最近、園で節分の行事を行いました。地域の文化をきちんと伝承しようということ行事の一つの目的ですので、玄関には、柊の枝に鰯の頭を刺したもの(柊鰯)を飾りました。これは、鰯のにおいを鬼が嫌がるとか鰯を焼く煙を嫌がるとか言われていることと、柊の葉のとげを鬼が嫌がるからです。鬼は目を刺されることを嫌うので、柊の葉のとげで鬼の目を突く意味があるからです。
高尾山で有名な高尾町には、サイカチの木が植えてあるところがあります。サイカチの木は、幹や大枝に小枝が退化変形した鋭い棘があります。この棘は、何回も分岐を繰りかえします。棘は鬼から守るのではなく、一般的には草食動物から身を守るためといわれています。しかし、この地に植えられているのは、敵から守るために植えられているといわれています。
このあたりは、廿里古戦場と言われているところで、戦国時代の永禄12年(1569)10月1日、武田信玄の武将・小山田信茂と滝山城主・北條氏照の重臣・横地監物らとが一大血戦を行なったところです。甲斐の武田信玄は北條氏康の本拠である小田原城を攻めようとして2万の兵を引き連れて甲州を出発し、碓氷峠を越えて武蔵方面の北条氏の諸城を次々と攻略しながら南下して、滝山城を攻めるため拝島に陣をしきました。一方、信玄の武将で岩殿山城主・小山田信茂は小仏峠を越えて滝山城に向かって侵入します。小河内もしくは檜原から来ると思っていた北条方は意表を突かれ、氏照が命じて急いで廿里に戻り、迎え撃とうとしましたが、奇計を謀った小山田隊に敗北を喫してしまいます。この時に信茂がとった戦法は、前方・側面・後方から攻撃する「鳥雲の陣」(鳥のように集まり、雲のように散る)でした。
この後、武田軍により、北条氏照の居城である滝山城は三の丸まで攻め込まれましたが、かろうじて落城は免れました。信玄は滝山城の守りが堅いのを見て軍を退き、小田原城へと向かいます。小田原城では、北条氏康、氏政父子が、上杉謙信が小田原城へ迫った時と同じように籠城策をとります。その理由は、小田原城は難攻不落の城であり、たとえ、武田信玄勢が包囲しても、簡単に落城することはないと思ったからであり、また、攻勢にでた時に挟み撃ちにできると思ったからです。しかし、武田信玄は城下に火を放ち、たった4日間で撤退をはじめます。
小田原城
その後、加住丘陵を利用した滝山城は、北側は多摩川まで絶壁ですが、南側は標高差が小さく、南からの攻撃に弱点があることが明らかとなり、小仏峠を睨んだ強力な防衛拠点の構築を急ぎ、小仏峠に近い要害の地に八王子城を築き、本拠を滝山城から移転しました。また、滝は落ちるということから八王子城に移したといわれています。
八王子城
この北条氏は、北条政子のいわゆる北条氏と区別して、後北条氏と呼ばれていますが、今年はこの話題が何回か登場すると思います。というのは、この時に小田原城に籠城した氏康の7男で、上杉謙信の養子になったのが、NHK大河ドラマ「天地人」に出てくる「上杉景虎」なのです。ですから、景虎は、氏康の子である氏政や滝山城や八王子城の城主であった北条氏照とは兄弟なのです。
ことしの「天地人」めぐりの地は、八王子もその一つです。
私の母校の大学の創立者は、「世界桂冠詩人」の称号を授与されていますが、その作品の中に『滝山城祉に立ちて』というのがあります。『いにしえー ここは 激戦また激戦の戦場であった 幾たびか風雲動くも 断固と守り抜いた 難攻不落の名城 天守閣も石垣もなく 天然の谷や崖を活かした 関東屈指の山城なるか(中略)幾百年の四季は 巡り巡りて 底深い濠跡には今もなお もののふがいる如く 屋敷の平坦地は 当時のそのままに残る 武将たちが 月影を盃に浮かべ 軍鼓を空に響かせた その往時をそのままに 数百年もただ一日のごとく 歴史はここに歩みを止め 静謐なる緑と花の楽園として 人生の未来と平和を 呼吸している』返す返すも、学生時代、一度も滝山城祉を訪れなかったことが悔やまれてなりません。
サイカチの木を知らなくて調べてみましたが、すごい棘ですね。草食動物から身をしっかり守れそうですし、敵から守るために植えられたのもよく分かります。それにしても戦をするときは、戦術を考えたり自然を生かして守りを固めたりと、力だけでなく作戦が非常に大事になってくるんですね。相手や自分たちの戦力や地形などによって作戦は変わってくるんでしょう。自分の型にこだわりすぎるとうまくいかない気がします。自分ならどこまでできるだろうと考えてしまいました。
現在の大河ドラマは新潟の直江津が主人公とても関係していると思っていましたが、八王子にもゆかりがあるとは驚きました。自分が生まれた土地や住んでいる地域が大河ドラマにしても他の番組でも、話題になったり、有名な地域だと何だか誇れる気がします。私が生まれた場所や住んでいる地域があまり有名でないからかもしれませんが。
藤森先生みたいに何かテーマを決めてお出かけすることは本当に良いことだと思いました。きっと新たな発見が見つかる可能性が多くなりますし、自分の教養にもなります。私も何かテーマを決めてお出かけなどしてみたいです。
「サイカチ」の木は懐かしいものを感じます。なぜなら、私の祖母はこの「サイカチ」の木を「セーガツ」の木と言っていました。最初この音を聞いたとき「生活の木」という木があるんだと思っていました。その木の実をすりつぶした液状のものが擦り傷ややけどに効く、ということです。いずれにせよ「サイカチ」の木は祖母たちの「生活」に密着していたんだとわかります。訛りによって「サイカチ」が「セーガツ」となります。これは母音の階梯と子音の濁音化という方言特有の現象によります。「サイカチ」をローマナイズするとSAIKACHIとなります。AIは母音の階梯によりEの長音となりK及びCHの清音は濁音化してG及びD音に変わります。同じ日本語ですが地方地方によって訛りの豊かさが異なります。ちなみに家内が出た高校の文化祭は「サイカチ祭」と言っていました。よほど「サイカチ」が身近にあったのでしょう。