後楽

 リーダーというものは、激しい攻撃にあうことがあります。それは、変化をしようとするからです。率先して、チェンジにチャレンジするのがリーダーであるからです。人は、変化にはしり込みをします。今、そこそこやれているものを変えようとするのは、特に勇気が要ります。しかも、その変化には先の見通しがなければなりません。その見通しが立てられるのも、リーダーの資質であるとすれば、リーダーが攻撃されるのは必然かもしれません。
野球の巨人軍のホームグラウンド東京ドームにほど近いところに「後楽園」があります。同じ名前の公園が岡山にもあります。この名前の由来は、「士は天下の憂いに先んじて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」という中国の「岳陽楼記」からきています。この岳陽楼とは、中国でよく知られた古代建築の一つです。昔から、多くの文人墨客が岳陽楼を詠った詩や文章を書いています。その中で最も有名なのが、1000年前の北宋時代の范仲淹が書いた「岳陽楼記」です。そして、その中で一番有名な句が、この「先天下之憂而憂 後天下之楽而楽」でいうもので、その中の一部を取って、「先憂後楽」という四字熟語になっています。また、この「岳陽楼記」を書いた范仲淹という人は、中国・北宋の政治家であり文人でした。彼は、六経・易に通じ常に感激して天下を論じ一身を顧みなかったといわれています。
「天下の憂いに先立ちて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」とは、「士はまさに、天下国家の憂いを世の人々が未だ憂えない前に憂え、世の人々が楽しみ、豊かになった後に楽しむものである。」という指導者の心得を表したものです。この言葉のように、リーダーは、世の中をよく見て、他の人より先にその現状を憂えてまず行動すべきです。人々が困ったり、憂えたりしてからやっと憂えるのであれば、リーダーの資格がないと言えるでしょう。
そして、その憂いに対して行動しようとするときには、さまざまな障害があるかもしれません。「自反而縮。雖千万人。吾往矣。」です。この言葉は、「自(みずか)ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人と雖(いえど)も吾(われ)往(ゆ)かん。」ということで、中国の古典「孟子」の公孫丑上篇にある一節で、孔子が「大勇」について語った言葉です。その意味は、「自らを省みて、正しくないとわかれば、たとえ相手がとるにたらないものでも私は恐れる。しかし自らを省みて、正しいと思うのであれば、私は千万の敵であろうと恐れることはない。」ということです。「縮」というのは、「義理にあう」「正しい」ということであり。よく自分のことを振り返り、その行為は、見栄のためであるとか、自分の保護のためであるとか、物欲のためであるとかではなく、自分としてはやましい心はなく、正しいと思えるのであれば、どんなに世界中が反対しようとも自分の道を貫くべきであるということです。
 その道を貫くのは、勇気がいります。勇気の源は、内心の正しさであると言っているのです。相手の強さ、年齢、地位ではありません。自分にやましいことがあれば、子どもの前でもひれ伏すしかないのです。

後楽” への4件のコメント

  1. 後楽園の名にそんな意味がこめられていたとは知りませんでした。大切にしたい言葉ですね。10年位前に「リーダーは周りから嫌われてこそ立派なリーダーだ。嫌われるのを恐れてはいけない。」と教えてくれた人がいますが、どこか納得のいかないところがありましたが今はなんとなくわかる気がします。人は変化を嫌うけれど、必要なら変わらなければいけないと行動するのはリーダーの役目です。嫌われてしまうのを恐れて行動をおこすのをやめてしまえば、結局はみんなを不幸にしてしまうかもしれません。そんな判断をしなければいけないので、私心にとらわれない考え方も当然必要になってきます。自分を磨き続けることを怠らず、変化させることを恐れるな。そんなことを教えてくれていたんだと、今頃になってやっとわかってきた気がします。

  2. 昨日のコメントで、「我が身」が子供に対して誠実であるかという一点が、園のリーダーにとって大切だと書きましたが、簡単そうで実はとても難しいことだということが、今日の先生のお話でよくわかります。「先憂」とは子どもの未来を憂うこと。「後楽」とは子どもたちの成長した姿を見る喜びと言えます。私がGTの先生方を心から尊敬するのは、皆さんのお話からそんな困難な道を敢えて選ばれた志の高さを感じるからです。

  3.  「チェンジにチャレンジするのがリーダーである」と「自反而縮。雖千万人。吾往矣。」この二つの言葉とは、もっと早く出会えば良かったと思いました。中学の時に部活でキャプテンをしていました。当時の部活の練習内容や練習に対する取り組み方などを変えたいと思っていましたが、なかなか言い出すことが出来ず、結局言えずじまいで卒業した事を思い出しました。それ以来リーダーの役職を薦められても頑なに断ってきました。結局、その時に言い出せなかった理由は自分に「勇気」が無かったのと、心の中にやましい気持ちがあったからなのかもしれません。自分の道が信じられように、もっと自分自身を磨いていきたいと思いました。

  4. 「先憂後楽」から小石川「後楽園」、岡山の「後楽園」が出ているのですね。勉強になります。しかし「後楽」の前には「先憂」があります。憂いて行動しようとする時、現状容認で「変える」ことを厭う人々は様々な理由をつけて「変化」を阻止しようとします。私からすると、ニコチン中毒者やアルコール中毒者が様々な言い訳をして決して止めようとしないのと同じような気がします。そしてそういうアディクティブな人々は「教育」「保育」界に多いような気がします。時代の「変化」に子どもたちは敏感です。その子どもたちを一時代前の価値観で教育保育しようとするから実におかしなことになっています。それでも「アディクティブ」ですから気づかない「先生」たちが多い。「アディクティブ」とは斯くも恐ろしいものです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です