私は、昔から何かに反対をしたり、人を動かそうとするときには、イソップ童話の「北風と太陽」を思い浮かべます。厳しさよりも優しさの方が人を動かす力があるという話です。太陽のような温かさで包み込んだ方が、風のように無理やりに、力づくで動かそうとするよりは、効果があるということです。
 昨日、園に見学にきた方にこう言われました。「1歳児のある子が、給食の時間になっても、金魚の水替えを見ていてなかなか席に座りません。それを先生は見ていながら、注意をせず、納得がいくまで見せていたことはどう考えたらよいでしょうか?」それに対して、私は、「子どもにとって、何を優先させてあげるかということを常に考えます。金魚も水替えはめったに見ることができないもので、それに興味を持ったその瞬間は大切にするべきであると先生は判断したのでしょう。また、その気持ちを満足いくように認めてあげると、その後、自ら早く行動します。その時に無理やりに連れて行く方が、かえって遅くなることになるのです。」
 人を動かすには、さまざまな考え方があります。「韓非子」という中国戦国時代の法家である韓非の著書があります。この書の内容は、春秋・戦国時代の思想・社会の集大成と分析とも言えるものであり、この本を、三国志に出てくる諸葛孔明が、劉備の息子の劉禅の教材として献上しています。この劉禅は、レッドクリフという映画で、生まれた翌年、曹操が荊州を攻めた際に、趙雲に救われ、九死に一生を得ています。その韓非子の中の「用、無用の効を知る」といわれる「外儲説」篇にこんな言葉があります。「事の理に因るときは、労せずして成る」これは、「物事に内在している原理に沿ってやれば、労せずして目的を達成できる」という意味の言葉です。
韓非子には、この具体例が挙げられています。「ある男が、車を牽いて太鼓橋に差し掛かりました。すると、車が重くて太鼓橋に乗り入れることができなくなってしまいました。そこで男は、無理やりに引っ張ろうとせず、車の梶棒に腰掛け、歌を歌いだしました。その声がとてもいい声だったので、人々が集まってきました。集まった人たちみんなで車を動かしてくれ、太鼓橋を難なく乗り越えわたることができたということです。」無理やり引っ張っても動かなかったでしょうし、かえって力ばかり浪費してしまいます。また、ただ周りの人に頼み込んでも、多くの人を集めるためには時間がかかりますし、広い範囲を歩きまわななければならないでしょう。それを、相手に委ねることによって物事進めればスムーズに事が運ぶことになるということでしょう。
何をやるにしても、「原理・原則」があり、それに逆らうようにやれば力ばかり使って達成できないことがあります。強制力ではなく、「理」を利用しなければなりません。相手の発達段階、性格、能力、置かれた状況などを考慮し、相手の気持ちに共感することで、相手が自ら動くという状況を作り出すことができるのです。
私の「やってあげる育児から 見守る育児へ」という本の中の「子どもを甘やかすことと、子どもの甘えを受容することは違います。」ということは、甘やかすということは要求通りにやってあげることであり、受容するというのは、その気持ちに共感するということなのです。リーダーも、理をもって、部下の気持ちに共感することが、自らやる力を引き出すことになるということです。

” への4件のコメント

  1. 私は「正しいものは正しい」と、直球を相手にぶつけることがいいことだと考え行動してきました。相手のことを知る努力もほとんどせず、です。今でもそう振舞ってしまうことがあるのは、柔軟性が足りないからなのかもしれません。自分が正しいと認めてもらいたかっただけかもしれません。少しずつですが、それではいけないと気づけるようになりました。自分を主張するより相手を知ることからはじめた方が目的により近づけるということもあるんだと思うようにもなりました。ブログの内容からずれているかもしれませんが、そんなことが頭に浮かんできました。
    「北風と太陽」のような大事な話を子どものころに教わっていましたね。すっかり忘れていました。

  2. まだ、西郷隆盛の「巨眼の人」が読み終わりません(笑)。西郷という人は、「強く叩けば大きく響き、小さく叩けば小さく響く」と評された大人物です。実に懐が深く、どんな人物でも会ったとたんにその人間性に魅了されたといいます。『士は我を知る者のために死す』・・・人は、自分をありのままに無条件に受け入れてくれる人のためなら命も惜しまないものですね。この「受容」の原理・原則が、保育の世界では「見守る保育」になり、家庭では「見守る育児」になり、組織におけるリーダーの在り方にもつながるわけですね。藤森先生、次の本は「やってあげるリーダーから見守るリーダー」でいかがでしょう(笑)。

  3.  自分の意見や考えが食い違っている人を動かす場合、ついつい感情的になり、相手の考えをあまり聞かないで、自分の考えを前面に出しすぎるような気がします。冷静に考えると、その方法だと動かすことは無理ですね。自分が逆の立場になってみると動くわけがありません。「理」を利用することはとても大切なことかもしれませんね。ブログにも書かれていますが、「相手の発達段階、性格、能力、置かれた状況などを考慮し、相手の気持ちを共感することで、自ら動く状況を作り出す」これはリーダーが部下を動かすことに限らず、保育にもつながりますね。子どもを自発的にするにも、その子どもの発達や性格などを先生が理解し、関わってあげる必要があると思いました。

  4. 「個性心理學」によると私の性格は「相手軸」とされます。今日のブログで紹介されている「相手の気持ちに共感することで云々」としての「相手軸」ならいいのですが、どうやら相手の顔色を伺ったりとか余計なお世話を勝手にやいてしまったりとか、つまり「相手」のことを思っているようで実は「自己中」という結構厄介な場合が多いことに気づかされます。藤森先生がよく引用される「頼まれたら嫌とは言えぬ江戸っ子気質」ということがあります。これこそは人間関係の「理」に適っていることでしょう。互いに自立したもの同士なら実に可能な「理」です。最近は頼まれもしないのにやってあげてしまったり、頼みもしないのにやってもらったり・・・どうも人間関係の「理」が失われつつあるようです。

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