新入学

 今日で3月が終わり、学校や園などの年度が終わり、明日からは参勤交代が行われた4月、新しい年度がはじまります。この4月入学は、富国強兵政策の影響で、1886年(明治19年)に政府の会計年度が4月?3月になったことから、会計年度に合うよう、小学校で4月入学が奨励されるようになりました。そして、1900年(明治33年)からは、小学校が正式に4月入学となりました。
江戸時代までの寺子屋や私塾や藩校などでは、特に入学の時期を定めず、いつでも入学することができました。しかし、庶民の子ども達の多くが通った寺子屋の入学は、「此日小児手習読書の師匠へ入門せしむる者多し」という言葉があるように、2月最初の「午(うま)の日」である「初午」だったようです。この日は、本来は旧暦二月の最初の午の日でしたが、今では新暦2月の最初の午の日とされています。ですから、初午の入学というと、現在の暦ですと冬の一番寒い時期となってしまいますが、元々は春先の入学でした。 この初午は、全国で稲荷社の本社である京都の伏見稲荷神社の神が降りた日が和銅4年のこの日であったとされ、全国で稲荷社を祀ります。そろそろ春めいてきたころに、四季のうつろいを敏感にとらえ、その中に“もののあわれ”を見出した当時の人々は、“初午”にはこぞって稲荷社に詣でたようです。
入学式を控えた新1年生は、ドキドキしているでしょうね。江戸時代に寺子屋に入学する子たちはどんな気持ちだったのでしょうか。現在、1年生には6歳で入学しますが、寺子屋へは早い者で5歳、普通は男女とも6?7歳で入学したようです。当初、一部の裕福な家柄の子どもが入学していたころは、「寺入り」とか「寺上がり」と呼ばれ、子どもたちは裃(かみしも)を着て正装して通いました。しかし、手習いが一般庶民にも浸透するようになると、礼服を使用しなくなり、同時に江戸の庶民教育が広くいきわるようになっていきました。この時期から、日本における教育が世界の中でも珍しいほど就学率が高くなっていくのです。それは、入学金ともいえる寺入りする際の謝礼が、ボランティアなどが教えるようになり、庶民が通うことができるほど少なくなっていたからではないかと思います。
では、入学当初、子どもや親たちはどんな様子だったのでしょう。江戸古川柳研究家、渡辺信一郎さんの「江戸の寺子屋と子供達」には「初午の日からおっかないものが増え」という川柳が紹介されています。家族や近所の人しか知らずに育った子どもが、初めて寺子屋で厳しい師匠の指導を受けることになる様子がわかります。いつの世でも、就学前までは子どもたちは自由奔放に駆けずり回っていたのが、寺子屋に入って、初めていろいろと注意をされるのでしょう。また、「江戸の学び」の中では市川寛明さんが紹介している川柳があります。「初午の日から夫婦は ちっと息 七つから寺子屋に もり仕てもらう」寺子屋にある時間子どもがいくようになって、夫婦がやっと一息つけるというのは、やはりいくらかわいい子どもでも、ずっといると疲れてくるのは今でも同じですね。この本には、寺子屋は学習の場だけではなく、育児、保育の代替の側面もあったと書かれてあります。「初午は 世帯の鍵の下げ始め 初午は まず錠前を覚えさせ」という句から見ると、子どもが寺子屋に通い始めて、母親が仕事をはじめ、いわゆるカギっ子になるということでしょう。そのほかにも、そのころの心境などを呼んだ句がいくつもあるので、あした、他の物も紹介します。