グスク

たびたびブログで「○○100選」というのが登場します。各地を訪れる時、どうしてもいわゆる有名なところを訪れたり、案内してもらうとなると、何かしらの100選に選ばれていることが多くあるのです。それは、自然であることが多いのですが、文化財のこともあります。その中で「日本100名城」というものがありますが、これは、財団法人日本城郭協会が2007年に設立40周年の記念事業の一環として、日本国内の名城と呼ばれる城郭を公募したもので、歴史や建築の専門家などにより、観光地としての知名度や文化財や歴史上の重要性、復元の正確性などを基準に審査の上、2006年に選定されたものです。
この100選には、先日のブログで取り上げた「八王子城」や「小田原城」は選ばれていますし、今年は、是非とも訪れたいと思っている「天地人」の舞台である上越市の「春日山城」も選ばれています。
この100選の中で、沖縄県の城が三つ選ばれています。そのうちの二つ「今帰仁城」と「首里城」には、昨年、妻と訪れましたが、もう一つの「中城城」には、今回の沖縄での講演会の帰りに寄ることができました。どれも、「日本100名城」というだけでなく、国指定史跡や世界遺産にも選ばれています。沖縄では、城のことを「グスク」と呼びますが、これら琉球王国のグスク及び関連遺産群は、2000年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。
 首里城は、2千円札でも有名な守礼の門があります。門には、この名称で呼ばれている由来の扁額の「守禮之邦」という額が掛かっています。
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この首里城は、沖縄の琉球王国の歴史・文化を象徴する城です。沖縄の城壁は戦国大名の多くお城と大きく違うのは、曲線を描いている点です。いわゆる、角の石がないのです。また、万里の長城のように、長くある幅を持った石垣の壁で囲まれているいくつもの広場を持ち、また信仰上の聖地も存在しています。
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これらの特徴は、ここ首里城に限られたものではなく、グスクと呼ばれる沖縄の城に共通する特徴です。
首里城は国王とその家族が居住する「王宮」であると同時に、王国統治の行政機関「首里王府」の本部でした。しかし、明治になって、首里城から国王が追放され「沖縄県」となった後は、日本軍の駐屯地、各種の学校等に使われ、1930年代に大規模な修理が行われた。ところが残念なことに、1945年にアメリカ軍の攻撃により全焼してしまいます。戦後、跡地は琉球大学のキャンパスとなりますが、大学移転後に復元事業が推進され、今の姿を見せています。
今帰仁城は、「なきじんぐすく」と読みます。この城は、14世紀に琉球王国三山時代の三山の一つで、北山王の居城でした。
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 中城城(なかぐすくじょう)は、15世紀の琉球王国・尚泰久王代、護佐丸のグスクとして知られています。
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中城城は連郭式の山城で六つの郭で構成されています。
 これら沖縄のグスクの城壁は、主に琉球石灰岩の切石で積まれてします。1853年に来島したペリー提督も「要塞の資材は、石灰石であり、その石造建築は、賞賛すべきものであった。石は…非常に注意深く刻まれてつなぎ合わされているので、漆喰もセメントも何も用いていないが、その工事の耐久性を損なうようにも思わなかった」(日本遠征記)と記し、その石垣のすばらしさを讃えています。
 沖縄には、琉球文化が色濃く残っています。

グスク” への4件のコメント

  1. 一度だけ首里城を訪れたことがありますが、自分が知っている城とは雰囲気がまったく違うことに驚かされたのを覚えています。文化の違いを感じました。異文化に触れることは私にとってとてもいい勉強になります。戦争で破壊されたものをもう一度建て直し文化を伝えている姿勢から、ただ真似するだけでなく自分なりのものを自分で作っていくことも大事だと教えてくれているようにも感じます。次に沖縄に行くときは、ゆっくりグスクめぐりをしてみたくなりました。

  2.  沖縄のお城というのは初めて見ました。二千円札に載っている首里城は一応知っていましたが、そのほかのお城は知りませんでした。また城のことを沖縄では「グスク」と呼ぶのも初耳です。写真のグスクも私が知っている大阪城や熊本城、名古屋城に比べると石垣のつくりや、形態も全く違いますね。また変な話になりますが、テレビゲームのロールプレイングゲームに出てきそうな雰囲気がします(笑)沖縄には綺麗な海や自然、食べ物だけでないのですね。沖縄に行くときは琉球文化というものをじっくり肌で感じてみようと思います。

  3. 昭和20年のアメリカ軍の砲撃で焼け落ちた首里城が再建するまでのドラマは胸を打つものがあります。終戦の翌年、「源武雄」という男が、一人立ち上がって再建の署名運動を起こしました。彼の執念が実って、予算がようやくついたのが焼け落ちてから40年後の昭和60年。しかし再建までは、首里城の構造や色を調べたり、赤瓦を焼ける技術者を探したりと苦難の連続だったようです。首里城は、沖縄の人々にとっては、郷土の復興のシンボルだったんでしょうね。建物ひとつにもいろんな人間のドラマが秘められているものです。

  4. 沖縄にはまだ行ったことがありませんので、是非訪ねてみたいですね。沖縄の風土や文化、生活習慣などについて実際体験してみたいものです。太平洋戦争末期の沖縄戦の悲劇。本や映画などで知りました。沖縄に今いってもその跡を経験することができるのでしょう。そして現在なお沖縄に大きな問題として存在する「米軍基地」のことも同地を訪れたなら必ず関心の対象として生々しく私に迫ってくることでしょう。ところで先日日本には8つの言語が存在し絶滅の危機にあるとユネスコが発表したという記事に出くわしました。その中に「沖縄語」がありました。方言ではなく独立語としての「沖縄語」の存在に注目すると明治以降の日本政府の沖縄併合の史実を再考せざるを得ません。

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