新入学

 今日で3月が終わり、学校や園などの年度が終わり、明日からは参勤交代が行われた4月、新しい年度がはじまります。この4月入学は、富国強兵政策の影響で、1886年(明治19年)に政府の会計年度が4月?3月になったことから、会計年度に合うよう、小学校で4月入学が奨励されるようになりました。そして、1900年(明治33年)からは、小学校が正式に4月入学となりました。
江戸時代までの寺子屋や私塾や藩校などでは、特に入学の時期を定めず、いつでも入学することができました。しかし、庶民の子ども達の多くが通った寺子屋の入学は、「此日小児手習読書の師匠へ入門せしむる者多し」という言葉があるように、2月最初の「午(うま)の日」である「初午」だったようです。この日は、本来は旧暦二月の最初の午の日でしたが、今では新暦2月の最初の午の日とされています。ですから、初午の入学というと、現在の暦ですと冬の一番寒い時期となってしまいますが、元々は春先の入学でした。 この初午は、全国で稲荷社の本社である京都の伏見稲荷神社の神が降りた日が和銅4年のこの日であったとされ、全国で稲荷社を祀ります。そろそろ春めいてきたころに、四季のうつろいを敏感にとらえ、その中に“もののあわれ”を見出した当時の人々は、“初午”にはこぞって稲荷社に詣でたようです。
入学式を控えた新1年生は、ドキドキしているでしょうね。江戸時代に寺子屋に入学する子たちはどんな気持ちだったのでしょうか。現在、1年生には6歳で入学しますが、寺子屋へは早い者で5歳、普通は男女とも6?7歳で入学したようです。当初、一部の裕福な家柄の子どもが入学していたころは、「寺入り」とか「寺上がり」と呼ばれ、子どもたちは裃(かみしも)を着て正装して通いました。しかし、手習いが一般庶民にも浸透するようになると、礼服を使用しなくなり、同時に江戸の庶民教育が広くいきわるようになっていきました。この時期から、日本における教育が世界の中でも珍しいほど就学率が高くなっていくのです。それは、入学金ともいえる寺入りする際の謝礼が、ボランティアなどが教えるようになり、庶民が通うことができるほど少なくなっていたからではないかと思います。
では、入学当初、子どもや親たちはどんな様子だったのでしょう。江戸古川柳研究家、渡辺信一郎さんの「江戸の寺子屋と子供達」には「初午の日からおっかないものが増え」という川柳が紹介されています。家族や近所の人しか知らずに育った子どもが、初めて寺子屋で厳しい師匠の指導を受けることになる様子がわかります。いつの世でも、就学前までは子どもたちは自由奔放に駆けずり回っていたのが、寺子屋に入って、初めていろいろと注意をされるのでしょう。また、「江戸の学び」の中では市川寛明さんが紹介している川柳があります。「初午の日から夫婦は ちっと息 七つから寺子屋に もり仕てもらう」寺子屋にある時間子どもがいくようになって、夫婦がやっと一息つけるというのは、やはりいくらかわいい子どもでも、ずっといると疲れてくるのは今でも同じですね。この本には、寺子屋は学習の場だけではなく、育児、保育の代替の側面もあったと書かれてあります。「初午は 世帯の鍵の下げ始め 初午は まず錠前を覚えさせ」という句から見ると、子どもが寺子屋に通い始めて、母親が仕事をはじめ、いわゆるカギっ子になるということでしょう。そのほかにも、そのころの心境などを呼んだ句がいくつもあるので、あした、他の物も紹介します。

4月

 4月になると、新学期が始まります。新1年生は、新たな生活が始まります。その時期が、外国では9月のところが多いのですが、日本では4月というのは、四季の中で、門出の時期としては桜が咲き乱れ、さまざまな生き物が長い冬を終えて、一斉に息づく季節ということでふさわしいのでしょう。
 江戸時代に、やはり4月に新たな生活が始まる習慣がありました。江戸幕府が大名を統制するために寛永12年(1635)に制定された基本法令「武家諸法度」の第2条にこんなことが定められています。
「大名・小名在江戸交替相定ムル所ナリ。毎歳夏四月中、参勤致スベシ。従者ノ員数近来甚ダ多シ、且ハ国郡ノ費、且ハ人民ノ労ナリ。向後ソノ相応ヲ以テコレヲ減少スベシ。但シ上洛ノ節ハ、教令ニ任セ、公役ハ分限ニ随フベキ事。」(大名や一部の旗本は自分の封地(領地)から江戸へと(1年ごとに)毎年4月に参勤すること。最近はお供の数が多く、領地や領民の負担となる。今後はふさわしい人数に減らすこと。ただし上洛の際は定めの通り、役目は身分によること。)
 「参勤」とは、江戸に伺候することで、「参勤」を終えると、大名はお暇をいただき、江戸から封地に戻り、自分の領地で支配に就きます。これを「就封」といい、これを総称して「参勤交代」といいます。このような制度の中で、江戸に赴くのを毎年4月にしなさいと定められているのです。しかし、4月交代は外様大名においてで、その後の制定で、関八州の中の譜代大名は2、8月交代か、12、8月交代で、半年ごとに交代することなどが定められています。
 それにしても、素晴らしい決まりを作ったものです。素晴らしいというのは、もちろん、徳川政権の長期支配をねらったもので、十分にその機能を達成しました。参勤交代は、諸大名に出費を強いることでその勢力を削ぎ、謀反などを起こすことを抑止するためだったとされています。また、道中は軍事訓練の一環として位置付けられていました。ですから、本陣で夜大名が休むときにも控えの間の家臣たちは一晩中起きていたそうです。
 しかし、参勤交代の制度によって、いいこともありました。江戸と封地を往復する大名行列の往来は、5街道をはじめ、瀬戸内航路などの水陸交通網の整備をもたらしました。また、彼らが宿泊や休憩をする場所である本陣や旅籠が発展し、そこに商家を中心とした宿場町や港町ができました。また、大名をはじめとして、その家来たちが江戸と地元を交代することで、お互いの文化が交流します。特に、情報がない時代に、江戸の文化、風俗、考え方、土産品などが地方にもたらされ、江戸の文化を模した「小江戸」が各地にできました。
 この「武家諸法度」は、最初は徳川秀忠の名でだされていますが、実際は、徳川家康が以心崇伝らに命じて起草させ、1635年の大改訂の時の起草は林羅山が行っています。その改訂版に参勤交代が明記されたのです。この制度によって大名へのけん制の意味だけでなく、その経済効果は莫大であったようです。高速料金一律1000円の効果と比べてどうでしょうか。しかし、武家諸法度には、このほか、道路交通を停滞させてはならないことや私的な関所設置の禁止も定められており、高速料金一律1000円による渋滞や、料金所のトラブルが多いことなどからすると、よほど配慮しているようですね。

老い2

 「老いてますます盛ん」というと、赤瀬川原平著「老人力」を思い出します。この老人力は、年をとることを肯定的に捕らえる言葉として流行りました。「人は老いて衰えるわけではなく、ものをうまく忘れたりする力、つまり老人力がつくと考えるべきである」という逆転の発想と、端的な表題が人々の受け入れるところとなって、ベストセラーになりました。1998年には、第15回「新語・流行語大賞」で、トップテンに選ばれました。
 しかし、この「老人力」とは、「老いてますます盛ん」ということと少しニュアンスが違います。「老人力」とは、年をとっても、衰えるどころか、ますます活動的になるという意味ではなく、年をとって、活動が鈍くなることで、また違う価値が生まれるのではないかという意味です。物を忘れるようになってきたということを「老人力がついてきた」というふうに言いかえようという、あるシャレから始まったようです。
 また、なぜ赤瀬川さんが、このような言葉を考えたかというと、こう言っています。「“老木”という言葉は昔から、古くから使われて味があったが、だんだん老人が敬われなくなってくる傾向、特に戦後のアメリカナイズされていく中で、若者的な力と言いますか、機能と経済中心の世の中になって、だんだん老人という言葉も余り大っぴらに言えないような雰囲気になってきたわけです。」確かに、老人という言葉は、マイナスイメージのほうが多いですね。
 「若者中心、筋肉中心の考え方からいうと、衰えていく力というようになると思うんですけれども、むしろ衰えることによって入ってくる力ですね。弾き返したものが自然に入ってきて、それを捕まえられるという、それは非常に地味だけれども、内面的には勇気の要ることだと思うわけなんですよね。」その力を、赤瀬川さんは、「老人の勇気」といいます。結局言いたいことは、「余りにも今の世の中は頭で考える論理優先といいますか、機能優先、経済優先といいますか、そういうことになり過ぎている。しかし、そうじゃないところの、そういう考え方の世界からちょっと押し退けられている、落としちゃっているものを見ないと、結局は人生何もなかったということで終ってしまう。本当の楽しみというのは、機能を離れて、お金を離れて、多少のお金というのは要りますので、お金を捨てるということは非常に難しいことですが、これができたら大変な哲人になれると思うんです。」
 この言葉は、不景気、経済危機といわれている今の時代では、必要なことです。また、東大教授の姜尚中さんは、ベストセラーになった「悩む力」という書籍の第九章「 老いて「最強」たれ」という中で、「老人力」について書かれています。「『老人は権威によりかかる』とか、『老人は保守的である』とか言われてきましたが、今後はそれもあてはまらなくなる可能性が高いのです。ゆえに、これからの『老人力』とは何かと問われたら、『攪乱する力』であると私は答えたいと思います。子供はどんどん減っていきますが、老人はどんどん増えていきます。ですから、この社会は、もしかするとアナーキーなほうに向かうのではないかという気も少ししています。とはいえ、これは悪い意味で言っているのではありません。老人の『攪乱する力』は、生産や効率性、若さや有用性を中心とするこれまでの社会を、変えていくパワーになると思うからです。」
 この「攪乱する力」も、今の時代に必要なことでしょう。それが、「老いてはますます盛ん」にならなければならない所以でしょう。

老い

いよいよ4月10日から「レッドクリフ Part2」が公開されます。この話題は何度もブログで書きますが、この元になっている三国志の面白さは、先日の絆の中ではありませんが、三国それぞれに、有能な武将が登場することでしょう。そして、その武将たちの活躍と、彼らが使える王が変わるきっかけが面白さを増していると思います。特にその中で、この映画には出てきているかわかりませんが、劉備玄徳に使える“五虎大将軍”という武将たちが、それぞれ自分の特性を生かして、それぞれの場面で活躍する逸話が三国志を面白くしています。この五人とは、三国志演義の中で、漢中を平定し、漢中王となった劉備が諸葛亮の進言により、古参・新参を問わず信頼と功績のある武将5人に五虎大将軍の称号を授けた人たちです。その5人は関羽、張飛、趙雲、馬超、黄忠です。その中で、関羽、張飛はもちろん、映画「レッドクリフ Part1」の中では趙雲が活躍して、目立っていました。
この中で、今回の映画の舞台である赤壁の戦いがきっかけで劉備に使えるのが「黄忠」です。出身は、中国茶のブログで書いた荊州南陽郡で、始めは、荊州の劉表に仕えており、長沙の攸県の守備の任についていました。その後、劉表が亡くなり、魏の曹操が荊州を降伏させた後は、職務はそのままで長沙太守の韓玄の配下についたのです。
そこで、「赤壁の戦い」で、この曹操と劉備が戦うのです。故pの戦いで劉備が勝利をおさめ、荊州南4郡を平定します。その時から、黄忠は劉備に仕えることになるのです。その時には、すでに60歳を超えていたといわれています。そして、益州に入り、劉備軍の一将として劉璋を攻撃し、いくつかの陣地を攻めおとし、益州平定した後、討虜将軍に任命されます。
その後の活躍はすざましいものがあり、その勇猛さは軍の中でも鳴り響きます。219年、劉備が漢中攻めを行ったときに定軍山において、やはり曹操配下として勇猛果敢として名を知られていた夏侯淵と対峙したときも、黄忠は率先して軍を率い、一度の戦闘で夏侯淵を切り大勝利をおさめます。これにより、曹操は漢中の足がかりを失い、劉備は漢中を平定し、漢中王になる事になります。このときの功績で征西将軍に昇進しました。
劉備に仕えていた頃の黄忠が老人であったかどうかははっきりしていませんが、これらの老いても勇猛果敢な黄忠の伝説から、「老いてますます盛ん」な人の事を 老黄忠と呼ぶようになりました。
老いに近づく年齢になる時、弱ってくると思わないで、「老いてますます盛ん」といわれるようなことをしていきたいですね。

 今、日本では、ペットボトルのお茶の中で、緑茶や紅茶同様に中国茶が売られています。ずいぶん前からですが、ウーロン茶はすでにポピュラーですし、中華料理屋でよく出るジャスミン茶やプーアル茶などもよく飲まれるようになっています。また、葉からだけでなく、あの香りの強いきんもくせいの花から作られた桂花茶のような花茶というものもあります。実は、ジャスミン茶(茉莉花茶)もその仲間です。ずいぶん前に、桂林に行った時には、いつもそのお茶でした。
 また、最近、いろいろなところで、中国茶を飲ませる店が増えてきています。同時に、そこでは茶葉とか、中国茶器なども販売していますし、店内で飲むときには、あるパフォーマンスをやりながら注いでくれるところもあります。そのように、日本の茶道のように中国にも茶道があるようです。それほど本格的ではなくても、お茶の飲み方は違うようです。やはり私が上海に自然教育の視察で訪れた時に、先方の農林局の職員は、茶葉を入れた水筒のような筒にお湯を入れて飲んでいました。そして、飲み終わると、どこかに立ち寄って、そこにお湯を足してもらっていました。その時に、中国では茶葉はお湯の中にいつも入っていて、苦くならないのか、また何回もその茶葉で飲んで味が薄くならないのかと不思議でした。
 こんな中国茶の話を、話題のレッドクリフに絡んで中国茶評論家の工藤佳治が朝日新聞に書いていました。「吉川英治の小説「三国志」の冒頭は、黄河沿いの船着き場で、船が着くのを待つ劉備のシーンから始まる。故郷に帰るのに、当時の都・洛陽から船に乗っている商人が運んでくるお茶を、働いてためたお金で、買って帰ろうというのだ。故郷の母へのお土産である。物語の時代は、後漢後半。2世紀の終わり頃の話であろう。お茶が薬から飲料としての定着が次第にされ始めた頃である。洛陽から黄河を下る船に載っていたお茶は、いったい何であったろうか。当時、洛陽は栄え、各地の物資の交流は盛んであったという。洛陽ではお茶は採れなかったはずだ。小説で吉川英治も書いているように、当時お茶は、若造が働いてためたお金くらいでは買えない高価なものであったろう。洛陽は、現在の省でいえば河南省の都市。洛陽よりずいぶん南だが、河南省には紀元前後からの茶区がある。現在も、信陽毛尖というお茶が作られている。映画のタイトルになっている「赤壁」は、現在では湖北省赤壁市。十年ほど前の地図を見ると、赤壁は、小さな地名として見ることは出来ても、市としての名前にはなっていない。お茶を産するところでも知られている。」とあります。
 中国でも、茶は最初は高級でしたし、取れるところは限られていたようです。しかし、中国茶というとずいぶんとその範囲は広いようです。分け方でもわかりやすいのですが、
製法によって大きく6種類になります。青茶・黒茶・緑茶・紅茶・白茶・黄茶で、これらを六大茶類と呼びます。この色の違いは、発酵の進行度合いにより、水色(淹れた茶の色)が濃くなり、味も濃厚になっていきます。日本同様、中国でも最もポピュラーなお茶は「緑茶」で、中国本土で消費される中国茶全体の消費量の7〜8割を占めます。
 ある程度発酵を進ませ、その後加熱処理を行った茶が青茶です。茶葉が発酵過程で銀青色になるため「青茶」と呼ばれます。その中で、よく揉みこまれ、茶葉のひとつひとつが球状とか曲がりくねった棒状になり、その茶葉の形が竜の姿に似ていて、色が烏のように黒いために烏龍茶と呼ばれるようになった茶も青茶の一種です。
 映画レッドクリフを見るとき、お茶のことを考えることで、映画の面白さが増されるかもしれません。

カモメ

 先日「チャイカ」という店に、ロシア料理を食べにいきました。その店のチラシには、「チャイカ」のいわれが書いてありました。「“チャイカ”とはカモメのことです。ロシア人なら真っ先にチェーホフを思い浮かべるところで、当レストランのマークもモスクワ芸術座にちなんだものです。次にカモメといえば、ソ連時代に世界初の女性飛行士テレシコワが言った“わたしはカモメ”(ヤー・チャイカ)が有名でしょうか。“チャイカ”という自動車も、ソ連時代には党幹部の乗る最高級車として知られていました。音楽家のチャイコフスキーという姓も、“カモメ”に由来するものです。ロシア人にとって、“チャイカ”は大変親しみのある言葉なのです。」(ロシア料理 チャイカのチラシより)
 たしかに、チャイカという単語は、ロシア語の女性名詞で、「カモメ」のことです。一般に広く愛されており、様々なものの名称や愛称に使用されており、姓だけでなく、旧ソ連圏各地では地名にも見られます。
 また、チラシにあるようにソ連の女性宇宙飛行士ワレンチナ・テレシコワさんが、1963年に宇宙船ボストーク6号の乗って女性で初の宇宙飛行を果たした際、無線交信で「ヤー・チャイカ」という言葉を言いました。この言葉は、「私はかもめ」というチェーホフの台詞に直訳されロマンチックなイメージで有名になりました。しかし、この言葉は、単にコールサインとして言ったもので、「こちら、“チャイカ”」というだけの言葉でした。
現在、若田さんが宇宙に行っていますが、どんな名言を地球に送ってくるでしょう。多くの言葉は、どうも事前に考えていくものが多いようですが、宇宙からということもあって、その言葉は地球で聞くと、とても響きます。歴代で有名なものに、1961年、人類として初めて宇宙飛行を成し遂げた、ソビエト連邦のパイロット、宇宙飛行士であるガガーリンの言葉でしょう。ちなみに、彼の時のコールサインは、「ヒマラヤスギ」でした。しかし、「僕は、ヒマラヤスギ」なんて言葉は残っていません。彼が残した言葉として有名なのは、「地球は青かった」です。これも、日本語に訳すと、もともとどのような意味で言ったかとは少し違ってくるかもしれませんが、真っ暗闇の宇宙で、地球は、さぞかし青く、美しかっただろうなと思いますし、そんな地球を大切にしなければと思います。ですから、この言葉は、真偽はともかくとして、大切にしたい言葉です。
初めて、月面着陸をはたしたアームストロング船長のセリフも、世界中を感動させました。「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな一歩だ」(This is small step for a man.But giant leep for mankind.)という言葉です。
まったく関係ありませんが、このブログを書いているときに偶然にイヤホンから「かもめはかもめ」(作詞・作曲 中島みゆき)という歌が流れてきました。「かもめは かもめ 孔雀や鳩や ましてや 女には なれない あなたの望む 素直な女には はじめから なれない 青空を 渡るよりも 見たい夢は あるけれど かもめは かもめ ひとりで空を ゆくのが お似合い」
実際のカモメは、集団で生活をしますが、この歌からは、リチャード・バックの小説「かもめのジョナサン」を思い出します。主人公のカモメ、ジョナサン・リヴィングストンは、他のカモメ達が餌をとるために飛ぶことに対して、飛ぶという行為自体に価値を見出してしまうのです。この生き方は、当時かなり影響を与えました。ただ、食べるためだけでは生きたくありませんが、やはり「大義」という目的は持ちたいですね。

好奇心2

 日本の学力低下は、OECDが行うPISAの学力調査によって言われることが多いのですが、私は、将来を見通しての教育改革を行う場合は、その結果を恐れる必要はないと思うのですが、どうもどうもあたふたとして、短期的な対策を練ろうとしている気がして心配なところがあります。それよりも、今の子どもたちは、学ぶ意欲をはじめとして、全体的に意欲がないことが気になります。その意欲は、昨日のブログでも書きましたが、大人が、子どもの好奇心の芽を摘んでしまっていることが多いような気がします。それは、少子化によって、子どもの世界に大人が過干渉になっているということが影響しているでしょう。
 それと、好奇心には、大人と子どもとの間の強い信頼関係が影響してきます。赤ちゃんの時から、子どもたちは大きな好奇心を持って、物事を見たり、触ったり、体験をしていきます。その時には、初めて体験することが多いのですが、当然、好奇心の裏には、恐れとか、失敗とか、マイナスになる可能性もはらんでいます。その恐怖を乗り越えて取り組もうとするためには、いつでも助けてくれるであろう大人が見守っていてくれるという安心感、信頼関係が育っていないといけないのです。つまり、好奇心を育てるためには、昨日書いたように環境を用意すること、大人の見守りが大切なのです。その見守りは、いつでも見てもらっているという信頼関係と、危険なとき、人に危害を加えるときなどにいつでも助けてくれるであろうというだけでなく、行動の規範を教えてくれるということもあります。しかし、むやみな制止は、子どもが持っている力を失わせることも多いことを知る必要があります。
 赤ちゃん学会の理事長である小西さんが、こんなことを書いています。「ハイハイが上手にできるようになった赤ちゃんは、自分の興味の向くままにどんどん移動するようになります。運動能力が育つと同時に、好奇心もどんどん強くなり、行動範囲がますます広がっていくのです。おもちゃなど興味の対象となるものを見つけると、一目散にハイハイで突進します。途中に、少々の高さの物や、時には人が寝転がっていても、乗り越えて目標に向かいます。こうした赤ちゃんの行動を見ていると、どんなところでもかまわずに移動してしまうかのように思えます。」好奇心は、危険を顧みずに突進していこうという力を生み出します。しかし、危険なところや不可能なことは大人がのぞいてあげたり、教えてあげなければと思います。ところが、赤ちゃんには「どういう所なら通れるのか」を判断する力が先天的に備わっていると小西さんは言います。
それは、ギブソンとウォークらにより考え出されたレッドクリフではなく、ヴィジュアルクリフ(視覚的断崖)という仕掛けを使った実験でわかっています。実験の内容は、台の半分を透明ガラスにした状態で、「台の地柄」と、「ガラスを通して見える地柄」を、同じ柄になるようにしておき、奥行きを知覚して、ガラスの手前で止まるかどうかをテストするものです↑具体的には、乳児を台の真ん中にのせ、両側からそれぞれ、母親に乳児を呼んでもらいます。すると、ガラスではない奥行きが無い方では、ハイハイしてくるのに対し、ガラスの奥行きがあるほうの台では、どんなに呼んでも止まってしまって、それ以上、動きませんでした。また、二つの台を間隔をとって置き、台と台に板を渡しておくと、赤ちゃんはその板の上をハイハイしますが、板を透明にすると赤ちゃんは渡りません。つまり、板を渡していなければ崖から落ちてしまうことが、赤ちゃんにはわかっていると小西さんは言います。
そして、こうしたことを判断する力は学習ではなく、赤ちゃんが生まれながらに持っているものだといわれています。それを大切に残しておこうという考え方が最近の育児の在り方のようです。

好奇心

今日は、年長さんのお別れ遠足についていきました。今までの園ですと、お別れ遠足というと山歩きや、尾根歩き、里山などに行きましたが、今の園は新宿にあるので行き先に悩んでいました。しかし、考えを変えて、新宿でないと行けないところということで昨年から上野にある「国立科学博物館」に行くことにしました。この国立科学博物館は1877年(明治10年)に設立された、日本で最も歴史のある博物館の一つであり、国立の唯一の総合科学博物館です。その前身はもっと古く、明治4年、文部省博物局の観覧施設として湯島聖堂内に博物館を設置したことに始まります。そして、翌年には、文部省博物館の名で初めて博覧会を公開しました。その後、明治8年に博物館を「東京博物館」と改称し、明治10年に上野山内、西四軒寺跡(現東京芸大の位置)に新館が一部竣工、東京博物館を「教育博物館」と改称したときを創立年としているのです。
この館の使命として示されているのは、「関係性」です。人々が、地球や生命、科学技術に対する認識を深め、人類と自然、科学技術の望ましい関係について考えていくことに貢献することを使命としています。そして、自然や科学技術に対する適切な知識や科学的な見方・考え方を持ち、自然や社会の変化に適切に対応し、合理的な判断と行動ができる総合的な資質・能力である科学リテラシーの涵養に資するための様々な事業を行っています。
この「国立科学博物館」のキャッチコピーは、「想像力の入口」ですが、子どもたちは、展示されているものにどん欲までの好奇心を持って見つめ、触れるものはすべてわれ先に触り、試せるものはすべて試そうと必死です。まったく、あきれるほど必死で群がります。この姿を見ると、本来子どもたちが持っている「好奇心」が、世の中を変えてくのだろうという実感を持ちます。理論物理学者であり、ノーベル物理学賞受賞したアインシュタインが言った「私には特別な才能などありません。ただ、ものすごく好奇心が強いだけです。」という言葉を思い出し、民俗学者であった柳田国男が「学問は興味から、もしくは好奇心からはいったものがもっとも根強い。」という言葉のように、この好奇心が小学校に行ってからの学問に対する自発的な学習の下になってくれるといいなあと思いました。
この好奇心とは、高等な動物に多くみられる行動のようです。しかし、その好奇心の対象として最初に持つのは、自分の体といわれています。赤ちゃんには、生まれつき人間への関心があるようです。ある実験で、無生物と人間の顔を赤ちゃんに近づけたところ、ほとんどが人間の顔をじっとながめたという結果が出ており、特に、3?4カ月ごろからは同年代の子どもに対する関心が強く、じーっと見つめたり、声をかけたり笑ったりという行動をとります。しかし、まだ他の子どもへ働きかけることはできません。そこで、まず、自分自身の体に関心を持ちます。指をしゃぶったり、手をじっとながめたり、自分の体に関心を持つのです。人は、生れつき好奇心が強いといわれています。赤ちゃん時代の好奇心の持ち方はその後の発達の大事な基礎になるのです。しかし、この好奇心は、時として大人にとっては困った行動になることが多いのです。やたらと触りたがり、物を壊し、部屋を散らかし、すぐ飽きて違うところに興味を持ったり、勝手に出てしまったりします。そのたびに大人に怒られるのです。
もちろん、触ってはいけないものもありますし、壊しては困るものもあります。しかし、ここ国立科学博物館にあるように、子どもの興味関心、好奇心を満たすように存分に触れるものがあると、触ってはいけないものには触りませんでした。子どもたちは、一生懸命好奇心を満たそうとしているからこその行動ですので、何をしても大丈夫、これなら大丈夫という環境づくりをできるだけ考えないといけないですね。

ステーション

 今、若田さんが宇宙ステーションで生活しながら日本の居住地区を建設していますが、宇宙空間で建設中の国際宇宙ステーション(ISS)全体が完成するとサッカー場くらいの大きさになるそうです。この宇宙ステーションが、条件がそろえば、日の出前と日没後の2時間ほどの間に地上から肉眼でも見ることができるそうです。もし見えたら、あの国際宇宙ステーションの中で住んでいるんだと思うと不思議な気がするでしょうね。
JAXA(宇宙航空研究開発機構)では、ISS(国際宇宙ステーション)が、いつ、どの方角に見えるかという情報を掲載しています。JAXA とは、2003年10月に、宇宙科学研究所(ISAS)、航空宇宙技術研究所(NAL)、宇宙開発事業団(NASDA)が1つになり、宇宙航空分野の基礎研究から開発・利用に至るまで一貫して行うことのできる機関として誕生した独立行政法人 宇宙航空研究開発機構です。通称ジャクサと呼びます。このHPでは、また、人工衛星や国際宇宙ステーション(ISS)を初めて見る人でも、観測しやすいように、基本的な注意事項が示されています。どの地点で、どのような角度で見ることができるかという角度が示されています。すると、東京からはかなり仰角が低いので見えにくいような気がします。仰角とは地平線からの角度のことですが、その角度が低いと、地平線に近くなるので、特に東京では建物があったり、地方では木などがあったりして見えにくく、また、大気がうすぼんやりしてしまいます。もちろん、雲などがある場合は見ることができません。ですから、最大仰角は、30度以上のものを選ぶとよいと助言をしています。もっともよく見えるとしたら90度に近いほどよいのですが。調べてみると、どうも東京では4月1日がいいようです。東京上空を通過するので、仰角も高く、45度以上はありそうです。
どのくらいの明るさで、どんな感じで見えるかというと、「-1等星ぐらいの光の点が飛行機のようにすーっと移動していくイメージ」といいます。冬の星で、すべての星の中で一番明るいといわれるシリウスと同じくらいの明るさだそうです。ただ、金星の-4等級、木星の-2等級よりは暗いとはいえ、かなり明るいですね。ですから、充分に明るくなっていますので、望遠鏡や双眼鏡は使わないほうがいいようです。というのは、倍率の高い望遠鏡や双眼鏡などでは視野が限られてしまうので、見逃す可能性があるからです。肉眼で探す方が早く見つけられると助言そしています。また、同じような光の飛行機の場合は、点滅したり、赤や青のランプを持つので区別は付くようです。
何時くらいに見えるかというと、日没後と日の出前の2時間ぐらいの間だそうです。ただし、地球の影へ出入りするため、急に現れたり、途中で消えたりする場合もあったり、見える時間も1分程度、予測値が変更されることがあるので、確実に見るためには、かなり事前の調べがいるようです。ちなみに、4月1日に東京で見ることができる時刻は、19時27,8分ころのようです。
まだ私は見たことがないので、ぜひ見てみたいと思います。皆さんも宇宙航空研究開発機構のHP(http://kibo.tksc.jaxa.jp/)で、自分たちの住んでいる地域で見ることができる日時を調べて、見てみてください。見ることができた方は、コメントにどんな様子だったか、入れてください。東京よりも、暗くなる地方のほうがよく見えると思います。

調査結果

今月の18日に厚生労働省から「21世紀出生児縦断調査(特別報告)結果の概況」が発表されました。この調査は、「2001年ベビーの軌跡(未就学編)」といわれ、平成13年より毎年調査・公表している「21世紀出生児縦断調査」をもとに、出生から5歳までの間の家族状況、母の就業状況の変化、子どもの成長等を多面的に分析し、取りまとめたものです。この調査の目的は、21世紀の初年に出生した子の実態及び経年変化の状況を継続的に観察することにより、少子化対策等厚生労働行政施策の企画立案、実施等のための基礎資料を得ることを目的としています。しかも、厚労省が行うだけあって、01年生まれの子どもの親を対象に01年度から毎年追跡して調べ、6回目の06年度は欠かさず回答した約3万6千人分を集計しています。
今回の結果の一部が、新聞に掲載されていました。それは、5歳6カ月になった子どもの行動を、2回目(1歳6カ月時点)に聞いた「休日に父と過ごす時間」と照らし合わせたものです。その結果は、「1歳の時、休日に父親と過ごす時間が長かった子どもほど我慢強く、落ち着いて話を聞けるようになる。」というものです。そこで、厚生労働省は、子育てに父親の参加が大切なことを示すデータだとみています。
「我慢すること」ができると答えたのは、父親と過ごすのが「1時間未満」だった子で67%でしたが、「1?2時間」は70%、「2?4時間」は71%、「4?6時間」は72%、「6時間以上」は76%でした。「落ち着いて話を聞くこと」ができるのも、それぞれ77%、79%、80%、81%、82%で、父親と過ごす時間が長いほど割合が高かったという結果でした。
 また、「ひとつのことに集中する」「感情をうまく表す」「集団で行動する」「約束を守る」もほぼ同じ傾向で、できると答えた割合は「6時間以上」が「1時間未満」を2?5ポイント上回っています。この結果から、厚労省は「父親が幼児期に触れ合う機会を積極的に取ることの大切さがうかがえる。父親の子育てへの意識の芽生えにも効果があるのでは」としています。
 先日、姉妹園の卒園式で、近くの校長先生が祝辞の中で、「子どもを育てるうえで、やさしく受け止める母親の愛と、厳しく教える父親の愛の両方が必要だ。」と言いましたが、後で、保護者の一部から母子家庭がいる中で、軽率な発言だという苦情がありました。そういうことを言うと、今回の厚労省の発表はどうなるのでしょうか。
 また、こんな結果もあります。きょうだい構成別に、コンピュータゲームをする子の割合の変化では、「兄姉あり」は「兄姉なし」に比べ、「コンピュータゲームをする」割合が高くなっています。そして、「ゲームをしない」及びゲームをする場合「ゲームを1時間未満」するでは、「その日の出来事などを親に話しをする」、「「なぜ」、「どうして」と疑問に思うことを質問する」の割合が高くなっています。また、ふだんの日にテレビ(ビデオ、DVDを含む)を見る時間が少ないほど、「落ち着いて話しを聞くこと」「ひとつのことに集中すること」「がまんすること」「約束を守ること」の割合が高くなっています。 という結果を、兄姉がいる家庭もいるから出してはいけないのでしょうか。
「両親、兄弟がいなくてはならない」ということではなく、それぞれの家庭環境で気をつけなければならないことを言っているのでしょう。