今年は丑年ですが、有名人のなかで丑年であり、正月に関係あるとしたら「菅原道真」でしょう。その真意は定かではありませんが、菅原道真と牛との関係は深く、全国にある天満宮には、臥牛の像がおかれているところが多いようです。その理由は、道真が丑年ということだけでなく、色々な縁が言われています。
 道真は、わずか5歳で和歌を詠み、10歳を過ぎて漢詩を創作し、神童と称されました。
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5歳の菅公
その後、次々と出世して33歳で式部少輔、文章博士となり、学者としては最高の栄進を続けました。そして、京で蔵人頭などの政治の中心で活躍し、50歳の時には、唐の国情不安と文化の衰退を理由に遣唐使停止を建議しました。そして、ついに、藤原時平とともに従二位に叙せられましたが、その直後、急転して大宰府左遷となりました。ここで、配流に近い窮迫の日々を送りながら不遇の中で亡くなります。
実は、左遷は左大臣藤原時平に讒訴された為であるために、朝廷にたたりをなし、その後、朝廷でも罪なきことが判明し、人から神となり、天満天神、学問の神・文化の神として現代に至るまで永く人々の信仰を集めているのです。
小さい頃から神童といわれたり、波乱の人生のためか、たたりを含めてずいぶんと逸話が多く作られています。その中で、牛にまつわるものが多いのです。普段から道真は牛を大層可愛がっていて、牛も道真によくなついていたといわれます。そこで、「大宰府へ左遷される時、可愛がっていた牛が、泣いて見送った」とか、「牛に乗って大宰府へ行った」といわれています。また、大宰府へ向かう途中でも事件が起きます。道真を陥れた藤原時平が放った刺客に襲われますが、牛が菅原道真を守ったともいわれています。
もう一つ、各地の天満宮や天神には銅像があることが多いですが、すべて牛が座りこんだ姿になっています。
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それは、「道真の遺体を牛車に乗せて墓所に運ぼうとしたら、牛が座り込んで動かなくなったので、そこに安楽寺を建てて葬った。それが後の大宰府天満宮の場所である」というのが標準的な説明として書かれています。また、「道真が亡くなった際、轜車を引いていた牛が、悲しみのあまり安楽寺四堂のほとりで座して動かなくなってしまった」ということで、境内には、その姿を模して「座牛・寝牛」として造られるようになったようです。
その「座牛・寝牛」が、次第に「撫牛・臥牛」になっていきます。
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それは、後年、親しみを持って撫でたり擦ったりするようになっていったからです。そして、撫でた箇所にご利益があるといわれ、学業成就は牛の頭や角、身体の痛む場所を撫でれば病気平癒などの願いがかなうのだそうです。そこで、神使とされ、「神牛・随牛」と呼ばれるようになります。
 もともと牛や馬は、農耕の際の雨乞いの祭りなどのときに捧げられた犠牲の動物でした。ですから、馬の犠牲が「絵馬」となって、いまも生き続けているように、牛を祭って天神の怒りを鎮め、疫病を防止しようとしたのでしょう。もともとは自然の神であり、農耕の神としての「天神」は、従来から「恵みの神」であり、そこには象徴である牛がいるというのは当然のことかもしれません。それが、菅原道真と結びついたということなのでしょう。
 今年は、牛の話題が多くなるかもしれませんが、いろいろなことがきっかけになっていろいろなことに思いをめぐらすことも、とても楽しみです。