このブログの「地名」というタイトルの時に、オーストリアのザルツブルグは、もともとザルツというソルトという塩から来ているということから、日本にも塩に縁のある地名が多いことを書きました。その時に、長野に塩のつく地名が多いことと、「敵に塩を送る」という逸話に少しふれました。
 この逸話は、ちょうど今、NHK大河ドラマで放送されている「天地人」に出てくる謙信と信玄の話です。
信玄が三国(甲斐・相模・駿河)同盟を破って駿河へ侵攻すると、今川氏真は相模の北条氏康とはかり、その報復措置として信玄領国へ塩を送ることを前面的に禁止しました。これは、今でいう経済封鎖政策です。体にとって塩がないというのはとても困ります。このことを知った謙信は、「塩を絶つとは卑劣で武士の恥であり、相手の国の力を弱めようとする行為自体が、相手に対し恐れをもっている証拠だ」と言い、敵国である武田家に塩を以前同様に通常の価格で売るように家来に命じたそうです。もしも高い値段で塩を売りつける者がいるのなら連絡せよとも言ったとか。このため武田の領民は、蘇生の思いをなし、深く謙信の高義を感じ、その厚志を徳としたといいます。謙信が義を重んじた態度に感謝した信玄は、そのお礼に太刀一振りを贈ったといわれています。その太刀のことを「塩留めの太刀」といい、現在、東京国立博物館に所蔵されているそうです。
これを、江戸時代の陽明学者・頼山陽が讃えて「所争在弓箭不在米塩」(争うところは、弓箭(いくさのこと)にある。米や塩ではない)と言い、「敵が苦しんでいる時に、かえってその苦境を救う」ことを「敵に塩を送る」と言うようになったのです。
このとき、塩が当時の武田領の松本市に到着した日が1569年1月11日で、甲府には1月14日に到着しました。ですから、昨日の1月11日は「塩の日」と決められています。そして、松本市に到着した辻で、1月11日に、ここのえびす様を祭っていた宮村天神(深志神社)の神主が塩を売るのが恒例となり「塩市」が始まったとされています。しかし、江戸時代前期に、飴を売る露天が本町に軒を連ねたため、今は「飴市」と呼ばれています。また、松本には、本庁の街角に「牛つなぎ石」という石がありますが、これは、その昔、上杉謙信が牛の背に塩を乗せて松本の地まで運んできたおりに、牛をつないでおいた石だとされています。
塩は、高血圧の敵のように言われていますが、実は体にとってはとても重要な役目があります。まず、塩のナトリウム分には神経・筋肉の働きを調節するという役割があり、ナトリウムが不足すると筋肉の収縮、弛緩がうまく行かなくなります。ですから、塩は筋肉運動に重要な役割を果たしているのです。また、 体温が上がりすぎると発熱体である塩分を体外に出し体温を下げようとします。これがいわゆる汗で、舐めるとしょっぱいのはそのせいです。脱水症状というのはこの活動が過ぎた時に起きる、塩分不足状態です。このように、塩は体温をコントロールしているのです。また、塩は導電物質で、人間の体内では塩分濃度が不足すると電流がよく流れなくなるため、情報伝達がうまくいかず、体調不良をきたします。また、塩のナトリウムイオンが不足すると新陳代謝は衰えてしまいます。他にも、ナトリウムイオンは腎臓の働きも助けています。そして、血液が酸性になるのを防いだり、消化の働きにも塩化ナトリウムが必要なのです。
塩を絶たれると困るわけですね。