現在の子ども達は、バーチャルな世界での遊びが多く、実体験や野外体験が少なくなっています。それによって、反射神経や危険回避能力も低下してきています。また、最近問題になっている携帯電話ですが、この電話の使用に関する心配は、「コミュニケーション能力」の低下です。電話でもコミュニケーションしていると思いがちですが、真のコミュニケーションとは、相手の顔つきや、仕草や、動作からも読み取ることが必要です。電話やメールでは、それができませんから、前頭眼窩野が育たなくなります。この前頭眼窩野は、脳の疲れを見張っています。そして、脳をコントロールしています。この脳の部分は、25歳頃から衰え始めるのですが、現在は子どもの頃から衰えているというのです。その主な理由は人と人とのコミュニケーション不足なのです。テレビゲーム、携帯電話、メールなど生活環境の変化が、脳を低下させ、同様に危険回避能力まで低下させているのです。
それに加えて、最近のバリアフリーは、子どもにとっては、危険回避能力を低下させていることもあるように思います。私の友人から、安藤忠雄さんが執筆した「建築家」の抜粋を紹介されました。それは、「子どものための建築」というテーマの部分です。
「世間の「建物から一切の角を失くせ」言わんばかりの過剰な反応には納得がいかない。 遊んでいてガラスにぶつかったとしても、「子どもの側への注意を促す」という議論は一切なく、”ガラス”の加害責任ばかりを追及する。その責任から逃れるために、つくる側も、今度は当っても割れないガラスとか、さらにはガラスを使わないといった消極的な方向に流れていく。
巷では個性を伸ばす教育といった教育改革の文言がよく聞かれるが、子どもの個性、自立心を育てようという発送と、危険のありそうなものは全て排除して、徹底的に管理された環境で保護しようという発送は、全く矛盾している。ガラスに当たったら危ないことも分からないまま育つ子に、自己管理能力は身に付くだろうか。そんな過保護な状況にあって、果たして”生きている”緊張感、自分で何か工夫して問題を切り抜けようという創造力が育つだろうか。」
先日の児童館との子どもの怪我に対する話し合いで「角にクッションを貼ったら、今度は平らな所に頭をぶつけて大けがをしてしまった。」ということを聞きました。たぶん、クッションを貼ったために、そこは安全のように見えて、突進していったのでしょう。判断力が弱い子は、見るからに危険なように見せたほうがそれをよけようとするでしょうから。ものをたくさん置いてあったほうがぶつかって危ないように見えますが、逆にただっ広い空間のほうが、大きなけがをすることがあるのと同じです。安藤さんは、こう続けます。
「今の子どもたちの最大の不幸は、日常に自分たちの意思で何かが出来る、余白の時間と場所をもてないことだ。私が子どもの頃、街にそここに、まだポカンとした空き地があった。学校が終われば、当たり前に放課後の自由な時間があった。大人の定めたルールも何もないその空き地で、子どもたちは工夫して遊ぶ楽しさを知り、子ども同士で成長し合った。自然との付き合い方を学び、危険なところに立ち入ったら痛い思いをすることを覚えた。戦後日本の経済一本槍の社会が、子どもからこの空き地と放課後を奪った。」
いわゆる三間といわれる子どもの「仲間」「時間」「空間」が無くなってきていることが問題だといいます。この空き地は、危険がいっぱいあり、見ている人はいず、注意するのは経験豊かな年上の子です。そこで、自らの危険回避能力を養っていったのです。