空き地

 子どもの生活の中で、空き地が必要ですが、今はそれを地域の中に求めることはなかなか難しくなってきています。時間、仲間がいないだけでなく、不審者に対しての地域の目が薄くなってきているからです。以前、私が、「子どもを守るのはただ鍵とかドアに頼るのではなく、お互いの目が必要です。」と言ったところ、ある保護者が「それは時代が違います。昔はよかったけれど、今は危険なのです。」と言ったので、私は、「きちんとデータによって話したほうがいいですよ。不審者の数や、犯罪の数は圧倒的に昔のほうが多かったのです。たとえば、青少年犯罪にしても、戦後のほうが非常に多く、今はそれほどでもありません。」と言いました。情報がいきわたるようになったおかげで、知りえない地域での事件まで知ることができます。そのために、多いように思えますが、決してそうではありません。ただ、交通事故が増えたことと、地域でお互いの見合う関係が少なくなくなってきていることは事実です。
 このような子どもをめぐる環境の変化に対して、もう一度、地域の養育力は取り戻さなければなりません。もう一つ、地域の中に「空き地」がなくなった分だけ、保育園、幼稚園、学校の中に「空き地」と言える空間を用意する必要があります。そして、その中で、子どもは大人から監視されることがなく、しかし、大人たちから温かく見守られている目を感じながら、自分たちで工夫し、異年齢で自由に遊ぶことが必要なのです。
安藤忠雄さんはこう言っています。
「子どもを”過保護”の世界に閉じ込める家庭と社会のシステムが、子どもの自立を阻んでいる。そんな考えでいるから、「放っておいても子どもは育つ」などと言って、周囲の反感を買うこともある。子どもための施設を設計するときも、人間本来の生命力に期待し、子どもだから遠慮せず、いつも通りにつくるから、発注者側と衝突することも多い。」
心配する親の思いと、子どもの自立との調和はなかなか難しいですね。安藤さんは、子どものための施設の計画で、こんな空間を提案しています。
「ほったらかしの場所をつくる:テーマは、自然との対話である。それとこれが一番重要なのだが、すべて設計し尽くすのではなく、あえて目的のない、ほったらかしの場所をつくることだ。人間が生きていくには、知識と知恵がいる。既にある問題と答えを結びつける、知識を身に付ける学校の授業と、世界を自分の目で見て、問題そのものを探していける知恵を育む放課後の自由な時間_____この両方があってこその教育だろう。
 建築も同じで、つくり手が「ここはこう使ってください」と全部決めつけてしまっては、
使い手が想像力を働かせて使っていく楽しみがなくなってしまう。とりわけ子どもには、
そんな風に自分たちの居場所が探せる、ほったらかしの場所が必要だ。」
 本当の意味での「ほったらかし」は、安藤さんも言っていますが誤解を招きそうです。言い古された言葉ですが、子どもが主体的に生活し、自発的に遊びこめるような空間の用意でしょう。しかも、それができるような用意をすべて整えるのではなく、子ども自ら生み出していくような余地も残しつつです。それが、自己管理能力の獲得につながっていくのでしょう。