4月

 4月になると、新学期が始まります。新1年生は、新たな生活が始まります。その時期が、外国では9月のところが多いのですが、日本では4月というのは、四季の中で、門出の時期としては桜が咲き乱れ、さまざまな生き物が長い冬を終えて、一斉に息づく季節ということでふさわしいのでしょう。
 江戸時代に、やはり4月に新たな生活が始まる習慣がありました。江戸幕府が大名を統制するために寛永12年(1635)に制定された基本法令「武家諸法度」の第2条にこんなことが定められています。
「大名・小名在江戸交替相定ムル所ナリ。毎歳夏四月中、参勤致スベシ。従者ノ員数近来甚ダ多シ、且ハ国郡ノ費、且ハ人民ノ労ナリ。向後ソノ相応ヲ以テコレヲ減少スベシ。但シ上洛ノ節ハ、教令ニ任セ、公役ハ分限ニ随フベキ事。」(大名や一部の旗本は自分の封地(領地)から江戸へと(1年ごとに)毎年4月に参勤すること。最近はお供の数が多く、領地や領民の負担となる。今後はふさわしい人数に減らすこと。ただし上洛の際は定めの通り、役目は身分によること。)
 「参勤」とは、江戸に伺候することで、「参勤」を終えると、大名はお暇をいただき、江戸から封地に戻り、自分の領地で支配に就きます。これを「就封」といい、これを総称して「参勤交代」といいます。このような制度の中で、江戸に赴くのを毎年4月にしなさいと定められているのです。しかし、4月交代は外様大名においてで、その後の制定で、関八州の中の譜代大名は2、8月交代か、12、8月交代で、半年ごとに交代することなどが定められています。
 それにしても、素晴らしい決まりを作ったものです。素晴らしいというのは、もちろん、徳川政権の長期支配をねらったもので、十分にその機能を達成しました。参勤交代は、諸大名に出費を強いることでその勢力を削ぎ、謀反などを起こすことを抑止するためだったとされています。また、道中は軍事訓練の一環として位置付けられていました。ですから、本陣で夜大名が休むときにも控えの間の家臣たちは一晩中起きていたそうです。
 しかし、参勤交代の制度によって、いいこともありました。江戸と封地を往復する大名行列の往来は、5街道をはじめ、瀬戸内航路などの水陸交通網の整備をもたらしました。また、彼らが宿泊や休憩をする場所である本陣や旅籠が発展し、そこに商家を中心とした宿場町や港町ができました。また、大名をはじめとして、その家来たちが江戸と地元を交代することで、お互いの文化が交流します。特に、情報がない時代に、江戸の文化、風俗、考え方、土産品などが地方にもたらされ、江戸の文化を模した「小江戸」が各地にできました。
 この「武家諸法度」は、最初は徳川秀忠の名でだされていますが、実際は、徳川家康が以心崇伝らに命じて起草させ、1635年の大改訂の時の起草は林羅山が行っています。その改訂版に参勤交代が明記されたのです。この制度によって大名へのけん制の意味だけでなく、その経済効果は莫大であったようです。高速料金一律1000円の効果と比べてどうでしょうか。しかし、武家諸法度には、このほか、道路交通を停滞させてはならないことや私的な関所設置の禁止も定められており、高速料金一律1000円による渋滞や、料金所のトラブルが多いことなどからすると、よほど配慮しているようですね。