今、ANAの機内誌に「日出づる国の鉛筆」という記事が掲載されています。どういうことかと読んでみると、北海道に、かつて国産鉛筆の木軸の8割をまかなっていた町があるといいます。それは、知床にある斜里町だそうです。ですから、タイトルの意味は、「日本で真っ先に昇る朝日を浴びて育った知床半島」の木が鉛筆に姿を変えて、私たちの学問を、産業を支えてきたということのようです。
この木の名前は、「イチイ」といいます。今は、全く作られていませんが、かつて北海道では、「まず、木を伐採して、土地を開拓しました。その木をマッチや鉛筆の軸の材料にした産業が、ずいぶん栄えたのです。」というのは、知床博物館の館長さんの中川さんの弁です。博物館の裏には、「イチイ」の木への感謝を表して、樹霊塔が建てられているそうです。
この「イチイ」という名前は、とても由緒があります。昔、中国では衣冠束帯に象牙の笏を持つことになっていました。その習慣にならって、日本でも貴族は笏を持つようになったのですが、その材料として、さまざまな木が試されました。その中で、飛騨の位山にあるこの木で作ったところ、とても出来栄えがよく、それを仁徳天皇に献上したところとても喜ばれました。そこで、褒賞としてこの木に「正一位」という最高の爵位を授けられて以来、この位にちなんでこの木のことを「一位・イチイ」と呼ぶようになったのです。そして、別名で、「笏の木」とも呼ばれます。
また、このイチイは多くの別名を持つことでも有名です。アイヌ語からは、「オンコ」とか「アララギ」という名前で呼ばれます。もちろん、この「アララギ」は、伊藤左千夫を中心に創刊された日本を代表する短歌結社誌の名前の由来です。最初は、「阿羅々木」という当て字で書かれていましたが、本来は「欄」と書きます。他にも、材面が赤いことから「アカギ」と呼ばれたり、材香木から「キャラボク(伽羅木)」と呼ばれたり、「クネニ」という名前は、「ク」は弓、「ニ」は木のことで、「弓になる木」をあらわしています。一位だけあって、いろいろな用途に使われたのですね。
この「イチイ」の木は、岐阜県の「県の木」に指定されていますが、それは、大野郡山之口村位山のイチイ林が古来から有名なことや、飛騨の代表的民芸の一位一刀彫があることなどからです。また、甲信地方ではごく普通に生垣として植えられているなど、山里の人々によく親しまれている木であることも理由の一つだそうです。また、北海道・東北地方にも自生しており、八戸地方では庭木や池垣として普及しています。ですから、八戸の「市の木」の木にも指定されています。以前、八戸駅に降り立ったとき、目の前に大きな「イチイ」の木が植えられていました。
この木は加工の容易さと材面の鮮やかさから、座机、見台、硯箱、短冊掛、仏壇などの和家具や、建築材として床の間廻りの床柱、床框、落掛や、箸や楊枝、ステッチなどの日用品や、寄木細工、木象嵌などの工芸品など幅広く利用されています。なかでも、狂いが少なく加工がしやすいイチイは、鉛筆の軸木には最適だったのです。
もうすぐ、新1年生が誕生します。しかし、誰一人、「イチイ」の軸の鉛筆は持っていないでしょう。それどころか、鉛筆も次第に過去の学用品になるのでしょうね。
昔は、大事な手紙や原稿を書くときは、鉛筆で下書きをして推敲を繰り返し、清書したものですが、今はパソコンで文章を整えることができます。本の大事な個所に印をつけるのに使っていた赤鉛筆が、今では蛍光ペンに変わりました。それほど鉛筆は絶滅危惧種なんでしょうか。私は、筆圧が強いので、シャープペンよりも鉛筆のほうが書きやすいですね。なにより、指先に感じる木の肌触りが好きです。あれが「イチイ」の木でできているとは知りませんでした。鉛筆をナイフで削っていた小学生の頃が無性に懐かしく思い起こされます。
新1年生の誕生はもうすぐですね。毎年この時期になると、自分は子どもたちに対して何ができたかと、反省することが多くなります。今年も反省することがたくさんあります。
一位の木というのを初めて知りました。一位一刀彫を見てみましたが、とてもきれいな色の木ですね。しかもいろんな用途に使われていたというところから、この木の存在の大きさを感じます。この木に限らず、木を使った製品や技術がどんどん過去のものになっていくのは、やはりさみしさを感じてしまいます。
最近は鉛筆を使う機会が全く無くなってきたように思います。今は、ほとんどの人がシャーペンを使っていますし、そっちの方が楽という理由もあると思いますが。
鉛筆といえばもちろん小学校1年生のときを思い出します。毎朝、鉛筆削りで削って、5,6本くらいでしょうか、それくらい筆箱に入れて持っていきましたが、それがいつからか、だんだん使わなくなりました。それが最近になって鉛筆の良さというのが分かってきました。握ったときの木のぬくもりや書いたときの黒鉛の硬さがとてもちょうど良く、文字を書くことが気持ちよくなってきます。それが時代が進むにつれて過去の学習用品になっていくのはとても寂しいことです。少なくとも1年生には鉛筆を使ってもらいたいです。そしていつかは鉛筆の良さを思い出す機会があればいいな、と思います。
小学1年生の息子の筆箱の中には3,4本の「鉛筆」が入っています。赤と青が一緒の色鉛筆も入っています。翌日のお道具調べが終わると手動鉛筆削りで1本1本鉛筆を削る息子の姿を見ます。自分の子どもの頃と重ねあわせることができて嬉しくなります。シャープペンシルやボールペンが入っていないのもいいですね。とは言うものの成長するにつれておそらく鉛筆から離れて行くのかもしれません。ところで、現在の「鉛筆」の木材は米国や東南アジア、中国もののようです。「イチイ」の木からできた「鉛筆」はどれほど書きよいのか、一度試してみたいと思います。