わが身

 人を動かす時には、「その人を動かす」というよりも「その人が動く」ことによって、その行動の効果は違ってきます。その人の生き方に共感することによって動くことがあります。その人は、目的ではなく、主体でなければならないのです。でなければ、常の横にいて、指示をしなければ動かなくなってしまうからです。また、動くと言っても、「言った通りに動く」というのであれば、時間をかけて訓練をすればいいのですが、動く時に判断を伴う場合は難しくなります。しかも、その判断を自らしなければならない時にはより難しいです。ロボットを開発するうえで、それがどこまでできるようになるかが開発の大きなポイントです。しかし、最終的には、その判断に勘や、雰囲気や、感情が伴う場合は、人間にかなうものはありません。
 人を動かす時に、いくら教えても、いくら言ってもなかなか真意が伝わらないことがあります。それは、そのリーダーたる人への共感が薄いということもあります。その人の生き方、考え方に共感していると、人は動いてくれます。よく、「自分のことは棚に上げて」人にお説教する人がいますが、その場合に無理やりに頷かせることはできますが、人を感動させたり、心から納得してはくれません。
 論語の子路篇の中で孔子はこんなことを言っています。「その身正しければ令せずして行われ、その身正しからざれば令すといえども行われず」指導者の行為が正しければ、人は命令しなくても自ら動くのですが、その人自身の行為が正しくなければ、いくら人に命令してやらせようとしても、人はその人の言葉に従って動きはしないのであるということです。
 モデリングということばがあります。学ぶことは、「まねる」ことから始まり、「まねぶ」になり、「まなぶ」になります。その真似る対象で一番影響のあるのは、リーダーであり、子どもからすると親であり、身近な大人です。反面教師という言葉がありますが、これは大きくなってからの影響で、自分の考えができてからの話です。しかも、「ああは、なりたくない」と思えるのですが、「どうしたらよいか」ということにはつながりません。
 東京都の取り組みで「子どもにあいさつさせよう!」というものがありますが、私はこのスローガンよりも、「子どもにあいさつしよう!」という方がいいと思います。先日、園の見学者から、保護者からの苦情の一つに「職員があいさつしない」というものがありますと言われました。これはどの園でもよく言われることですが、「職員にあいさつしよう」ということで接してくれれば、必ずあいさつを返すと思うのですが。
 しかし、モデルと言っても、立場が違えば必ずしも同じことをして示すことはできないことがあります。保育者に「子どもを受容するようにしなさい」と園長が言ったときに、「では、園長が子どもを見てください!」というような大人げない言葉を返す人がいますが、それは、それぞれの立場の役目があるので、おかしなことです。その時にその言葉に説得力があるのは、もちろんその言葉の意味をよく理解し、子どもを理解していなければならないのですが、それにまして、園長の行為が常に正しくあるように努力をしていなければならないのです。人は、金や地位で動かすものではなく、リーダーの自らの行為と、リーダーの部下を信じる気持ちが人を動かすのです。