」は、また改めて小学唱歌としての位置付けを回復することになります。小学一年向けに刊行された最初の音楽の教科書「一ねんせいのおんがく」の4曲目に、新しい歌詞で登場したのが「むすんでひらいて」です。この教科書では作詞者は不明とされており、しかもいつ「むすんでひらいて」という歌詞がこのメロディーにつけられたのかについてはよくわかっていません。
以来今日まで「むすんでひらいて」は歌い続けられ、童謡、唱歌として完全に定着しており、保育園や幼稚園の手遊び歌として歌われるようになっています。
 クラーマーの「ルソーの夢」は世界中に様々な形で広まっていき、日本では、讃美歌から軍歌、そして唱歌と姿を変え、今も子どもを中心に多くの人々に愛されているのです。

蛍の光

 卒園式、卒業式シーズンになりました。今年は、その中で学校ではアンジェラ・アキさんの「手紙」を歌う学校が多いそうですが、保育園、幼稚園では新沢としひこさんの歌に人気があります。それでも年度によって違ったり、年齢や場所によって歌う歌が違います。昔は、ほぼ歌う歌は同じでした。その代表的なものに「仰げば尊し」とならんで、「蛍の光」があります。もともとは、スコットランドに伝わるメロディーを元に、スコットランドの詩人ロバート・バーンズにより作詞されたスコットランド民謡ですが、1881年(明治14年)に我が国最初の音楽教科書『小学唱歌初編』に掲載されて、小中学校の卒業式で歌われることが多くなりました。
しかし、原曲は、懐かしい仲間との再会を祝して杯を酌み交わしつつ、昔の思い出話に花を咲かせるといった内容ですので、別れのときではなく、出会いのときの歌の気がするのですが、同じメロディーを元にした讃美歌「目覚めよ我が霊」があるように、荘厳な、落ち着いたメロディーなので、卒業式などの別れの場や、新しい門出にふさわしい名曲として歌い継がれてきたのでしょう。歌詞は、稲垣千頴が原詞とはずいぶん違ったものに作り直されています。
海外では、美しいメロディーなどは讃美歌などに使われ、歌い継がれることも多いのですが、日本では、戦時中に軍歌や、国民の気持ちを高揚させるためや、領土を広げるためなどに使われるという悲しい経緯をたどります。そうすると、その歌は戦後にみんなから非難を浴び、一切否定され、歌われなくなります。その例に漏れず、「蛍の光」も歌われなくなりました。確かに、4番、5番の歌詞はそのような内容になっていますが、もとの曲や、1番、2番の歌詞などは、私はとてもいいと思います。
「1.蛍の光 窓の雪 書よむ月日 重ねつつ いつしか年も すぎのとを あけてぞ今朝は 別れゆく 2.とまるも行くも 限りとて かたみに思う 千よろずの 心のはしを ひとことに さきくとばかり 歌うなり」
この最初の節に使われ、題名にもなっている「蛍の光」とは、「蛍雪の功」という中国の故事から取られている言葉であることは有名ですね。「遅くまで勉強をするときに、貧しく、灯油も買えなかったために、夏は蛍を集めその光で、冬は雪明りで書物を読むような大変な思いで月日を重ねてきました。そうしているうちに、いつしか年月がたって、今朝は杉でできた扉を開けてクラスメートと別れていきます。」この「杉」は「過ぎ」との掛詞であり、「杉の戸を開けて社会に出る」ということと、「…いつしか歳も過ぎの十(歳)…」という尋常小学校の卒業する10歳のときの気構えを掛けています。「ふるさとにとどまる者も故郷から出て行く者も、今日限りです。お互いに何千、何万というたくさんの思い出を心の端々をたった一言にまとめて言うならば、幸せでいて欲しいと歌うのみです。」「さきく」とは、「幸く」と書き、「無事でいて欲しい」という意味です。
 何も、「蛍の光」でなくともいいのですが、一緒に過ごした子どもたちが、これから先、それぞれの場所で、それぞれの生き方をしていくでしょうが、どの子も、自分らしく、自分がもっているものを、自然や、他の人に貢献する力に育てていって欲しいと思います。

教師

最近の小学生も偉人伝などの伝記を読むかわかりませんが、私の子どものころは、偉人伝はよく読まれていました。最近読まれないのは、それは事実ではなく、偶像化していることが多いからかもしれませんが、私は、偉人の小さいころのエピソードなどは、事実は別として、今の生き方の参考になることが多いので、それでもいいと思いますが。
偉人伝のなかで、よく取り上げられる人に「エジソン」がいます。彼は、波乱万丈な青少年時代を過ごしていることと、のちに彼の発明によると言われているものが多いことなどから取り上げられるのでしょう。その伝記の中で有名なのが、小学校を退学させられたことです。入学してから、わずか3カ月で放校処分になるのです。とても先生の手を煩わせたようです。たとえば、「1+1=2」を教師が粘土を例にして教えていた時、エジソンが「1個の粘土と1個の粘土を合わせても、1個の粘土になるだけなのになぜ2個になるのか」と聞いて、教師がエジソンを「腐れ脳ミソ」と罵倒したというエピソードが残っています。
また、エジソンの知りたがり屋は学校内だけでなく、家庭でも同じでした。「なぜ物は燃えるのか」を知りたくて、藁を燃やしていたら納屋に延焼してしまったという逸話も伝記には必ず載っています。これは、彼がLD(学習障害)やADHD(注意欠陥多動性障害)であったからではないかといわれています。
こんな彼は、学校からだけでなく、父親からも見放されてしまいます。しかし、こんな彼に徹底して味方になったのが彼の母親でした。母親は、元教師でしたので、学校の対応に不満を持っていました。ある時、学校側が「そんなにエジソンをかばうのならお母さんが教えたらどうか」と言ったのに対し、母親は「そうですね、もうこの学校にトーマスを通わせる必要はありません」と言って、学校をやめさせてしまうのです。その後、トーマスの教師は、母親でした。母親の授業は、トーマスが理解するまで徹底的に教えることの出来る個人授業でしたから、知りたがりのトーマスにとってはとても納得のいくものであったようです。そして、母親の知識はトーマスの知的好奇心を満たし、抱いていた疑問や好奇心が科学の根本であることに気付かされていきます。エジソンが後に「母が私の最大の理解者であった。母が居なければ私は発明家になっていなかっただろう」と語っています。
先週の土曜日の読売新聞に「“自宅が学校”米で急増」(教師は親 背景に教育不信)という記事が掲載されていました。子どもを学校に通わせず、自宅で母親らが教師を務める「ホームスクーリング」(家庭学習)が全米で急激に広まっているというものです。その理由は、1、安全性の欠如、薬物使用など学校環境に関する懸念(88%)2、宗教的、道徳的教育を重視(83%)3、教師の教え方への不満(73%)などだそうです。1,2の理由は、あまり日本では考えられないかもしれませんが、3番目の理由は、日本でもいえるかもしれません。
アメリカでも多くの州で小、中、高校と義務教育とされていますが、家庭学習もアメリカでは公式に認められており、大半の大学では、家庭学習者の入学も受け入れているそうです。新聞には、最近は、ネットで簡単に教材が手に入るようになっているため、今後も増えると予測されているそうです。
「他の子ども」という子どもにとって一番大切な教材は、ネットでは手に入れることができないのにと思ってしまいます。