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2009年03月31日 江戸文化

新入学

 今日で3月が終わり、学校や園などの年度が終わり、明日からは参勤交代が行われた4月、新しい年度がはじまります。この4月入学は、富国強兵政策の影響で、1886年(明治19年)に政府の会計年度が4月-3月になったことから、会計年度に合うよう、小学校で4月入学が奨励されるようになりました。そして、1900年(明治33年)からは、小学校が正式に4月入学となりました。
江戸時代までの寺子屋や私塾や藩校などでは、特に入学の時期を定めず、いつでも入学することができました。しかし、庶民の子ども達の多くが通った寺子屋の入学は、「此日小児手習読書の師匠へ入門せしむる者多し」という言葉があるように、2月最初の「午(うま)の日」である「初午」だったようです。この日は、本来は旧暦二月の最初の午の日でしたが、今では新暦2月の最初の午の日とされています。ですから、初午の入学というと、現在の暦ですと冬の一番寒い時期となってしまいますが、元々は春先の入学でした。 この初午は、全国で稲荷社の本社である京都の伏見稲荷神社の神が降りた日が和銅4年のこの日であったとされ、全国で稲荷社を祀ります。そろそろ春めいてきたころに、四季のうつろいを敏感にとらえ、その中に“もののあわれ”を見出した当時の人々は、“初午”にはこぞって稲荷社に詣でたようです。
入学式を控えた新1年生は、ドキドキしているでしょうね。江戸時代に寺子屋に入学する子たちはどんな気持ちだったのでしょうか。現在、1年生には6歳で入学しますが、寺子屋へは早い者で5歳、普通は男女とも6~7歳で入学したようです。当初、一部の裕福な家柄の子どもが入学していたころは、「寺入り」とか「寺上がり」と呼ばれ、子どもたちは裃(かみしも)を着て正装して通いました。しかし、手習いが一般庶民にも浸透するようになると、礼服を使用しなくなり、同時に江戸の庶民教育が広くいきわるようになっていきました。この時期から、日本における教育が世界の中でも珍しいほど就学率が高くなっていくのです。それは、入学金ともいえる寺入りする際の謝礼が、ボランティアなどが教えるようになり、庶民が通うことができるほど少なくなっていたからではないかと思います。
では、入学当初、子どもや親たちはどんな様子だったのでしょう。江戸古川柳研究家、渡辺信一郎さんの「江戸の寺子屋と子供達」には「初午の日からおっかないものが増え」という川柳が紹介されています。家族や近所の人しか知らずに育った子どもが、初めて寺子屋で厳しい師匠の指導を受けることになる様子がわかります。いつの世でも、就学前までは子どもたちは自由奔放に駆けずり回っていたのが、寺子屋に入って、初めていろいろと注意をされるのでしょう。また、「江戸の学び」の中では市川寛明さんが紹介している川柳があります。「初午の日から夫婦は ちっと息 七つから寺子屋に もり仕てもらう」寺子屋にある時間子どもがいくようになって、夫婦がやっと一息つけるというのは、やはりいくらかわいい子どもでも、ずっといると疲れてくるのは今でも同じですね。この本には、寺子屋は学習の場だけではなく、育児、保育の代替の側面もあったと書かれてあります。「初午は 世帯の鍵の下げ始め 初午は まず錠前を覚えさせ」という句から見ると、子どもが寺子屋に通い始めて、母親が仕事をはじめ、いわゆるカギっ子になるということでしょう。そのほかにも、そのころの心境などを呼んだ句がいくつもあるので、あした、他の物も紹介します。

投稿者 fujimori : 23:41 | コメント (4)

2009年03月30日 江戸文化

4月

 4月になると、新学期が始まります。新1年生は、新たな生活が始まります。その時期が、外国では9月のところが多いのですが、日本では4月というのは、四季の中で、門出の時期としては桜が咲き乱れ、さまざまな生き物が長い冬を終えて、一斉に息づく季節ということでふさわしいのでしょう。
 江戸時代に、やはり4月に新たな生活が始まる習慣がありました。江戸幕府が大名を統制するために寛永12年(1635)に制定された基本法令「武家諸法度」の第2条にこんなことが定められています。
「大名・小名在江戸交替相定ムル所ナリ。毎歳夏四月中、参勤致スベシ。従者ノ員数近来甚ダ多シ、且ハ国郡ノ費、且ハ人民ノ労ナリ。向後ソノ相応ヲ以テコレヲ減少スベシ。但シ上洛ノ節ハ、教令ニ任セ、公役ハ分限ニ随フベキ事。」(大名や一部の旗本は自分の封地(領地)から江戸へと(1年ごとに)毎年4月に参勤すること。最近はお供の数が多く、領地や領民の負担となる。今後はふさわしい人数に減らすこと。ただし上洛の際は定めの通り、役目は身分によること。)
 「参勤」とは、江戸に伺候することで、「参勤」を終えると、大名はお暇をいただき、江戸から封地に戻り、自分の領地で支配に就きます。これを「就封」といい、これを総称して「参勤交代」といいます。このような制度の中で、江戸に赴くのを毎年4月にしなさいと定められているのです。しかし、4月交代は外様大名においてで、その後の制定で、関八州の中の譜代大名は2、8月交代か、12、8月交代で、半年ごとに交代することなどが定められています。
 それにしても、素晴らしい決まりを作ったものです。素晴らしいというのは、もちろん、徳川政権の長期支配をねらったもので、十分にその機能を達成しました。参勤交代は、諸大名に出費を強いることでその勢力を削ぎ、謀反などを起こすことを抑止するためだったとされています。また、道中は軍事訓練の一環として位置付けられていました。ですから、本陣で夜大名が休むときにも控えの間の家臣たちは一晩中起きていたそうです。
 しかし、参勤交代の制度によって、いいこともありました。江戸と封地を往復する大名行列の往来は、5街道をはじめ、瀬戸内航路などの水陸交通網の整備をもたらしました。また、彼らが宿泊や休憩をする場所である本陣や旅籠が発展し、そこに商家を中心とした宿場町や港町ができました。また、大名をはじめとして、その家来たちが江戸と地元を交代することで、お互いの文化が交流します。特に、情報がない時代に、江戸の文化、風俗、考え方、土産品などが地方にもたらされ、江戸の文化を模した「小江戸」が各地にできました。
 この「武家諸法度」は、最初は徳川秀忠の名でだされていますが、実際は、徳川家康が以心崇伝らに命じて起草させ、1635年の大改訂の時の起草は林羅山が行っています。その改訂版に参勤交代が明記されたのです。この制度によって大名へのけん制の意味だけでなく、その経済効果は莫大であったようです。高速料金一律1000円の効果と比べてどうでしょうか。しかし、武家諸法度には、このほか、道路交通を停滞させてはならないことや私的な関所設置の禁止も定められており、高速料金一律1000円による渋滞や、料金所のトラブルが多いことなどからすると、よほど配慮しているようですね。

投稿者 fujimori : 23:53 | コメント (4)

2009年03月29日 近頃思うこと

老い2

 「老いてますます盛ん」というと、赤瀬川原平著「老人力」を思い出します。この老人力は、年をとることを肯定的に捕らえる言葉として流行りました。「人は老いて衰えるわけではなく、ものをうまく忘れたりする力、つまり老人力がつくと考えるべきである」という逆転の発想と、端的な表題が人々の受け入れるところとなって、ベストセラーになりました。1998年には、第15回「新語・流行語大賞」で、トップテンに選ばれました。
 しかし、この「老人力」とは、「老いてますます盛ん」ということと少しニュアンスが違います。「老人力」とは、年をとっても、衰えるどころか、ますます活動的になるという意味ではなく、年をとって、活動が鈍くなることで、また違う価値が生まれるのではないかという意味です。物を忘れるようになってきたということを「老人力がついてきた」というふうに言いかえようという、あるシャレから始まったようです。
 また、なぜ赤瀬川さんが、このような言葉を考えたかというと、こう言っています。「“老木”という言葉は昔から、古くから使われて味があったが、だんだん老人が敬われなくなってくる傾向、特に戦後のアメリカナイズされていく中で、若者的な力と言いますか、機能と経済中心の世の中になって、だんだん老人という言葉も余り大っぴらに言えないような雰囲気になってきたわけです。」確かに、老人という言葉は、マイナスイメージのほうが多いですね。
 「若者中心、筋肉中心の考え方からいうと、衰えていく力というようになると思うんですけれども、むしろ衰えることによって入ってくる力ですね。弾き返したものが自然に入ってきて、それを捕まえられるという、それは非常に地味だけれども、内面的には勇気の要ることだと思うわけなんですよね。」その力を、赤瀬川さんは、「老人の勇気」といいます。結局言いたいことは、「余りにも今の世の中は頭で考える論理優先といいますか、機能優先、経済優先といいますか、そういうことになり過ぎている。しかし、そうじゃないところの、そういう考え方の世界からちょっと押し退けられている、落としちゃっているものを見ないと、結局は人生何もなかったということで終ってしまう。本当の楽しみというのは、機能を離れて、お金を離れて、多少のお金というのは要りますので、お金を捨てるということは非常に難しいことですが、これができたら大変な哲人になれると思うんです。」
 この言葉は、不景気、経済危機といわれている今の時代では、必要なことです。また、東大教授の姜尚中さんは、ベストセラーになった「悩む力」という書籍の第九章「 老いて「最強」たれ」という中で、「老人力」について書かれています。「『老人は権威によりかかる』とか、『老人は保守的である』とか言われてきましたが、今後はそれもあてはまらなくなる可能性が高いのです。ゆえに、これからの『老人力』とは何かと問われたら、『攪乱する力』であると私は答えたいと思います。子供はどんどん減っていきますが、老人はどんどん増えていきます。ですから、この社会は、もしかするとアナーキーなほうに向かうのではないかという気も少ししています。とはいえ、これは悪い意味で言っているのではありません。老人の『攪乱する力』は、生産や効率性、若さや有用性を中心とするこれまでの社会を、変えていくパワーになると思うからです。」
 この「攪乱する力」も、今の時代に必要なことでしょう。それが、「老いてはますます盛ん」にならなければならない所以でしょう。

投稿者 fujimori : 19:12 | コメント (5)

2009年03月28日 近頃思うこと

老い

いよいよ4月10日から「レッドクリフ Part2」が公開されます。この話題は何度もブログで書きますが、この元になっている三国志の面白さは、先日の絆の中ではありませんが、三国それぞれに、有能な武将が登場することでしょう。そして、その武将たちの活躍と、彼らが使える王が変わるきっかけが面白さを増していると思います。特にその中で、この映画には出てきているかわかりませんが、劉備玄徳に使える“五虎大将軍”という武将たちが、それぞれ自分の特性を生かして、それぞれの場面で活躍する逸話が三国志を面白くしています。この五人とは、三国志演義の中で、漢中を平定し、漢中王となった劉備が諸葛亮の進言により、古参・新参を問わず信頼と功績のある武将5人に五虎大将軍の称号を授けた人たちです。その5人は関羽、張飛、趙雲、馬超、黄忠です。その中で、関羽、張飛はもちろん、映画「レッドクリフ Part1」の中では趙雲が活躍して、目立っていました。
この中で、今回の映画の舞台である赤壁の戦いがきっかけで劉備に使えるのが「黄忠」です。出身は、中国茶のブログで書いた荊州南陽郡で、始めは、荊州の劉表に仕えており、長沙の攸県の守備の任についていました。その後、劉表が亡くなり、魏の曹操が荊州を降伏させた後は、職務はそのままで長沙太守の韓玄の配下についたのです。
そこで、「赤壁の戦い」で、この曹操と劉備が戦うのです。故pの戦いで劉備が勝利をおさめ、荊州南4郡を平定します。その時から、黄忠は劉備に仕えることになるのです。その時には、すでに60歳を超えていたといわれています。そして、益州に入り、劉備軍の一将として劉璋を攻撃し、いくつかの陣地を攻めおとし、益州平定した後、討虜将軍に任命されます。
その後の活躍はすざましいものがあり、その勇猛さは軍の中でも鳴り響きます。219年、劉備が漢中攻めを行ったときに定軍山において、やはり曹操配下として勇猛果敢として名を知られていた夏侯淵と対峙したときも、黄忠は率先して軍を率い、一度の戦闘で夏侯淵を切り大勝利をおさめます。これにより、曹操は漢中の足がかりを失い、劉備は漢中を平定し、漢中王になる事になります。このときの功績で征西将軍に昇進しました。
劉備に仕えていた頃の黄忠が老人であったかどうかははっきりしていませんが、これらの老いても勇猛果敢な黄忠の伝説から、「老いてますます盛ん」な人の事を 老黄忠と呼ぶようになりました。
老いに近づく年齢になる時、弱ってくると思わないで、「老いてますます盛ん」といわれるようなことをしていきたいですね。

投稿者 fujimori : 22:27 | コメント (4)

2009年03月27日 近頃思うこと

 今、日本では、ペットボトルのお茶の中で、緑茶や紅茶同様に中国茶が売られています。ずいぶん前からですが、ウーロン茶はすでにポピュラーですし、中華料理屋でよく出るジャスミン茶やプーアル茶などもよく飲まれるようになっています。また、葉からだけでなく、あの香りの強いきんもくせいの花から作られた桂花茶のような花茶というものもあります。実は、ジャスミン茶(茉莉花茶)もその仲間です。ずいぶん前に、桂林に行った時には、いつもそのお茶でした。
 また、最近、いろいろなところで、中国茶を飲ませる店が増えてきています。同時に、そこでは茶葉とか、中国茶器なども販売していますし、店内で飲むときには、あるパフォーマンスをやりながら注いでくれるところもあります。そのように、日本の茶道のように中国にも茶道があるようです。それほど本格的ではなくても、お茶の飲み方は違うようです。やはり私が上海に自然教育の視察で訪れた時に、先方の農林局の職員は、茶葉を入れた水筒のような筒にお湯を入れて飲んでいました。そして、飲み終わると、どこかに立ち寄って、そこにお湯を足してもらっていました。その時に、中国では茶葉はお湯の中にいつも入っていて、苦くならないのか、また何回もその茶葉で飲んで味が薄くならないのかと不思議でした。
 こんな中国茶の話を、話題のレッドクリフに絡んで中国茶評論家の工藤佳治が朝日新聞に書いていました。「吉川英治の小説「三国志」の冒頭は、黄河沿いの船着き場で、船が着くのを待つ劉備のシーンから始まる。故郷に帰るのに、当時の都・洛陽から船に乗っている商人が運んでくるお茶を、働いてためたお金で、買って帰ろうというのだ。故郷の母へのお土産である。物語の時代は、後漢後半。2世紀の終わり頃の話であろう。お茶が薬から飲料としての定着が次第にされ始めた頃である。洛陽から黄河を下る船に載っていたお茶は、いったい何であったろうか。当時、洛陽は栄え、各地の物資の交流は盛んであったという。洛陽ではお茶は採れなかったはずだ。小説で吉川英治も書いているように、当時お茶は、若造が働いてためたお金くらいでは買えない高価なものであったろう。洛陽は、現在の省でいえば河南省の都市。洛陽よりずいぶん南だが、河南省には紀元前後からの茶区がある。現在も、信陽毛尖というお茶が作られている。映画のタイトルになっている「赤壁」は、現在では湖北省赤壁市。十年ほど前の地図を見ると、赤壁は、小さな地名として見ることは出来ても、市としての名前にはなっていない。お茶を産するところでも知られている。」とあります。
 中国でも、茶は最初は高級でしたし、取れるところは限られていたようです。しかし、中国茶というとずいぶんとその範囲は広いようです。分け方でもわかりやすいのですが、
製法によって大きく6種類になります。青茶・黒茶・緑茶・紅茶・白茶・黄茶で、これらを六大茶類と呼びます。この色の違いは、発酵の進行度合いにより、水色(淹れた茶の色)が濃くなり、味も濃厚になっていきます。日本同様、中国でも最もポピュラーなお茶は「緑茶」で、中国本土で消費される中国茶全体の消費量の7〜8割を占めます。
 ある程度発酵を進ませ、その後加熱処理を行った茶が青茶です。茶葉が発酵過程で銀青色になるため「青茶」と呼ばれます。その中で、よく揉みこまれ、茶葉のひとつひとつが球状とか曲がりくねった棒状になり、その茶葉の形が竜の姿に似ていて、色が烏のように黒いために烏龍茶と呼ばれるようになった茶も青茶の一種です。
 映画レッドクリフを見るとき、お茶のことを考えることで、映画の面白さが増されるかもしれません。

投稿者 fujimori : 23:04 | コメント (4)

2009年03月26日 近頃思うこと

カモメ

 先日「チャイカ」という店に、ロシア料理を食べにいきました。その店のチラシには、「チャイカ」のいわれが書いてありました。「“チャイカ”とはカモメのことです。ロシア人なら真っ先にチェーホフを思い浮かべるところで、当レストランのマークもモスクワ芸術座にちなんだものです。次にカモメといえば、ソ連時代に世界初の女性飛行士テレシコワが言った“わたしはカモメ”(ヤー・チャイカ)が有名でしょうか。“チャイカ”という自動車も、ソ連時代には党幹部の乗る最高級車として知られていました。音楽家のチャイコフスキーという姓も、“カモメ”に由来するものです。ロシア人にとって、“チャイカ”は大変親しみのある言葉なのです。」(ロシア料理 チャイカのチラシより)
 たしかに、チャイカという単語は、ロシア語の女性名詞で、「カモメ」のことです。一般に広く愛されており、様々なものの名称や愛称に使用されており、姓だけでなく、旧ソ連圏各地では地名にも見られます。
 また、チラシにあるようにソ連の女性宇宙飛行士ワレンチナ・テレシコワさんが、1963年に宇宙船ボストーク6号の乗って女性で初の宇宙飛行を果たした際、無線交信で「ヤー・チャイカ」という言葉を言いました。この言葉は、「私はかもめ」というチェーホフの台詞に直訳されロマンチックなイメージで有名になりました。しかし、この言葉は、単にコールサインとして言ったもので、「こちら、“チャイカ”」というだけの言葉でした。
現在、若田さんが宇宙に行っていますが、どんな名言を地球に送ってくるでしょう。多くの言葉は、どうも事前に考えていくものが多いようですが、宇宙からということもあって、その言葉は地球で聞くと、とても響きます。歴代で有名なものに、1961年、人類として初めて宇宙飛行を成し遂げた、ソビエト連邦のパイロット、宇宙飛行士であるガガーリンの言葉でしょう。ちなみに、彼の時のコールサインは、「ヒマラヤスギ」でした。しかし、「僕は、ヒマラヤスギ」なんて言葉は残っていません。彼が残した言葉として有名なのは、「地球は青かった」です。これも、日本語に訳すと、もともとどのような意味で言ったかとは少し違ってくるかもしれませんが、真っ暗闇の宇宙で、地球は、さぞかし青く、美しかっただろうなと思いますし、そんな地球を大切にしなければと思います。ですから、この言葉は、真偽はともかくとして、大切にしたい言葉です。
初めて、月面着陸をはたしたアームストロング船長のセリフも、世界中を感動させました。「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな一歩だ」(This is small step for a man.But giant leep for mankind.)という言葉です。
まったく関係ありませんが、このブログを書いているときに偶然にイヤホンから「かもめはかもめ」(作詞・作曲 中島みゆき)という歌が流れてきました。「かもめは かもめ 孔雀や鳩や ましてや 女には なれない あなたの望む 素直な女には はじめから なれない 青空を 渡るよりも 見たい夢は あるけれど かもめは かもめ ひとりで空を ゆくのが お似合い」
実際のカモメは、集団で生活をしますが、この歌からは、リチャード・バックの小説「かもめのジョナサン」を思い出します。主人公のカモメ、ジョナサン・リヴィングストンは、他のカモメ達が餌をとるために飛ぶことに対して、飛ぶという行為自体に価値を見出してしまうのです。この生き方は、当時かなり影響を与えました。ただ、食べるためだけでは生きたくありませんが、やはり「大義」という目的は持ちたいですね。

投稿者 fujimori : 23:49 | コメント (4)

2009年03月25日 近頃思うこと

好奇心2

 日本の学力低下は、OECDが行うPISAの学力調査によって言われることが多いのですが、私は、将来を見通しての教育改革を行う場合は、その結果を恐れる必要はないと思うのですが、どうもどうもあたふたとして、短期的な対策を練ろうとしている気がして心配なところがあります。それよりも、今の子どもたちは、学ぶ意欲をはじめとして、全体的に意欲がないことが気になります。その意欲は、昨日のブログでも書きましたが、大人が、子どもの好奇心の芽を摘んでしまっていることが多いような気がします。それは、少子化によって、子どもの世界に大人が過干渉になっているということが影響しているでしょう。
 それと、好奇心には、大人と子どもとの間の強い信頼関係が影響してきます。赤ちゃんの時から、子どもたちは大きな好奇心を持って、物事を見たり、触ったり、体験をしていきます。その時には、初めて体験することが多いのですが、当然、好奇心の裏には、恐れとか、失敗とか、マイナスになる可能性もはらんでいます。その恐怖を乗り越えて取り組もうとするためには、いつでも助けてくれるであろう大人が見守っていてくれるという安心感、信頼関係が育っていないといけないのです。つまり、好奇心を育てるためには、昨日書いたように環境を用意すること、大人の見守りが大切なのです。その見守りは、いつでも見てもらっているという信頼関係と、危険なとき、人に危害を加えるときなどにいつでも助けてくれるであろうというだけでなく、行動の規範を教えてくれるということもあります。しかし、むやみな制止は、子どもが持っている力を失わせることも多いことを知る必要があります。
 赤ちゃん学会の理事長である小西さんが、こんなことを書いています。「ハイハイが上手にできるようになった赤ちゃんは、自分の興味の向くままにどんどん移動するようになります。運動能力が育つと同時に、好奇心もどんどん強くなり、行動範囲がますます広がっていくのです。おもちゃなど興味の対象となるものを見つけると、一目散にハイハイで突進します。途中に、少々の高さの物や、時には人が寝転がっていても、乗り越えて目標に向かいます。こうした赤ちゃんの行動を見ていると、どんなところでもかまわずに移動してしまうかのように思えます。」好奇心は、危険を顧みずに突進していこうという力を生み出します。しかし、危険なところや不可能なことは大人がのぞいてあげたり、教えてあげなければと思います。ところが、赤ちゃんには「どういう所なら通れるのか」を判断する力が先天的に備わっていると小西さんは言います。
それは、ギブソンとウォークらにより考え出されたレッドクリフではなく、ヴィジュアルクリフ(視覚的断崖)という仕掛けを使った実験でわかっています。実験の内容は、台の半分を透明ガラスにした状態で、「台の地柄」と、「ガラスを通して見える地柄」を、同じ柄になるようにしておき、奥行きを知覚して、ガラスの手前で止まるかどうかをテストするものです↑具体的には、乳児を台の真ん中にのせ、両側からそれぞれ、母親に乳児を呼んでもらいます。すると、ガラスではない奥行きが無い方では、ハイハイしてくるのに対し、ガラスの奥行きがあるほうの台では、どんなに呼んでも止まってしまって、それ以上、動きませんでした。また、二つの台を間隔をとって置き、台と台に板を渡しておくと、赤ちゃんはその板の上をハイハイしますが、板を透明にすると赤ちゃんは渡りません。つまり、板を渡していなければ崖から落ちてしまうことが、赤ちゃんにはわかっていると小西さんは言います。
そして、こうしたことを判断する力は学習ではなく、赤ちゃんが生まれながらに持っているものだといわれています。それを大切に残しておこうという考え方が最近の育児の在り方のようです。

投稿者 fujimori : 23:17 | コメント (5)

2009年03月24日 近頃思うこと

好奇心

今日は、年長さんのお別れ遠足についていきました。今までの園ですと、お別れ遠足というと山歩きや、尾根歩き、里山などに行きましたが、今の園は新宿にあるので行き先に悩んでいました。しかし、考えを変えて、新宿でないと行けないところということで昨年から上野にある「国立科学博物館」に行くことにしました。この国立科学博物館は1877年(明治10年)に設立された、日本で最も歴史のある博物館の一つであり、国立の唯一の総合科学博物館です。その前身はもっと古く、明治4年、文部省博物局の観覧施設として湯島聖堂内に博物館を設置したことに始まります。そして、翌年には、文部省博物館の名で初めて博覧会を公開しました。その後、明治8年に博物館を「東京博物館」と改称し、明治10年に上野山内、西四軒寺跡(現東京芸大の位置)に新館が一部竣工、東京博物館を「教育博物館」と改称したときを創立年としているのです。
この館の使命として示されているのは、「関係性」です。人々が、地球や生命、科学技術に対する認識を深め、人類と自然、科学技術の望ましい関係について考えていくことに貢献することを使命としています。そして、自然や科学技術に対する適切な知識や科学的な見方・考え方を持ち、自然や社会の変化に適切に対応し、合理的な判断と行動ができる総合的な資質・能力である科学リテラシーの涵養に資するための様々な事業を行っています。
この「国立科学博物館」のキャッチコピーは、「想像力の入口」ですが、子どもたちは、展示されているものにどん欲までの好奇心を持って見つめ、触れるものはすべてわれ先に触り、試せるものはすべて試そうと必死です。まったく、あきれるほど必死で群がります。この姿を見ると、本来子どもたちが持っている「好奇心」が、世の中を変えてくのだろうという実感を持ちます。理論物理学者であり、ノーベル物理学賞受賞したアインシュタインが言った「私には特別な才能などありません。ただ、ものすごく好奇心が強いだけです。」という言葉を思い出し、民俗学者であった柳田国男が「学問は興味から、もしくは好奇心からはいったものがもっとも根強い。」という言葉のように、この好奇心が小学校に行ってからの学問に対する自発的な学習の下になってくれるといいなあと思いました。
この好奇心とは、高等な動物に多くみられる行動のようです。しかし、その好奇心の対象として最初に持つのは、自分の体といわれています。赤ちゃんには、生まれつき人間への関心があるようです。ある実験で、無生物と人間の顔を赤ちゃんに近づけたところ、ほとんどが人間の顔をじっとながめたという結果が出ており、特に、3~4カ月ごろからは同年代の子どもに対する関心が強く、じーっと見つめたり、声をかけたり笑ったりという行動をとります。しかし、まだ他の子どもへ働きかけることはできません。そこで、まず、自分自身の体に関心を持ちます。指をしゃぶったり、手をじっとながめたり、自分の体に関心を持つのです。人は、生れつき好奇心が強いといわれています。赤ちゃん時代の好奇心の持ち方はその後の発達の大事な基礎になるのです。しかし、この好奇心は、時として大人にとっては困った行動になることが多いのです。やたらと触りたがり、物を壊し、部屋を散らかし、すぐ飽きて違うところに興味を持ったり、勝手に出てしまったりします。そのたびに大人に怒られるのです。
もちろん、触ってはいけないものもありますし、壊しては困るものもあります。しかし、ここ国立科学博物館にあるように、子どもの興味関心、好奇心を満たすように存分に触れるものがあると、触ってはいけないものには触りませんでした。子どもたちは、一生懸命好奇心を満たそうとしているからこその行動ですので、何をしても大丈夫、これなら大丈夫という環境づくりをできるだけ考えないといけないですね。

投稿者 fujimori : 23:10 | コメント (4)

2009年03月23日 近頃思うこと

ステーション

 今、若田さんが宇宙ステーションで生活しながら日本の居住地区を建設していますが、宇宙空間で建設中の国際宇宙ステーション(ISS)全体が完成するとサッカー場くらいの大きさになるそうです。この宇宙ステーションが、条件がそろえば、日の出前と日没後の2時間ほどの間に地上から肉眼でも見ることができるそうです。もし見えたら、あの国際宇宙ステーションの中で住んでいるんだと思うと不思議な気がするでしょうね。
JAXA(宇宙航空研究開発機構)では、ISS(国際宇宙ステーション)が、いつ、どの方角に見えるかという情報を掲載しています。JAXA とは、2003年10月に、宇宙科学研究所(ISAS)、航空宇宙技術研究所(NAL)、宇宙開発事業団(NASDA)が1つになり、宇宙航空分野の基礎研究から開発・利用に至るまで一貫して行うことのできる機関として誕生した独立行政法人 宇宙航空研究開発機構です。通称ジャクサと呼びます。このHPでは、また、人工衛星や国際宇宙ステーション(ISS)を初めて見る人でも、観測しやすいように、基本的な注意事項が示されています。どの地点で、どのような角度で見ることができるかという角度が示されています。すると、東京からはかなり仰角が低いので見えにくいような気がします。仰角とは地平線からの角度のことですが、その角度が低いと、地平線に近くなるので、特に東京では建物があったり、地方では木などがあったりして見えにくく、また、大気がうすぼんやりしてしまいます。もちろん、雲などがある場合は見ることができません。ですから、最大仰角は、30度以上のものを選ぶとよいと助言をしています。もっともよく見えるとしたら90度に近いほどよいのですが。調べてみると、どうも東京では4月1日がいいようです。東京上空を通過するので、仰角も高く、45度以上はありそうです。
どのくらいの明るさで、どんな感じで見えるかというと、「-1等星ぐらいの光の点が飛行機のようにすーっと移動していくイメージ」といいます。冬の星で、すべての星の中で一番明るいといわれるシリウスと同じくらいの明るさだそうです。ただ、金星の-4等級、木星の-2等級よりは暗いとはいえ、かなり明るいですね。ですから、充分に明るくなっていますので、望遠鏡や双眼鏡は使わないほうがいいようです。というのは、倍率の高い望遠鏡や双眼鏡などでは視野が限られてしまうので、見逃す可能性があるからです。肉眼で探す方が早く見つけられると助言そしています。また、同じような光の飛行機の場合は、点滅したり、赤や青のランプを持つので区別は付くようです。
何時くらいに見えるかというと、日没後と日の出前の2時間ぐらいの間だそうです。ただし、地球の影へ出入りするため、急に現れたり、途中で消えたりする場合もあったり、見える時間も1分程度、予測値が変更されることがあるので、確実に見るためには、かなり事前の調べがいるようです。ちなみに、4月1日に東京で見ることができる時刻は、19時27,8分ころのようです。
まだ私は見たことがないので、ぜひ見てみたいと思います。皆さんも宇宙航空研究開発機構のHP(http://kibo.tksc.jaxa.jp/)で、自分たちの住んでいる地域で見ることができる日時を調べて、見てみてください。見ることができた方は、コメントにどんな様子だったか、入れてください。東京よりも、暗くなる地方のほうがよく見えると思います。

投稿者 fujimori : 23:22 | コメント (7)

2009年03月22日 近頃思うこと

調査結果

今月の18日に厚生労働省から「21世紀出生児縦断調査(特別報告)結果の概況」が発表されました。この調査は、「2001年ベビーの軌跡(未就学編)」といわれ、平成13年より毎年調査・公表している「21世紀出生児縦断調査」をもとに、出生から5歳までの間の家族状況、母の就業状況の変化、子どもの成長等を多面的に分析し、取りまとめたものです。この調査の目的は、21世紀の初年に出生した子の実態及び経年変化の状況を継続的に観察することにより、少子化対策等厚生労働行政施策の企画立案、実施等のための基礎資料を得ることを目的としています。しかも、厚労省が行うだけあって、01年生まれの子どもの親を対象に01年度から毎年追跡して調べ、6回目の06年度は欠かさず回答した約3万6千人分を集計しています。
今回の結果の一部が、新聞に掲載されていました。それは、5歳6カ月になった子どもの行動を、2回目(1歳6カ月時点)に聞いた「休日に父と過ごす時間」と照らし合わせたものです。その結果は、「1歳の時、休日に父親と過ごす時間が長かった子どもほど我慢強く、落ち着いて話を聞けるようになる。」というものです。そこで、厚生労働省は、子育てに父親の参加が大切なことを示すデータだとみています。
「我慢すること」ができると答えたのは、父親と過ごすのが「1時間未満」だった子で67%でしたが、「1~2時間」は70%、「2~4時間」は71%、「4~6時間」は72%、「6時間以上」は76%でした。「落ち着いて話を聞くこと」ができるのも、それぞれ77%、79%、80%、81%、82%で、父親と過ごす時間が長いほど割合が高かったという結果でした。
 また、「ひとつのことに集中する」「感情をうまく表す」「集団で行動する」「約束を守る」もほぼ同じ傾向で、できると答えた割合は「6時間以上」が「1時間未満」を2~5ポイント上回っています。この結果から、厚労省は「父親が幼児期に触れ合う機会を積極的に取ることの大切さがうかがえる。父親の子育てへの意識の芽生えにも効果があるのでは」としています。
 先日、姉妹園の卒園式で、近くの校長先生が祝辞の中で、「子どもを育てるうえで、やさしく受け止める母親の愛と、厳しく教える父親の愛の両方が必要だ。」と言いましたが、後で、保護者の一部から母子家庭がいる中で、軽率な発言だという苦情がありました。そういうことを言うと、今回の厚労省の発表はどうなるのでしょうか。
 また、こんな結果もあります。きょうだい構成別に、コンピュータゲームをする子の割合の変化では、「兄姉あり」は「兄姉なし」に比べ、「コンピュータゲームをする」割合が高くなっています。そして、「ゲームをしない」及びゲームをする場合「ゲームを1時間未満」するでは、「その日の出来事などを親に話しをする」、「「なぜ」、「どうして」と疑問に思うことを質問する」の割合が高くなっています。また、ふだんの日にテレビ(ビデオ、DVDを含む)を見る時間が少ないほど、「落ち着いて話しを聞くこと」「ひとつのことに集中すること」「がまんすること」「約束を守ること」の割合が高くなっています。 という結果を、兄姉がいる家庭もいるから出してはいけないのでしょうか。
「両親、兄弟がいなくてはならない」ということではなく、それぞれの家庭環境で気をつけなければならないことを言っているのでしょう。

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2009年03月21日 近頃思うこと

もうすぐ映画「レッドクリフ」のパート2が公開されます。この映画は三国志の中の「赤壁の戦い」といわれる戦いを描いていますが、パート1では、曹操の大群が押し寄せてきたところで終わってしまったので、早く見たいと思います。三国志と言えば劉備玄徳と諸葛孔明に代表されるような軍師との絆と、その軍師の作戦の面白さがあります。この関係は、他の将軍においても存在していました。また、それは日本でも、NHK大河ドラマで取り上げられた信玄と山本勘助であったり、今放映中の上杉景勝と直江兼続と関係です。
これを、今の社会に置き換えるとどういう関係でしょうか。村上龍が司会で、東京テレビ系で毎週放映されている「カンブリア宮殿」で、「絆スペシャル 社長を救った名参謀 ~アイツがいたからオレがいる~」という特集を何週か放送されていました。その意図として、「天才エンジニアの本田宗一郎を経営面から支えた藤沢武夫、松下幸之助の教えを社員に伝え、松下イズムを浸透させた高橋荒太郎・・・日本の高度成長の中核を担ったビッグ企業には、カリスマ経営者を陰で支えた名参謀たちの姿があった。そして、それは現在も同じ。「アイツがいたから、今のオレがいる・・・」カリスマ経営者の陰には、必ずそれを支える名参謀たちがいる。社長のアイデアを具現化させる技術者、経営判断に迷った時の相談相手、財務を支えるスペシャリストなど様々な場面で、「片腕」と呼ばれる人たちがいなければ、ヒット商品やサービスは生まれなかった。未曾有の不況の中、経営者と社員の「絆」が改めて問われる時代。企業を成功に導いたカリスマ経営者と名参謀の「絆」から、今の難局を乗り切る知恵を探る。」
これは、どんな職場でも、どんな組織でもいえる気がします。また、その「絆」は、リーダーとサブとの関係だけでなく、リーダーと職員との関係においても大切なことです。何かを始めるときとか、改革をするときとかには特に大切です。テレビ番組「カンブリア宮殿」では、そのような絆で会社の改革をした人取り上げていました。
村山敦氏はかつて副社長として松下電器(現パナソニック)の社長に新たに就任した中村邦夫氏(現会長)の下、「破壊と創造」を掲げた松下電器の構造改革を支え、Ⅴ字回復に貢献しました。中村氏が「僕は決断するだけ。形にするのは村山さん」と言ったという名参謀でした。2003年からは松下での実績を買われ、初の民間企業出身社長として、関西国際空港株式会社の陣頭指揮に立っています。
ローソンストア100の仕掛け人と言われた河原成昭氏は、1店舗当たりの1日の売上げで、本家ローソンを凌駕し、業界トップのセブンイレブンに迫る勢いを見せている新規プロジェクトを成功に導いた名参謀です。日本電産の永守社長を創業時から支えているのが副社長の小部博志氏です。2人の出会いは、同じ下宿に住んでいた4つ年上の学校の先輩後輩の関係でした。小部氏は、引越しの挨拶の際、「子分にしたる」と言われたといいます。今はM&Aなどで海外を飛び回る永守氏に代わり、日本で本社を仕切るのが小部氏の役目ですが、永守氏が会長に就任したら、社長でなく副会長になる見込みだそうです。常にトップを支える小部氏の「ナンバー2」の美学だそうです。
小さい頃のやけどがもとで両足を失い、中村に義足を作ってもらった大森少年が、大人になり中村ブレイスに入社して、義肢装具士となり、今は他の人たちのために義足を作っています。社長が社員につなげ、さらにたくさんの顧客へとつながった幸せの「絆」の連鎖です。
社会の中にも、幸せの絆の連鎖を作っていきたいですね。

投稿者 fujimori : 23:29 | コメント (6)

2009年03月20日 記念日

今日のデザイン

今日、Googleで検索しようと検索ページを開いたら、そのロゴが「はらぺこあおむし」になっています。園で、子どもたちに人気があり、保育者にも人気のある絵本ですので、たいへん見慣れたその絵を見た瞬間、なんだかインターネットの世界との違和感を感じました。しかし、3月20日は、「はらぺこあおむし」が1969年、アメリカで出版されて今年で40周年を迎え、その出版記念日のようです。ですから、3月16日から20日は「はらぺこあおむし」の公式イベント週間となっているそうです。ですから今日のロゴは、作者エリック・カールのデザインになっているのです。
出版されてからずいぶん経ちますが、それでも40周年です。この絵本が出版された頃に親しんだ人たちは今、アラフォー世代ですね。ところが、ブッシュ米元大統領が、子どもの頃に読んで印象に残った本として、「はらぺこあおむし」を挙げたそうですが、出版された時には、もうブッシュは大学生ですから、どの国の首相や大統領は本を読まないようですね。
わが子もご多分にもれず、エリック・カールの絵本が大好きでした。息子が寝る時に何度も「よんで!」とせがんだのは、「パパ、お月さまとって!」でした。娘に月をとってとせがまれて、パパは本当に月を連れてきます。エリック・カールの本の特徴である仕掛けが、上下左右に広がり、空の高さや月の満ち欠けなどを表現しているとてもわくわくする絵本です。
日本で「はらぺこあおむし」が出版されたのは1976年で、エリック・カール氏が住むアメリカ、そして出身国であるドイツに次いで世界で3番目の出版となりました。それでかわかりませんが、エリック・カールはとても親日家で、何度も来日しています。いつの来日かわかりませんが、息子と会いに行ったことを覚えています。その時に買った「はらぺこあおむし」の絵が入ったシャツを買いました。今は、園に飾ってあります。私も、その時に買ったのではありませんが、エリック・カールのデザインのグッズを持っています。
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エリック・カールは、「1,2,3どうぶつえんへ」で鮮烈なデビューをはたし、「はらぺこあおむし」は、エリック・カールの3冊めの絵本です。今では世界の33の言葉で出版され、絵本の傑作として多くの国のたくさんの子どもたちから愛されています。
なぜ、こんなに愛されているかというと、子どもが興味を持ち、親にも買わせるポイントをいくつか持ち合わせています。「変化に富んだ物語に、ハラハラドキドキ」「希望と期待」「困難を克服」「いろいろなたべもののなまえもおぼえ」「自然に数をおぼえ」「色彩が、心をイキイキさせ」「1週間の曜日や1日の日のめぐりなど、社会のしくみを知ることができ」「しかけは、まだ話をよく理解できないごく幼い子どもたちでも楽しめます」などがあるといわれています。

投稿者 fujimori : 23:37 | コメント (5)

2009年03月19日 由来

ミヤマヨメナ

東京では、ここに2,3日急に暖かくなりました。そういう季節になると、さまざまな花が咲き始めます。園の裏の入り口には、昨年植えた草が残っていましたが、春になって花をつけ始めました。一つは、パンジーといわれている三色スミレです。大きな花の品種や、小さい花の品種とも花をつけています。
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もう一つは、これはパンジーのように決して派手ではありませんが、この花からとても日本的な美しさを感じます。また、その名前もとても日本らしさを感じます。
この花は、もともと日本の多くの場所に自生する多年草のキク科の草です。道端でよく見かける野菊の一つで、秋にうす紫か白い菊の花をつけます。一般的にそれらをまとめて「ヨメナ(嫁菜)」と呼ばれます。この種類は、若芽を摘んで食べることがあり、古くは万葉集の時代から使われていたようで、オハギ、あるいはウハギと呼ばれています。それを入れて炊き込んだ「ヨメナご飯」なども有名です。そのヨメナの中で、山地の日陰に生える多年草で、多くの野菊が夏から秋にかけて咲きますが、3,4,5月の春から夏にかけて開花する種類があり、その名を和名で、は深山に生えるヨメナの意味で、「ミヤマヨメナ(深山嫁菜)」と呼ぶ品種があります。春に開花するので「野春蘭」「野春菊」「東菊」と呼ばれ、古くから栽培されていました。
こうしてミヤマヨメナは、栽培品種として改良されてきました。特に江戸時代から、茶花、庭の下草として利用されるようになり、それ故に改良が行われ、様々な園芸品種が存在しています。切り花に向く草丈の高くなる品種と鉢植えに向く背の低い品種の2タイプに分けることができます。花色は主に紫、白、ピンクなどと多くあります。
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時は鎌倉乱世の時代。源実朝が急死して源氏直系の将軍が居なくなったために北条政子は京の皇族の鎌倉への下向を、後鳥羽上皇に要請しました。その結果、源頼朝の血筋で左大臣・九条道家の子・三寅が決まりましたが、まだ幼いため、政子が代理として政務を見る事になりました。そして、三寅は8歳で元服して藤原頼経と名のり、征夷大将軍になったのですが、この将軍後継者問題で、幕府の横暴に屈した後鳥羽上皇は、その子・土御門上皇、順徳天皇らと密かに倒幕の計画を練り、ついに後鳥羽上皇は諸国の兵を募って挙兵します。武士が政権を握って以来、初の朝廷と武士との対決であった「承久の変」です。そして、上皇軍は敗北し、首謀者の後鳥羽上皇は隠岐島へ、土御門上皇は土佐へ、順徳天皇は佐渡へ流されます。その後、順徳上皇は、20年余年後に亡くなるまで佐渡島で暮らします。都での雅やかな生活が忘れられない日々の続くある日、庭に咲く清楚な野菊に目がとまり、気に入ってこの花がそばにあればしばし、みやこのことも忘れられると漏らします。そして、こんな和歌を詠みます。「いかにして契りおきけん白菊を都忘れと名づくるも憂し」それ以来、島民の間ではミヤコワスレと呼ぶようになったといいます。
それが、ミヤマヨメナの別名として栽培されるようになったのです。今の時期、花屋に行くと色とりどりの花の中にあって、清楚で可憐な草姿をし、日本的風情が感じられる「ミヤコワスレ」は、その名からも哀愁を感じ、ずっと親しまれてきました。これらの由来にはいろいろな説があるようですが、その花を眺めながら、そんな時代と、その時の思いに気持ちを馳せることも、花を眺めるときの趣向かもしれません。

投稿者 fujimori : 22:42 | コメント (5)

2009年03月18日 近頃思うこと

くるみ

私のような年齢になって気になるのがメタボ対策でしょう。そして、コレステロール値や中性脂肪、血糖値などの数値が健康診断の後で気になるところです。これらすべての予防に効果がある食べ物として「くるみ」が紹介されていました。
それは、「カリフォルニア くるみ協会」というところのHPですが、こんな教会があるのですね。この協会は、その名の通りカリフォルニア州のくるみ生産者と加工・販売業者を代表する機関で、カリフォルニア州農務局の管轄のもとに各種調査・研究、輸出相手国での啓蒙活動を行う非営利団体だそうです。1986年までは日本では殻付きくるみの輸入は禁止されていました。しかし、解禁と同時にこの協会が設立されています。
2004年に、米国食品医薬品局(FDA)が政府としてこれまでで最も強力にくるみを推奨する内容の画期的な決定として「低飽和脂肪・低コレステロール食の一部として1日1.5オンス(約42g)のくるみを摂取し、摂取熱量を増加させなければ、冠動脈性心疾患のリスクが抑制できるということを、断定はできないものの、裏づける研究が行われている」と発表しています。ひとつかみほどのくるみが、食事摂取基準を満たすだけではなく、コレステロール低下や抗炎症作用以外にも重大な健康効果を示すことが証明されているといいます。
アメリカだけでなく、昨年12月には、スペインでの研究では、地中海食に、3種類のナッツ(主にくるみ)を加えた食事が、メタボリスクを削減する効果があるとの報告がなされています。地中海食とは、スペインやイタリア、ギリシャなどの地域で日常的に食べられている食事で、オリーブオイル、野菜、魚介類などが多いのが特徴で、昔ながらの和食と並び、ヘルシーなことで知られています。その研究では、メタボが、週1リットルのバージンオリーブオイルを摂取した場合は6.7%、1日30グラムのミックスナッツ(うち半分がくるみ)を摂取した場合は13.7%、低脂肪のものを摂取した場合は2.0%有病率が低下したそうです。
オリーブオイルに豊富に含まれる不飽和脂肪酸は、くるみにも豊富に含まれています。特にくるみに含まれている不飽和脂肪酸は、αリノレン酸といい、オメガ3(n-3系)脂肪酸のひとつで、いわし、さんまなどの青魚に多いEPA、DHAの仲間です。そして、このオメガ3脂肪酸には、LDL(悪玉)コレステロールを下げHDL(善玉)コレステロールを増やす働きがあり、その結果として動脈硬化を予防し、血液サラサラ効果や、脳卒中などの抑制効果もあることが知られています。くるみは、このオメガ3脂肪酸を、ナッツ類の中で最も多く含んでいる。
以前は、くるみなどのナッツ類は、「食べると太る」と言われていましたが、1990年代の半ば頃から、くるみに含まれる脂質は、健康効果の高い良質な不飽和脂肪酸であり、コレステロール値はゼロ、ということが広く知られるようになりました。そのほかにも、ビタミンB1、ビタミンE、カルシウム、鉄分、食物繊維などのさまざまな栄養素もバランスよく含んでおり、現在は、むしろ、体によいと評価されています。それだけでなく、肝臓を保護する作用や、認知症の予防などについても、研究が進められているそうです。
 私は「くるみ」が大好きなので、もう少し食べようかなと思っています。

投稿者 fujimori : 22:54 | コメント (5)

2009年03月17日 新聞記事より

防災無線

 八王子市では、夕方「夕焼けこやけ」の曲がどこからともなく流れてきます。それは、夕方になる場合は、小学生にそろそろ帰る時刻になったという知らせでもあります。私が子どものころは、住んでいたのが下町でしたので、夕方になると夕食のみそ汁の具のために豆腐売りがラッパを鳴らしながらやってきます。そのラッパの音がするのを合図に家路についたものでした。
それぞれの自治体では、さまざまな曲が流れます。今日の新聞によると、岩手県宮古市では、シューベルトの子守唄が午後9時に流れていたそうですが、今月いっぱいで中止になるそうです。そこで、見出しには、こんなタイトルが付けられています。“「眠れー眠れー」眠れない子守歌中止へ”というものです。なんだかシャレになりませんが、「眠れー、眠れー」と流れる曲が、大音量のために、若い夫婦は「せっかく寝かしつけた子どもが起きて困る」、早朝の漁に備える漁師らは「寝たのに目が覚めてしまう」など「うるさい」と苦情が増えたためだそうです。とりわけ網戸にする夏場には苦情が殺到するそうです。確かに毎日午後9時に流れるというのは騒音かもしれません。市の担当課は「多くの市民のやすらかな眠りのためには、しかたありません」といっているそうです。
しかし、この曲はなにも住民を寝かしつけるためではないのです。市町村が防災行政のために設置・運用する防災無線である「市町村防災行政無線」の点検のためです。防災無線とは、人命に関わる通信を確保するために整備された専用の無線通信システムで、公衆通信網の途絶・商用電源の停電の場合にも使用可能なように整備されています。その中で、市町村防災行政無線は、市町村が整備するもので、3系統あります。一つは「移動系」と呼ばれるもので、防災情報を収集するため自動車へ搭載し、持ち運び可能な移動局と役場などの基地局とで通信するものです。「同報系」と呼ばれるものは、屋外スピーカーや戸別受信機で、住民に対して防災情報を周知するものです。今回の苦情から取りやめたのは、この系統に対してです。そして、「テレメーター系」というのは、観測点と指令所を結び、降水量・河川の水位測定などのデータを収集するために使用するものです。
どんな災害の時に住民に知らせるのかというと、「大規模災害発生時の避難勧告、避難命令などの告知」「緊急地震速報や武力攻撃等の緊急事態における国民への情報伝達」「火災発生の知らせ、消防団員の招集、鎮火報告」「戦争犠牲者追悼のための鐘・サイレン(8月15日、8月6日、8月9日)」などがあり、東京では、「光化学スモッグ注意報等の告知」に使われたり、地方では、「運動会の延期連絡」に使われることもあります。
また、各地でよく聞く音楽は、「朝・昼・夕(07:00・17:00が多い)の時刻を知らせる音楽・鐘・サイレン、児童の帰宅を促す放送」で、この設備が故障していないことを確認するための試験のために毎日放送されているものです。曲としてどんな曲が使われているかというと自治体によって違いますが、多くは「夕焼小焼」とか「ふるさと」です。あと、「家路」「赤とんぼ」「蛍の光」「エーデルワイス」などのようです。朝夕曲を分けるところもあり、朝は「メヌエット」というところもありました。また、夏は「やしの実」、秋は「この道」、冬は「浜地鳥」というように季節によって変えるところもありました。モダンなところでは、「イマジン」が流れるところもありました。
まあ、どんなに良い曲であっても、点検のためであれば仕方ありませんが、なにも午後9時に流すとか、朝晩流さなくてもいい気がしますが。

投稿者 fujimori : 23:07 | コメント (5)

2009年03月16日 散歩

カチカチ

今から100年前の1909(明治42)年6月19日に生まれ、39年目の同じ6月19日の早朝、玉川上水から入水自殺をした遺体が見つかったのは、太宰治です。ということで、ことしは、太宰治の生誕100年で、それに合わせて、さまざまなイベントや企画が行われています。先日紹介した津軽弁で語った「走れメロス」の本もそうですが、今日のニュースで流れたのが、青森県・弘前の菓子製造販売会社「ラグノオささき」が太宰の小説「津軽」を題材にしたクッキーを完成させたというものでした。パッケージは1944年に出版された太宰の小説「津軽」の初版本を模しており、中身は100%青森産のリンゴファイバーを使ったクッキーだそうです。菓子のキャッチコピーは「これは、食べる小説です」というものです。
また、太宰が晩年を過ごした東京・三鷹市と生誕の地の青森県五所川原市で、6月20日に「第1回太宰治検定」が行われるというニュースもありました。テキストは太宰の小説「津軽」を題材に、物語を読み進めながら津軽地方や太宰について学べる仕組みで、検定の問題は「津軽」と公式テキストから出題され、択一式で100問予定されているそうです。例題には、「小泊村(現・青森県中泊町)で、太宰と(子守の)たけは30年ぶりに再会する。再会場所はどこか。(1)たけの自宅(2)国民学校運動場(3)竜神様」というような問題が提示されています。
太宰は、自ら愛人と入水自殺を何度も計ったように、男女の愛については独特の見解を持っているようです。こんな結びを書いています。
「曰く、惚れたが悪いか。古来、世界中の文芸の哀話の主題は、一にここにかかっていると言っても過言ではあるまい。女性にはすべて、この無慈悲な兎が一匹住んでいるし、男性には、あの善良な狸がいつも溺れかかってあがいている。作者の、それこそ三十何年来の、頗る不振の経歴に徴して見ても、それは明々白々であった。おそらくは、また、君に於いても。後略。」
この文は、おとぎ話の「カチカチ山」のパロディー版として書いた太宰の「カチカチ山」の最後の文です。カチカチ山は、誰でも知っている話ですが、その残酷さは、童話の多くが持っている残酷さに比べても群を抜いています。それは、ウサギが狸にひどい仕返しをするというよりも、狸が助けてくれたおばあさんを殺して、それを汁にして、おじいさんに狸汁と言ってだまし、全部食べさせてしまうなどです。
太宰のカチカチ山の書き出しではこう書いてあります。「カチカチ山の物語に於ける兎は少女、そうしてあの惨めな敗北を喫する狸は、その兎の少女を恋している醜男。これはもう疑いを容れぬ儼然たる事実のように私には思われる。これは甲州、富士五湖の一つの河口湖畔、いまの船津の裏山あたりで行われた事件であるという。」
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カチカチ山から見た河口湖
ここに書かれている河口湖畔の「カチカチ山」に日曜日に妻と行ってみました。ロープウェイで登ったカチカチ山である天上山公園は、河口湖の全景や、富士山の裾野まで見渡せる絶景のロケーションでした。
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  カチカチ山から見た富士山
特に、快晴だったこともあって、あの残酷なカチカチ山の話も、美しい富士と、山頂に設置されているかわいらしいウサギとタヌキの置物で、おとぎ話だったのだということを思い起こしました。
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投稿者 fujimori : 23:15 | コメント (5)

2009年03月15日 近頃思うこと

広告

今月11日に米経済誌フォーブスが2009年版の世界長者番付を発表しました。それによると、マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏が2年ぶりに首位に返り咲きました。一方、日本人トップはカジュアル衣料ブランド「ユニクロ」を手掛けるファーストリテイリングの柳井正社長および柳井家で、全体では76位でした。
この発表に先立って2月19日に2009年の「日本の富豪40人」を発表しています。もちろん、その時に柳井正会長が、任天堂の山内溥相談役を抜いて初めて首位に立っています。柳井会長は前年の6位から一気にトップに立ったのですが、これは、最近のユニクロの快進撃があります。そして、この結果は、たんに売り上げの増加だけでなく、さまざまな分野でも評価されています。
昨年、ユニクロは世界三大広告賞といわれる「Cannes」「One Show」「Clio」において、すべてグランプリを受賞しました。特に、「カンヌ国際広告祭」では、日本勢は素晴らしい快挙で、ラジオ部門で「キャノン」、サイバー部門で「ユニクロ」、チタニウム部門でも「ユニクロ」の3つのグランプリをとりました。
カンヌ国際広告祭は、世界最大級の広告賞で、毎年6月下旬に、フランスのカンヌ市にて開催されています。審査は世界中から選抜された審査員によって行われます。また受賞者が受け取るトロフィーがライオンであることから、別名「カンヌ・ライオン」とも呼ばれています。最初は、劇場CM部門のみでスタートしましたが、その後テレビの台頭でテレビCMが加わり、1992年には屋外看板・印刷媒体を含めたプレス&ポスター部門(2005年からはプレス部門と屋外広告を対象とするアウトドア部門に分離)、1998年にインターネット広告を対象としたサイバー部門、1999年には媒体の活用手法を競うメディア部門、2002年にはDM(ダイレクトマーケティング)を対象としたカンヌディレクト部門、2005年にはラジオ部門と総合プロモーションを評価するチタニウム部門、そして2006年にはSPを対象としたプロモ部門と、今では9部門があります。
キャノンがグランプリをとった「ラジオ部門」は、画無しで、音(言葉)だけで表現しなければならない広告です。作品は、キヤノンマーケティング・EOS Kiss デジタルカメラ「SHUTTER CHANCE」(電通)で、シンプルなアイデア、どこの国の人がいつ聞いても理解できる普遍性、 きわめてクオリティの高いSEなどが評価されたようです。
また、ユニクロがグランプリをとった「チタニウム部門」(正確にはチタニウム&統合キャンペーン部門)は、唯一、全審査員メンバーをカンヌ事務局側が選出する部門で、「今までに無かった」とか「エポックメイキングな」広告を選ぶ部門です。ですから、無理してでも選ぶ必要がないほどとても価値ある賞です。もう一つの受賞した「サイバー部門」は、比較的歴史の浅い賞ですが、ハードウェアにおいて先進の欧米を差し置いてユニクロが受賞したことは、特筆に値するといわれています。
 売上が多いというのは、商品がいいのはもちろんですが、CMを見ても職員のレベルの高さを物語ります。そして、その質の高さを社長が支えているのです。献金のようなはっきりしない方法で収入を得るよりも、質の高さの提供で収入を得たいものですね。

投稿者 fujimori : 20:51 | コメント (4)

2009年03月14日 近頃思うこと

ルソーの夢

 昨日のブログではありませんが、「歌は世につれ 世は歌につれ」という言葉通り、歌は時代に翻弄されます。日本でうたわれた多くの歌は、歌詞を変えることにより、文部省唱歌となり、賛美歌になり、軍歌となったりしました。それによって禁止されたり、利用されたりもしました。この歌も、同じように時代に翻弄されながら、子どもの歌として定着をしていきます。
 教育論「エミール」や「社会契約論」などの著作で知られるジャン・ジャック・ルソーは、フランスの哲学者であり、政治思想家でもあり、教育思想家でもあり、作家でもあり、そして音楽家でもありました。彼は、オペラ・バレエ「優雅な詩の女神たち」などを書いています。その中で、ルソーが作曲した喜劇「村の易者」の挿入歌に「「Hush, my babe」という歌がありました。この曲をもとにして、作者は不明ですが、「ルソーの新ロマンス」という歌が作られ、その旋律はヨーロッパ各国へ広まっていきます。そして、この歌が元になって、1788年にチャールズ・ジェームズ作曲の「メリッサ」という別れを歌うラブソングが作られます。そして、この歌の変奏曲「ルソーの夢」を、ドイツ系イギリス人音楽家ヨハン・バプティスト・クラーマーが作曲します。この変奏曲の楽譜は1812年にイギリスで発行され、フランス、ドイツでも人気がありました。
 一方でこのメロディーはイギリスにおいてキリスト教賛美歌として再び改編され、最もよく知られたバージョンである賛美歌「グリーンヴィル」というタイトルで日本にも伝わっています。その7年後の1881年に、同じメロディーが「見渡せば」という新しい題名と歌詞で、文部省音楽取調掛(現東京藝術大学)が発行した「小学唱歌集」初編に掲載されます。平安時代の古今和歌集にある素性法師の和歌 「みわたせば柳桜をこきまぜて宮こぞ春の錦なりける」を基本にしています。しかし、」見渡せば」も賛美歌も、広まる前に消えてしまいます。それは、その曲に東京音楽学校(現東京藝術大学)教授である鳥居忱が作詞し、「戦闘歌」として1895年に軍歌集『大東軍歌』に掲載されたからです。この戦闘歌は歌うだけでなく、歌詞に合わせたふりつけがあり、小学校では遊戯曲として用いられていた記録が残っています。「一隊の児童を円形にし、各生の間隔は、左右手を繋ぐまでにしておく。「用意」で各手を垂れ、円の中心に向う。見ワタ・・・で各生は右手を額上に上げ同時に蹠をあげて、爪立ちになる…」こうして戦時中の幼稚園遊戯曲としての色合いも濃くなっていきました。このメロディーは、他にも、軍隊行進曲「進撃突撃行進曲」になったり、韓国では唱歌「植松」、中国では軍歌「尚武之精神」になったりしています。
 第二次世界大戦の終戦から2年経った1947年、軍歌としての「ルソーの夢」は、また改めて小学唱歌としての位置付けを回復することになります。小学一年向けに刊行された最初の音楽の教科書「一ねんせいのおんがく」の4曲目に、新しい歌詞で登場したのが「むすんでひらいて」です。この教科書では作詞者は不明とされており、しかもいつ「むすんでひらいて」という歌詞がこのメロディーにつけられたのかについてはよくわかっていません。
以来今日まで「むすんでひらいて」は歌い続けられ、童謡、唱歌として完全に定着しており、保育園や幼稚園の手遊び歌として歌われるようになっています。
 クラーマーの「ルソーの夢」は世界中に様々な形で広まっていき、日本では、讃美歌から軍歌、そして唱歌と姿を変え、今も子どもを中心に多くの人々に愛されているのです。

投稿者 fujimori : 22:42 | コメント (4)

2009年03月13日 近頃思うこと

蛍の光

 卒園式、卒業式シーズンになりました。今年は、その中で学校ではアンジェラ・アキさんの「手紙」を歌う学校が多いそうですが、保育園、幼稚園では新沢としひこさんの歌に人気があります。それでも年度によって違ったり、年齢や場所によって歌う歌が違います。昔は、ほぼ歌う歌は同じでした。その代表的なものに「仰げば尊し」とならんで、「蛍の光」があります。もともとは、スコットランドに伝わるメロディーを元に、スコットランドの詩人ロバート・バーンズにより作詞されたスコットランド民謡ですが、1881年(明治14年)に我が国最初の音楽教科書『小学唱歌初編』に掲載されて、小中学校の卒業式で歌われることが多くなりました。
しかし、原曲は、懐かしい仲間との再会を祝して杯を酌み交わしつつ、昔の思い出話に花を咲かせるといった内容ですので、別れのときではなく、出会いのときの歌の気がするのですが、同じメロディーを元にした讃美歌「目覚めよ我が霊」があるように、荘厳な、落ち着いたメロディーなので、卒業式などの別れの場や、新しい門出にふさわしい名曲として歌い継がれてきたのでしょう。歌詞は、稲垣千頴が原詞とはずいぶん違ったものに作り直されています。
海外では、美しいメロディーなどは讃美歌などに使われ、歌い継がれることも多いのですが、日本では、戦時中に軍歌や、国民の気持ちを高揚させるためや、領土を広げるためなどに使われるという悲しい経緯をたどります。そうすると、その歌は戦後にみんなから非難を浴び、一切否定され、歌われなくなります。その例に漏れず、「蛍の光」も歌われなくなりました。確かに、4番、5番の歌詞はそのような内容になっていますが、もとの曲や、1番、2番の歌詞などは、私はとてもいいと思います。
「1.蛍の光 窓の雪 書よむ月日 重ねつつ いつしか年も すぎのとを あけてぞ今朝は 別れゆく 2.とまるも行くも 限りとて かたみに思う 千よろずの 心のはしを ひとことに さきくとばかり 歌うなり」
この最初の節に使われ、題名にもなっている「蛍の光」とは、「蛍雪の功」という中国の故事から取られている言葉であることは有名ですね。「遅くまで勉強をするときに、貧しく、灯油も買えなかったために、夏は蛍を集めその光で、冬は雪明りで書物を読むような大変な思いで月日を重ねてきました。そうしているうちに、いつしか年月がたって、今朝は杉でできた扉を開けてクラスメートと別れていきます。」この「杉」は「過ぎ」との掛詞であり、「杉の戸を開けて社会に出る」ということと、「…いつしか歳も過ぎの十(歳)…」という尋常小学校の卒業する10歳のときの気構えを掛けています。「ふるさとにとどまる者も故郷から出て行く者も、今日限りです。お互いに何千、何万というたくさんの思い出を心の端々をたった一言にまとめて言うならば、幸せでいて欲しいと歌うのみです。」「さきく」とは、「幸く」と書き、「無事でいて欲しい」という意味です。
 何も、「蛍の光」でなくともいいのですが、一緒に過ごした子どもたちが、これから先、それぞれの場所で、それぞれの生き方をしていくでしょうが、どの子も、自分らしく、自分がもっているものを、自然や、他の人に貢献する力に育てていって欲しいと思います。

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2009年03月12日 近頃思うこと

教師

最近の小学生も偉人伝などの伝記を読むかわかりませんが、私の子どものころは、偉人伝はよく読まれていました。最近読まれないのは、それは事実ではなく、偶像化していることが多いからかもしれませんが、私は、偉人の小さいころのエピソードなどは、事実は別として、今の生き方の参考になることが多いので、それでもいいと思いますが。
偉人伝のなかで、よく取り上げられる人に「エジソン」がいます。彼は、波乱万丈な青少年時代を過ごしていることと、のちに彼の発明によると言われているものが多いことなどから取り上げられるのでしょう。その伝記の中で有名なのが、小学校を退学させられたことです。入学してから、わずか3カ月で放校処分になるのです。とても先生の手を煩わせたようです。たとえば、「1+1=2」を教師が粘土を例にして教えていた時、エジソンが「1個の粘土と1個の粘土を合わせても、1個の粘土になるだけなのになぜ2個になるのか」と聞いて、教師がエジソンを「腐れ脳ミソ」と罵倒したというエピソードが残っています。
また、エジソンの知りたがり屋は学校内だけでなく、家庭でも同じでした。「なぜ物は燃えるのか」を知りたくて、藁を燃やしていたら納屋に延焼してしまったという逸話も伝記には必ず載っています。これは、彼がLD(学習障害)やADHD(注意欠陥多動性障害)であったからではないかといわれています。
こんな彼は、学校からだけでなく、父親からも見放されてしまいます。しかし、こんな彼に徹底して味方になったのが彼の母親でした。母親は、元教師でしたので、学校の対応に不満を持っていました。ある時、学校側が「そんなにエジソンをかばうのならお母さんが教えたらどうか」と言ったのに対し、母親は「そうですね、もうこの学校にトーマスを通わせる必要はありません」と言って、学校をやめさせてしまうのです。その後、トーマスの教師は、母親でした。母親の授業は、トーマスが理解するまで徹底的に教えることの出来る個人授業でしたから、知りたがりのトーマスにとってはとても納得のいくものであったようです。そして、母親の知識はトーマスの知的好奇心を満たし、抱いていた疑問や好奇心が科学の根本であることに気付かされていきます。エジソンが後に「母が私の最大の理解者であった。母が居なければ私は発明家になっていなかっただろう」と語っています。
先週の土曜日の読売新聞に「“自宅が学校”米で急増」(教師は親 背景に教育不信)という記事が掲載されていました。子どもを学校に通わせず、自宅で母親らが教師を務める「ホームスクーリング」(家庭学習)が全米で急激に広まっているというものです。その理由は、1、安全性の欠如、薬物使用など学校環境に関する懸念(88%)2、宗教的、道徳的教育を重視(83%)3、教師の教え方への不満(73%)などだそうです。1,2の理由は、あまり日本では考えられないかもしれませんが、3番目の理由は、日本でもいえるかもしれません。
アメリカでも多くの州で小、中、高校と義務教育とされていますが、家庭学習もアメリカでは公式に認められており、大半の大学では、家庭学習者の入学も受け入れているそうです。新聞には、最近は、ネットで簡単に教材が手に入るようになっているため、今後も増えると予測されているそうです。
「他の子ども」という子どもにとって一番大切な教材は、ネットでは手に入れることができないのにと思ってしまいます。

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2009年03月11日 近頃思うこと

冬眠

先週末「冬眠から、お目覚め…立山ケーブルカー整備進む」というニュースが流れました。これは、北アルプスの立山黒部アルペンルートの富山県側玄関口となる立山ケーブルカーが冬季に中止していた運転を再開するのを前に、整備をしている姿が公開されたということです。そろそろ、いろいろなところで冬眠から覚めるものが多くなる季節になりました。
こんなニュースが、地方版で掲載されていました。「注意! ヒキガエルひかないで」という看板が設置されたというものです。この時季になると産卵期を迎えたヒキガエルが、ねぐらとする近隣の雑木林などから池に向かってノソノソ歩いていきます。ところが夜間は車の犠牲になることも多く、昨年は夜間見回りのボランティアが5匹を救出して安全な場所に保護したそうです。それでも、確認されているだけで9匹が犠牲になったために、 手作りの看板を立てたのです。カエルも冬眠から覚めて、産卵期になってきたのです。
メダカも冬眠をするそうですが、園のメダカは、冬眠した様子はありません。屋外なので、水が冷たくなっていますので、活動は緩やかになったり、ほとんど餌も食べずにじっとしていると本などに書いてありますが、水がわき水ということもあってか、普段通りに泳いでいます。
冬眠する動物として有名なカメとかカエルなどのような変温動物は、気温が下がると体温が下がり、活動量、代謝量も減ってきます。寒くなると、動くことすらできなくなってしまいます。そこで、安全な場所に身を隠して、冬の間じっとしています。冬眠中は、体の中にたくわえたブドウ糖やグリコーゲンを分解して、乳酸を作るときに発生するエネルギーを使って生きています。その行為を「無気呼吸」といって冬の間、息を吸わなくても大丈夫なのです。これらの行動である「冬眠」は、自然の動物達にとっては厳しい冬の間、寒い上に食べ物が少なくなるための自衛手段でもあるのです。
また、リスやヤマネやコウモリやモルモットなどの恒温動物では、変温動物と違って気温によって体が動かなくなってしまうことはありませんが、冬眠に入ると体温が下がり、心拍数(脈拍)もふだんの1/10以下に下がりますが、呼吸はごくわずかですがしています。体が消費するエネルギーをなるべくおさえることで、冬の間、飲まず食わずで、じっとして冬を越す事ができます。 「冬眠」という方法で エサがうんと少なくなる冬の間、エサがなくても生き延びる手段を身につけたと考えられています。しかし、本当のことはまだはっきりとわかっていません。
特に熊の冬眠についてはわからないことが多いようですが、恒温動物の中で、熊だけは自分の意思で目覚めることができるそうです。ですから、正確に言うと熊の場合は「冬眠」ではなく「冬ごもり」というそうです。変温動物の場合も、正確に言うと「休眠」と言ったほうがいいようです。
太古の昔は、地球が温暖でした。その時は、いつも活動し、どんどん大きくなり、成長を続けました。しかし、地軸が変化し、四季が生まれます。すると、寒い冬が訪れます。エサもなくなり、寒さが襲う冬をどう乗り越えるかということで、生物は体の機能を低下させ、代謝を減らすことにしたのでしょう。それは、エサの問題だけでなく、冬眠中は、細菌や放射線などのへの抵抗力の増加、腫瘍等が発生しにくくなることも観察されています。冬眠する動物は冬眠しない動物に比べ死亡率が著しく低く、また寿命も長いことが確認されています。
ですから、もともと冬眠するようなペットは、長生きしてもらいたければ冬眠をさせてあげたほうがいいかもしれません。寒い時期に、人工的に暖かい部屋の中だけで過ごさせるのは、思いやりではなく、寿命を縮めているということは、人間にも言えることかもしれません。

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2009年03月10日 近頃思うこと

どっち回り

先日、園児が職員室に入ってきて部屋の中をぐるぐる回り始めました。子どもというのは、よく人の周りとか、部屋の中をぐるぐると回ります。そのとき、ふと、そこに同席していた友人と、「いったい、子どもはとっさにどっち向きで回るのだろうか?」という話になりました。友人は、「人というのは、どうしてか左回りに回るのだよ。」確かに、部屋でぐるぐると回っている子は、左回りでした。「左に心臓があるから、それを守るように回るのじゃないの?」という話になりました。
そう思って身の回りの眺めると、右回りのものと、左回りのものがあります。東京の山手線は、丸く走りますので、「上り」「下り」ではなく、右回り、左回りといいます。そして、右回りのことを「外回り」、左回りを「内回り」といいます。これは、左側通行にすると、円の内側が左回りになるからです。
また、よく右回りのことを「時計回り」というように、時計は右回りです。時計や暦の始まりは「日時計」です。日時計は、棒などの影の動きによって時間を知るのですが、太陽が東から南を通って西に行くと、影は右回りになります。ただ、それは北半球でのことで、南半球では反対になります。しかし、このことから、時間の経過を表すような時計や、黄道12宮や十二支十干なども右回りに書くようになったのでしょう。それは、北半球では、地球の自転と公転も左回りで、ですから台風も左回りです
一般に、ねじ、ボルトや瓶などのキャップは、右回りに回すと締り、左回りに回すとゆるむように作られています。それは、右ききの場合、右回りの方が、力が入りやすいからです。人間は右利きの人が多いので、右手を使って、何かを回すには右回り方が、都合がいいのです。ほかにも、ゼンマイや、重りを巻き上げるときとか、レコードの回転方向も右回りになっています。ただし、力を入れて欲しくないときは、たとえば、一部のガス管では、しめる時に力を入れすぎて亀裂が入るのを防ぐために逆向きになっています。
では、人が回るときにはどちら方向なのでしょう。オリンピックの陸上競技でもそうでしたが、世界陸上でも学校の運動会でも、多くの陸上競技はほぼ必ずトラックを左回りに走り、野球でも左回りに走ります。じつは、トラックを左回りに走るのは国際陸連(IAAF)が競技規則として定めたのが始まりで、その国際ルールブックには「走る方向はレフトハンド・インサイド(左手を内側に)」と書いてあります。これが決まったのは1913年のことで、それまでは右回りに走ることもよくあったそうで、たとえば、1896年のアテネの第1回夏季オリンピックでは右回りに走っていたようです。
その理由にはいろいろな説があるようですが、スポーツジャーナリストの草分けである故川本信正さんは生前にそれをこう説明しています。「人間の足は左右で機能が違う。左足は身体を支える役割を持ち、右足はドライブをかけて推進する働きをする。トラックを曲がるとき、左足で身体を支えながら右足で加速して走るので、左回りのほうが理にかなっている」
どうも、左回りが人間にとって自然なようです。自分の手足で競技するスポーツはほとんど左回りで、ほかにも盆踊りも、避難するときのら旋階段も、癒しを与えるメリーゴーランドもみんな左回りです。ただし、緊張を与えるジェットコースターなどは右回りを基本に作られることが多いそうです。
hinankaidan.JPG
左回りに部屋を回っている子どもたちは、自然と走り回ることで、癒されているのかもしれません。

投稿者 fujimori : 15:54 | コメント (4)

2009年03月09日 近頃思うこと

翻訳

 太宰治の名著である「走れメロス」と「魚服記」の鎌田紳爾による翻訳本「走ろっけメロス」が、昨日の読売新聞に紹介されていました。何語に翻訳された本かというと、題名からもわかるように、この本の作者である太宰治の故郷、津軽の言葉に翻訳した本です。原文との対話形式で、津軽出身者以外にも解るように書かれてあり、津軽語による朗読CDも付いています。
この本の書評を作家の「三浦しをん」さんが書いています。
「津軽語版“走れメロス”を文字で読むだけでも、新鮮なリズムが感じられる。たとえば、“見事、対岸の樹木(じゅもぐ)の幹さ、たもぢがる事(ごと)、出来(でぎ)だのせ。ありがて”とか“いまだって、汝(な)は我(わ)ごと無心ね待ってらびょん”とか。
 三浦さんは、この本で小説と方言について重要な問題提起をしていると言っています。「現在、日本の小説の多くは共通語(東京の山の手言葉)と言っていいだろう」で書かれる。だが、それは作者のネイティブな言語ではない場合もある。かといって、方言を忠実に文字化しても、その土地の出身者以外には意味が通じない可能性が高い。文字で表現するしかない小説は、多様な方言をどこまで取り入れて作品に豊穣をもたらし、“共通語”という一元化と中央主義に抵抗すればいいだろうか。もうひとつ、文字表現からはこぼれ落ちていく発音のニュアンス(それこそがまさに、“感情”を表現する重要な部分のはずだ)に、どうやって敏感でいられるだろうか。」
 以前の「モンスターペアレント」というテレビ番組の中で、方言を使う教師に対して、母親が子どもに悪い影響を与えるので担任を代えてほしいと言ってきたシーンがありました。確かに、いわゆる標準語を話すことが将来どの職業についても必要なことかもしれません。しかし、方言とはその地域の文化でもありますし、方言を話す人は、その人の文化でもあるので、簡単にそれを否定することはできません。
 私は、東京育ちですので、ほぼ標準語に近い言葉を日常使いますが、それでもいわゆる「江戸言葉」を父親が使っていたので、その方言を使うことがあります。しかし、どうしても江戸の言葉は、「べらんめえ調」と言われるように、その発音や語彙は周辺の山の手言葉や西関東方言とは多少異なり、なんだか強く聞こえることが多いようです。全体的にも、おおむね関東の言葉は、関西の言葉よりも強い言い方に聞こえるようです。たとえば、子どもが何か失敗をした時に「あほやなあ」というと、なんだか愛情がこもっているように聞こえますが、「ばかじゃないの」というと、馬鹿にしているように聞こえます。
最近は、東京でも、江戸からの独特な話し方をする人は年輩者を中心とする東京出身者にわずかに存在しているだけになりつつありますが、よく例に出される「し、しゃ、しゅ、しょ」と「ひ、ひゃ、ひゅ、ひょ」の混同を父親はしていました。また、その他の母音でも、その転訛・脱落などがありました。たとえば、「江戸っ子」を「えでっけ」と言ったり、「手拭」を「てのごい」と言ったりします。
他に面白いところでは、よく東北地方で意志や同意をするときに最後に「べ」や「べえ」をつけますが、これは関東地方でもつけます。しかし、東京だけは関西や東海地方と同じように「う」とか「よう」をつけます。例えば、西関東方言で「行くべ」や「これだべ(だんべ・だっぺ)」と言うところが、東京方言では「行こう」「行くんだろう」や「これだろ(う)」となります。
若い人の使う良くない言葉と言われることが多い、文節や文章の最後に「さ」をつける傾向も実は東京の方言の一つです。「あのさ、昨日さ、行ったんだけどさ」他の地域の人が聞くと、だらしなく聞こえますね。そのように、方言は他の地域では違った印象に聞こえることがありますが、その地域では一つの文化であることがあります。文化を大切にしようという割には、よく園では、先生の言葉が荒いとか、乱暴という苦情を聞くことがあります。確かに乱暴な言葉である時もあるかもしれませんが、江戸っ子言葉であることもあるのです。

投稿者 fujimori : 23:12 | コメント (5)

2009年03月08日 近頃思うこと

名残

 私の何代か前に、趣味で連歌を詠んでいた雅号を「荷風省我」といった先祖がいました。連歌とは、和歌の五・七・五に、ある人が七・七(短句)を付け、さらにある人が五・七・五を付け加えるというように、百句になるまで長句・短句を交互に連ねて詠んでいきます。この連歌は、鎌倉時代から江戸時代にかけて流行し、やがて登場する俳諧の基となりました。この連歌は、風流人の間でもはやり、さまざまな作法があったようです。
連歌は、懐紙に書きつけていきますが、その懐紙を横に二つに折り、折り目を下にして、その表裏に書いていきます。ですから、懐紙の最初の一折のことを「初折(しょおり)」と言い、最後の一折を「名残の折(なごりのおり)」と言います。そして、その表のことを「名残の表」とか略して「名表」、裏を「名残の裏」とか「名裏」と言います。なんとなく風流ですね。
茶の湯の世界でも同じような呼び方をすることがあります。陰暦3月末ころに、冬の間使っていた炉をやめて、風炉を使い始めます。その時に、炉をやめ、ふたをすることを「炉塞(ふさ)ぎ」と言いますが、その前に、炉の風情を惜しんだ茶会を催します。その茶会を「炉の名残」と言います。また、逆に、風炉から炉に移る10月中旬より下旬にかけて茶会を催しますが、それを「名残の茶」と言いますが、その名前は、本来、残り少なくなった前年の古茶の名残を惜しんで、陰暦8月末日から9月にかけての時期に茶会を催したことからきています。このように「名残」という言葉から、日本の文化が感じられます。この「名残」という言葉は、ある事柄が過ぎ去ったあとに、なおその気配や影響が残っているときに使いますので、「名」が「残る」と思いがちですが、実は語源は違うようです。風が静まったあとに残っている波のことをいう「波残り」からきているといわれています。いわゆる「余波」のことです。
この言葉は、「名残惜しい」と使うように人との別れを惜しむ気持ちも表わします。「名残の杯」とは、別れを惜しんで酒を酌み交わす杯のことを言いますし、「名残の袖」とは、別れの悲しさにあふれる涙でぬれた袖をさすことから、別離の心残りを惜しむたとえに使われます。「名残の袂(たもと)」とも使われます。「名残の宴」とは、別れを惜しんで催す酒盛りのことをいいます。しかし、この言葉に情緒を感じるのは、季節が変わっても、前の季節の趣や現象が未だかすかに残っていることを指す時に使うのが、四季がある日本らしい言い回しかもしれません。「名残の花」とは、散り残っている桜の花のことを指しますし、「名残の霜」とは、八十八夜の頃に降りる霜のことを指します。四季ではありませんが、夜明けに空に残っている月のことを指す「有明けの月」のことを「名残の月」というのもなかなかいい言い方ですね。
ここで、たぶん多くの人は、「名残の雪」を思い出すことでしょう。この言葉は、春にはいってから降る雪のことや、春になっても消え残っている雪のことを指す、ちょうど今の季節のころのことを言い表します。しかし、この言葉を思い出すのは、「汽車を待つ君の横で僕は時計を気にしてる 季節はずれの雪が降ってる 東京で見る雪はこれが最後ねと さみしそうに君がつぶやく なごり雪も降る時を知り ふざけすぎた季節のあとで 今春が来て君はきれいになった」という伊勢正三が作詞・作曲したかぐや姫の楽曲で、イルカが歌って話題になった「なごり雪」です。この歌は、日本の早春を代表する歌のひとつとして歌い継がれています。
ところで、嘉門達夫作詞の「なごり寿司」という歌も少し話題になりました。この曲は、「なごり雪」の替え歌です。「寿司を待つ君の横で僕は値段を気にしてる 季節外れのブリが光ってる 東京で食う寿司は銀座が 最高ねと 刺し身盛り食べて君が呟く 握り寿司をたらふく食べて 同伴アフター貢がされてる 今ウニが来て君はヒラメも食った」
先日、石川に行った時に、季節外れの富山湾の「寒ブリ」をいただきました。歌と違って、東京よりはおいしかったです。

投稿者 fujimori : 21:08 | コメント (4)

2009年03月07日 近頃思うこと

掃除

 今日、たまたま職場内を誰が掃除をするかという話題になりました。私がもう十数年前に、ホテルが運営している日本で初めての認可の企業所内保育園に取材に行った時の話です。その保育園は、ホテルの従業員の中で小さい子どもがいる従業員のための福利厚生施設として開設されていました。それは、人材確保のためにもとても効果がありました。しかし、その保育園が閉鎖されるという話での取材でした。そのホテルは、保育園を運営できるほどですので、とても大きなホテルで、従業員もたくさんいました。しかし、取材に行ってみると、なんと従業員は、数人になってしまったといいます。それは、事業の縮小ではなく、ホテル内のそれぞれの作業をすべて業務委託したためだと言いました。掃除は掃除事業者、ベッドメイク、お茶のセッティング、食事、すべて業者に委託しているために、ホテルで直接雇用している職員は数人で済んでいるということでした。
 この取材はずいぶんと昔のことですが、最近、会社でも業務委託が多いようです。掃除はもちろんですが、受付とか、電話応対なども委託をしている会社が多くみられます。最近、学校などでは給食の業務委託が増えてきましたが、日本では、学校での掃除は業者に委託をしないようです。子どもたちが掃除をします。しかし、学校内を児童に掃除をさせるのは、掃除に教育的意味を見出している儒教の国だけであると聞いたことがあります。ただ、私が通っていた高校では、掃除を業者に委託をしていました。ということは、生徒は教室の掃除をしませんでした。これはたぶん、珍しいことでしょう。
 日本では、掃除をおこなう人は誰であるかというアンケートでは、現在では主婦が一番目で、その次が母親の順ですが、昔は子どもの仕事でした。また、毎日掃除をする人の割合は60代以上の人が多く、掃除の仕方は家族(母親、祖母)が教えてくれたという人が多く、その他では先生です。ですから、掃除は、「生活の知恵」がいっぱい詰まっています。「ぬるま湯に酢をいれて雑巾をしぼる」「一度使った水を再度使う」「茶殻をまいて掃く」「ガラスを新聞紙で拭く」「おからを布巾で包んで拭く」などが伝承されています。子どもが掃除をすることによって、このような生活の知恵を学び、また、体や腕などの筋肉や運動能力を養っていました。そんな意味でも、子どもが掃除をすることにはとても意味あることのような気がします。
私の園では、食事の前に机の上を雑巾で拭いたり、食事の後の床を拭いたり、製作などで散らかった紙くずなどを子どもたちが掃除をしています。その姿を見たある保護者のアンケートに、「子どもに掃除をさせて、先生が楽をしている」というものがありましたが、掃除の業務委託をしている会社にでも勤めているのでしょうね。それとも、その保護者の学校時代に掃除がいやでしょうがなかったのかもしれません。
 そんなわけで、家庭でも掃除を委託するのが増えてきているようです。それと、最近私の園でも購入しましたが、掃除ロボットが勝手に掃除をしてくれているのかもしれません。そのロボットを見ていると、とても感心します。あちらこちらのごみを感知して掃除をして回ります。そして、入ってはいけないところ、行ってはいけないところには、電波を出すポットを置いておくだけでそこに決して行きません。そして、充電が切れそうになると、自分から充電機に戻っていって充電を始めます。
 洗濯をするときにはスイッチを押すだけ、調理をするときにも電子レンジのスイッチを押すだけ、掃除をするときにもスイッチを押すだけで済みます。
 それはそれでいいのですが、それで生まれた時間は、何に使うのでしょうか。

投稿者 fujimori : 23:32 | コメント (4)

2009年03月06日 近頃思うこと

実験

 昨日、米航空宇宙局(NASA)は4日、若田光一飛行士を国際宇宙ステーション(ISS)へ運ぶスペースシャトル「ディスカバリー」について、米東部夏時間11日午後9時20分(日本時間12日午前10時20分)の打ち上げを目指すと発表しました。今回の飛行は、何度も延期されたり、また、12日といっていたのを早めたりしています。2003年に起きたスペースシャトル「コロンビア」の空中分解し、搭乗していた7名の宇宙飛行士、全員が死亡したことがあって慎重なのでしょう。
 また、今回、宇宙航空研究開発機構(JAXA)は、2015年までの国際宇宙ステーション(ISS)の運用・利用に対応するため、ISSに搭乗する宇宙飛行士候補者の選抜を行い、2名の宇宙飛行士候補者を決定しました。書類選考に応募したのは、963名いたそうですが、1次、2次、3次選考で絞ったようですが、今回選ばれた候補者は、39歳の最年長で選ばれたことで話題になっています。このあと、二人は約2年間の候補者訓練を経て、宇宙飛行士として認定された場合には、正式な宇宙飛行士となります。その後、ISS搭乗が決定すれば、さらに約2年間のミッション固有訓練を経て、最長6ヶ月間程度ISSに滞在し、「きぼう」日本実験棟を含むISSの操作・保守及び様々な分野の宇宙実験ミッションを担当することになります。実際に宇宙船に乗り込めるのは、いろいろな面でパーフェクトなのでしょうね。
 宇宙に行って、将来長期滞在するためのステーションを作ったり、いろいろな実験をしたりしているのですが、そのほかにも、宇宙でこんなことはどうだろうかとか、そういうことをしたらどうなるかなど疑問がわきます。今までも、くもの巣をどう作るのかとか、紙飛行機を飛ばしたらどうなるかなど、宇宙から映像で送られてきました。今回、若田光一さんは、今年3月スペースシャトル「ディスカバリー号」(STS-119(15A)ミッション)で、国際宇宙ステーション(ISS)に向かい、その後第18次/19次長期滞在クルーとして、約3か月半も、日本人として初めてISSに長期滞在します。そこで、この長期滞在の間に宇宙で試してほしい実験のアイディアを宇宙航空研究開発機構(JAXA)が、昨年、無重力で試してほしいテーマを公募していました。小学生から70歳代まで1500件以上も寄せられたそうですが、そのなかから16の実験が選ばれ、発表されています。実験内容は映像で記録し、今年7月以降にインターネットで公開する予定のようです。
 「宇宙で運動」では、ラジオ体操、バック転、リフティング、腕立て伏せ、側転、クロール、スケートのスピンなどが宇宙ではどうなるかが選ばれています。面白うものでは、衣類をたたむとか、水鉄砲から水はどう飛ぶのか、魔法のじゅうたんはどのように浮かぶか、目薬はどうやってさすと目にうまく入るか、口から息を出したり、扇状のもので仰いで空間移動ができるのかなどがあります。また、腕相撲、握手、押し相撲、綱引きなど、ふたりで行う運動を通して、微小重力環境における力の作用・反作用を探るようです。
 若田さんは、「まだ一握りの人しか宇宙を体験することのできない時代ですが、宇宙へ行くことがあたりまえになる時代はきっと近々やってくるはずです。ひとりひとりが実際に宇宙を経験できる日がくるまでの間、私の感じた宇宙を伝えることで、ともに宇宙を感じていただけたら、と思っています。」と言っています。
 どんな映像が送られてくるのでしょうか。

投稿者 fujimori : 23:24 | コメント (4)

2009年03月05日 近頃思うこと

ししおどし

建築家である上田篤氏は、「庭と日本人」という新書のなかで、「西洋の庭園は園(その)だが、日本の庭園は庭(にわ)だ」と言っています。その違いを「園という漢字は、それをソノと読んだ日本語とともに“果実などを栽培する畑”のことをいうが、庭という漢字、またそれをニワとよんだ日本語は、ともに“何かの行事の行われる場所”をさす」と言っています。その何かの行事については、「日本人は時代時代によっていろいろの理想の世界をかんがえ、それを庭の中に表現してきた。歴史的に見るとそういうことがいえる。」そして、日本の文化は、「文化的遺伝子のダイナミックは発想」であり、それが日本では神ということもあり、その神はゴッドではなく、「物と物との関係性」であると説明しています。
まさに、私は日本の「庭」は、関係性の表現のような気がします。それは、海外の園で見られるような花や果実や水のエデンの園ではなく、石や苔なの物と物がある緊張感を持ちながらそれぞれがその存在に影響を与えている関係を表している気がします。
奈良時代の終わりから平安時代にかけて、玄賓僧都という高徳の僧が天皇に召されました。しかし玄賓は名声を嫌い、奈良の「山の辺」を出て、丹波や備中の田舎を転々とします。そこで、世間では、山田を転々とする玄賓僧都の事を山田僧都と呼ぶようになりました。あるとき、備中国・湯川寺に滞在していた山田僧都は、収穫の秋になると、農夫のいでたちで、雀やカラスを追い払い、農民たちに大変感謝されました。この案山子役を引き受けてくれた山田僧都の事を農民たちが親しみを込めて「山田のかかし」と呼びました。今でも案山子のことを「げんぴんそうず」といいますが、それは、「玄賓僧都」の姿が玄賓の隠遁姿に似るからとも、玄賓の創案によるからともいわれています。
彼はまた、農民のために、農村地帯で田畑を荒らす鹿や猪、鳥を音でおどして追い払う仕掛けを作りました。そして、江戸期の漢詩人、石川丈山は、この故事により、鹿や狸を追うこの道具を日本庭園に配置し、「丈山考案の園水を利用して音響を発し、鹿猪が庭園を荒らすのを防ぎ、又、丈山自身も閑寂の中にこの音を愛し老隠の慰め」としたのです。そして、丈山は、その仕掛けを玄賓僧都の陰徳を偲んで「僧都(そうず)」と名付け、そこから、別名「添水(そうず)と言われるようになりました。それを、昭和32年に苔寺で同じものが作られ、「鹿威し(ししおどし)」と表示されて以来、その呼び名が一般化したという事です。
「鹿威し」とは、水力により自動的に音響を発生する装置で、中央付近に支点を設け、一端を開放した竹筒に水を注ぎ、水がいっぱいになるとその重みで竹筒が傾き、水がこぼれて内部が空になる。すると竹筒は元の傾きに戻る。この際に竹筒が支持台(石など)を叩き、音響を生ずるという仕掛けです。何も音のしない庭園に、時折轟く鹿おどしの音がかえって静寂を呼びます。日本庭園の凛とした静けさをより強調するために、かえって、少しの音がある方が効果的です。この鹿おどしについて竹山道雄は「それはどんな楽器の音にも似ていない。空洞の中のみじかい木霊のようである。竹筒にこもった響きが清水に洗われ、覆った木の葉の中に吸い込まれる。(中略)静寂の中に点をうって、そのために時間がひきしめられている。」と書いています。
 私の園で湧き水を利用して「ししおどし」を作りたいと以前のブログで書きましたが、やっと念願がかない、玄関脇に作りました。京都の詩仙堂の鹿おどしとはいきませんが、一定間隔で、小気味よい音が響いています。
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投稿者 fujimori : 23:42 | コメント (4)

2009年03月04日 近頃思うこと

ヨモギ

 昨日の3月3日は「ひな祭り」でした。古代中国では、このころに春の七草を入れた団子を食べる習慣がありました。それが日本に伝わり、ヨモギを入れた餅を食べるようになりました。それが草餅(蓬餅)ですが、その草餅の上に紅白の餅を置いた和菓子が、ひな祭りに飾られる菱餅です。ヨモギは古来より、その香りが邪気を払う、厄を払う魔除けの力があるということで縁起がよいとされ、また、薬草としても重宝されてきたので、桃の節句の時に女の子の健やかな成長と幸せを願い、下から緑・白・ピンクの順番で重ねた餅が飾られるようになったといわれています。
このヨモギは、誰でも知っていると思いますが、それは、日本各地の山野や道端などに自生しているからで、キク科の多年草です。このヨモギが薬草と呼ばれるのは、漢方名で「艾葉」と呼ばれていますが、この意味は、「疾(やまい)を艾する(止める)」です。その名のように、通称「万能薬草」といわれるほど薬効が高く、栄養価も高いことから健康食として注目されています。また、ヨモギの葉の裏の灰白色の綿毛を乾燥させたものは「モグサ」と呼ばれ、お灸として幅広く利用されています。よく燃える草ということからヨモギという名前が生まれたといわれています。
このどこにでも自生しているヨモギの若い芽や、育ち始めた若い株は、干しておいたのちに煎じて飲むと、健胃、腹痛、下痢、貧血、冷え性などに効果があり、発汗、解熱剤としても飲みますが、胃の弱い人には不向きだそうです。このヨモギには、タンニンが含まれているので小さな切り傷や虫刺されに、生葉を口でかんでつばを混ぜてつけると血止めになります。ですから、散歩に行って、子どもが切り傷を作ったり、虫に刺されたりしたときの応急処置としても使えます。また、もう少し育ったものは、これも干しておき、入浴剤として使った「蓬湯」は、血行を促進させるため、肩こりや腰痛、神経痛、痔などをやわらげる働きがあります。また精油成分を豊富に含んでおり、すり傷、切り傷の止血や殺菌作用にも効果的で、また、保温・発汗・解熱作用のある成分も含まれています。そして、ヨモギの葉の香りはストレス解消や安眠にもよいといわれています。
ぜひ、この時期、蓬湯は乾燥した葉だけではなく、生の葉でも作れるので、散歩のついでに蓬を摘んで手軽に楽しんでみたらどうでしょうか。1回に使うのは、茎先20cmくらいの生の蓬5~6本です。細かく刻んで水から煮出します。そして、煮汁だけをこして風呂に入れます。もし、乾燥した葉を使う場合は、6~7月によく育った葉を摘み取り、水洗いして陰干しした30gを布袋に入れて浴槽に入れます。蓬湯では入浴直後から血流量の増加がみられ、この傾向は入浴後もしばらく続きます。
最近は、韓国で600年前から行われている伝統的な民間療法である「ヨモギ蒸し」が、韓国の女性だけではなく、日本人女性にも広まりつつあるようです。「ヨモギ」を中心に数種類の漢方薬草を混ぜたものを煮込んだ蒸気には薬草の有効成分が多く含まれます。その蒸気を下半身中心に体全体に浴び吸収させることで、単なる美容法ではなく、体を芯から温めてくれる療法だそうです。
そのほかにも、ヨモギには、ミネラル、カルシウム、鉄、ビタミンA(カロチン)、ビタミンB1、ビタミンB2、ビタミンC 、ビタミンDなどが含まれ、整腸作用が大きく、便秘にもよく、臓器の機能を正常に保ち、公害物質や老廃物がたまらないよう体外に排出し、血液を浄化する効能があり、気管支炎などによる咳を止めたり、イボの治療にも効果があります。ぜひ、活用したいものですね。

投稿者 fujimori : 23:16 | コメント (4)

2009年03月03日 近頃思うこと

夢と職業

 東京都杉並区和田中学校校長には、リクルートからの民間登用で藤原 和博氏が就任して、様々な試みを行ったことで有名ですが、08年4月からは、代田昭久氏が就任しています。彼も、リクルートに入社しましたが、「いい大学に入って、いい会社に勤めれば一生安泰」という時代に、深く考えることなく志望校を選択し、就職した自身の経験から、キャリア教育の必要性を感じ、大学生向けの就職塾事業などを手がけます。その後独立しますが、昨日のブログで紹介した村上龍氏の本「13歳のハローワーク」に共鳴し、05年10月「13歳のハローワーク公式サイト」を立ち上げます。そして、それらの教育事業の一環で和田中とかかわったことから、一昨年から和田中学校校長に就任したのです。
 この公式サイトは、だれでも利用できますが、書籍同様に、自分の好きなことなどから職業が選べるようになっていたり、大人に質問ができたり、書籍の中ではできなかった双方向のやり取りが可能になっており、就職するうえで参考になる多くのメニューが用意されています。
 人は、好きなこと、好きなものを続けることができるような職業を選ぶのは大切ですし、そのような職業につくことができるのは理想かもしれません。しかし、小中学生のころから、どうせそんな職業はないだろうとか、生活のため、収入を得るために職業に就くしかないのだとか、諦めから働く意欲を失っている若者を多く見かけます。意欲を持つために、卒園、卒業の時に「将来、何になりたいか」ということを文集に書いたり、発表したりすることだけでも効果があるといわれます。どんな職業に就くかということは、夢を持つことであり、いろいろな職業があるということは、それだけ夢を持てるということです。
 そんなことで「13歳のハローワーク」では、「なにが好き」というような、好奇心を起点に、その周辺にどのような職業が存在するかをグループで学びます。こうして、職業のつながりを知ることで、将来の仕事の選択肢を広げようとしています。しかし、どんなことが好きかといっても、必ずしも人の役に立つようなことではないことがあります。それどころか、人に危害を加えるようなことが好きな場合もないとは言えません。しかし、この本では、そんな特別な趣味や好きなことを持っている人にも適職を見つけようとするところが面白いところです。もちろん、そこには著者の村上氏の独断と、彼のパーソナリティーが色濃く出ていますが。
例えば、「ケンカが好き」という子には、どんな職業が向いているかという助言はこうあります。
経営者:ケンカは非常にリスクの高いコミュニケーションで、かつエネルギーも必要だ。だから、モノやサービスを「売る」という仕事に、そのエネルギーを活かすことができれば、成功することもある。だが、当たり前のことだが、ケンカが好きというだけで、優秀な営業や経営者になれるわけがない。
警察官、自衛隊、消防官:いずれも治安や安全や平穏な生活を守る大切な職業だ。だが、意外にも、子どものころはよくケンカをしていたという警察官や自衛隊員や消防士は少なくない。そのくらいエネルギーを使う職業だということかも知れない。しかし、当たり前のことだが、ケンカが好きというだけで警察官や自衛隊員や消防士になれるわけがない。
教師:少年漫画には、かつて不良だった教師や、子どものころケンカが好きだったという教師がよく登場する。数は少ないが、子どものころは番長だったという教師もいる。ケンカが好きだったという教師は、ケンカが好きな子どもの気持ちがわかるかも知れない。だが、当たり前のことだが、ケンカが好きというだけで、教師にはなれない。

投稿者 fujimori : 21:47 | コメント (4)

2009年03月02日 映画

職業

 数年前に「13歳のハローワーク」という本が、ずいぶん話題になりました。この本は、幻冬舎から刊行された村上龍の著書で、その後、学校で教材として採用されたりしています。この「ハローワーク」というのはもちろん和製英語ですが、「職業との出会い」という意味では、私はなかなかいい名前だと思います。
 この本が話題になったのは、もちろん職業紹介なのですが、著者の村上龍本人の職業観を語るエッセイが掲載されており、職業は生きるための手段ではなく、生きる目的そのものであるなどと述べられています。そのために、何の職業に就こうとするかは、どのように生きるかという問いを突き付けられていることになります。そんなときに、自分をよく見つめます。何が好きなのだろうか、何をしているときに没頭できるのだろうか、何がしたいと思っているのだろうかなどです。
 この本が話題になったのは、単に職業を並べて紹介するのではなく、好奇心を対象別に分けて、その対象の先にあると思われる仕事・職業を紹介しようという目的で作られていることです。また、その人に向いた仕事、その人にぴったりの仕事というのは、誰にでもあるといいます。ですから、この本は、できるだけ多くの子どもたちに、自分に向いた仕事、自分にぴったりの仕事を見つけて欲しいと考えて作られています。しかし、人はなかなか自分の特性、個性、資質がなんであるかわかりにくいものです。まして、他人はなおさらわかりません。しかも、今は、昔に比べて非常に多くの仕事・職業があります。しかも、10年前にはなかった新しい職業もたくさんあります。
 村上氏は、この世の中には2種類の人間・大人しかいないと思っています。「それは、「偉い人と普通の人」ではないし、「金持ちと貧乏人」でもなく、「悪い人と良い人」でもなくて、「利口な人とバカな人」でもありません。2種類の人間・大人とは、自分の好きな仕事、自分に向いている仕事で生活の糧を得ている人と、そうではない人のことです。」
 昨日の日曜日に映画「おくりびと」を見てきました。わが子が、遺体を棺に納める「納棺師」になると言った時に、どのように反応するでしょうか。当然戸惑うでしょうね。死というだれもが避けたがる、一見地味で触れ難いイメージの職業ですが、死というものを冷静に考えると、この映画の英題である「Departures」(出発)なのです。ですから、主人公が求人広告「旅のお手伝い」という文言を見て、旅行代理店と思って尋ねます。しかし、この映画は、こんな職業があるのだと気付くと同時に、その所作の美しさを背景にさまざまな愛の形を表現します。生きているということは愛を与えたり、愛を失ったりすることであり、死は、そのような愛に気づかせる門出のような気がします。
 納棺師と言わないまでも、わが子が「こんな職業に就きたい!」と言った時に、それを認めるだけの子どもに対する信頼を持てるかというと自信がありません。アニメ界の父ともいわれる手塚治虫が、大学で医者への道を目指していましたが、学業とマンガを描くこととが両立しなくなってきます。大いに悩んだ彼は思い余って母親に相談をしました。すると彼女が「あなたはマンガと医者とどっちが好きなの?」と聞きました。手塚は即座に「マンガです」と答えました。「じゃ、マンガ家になりなさい」という母親のひと言で手塚は進路を決めたのだとのちに述懐しています。そして、「母のひと言で決心がつき、充実した人生を送ることができました。」と自伝に書いています。
 村上氏の言葉を思い出します。

投稿者 fujimori : 23:59 | コメント (4)

2009年03月01日 近頃思うこと

空き地

 子どもの生活の中で、空き地が必要ですが、今はそれを地域の中に求めることはなかなか難しくなってきています。時間、仲間がいないだけでなく、不審者に対しての地域の目が薄くなってきているからです。以前、私が、「子どもを守るのはただ鍵とかドアに頼るのではなく、お互いの目が必要です。」と言ったところ、ある保護者が「それは時代が違います。昔はよかったけれど、今は危険なのです。」と言ったので、私は、「きちんとデータによって話したほうがいいですよ。不審者の数や、犯罪の数は圧倒的に昔のほうが多かったのです。たとえば、青少年犯罪にしても、戦後のほうが非常に多く、今はそれほどでもありません。」と言いました。情報がいきわたるようになったおかげで、知りえない地域での事件まで知ることができます。そのために、多いように思えますが、決してそうではありません。ただ、交通事故が増えたことと、地域でお互いの見合う関係が少なくなくなってきていることは事実です。
 このような子どもをめぐる環境の変化に対して、もう一度、地域の養育力は取り戻さなければなりません。もう一つ、地域の中に「空き地」がなくなった分だけ、保育園、幼稚園、学校の中に「空き地」と言える空間を用意する必要があります。そして、その中で、子どもは大人から監視されることがなく、しかし、大人たちから温かく見守られている目を感じながら、自分たちで工夫し、異年齢で自由に遊ぶことが必要なのです。
安藤忠雄さんはこう言っています。
「子どもを”過保護”の世界に閉じ込める家庭と社会のシステムが、子どもの自立を阻んでいる。そんな考えでいるから、「放っておいても子どもは育つ」などと言って、周囲の反感を買うこともある。子どもための施設を設計するときも、人間本来の生命力に期待し、子どもだから遠慮せず、いつも通りにつくるから、発注者側と衝突することも多い。」
心配する親の思いと、子どもの自立との調和はなかなか難しいですね。安藤さんは、子どものための施設の計画で、こんな空間を提案しています。
「ほったらかしの場所をつくる:テーマは、自然との対話である。それとこれが一番重要なのだが、すべて設計し尽くすのではなく、あえて目的のない、ほったらかしの場所をつくることだ。人間が生きていくには、知識と知恵がいる。既にある問題と答えを結びつける、知識を身に付ける学校の授業と、世界を自分の目で見て、問題そのものを探していける知恵を育む放課後の自由な時間_____この両方があってこその教育だろう。
 建築も同じで、つくり手が「ここはこう使ってください」と全部決めつけてしまっては、
使い手が想像力を働かせて使っていく楽しみがなくなってしまう。とりわけ子どもには、
そんな風に自分たちの居場所が探せる、ほったらかしの場所が必要だ。」
 本当の意味での「ほったらかし」は、安藤さんも言っていますが誤解を招きそうです。言い古された言葉ですが、子どもが主体的に生活し、自発的に遊びこめるような空間の用意でしょう。しかも、それができるような用意をすべて整えるのではなく、子ども自ら生み出していくような余地も残しつつです。それが、自己管理能力の獲得につながっていくのでしょう。

投稿者 fujimori : 22:22 | コメント (5)