自立

 子どもが小さいころの親子のスキンシップの大切さは、前頭葉の発達に影響しているだけでなく、大人になったときにいろいろな影響を与えることが分かっています。その一つとして、「添い寝」が見直されていますが、他にも昔は当然のように行われていた育児方法の中には、このスキンシップが多く含まれている気がします。たとえば、「母乳」をあたあえる時でも、必ず抱っこし、母子の体を密着しなければ与えられませんし、赤ちゃんを子守りしながら仕事をしなければならないためにしていた「おんぶ」も、母子の体を密着させます。そんなことを考えると、文明というのは、人と人を離していく方向に来ているのかと思ってしまいます。しかし、より科学が進んでくると、もう一度昔の育児が見直されることもあるかもしれません。私の園でも、子どもをおんぶしてくる親子がいますが、その姿がなんだか懐かしく見えます。
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また、最近の研究では、添い寝によって結ばれる親子の絆は、母親に限らず、父親達もまた同じ場所で寝、より多くの時間を赤ちゃんと共にすることにより絆を深め、またそれを楽しんだということが報告されています。
 また、逆に最近の問題として、どのように「母子分離」を図るかがあります。早稲田大学人間科学学術院教授の根ヶ山光一さんが、「発達行動学」の面から人間の子育ての特徴を言っています。
「子育てを子別れとしてとらえるということは、愛や触れ合いで語られることの多い母子関係に「反発性」「分離」の意義を認めることである。」このような観点から子育てを語ることは、私は、少子時代では意識しなければならない気がします。ただ、私たちからすると「反発」という言葉は、そうしてもマイナスイメージがありますが、根ヶ山さんは、反発性は「健全」なものであるといって、このように説明しています。
「健全な反発性は子どもの自立を促す。過ぎたるは及ばざるがごとしということわざがあるが、親の優しさも行きすぎると子どもの自立をそこないかねない。苗に水や肥料を与えすぎるとかえってよくないのと同じで、要は親和性と反発性の適度なバランスが肝心である。たとえば出産も、体内での保護からの脱却と考えれば一つの反発性だし、離乳も母乳という保護手段の終焉を意味する。また親が歩行を促し、その結果歩けるようになることによって抱きという保護が不要になる。このように、子どもの自立の背後には母子の身体関係の変化が横たわっている。子別れに着目するとは、親子関係の発達において両者の身体がもつ意味を再認識するということでもあるのだ。」
このような視点に立ったとき、子どもの発達について新たに注目されるべき切り口として「身体接触」「食行動」「事故」という側面をあげていることは、まさに今の社会での問題のような気がします。この側面からの考察は、私たちが保育のなかで目指しているものととても近いものを感じます。このようにまとめています。
 「そもそも動物が育児書も育児相談もない状況で首尾よく子育てができるのは、身体にもともと備わった感覚に身をゆだねてそれに導かれることが大きな理由である。それが身体の規定力というものである。これは子どもにも備わった能力であり、むしろおとなの身体がもつ規定力よりもはるかに強い主張性を持っていると考えることもできる。動物の親には、子どもの身体からの訴えかけに従うことによって、自然と適切な子育てに導かれているということが多々ある。そのような子どもの持つ主体性を再評価したいものであるし、それと同時にそういった主体性・能動性がのびのびと発揮できるような環境作りと、それをふまえたおとなと子どもの望ましい共生の創生を模索していく必要があるだろう。」

自立” への5件のコメント

  1. 一般的に理不尽な行動をすることを「畜生にも劣る」と表現することがありますが、あれは畜生(動物)にとってとても失礼な言い方ですね。動物、たとえばゴリラやチンパンジーを見ても、人間ほど知能は発達していませんが、かわいいわが子を平気で殺したりしません。まして子どもが親を憎んで殺したりすることもありません。子育てだって、誰から教わるでもなく、ただ子どもたちの姿を見守りながら、ゆったりと関わっているような気がします。それは子孫を残すことが、親たちのとても大事な仕事だからです。人間と動物を比べて、はたしてどちらが子育てに優れているんでしょうか。

  2. 初めてコメントさせて頂きます。藤森先生のブログには、木登りの検索で共鳴させていただきました。以来、先生の子供たちに関する愛情とウィットに跳んだ内容の日記は、ある意味、人生の指針を与えて戴いているように思います。保育という現場からの体験を通して語られる”ことば”は、現在の厚労省や文科省の役人には見習って貰いたいと思います。私たちは人生の始まりという保育教育の原点から健全な教育を導きだす為の努力を人任せにしています。それは、経済的な余裕がないことや、諸事情があるにせよ私たちが健全な教育を受けていなかったからかも知れません。現在、情報が安易に取り出せるPCのお陰で知りたいことは大抵、事足ります。しかし、スキンシップという大切な関係性を養うことには、ほとんど無意識で無頓着になったようです。公園で、子供たちが遊ぶ姿の傍らでケータイを片手に見守る母親の姿は、観ていて不思議でなりません。
    コアラという動物は、毒性の強いユーカリの葉を分解する酵素を離乳期にウンチを食べさせるという行動でその酵素を受け渡します。それは、この酵素を体内で作ることが出来ないことと種としての生存の維持を図るからだと聞きました。
    私たちは、利便性を追求して手に入らない物はないほどの豊かさを享受しています。その反面、人間性の大切な思いやる心やいたわるこころを忘れたようです。木登りが禁止されている小学校の現実を聞いた時、モンスターペアレントやマスコミの攻撃を避ける為の言い訳にしか聞こえませんでした。
    現在、私は趣味のクライミングの技術を活かして子供たちに木登りを通して環境問題を、私の持てる体験や知識で、子供たちと共に楽しんいます。細心の注意を払っていますが、時々落下という事態が起こり得えないことを考慮して両親の承諾だけは取り付けています。藤森先生のブログでドイツの子供たちの健全な教育とは何を指すのだろうと今も、疑問でなりません。
    長文になり申し訳ありません。ありがとうございます。田中

  3. 「大人と子どもの共生」という言葉はいいですね。子どもの持っている力や主体性を認めるからこそ共生という言葉になるんですね。子育てに関しての情報が増え、物の進歩で便利になっていく中で、本能で子どもと向き合う部分が減ってしまっているかも知れないことをもっと意識しなければいけないと思います。基本を大切にして、もっとシンプルに子育てを考えた方がいいのかもしれません。

  4.  確かに動物は子育ての本や育児相談もできるわけもないのに、子育てができるのは凄い能力だと思います。もしかしたら獲物を捕らえる姿や食べ方などモデルを示しているかもしれませんが、だからと言ってあんなにスムーズに子どもが成長するのは、ブログにも書かれていますが、もともと備わった感覚なのでしょうね。同じ動物なら人間にもそのような子育ての能力が備わっている気がしますが、そうでもないのですね。親が子どもとの身体関係を間違った感覚で関わっているせいで、なかなか親離れが出来なかったり、自立も出来ないようになってきていると思いました。

  5. お母さんが子どもを「おんぶ」している姿は確かに「懐かしく」思えます。「健全な反発性」を我が子に感じるようになりました。父親の私が何か言うとほぼ必ず「反発」に近い言動や行動をとって来ます。その時子の成長あるいは自立への道を親として楽しめます。楽しいものですから息子が敢えて「反発」してくるような言動や行動をとってしまうこともあります。我ながら大人気ないと思いながらもどう切り替えしてくるか、とても楽しみです。園の子どもたちも年長さんを中心にいろいろな「理屈」を並べて話しかけてきます。それがまた楽しい。それでも「要求」してきたことには息子に対しても園の子どもたちに対しても満たすことにしています。満足している笑顔に「自立」をまた感じます。

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