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2009年02月28日 近頃思うこと

危険回避2

現在の子ども達は、バーチャルな世界での遊びが多く、実体験や野外体験が少なくなっています。それによって、反射神経や危険回避能力も低下してきています。また、最近問題になっている携帯電話ですが、この電話の使用に関する心配は、「コミュニケーション能力」の低下です。電話でもコミュニケーションしていると思いがちですが、真のコミュニケーションとは、相手の顔つきや、仕草や、動作からも読み取ることが必要です。電話やメールでは、それができませんから、前頭眼窩野が育たなくなります。この前頭眼窩野は、脳の疲れを見張っています。そして、脳をコントロールしています。この脳の部分は、25歳頃から衰え始めるのですが、現在は子どもの頃から衰えているというのです。その主な理由は人と人とのコミュニケーション不足なのです。テレビゲーム、携帯電話、メールなど生活環境の変化が、脳を低下させ、同様に危険回避能力まで低下させているのです。
それに加えて、最近のバリアフリーは、子どもにとっては、危険回避能力を低下させていることもあるように思います。私の友人から、安藤忠雄さんが執筆した「建築家」の抜粋を紹介されました。それは、「子どものための建築」というテーマの部分です。
「世間の「建物から一切の角を失くせ」言わんばかりの過剰な反応には納得がいかない。 遊んでいてガラスにぶつかったとしても、「子どもの側への注意を促す」という議論は一切なく、”ガラス”の加害責任ばかりを追及する。その責任から逃れるために、つくる側も、今度は当っても割れないガラスとか、さらにはガラスを使わないといった消極的な方向に流れていく。
 巷では個性を伸ばす教育といった教育改革の文言がよく聞かれるが、子どもの個性、自立心を育てようという発送と、危険のありそうなものは全て排除して、徹底的に管理された環境で保護しようという発送は、全く矛盾している。ガラスに当たったら危ないことも分からないまま育つ子に、自己管理能力は身に付くだろうか。そんな過保護な状況にあって、果たして”生きている”緊張感、自分で何か工夫して問題を切り抜けようという創造力が育つだろうか。」
 先日の児童館との子どもの怪我に対する話し合いで「角にクッションを貼ったら、今度は平らな所に頭をぶつけて大けがをしてしまった。」ということを聞きました。たぶん、クッションを貼ったために、そこは安全のように見えて、突進していったのでしょう。判断力が弱い子は、見るからに危険なように見せたほうがそれをよけようとするでしょうから。ものをたくさん置いてあったほうがぶつかって危ないように見えますが、逆にただっ広い空間のほうが、大きなけがをすることがあるのと同じです。安藤さんは、こう続けます。
 「今の子どもたちの最大の不幸は、日常に自分たちの意思で何かが出来る、余白の時間と場所をもてないことだ。私が子どもの頃、街にそここに、まだポカンとした空き地があった。学校が終われば、当たり前に放課後の自由な時間があった。大人の定めたルールも何もないその空き地で、子どもたちは工夫して遊ぶ楽しさを知り、子ども同士で成長し合った。自然との付き合い方を学び、危険なところに立ち入ったら痛い思いをすることを覚えた。戦後日本の経済一本槍の社会が、子どもからこの空き地と放課後を奪った。」
 いわゆる三間といわれる子どもの「仲間」「時間」「空間」が無くなってきていることが問題だといいます。この空き地は、危険がいっぱいあり、見ている人はいず、注意するのは経験豊かな年上の子です。そこで、自らの危険回避能力を養っていったのです。

投稿者 fujimori : 23:20 | コメント (5)

2009年02月27日 近頃思うこと

危険回避

 数年前から脳の「前頭葉」の働きが注目を浴びています。脳のこの部分は、人間しかもっていないもので、いわゆる人間しかできないものを司どっているといわれています。いわゆる「コミュニケーション能力」や「問題解決能力」などの、これからの時代において「学力」と呼ばれる力や、昔から必要といわれている「創造力」や「思考力」などに関係しているといわれています。また、数年前から問題視される「キレる子」の原因である「行動抑制力」も関係します。このように、さまざまな力、心は、胸にあるのではなく、脳に関係することは最近は誰でも知っているようになりました。ですから、昔から言われている「勉強」に関することだけでなく、脳を育てることはとても重要なことなのです。それに対して、キレる子だけでなく、最近の事件や子どもに関する問題は脳の低下によるものも多いようです。
 最近、子どもがよくけがをすることが多いようです。そのことに関しての苦情が増えています。「見ていなかった」「危ないものを取り除いていなかった」「危険なものを子どもに使わせた」「セキュリティーが甘く、心配だ」というようなことです。しかし、原因はそこにないようです。どうも、脳の低下によるものだということが言われています。
 たとえば不審者対策にしても、園の玄関が開放的だといっても、そこから不審者が入ってきて子どもに危害を加えるよりも、道や公園で危害を加える場合のほうが圧倒的に多いそうです。ですから、いざというときに子どもを守るのは、「子ども自身の危険回避能力」です。そのほかにも、子どもの周りには危険なもので満ち溢れています。それは、環境だけでなく、昨日のブログでも書いた包丁などの道具にもあります。また、危険な犬などの危険生物だけでなく、菌などもあります。それらすべてを取り除くことはできませんし、いつまでも付き添ってあげることはできません。そこで、子どもの危険回避能力を高め、子どもが自ら考え、答えを見つけていくことが必要になります。その力によって、いざというときの対応力が身につきます。
 危険回避能力など危険を予知する場合は「脳幹」で感じます。そして、主に視覚から入った情報が視覚野、後頭葉で認知し、「反射神経」として回避することが可能になります。しかし、脳が低下しているとこの反射神経も若い頃から衰え、思わぬ事故や怪我を負うことになるのです。これら反射的な本能は、脳幹や視床下部など本能に関わる脳部が働くのですが、最近子ども達を中心に、この脳部が低下しているといわれています。
また、視覚や聴覚など五感で感じた危険も脳が関係しています。五感などの危険情報は前頭葉という脳で判断をして、瞬時にして回避しようとする行動を起こすのです。その時に、前頭葉が子どもの頃から衰えていると正しい判断、決定が行えないのです。
ここにも、最近の脳は、前頭葉が発達不足であるということが関係します。また、逆を言えば、危険を自ら回避する経験は、脳の前頭葉を育てることにもなるのです。鶏と卵のどちらが先かということと同じですが、危ないからと大人が先に危険を取り除いてしまうと、前頭葉が衰え、前頭葉が衰えてくると自らの危険回避能力が低下してくるというわけです。それとともに、学力も低下してくるのです。

投稿者 fujimori : 20:35 | コメント (4)

2009年02月26日 近頃思うこと

スイスの園

 ドイツの保育について、ブログで取り上げることが多いのですが、ある雑誌で聖徳大学の宮川さんという人がスイスの幼稚園訪問記を書いていました。スイスの幼稚園、小学校の方針は、「子どもをいかに自立させるか」であると小学校、幼稚園の長は明言したといいます。実は、この子どもが自分の力で生きていくスキルを学ばせるということの重要性は、ドイツを含めて、欧米ではどの国でも第一に挙げる方針です。また、保護者も自立を 園に対する要求として第一にあげます。宮川さんはこう言っています。
 「日本では、どうでしょうか。日本の幼稚園、保育園では、たとえば「いつもニコニコ元気な子どもに育てる」とか「情緒豊かな子どもに育てる」とか「子どもを健やかに育てる」といった園の方針が多いのではないでしょうか。勿論、日本の幼稚園教育要領や保育所保育指針でも子どもの自立は謳っています。しかしながら、振り返って、日本の状況を見てみますと、保護者や保育社の過保護とも思われる子どもに対する保育態度に少なからず遭遇します。このことは、決して悪い面ばかりではありませんが、子どもたちが成長して、社会人や家庭人になった時の真の意味での自立を妨げている可能性も否定できません。」
 最近、少子社会になったために、わが子に手や目が届くようになりました。手をかけられるようになりました。しかし、目が届くあまりに、危険や大変さに気がつくようになり、子ども自らその状況から脱しようとする前に、大人がその状況から子どもを救いだしてしまうことが多いようです。スイスの幼稚園のおやつの時間にこんな光景が報告されています。
「スイスでは、おやつは日本のように栄養士さんや先生が準備をするのではなく、2人の当番の子どもたちが、おやつの準備を始めました。男の子は、皆のためにリンゴを切る係です。小さなナイフを使って、リンゴを切り始めました。しかし今一つ上手に切れません。担任の先生は、お手本にリンゴをこういう風に切るといいと、ほんの2切れか3切れ切ってみせました。男の子は、先生から教えられたように、リンゴを切る作業を続けました。日本ではどうでしょうか。子どもが手にけがをしたらどうしよう。他の子どもたちを傷つけたらどうしようと考えてしまうかもしれません。このことを担任の先生は、次のように説明しました。子どもに危険であるから、ナイフを持たせないのではなくて、ナイフの危険を認識させつついかに危険を回避するかを、実際にナイフを使いながら学ばせるのがよい。勿論ナイフを使わせることについて、保護者に説明をして、同意を得ているとのことでした。こうした子どもたちの自立への訓練がごく自然に行われているのです。」
 昨日のテレビで、茂木健一郎氏が「育児とは見守ることである」と言っていました。見守ることで、過去の天才は生まれてきたという実例も出していました。しかし、それはとても難しいことです。というのは、傍から見ると「見守る」ことは「放っておく」ように見えるからです。そのどちらかは、見ている本人でないとわからないことが多いからです。たとえば、前述のナイフを使う場合でも、使おうとしているこの発達をきちんと理解していなければなりませんし、子どもを信じないと見守れません。もっと、子どもを信じるべきです。その心があれば、放っておくことにはならないのです。

投稿者 fujimori : 23:55 | コメント (4)

2009年02月25日 近頃思うこと

緩和か強化か

 今日のニュースでこんなものが流れました。
 「三越は4月から、東京・日本橋の本店と札幌店の閉店時間を原則として1時間繰り上げて、平日や土曜日は7時とする方針を決めた。そのほか6店も30分短縮し、4店は元日以外に年1~5日の休業日を設ける。売り上げ不振が長引くなか、営業の効率化を図るねらいがある。こうした営業時間の短縮は、他の百貨店に広がる可能性もある。」
 この記事にあるように、店舗の環境によってその取り組みは違うようです。また、売り場によっても変えるようです。たとえば、日本橋本店では、通常は午前10時~午後8時の営業ですが、1階と地下1、2階、飲食店以外の売り場の閉店時間を午後7時に早めます。また、30分短縮する6店以外はの集客が見込める店舗では、変更しないそうです。
 休業日も、競合店の少ない店舗が、場所によって設ける日数が違うようです。全体の動きとしても、「百貨店業界は90年代以降、休業日を減らし、営業時間を延ばしてきた。だが、最近はコスト削減や従業員の福利厚生のため、営業時間の短縮を求める声が強まっている。三越と同じ百貨店グループにある伊勢丹も、新宿本店以外の店で、営業時間の短縮や休業日導入の検討に入っている。」のようです。
 確かに、年々、店舗は営業時間が延びてきました。また、営業日も増えてきました。伊勢丹の歴史を読むと、「1994年5月以降、大店法の規制緩和と厳しい経済環境を背景に、百貨店各社において営業日の拡大と閉店時間の延刻が急速に進んでいきました。」とあります。この営業日数の増加、営業時間の延刻については、「収益性」「従業員の労働条件」「同業他社との競合」「百貨店としての役割」を4つの柱から検討されてきたようです。しかし、同時に労働条件に影響してきます。そのために、営業時間拡大に伴う労働条件の対応は、「総営業時間を延長する一方で、労働時間を短縮する」という一見相反する高い目標を掲げ、新たな就業形態や休日の考え方・設定の仕方について議論を重ねたそうです。ただ、従業員の労働条件の問題だけでなく、従業員の家族、特に子どもへの影響も考えてほしかった気がします。
 今は、規制緩和の観点から営業時間などは緩和されていますが、世界では、大型店の出店に対してさまざまな規制があります。それどころか、EU諸国では、規制強化をしています。また、地方分権から原則的に基礎自治体が、大型店の許可権限を持っています。その中で、開店時間の規制に関しては、閉店時間の延長(ドイツ閉店時間法の改正, 1996年11月)、日曜開店(イギリス The Shops Acts, 1950の改正, 1995)など規制緩和の方向もみられます。しかし、ドイツは、景気対策として閉店時間を2時間延長しましたが、採用したのは全商店の13%で、従業員100人以上の大型店だけでし、雇用にも貢献していないことから、3年後の1999年に再度見直されています。イギリスでは、日曜開店について15年間をかけて議論したそうです。これには、当然宗教的な理由もあるでしょう。
EUにおける商業では、規制強化がトレンドだそうです。とくにEUの諸国で、消費者に近接したサービスの提供と、中世、近世の街並みを保全、利用を一体的に追求していることは、まちづくりを中小商工業の振興の中心にしようとしている日本でも参考になるといわれています。不景気な今こそ、何が重要であるかということをもう一度考える時かもしれません。

投稿者 fujimori : 23:13 | コメント (5)

2009年02月24日 近頃思うこと

Q&Aサイト

 少し前のブログで、ネット上の検索のことを書きましたが、検索してその意味を調べる時には、辞書を使います。ことばそのものの意味を調べる時には、ネット上で三省堂の「大辞林」が自由に使えたり、他にも英和辞典や和英辞典、翻訳などが自由に使えるようになっています。また、百科事典機能もあります。多くの人に使われているものに、コピーや引用など自由に使える百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」というウェブサイトがあります。ここには広告は一切掲載せず、資金的には個人や団体などからの寄付により運営しています。また、その語句の説明などの書き込みにも誰でもが無料で自由に参加でき、世界各国の言語で展開されています。しかし、自由に書き込めるために、たまに信憑性を疑うような内容の時もあるようで、必ずしもそのまますぐに信用しないで、参考にする程度にしたほうがいいようです。
 もう一つ、検索したり、調べるときに有効な方法があります。それは、「Yahoo!知恵袋」や「人力検索はてな」や「教えて!goo」や「OKWave」というようなところに質問を出すと、だれかがその質問に答えてくれます。数人が答えてくれることもあり、そのやり取りを見ることで、いろいろなことを知ることができます。すなわち、インターネット上で質問を出せば、知らないことを教えてくれるだけでなく、相談事や悩みまで見ている人すべての膨大な知識を得ることができるのです。このようなQ&Aサイトの利用者は急増しています。ネットレイティングスが2008年4月に発表したデータによれば、2008年3月時点で「Yahoo!知恵袋」の利用者数は1261万人(1年前は465万人)、「教えて!goo」は781万人(同505万人)と、1年間で5割から2.7倍という高い伸びを示しています。さらに、ネットレイティングスの2008年12月24日付プレスリリースによれば、「Yahoo!知恵袋」や「OKWave」などのQ&A サイトは、家庭だけでなく職場でも使われるようになっているといいます。このように、なぜ見知らぬ人同士で、有益な情報交換が成り立つのか。また、蓄積された知識はどのように活用されているのか。ということについて、中央大学大学院戦略経営研究科の助教である折田明子氏が調査、分析をしています。
 折田氏によると、日本のQ&Aサイトの歴史は、2000年1月に運営開始された「OKWebコミュニティ」(現OKWave)に始まります。その後、2001 年7月には「人力検索はてな」、2004年4月には「Yahoo!知恵袋」がベータ版サービスを開始します。「価格.com」では、価格比較サイトの付加機能として1997年からクチコミができる掲示板を開設し、2000年3月から製品や型番単位ごとに書き込みができるようにしたそうです。
 現在、Q&Aサイトはどのように利用されているのかというと、ネット上の情報交換の経験については、回答者の4人に3人が「価格.com」の利用経験があり、約半数がYahoo!知恵袋および教えて!Gooを利用しているようです。「Yahoo!知恵袋」では特に「趣味について」(27.2%)、「家電やPCの購買・利用法について」(25.6%)、「健康や病気について」(20.8%)の利用が目立っています。
それにしても、不思議な時代になったものです。見知らぬ人に質問し、その回答を信じるのです。今の人は、身の回りの人に聞くよりも、見知らない人に聞いたほうが、気が楽なのかもしれません。

投稿者 fujimori : 23:44 | コメント (4)

2009年02月23日 近頃思うこと

株価

 私は、全く株はやりませんし、あまり興味もありません。しかし、たまに株価に注目するときがあります。それは、株価の上がり下がりで時代が分かることがあるからです。今日の「松竹の株価が後場急騰。98円高の744円まで買われ、高値引けとなった。」というニュースは、目を引きました。それは、松竹配給の「おくりびと」が現地22日、米アカデミー賞の外国語映画賞を受賞し好感されたからです。この受賞により、現在も上映している映画館があるため配給収入増加や、今後発売が予定されているDVDなどへの好影響を期待したために買いが入り、株価が急騰したようです。
 今年の初めにもこんなニュースが流れました。「スポーツ用品メーカー「ヨネックス」の株価は会見を行った25日に続いて上昇し、28日には一時は849円から100円ストップ高の949円まで急騰した。」というものです。
 この記事によると、株価の上昇は、会見後となっていますが、何の会見かというと、ヨネックスが、複数メーカーの争奪戦の末、勝ち取ったゴルフの石川遼との5年4億円の大型契約を結んだという内容した。その行方を注目していたのは、ゴルフやスポーツ関係者だけではなく、ゴルフ界を超えた人気を誇る石川の動きには、投資家も素早く反応したようです。同様に、松下電器産業とも5年5億円(推定)の所属契約も発表し、世界戦略を見据えて今秋から社名を「パナソニック」に変更する同社も“ハニカミ景気”が追い風となるかといわれています。ヨネックスの関係者は、「株価が上がっているのは知っていましたが、まさかストップ高とは。契約締結とメディアへの露出の効果でしょう。」とあまりの反響の大きさに驚いているようです。
こんなに石川効果があるので、年間2億円もの契約金は、1998年にワールドワン社と5年10億円の契約を結んだ尾崎将司に並ぶ史上最高額で、宮里藍、横峯さくらの6倍といいますから、すごいですね。
こんな株価の上がり型もあります。今年になって、「クボタ」の株価が上がりました。その理由は、農水省が農地の賃貸・売買の仲介に乗り出すと報じられたことから見直し買いが入ってきたからのようです。農業機械メーカーは、その政策で営業利益が増すと考えられたのでしょう。
株価は、基本的には他の商品と同様に需要と供給のバランスによって決まります。即ち、需要(買い)が供給(売り)より多ければ値上がりし、供給(売り)が需要(買い)を上回れば値下がりします。しかし、どんな時に買おうとするかということは、経済や社会の動きが反映されます。もちろん、「業績が好調である」ことが一番の要因ですが、現在だけでなく、「業績の見通しを上方修正した」というように、企業自身で利益が出そうだという見通しを立てた時にも買いが多くなります。そして、「新製品の発表」があったときなどは、株に興味のない私でも、その商品がどのくらい価値のあるものかを判断するために、注目します。
そのほかにも、天候や自然災害なども株価に影響を与えます。地震などで大きな災害が起これば被害にあった企業の株価にとってはマイナスですが、災害の復興需要を見込んで建設や土木関係の株価が高くなりますし、異常気象などで猛暑が続けば、ビールや清涼飲料、水着やエアコンなどの売上げが増えることから、これらのメーカーの株価が上がることになりますし、反対に冷夏になれば、これらの株価も低迷します。
 アカデミー賞も、いろいろなところに影響してくるのですね。

投稿者 fujimori : 23:23 | コメント (4)

2009年02月22日 近頃思うこと

自立

 子どもが小さいころの親子のスキンシップの大切さは、前頭葉の発達に影響しているだけでなく、大人になったときにいろいろな影響を与えることが分かっています。その一つとして、「添い寝」が見直されていますが、他にも昔は当然のように行われていた育児方法の中には、このスキンシップが多く含まれている気がします。たとえば、「母乳」をあたあえる時でも、必ず抱っこし、母子の体を密着しなければ与えられませんし、赤ちゃんを子守りしながら仕事をしなければならないためにしていた「おんぶ」も、母子の体を密着させます。そんなことを考えると、文明というのは、人と人を離していく方向に来ているのかと思ってしまいます。しかし、より科学が進んでくると、もう一度昔の育児が見直されることもあるかもしれません。私の園でも、子どもをおんぶしてくる親子がいますが、その姿がなんだか懐かしく見えます。
onbu.JPG
また、最近の研究では、添い寝によって結ばれる親子の絆は、母親に限らず、父親達もまた同じ場所で寝、より多くの時間を赤ちゃんと共にすることにより絆を深め、またそれを楽しんだということが報告されています。
 また、逆に最近の問題として、どのように「母子分離」を図るかがあります。早稲田大学人間科学学術院教授の根ヶ山光一さんが、「発達行動学」の面から人間の子育ての特徴を言っています。
「子育てを子別れとしてとらえるということは、愛や触れ合いで語られることの多い母子関係に「反発性」「分離」の意義を認めることである。」このような観点から子育てを語ることは、私は、少子時代では意識しなければならない気がします。ただ、私たちからすると「反発」という言葉は、そうしてもマイナスイメージがありますが、根ヶ山さんは、反発性は「健全」なものであるといって、このように説明しています。
「健全な反発性は子どもの自立を促す。過ぎたるは及ばざるがごとしということわざがあるが、親の優しさも行きすぎると子どもの自立をそこないかねない。苗に水や肥料を与えすぎるとかえってよくないのと同じで、要は親和性と反発性の適度なバランスが肝心である。たとえば出産も、体内での保護からの脱却と考えれば一つの反発性だし、離乳も母乳という保護手段の終焉を意味する。また親が歩行を促し、その結果歩けるようになることによって抱きという保護が不要になる。このように、子どもの自立の背後には母子の身体関係の変化が横たわっている。子別れに着目するとは、親子関係の発達において両者の身体がもつ意味を再認識するということでもあるのだ。」
このような視点に立ったとき、子どもの発達について新たに注目されるべき切り口として「身体接触」「食行動」「事故」という側面をあげていることは、まさに今の社会での問題のような気がします。この側面からの考察は、私たちが保育のなかで目指しているものととても近いものを感じます。このようにまとめています。
 「そもそも動物が育児書も育児相談もない状況で首尾よく子育てができるのは、身体にもともと備わった感覚に身をゆだねてそれに導かれることが大きな理由である。それが身体の規定力というものである。これは子どもにも備わった能力であり、むしろおとなの身体がもつ規定力よりもはるかに強い主張性を持っていると考えることもできる。動物の親には、子どもの身体からの訴えかけに従うことによって、自然と適切な子育てに導かれているということが多々ある。そのような子どもの持つ主体性を再評価したいものであるし、それと同時にそういった主体性・能動性がのびのびと発揮できるような環境作りと、それをふまえたおとなと子どもの望ましい共生の創生を模索していく必要があるだろう。」

投稿者 fujimori : 21:44 | コメント (5)

2009年02月21日 近頃思うこと

添い寝

 昨日、園にベルギーから3名の見学者が見えました。以前、世界文化社から発刊された「ベルギーの子育て」という、日本人によるベルギーでの子育て体験の本の帯封で推薦文を書いたことがあります。その内容については、また、後日書くことがあるかもしれませんが、世界での子育て事情というサイトの中で、ベルギー在住の方がこんな記事を書いていました。「添い寝の習慣について」という内容です。
「こちらの“Familli”という育児雑誌で添い寝(親と同じ布団・ベッドで寝ること)に関する記事があったので目を通してみました。この記事のアプローチでおもしろいなと思いましたのは、「子どもと一緒に寝ることについて不安を感じてませんか。大丈夫。そのうち別々に寝るような習慣になるから・・・・」という呼びかけです。
記事では、「こちら欧米でも赤ちゃんから2歳・3歳になるまで親とともに寝る生活習慣をかなり取り入れるようになってきている。数値では、スウェーデンでは、65%の幼児が親と同じベッドに寝る。ノルウェーでは、30%の幼児が自分のベッドに寝ている。中国では、90%が母親とともに寝、そのうち10%が自分の布団に寝るようになる。という結果がでている。それぞれの家庭でいつ子どもを自分のベッドで寝かせるか(親から離れさせるか)を決めればいい。決まった時期がないが、医学的な視点でいえば、6ヶ月頃(母乳・ミルクのリズムが定着したころ)に一度試みることもいいかもしれない。2歳に向けて少しずつ、その試みをチャレンジしてみてはどうだろう?」というように伝えています。
更に添い寝の追加アドバイスとして、「一緒に寝ている間は、親はベッドでは喫煙してはならない」「高めのベッドは避ける」「アルコールを飲んでいるときは幼児とは寝てはならない」「布団はあつすぎず、部屋の気温もあつすぎず」
などがポイントとして添えられていました。てっきり、ヨーロッパでは、子どもは別々の習慣が根付いていると思っていましたが、こういった記事をみるとそうでもなさそうですね。」
この記事に書いてある通り、確かに多くの欧米諸国では「添い寝」は、子どもの自立を妨げるとして、早いうちから子どもを一人で寝かせることが主流です。しかし、私も少し前になりますが、ある記事で、アメリカでも添い寝が見直されているという内容のものを読んだことがあります。それは、「アタッチメント・ペアレンティング」という赤ちゃんとのスキンシップを大切にする育児法です。
しかし、どちらが本来の行動であるかというと、当然、赤ちゃんにとっても、母親にとっても「添い寝」が最善の方法です。ですから、人類の長い歴史の中では、当然のように行われてきました。その後、どうも、300年ほど前から、西洋で子どもが独り寝するトレーニングをするようになったようです。どうしてそういう習慣になったかはよくわかりませんが、そのために、欧米では、子どもたちは安心するための物(おしゃぶりや毛布など)に、かなり強い愛着を持っており、その物がないと、よりむずかりやすいようです。ドイツに行くと、お昼寝の部屋の棚には、一人ずつの「おしゃぶり」が並んでいました。
 また、最近、情緒障害の成人が、親とのスキンシップの欠如による影響を受けていることが憂慮されるようになってきているそうです。なんでも欧米化ではなく、日本の子どもとの関係を見直すべき時代になっているようです。

投稿者 fujimori : 19:46 | コメント (4)

2009年02月20日 新聞記事より

料理

 よく、保育園などでは「家庭的な環境」とか「家庭的な雰囲気」という言葉を使うことがありますが、この「家庭的」という概念は、人によって、時代によって随分変わってきていると思います。いわゆる「一家だんらん」というイメージも変わってきました。テレビでかつて見た「寺内貫太郎一家」のようにお手伝いさんや使用人も含めた家族全員で一つのちゃぶ台を取り囲んで(なぜか手前にはだれも座らないが)食事をするとか、時たま主人がそのちゃぶ台をひっくり返すなど、テレビや映画の世界だけになってきました。
 少し「家庭」とは違うかもしれませんが、最近の2005年の国勢調査によると、1世帯の平均人数は2・55人に落ち込み、今後も減少が予想されているそうです。しかも、そのうち一人世帯が、全世帯の過半数を超えたそうで、残りの半数のうちで半数は二人世帯だそうです。
 そんなこともあって、昨日の新聞には、NHKテレビ番組の「きょうの料理」で、3月30日放送分から、紹介する料理の材料の目安を4人分から2人分に減らすようです。この番組では、1957年11月にスタートした当初は、5人分が「目安」でした。ところが、核家族化の進行に伴い、1965年4月から4人分に減らしたのですが、世帯数の変化と、番組テキストの読者アンケートでも2人分を望む声が多かったことや「食べ物の廃棄が問題となる中、食べ物を大切にする姿勢も示す」としていることから、44年ぶりの変更に踏み切ったということのようです。ただ、一度に多めに作った方がおいしい料理や大人数向けの料理は、今後も4人分やもっと多い分量で紹介することもあるそうです。まあ、私は、二人であれば、紹介された分量の半分にすればいいと思うのですが。
「きょうの料理」という番組は、最も長い料理番組の1つで、2006年10月より、「現行の番組で一番の長寿番組」のひとつともなっているようです。そして、その番組のもう一つの印象は、冨田勲作曲の軽快で、包丁で物を刻む音をイメージした「クッキング」という題名のテーマ音楽が流れて番組が始まることです。1回目は、料理された完成品を見せるだけでしたが、3回目から番組内で調理するようになったそうです。その料理は、「かきのカレーライス」だということを、先日のテレビで放送していました。NHKが2006年に公開した「ジャンル別番組制作費」によると、この番組の制作費は1本170万円掛かるとのことでしたが、ずいぶんかかるのですね。
同様に料理の長寿番組で、1996年に「世界一長い期間放送されている料理番組」としてギネスブックに認定されているのが「キユーピー3分クッキング」です。これは民放番組で、番組自体は10分の放送です。この番組のテーマ曲は、イェッセル作曲「おもちゃの兵隊の観兵式」ですが、以前は、「恋とはどんなものか(モーツァルト作曲の歌劇”フィガロの結婚”より)」のオルガン演奏バージョンでした。
他にも、印象深い料理番組では、プロの料理人や料理の得意な人が極上の料理を作り、審査員が点数や優劣をつける「料理の鉄人」や、グラハムとその妻が、世界各地の料理について現地で取材し、それの体験談を基に実際に同じものをスタジオで調理していく「世界の料理ショー」があります。グラハムがワイングラス片手に、ユーモラスなトークと、スタジオ観覧者が笑うというスタイルは新鮮でした。

投稿者 fujimori : 22:00 | コメント (4)

2009年02月19日 地域を知る

グスク

たびたびブログで「○○100選」というのが登場します。各地を訪れる時、どうしてもいわゆる有名なところを訪れたり、案内してもらうとなると、何かしらの100選に選ばれていることが多くあるのです。それは、自然であることが多いのですが、文化財のこともあります。その中で「日本100名城」というものがありますが、これは、財団法人日本城郭協会が2007年に設立40周年の記念事業の一環として、日本国内の名城と呼ばれる城郭を公募したもので、歴史や建築の専門家などにより、観光地としての知名度や文化財や歴史上の重要性、復元の正確性などを基準に審査の上、2006年に選定されたものです。
この100選には、先日のブログで取り上げた「八王子城」や「小田原城」は選ばれていますし、今年は、是非とも訪れたいと思っている「天地人」の舞台である上越市の「春日山城」も選ばれています。
この100選の中で、沖縄県の城が三つ選ばれています。そのうちの二つ「今帰仁城」と「首里城」には、昨年、妻と訪れましたが、もう一つの「中城城」には、今回の沖縄での講演会の帰りに寄ることができました。どれも、「日本100名城」というだけでなく、国指定史跡や世界遺産にも選ばれています。沖縄では、城のことを「グスク」と呼びますが、これら琉球王国のグスク及び関連遺産群は、2000年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。
 首里城は、2千円札でも有名な守礼の門があります。門には、この名称で呼ばれている由来の扁額の「守禮之邦」という額が掛かっています。
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この首里城は、沖縄の琉球王国の歴史・文化を象徴する城です。沖縄の城壁は戦国大名の多くお城と大きく違うのは、曲線を描いている点です。いわゆる、角の石がないのです。また、万里の長城のように、長くある幅を持った石垣の壁で囲まれているいくつもの広場を持ち、また信仰上の聖地も存在しています。
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これらの特徴は、ここ首里城に限られたものではなく、グスクと呼ばれる沖縄の城に共通する特徴です。
首里城は国王とその家族が居住する「王宮」であると同時に、王国統治の行政機関「首里王府」の本部でした。しかし、明治になって、首里城から国王が追放され「沖縄県」となった後は、日本軍の駐屯地、各種の学校等に使われ、1930年代に大規模な修理が行われた。ところが残念なことに、1945年にアメリカ軍の攻撃により全焼してしまいます。戦後、跡地は琉球大学のキャンパスとなりますが、大学移転後に復元事業が推進され、今の姿を見せています。
今帰仁城は、「なきじんぐすく」と読みます。この城は、14世紀に琉球王国三山時代の三山の一つで、北山王の居城でした。
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 中城城(なかぐすくじょう)は、15世紀の琉球王国・尚泰久王代、護佐丸のグスクとして知られています。
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中城城は連郭式の山城で六つの郭で構成されています。
 これら沖縄のグスクの城壁は、主に琉球石灰岩の切石で積まれてします。1853年に来島したペリー提督も「要塞の資材は、石灰石であり、その石造建築は、賞賛すべきものであった。石は…非常に注意深く刻まれてつなぎ合わされているので、漆喰もセメントも何も用いていないが、その工事の耐久性を損なうようにも思わなかった」(日本遠征記)と記し、その石垣のすばらしさを讃えています。
 沖縄には、琉球文化が色濃く残っています。

投稿者 fujimori : 22:57 | コメント (4)

2009年02月18日 近頃思うこと

入試問題

 今、受験生は大変でしょうね。私の子どもたちはもう社会人で、身の回りに受験生がいないので、実感がありませんが、私が通勤に使っている東西線は、「早稲田」という駅を通りますので、車内放送で「今の期間は込み合いますので、ご協力をお願いしま~す。」と流れます。ちょうど大学入試が真っ盛りのようです。都立高校の検査日は、来週月曜日のようですが、私立はもう終わっているでしょう。また、私立中学校入試も2月の初めに行われています。
 中学入試問題の試験問題は、時代の変化を感じます。以前のブログでも紹介したように、有名私立中学校の入試問題では、三択問題のようなものはもうほとんど出されず、知識の量を試すような問題から、自分の考えを述べるような問題が増えています。また、国語や社会の問題に出される長文は、その内容がとても面白く、政治家に読んでもらったり、問題を解いてもらいたいものがあります。もちろん、それは漢字テストではありません。
 今年も麻布中学の問題はとても面白かったです。社会の長文は、山形県について歴史や今の農業問題を考えるものでしたが、その一部にこんな個所がありました。山形で農村体験合宿に参加した虫の嫌いなタカシは、東京に帰ってきて、近所のおばあちゃんに農村体験の話をした時の会話です。
 「大変だったねぇ。でも、山形の農家も頑張っているのね。日本の農業はもう限界だ、と言われているのに」それを聞いてぼくは事前学習で調べた日本の農業ついて、得意になって話をした。「第2次世界大戦後の山形は、さくらんぼなど果物の栽培も盛んだし、米の生産もすごかったんだ。でも、最近は米の消費量も減ったし、山形県に進出した企業も海外に工場を移して、だんだんと経済的に困るようになってしまった。その前から若い人は都会に移ってしまっていたし、農地も荒れてしまったんだよ。今、日本の食料自給率は40%くらいだから、支援する政策も必要だと思うな」一気に話したら、おばあちゃんが口を開いた。「よく知っているのねえ。でも、山形県といっても、全部の地域が同じじゃないのよ。おばあちゃんは米沢からお嫁に来たけど、他の地域と十把ひとからげにして考えないでほしいな」ぼくは、意外だった。「えっ、でもあんまり変わらないよ。どこでも農業やっていて過疎化とか、深刻なんでしょ」するとおばあちゃんはこう続けた。「東京から来たお役人がそんなふうに考えていたわ。でも、一つ一つ違う地域にちゃんとあった政策をやってくれないと困るのよ。もちろん、タカシ君みたいに、虫が嫌いで農業が苦手な人がいてもいいけれど、そういう人が地域のことを何も知らないまま、支援する政策を考えても意味がないのではないかしら」
 小学生が考える問題としては難しいですね。しかし、これはきちんと考えなければいけない問題ではあります。今日、学童保育所と保育所の待機児の増加について保護者と話をしました。もちろん、この待機児は都会の問題かもしれません。過疎地では違う問題があります。しかし、それぞれ違う地域で、他の地域の人はわからないということではなく、どちらもどの地域の人も考えなければならない問題です。また、担当する部署だけが考えればいいということでなく、いろいろな部署が、その現象を総合的に検証する必要があります。
 そして、なによりも大切なのは、ただ机上の議論ではなく、きちんと現場を見ることだと思います。

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2009年02月17日 近頃思うこと

一位

 今、ANAの機内誌に「日出づる国の鉛筆」という記事が掲載されています。どういうことかと読んでみると、北海道に、かつて国産鉛筆の木軸の8割をまかなっていた町があるといいます。それは、知床にある斜里町だそうです。ですから、タイトルの意味は、「日本で真っ先に昇る朝日を浴びて育った知床半島」の木が鉛筆に姿を変えて、私たちの学問を、産業を支えてきたということのようです。
 この木の名前は、「イチイ」といいます。今は、全く作られていませんが、かつて北海道では、「まず、木を伐採して、土地を開拓しました。その木をマッチや鉛筆の軸の材料にした産業が、ずいぶん栄えたのです。」というのは、知床博物館の館長さんの中川さんの弁です。博物館の裏には、「イチイ」の木への感謝を表して、樹霊塔が建てられているそうです。
 この「イチイ」という名前は、とても由緒があります。昔、中国では衣冠束帯に象牙の笏を持つことになっていました。その習慣にならって、日本でも貴族は笏を持つようになったのですが、その材料として、さまざまな木が試されました。その中で、飛騨の位山にあるこの木で作ったところ、とても出来栄えがよく、それを仁徳天皇に献上したところとても喜ばれました。そこで、褒賞としてこの木に「正一位」という最高の爵位を授けられて以来、この位にちなんでこの木のことを「一位・イチイ」と呼ぶようになったのです。そして、別名で、「笏の木」とも呼ばれます。
また、このイチイは多くの別名を持つことでも有名です。アイヌ語からは、「オンコ」とか「アララギ」という名前で呼ばれます。もちろん、この「アララギ」は、伊藤左千夫を中心に創刊された日本を代表する短歌結社誌の名前の由来です。最初は、「阿羅々木」という当て字で書かれていましたが、本来は「欄」と書きます。他にも、材面が赤いことから「アカギ」と呼ばれたり、材香木から「キャラボク(伽羅木)」と呼ばれたり、「クネニ」という名前は、「ク」は弓、「ニ」は木のことで、「弓になる木」をあらわしています。一位だけあって、いろいろな用途に使われたのですね。
この「イチイ」の木は、岐阜県の「県の木」に指定されていますが、それは、大野郡山之口村位山のイチイ林が古来から有名なことや、飛騨の代表的民芸の一位一刀彫があることなどからです。また、甲信地方ではごく普通に生垣として植えられているなど、山里の人々によく親しまれている木であることも理由の一つだそうです。また、北海道・東北地方にも自生しており、八戸地方では庭木や池垣として普及しています。ですから、八戸の「市の木」の木にも指定されています。以前、八戸駅に降り立ったとき、目の前に大きな「イチイ」の木が植えられていました。
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この木は加工の容易さと材面の鮮やかさから、座机、見台、硯箱、短冊掛、仏壇などの和家具や、建築材として床の間廻りの床柱、床框、落掛や、箸や楊枝、ステッチなどの日用品や、寄木細工、木象嵌などの工芸品など幅広く利用されています。なかでも、狂いが少なく加工がしやすいイチイは、鉛筆の軸木には最適だったのです。
 もうすぐ、新1年生が誕生します。しかし、誰一人、「イチイ」の軸の鉛筆は持っていないでしょう。それどころか、鉛筆も次第に過去の学用品になるのでしょうね。

投稿者 fujimori : 23:31 | コメント (4)

2009年02月16日 近頃思うこと

ビルの形

 最近、次々と新しいビルが建てられていますが、それは高いだけでなく、奇抜な形をしたものが多くみられるようになりました。よく、絵などでビルを描くとなると、真四角な直方体の絵を描きます。しかも、薄っぺらいビルがなんだか、近未来的な気がします。超高層ビルとなると、たぶんそれは、構造上そうなるのでしょう。それは、以前のブログでも紹介した「霞が関ビル」のイメージです。それが、最近、構造上どうなっているのか不思議に思うような形状をしているビルを見かけるようになりました。
 私の園から、新宿の副都心が遠くに見えるのですが、間近のビルの間から不思議な形のビルが見えます。その形は、コクーン(繭)のような外観をしている2008年10月に竣工した「コクーンタワー」です。
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この建物の設計は、西新宿では「東京都庁舎」「新宿パークタワー」などを手がけた丹下都市建築設計です。コンセプトについて建築主の学校法人モード学園は、「創造する若者を包み込み、触発させるインキュベーション空間を創出しています。教育施設としての交流機能を持たすべく学生サロンを配し、全体を立体キャンパスととらえ従来の学校建築とは異なる構成により、今までにない超高層学校建築を実現しています」と発表しています。
階数は地下3階、地上50階です。地上高層部の構造は、インナーコアと3つのダイアゴナル・フレームと呼ぶ斜め格子の構造体で構成されています。外観にそれがそのまま表れ、一つのデザインになっています。低層階から中階層に向かって徐々に平面に広がり、中階層を過ぎて頂部に向かうと再び小さくなっています。15階~39階には、内部にオイルダンパーを配置し、減衰力を加えることで、地震や風による揺れを低減する仕組みになっているようですが、柱で支える建物から、法隆寺の五重塔のように柱を宙に浮かせて振動を吸収する仕組みから、ずいぶんと進化してきました。「教育施設としての交流機能を持たすべく学生サロンを配し」という点では、吹き抜け空間を3層ごとに配しています。
 もう一つ紹介する建物が、「デビアス銀座ビル」です。優雅なうねりを伴ったステンレスにバイブレーションと呼ばれる仕上げを施して、そこに文字を彫り込んでいます。
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場所は銀座マロニエ通り沿いにあり、ブランド店のビルが立ち並ぶ銀座においても、ひときわ目を引きます。建築主はアイスバーグ・V28ビル・南青山スクエアと同じ英ヴェロックス・アセット・マネジメント社が手掛けた商業ビルです。
地上11階・地下1階・高さ60m、優美な曲線をガラスとステンレス・スティールにより表現した正面が特徴的となっています。この形は、近未来的というよりも、シュールリアリズムの絵のような、ダリの絵の垂れ下がった時計のような、幻想的な感じがします。この建物の基本設計は、光井純&アソシエイツによるものです。光井純氏は、以前ブログで周回した日本橋三井タワーなども手掛けてきた建築家です。ストアコンセプトを担当したのは、フランス人建築家であるクリストフ・カルペンテです。エッチングガラスや洗練された黒檀製ディスプレイカウンターなど、異素材を使い光と影が交錯するイメージ空間が演出されているそうです。
最近のビルは、街角にあるオブジェのように、街を立体的に彫刻しているかのようです。

投稿者 fujimori : 22:30 | コメント (4)

2009年02月15日 近頃思うこと

とげ

 最近、園で節分の行事を行いました。地域の文化をきちんと伝承しようということ行事の一つの目的ですので、玄関には、柊の枝に鰯の頭を刺したもの(柊鰯)を飾りました。これは、鰯のにおいを鬼が嫌がるとか鰯を焼く煙を嫌がるとか言われていることと、柊の葉のとげを鬼が嫌がるからです。鬼は目を刺されることを嫌うので、柊の葉のとげで鬼の目を突く意味があるからです。
高尾山で有名な高尾町には、サイカチの木が植えてあるところがあります。サイカチの木は、幹や大枝に小枝が退化変形した鋭い棘があります。この棘は、何回も分岐を繰りかえします。棘は鬼から守るのではなく、一般的には草食動物から身を守るためといわれています。しかし、この地に植えられているのは、敵から守るために植えられているといわれています。
このあたりは、廿里古戦場と言われているところで、戦国時代の永禄12年(1569)10月1日、武田信玄の武将・小山田信茂と滝山城主・北條氏照の重臣・横地監物らとが一大血戦を行なったところです。甲斐の武田信玄は北條氏康の本拠である小田原城を攻めようとして2万の兵を引き連れて甲州を出発し、碓氷峠を越えて武蔵方面の北条氏の諸城を次々と攻略しながら南下して、滝山城を攻めるため拝島に陣をしきました。一方、信玄の武将で岩殿山城主・小山田信茂は小仏峠を越えて滝山城に向かって侵入します。小河内もしくは檜原から来ると思っていた北条方は意表を突かれ、氏照が命じて急いで廿里に戻り、迎え撃とうとしましたが、奇計を謀った小山田隊に敗北を喫してしまいます。この時に信茂がとった戦法は、前方・側面・後方から攻撃する「鳥雲の陣」(鳥のように集まり、雲のように散る)でした。
この後、武田軍により、北条氏照の居城である滝山城は三の丸まで攻め込まれましたが、かろうじて落城は免れました。信玄は滝山城の守りが堅いのを見て軍を退き、小田原城へと向かいます。小田原城では、北条氏康、氏政父子が、上杉謙信が小田原城へ迫った時と同じように籠城策をとります。その理由は、小田原城は難攻不落の城であり、たとえ、武田信玄勢が包囲しても、簡単に落城することはないと思ったからであり、また、攻勢にでた時に挟み撃ちにできると思ったからです。しかし、武田信玄は城下に火を放ち、たった4日間で撤退をはじめます。
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     小田原城
その後、加住丘陵を利用した滝山城は、北側は多摩川まで絶壁ですが、南側は標高差が小さく、南からの攻撃に弱点があることが明らかとなり、小仏峠を睨んだ強力な防衛拠点の構築を急ぎ、小仏峠に近い要害の地に八王子城を築き、本拠を滝山城から移転しました。また、滝は落ちるということから八王子城に移したといわれています。
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   八王子城
この北条氏は、北条政子のいわゆる北条氏と区別して、後北条氏と呼ばれていますが、今年はこの話題が何回か登場すると思います。というのは、この時に小田原城に籠城した氏康の7男で、上杉謙信の養子になったのが、NHK大河ドラマ「天地人」に出てくる「上杉景虎」なのです。ですから、景虎は、氏康の子である氏政や滝山城や八王子城の城主であった北条氏照とは兄弟なのです。
ことしの「天地人」めぐりの地は、八王子もその一つです。

投稿者 fujimori : 19:45 | コメント (4)

2009年02月14日 近頃思うこと

身長と火

 今、私は、保育室のスケールがどのくらいがよいのかを検討する委員会に幹事として参加しています。それは、とても面白いのですが、なかなか難しいものです。というのも、じっとしている人のスケールと、何かをしている人の必要なスケールが違うからです。そして、何かをしているというと、何をしているかによっても違うのです。もし、学校の教室のように全員が席に座って先生の話を聞く場合と、グループで子どもたちが話し合うときと、子どもたちが作業をするときとそれぞれ必要な大きさが違うからです。
 かつて、やはり保育園の建築基準を検討する委員会に出ていたことがありました。そのときに、避難階段の幅をどうするかという検討をした時に、一人の大人が下りることのできる幅があればいいかというと、実際の園では、大人は子どもを抱っこしたり、手をひいたりして下りることになるので、幅は広くとる必要があります。
 また、人のスケールは、年齢によって違うだけでなく、国によっても、時代によっても違います。私の園には、エレベーターがありますが、それに乗る時にみんな気にするのが、乗る人が多すぎて、いつ「ブー」となってしまうかです。どのエレベーターにも定員と、最大総重量が書かれてあります。エレベーターの積載量は、500キロとか900キロとか1トンとかで定義されていますが、定員はそれを「ひとりあたり65キロ」で計算されています。これは、「建築基準法施工例第129条の5」と「JIS規格」によって決められています。しかし、全員が65キロ以上の男の人だけで乗る場合とか、体重が多い外国の人が乗る場合はどうするのでしょうね。少し前のデータですが、厚生労働省健康局によると、年齢によって違いますが、一番重くなる30~39歳での平均が、男性が170.6cm68.2kg、女性が157.6cm53.5kgというようになっていました。日本では、やはり65キロが妥当なのでしょう。
ただし、現代の米国人の体格は非常に増えていることに危機感があるようです。米国立保健統計センターによると、20~74歳の成人について、平均体重は男性が60年の75.4キロから86.6キロに、女性も63.6キロから74.5キロに増えています。そんなアメリカのエレベーターの基準体重はどのくらいでしょうね。
身長にしても同様なことがいえるようです。キッチン台の高さも、ちょうど良い高さは、身長の半分に5センチ足した高さといわれています。ですから、当然昔よりも平均身長が高くなっている今は、キッチン台も昔より高くなっているようで、80センチから85センチが多いようです。身長について、先週の金曜日の朝日新聞のコラム天声人語に「人間の身長と火について」面白いことが書かれてありました。
「人間の定義は様々だが、「火を使う動物」とも言う。太古から火の扱いに長じてきた。その理由について作家の池澤夏樹さんが、「人の身体サイズは火を使うのにちょうど良い大きさだった」という説を引いている(『母なる自然のおっぱい』新潮社)▼人がもしネズミのようなサイズだったら、身の丈に合うのは極小の焚(た)き火だ。消えないようにするのは至難の業だったろう。逆にゾウのように大きければ、山火事の心配のない焚き火場を見つけるのは難しかったに違いない▼つまり人間は、燃やし続けやすく扱いやすい火の大きさに、ぴたりのサイズに生まれついたのだそうだ。」
 最近、火事が多いのは、人の身長が伸びすぎて、火との関係がアンバランスになってきたからかもしれませんね。

投稿者 fujimori : 21:59 | コメント (4)

2009年02月13日 近頃思うこと

机の上

 私の机の上には、春を放ち始めている花が飾られています。毎日、その花を眺めて、春が近いことを感じています。この花は、まさに「春を呼ぶ花」と言われている「放春花」という花で、2月19日の誕生花です。その中で、私の机の上にある花は、「黒潮」という品種のものです。学名では、 Chaenomeles speciosaと呼ばれますが、Chaenomelesは 「chaino(開ける)+ melon(リンゴ)」が語源で、「裂けたリンゴ」という意味ですが、そう思ってみるとそう見えないこともありませんね。また、speciosa は 「美しい」「華やか」という意味です。
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この「放春花」は、普通に呼ばれている名は、「ボケ」の花です。ずいぶんと違う印象ですね。日本語で「ボケ」というと、「時差ボケ」とか、漫才での「ボケと突っ込み」とか、「天然ボケ」というような使い方をします。また、「ピンボケ」のように、ぼんやりした状態をさすように、あまり良いイメージがありません。ですから、この花が、そのような名前がつけられていることが不思議です。実は、このボケという花は、そのあと大きな黄色い実をつけます。その形が「瓜」に似ているので、「木になる瓜」ということで「木瓜」となり、この字を音読みして「もくくわ」となり、「モケ」となり「ボケ」になったといわれています。
正月のおせち料理などの飾りとして使われる花を、私は紅白梅だと思っていました。どうも、この「ボケ」という花のようです。
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そして、「ボケ」という花は、机の上にある花のように真っ赤な色をしていると思っていたのですが、品種の一つに「なごり雪」というものがあるように、真っ白いものも、ピンクやオレンジのものあるようです。
「ボケ」の原産地は、中国大陸と言われていますが、日本に自生するボケに「クサボケ」といわれるものがありますが、これはあまり幹が太くならず、草のように生い茂ります。中国からは、比較的早く平安時代に入ってきた帰化植物です。最初は、どうも薬草として庭などに植えられていたようで、江戸時代には江戸(東京)小石川に薬草として植えられていたようです。それが、明治時代から大正時代にかけて一般に植物を楽しむブームが起こり、ボケもいろいろな品種が作られ、花を観賞するようになりました。
「ボケ」は、日本中どこでも育ち、耐寒性も強く、耐暑性もあり、特別な土を用意することも必要なく、ずいぶんと育てやすいようです。その「ボケ」にも、11月頃から咲き出す花もあり、その種類には、特に「寒木瓜」と呼んで、春に開花するものと分けています。
 また、この花のいわれとなった「瓜」に似た秋になる実ですが、果実酒として利用できます。もともと「ボケ」は「花梨」と親戚ですので、同じような黄色い大きな実です。その果実酒の「ボケ酒」は、やはり「花梨」と同様、喉に良いとされ、風邪をひいたときなどに飲むといいといわれています。お酒を入れず、砂糖を多く入れた「ボケシロップ」は子どもも飲むことができます。
私が、一時期小学校の教員をしていた時がありましたが、その3月の最後の授業の日に、保護者たちがみんな集まって授業参観をしてくれました。そして、終わってから、記念に「ボケ」の盆栽をもらったことを、机の上の花を見るたびに思い出します。

投稿者 fujimori : 23:30 | コメント (4)

2009年02月12日 近頃思うこと

上に立つ

 舞台上で、演技者が上手に演技ができないときには、誰のせいでしょうか。もちろん、その演技者の生まれつきの才能が影響するでしょう。しかし、それをどう引き出し、他の演技者と関係をつけていくのかは、演出家によりますし、それ以上に監督の力によるところがあります。
 私は、いつも肝に銘じているのは、あの「旭山動物園」の再生です。来場者がどんどん減ってきて、廃園まで迫られていた動物園を、上野動物園に匹敵する来場者を迎えるようになった経緯です。その劇的な変化、次々と出される新鮮な企画、動物への深いまなざし、それは、スタッフの交代や、一新ではないのです。同じスタッフで、同じメンバーで、同じ環境の中で変わっていったのです。それは、いろいろな要因があったと思いますが、その中心は、動物園の園長の交代でした。
 また、先日のテレビ東京の「カンブリア宮殿」で「餃子の王将」が取り上げられていました。このチェーン店は、低迷する外食産業の中、4年連続全直営店黒字を達成しているそうです。それまで赤字低迷が続いていた中、たたき上げで社長に登り詰めた大東社長に変わったときから見事に建て直っていきます。やはり、同じスタッフですが、各店舗の店長が、言われたとおりに動くことから、自分自身の裁量で決めたメニューやサービスを認めることによって、率先して、現場に立ち、店舗を指導っしていきます。大東社長を筆頭に徹底したこの率先垂範と現場主義が店を変えていきます。
和田秀樹さんの公式 HIDEKIWADA.COMマガジンで「道の教育より徳の教育を」ということが書かれてありました。
「私が研修医時代、最初に入った内科の医局は、国家公務員であるはずの教授がベンツのSクラスとジャガーに乗り、広尾のガーデンヒルズに愛人を囲っていたことを週刊新潮に実名報道されたような人だったが、患者に謝礼を要求するのが恒常化していたし、とにかく権威主義だった。結果的に、そこにいた医者もみんな謝礼をもらうし、患者に威張るし、研修医にろくに指導をしなかった。 次の医局は、教授が二代続けて東大教授の学者家系の人だったが、親の家に住んでいたのに10年落ちのカリーナに乗るような私服を肥やす人でなかった。学者肌の教授のおかげで、指導はものすごくしっかりしていた。
東北大学の老人科の非常勤講師をしていた頃の教授も、腰が低く、患者に呼ばれたらすぐに走っていくような人だったが、部下の医者も総じて腰が低かった。東北大学は医者が威張ることで有名な病院だったので、そこだけが際立っていた記憶がある。
医者の態度が悪いので、入試面接を課すようになったが、医者の態度が悪い理由の90%は指導教授のせいだと私は信じている。なのに、その指導教授が「医者に向かない」と判断したら、入試面接で落とすことができるようになった。東大をはじめとする心ある大学が入試面接を廃止したのは、まさに「徳」である。」
 人の上に立つような人は、いくら地位があっても、いくら言っていることが立派でも、知識が豊富でも、自らの徳がなければ、スタッフを育てることはできませんし、そのスタッフは人への思いやりに欠け、新しいものを創造していくことはできません。

投稿者 fujimori : 23:12 | コメント (4)

2009年02月11日 近頃思うこと

エア

CS放送「日テレG+」で2月7日放送された「日常ながら運動」という番組で、「太ももの後ろ側からお尻にかけて気になる脂肪を、スピードスケートのフォームを取り入れた運動で下半身をすっきり引き締めましょう。」というダイエット法を放送していました。それを「エアスケート」と言っていました。また、番組の最後に、ほかにも様々なスポーツのまねをするとよいでしょうと勧めていました。たまに、駅のホームで、ゴルフの素振りをしている人を見かけますが、まさか、ダイエットをしているわけではないでしょうが、運動にはなるかもしれませんね。ただ、自宅でやってほしいとは思いますが。
 確かに、その動きをすれば、運動していることになるので、当然体にはいいのでしょうが、それを今はやりの「エア」を使うと、なんだか新しい提案に聞こえますね。1昨年あたりから、「エア」という言葉を聞くようになりました。北京オリンピックの開会式の時に少女が歌った歌は、後で指摘されましたが、「エア」でした。いわゆる「口パク」といって、後ろで流される声に合わせて口だけ動かして如何にも本人が歌っているかのように見せることです。しかし、「エア」は、「口パク」と違って、他人が歌っている声に合わせること、声だけでなく、振り付け、しぐさ、表情など視覚的にもその声に合わせたり、合間のトークもいれこんだりします。
 この「エア」で有名になったのが、「エアあやや」といわれる「はるな 愛」さんが、松浦亜弥のコンサートライブの音声を流しながら、オーバーアクションを交えて踊ったり、トークを入れたりする芸があります。
 もう一つ有名になったのが、「エア・ギター」と呼ばれるギターの弾きまねがあります。ギターと言っても、エレキギターが主で、大げさな振りで、体全体で表現します。これが特に有名になったのは、1996年からフィンランドのオウルで開催されているオウル・ミュージック・ビデオ・フェスティバルの一環として行われている「エア・ギター」世界選手権で、2004年、2005年の大会では、日本人が二年連続で4位に入賞し、2006年の大会では日本人が初優勝、続いて2007年大会でも日本人が優勝して二連覇を果たしたからです。
 この「エア・ギター」の起源にはいろいろと言われていますが、1970年代のハードロックのボーカリストが、ギタリストが長いギターソロを行っている最中に手持ち無沙汰になってしまうのを解消するため、マイクスタンドをギターに見立てて弾く真似をしたのが最初という説が有力です。この「エア~」は、視覚に訴えるために、テレビではとても効果があります。
少し違いますが、テレビ放映が始めリ、視覚的に訴え、見ていて面白い企画ということでテレビの特性をフルに使ったのが、クイズ番組「ジェスチャー」でした。この番組は、1953年2月20日から1968年3月25日までNHKで放送されたクイズ番組で、日本のテレビ史上初めてのクイズ番組でした。柳家金語楼キャプテン率いる白組(男性陣)と水の江滝子率いる紅組(女性陣)に分かれ、出された問題を解答者がジェスチャーだけで表し、それを時間内に当てていくゲームです。身振り手振りで表現するオーバーアクションは、答えを知っている視聴者からみると、とても面白く、人気があった番組です。
これも、いい運動になるかもしれませんね。

投稿者 fujimori : 21:17 | コメント (4)

2009年02月10日 近頃思うこと

舞台

 芝居には、舞台が必要です。保育園、幼稚園には、子どもの活動の内容、それによる発達に影響を及ぼす環境の一つとして、「場」があります。それは、いわば活動の舞台ともいえます。その場としての舞台は、空間としての広さを含めて、「空間デザイン」「舞台装置」「舞台照明」など、その動きに意味を持たせるために重要な要素なのです。では、それぞれの人はどのような役割を持つのでしょうか。例えば、演技者とはだれなのでしょうか。演技者は、いわば、芝居の中心人物であり、舞台を所狭しと動き回って、自分を表現する人です。そういうと、園では、もちろん演技者は「子ども」ということになります。しかし、違う見方をすることがあります。
 以前、ある国では、保育者の資格を演劇学校で取れるというのを聞いたことがあります。その授業内容を見た時に、例えば、モップを取り出して、「これを使って演技しなさい!」というような課題を出していました。保育者候補は、モップを持って、話しかけたり、またいで魔法のほうきに見立てたりしていました。このような時には、保育者が演技者になり、子どもたちは観客です。演技者の演技を見て、楽しんだり、まねをしたり、いろいろなことを教わります。この考え方の園が多いような気がします。その時は、保育者は、パフォーマンスを行い、職人芸とも言われる保育技術で子どもを牽きつけます。その素晴らしい演技に、保護者は素晴らしい保育者であると感動します。しかし、子どもは、観客なのです。
 本来は、子どもは主人公でなければならないのです。子どもが、舞台とも言える保育室で、生き生きと活動しなければならないのです。では、そのようなときに保育者はどのような位置づけなのでしょうか?今までは、子どもを観客にしてしまい、自ら演技者になってしまった園も多く見られましたが、そうでなくても、演技者である子どもに、手取り足取りして、演技指導をする保育者も多く見られます。言った通りに演技することを強制するのです。子どもは、言われたとおりに動くだけです。しかし、このように演技していた子たちは、社会に出て、やはり演技指導をしてくれる人を求め、自らの生き方をしなくなります。
 そこで、最近は、引き出し役というファシリテーターとか、ディレクターとか言われることが多くなりました。俳優の段田安則さんが、このたび初の舞台演出を手掛けることになったそうです。その心境についてインタビューされている記事が、朝日新聞の「どらく」に掲載されていました。
「一つの芝居にはいろいろな見せ方がありますが、このラインで行こうと決めるのが演出です。例えば、あの山に登るにはこのルートで行こうと決めて役者たちに示す。それが難しいルートでも簡単でも、いいルートを見つけるのが演出家で「みなさん、どこでもいいから登ってください。」ではだめなんです。」また、その演出の仕方もさまざまあると言っています。「演技にはノータッチでセンスを大事にする人、一字一句セリフの音にこだわる人など、方法論は本当に千差万別です。」長い経験の中で、こんなことが大切なのではないかということに気付いてそうです。「稽古場の空気を大切にして、役者が能動的に演じられるようモチベーションを高めてあげたいですね。楽しいだけではもちろんだめですが、案外そういうことも大事ではないかと日ごろ感じていました。」
 どの世界にも通じることですね。

投稿者 fujimori : 22:15 | コメント (4)

2009年02月09日 近頃思うこと

芝居

 私の自宅のある町内では、割と素人落語が盛んです。たまに、町内寄席が開催されたり、落語家を読んで余生を開催します。日曜日の新聞のチラシ広告に「鹿芝居」が開催されるという案内がありました。
 芝居では、普通は俳優が演技をしますが、そのほかにもいろいろな人が演技をすることがあります。特に、同じ芝居の中でも歌舞伎のように地域で発展してきたものは、「素人歌舞伎」と呼ばれるようなさまざまな職業の人、例えば、農業、商店主、会社員等が上演する歌舞伎もあります。また、地域によっては、子どもが演じる「子ども歌舞伎」があることもあります。また、素人芝居と呼ばれるものに、作家の人たちが演じる文士芝居も有名です。
 誰が演じるかというだけでなく、何人で演じるということであれば、よく尾形イッセーが演じるような「ひとり芝居」という、一人で演じるような芝居もあります。
 そのようなさまざまな芝居の中で、噺家が芸人の面白さや芸達者ぶりを盛り込みながら楽しませてくれる、「噺家芝居」を縮めたものの「鹿芝居」というものが、明治時代から寄席などで行われてきました。「はなしか」芝居を縮めて「しか」芝居です。いかにも、噺家がやる芝居の名前らしいですね。また、落語家がやる芝居だけに、ハプニングがあったり、オチがあったり、ずいぶんと楽しそうです。これが、私の地域で催されるのです。
 この知らせのチラシには、こんなことが書かれてあります。
「鹿芝居は三遊亭圓朝の時代から、盛んに行われていました。この時代は素人芝居も全盛で、各町内や大店では余興と称し、大きな規模のモノから小さな芝居までかなり盛んだったようです。大正から昭和にかけては、有名小説家たちの文士芝居も盛んに行われました。」
 映画などなく、民衆の楽しみは芝居が中心だったようです。しかも、それは、見物するだけでなく、自ら演じる楽しさもあった素人芝居も盛んだったようです。この素人芝居は、素人だけに失敗や、あせりや、ぎこちなさも余興のうちだったようです。そんなことが、チラシにも書かれています。
「なれない草履履きで高座に上がるため、草履を履かずに外を歩いてきたり、大事な小道具を持たずに舞台に上がってしまうなんて事がしばしば起こってきます。穴を埋めようと芝居の途中だというのに、のこのこ楽屋に戻ってしまい、かえって大きな穴が空いてしまうなんて事もあります。まじめにやればやるほどお客様が大笑いするというのも、噺家役者にとってはちょいと悔しい処でもあります。」
 そんな鹿芝居の出し物は、「らくだ」というものです。
この話は、長屋に住む本名が「馬」で、あだ名が「らくだ」という人物の話です。
この「らくだ」というあだ名ですが、1821年に両国に見世物としてきたラクダを見た時に、あんなにも大きくても役に立たないと江戸っ子は考えたようです。そこから体だけでかくって役に立たない者を「らくだ」と言いだしたようです。
 この話の内容は、昨日のブログではありませんが、フグを食べたせいか、ラクダが死んでしまったということから始まります。「真打の大ネタ」と称される古典の大作のようですが、本題は「駱駝の葬礼」といわれるように、始まりから主人公のラクダは、死人として登場する珍しい話です。死というものでさえ、ネタにしてしまう落語の世界はたくましいですね。

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2009年02月08日 近頃思うこと

フグ

 ここ数日の新聞には、「フグ」についての新聞記事が目立ちます。
7日のニュースですが、今年の1月にフグ料理を食べた7人が手足のしびれを訴えた食中毒事件で、店の営業禁止処分が解除されたというものです。この事件は、山形県で起きたのですが、県はフグ取扱指導要綱を改正して、有毒部位が取り除かれていないフグを扱う店に、営業届を県に提出したことを示す証書を店内に掲示するよう指導するというものです。そして、今月中に実施するフグ処理施設への一斉点検の際に、証書を交付するそうです。ということは、今まで山形県ではそんなものがなかったのですね。現時点で、ふぐ条例を制定して営業施設・処理施設・調理師等を管理しているのは、19都道府県だけだそうです。
この事件だけでなく、最近、食品衛生法や各自治体の条例に違反する、不適切なフグの取扱い事例が相次いで発生しているようです。フグの消費量は、圧倒的に冬季がピークということもあって、厚生労働省では昨年12月に「フグの取扱いに係る監視指導の強化について」という通知を出しました。このように神経質になるのは、フグ毒は青酸カリの500倍の強さがある猛毒だからです。残念なことに高級魚として有名なトラフグやマフグにもフグ毒があります。また、フグの中毒に効くワクチンや血清,解毒剤等はありませんし、熱によってなくなるわけでもありませんので、除くしかないのです。
このニュースは、6日に流れましたが、山口県下関市の水産加工卸売会社が中国産のフグやアンコウを国産と偽って販売していた事件です。中国産冷凍トラフグの「ふぐ薄造り」に「熊本県」と印刷したラベルを張り、東京や大阪などのスーパーに販売した疑いです。フグは、養殖もあるので、ほとんど国産と思っていたのですが、2002年、初めてフグの輸入量が国内生産量を上回っています。その年の輸入先の99%は中国であり、残りは韓国です。これらの国でも養殖フグだそうですが、ほかの食品同様、近年の中国産食材安全性の問題はフグ関連でも発生しているようです。
フグというと、「下関」というイメージがありますが、どの県の漁獲量が多いのでしょうか。普段は高くてなかなか食べないフグですが、先月フグを、大阪でいただきました。難波あたりでしたが、その辺りにはフグの店が何件も並んでいました。その次に食べたのは、長崎でした。以前も、長崎に行ったときにいただきました。あと、いただいたことがあるのは意外にも愛媛や熊本でした。それは、冬の時期にその地に行ったということもあるのですが、データを見て納得しました。
まず、食用ふぐの7割が京阪神地域で消費されており、特に大阪での消費量は全消費量の6割に達するほど大阪の人はフグ好きのようです。
天然フグの漁獲量は、1位は石川、2位長崎、3位福岡、4位富山、5位愛媛です。養殖では、1位が長崎、2位熊本、3位愛媛、4位香川、5位福井です。山口も天然、養殖とも10位以内に入っていますが、意外ですね。
明日2月9日は、「ふくのひ」ということでフグの日です。味も美味ですが、興奮したときに腹部を膨らませる姿も愛嬌がありますね。英語の「Pufferfish」とは、「膨らむ魚」という意味です。しかし、漢字で「河豚」と書くのは、膨れた時に「豚」のように見えるからと思っていたのですが、そうではなく、フグは身の危険を感じると豚のような鳴き声を発することからだそうです。「河」と書くのは古代中国では黄河など河川に生息していたからのようです。
ニュースを見ても、その背景を知るともっと事情がわかってきますね。

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2009年02月07日 近頃思うこと

「星」の次は、「風」の話です。先日のアメリカ大統領オバマ氏の就任演説の中で、「太陽、風や土壌を利用して自動車を動かし、工場を動かす。」ということを言いました。これは、ソーラーや風力発電によるエネルギー革命や地球環境というよりも、雇用対策として打ち出されたことは、とても興味深いことです。
この日に先立って、オバマ氏は、米中西部オハイオ州の風力発電部品メーカーを訪れ、環境対策で景気も回復させるグリーン・ニューディール政策の重要性を指摘し、代替エネルギーの生産増などが「50万人近くの雇用につながる」と述べ、実施を急ぐ景気刺激策の利点を強調しました。そして、再生可能なエネルギー対策の先進国としてスペインやドイツ、日本を挙げて「米国でも同じ取り組みができないことはない」と政策を強化する方針を表明し、2月中の実施をめざす景気刺激策にも代替エネルギー産業の育成と支援に約520億ドル(約5兆円)を計上しており、「風力タービンや太陽光発電パネル、エネルギー効率のいいクルマや建物をつくり、技術開発などで地球をもっとクリーンにする」ことで50万人近い雇用が生まれる、と力説したのです。
その声明を待つまでもなく、今週初めの新聞に、「米国は2008年、風力発電の出力(発電量)を50%も拡大し、総出力でドイツを抜いて世界最大の風力発電国となったことが、世界風力エネルギー協会(GWEC、本部ベルギー)の統計で3日までに分かった。」という記事が掲載されていました。AP通信によると、再生可能エネルギーへの関心や地球温暖化への懸念の高まりを受け、世界の風力発電量は08年に29%増加しました。そのうち米国の総発電量は世界全体の約5分の1(20.8%)を占める25.17ギガワットに上ったようです。2位のドイツは23.9ギガワット(19.8%)、3位のスペインは16.8ギガワット(13.9%)です。
オバマ氏が取り組みのモデルとして挙げたスペイン、ドイツは3,2位ですが、4位は日本ではなく、風力発電の先進地である欧州メーカー並みにタービン生産を拡大し始め、発電量も12.2ギガワット(10.1%)と倍増した中国です。09年もさらに出力倍増が見込まれているそうです。昨年に新規に導入された風力発電による出力量も、1位の米国(31%)と2位の中国(23%)で半分以上を占め、2国が急激に増やしています。それに比べて、日本の新規導入は、アメリカの20分の1にも満たず、国別でも上位10位以内には入っていません。
オバマ氏は、2011年1月までに250万人分の雇用を創出し、米経済の回復の基礎を築く取り組みが必要だと考えを示しました。雇用を増やせる分野としては、道路や橋梁の修復、学校の近代化、風力発電所建設や太陽エネルギーパネルの設置、低燃費車の製造などを挙げています。新しい産業を興すことは、その分野に人が必要になるので、雇用は創出されます。別の方法は、一人の人の働く時間を減らすことです。そうすると、当然人は多く必要になります。それは、日本でも進めようとしているワークシェアリングといわれる、仕事を掛け合うという考え方です。その他の方法に、採算の合わない分野を支援するという考え方があります。ある意味では、合理化を推し進めると、人手は必要でなくなります。逆に、採算の合わないような分野は、人手が多くいりますから雇用は促されます。
保育を含めて、福祉という仕事は、非常に人手のいる仕事です。これに国として力を入れれば、雇用は創出され、国民は安心するので、いいと思うのですが。

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2009年02月06日 近頃思うこと

 「月」「日」ときたので、「星」の話をします。私は、映画「スター・ウォーズ」が好きです。今までのシリーズは、もちろんすべて、公開時に見ています。しかし、このシリーズはずいぶんと長い期間をあけて公開されていますので、どのシリーズをいつ見たかということが、自分の人生と重なっていることがあります。例えば、第1作は、日本での公開は、1978年でしたから、教員の頃で、6年生の子数人と一緒に見に行きました。
アメリカ映画の名作の中には、日本映画の名作を基にした映画が多くあり、特に黒澤明監督の映画から影響を受けた映画は少なくありません。有名な作品では、黒澤明監督の映画「七人の侍」を基に「荒野の七人」が作られています。同様、「スター・ウォーズ」も、その製作にあたって、黒澤明監督の「隠し砦の三悪人」を基にしたとも言われています。「ジェダイ騎士」は時代劇の「時代」という言葉から転じたものといわれていることはとても興味深いことですね。そう思ってみると、中に出てくる武器である「ライトセイバー」という光の刀で戦う姿は、武士が戦う姿に影響されています。
このシリーズ第1作のタイトルは、単に「スター・ウォーズ」でしたが、次第にシリーズが進むにしたがって、それは、前編の中の「エピソード4」であることがわかってきます。そして、後になって、「新たなる希望」という副題がつけられます。このシリーズに見せられたのは、この中での闘いに大きな力を発揮する「フォース」という力です。以前のブログに書きましたが、私は、どうも、自分でも何らかのフォースを感じることがあるからです。
映画の中で、フォースが最大限使われる場面が、最後に敵の攻撃をかわしながら、帝国の強力な武器を破壊するために、ルーク・スカイウォーカーが排熱ダクトに魚雷を打ち込もうとするときです。当然、その場所を、照準器を操作してさがし、そこに目標を定めようとします。しかし、どうしてもぶれてしまいます。そんなときに、ルークの耳元に「フォースを使え、ルーク」というオビ・ワンの声が聞こえてきます。それでも、まだ自分を理解しておらず、その力を信じていないルークはあくまでも計器に頼ろうとします。しかし、やはりうまくいきません。すると、またオビ・ワンのこんな声が聞こえてきます。「忘れるんだ、ルーク」その声を聞いて、ルークは、計器から目を離すだけでなく、静かにに目を閉じて、心を落ち着かせ、心で感じようとします。すると、はっきりと心の中に標的が見えてきます。その心によって、見事命中するのです。
このときに、目の前に見える実態だけが現実ではなく、静かに心を落ち着かせ、心の感じるものが現実であること、それは、決して計器のような機械では見ることができないものであることを知ることができました。そして、その力は、強く念じること、すなわち心を集中することが大切であること、そして、その見る目、集中する心は、刷り込みや、習慣が曇らせることがあることなどを知りました。
見るときに目だけを使うのではなく、聞く時に耳だけを使うのではなく、ほかの器官もフルに使うことは、香りを味わうとか、香りを聞くに通じる日本の文化にも通じる気がします。そして、これは、人間しかできない前頭葉の働きによるものだということが最近は分かってきているようです。

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2009年02月05日 近頃思うこと

日食

昨日は、来年の月食の話をしましたが、実は、今年の7月22日には日食が起こります。しかも、日本でも、全国的に部分日食を観察することができます。また奄美大島北部や屋久島、種子島南部などでは、皆既日食も見ることができるのです。
 皆既日食になると、太陽のまわりにはコロナを見ることができ、また太陽表面から吹き出ている赤いプロミネンスなども観察することができます。空は、夕方や明け方と思われるほどに薄暗くなり、明るい星であれば見ることもできることがあります。また、地平線近くは、太陽がどの位置で欠けるかによりますが、夕焼けや朝焼けのように空が赤く染まって見られます。
 太陽という絶対的なものが、このような状態になることを昔の人は不思議に思ったでしょうね。また、不安にもなったでしょう。ですから、当然、この日食に関しての民話や神話が残っています。日本でも、有名なものに、アマテラスが天岩戸に隠れて世の中が闇になるという話があり、これは、日食を表したものだという解釈があります。もうひとつの解釈としてあるのは、冬至を過ぎて太陽が弱まった力を取り戻すということを象徴したものとする見方ですが、この冬至神話も、絶対的な力を持つはずである太陽が弱まってくるということで、同じように世界各地に見られます。
 今年、日本でも一部の地域で見られる皆既日食は、とても珍しい現象です。前回、日本の陸地で見られたのは、1963年7月21日の北海道東部で、実に46年ぶりです。次に見られるのは、2035年9月2日に中部地方の一部、関東地方の北部などで皆既日食を観察することができます。今から26年後ですから、何とか見ることができるかもしれません。
今回全国で見られる「日食」は、ほとんどの地域では部分日食ですが、その欠ける程度と欠ける時刻は地域によって違います。もちろん皆既日食が見られる地域に近いほど大きく欠けますので、九州地方の方は観察にはいいかもしれません。以北であれば、大ざっぱに南に行くほど大きく欠けて見られることになります。日食の欠ける深さを「食分」という数値で表します。食分0.1とは、太陽の直径の10%まで太陽面上に月が入り込み、太陽が欠けることを意味しています。今回の地域による食分は、札幌では0.506と約半分ですが、東京では0.749と約4分の3まで月が入り込み、福岡で0.897、那覇で0.917と、それぞれ約90%まで月が入り込む深い部分日食となります。
私が中学2年生のとき、地学の授業で「日食と月食のかけていく様子を、時間を追って描きなさい。」という課題が出ました。そのときに、まず、太陽と月の円の大きさの比率がわからず、どのように欠けていくかわかりませんでした。そこで、私の中学校は神田にありましたので、銀座線に乗って、渋谷にあった「五島プラネタリウム」に聞きに行きました。すると、そこの研究員が丁寧に教えてくれたので、それにしたがって描いていったら、また何か次の課題を出され、何度か渋谷に通いました。何度も聞きに行くために、裏から自由に出入りができるようになりました。そんなことがあったために、今でも天体のことが好きになり、教員の頃に中学生から天文研究会の顧問も頼まれたのかもしれません。
 課題を出された当時は、なんでこんな難しい課題を出すのかと少しうらんだこともありましたが、結局は、よかったのかもしれません。
後になってよかったと思う体験は、ほかにもたくさんありますね。

投稿者 fujimori : 21:22 | コメント (4)

2009年02月04日 教員の頃

月食

昨日は、節分で、今日は立春です。これらは祝日ではないのでそれほど問題はないのですが、祝祭日が年によって変わるものがあり、どうやって決めるのだろうと思っていました。それが、一昨日にわかりました。読売新聞に「国立天文台が2日付の官報で公表した2010年の暦要項で、同年12月21日に、全国で「皆既月食」が観測できることがわかった。」という記事があったからです。毎年2月の最初の官報で翌年の暦要項が発表されることになっていて、今年は2月2日に「平成22(2010)年暦要項」が発表されました。
暦計算室では、国際的に採用されている基準暦に基づいて、太陽・月・惑星の視位置をはじめ諸暦象事項を計算し、「暦書」として「暦象年表」を発行していて、それから抜粋したものが暦要項です。昭和29年6月1日の官報に次年度の暦要項を掲載したのが最初だそうです。
この暦要項には、国立天文台で計算した翌年の暦(国民の祝日、日曜表、二十四節気および雑節、朔弦望、東京の日出入、日食および月食)が掲載されています。それによると、平成22年には日食が2回、月食が3回ありようです。1月1日は部分月食、全国で見ることができますが、食分は最大0.082と僅かにかけるだけです。1月15日は金環日食、西日本でかけたまま沈んでいく太陽を眺めることができます。6月26日は部分月食、全国で見ることができますが、南西諸島・九州・中国・四国地方の一部および北海道の一部では食が始まってから月の出となります。7月12日は皆既日食ですが、日本では見ることはできません。12月21日は皆既月食、ほぼ全国でかけたまま昇ってくる月を眺めることがでますが、西日本では皆既食が始まってから、石垣島周辺では皆既食が終わってから月の出となります。
 12月21日に、全国で見られる「皆既月食」ですが、2007年8月28日に、全国で皆既月食が見られました。その前が2001年1月でしたから、6年ぶりでした。2007年のときには、地球の影の中に月がすっぽりと入ってしまうこの現象が全国で見られたこと、また、夕刻から夜という多くの人にとって観察しやすい時間帯に起こるために、国立天文台では、「皆既月食どんな色?」というキャンペーンを行いました。月食は、日食と違って肉眼でも十分観察できる天文現象ですから、全部で3138件の観察結果のご報告があったそうです。ちなみに、このようなキャンペーンをよくやるのですが、これまでの10回のうち最も多かったのは、「夏の夜・流れ星を数えよう」というペルセウス座流星群のときのキャンペーンで、11375件もあったそうです。
皆既月食中の月は、一般的に真っ黒にはならず、赤銅色とよく表現される赤黒い色で見られることが多いのですが、この色は、皆既月食ごとに変化することが知られています。来年の話になるのですが、どんな色の月食が見られるのでしょうか。
 私が、小学校の教員をしていたとき、近くの中学生数人が訪ねてきて、「天文研究会の顧問になってくれませんか?」と頼まれ、ほぼ毎月、私の家で、テストをしたり、天体についての話をしたりしていました。その中の活動として、何人かの中学生が私の家に泊まりこんで、月食の観察を夜中にしたのを思い出します。

投稿者 fujimori : 23:40 | コメント (4)

2009年02月03日 近頃思うこと

香りは味わう?

 今日の職員室では、長崎から頂いたお菓子で盛り上がっていました。私は初めて食べた菓子ですが、職員もみんな初めて食べたようでした。その菓子は、「一口香(いっこうこう)」です。なんでこの菓子で盛り上がったかというと、その形状は、まさにお饅頭です。丸く、平べったい形で、中にはぎっしりとあんこか何かが詰まっているようです。それを口に頬張ろうとすると、周りが固いのにまずびっくりします。それは、だいぶ日がたって、硬くなった饅頭のようです。懸命にかじって端を噛み切ります。すると、どうでしょう。中にはぎっしりとあんこか何か詰まっていると思いきや、中は空洞なのです。「あっ!はずれだ!」と思ってしまいます。
この菓子は、2種類頂きました。その一つの箱の中の説明書には、「一口たべたとたんに甘くて香ばしい味わいがするからと、たくみに名付けられた“長崎銘菓・一口香”」と書かれていますし、もう一方の箱には、「口にほおばれば香ばしいところから一口香と名付けられました。」と書かれています。こんな注釈も付いています。中は、空っぽではありません。「香り」が入っています。すなわち、「香りを味わう」ということでしょうか。
説明書によると、もともとは、中国伝来の干し菓子で、古くは唐の禅僧や東シナ海を航海する中国人にとり貴重な保存食だったそうです。水飴で練った小麦粉の皮で黒糖の飴を包み、オーブンで焼き上げると、小麦粉と水飴の皮はボーロ状となり、中の黒糖の飴は溶けて皮に付着して空洞となります。その独特の製法と中が空洞という形状から「からくりまんじゅう」とも呼ばれています。
本来は、香りは嗅ぐものですが、この「香りを味わう」というのはいい表現ですね。もともと、人間は空気といっしょに吸い込まれてくるにおい分子を感知しているので、空気中に蒸気を発しやすい物質にしかにおいを感じません。ですから、正確に言うと、空洞ではなく、空気が入っているのです。しかし、昆虫は、触角でにおいを感知しますし、水中に住む動物は、水に溶けているにおい分子を感知するように、もっといろいろなものからにおいを感じ取ることができます。先日こんな案内を見つけました。「歴史と文化、潮の香りを味わう小田原ウォーク」というものです。ここでも、「香り」を味わいます。
また、「香道」では、香りを「嗅ぐ」のではなく「聞く」と言います。その表現は、「繊細な澄んだ香りが心に呼びかける」といった意味合いがあるようです。それは、「利く」とも書き、香道は「聞香」(ききこう、もんこう)ともいわれ、「香を聞く」ことは、つねに香りを嗅ぎ分けることから始まり、感覚をよびおこすことで終わります。
香りから感覚を呼び起こすという研究がスイスで行われ、こんな結果が数年前に発表されています。それは、「すべての人の体で自然に分泌されるある物質のにおいを嗅ぐと、自分の金を他の人に託したくなる」というものですが、面白いですね。それは、神経ペプチド「オキシトシン」を嗅ぐと、他人への信頼感が高まって自分の金を託すようになったというものです。この物質は感情にかかわるさまざまな行動と関係があるとされ、人間においては出産や授乳を促進し、母子の結びつきにおいて重要な役割を果たしているといわれています。そして、動物では、他の動物が持つ本来の正常な警戒心を一時的に緩め、「接近行動」を可能にすることで交配を促す働きがあると考えられています。
香りというものは、見えないものだけあって、まだまだいろいろなことが解明されてくるでしょうね。

投稿者 fujimori : 22:59 | コメント (5)

2009年02月02日 講演先にて

ランタン

 寒い夜に恋しくなる食べ物といえば、何を思い出すでしょうか。職場から帰る時に、寒くて凍えそうな時に、「鍋でも食べたい」と思いました。また、時に「おでん」を食べたくなる時もあります。私は、育ったのが下町でしたから、風呂は銭湯に入りに行きました。どんなに寒い日でも、手ぬぐいを持って出かけました。今考えると、面倒くさかったのによく行ったと思います。寒い日の帰りには、「神田川」の歌詞のように「洗い髪が芯まで冷えて、小さな石鹸 カタカタ鳴った」ものです。そして、銭湯に入り口には、「おでん」を売っている屋台が停まっていました。「覚えてますか、寒い夜。赤ちょうちんに誘われて、おでんを沢山買いました。月に一度のぜいたくだけど、お酒もちょっぴり飲んだわね」私は子どもだったために、お酒は飲まなかったですが、たまには贅沢におでんを食べたり、鍋を持って行って、帰りに夕食のおかずにと、おでんを買ったこともありました。この歌も、やはり「かぐや姫」というグループの「赤ちょうちん」という歌の歌詞です。
 赤ちょうちんとは、その字の通り「赤いちょうちん」のことを言いますが、この歌詞のように屋台のおでん屋には赤い提灯が下げられていました。「今でも時々雨の夜。赤ちょうちんも濡れている屋台にあなたがいるような気がします」屋台だけでなく、女性のいない飲み屋や居酒屋にも掛けられていたので、「赤ちょうちん」というと居酒屋の俗称として使われるようになりました。
 そのほか、提灯というものを日本ではお祭りに使うことも多いようです。また、提灯行列がかつてあったように、何か祝う時に提灯を下げて練り歩いたりもします。アイルランドの「ジャック・オ・ランタン」という民間伝承が元になっているお祭りがあります。という。これは、怠け者でズル賢い農夫のジャックが、悪魔と地獄に落とさないという約束をしますが、死んでから天国には行けず、だからと言って約束したので地獄には行けず、光がない真っ暗な世界を、悪魔からもらった地獄の石炭のかけらをカブの中に入れて、ランタン(ちょうちん)代わりとして、さまよっているという話です。この提灯にしたカブが、アメリカでカボチャのランタンに置き換えられ、ハロウィンというお祭りになったのです。
 先週末訪れた長崎市では、中国色豊かな灯の祭典「長崎ランタンフェスティバル」が行われていました。このお祭りは、長崎在住の華僑の人々が、中国の旧正月(春節)を祝うための行事として始めたもので、もともと「春節祭」として長崎新地中華街を中心に行なわれていましたが、平成6年から規模を拡大し、長崎の冬を彩る一大風物詩となりました。夕方、講演前に歩いた眼鏡橋を中心にした川の両岸には多くの提灯が張りめぐらされていました。
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夜の講演が終わり、ホテルまで向かう途中の長崎新地中華街、すでに人通りに少なくなった浜市・観光通りアーケードなどには、約1万5千個にも及ぶランタン(中国提灯)が飾られていました。
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その真ん中に位置する湊公園には、干支のメインオブジェが置かれ、そのほかにも大型オブジェが所狭しと飾られていました。今年のメインオブジェは「金牛」でした。中国には「高い目標をに向かって力を出しきって進めば、天と地だってひっくり返すことができる(力爭上游 扭(牛)轉乾坤)」という諺があります。これに由来して、激流を登っていく鯉(登竜門)と状元及第(科挙の最終試験に筆頭合格を成した貴士)が富の牛「金牛」に乗っている様子を表しています。
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 まさに、今、自分に課せられた課題に対しての心構えを表している気がしました。

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2009年02月01日 近頃思うこと

人の美

 先日、リーダー研修が行われ、今週末、長崎で研修会がありました。それらの研修会を通して、私も新ためて「リーダー」とはどうあるべきかを考えています。人に説明したり、人の前で講演することは、自分の考えを見直すことにもなり、とてもありがたいことだと思います。また、リーダーとしての在り方は、何も地位のある人の在り方ということだけでなく、子どもに対して大人としての在り方、また、他人に対する接し方、そして、人としての生き方を示していることが多くあります。それは、人というのは、決して一人で生きていく存在ではないからです。集団で生きていくのであれば、そこには自分以外の人が存在します。ですから、自分の生き方を考えることは、人とのかかわり方を考えることなのです。
 その時の考え方を、よく論語に学びます。「論語」とは、孔子と彼の高弟の言行を孔子の死後、弟子達が記録した書物のことですが、孔子のことばの多くは、為政者に向けて、高い倫理観を持って民衆に当たらなければならないという心得を語っています。しかし、それは決して為政者としてだけでなく、リーダーとしての在り方、子どもに対する心持ち、人としての生き方を示していることがあります。というより、そのような読み取り方をすることによって、自らを振り返る手立てとなります。
 そんなわけで、ブログでは、よく論語から引用します。今日も、リーダーとしての在り方について、こんな言葉を思い出しました。顔淵第十二の一節です。
「子曰、君子成人之美、不成人之惡、小人反是。」(子曰わく、君子は人の美を成し、人の悪を成さず。小人は是に反す。)
この孔子が言った言葉は、いろいろな意味が考えられます。というのは、「人の美」とは何を指すかということです。人として美しいものとは、例えば、その人が持っている「長所」「美点」かもしれません。それとも、その人が行った「善行」かもしれません。それとも行為の成果である「成功」のことかもしれません。その反対のものが「悪」です。君子というものは、「人の長所、美点を褒め」たり、「伸ばしてあげ」たり、「善行を、励まして」あげたり、「成功を喜んであげ」たりするものであると言っています。しかし、「短所があってもけなし」たりせず、「失敗してもそれを嘲る」ことをせず、「悪行を非難したり」せず、正してあげようとしたり、援助しようとしたりするものなのです。しかし、小人はそれとは逆のことをします。人の欠点を探し、それを指摘したり、けなしたり、みんなにそれを広めたるするような人は、リーダーになる資格がないのです。
誰でも完璧な人はいません。リーダーであっても完ぺきではありません。人は、時には失敗もするでしょうし、間違ったこともするかもしれません。まして、子どもは、よく失敗したり、悪さをすることがあります。そんなときには、慰めたり、正してあげたりするべきですし、それより前に、成功したら一緒に喜んであげ、良いところを見つけ、そこを褒め、励ましてあげることが必要であると説いています。
リーダーたるものは、「人の美」を見つけることを心がけ、大人は、子どもの「美」を見つけてあげることこそ必要なのです。

投稿者 fujimori : 22:05 | コメント (4)