人生

昨日は、夜中の2時に起きて、大統領就任演説をライブで聴きました。原稿見ずに、一つずつ具体的に、あらゆる課題項目について、自分の言葉で、国民に向けて話をしたことは、聞いている人の心に響きますね。
オバマ氏は、ずいぶんと苦労した経歴を持ちます。黒人というだけでも、ずいぶんとつらい目にあったでしょうね。演説の中でも「なぜ60年足らず前に地元の食堂で食事することを許されなかったかもしれない父親を持つ男が今、最も神聖な宣誓を行うためにあなたの前に立つことができるのか。」と言っているように、いよいよアメリカの新しい時代が来たことを予感させます。
比較されるリンカーンも大統領になるまでの経歴は、伝記の格好の材料になるくらいに波乱万丈です。その人生が、アメリカのユナイテッド・テクノロジー社の企業広告に使われています。その文が「アメリカの心」(学生社刊)のなかで紹介されています。
「これで君の気分は楽になるだろう(This will make you feel better. )」というタイトルです。
「もし君がときに落胆することがあったなら この男の子のことを考えてごらん。
小学校を中退した。田舎の雑貨屋を営んだ。破産した。借金を返すのに15年かかった。妻をめとった。不幸な結婚だった。上院に立候補。2回落選。下院に立候補。2回落選。歴史に残る演説をぶった。が、聴衆は無関心。新聞には毎日たたかれ、国の半分からは嫌われた。こんな有様にもかかわらず、想像してほしい。
世界中いたるところのどんなに多くの人々が この不器用な、ぶざいくな、むっつり者に啓発されたことかを。
その男は自分の名前をいとも簡単にサインしていた。A.リンカーンと。」
 それぞれ人は人生の途上にあります。それは、人生の最後のほうなのか、最初のほうなのか、真ん中なのかは人生が終わる時でないとわかりません。ですから、今の境遇は、残りの人生の糧となるに違いありません。それが、苦しい時でも、虐げられている時でも、きっと、それは単に人生のどこかであることがこの文章から感じることができます。
 この企業は、常にこのような発信をしています。他には、こんなのもあります。
「失敗を恐れるな」というものです。「きみはこれまで 何度も失敗した、おぼえてはいないかもしれないが。はじめて 歩こうとしたとき きみは転んでしまった。はじめて 泳ごうとしたとき きみは溺れそうになってしまった。そうだろう?」
 この企業の社訓にも同じようなことが書かれてあります。
「人生は失敗の連続である。ヨチヨチ歩きの幼児はすぐ転ぶ。生まれて始めて泳ぎに挑戦する者は、たっぷり水を飲む覚悟が必要だ。はじめてバットを握って構えても、球はバットを避けていく。強打者はホームランを打つが、三振もよくする。メイシーは、七度失敗し、八店目で成功した。それが全米最大のデパート「メイシーズ」だ。英国の作家、ジョン・クリシーは753回も原稿をつき返されたのち、564冊もの著作を世に出した。ベーブ・ルースは1330回の三振の後、714本ホームランを打った。あなたが恐れなければならないのは、失敗ではなく、チャレンジしないでチャンスを逃してしまうことだ。」
 今回のオバマのキーワードも「チャレンジ」「チェンジ」「チャンス」です。

短い話

 明日に控えたアメリカ大統領就任式に関する新聞記事やテレビニュースが多くなっています。その中で、やはり、オバマ氏が比較されるリンカーンに関する話題も多く見られますし、彼の言葉が引用されることも多いようです。
 きょうの朝日新聞のコラム天声人語では、就任演説がどうであるかを話題にしています。その最初の部分に私は全く同感します。それは、私は最近講演することが多く、先週の土曜日は5時間講演でしたし、昨日依頼された講演も5時間でした。時には、8時間ということもあります。「長くて大変ですね。」と言われるたびに、私は、二つの答え方をします。一つは、「いいえ、長い講演は、話している方よりも、聞いている方が疲れるものです。」と言います。私に8時間座って人の話を聞いていなさいと言われたら、それこそ苦痛かもしれません。もう一つの返答は、「いいえ、短い方が大変です。」と言います。天声人語の最初に西洋の賢人が、手紙の書き出しに書いた文章が紹介されています。「今日は急いでいるので長い手紙になってすみません」
また、米国の28代大統領ウィルソンが言った言葉は、「1時間の話なら今すぐ始められるが、10分の話は準備に1週間かかる」です。私は、時間だけでなく、こうも思っています。「難しいことを難しく言うのは簡単だが、難しいことをやさしく言うのは難しい。」ということも常々思っています。保育という人の生き方、人の考え方を問うている内容を、いかにやさしく、短い言葉で語るかは、私は一生の課題だと思っています。
それで有名なのが、天声人語に紹介されたリンカーンのゲティズバーグでの演説です。わずか10の文で構成された272語・3分間の「人民の、人民による、人民の為の政治=The Government of the people, by the people, for the people」です。もちろんこの文は、リンカーンが考えたものではなく、1380年にイギリスで出版された旧約聖書にジョン・ウィクリフが序文として書き込んだ文章であり、牧師のセオドア・パーカーが著書で紹介したのを引用したもののようですが、演説全体は、まさに自分が目指すべき政治を、簡潔で、言葉がこまかく吟味されて表したことには間違いはありません。また、お互いに一人一人が献身すべきことと、その高き理念がきわめて明快に述べられています。しかし、当時、あまり評判は良くなかったようです。同時にリンカーンの演説の前に行われたエドワード・エベットは1時間20分にわたる大演説をし、並みいる将兵に深い感銘を与えました。そのあと、リンカーンが立ち上がって何か祈りをこめるような調子で3分ほど演説をしましたが、それは沈痛で、重々しく、聞きとりにくいものでした。
しかし、エベレット自身も、後日、リンカーンヘの手紙のなかで、「あの場における小生の2時間の演説が、閣下の2分間の演説の要諦に迫るものであったと自負できるなら、まことに光栄です」と、謙虚につづっています。アメリカ随一の雄弁家であった故に、素直に、リンカーンのスピーチのすばらしさを認めたのでしょう。そのほかにも、リンカーンは様々な言葉を残しています。また、明日紹介します。
人の話す言葉には、その人の人格が込められ、その人の思想が含まれます。それを人にいかに簡潔に伝えることができるのか、また、人からそれをいかに学んでいくかが、私の今の課題です。

4月15日

 よく「今日は何の日?」というのがありますが、今日という日はどういう日かということよりも、自分の誕生日はどんな日か気になるところです。また、その日にはだれが生まれたか、だれが死んだかということも気になったことがありました。私が中学生のころかに、そのような本が出版され、伝記のようにそれを読んだものでした。
 私が生まれたのは、4月15日です。その日は、イタリアのルネサンス期を代表する芸術家で、万能の天才という異名で知られ、「万能人(uomo universale)」とも呼ばれている「レオナルド・ダ・ヴィンチ」が生まれた日です。彼は、膨大な手稿を残しており、その中には飛行機についてのアイデアも含まれていて、私の机の上のデスクトップパソコンのスクリーンセーバーは、ダ・ヴィンチが考えたヘリコプターになっています。このヘリコプターによって、4月15日は「ヘリコプターの日」と制定されています。
 では、この日に亡くなったのは誰かというと、最近ニュースでよく出てくる名前の第16代アメリカ合衆国大統領「エイブラハム・リンカーン」です。昨日、ワシントンのリンカーン記念堂で、「私たちは一つ」と名付けられた無料の祝賀コンサートが開かれました。そこには、スティービー・ワンダー、ブルース・スプリングスティーン、ビヨンセらの超有名アーティストたちが次々に舞台で熱唱し、U2のボノは、46年前にこの場所で公民権運動の指導者キング牧師が「私には夢がある」と演説したことに触れ、「火曜日にその夢がかなう」と語りました。
 火曜日というのは、オバマ米次期大統領の就任式が行われる予定の日です。昨日の祝賀コンサートで オバマ氏が敬愛するリンカーン元大統領の像の前で「変化を求める無数の声を妨げることのできる障害など何もない」と宣言しました。オバマ米次期大統領は就任式で、19世紀にリンカーン大統領が宣誓に用いた聖書を使い、宣誓する予定です。この聖書は1861年、リンカーンが就任宣誓の際に使ったもので、連邦議会図書館から特別に借りるそうです。オバマ氏がリンカーンを尊敬するのは、アメリカ国民に最も愛された大統領ということだけでなく、リンカーンが、オバマ氏の地元イリノイ州から第16代大統領になったということと、奴隷解放宣言によって黒人奴隷を解放したことで賞賛されているからです。この奴隷解放を宣言したときに使われたのが、今回オバマ氏が使う聖書だそうで、これを使うことで、人種や党派などの分断を乗り越え、米国の統合をめざす姿勢を示すようです。
 リンカーンの生い立ちと非業の最期は、とても劇的で伝記によく取り上げられます。生い立ちについては、ずいぶんとオバマ氏のかぶるところが多いですね。リンカーンの生い立ちは、アメリカの企業「ユナイテッド・テクノロジー社」の広告に使われました。この会社のモットーは、こんな企業広告で使われたこんな言葉で代表されます。「Don’t worry about failure. Worry about the chances you miss when you don’t even try.」(失敗を恐れる必要はない。恐れる必要があるのは、やりもしないで逃がしてしまうチャンスのほうである。)
 明日は、リンカーンの生い立ちが使われたほかの広告を紹介します。

PPM

 昨日の夜、NHKBSで、団塊の世代にはたまらないコンサートが放映されていました。ちょっと疲れていたのですが、午後11:25~0:55までの番組を終わるまでつい見てしまいました。ここで放送されたライブは、1964年にオーストラリアのシドニー「ザ・スタジアム」で行われたライブステージが収録された貴重なフイルムでした。
ちょうど高校生の頃、「The cruel war is raging. Johnny has to fight.」という歌詞で始まる歌は、ギターコードが簡単なこともあって、一人でよく弾き語りをしました。この歌詞を見て、懐かしいと思う人は、たぶん団塊の世代でしょうね。この歌詞は、「悲惨な戦争は激化して、ついにジョニーも行かなくてはならない。でも私は朝から晩までずっと、彼のそばにいたいと思う。彼のそばにいたいと思うから、それが私の心を締め付ける。お願い一緒に連れていって。いいえ、あなたはうなずかないわね。明日は日曜日、そして月曜日になれば 隊長さんの召集に、あなたも従わなくてはならない。隊長さんの呼ぶ声が、私の心を締め付ける。お願い一緒に連れていって。いいえ、やっぱりだめなのね。」昨日は、この曲は残念ながら放送されませんでしたが、歌った曲はみんな懐かしい歌でした。
この歌詞で分かるように、このころのフォークソングは、反戦歌が多くありました。それは、アメリカでは、ベトナム戦争真っ最中で、激化し、悲惨を極め、このコンサートの4年後には、あの悲惨な「ソンミ村虐殺事件」が起きます。この歌の「悲惨な戦争」という題名は少しおかしいと思います。それは、悲惨でない戦争などないと思うからです。
このコンサートで歌ったのは、PPM(本当は、PP&M)と言われたピーターとポールとマリーという3人グループです。1962年に「レモン・トゥリー」でレコード・デビューをし、一度は解散しますが、今は再結成され、最近の何かの番組でその現役で歌っている姿を見ることができました。
 今の人は、PPMというと、二酸化窒素などの大気汚染物質の濃度を表す時に使う単位を思い出すでしょうね。しかし、このppmとは、「parts per million」の頭文字をとったもので、100万分のいくらであるかという割合を示す単位です。ということは、1ppmとは、 0.0001%のことです。このよく使うパーセントは、ppcで表しますが、「parts per cent」という略語で、100分の1を表すので百分率といい、ppb(parts per billion)は、10億分の1、ppt(parts per trillion)は、1兆分の1のことをいい、一兆分率といいます。
話をもどして、PP&Mの歌を若い人も歌えるものがあります。それは、小学校三年生向けの音楽教科書に掲載されたり、中学生の教科書には英語で歌詞が掲載されたり、NHKのおかあさんといっしょで歌われた「パフ」という歌です。昨日のブログで登場した龍が、この歌では不老の竜「パフ」として登場します。少年「ジャッキーペーパー」との交流と別れを描いています。この別れが、なぜ訪れるのかは、よくわかりません。というのは、ジャッキーは次第に年を取って、子どものころのように遊ばなくなったからだとか、ドラゴンと遊ぶよりもほかの友達との方が面白くなったからだとか、ジャッキーは旅に出たと様々な日本語の歌詞が付いているからです。しかし、この歌が反戦歌としたら、ジャッキーは戦場に行ったか、戦死してしまったかもしれません。
昨日は、他にも「500マイル」「レモンツリー」「花はどこへ行った」など聞きましたが、曲の美しさに反して、青春のほろ苦さと、むきになっていたころを思い出して胸が苦しくなります。

易経

昨日のブログ書いた京大名誉教授の岡田さんが言った言葉「常に軌道修正しながら、止むことのないしなやかな生き方、大事なものは本質です」ということを「自彊不息」というようにという例をあげています。この言葉は、いろいろな学校の校訓に使われたりしている言葉ですが、もともとは、「易経」の「乾為天」で使われている言葉です。この言葉は、次のような言葉の後に続いています。「天行健 君子以自彊不息」(天行健なり。君子を以て自ら彊(つよ)めて息(やす)まず。)
「天行」というのは、天地の運行ということで、「天行健」とは、天地は、とても健やかに廻っていくということ、途切れることなく、規則正しく、健全に運行されていくとということで、「君子以自彊不息」とは、そのように君子も、自ら努め、学問に励み,人と交わり、職務を全うし、怠ることはなく規則正しく健全に行われなければならないということです。
この言葉は、「易経」にありますが、「易」とは、3500年ほど前、中国で生まれた占いで、その理論と方法をまとめた経典を「易経」と呼びます。人生のさまざまな局面を、大きく64に分けています。その中で最初にある「乾為天」とは、乾為天は、天と天が二つ重なった状態で、天高く大宇宙の元気が満ち満ちており、活気と勢いがある様子を表しています。ですから、「前向きに、一所懸命頑張る時」を表しています。このようなことを「易」では「乾為天の龍」といって、人間が成長するために必要な事柄を龍の成長にたとえて説明しています。
私のこのブログは、「臥竜塾」という名前です。それは、ブログを始めたころに説明していますが、将来、天に駆け上る龍が、今はまだいろいろなことを学ぶために臥せているということから、未来を生きる子どもたちが、今をよりよく生きていることを見守っているということを表して命名しました。それを易では、龍は、潜龍、見龍、君子終日乾乾す、躍龍、飛龍、亢龍の6段階の変遷を経て成長すると説いています。
「潜龍」とは田んぼの中に潜んだ龍のことを指し、臥竜に近い意味を持っています。「潜龍」の時は、まだ力を蓄えている間で、自分の力をひけらかすことはせず、あせらず、じっと我慢をする時期であることを言っています。
「見龍」は、田んぼの上に上がってきた龍のことを指しています。このころは、「見龍在田。利見大人。」といって、このころは、やっと、そのその存在は認められてきますが、まだまだ経験不足ですので、見識者などの指導を素直に受ける必要がある時期であるということをいっています。
次の段階は、「君子終日乾乾。夕惕若。厲无咎。」といいます。君子たるものは、一日中仕事に意欲を持って励み、そして夕方になるまで敬虔な慎みを持って励めば、まだまだ確固たる地位を得ていない立場ではありますが、何も問題はないということを言っています。そして、「或躍在淵。无咎。」の時期は、いよいよ龍が池の淵から天に飛び立とうとしている時です。それまでの時期をきちんと全うすれば、突如として躍龍に変化し、目標までもう一歩です。確実に力はついてきています。後は「天の時・地の利・人の和」がすべて揃えば、飛龍になると易では教えています。そして、「飛龍在天。利見大人。」空に飛び立った龍でも、今度は部下や、年下の言うことに耳を傾けましょうと言っています。しかし、「亢龍有悔。」といって、昇りすぎると、後悔することになります。「亢龍」は、やりすぎて周囲から浮いてしまった姿を表しています。自分相応を知って、いい気にならないように戒めています。

老いと豊かさ

 高齢者の言葉は、長い時間の経過の中で実際に体験してきたことから出てくるので、とても説得力があり、それは、科学的にも正しいことが多くあり、とても参考になります。また、寿命というのは、もしかしたら人によって定めれらた運命的なところもあるかもしれません。しかし、その与えられた人生をどう生きるかということは、自分で開拓していくものです。それは、実際の行動で示すこともありますが、考え方でその人生が熱くなることがあります。それは、決して高齢者に限らず、若い人であっても同じことが言えます。年をとっていくということなどを含めて、今、自分に与えられた様々な課題は、自分の人生を厚くするためのものであると理解することは、その後の人生を有意義に生きることにつながります。
 読売新聞の連載の中で昆虫画家の熊田千佳慕さんは、80歳の時、昆虫の微細な起伏や模様に気がつきます。その時に「先がないから『もっと見ろ』と神様に言われたのかもしれない。」と思うのです。その後、天命によって絵を描き続けます。描き続けているうちに、90歳になるころ、心身の老いと疲れを感じ始めます。そこで、「二分の力を残して」作業を終えるようにします。全力を注がないようにしたのです。すると、仕事は中途半端になるかと思いきや、逆に、作品に「豊かさ」という新たな評価が加わったといいます。熊田さんは、「僕には『老後』はない。」と言い、70歳からの「成長する老い」を生きているといいます。老いて力を抜くことは、豊かさを増すことであると考えるのです。そうなると、老いることは、衰えることではなく、成長するということになるのです。
 そのことを、理化学研究所センター長の渡辺さんは、このように説明します。「老化とは、疲労などで脳などの組織が傷つき、生命の根源である回復力が失われる現象である。」ですから、心身をリラックスさせるなど、力加減を知ることが長寿の手がかり。柔軟な回復力は疲労による脳の損傷も治すのだそうです。柔軟さが、老化を妨げるのです。歳をとるに従って、かたくなに自分を変えようとしない人をよく見ますが、それは、信念が強くなったのではなく、老化を加速させることなのです。
 一方、慶応大準教授の高山さんは、発達心理学から老いを説明しています。「知能は生涯を通じて発達する。おいて経験を得ることでこそ磨かれ、豊かになる知恵という力もある。」老いることで、知識は減少するかもしれませんが、柔軟性は、知恵を豊かなものにしていきます。それは、生物学を学ぶ意味は、知識を得ることだけではなく、生物の示す真実を私たち一人一人の人生に生かすことです。」と、どのような真実を私たちに示してくれているのでしょうか。それは、「生物をよく観察すると、無心に生きながら、足りないものを補い、欠けたものを再生し、その生き様はまさしく柔軟です。」と、京大名誉教授の岡田さんは言います。
柔軟さに目を向ければ、「自然の仕組みの素晴らしさに感動すれば、それぞれの年代の肌、容姿があり、それをありがたく受け入れる姿勢になります。マニュアルや知識ではない。本当の長寿を支えているものは、こうした心のありようだと深く感じるのです。」と言います。「生物には人間のような知性はありませんが、健康に生を全うするための優れた五感を備えています。豊かに生きるためには、私たちも都市生活などで失ったこの五感を研ぎ澄まさなければなりません。常に軌道修正しながら、止むことのないしなやかな生き方、大事なものは本質です。」
いろいろなところに通じる言葉です。

老いの形

 「老いの形」が急速に変わっている。長い老後をどう生きるか。どんな知恵や仕組みが必要か。直面する課題をシリーズで探る「長寿革命」という連載が、読売新聞で13日から連載が始まりました。その記事から、今の生き方を考える上でのヒントをたくさん得ることができ、とても面白く読んでいます。
 いまや日本は、世界一長寿国です。それは、公衆衛生の向上や医療の発展、感染症対策、健康意識の高まりなどと相まって、日本人の寿命を大きく伸ばしました。しかし、日本人が特に長寿国になった理由に、違うことをあげています。
 欧米諸国に比べ、日本には「高齢になっても、元気なうちは働きたい」という人がはるかに多いという特徴があるそうです。生きがいとして働き、社会のどこかに帰属したいという意識が強いのだそうです。それは、「農業社会では、高齢者にも相応な役割があり、本人も社会もそれを自覚していました。その伝統が今も引き継がれています。この文化的風土と、社会参加の意欲が、日本の特色です。」と書かれてあります。
 以前ブログでも紹介しましたが、私の園の取り組みに「ゲストからスタッフへ」というものがあります。園に来る人は、ゲストとしてこないで、スタッフとして来てほしいという呼びかけです。かつて、園の近くに三宅島から避難してきた人たちがいました。その中の子どもたちにはいろいろな団体からの支援がありました。しかし、お年寄りたちは家に閉じこもってなかなか地域に溶け込みませんでした。そこで、園から、「ぜひ、園に遊びに来てください。」と呼びかけましたが、誰も来ません。そこで、園の片隅に小さいのですが、畑を作って、「そこで何かを作りたいのですが、どうしたらよいかわからないので、助けてください。」と呼びかけたところ、あるお年寄りが来てくれたのです。その時に、人は、誰かから必要とされることで、参加をするのだということで、「ゲストからスタッフへ」というコピーを作ったのです。
 この呼びかけは、人は人生を終える時まで、ゲストではなく、スタッフとして生きようというメッセージが込められているのです。
 この新聞の連載でも、これからの高齢者は、誰もが「長寿」としての役割を与えられるわけにはいかず、従来の老人観を乗り越える必要があることを訴えています。「退職後の世代が大学で学び直す西欧のように、学ぶことを通じて社会参加し、活動を広げることも一つの方法でしょう。高齢者をとりまく社会のあり方を、各世代が真剣に検討し、歩みだすことも大切です。」
 私は、スタッフとして生きるということは、何かに「貢献」することだと思っています。それは、必ずしも肉体的な活動だけではなく、精神的な支えや、その存在自体で生きる姿勢を示すこともあると思います。そして、これはその年齢に関係はありません。たとえば、生まれたばかりの乳児でも、その母親に自らの存在で生きる喜びを与えているのです。また、同時に、生きる意欲も与えています。
自分を必要とする人や、必要とする場があることは、人を老いから遠ざけますし、いつまでも若くいられるための重要な要素かもしれません。

セザンヌ

 今、自分の中にある教養と呼ばれるものは、意外ですが、小中学生時代に身に付いたものが多くあります。美術や音楽への興味も、今となると、小中学生のころの影響が多いような気がします。私のころの都立高校入学試験は、9科目でした。国数理社英の5教科のほか、美術・音楽・体育・技術家庭の4教科がありました。しかも、これらはすべてペーパー試験でしたので、暗記科目でした。
 たとえば、音楽でいえば、学習指導要領に「共通鑑賞教材」というものがあり、各学年で決めたれた鑑賞曲がありました。中学3学年では、ベートーベン作曲、交響曲第6番ヘ長調「田園」がありましたが、その曲の出だしを楽譜で覚えたものでした。それは、最初の小節が出て、「これは、誰の作曲で、どんな曲か?」という問題が出るからです。また、階名を振ったり、移調、転調をするような問題が出るために、当然楽譜は読まなければなりませんでした。
 同じように、美術でも、3原色とか、補色とか、暖色、寒色はどんな色とか、有名な画家の有名な作品と、その作品の特徴と、その作品がどのような影響を与えたかなども覚えました。
 有名な画家の中で印象のある作品は多いのですが、今でも覚えているのは、セザンヌの作品です。彼の作品を鑑賞するうえで、彼の言葉のこんな言葉を教わりました。
「自然を円筒形と球形と円錐形によって扱いなさい」という言葉です。本当は、この言葉に続いて「自然は平面よりも深さにおいて存在します。そのため、赤と黄で示される光の震動の中に空気を感じさせる青系統を入れる必要性があるのです。」という言葉があります。セザンヌ以前の絵画においては、人体、山や木などの自然、リンゴや花などの静物を、いかにも眼前にそれがあるごとく、実物をいかに再現するかということが課題でした。そのために、対象物を正確に模写できるかということに力を注ぎました。
しかし、実際の対象物は3次元にあり、立体的なものです。それを2次元であるカンヴァスの上に模写しても、表わしきれるものではありません。セザンヌは、「人問にとって、その表面にあらわれているものよりずっと奥深い」と考え、それに比べて絵画は「彩色された平面」にすぎないことに気がつきます。ですから、自然を見たままの形態ではなく、円筒、球、円錐などの幾何学的な形態として捉えようとしました。その手法は、ゴーギャン、モディリアーニをはじめ、日本でも安井曾太郎、岸田劉生、森田恒友、佐伯祐三らに影響を与え、後にキュビスムとしてパブロ・ピカソ、ジョルジュ・ブラックらに受け継がれて行きます。
そこで、彼は「「近代絵画の父」と呼ばれ、「セザンヌ主義(セザニスム)」という言葉が生まれました。今、横浜美術館で、画家ポール・セザンヌと、その芸術に影響を受けたヨーロッパと日本の画家の作品を紹介する展覧会「セザンヌ主義-父と呼ばれる画家への礼讃 ピカソ・ゴーギャン・マティス・モディリアーニ」が開催されています。
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その展覧会に、先日の日曜日に行ってきました。最終日でもないのに、ずいぶんと混んでいました。時間が少し足りなく、じっくりと作品を鑑賞できませんでしたが、セザンヌの作品と、彼に影響を受けた画家の作品を見ていて、なんとなく、中学時代に覚えさせられたことを思い出しました。

塩2

塩は、いくら体に良いからといっても、それだけで食べるものではありません。ただ、激しい肉体労働をする人は、汗で大量の塩分を失いますので、塩をなめながら仕事をするということはあるようですが。しかし、特に日本では、塩はそのままで食べないで、いろいろなものに利用されています。日本の伝統食である味噌、醤油、漬物、梅干等に使い、食を豊かにしたり、保存食としても重要な役割を果たしています。世界1と言われる日本人の平均寿命を支えているのは伝統食世代であり、この人たちが長生きするようになったことが長寿世界1の一番の要因と考えると、塩こそその陰の存在ともいえるかもしれません。
徳川家康はある日、側に仕える阿茶の局に、「この世で一番うまいものは何か?」と尋ねた答えに、「それは塩です。山海の珍味も塩の味付け次第。また、一番まずいものも塩です。どんなにうまいものでも塩味が過ぎると食べられなくなります。」と答えと言われています。塩はさじ加減ひとつで、他のものの味を引き出します同じように。指導者もまた、家臣の心を巧みにとらえ能力を引き出すことが肝心ということを、暗にほのめかした局の答えに、家康は深く感銘し、以後教訓としたといわれています。それは、教育にも言えます。教師が強すぎず、教師という環境が子どもの持っている力を引き出すのです。また、それが「いい塩梅」なのでしょう。
人間の体は塩を必要としていますが、塩の過剰摂取は、高血圧、脳卒中、さらには胃ガンなどを引き起こす恐れもあり、体にとって良くないということは一般的によくいわれます。人が一日に体外に排出する塩分は1.3gだと言われていますので、、健康体であれば、最低でもそのくらいの塩分が必要になります。ではその適量とはいったいどれくらいなのでしょうか? 人が一般的に美味しいと感じる塩分濃度は0.8%だといわれています。これは人間の細胞外液の塩分濃度の数値に一致します。 つまり適塩を守る=体液濃度を維持すること そのために守るべき摂取量は10g、すなわち小さじ2杯分です。
ナメクジに塩をかけると縮んで死んでしまいます。それは、ナメクジの体の殆どは水分で構成されているため、塩をかけると浸透圧の関係で水分を失わらせてしまうからです。ですから、すっかり元気がなくなることのたとえとして、また、苦手なものの前に出て萎縮してしまうことのたとえとして「ナメクジに塩」と言いますし、同じように塩をかけると縮んで死んでしまう「ひる」にたとえて、「ひるに塩」といって、忌み嫌う苦手なものに直面して縮こまることのたとえとしてや、弱って足腰が立たなくなることのたとえとして使います。同様に、青菜に塩をかけると、葉や茎に含まれた水分が外に吸い出され、しおれてしまいます。そこから、急に元気をなくしてしょげるさまを、「青菜に塩」と言います。
体に良いものは、その使い方で悪いものになってしまうことが多いのです。「塩たらず」という言葉は、「塩はほどよい量を使わないと食べ物の持ち味を引き出せない。塩が足りないと間のぬけた味になってしまう」ということから、人がのろのろしていること、能力が低いことを表します。ヨーロッパには、「塩の豊かな人」という言葉があり、すぐれた人、教養のある人を表現するときに用いるようです。
そして、子どもは、「手塩にかけて」育てないといけないのです。自分の手で塩をふり、時間をかけて漬け込む漬物や、手のひらいっぱいに塩をつけて握りしめるおむすびのように、昔から手に塩をつけて丹念にものを作る行為には、愛情が込められています。

 このブログの「地名」というタイトルの時に、オーストリアのザルツブルグは、もともとザルツというソルトという塩から来ているということから、日本にも塩に縁のある地名が多いことを書きました。その時に、長野に塩のつく地名が多いことと、「敵に塩を送る」という逸話に少しふれました。
 この逸話は、ちょうど今、NHK大河ドラマで放送されている「天地人」に出てくる謙信と信玄の話です。
信玄が三国(甲斐・相模・駿河)同盟を破って駿河へ侵攻すると、今川氏真は相模の北条氏康とはかり、その報復措置として信玄領国へ塩を送ることを前面的に禁止しました。これは、今でいう経済封鎖政策です。体にとって塩がないというのはとても困ります。このことを知った謙信は、「塩を絶つとは卑劣で武士の恥であり、相手の国の力を弱めようとする行為自体が、相手に対し恐れをもっている証拠だ」と言い、敵国である武田家に塩を以前同様に通常の価格で売るように家来に命じたそうです。もしも高い値段で塩を売りつける者がいるのなら連絡せよとも言ったとか。このため武田の領民は、蘇生の思いをなし、深く謙信の高義を感じ、その厚志を徳としたといいます。謙信が義を重んじた態度に感謝した信玄は、そのお礼に太刀一振りを贈ったといわれています。その太刀のことを「塩留めの太刀」といい、現在、東京国立博物館に所蔵されているそうです。
これを、江戸時代の陽明学者・頼山陽が讃えて「所争在弓箭不在米塩」(争うところは、弓箭(いくさのこと)にある。米や塩ではない)と言い、「敵が苦しんでいる時に、かえってその苦境を救う」ことを「敵に塩を送る」と言うようになったのです。
このとき、塩が当時の武田領の松本市に到着した日が1569年1月11日で、甲府には1月14日に到着しました。ですから、昨日の1月11日は「塩の日」と決められています。そして、松本市に到着した辻で、1月11日に、ここのえびす様を祭っていた宮村天神(深志神社)の神主が塩を売るのが恒例となり「塩市」が始まったとされています。しかし、江戸時代前期に、飴を売る露天が本町に軒を連ねたため、今は「飴市」と呼ばれています。また、松本には、本庁の街角に「牛つなぎ石」という石がありますが、これは、その昔、上杉謙信が牛の背に塩を乗せて松本の地まで運んできたおりに、牛をつないでおいた石だとされています。
塩は、高血圧の敵のように言われていますが、実は体にとってはとても重要な役目があります。まず、塩のナトリウム分には神経・筋肉の働きを調節するという役割があり、ナトリウムが不足すると筋肉の収縮、弛緩がうまく行かなくなります。ですから、塩は筋肉運動に重要な役割を果たしているのです。また、 体温が上がりすぎると発熱体である塩分を体外に出し体温を下げようとします。これがいわゆる汗で、舐めるとしょっぱいのはそのせいです。脱水症状というのはこの活動が過ぎた時に起きる、塩分不足状態です。このように、塩は体温をコントロールしているのです。また、塩は導電物質で、人間の体内では塩分濃度が不足すると電流がよく流れなくなるため、情報伝達がうまくいかず、体調不良をきたします。また、塩のナトリウムイオンが不足すると新陳代謝は衰えてしまいます。他にも、ナトリウムイオンは腎臓の働きも助けています。そして、血液が酸性になるのを防いだり、消化の働きにも塩化ナトリウムが必要なのです。
塩を絶たれると困るわけですね。