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2009年01月31日 近頃思うこと

後楽

 リーダーというものは、激しい攻撃にあうことがあります。それは、変化をしようとするからです。率先して、チェンジにチャレンジするのがリーダーであるからです。人は、変化にはしり込みをします。今、そこそこやれているものを変えようとするのは、特に勇気が要ります。しかも、その変化には先の見通しがなければなりません。その見通しが立てられるのも、リーダーの資質であるとすれば、リーダーが攻撃されるのは必然かもしれません。
野球の巨人軍のホームグラウンド東京ドームにほど近いところに「後楽園」があります。同じ名前の公園が岡山にもあります。この名前の由来は、「士は天下の憂いに先んじて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」という中国の「岳陽楼記」からきています。この岳陽楼とは、中国でよく知られた古代建築の一つです。昔から、多くの文人墨客が岳陽楼を詠った詩や文章を書いています。その中で最も有名なのが、1000年前の北宋時代の范仲淹が書いた「岳陽楼記」です。そして、その中で一番有名な句が、この「先天下之憂而憂 後天下之楽而楽」でいうもので、その中の一部を取って、「先憂後楽」という四字熟語になっています。また、この「岳陽楼記」を書いた范仲淹という人は、中国・北宋の政治家であり文人でした。彼は、六経・易に通じ常に感激して天下を論じ一身を顧みなかったといわれています。
「天下の憂いに先立ちて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」とは、「士はまさに、天下国家の憂いを世の人々が未だ憂えない前に憂え、世の人々が楽しみ、豊かになった後に楽しむものである。」という指導者の心得を表したものです。この言葉のように、リーダーは、世の中をよく見て、他の人より先にその現状を憂えてまず行動すべきです。人々が困ったり、憂えたりしてからやっと憂えるのであれば、リーダーの資格がないと言えるでしょう。
そして、その憂いに対して行動しようとするときには、さまざまな障害があるかもしれません。「自反而縮。雖千万人。吾往矣。」です。この言葉は、「自(みずか)ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人と雖(いえど)も吾(われ)往(ゆ)かん。」ということで、中国の古典「孟子」の公孫丑上篇にある一節で、孔子が「大勇」について語った言葉です。その意味は、「自らを省みて、正しくないとわかれば、たとえ相手がとるにたらないものでも私は恐れる。しかし自らを省みて、正しいと思うのであれば、私は千万の敵であろうと恐れることはない。」ということです。「縮」というのは、「義理にあう」「正しい」ということであり。よく自分のことを振り返り、その行為は、見栄のためであるとか、自分の保護のためであるとか、物欲のためであるとかではなく、自分としてはやましい心はなく、正しいと思えるのであれば、どんなに世界中が反対しようとも自分の道を貫くべきであるということです。
 その道を貫くのは、勇気がいります。勇気の源は、内心の正しさであると言っているのです。相手の強さ、年齢、地位ではありません。自分にやましいことがあれば、子どもの前でもひれ伏すしかないのです。

投稿者 fujimori : 21:32 | コメント (4)

2009年01月30日 近頃思うこと

わが身

 人を動かす時には、「その人を動かす」というよりも「その人が動く」ことによって、その行動の効果は違ってきます。その人の生き方に共感することによって動くことがあります。その人は、目的ではなく、主体でなければならないのです。でなければ、常の横にいて、指示をしなければ動かなくなってしまうからです。また、動くと言っても、「言った通りに動く」というのであれば、時間をかけて訓練をすればいいのですが、動く時に判断を伴う場合は難しくなります。しかも、その判断を自らしなければならない時にはより難しいです。ロボットを開発するうえで、それがどこまでできるようになるかが開発の大きなポイントです。しかし、最終的には、その判断に勘や、雰囲気や、感情が伴う場合は、人間にかなうものはありません。
 人を動かす時に、いくら教えても、いくら言ってもなかなか真意が伝わらないことがあります。それは、そのリーダーたる人への共感が薄いということもあります。その人の生き方、考え方に共感していると、人は動いてくれます。よく、「自分のことは棚に上げて」人にお説教する人がいますが、その場合に無理やりに頷かせることはできますが、人を感動させたり、心から納得してはくれません。
 論語の子路篇の中で孔子はこんなことを言っています。「その身正しければ令せずして行われ、その身正しからざれば令すといえども行われず」指導者の行為が正しければ、人は命令しなくても自ら動くのですが、その人自身の行為が正しくなければ、いくら人に命令してやらせようとしても、人はその人の言葉に従って動きはしないのであるということです。
 モデリングということばがあります。学ぶことは、「まねる」ことから始まり、「まねぶ」になり、「まなぶ」になります。その真似る対象で一番影響のあるのは、リーダーであり、子どもからすると親であり、身近な大人です。反面教師という言葉がありますが、これは大きくなってからの影響で、自分の考えができてからの話です。しかも、「ああは、なりたくない」と思えるのですが、「どうしたらよいか」ということにはつながりません。
 東京都の取り組みで「子どもにあいさつさせよう!」というものがありますが、私はこのスローガンよりも、「子どもにあいさつしよう!」という方がいいと思います。先日、園の見学者から、保護者からの苦情の一つに「職員があいさつしない」というものがありますと言われました。これはどの園でもよく言われることですが、「職員にあいさつしよう」ということで接してくれれば、必ずあいさつを返すと思うのですが。
 しかし、モデルと言っても、立場が違えば必ずしも同じことをして示すことはできないことがあります。保育者に「子どもを受容するようにしなさい」と園長が言ったときに、「では、園長が子どもを見てください!」というような大人げない言葉を返す人がいますが、それは、それぞれの立場の役目があるので、おかしなことです。その時にその言葉に説得力があるのは、もちろんその言葉の意味をよく理解し、子どもを理解していなければならないのですが、それにまして、園長の行為が常に正しくあるように努力をしていなければならないのです。人は、金や地位で動かすものではなく、リーダーの自らの行為と、リーダーの部下を信じる気持ちが人を動かすのです。

投稿者 fujimori : 21:24 | コメント (4)

2009年01月29日 近頃思うこと

 私は、昔から何かに反対をしたり、人を動かそうとするときには、イソップ童話の「北風と太陽」を思い浮かべます。厳しさよりも優しさの方が人を動かす力があるという話です。太陽のような温かさで包み込んだ方が、風のように無理やりに、力づくで動かそうとするよりは、効果があるということです。
 昨日、園に見学にきた方にこう言われました。「1歳児のある子が、給食の時間になっても、金魚の水替えを見ていてなかなか席に座りません。それを先生は見ていながら、注意をせず、納得がいくまで見せていたことはどう考えたらよいでしょうか?」それに対して、私は、「子どもにとって、何を優先させてあげるかということを常に考えます。金魚も水替えはめったに見ることができないもので、それに興味を持ったその瞬間は大切にするべきであると先生は判断したのでしょう。また、その気持ちを満足いくように認めてあげると、その後、自ら早く行動します。その時に無理やりに連れて行く方が、かえって遅くなることになるのです。」
 人を動かすには、さまざまな考え方があります。「韓非子」という中国戦国時代の法家である韓非の著書があります。この書の内容は、春秋・戦国時代の思想・社会の集大成と分析とも言えるものであり、この本を、三国志に出てくる諸葛孔明が、劉備の息子の劉禅の教材として献上しています。この劉禅は、レッドクリフという映画で、生まれた翌年、曹操が荊州を攻めた際に、趙雲に救われ、九死に一生を得ています。その韓非子の中の「用、無用の効を知る」といわれる「外儲説」篇にこんな言葉があります。「事の理に因るときは、労せずして成る」これは、「物事に内在している原理に沿ってやれば、労せずして目的を達成できる」という意味の言葉です。
韓非子には、この具体例が挙げられています。「ある男が、車を牽いて太鼓橋に差し掛かりました。すると、車が重くて太鼓橋に乗り入れることができなくなってしまいました。そこで男は、無理やりに引っ張ろうとせず、車の梶棒に腰掛け、歌を歌いだしました。その声がとてもいい声だったので、人々が集まってきました。集まった人たちみんなで車を動かしてくれ、太鼓橋を難なく乗り越えわたることができたということです。」無理やり引っ張っても動かなかったでしょうし、かえって力ばかり浪費してしまいます。また、ただ周りの人に頼み込んでも、多くの人を集めるためには時間がかかりますし、広い範囲を歩きまわななければならないでしょう。それを、相手に委ねることによって物事進めればスムーズに事が運ぶことになるということでしょう。
何をやるにしても、「原理・原則」があり、それに逆らうようにやれば力ばかり使って達成できないことがあります。強制力ではなく、「理」を利用しなければなりません。相手の発達段階、性格、能力、置かれた状況などを考慮し、相手の気持ちに共感することで、相手が自ら動くという状況を作り出すことができるのです。
私の「やってあげる育児から 見守る育児へ」という本の中の「子どもを甘やかすことと、子どもの甘えを受容することは違います。」ということは、甘やかすということは要求通りにやってあげることであり、受容するというのは、その気持ちに共感するということなのです。リーダーも、理をもって、部下の気持ちに共感することが、自らやる力を引き出すことになるということです。

投稿者 fujimori : 22:44 | コメント (4)

2009年01月28日 近頃思うこと

使命

 一昨日と昨日、「リーダー研修会」が行われました。リーダーとはだれを指すのかは、それぞれの組織が考えることで、いわゆるトップの地位の人であることもありますし、逆に新人でこれからを担う人の場合もありました。参加者のほとんどは、保育所の職員で、いわゆる非営利組織の人たちでした。私はよく、非営利組織の役割を考えることがあります。いわゆる利益、営利を目的とする組織、機関に比べて、目標が立ちにくいからです。目標が立ちにくい組織では、リーダーとしての在り方も難しいものがあります。そんなときに、参考にするのが、P.F.ドラッカーの「非営利組織の経営」という本です。
 ドラッカーによると、リーダーの第一の責務は、「組織内の皆が、その使命を目にし、耳にし、そして、それとともに生きていくようにすることである。」と書かれてあります。しかし、問題は、なにが「使命」かということです。
 「人のある限り、罪人はいる。人のある限り、介護の必要な病人がいる。どのようにうまくいっている社会にも、アル中はいるし、麻薬患者はいる。慰めとなにがしかの助けを与えてくれ、更生を試みてくれる救世軍を必要とする人たちがいる。子どもは学習し、学校に行かなければならない。そして、子どもたちは、男の子も女の子も、その成長の過程で、彼らの人格の形成を助け、模範を示し、進むべき方向を知らせ、何かを学べるよう、知的にかかわりをもってスカウトと、そこにおける経験を必要としている。」
 使命とは、常に存在すると言っているのでしょう。それに対して、目標は達成することがあります。しかし、使命は、次の目標を指し示してくれます。私たちは、常に使命を確認しなければならないのです。特に、社会の変化には敏感でなければその使命は逆効果を生みかねません。しかし、実際は、非営利組織では、社会からの変化を受けにくいところがありますし、受けなくてもやれてしまうところがあるためにその改革は難しくなります。それを、ドラッカーはこう言っています。
「私たちは、絶えず使命を見直し、考え抜かなければならない。人口構造が変化している場合もある。何の成果も生まないままに資源を食いつぶしているようなものを、棄てなければならない場合もある。また、目標を達成してしまった場合もあるからである。すべての子供を学校に行かせ、何年もそこにいさせるという当初の目的をすでに達成してしまったために、今や危機に見舞われている学校がそのいい例である。いま私たちが考えるべきことは、学校に対して、真に何を期待するかということである。10人のうち9人までの児童がきちんとした学校教育を受けられなかったころの教師が、長年にわたって悪戦苦闘したものとは、いろいろな点で全く異なったものが今や期待されているのであろう。したがって、外からの発想が不可欠である。なかから発想し、その持てる資源を費やす場所を見出そうとする組織は、資源を浪費する結果にしかならない。結局、それは過去に焦点を合わせることにしかならない。機会とニーズは、外に求めるべきである。」
 いま、いろいろな制度が変わろうとしています。それが、改悪の場合もあるでしょう。しかし、それは変えるべきではないということにならないのです。「なかからの発想で、持てる資源を費やす場所を見つけようとする組織は、資源を浪費する」という言葉は、ここ最近、特に感じることです。

投稿者 fujimori : 21:55 | コメント (4)

2009年01月27日 近頃思うこと

暖房

 いよいよ冬本番になり、寒い日が続きます。人間というものはぜいたくで、暑い日が続くとお文句を言い、寒い日が続くと文句を言い、ちょうど良いということを味わえなくなっているような気がします。というよりも、年々、人々はちょうど良いという範囲が狭くなっている気がします。電車内でも、ちょっと暑いと冷房が入りますし、ちょっと涼しいと暖房が入ります。人間の体が弱くなったのか、贅沢になったのかわかりませんが、人間の体にとってと、地球のためにはよくないことは確かでしょうね。
 皆さんは、家ではどのような暖房器具を使っているのでしょうか。職場など大きなところではエアコンが主でしょうが、一般家庭ではいろいろな暖房器具を使われていると思います。私の家での中心は、こたつです。ほかに、ホットカーペット、電気ストーブ、ガスストーブ、石油ストーブ、ファンヒーター、ハロゲンヒーターなどがありますが、趣味の世界になると、薪ストーブや暖炉のある家もあるでしょう。また、床暖房も新築や建替えの際に一緒に組み込む家も多くなっているようです。では、費用的にはどれが得なのでしょうか。東京電力が、10畳の部屋を1時間暖めるのに必要な熱量を生み出すのにかかる費用を計算したものがあります。それによると、エアコン・石油ストーブは1.2円、ガスストーブは2.4円、電気ストーブは5.7円という結果が出ました。しかし、もちろん、暖房器具に頼らないで暖かくする方法が一番かもしれません。例えば、昔からあるもの湯たんぽやホッカイロを足先や腰のあたりに貼ったり、分厚い遠赤外線くつしたを履いたり、分厚いじんべえのような上着を着るとかなり体が温かくなります。
 では、学校ではどうでしょうか。平成16年に文科省で「学校施設における換気マニュアル策定に関する調査研究委員会」で基本的な考え方を出しています。暖房設備として、高温輻射暖房(開放型・半密閉型ストーブ、蒸気式放熱器等)、温風暖房(FF式温風暖房機、ファンコイル、エアコン等)、低温輻射型暖房(床暖房、温水パネル等)、校舎全体を輻射または温風で暖房する方式等があり、現在では、多くの学校で、FF式温風暖房機が使用されています。しかし、この方式は、温風が吹き出される付近が高温になるとともに、室内の垂直方向の温度分布が大きくなりやすいことに留意する必要があり、開放型や半密閉型の燃焼方式の暖房器具については、室内空気が汚染され易く、換気設備を計画する際に必要換気量を大きくとる必要があるとしています。また、将来的には、廊下も含めた校舎全体の暖房についても検討することが必要になると思われると書かれているのには、どこまで贅沢になるのかと思ってしまいます。
 明治から昭和中期にかけての日本の学校で使用されたのは、鋳鉄製の暖房器具である「ダルマストーブ」です。明治時代の冬の教室を温めていたのは大型の「火鉢」でしたが、広い教室を温めるには不向きで、大正年代から薪ストーブに変わっていきました。
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燃料も、戦前から昭和30年代までは薪や石炭が主流でしたが、昭和30年代後半からコークスへの切り替えが進んでいきます。コークスとは石炭を高熱で蒸し焼きにした固体で、無煙で火力が強く、長時間燃えるという長所がありました。私は、ちょうど切り替え期でしたので、小学校低学年のころは黒光りする石炭でしたが、途中から光のないコークスに変わっていきました。
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 火つけのできない低学年の頃は高学年の子が火をつけに来てくれたこと、ストーブの近くの子は熱くて仕方がなく、教室の後ろの方は寒かった思い出があります。でも、誰も文句を言わなかった気がします。

投稿者 fujimori : 23:38 | コメント (4)

2009年01月26日 散歩

昨日の日曜日はとても天気が良く、自宅からもくっきりと富士山を見ることができました。もっと大きく富士山を見ることができないかということで、出かけようと思って、とりあえず、妻と中央線に乗って、山梨の方へ向かいました。どの駅で降りようということでいろいろと考えたのですが、いつも素通ってしまう駅で「猿橋」という大月の一つ東京寄りの駅があるのですが、そこにある「猿橋」を一度見たいと思っていたので、そこで降りることにしました。山梨県大月市猿橋町の桂川にかかる「猿橋」は、山口県の錦帯橋、徳島県のかずら橋と並ぶ、日本三大奇橋の一つです。
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この橋の構造形式は、「肘木けた式」と呼ばれ、橋脚がなく、両岸より張出された四層の桔木を支点とし、上部構造を支えているもので、昭和7年に名勝指定を受けています。猿橋の歴史は古く、初期の建築年代は600年頃百済の国の志羅呼が、猿がつながって対岸に渡る姿を見て、これを造ったという伝説がありますが、よくわかっていません。そのことは、1478年の廻国雑記に、「猿橋とて、川の底千尋に及び侍る上に、三十余丈の橋を渡して侍りけり。此の橋に種々の説あり。昔猿の渡しけるなど里人の申し侍りき。さる事ありけるにや。信用し難し。此の橋の朽損の時は、いづれに国中の猿飼ども集りて、勧進などして渡し侍るとなむ。然あらば其の由緒も侍ることあり。所から奇妙なる境地なり。」と書かれています。
しかし、この橋はとても重要で、戦国時代には、甲斐の国を治めていた武田氏が、抗争において度々猿橋に陣を張ったという記録が残っているように甲州防御の拠点でした。江戸時代になると、徳川幕府により開設された五街道の一つの甲州街道の宿場でもありました。江戸城に万が一の事態に遭ったときには甲府城を幕府の拠点にするための重要な軍用路だったと言われています。
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橋というのは、昔から重要な役目を持っていました。そのために、橋を造る職人は、とても重要視されました。昨年末に鹿児島を訪れた時、「石橋記念公園」に行っていました。ここには、鹿児島市街中央を北西から南東に流れる甲突川の上流から玉江橋、新上橋、西田橋、高麗橋、武之橋という五つの大きなアーチ石橋が架かっています。
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高麗橋
その五つの橋は今から160数年前の江戸時代末期の1940年代に架けられたもので、昔から「甲突川の五石橋」と呼ばれて親しまれていました。これらの石橋は、薩摩藩の財政と「肥後の石工」という絵本に取り上げられた肥後の石工の中でも特に卓越した技術を持っていたと言われた名石工「岩永三五郎」の架橋技術を誇る歴史的所産でした。
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しかし、残念ながら、最近の1993年8月6日の集中豪雨による洪水で、新上橋と武之橋が流失してしまいました。その後、貴重な文化遺産として後世まで確実に残すため、西田橋、高麗橋、玉江橋の三つの橋が河川改修に合わせて移設・保存されることになりました。そして、2000年に移設復元されているところが石橋記念公園なのです。
以前のブログでも「肥後の石工」のことを取り上げましたが、橋という建造物は、その技術がそのまま構造体として見えるために、見ていて感動します。

投稿者 fujimori : 23:55 | コメント (4)

2009年01月25日 近頃思うこと

GNP

 GNPというのは、「一年間に作り出された財とサービス価額から、それを生み出すのに必要な原材料を引いたもの」をいい、「国民総生産」と言われているものです。このGNPは、ひとつの国単位の国力、経済カのパワーを計る目安となりますが、戦後、日本は世界の中で図抜けた伸び率を維持しつづけ、ついには世界No.2の経済大国に成長しました。
しかし、この数値は私たちにとって、どういう意味を持つのでしょうか。先日大統領に就任したオバマ氏の演説の中で、不況の中、少し変化が見られました。
「我々は相変わらず創意に富み、我々が生み出す財やサービスは先週や先月、昨年と同様、必要とされている。能力も衰えていない。しかし、同じ手を用いるだけで、狭い利益にこだわり、面倒な決定を先送りする、そんな時代は確実に終わった。今日から我々は立ち上がり、ほこりを払って、米国を作り直す仕事に取りかかろう。」不況と言われている中、基本的に能力は変わっていないが、同じ手を用いること、狭い利益にこだわることを変えていこうという姿勢が表れています。また、
「今回の(経済)危機は、監視がなければ、市場は統制を失い、豊かな者ばかりを優遇する国の繁栄が長続きしないことを我々に気づかせた。我々の経済の成功はいつも、単に国内総生産(GDP)の大きさだけでなく、我々の繁栄が広がる範囲や、機会を求めるすべての人に広げる能力によるものだった。慈善としてではなく、公共の利益に通じる最も確実な道としてだ。」ただGNPの大きさで判断するのではなく、すべての国民が等しく公共の利益を得ることが大切であると言っています。そのために必要な価値観を、こう言っています。
「我々の挑戦は新しいものかもしれない。我々がそれに立ち向かう手段も新しいものかもしれない。しかし、我々の成功は、誠実や勤勉、勇気、公正、寛容、好奇心、忠実、愛国心といった価値観にかかっている。これらは、昔から変わらぬ真実である。これらは、歴史を通じて進歩を遂げるため静かな力となってきた。必要とされるのは、そうした真実に立ち返ることだ。」ここで、大切にするべき価値観、この不況を乗り越えるために必要な価値観をあげています。
先週号の「サンデー毎日」の時評で、GNH(国民総幸福観)を提案しているブータン国王と、日本の麻生首相との「違い」について岩見隆夫さんが書いていました。
この中で、昨年11月6日、GNHを提唱した国王から28歳の新国王になった戴冠式の時の演説の言葉を取り上げていました。この言葉は、テレビ「世界、ふしぎ発見!」で放送されたものだそうです。その言葉とは、「世界が変わっていく中で、ブータンも変わっていくでしょう。行く先では困難に遭遇するかもしれません。その時は、皆さんと私の両方の手でブータンの未来を築いていきたい。私は自分の就任中、皆さんに対して支配者のような振る舞いは断じてしません。ある時は親代わりになり、また兄弟のように守り、世話を焼き、そして、皆さんの息子のように仕えたいのです。」
 岩見さんは、「この短いなかに、指導者としての倫理観が凝縮されていて、トップはいつも〈親代わり〉の心情で国民をいたわり、包まなければならない。〈世話を焼き〉という言葉もいい。」と書いています。
それに引き換え…というのも、ないものねだりかもしれませんので、少なくとも、私はリーダーとして、そのような姿勢でいたいと思っています。

投稿者 fujimori : 22:00 | コメント (4)

2009年01月24日 近頃思うこと

GNH

 昨年末のNewsweekの特集で「オランダの子供が世界一幸せな理由」という記事がありました。ここでいう「幸せ」とはどんなものなのでしょうか。この調査では、幸福度を「物」「健康と安全」「教育」「友人や家族との関係」「日常生活上のリスク」「子供自身の実感」の6つの視点から考察したようです。その結果、OECD加盟国のうち21カ国のランキングをユニセフ・イノチェンティ研究所が作成したものです。そして、オランダが1位になったというのです。
 日本は、どのくらいに位置するのでしょうか。残念ながら、この調査では日本は発表されていません。それは、上記の6つの視点についての統計がすべてはそろっていないからのようです。日本では、「教育」「友人や家族との関係」「子供自身の実感」の面で低い気がします。
 豊かさを表す指標としてよくつかわれるものに「GNP」という「国民総生産」というものがありますが、最近、「GNH」というものが提案されています。これは、Pの代わりにH「Happiness」をはかるのです。つまり「国民総幸福量」ということになり、物質的な幸せではなく、精神的な幸せを目指すということです。この概念を発信している国「ブータン」の取材記が、「もう一つの日本」失われた「心」を探して(ソフトバンク新書)という新書に書かれています。この本は、産経新聞の記者である皆川豪志さんと徳光一輝さんが取材したものです。
 この本の中で、ブータンの首都ティンプーにある国立ブータン文化研修所でこの「GNH」の研究を続けているカルマさんは、GNHを数値化したいと言っています。物質的な幸せではなく、精神的な幸せを空想的な理念ではなく、GNPと同様、一目でわかり、比較出来るものでなくてはならないと思っているのです。「日本人なら分かると思うが、物質的な幸せには際限がない。例えば、良い電化製品を買ってもさらに最新の機器が出ればそちらが欲しくなる。給料が上がっても隣人の方がもっと高ければうらやましく思う。これでは世界一の金持ちにならねば欲望は達成できず、幸せになれない」と言います。
 この考え方を、著者は、仏教の「中道思想」にも似ていると言います。物欲に走って本能的な生活に陥るのではなく、逆に極端な苦行に命を賭けるものでもない。どちらか一方に偏るのではなく、主体的に自らの欲望をコントロールしながら「中ほど」を選びとることで真理が見つかるという考え方ではないかと言います。そのことを、日本の仏教家である仏教振興財団理事長であった井上信一氏が一つの「数式」(欲望が分母で、財が分子)幸せ=財/欲望)を示して、その分子を大きくして幸せになろうとするのが欧米式であり、分母を小さくしようと考えるのが東洋式・仏教式の考え方であると考えました。
 このような考え方からいうと、「GNHは、もっと分かりやすく、国民が支持しやすい概念でなければならない。例えば、ペットボトルの水が売れればGNPは上がるが、川の水が飲める国になればGNHが上がると私たちは考える」とカルマ氏は述べています。そして、「先進国には経済成長だけがグローバルスタンダードではないと訴え、途上国には過剰な開発だけが国の発展にはつながらないと訴える。貧しくとも人々の心が豊かであれば、それなりの幸福感がある社会は実現できるということです。」
 不景気だと言われている今、あまりに理想的だ、情緒的だと言わずに、もう一度幸せとは何か、それに向けての具体的な発信を考える時かもしれません。

投稿者 fujimori : 19:36 | コメント (4)

2009年01月23日 映画

封切り

 私は映画をたまに見ますが、大体は妻と見ることが多いので、見に行く日は日曜日の昼間です。「夫婦50割引」という、どちらかが50歳以上の夫婦2人であれば、一人1000円というキャンペーンが継続されている映画館が多いので、二人で行っても、ほぼ一人分で見ることができるので助かります。それから、話題作は日曜日は込んでいることが多いのですが、ネットで事前予約ができ、座席指定ですので、日曜日でも見に行くことができます。また、妻が一人で見に行く時は、レディースデーの昼間に行くことが多いようです。私は、今は忙しくて、一人で映画を見に行くことは少ないのですが、行く時は、平日の夜の部です。
 私は、中学生のころから映画をよく見に行きました。住んでいたのが、浅草のロックや、有楽町という映画館が数軒並んでいる街に近いということもあって、気軽に行きました。そのころ見に行く映画は、私の場合、ほとんど洋画で、特に「ウエストサイドストーリー」の影響で、ミュージカルはほとんど見に行きました。
 そのころを思い出してみると、映画を見に行ったのは「ロードショー公開」でした。映画におけるロードショーとは、「映画の封切り」のことをいいます。しかし、もともとは違う意味でした。最初は、おもにアメリカの演劇界で使われていた言葉で、新しい作品をブロードウェイで上演する前に、その作品がどのくらい受け入れられるかを、地方を回って上演を行い、そこでの評判をみました。そのように、ブロードウェイよりも前に行う上演のことを、一般に「ロードショー」といいました。それが、映画では逆に、まず、都市部で先行して上映を行い、そこでの評判や観客動員を見て、全国展開をするかということをきめました。この「都市部での先行上映」のことを「ロードショー」といったのです。私は幸い、都市部に住んでいたので、誰よりも早く封切映画を見に行くのが趣味でした。しかも、その中でも第1回目の上映に行くことを目指しました。
 ロードショーの第1回目は、さまざまな特典がありました。よくあるのは、その映画のポスターをプレゼントされます。ですから、私の部屋は、映画ポスターをパネルに水貼りをしたものが何枚も飾ってありました。また、出演者たちが舞台あいさつをする時があります。そのほか、特に面白い経験をしたことがありました。「最高にしあわせ」というミュージカルを見に行ったときに、その映画の鑑賞者みんなが立ち会いをして人前結婚式を挙げた時です。会場が映画館で、仲人が高島夫妻でした。
 私がロードショーの封切り日に見に行ったということは、何曜日だったのでしょうか。私の高校は、そのころから隔週土曜日が休みだったので、土曜日だった気がします。今も、封切り日は土曜日のことが多いようです。それが最近変わってきつつあるということが、先日の新聞記事に書かれていました。
最近、大手洋画配給会社の注目作を中心に、金曜封切りが目立っているというのです。次回作の「ハリー・ポッターと謎のプリンス」も世界同時の金曜公開が決まっているそうです。この作品が世界同時ということは、ほとんどの国での初日は金曜日なのです。日本でも、1990年ころに金曜日封切りにしたことがありましたが、当時は定着しなかったようです。それがまた金曜公開になったのは、「週休2日制が根付いて、金曜夜はゆったり過ごす人が増えてきた。そんな社会環境の変化への対応」と言っています。劇場側からも「金曜夜は映画、という生活リズムを確立したい」という機運が出てきたようです。ただ、金曜封切りとなると、映画初日の“主戦場”は夜の上映になるために、ファミリー向け作品などには適さないとみられ、どうも作品ごとに判断するようです。
生活様式の変化は、いろいろなところに影響するのですね。

投稿者 fujimori : 22:03 | コメント (4)

2009年01月22日 近頃思うこと

名言

 朝日出版社から出版されたCD付き「オバマ演説集」は、昨年11月20日の発売初日に初版2万部が完売し、現在で早くも18版になり、40万部が発行されているそうです。新大統領のオバマ氏は、これから数々の名言を残すでしょうね。かつて、いろいろな人が名言を語っています。今回のオバマ氏の演説の中でも、ずいぶんと過去の名言をを参考にしたと思われる個所がありました。
 名言というのは面白いもので、それを言った本人はそれほど深い意味で言ったのでない場合も多く、その部分だけが解釈されて残ってきたものが多くあります。名言という言葉は、ある文脈の中で語った言葉の中からその部分だけを切り取ったものが多く、それを言った時代的背景、その土地、どんな条件の中で誰に言ったかなど様々な中で話された言葉なので、言った当時の意味と違ってくることが多いのかもしれません。また、実際にその人が言ったわけではなく、その人のイメージから作られた言葉もあるでしょう。しかし、後世の私たちは、歴史を学ぶのではなく、その言葉に込められているメッセージから、人生なり、姿勢を学ぶことが「名言」を知る意味ですので、それを読んだ人が自分の今の境遇からその言葉を理解してもいいような気がします。いくつかのリンカーンが残した言葉を紹介します。
リンカーンが残したといわれる言葉で有名なものに「40歳になったら人は自分の顔に責任を持たねばならない」というものがあります。顔は、もちろん生まれつきなものです。しかし、人は顔をたんに造形物で見るのではなく、そこから醸し出される雰囲気というか、人格というか、心を感じることがあります。特に子どもは、直感的に感じるようです。特に40歳を過ぎるころから経験の重みや、受容する気持ちや、自分に対する確信などが顔に現われてくることです。そして、ただ顔にそういうことが現れてくるということだけでなく、それに「責任」を持つべきだということも言っています。
「木を切り倒すのに6時間もらえるなら、私は最初の4時間を斧を研ぐことに費やしたい。」これは、斧を丹念に研ぐことは、切れ味が良くなり、切り口がきれいになり、時間的にも短縮します。目の前だけの目的を見て、早くそれを達成しようとするのではなく、本来の目的を達成するためには、どんな準備が必要であるか、どんな仕上がりを求めているのかという見通しを立てることが重要だと思います。
生き方についていくつか示唆を含んだ言葉が伝わっています。
「あなたが転んだ事に興味はない。あなたが立ち上がる事に興味がある。」
「大抵の人は自分が幸福になろうと決心した程度だけ幸福である。」(幸福の度合いは自分がどれだけ幸福になりたいかで決まるのだ)
「今日できることを 明日に残すな」
リンカーンの人生は、何度も転んだことでしょう。夢ももったことでしょう。しかし、それは自分に課せられた使命を全うしようとしたからに違いありません。それは、ある人がリンカーンに向けて「あれが大統領か。実に平凡な風采だな」といった言葉に対して返した言葉に現われています。「その通りだよ、君。神さまは平凡な人が好きなのだ。だから平凡な人を、たくさん、つくられたのだ」
これは、自分のやるべき使命を確信している人の答えですね。

投稿者 fujimori : 22:22 | コメント (5)

2009年01月21日 近頃思うこと

人生

昨日は、夜中の2時に起きて、大統領就任演説をライブで聴きました。原稿見ずに、一つずつ具体的に、あらゆる課題項目について、自分の言葉で、国民に向けて話をしたことは、聞いている人の心に響きますね。
オバマ氏は、ずいぶんと苦労した経歴を持ちます。黒人というだけでも、ずいぶんとつらい目にあったでしょうね。演説の中でも「なぜ60年足らず前に地元の食堂で食事することを許されなかったかもしれない父親を持つ男が今、最も神聖な宣誓を行うためにあなたの前に立つことができるのか。」と言っているように、いよいよアメリカの新しい時代が来たことを予感させます。
比較されるリンカーンも大統領になるまでの経歴は、伝記の格好の材料になるくらいに波乱万丈です。その人生が、アメリカのユナイテッド・テクノロジー社の企業広告に使われています。その文が「アメリカの心」(学生社刊)のなかで紹介されています。
「これで君の気分は楽になるだろう(This will make you feel better. )」というタイトルです。
「もし君がときに落胆することがあったなら この男の子のことを考えてごらん。
小学校を中退した。田舎の雑貨屋を営んだ。破産した。借金を返すのに15年かかった。妻をめとった。不幸な結婚だった。上院に立候補。2回落選。下院に立候補。2回落選。歴史に残る演説をぶった。が、聴衆は無関心。新聞には毎日たたかれ、国の半分からは嫌われた。こんな有様にもかかわらず、想像してほしい。
世界中いたるところのどんなに多くの人々が この不器用な、ぶざいくな、むっつり者に啓発されたことかを。
その男は自分の名前をいとも簡単にサインしていた。A.リンカーンと。」
 それぞれ人は人生の途上にあります。それは、人生の最後のほうなのか、最初のほうなのか、真ん中なのかは人生が終わる時でないとわかりません。ですから、今の境遇は、残りの人生の糧となるに違いありません。それが、苦しい時でも、虐げられている時でも、きっと、それは単に人生のどこかであることがこの文章から感じることができます。
 この企業は、常にこのような発信をしています。他には、こんなのもあります。
「失敗を恐れるな」というものです。「きみはこれまで 何度も失敗した、おぼえてはいないかもしれないが。はじめて 歩こうとしたとき きみは転んでしまった。はじめて 泳ごうとしたとき きみは溺れそうになってしまった。そうだろう?」
 この企業の社訓にも同じようなことが書かれてあります。
「人生は失敗の連続である。ヨチヨチ歩きの幼児はすぐ転ぶ。生まれて始めて泳ぎに挑戦する者は、たっぷり水を飲む覚悟が必要だ。はじめてバットを握って構えても、球はバットを避けていく。強打者はホームランを打つが、三振もよくする。メイシーは、七度失敗し、八店目で成功した。それが全米最大のデパート「メイシーズ」だ。英国の作家、ジョン・クリシーは753回も原稿をつき返されたのち、564冊もの著作を世に出した。ベーブ・ルースは1330回の三振の後、714本ホームランを打った。あなたが恐れなければならないのは、失敗ではなく、チャレンジしないでチャンスを逃してしまうことだ。」
 今回のオバマのキーワードも「チャレンジ」「チェンジ」「チャンス」です。

投稿者 fujimori : 23:44 | コメント (4)

2009年01月20日 近頃思うこと

短い話

 明日に控えたアメリカ大統領就任式に関する新聞記事やテレビニュースが多くなっています。その中で、やはり、オバマ氏が比較されるリンカーンに関する話題も多く見られますし、彼の言葉が引用されることも多いようです。
 きょうの朝日新聞のコラム天声人語では、就任演説がどうであるかを話題にしています。その最初の部分に私は全く同感します。それは、私は最近講演することが多く、先週の土曜日は5時間講演でしたし、昨日依頼された講演も5時間でした。時には、8時間ということもあります。「長くて大変ですね。」と言われるたびに、私は、二つの答え方をします。一つは、「いいえ、長い講演は、話している方よりも、聞いている方が疲れるものです。」と言います。私に8時間座って人の話を聞いていなさいと言われたら、それこそ苦痛かもしれません。もう一つの返答は、「いいえ、短い方が大変です。」と言います。天声人語の最初に西洋の賢人が、手紙の書き出しに書いた文章が紹介されています。「今日は急いでいるので長い手紙になってすみません」
また、米国の28代大統領ウィルソンが言った言葉は、「1時間の話なら今すぐ始められるが、10分の話は準備に1週間かかる」です。私は、時間だけでなく、こうも思っています。「難しいことを難しく言うのは簡単だが、難しいことをやさしく言うのは難しい。」ということも常々思っています。保育という人の生き方、人の考え方を問うている内容を、いかにやさしく、短い言葉で語るかは、私は一生の課題だと思っています。
それで有名なのが、天声人語に紹介されたリンカーンのゲティズバーグでの演説です。わずか10の文で構成された272語・3分間の「人民の、人民による、人民の為の政治=The Government of the people, by the people, for the people」です。もちろんこの文は、リンカーンが考えたものではなく、1380年にイギリスで出版された旧約聖書にジョン・ウィクリフが序文として書き込んだ文章であり、牧師のセオドア・パーカーが著書で紹介したのを引用したもののようですが、演説全体は、まさに自分が目指すべき政治を、簡潔で、言葉がこまかく吟味されて表したことには間違いはありません。また、お互いに一人一人が献身すべきことと、その高き理念がきわめて明快に述べられています。しかし、当時、あまり評判は良くなかったようです。同時にリンカーンの演説の前に行われたエドワード・エベットは1時間20分にわたる大演説をし、並みいる将兵に深い感銘を与えました。そのあと、リンカーンが立ち上がって何か祈りをこめるような調子で3分ほど演説をしましたが、それは沈痛で、重々しく、聞きとりにくいものでした。
しかし、エベレット自身も、後日、リンカーンヘの手紙のなかで、「あの場における小生の2時間の演説が、閣下の2分間の演説の要諦に迫るものであったと自負できるなら、まことに光栄です」と、謙虚につづっています。アメリカ随一の雄弁家であった故に、素直に、リンカーンのスピーチのすばらしさを認めたのでしょう。そのほかにも、リンカーンは様々な言葉を残しています。また、明日紹介します。
人の話す言葉には、その人の人格が込められ、その人の思想が含まれます。それを人にいかに簡潔に伝えることができるのか、また、人からそれをいかに学んでいくかが、私の今の課題です。

投稿者 fujimori : 22:31 | コメント (4)

2009年01月19日 記念日

4月15日

 よく「今日は何の日?」というのがありますが、今日という日はどういう日かということよりも、自分の誕生日はどんな日か気になるところです。また、その日にはだれが生まれたか、だれが死んだかということも気になったことがありました。私が中学生のころかに、そのような本が出版され、伝記のようにそれを読んだものでした。
 私が生まれたのは、4月15日です。その日は、イタリアのルネサンス期を代表する芸術家で、万能の天才という異名で知られ、「万能人(uomo universale)」とも呼ばれている「レオナルド・ダ・ヴィンチ」が生まれた日です。彼は、膨大な手稿を残しており、その中には飛行機についてのアイデアも含まれていて、私の机の上のデスクトップパソコンのスクリーンセーバーは、ダ・ヴィンチが考えたヘリコプターになっています。このヘリコプターによって、4月15日は「ヘリコプターの日」と制定されています。
 では、この日に亡くなったのは誰かというと、最近ニュースでよく出てくる名前の第16代アメリカ合衆国大統領「エイブラハム・リンカーン」です。昨日、ワシントンのリンカーン記念堂で、「私たちは一つ」と名付けられた無料の祝賀コンサートが開かれました。そこには、スティービー・ワンダー、ブルース・スプリングスティーン、ビヨンセらの超有名アーティストたちが次々に舞台で熱唱し、U2のボノは、46年前にこの場所で公民権運動の指導者キング牧師が「私には夢がある」と演説したことに触れ、「火曜日にその夢がかなう」と語りました。
 火曜日というのは、オバマ米次期大統領の就任式が行われる予定の日です。昨日の祝賀コンサートで オバマ氏が敬愛するリンカーン元大統領の像の前で「変化を求める無数の声を妨げることのできる障害など何もない」と宣言しました。オバマ米次期大統領は就任式で、19世紀にリンカーン大統領が宣誓に用いた聖書を使い、宣誓する予定です。この聖書は1861年、リンカーンが就任宣誓の際に使ったもので、連邦議会図書館から特別に借りるそうです。オバマ氏がリンカーンを尊敬するのは、アメリカ国民に最も愛された大統領ということだけでなく、リンカーンが、オバマ氏の地元イリノイ州から第16代大統領になったということと、奴隷解放宣言によって黒人奴隷を解放したことで賞賛されているからです。この奴隷解放を宣言したときに使われたのが、今回オバマ氏が使う聖書だそうで、これを使うことで、人種や党派などの分断を乗り越え、米国の統合をめざす姿勢を示すようです。
 リンカーンの生い立ちと非業の最期は、とても劇的で伝記によく取り上げられます。生い立ちについては、ずいぶんとオバマ氏のかぶるところが多いですね。リンカーンの生い立ちは、アメリカの企業「ユナイテッド・テクノロジー社」の広告に使われました。この会社のモットーは、こんな企業広告で使われたこんな言葉で代表されます。「Don't worry about failure. Worry about the chances you miss when you don't even try.」(失敗を恐れる必要はない。恐れる必要があるのは、やりもしないで逃がしてしまうチャンスのほうである。)
 明日は、リンカーンの生い立ちが使われたほかの広告を紹介します。

投稿者 fujimori : 20:54 | コメント (4)

2009年01月18日 近頃思うこと

PPM

 昨日の夜、NHKBSで、団塊の世代にはたまらないコンサートが放映されていました。ちょっと疲れていたのですが、午後11:25~0:55までの番組を終わるまでつい見てしまいました。ここで放送されたライブは、1964年にオーストラリアのシドニー「ザ・スタジアム」で行われたライブステージが収録された貴重なフイルムでした。
ちょうど高校生の頃、「The cruel war is raging. Johnny has to fight.」という歌詞で始まる歌は、ギターコードが簡単なこともあって、一人でよく弾き語りをしました。この歌詞を見て、懐かしいと思う人は、たぶん団塊の世代でしょうね。この歌詞は、「悲惨な戦争は激化して、ついにジョニーも行かなくてはならない。でも私は朝から晩までずっと、彼のそばにいたいと思う。彼のそばにいたいと思うから、それが私の心を締め付ける。お願い一緒に連れていって。いいえ、あなたはうなずかないわね。明日は日曜日、そして月曜日になれば 隊長さんの召集に、あなたも従わなくてはならない。隊長さんの呼ぶ声が、私の心を締め付ける。お願い一緒に連れていって。いいえ、やっぱりだめなのね。」昨日は、この曲は残念ながら放送されませんでしたが、歌った曲はみんな懐かしい歌でした。
この歌詞で分かるように、このころのフォークソングは、反戦歌が多くありました。それは、アメリカでは、ベトナム戦争真っ最中で、激化し、悲惨を極め、このコンサートの4年後には、あの悲惨な「ソンミ村虐殺事件」が起きます。この歌の「悲惨な戦争」という題名は少しおかしいと思います。それは、悲惨でない戦争などないと思うからです。
このコンサートで歌ったのは、PPM(本当は、PP&M)と言われたピーターとポールとマリーという3人グループです。1962年に「レモン・トゥリー」でレコード・デビューをし、一度は解散しますが、今は再結成され、最近の何かの番組でその現役で歌っている姿を見ることができました。
 今の人は、PPMというと、二酸化窒素などの大気汚染物質の濃度を表す時に使う単位を思い出すでしょうね。しかし、このppmとは、「parts per million」の頭文字をとったもので、100万分のいくらであるかという割合を示す単位です。ということは、1ppmとは、 0.0001%のことです。このよく使うパーセントは、ppcで表しますが、「parts per cent」という略語で、100分の1を表すので百分率といい、ppb(parts per billion)は、10億分の1、ppt(parts per trillion)は、1兆分の1のことをいい、一兆分率といいます。
話をもどして、PP&Mの歌を若い人も歌えるものがあります。それは、小学校三年生向けの音楽教科書に掲載されたり、中学生の教科書には英語で歌詞が掲載されたり、NHKのおかあさんといっしょで歌われた「パフ」という歌です。昨日のブログで登場した龍が、この歌では不老の竜「パフ」として登場します。少年「ジャッキーペーパー」との交流と別れを描いています。この別れが、なぜ訪れるのかは、よくわかりません。というのは、ジャッキーは次第に年を取って、子どものころのように遊ばなくなったからだとか、ドラゴンと遊ぶよりもほかの友達との方が面白くなったからだとか、ジャッキーは旅に出たと様々な日本語の歌詞が付いているからです。しかし、この歌が反戦歌としたら、ジャッキーは戦場に行ったか、戦死してしまったかもしれません。
昨日は、他にも「500マイル」「レモンツリー」「花はどこへ行った」など聞きましたが、曲の美しさに反して、青春のほろ苦さと、むきになっていたころを思い出して胸が苦しくなります。

投稿者 fujimori : 19:50 | コメント (5)

2009年01月17日 近頃思うこと

易経

昨日のブログ書いた京大名誉教授の岡田さんが言った言葉「常に軌道修正しながら、止むことのないしなやかな生き方、大事なものは本質です」ということを「自彊不息」というようにという例をあげています。この言葉は、いろいろな学校の校訓に使われたりしている言葉ですが、もともとは、「易経」の「乾為天」で使われている言葉です。この言葉は、次のような言葉の後に続いています。「天行健 君子以自彊不息」(天行健なり。君子を以て自ら彊(つよ)めて息(やす)まず。)
「天行」というのは、天地の運行ということで、「天行健」とは、天地は、とても健やかに廻っていくということ、途切れることなく、規則正しく、健全に運行されていくとということで、「君子以自彊不息」とは、そのように君子も、自ら努め、学問に励み,人と交わり、職務を全うし、怠ることはなく規則正しく健全に行われなければならないということです。
この言葉は、「易経」にありますが、「易」とは、3500年ほど前、中国で生まれた占いで、その理論と方法をまとめた経典を「易経」と呼びます。人生のさまざまな局面を、大きく64に分けています。その中で最初にある「乾為天」とは、乾為天は、天と天が二つ重なった状態で、天高く大宇宙の元気が満ち満ちており、活気と勢いがある様子を表しています。ですから、「前向きに、一所懸命頑張る時」を表しています。このようなことを「易」では「乾為天の龍」といって、人間が成長するために必要な事柄を龍の成長にたとえて説明しています。
私のこのブログは、「臥竜塾」という名前です。それは、ブログを始めたころに説明していますが、将来、天に駆け上る龍が、今はまだいろいろなことを学ぶために臥せているということから、未来を生きる子どもたちが、今をよりよく生きていることを見守っているということを表して命名しました。それを易では、龍は、潜龍、見龍、君子終日乾乾す、躍龍、飛龍、亢龍の6段階の変遷を経て成長すると説いています。
「潜龍」とは田んぼの中に潜んだ龍のことを指し、臥竜に近い意味を持っています。「潜龍」の時は、まだ力を蓄えている間で、自分の力をひけらかすことはせず、あせらず、じっと我慢をする時期であることを言っています。
「見龍」は、田んぼの上に上がってきた龍のことを指しています。このころは、「見龍在田。利見大人。」といって、このころは、やっと、そのその存在は認められてきますが、まだまだ経験不足ですので、見識者などの指導を素直に受ける必要がある時期であるということをいっています。
次の段階は、「君子終日乾乾。夕惕若。厲无咎。」といいます。君子たるものは、一日中仕事に意欲を持って励み、そして夕方になるまで敬虔な慎みを持って励めば、まだまだ確固たる地位を得ていない立場ではありますが、何も問題はないということを言っています。そして、「或躍在淵。无咎。」の時期は、いよいよ龍が池の淵から天に飛び立とうとしている時です。それまでの時期をきちんと全うすれば、突如として躍龍に変化し、目標までもう一歩です。確実に力はついてきています。後は「天の時・地の利・人の和」がすべて揃えば、飛龍になると易では教えています。そして、「飛龍在天。利見大人。」空に飛び立った龍でも、今度は部下や、年下の言うことに耳を傾けましょうと言っています。しかし、「亢龍有悔。」といって、昇りすぎると、後悔することになります。「亢龍」は、やりすぎて周囲から浮いてしまった姿を表しています。自分相応を知って、いい気にならないように戒めています。

投稿者 fujimori : 23:13 | コメント (4)

2009年01月16日 新聞記事より

老いと豊かさ

 高齢者の言葉は、長い時間の経過の中で実際に体験してきたことから出てくるので、とても説得力があり、それは、科学的にも正しいことが多くあり、とても参考になります。また、寿命というのは、もしかしたら人によって定めれらた運命的なところもあるかもしれません。しかし、その与えられた人生をどう生きるかということは、自分で開拓していくものです。それは、実際の行動で示すこともありますが、考え方でその人生が熱くなることがあります。それは、決して高齢者に限らず、若い人であっても同じことが言えます。年をとっていくということなどを含めて、今、自分に与えられた様々な課題は、自分の人生を厚くするためのものであると理解することは、その後の人生を有意義に生きることにつながります。
 読売新聞の連載の中で昆虫画家の熊田千佳慕さんは、80歳の時、昆虫の微細な起伏や模様に気がつきます。その時に「先がないから『もっと見ろ』と神様に言われたのかもしれない。」と思うのです。その後、天命によって絵を描き続けます。描き続けているうちに、90歳になるころ、心身の老いと疲れを感じ始めます。そこで、「二分の力を残して」作業を終えるようにします。全力を注がないようにしたのです。すると、仕事は中途半端になるかと思いきや、逆に、作品に「豊かさ」という新たな評価が加わったといいます。熊田さんは、「僕には『老後』はない。」と言い、70歳からの「成長する老い」を生きているといいます。老いて力を抜くことは、豊かさを増すことであると考えるのです。そうなると、老いることは、衰えることではなく、成長するということになるのです。
 そのことを、理化学研究所センター長の渡辺さんは、このように説明します。「老化とは、疲労などで脳などの組織が傷つき、生命の根源である回復力が失われる現象である。」ですから、心身をリラックスさせるなど、力加減を知ることが長寿の手がかり。柔軟な回復力は疲労による脳の損傷も治すのだそうです。柔軟さが、老化を妨げるのです。歳をとるに従って、かたくなに自分を変えようとしない人をよく見ますが、それは、信念が強くなったのではなく、老化を加速させることなのです。
 一方、慶応大準教授の高山さんは、発達心理学から老いを説明しています。「知能は生涯を通じて発達する。おいて経験を得ることでこそ磨かれ、豊かになる知恵という力もある。」老いることで、知識は減少するかもしれませんが、柔軟性は、知恵を豊かなものにしていきます。それは、生物学を学ぶ意味は、知識を得ることだけではなく、生物の示す真実を私たち一人一人の人生に生かすことです。」と、どのような真実を私たちに示してくれているのでしょうか。それは、「生物をよく観察すると、無心に生きながら、足りないものを補い、欠けたものを再生し、その生き様はまさしく柔軟です。」と、京大名誉教授の岡田さんは言います。
柔軟さに目を向ければ、「自然の仕組みの素晴らしさに感動すれば、それぞれの年代の肌、容姿があり、それをありがたく受け入れる姿勢になります。マニュアルや知識ではない。本当の長寿を支えているものは、こうした心のありようだと深く感じるのです。」と言います。「生物には人間のような知性はありませんが、健康に生を全うするための優れた五感を備えています。豊かに生きるためには、私たちも都市生活などで失ったこの五感を研ぎ澄まさなければなりません。常に軌道修正しながら、止むことのないしなやかな生き方、大事なものは本質です。」
いろいろなところに通じる言葉です。

投稿者 fujimori : 22:34 | コメント (4)

2009年01月15日 新聞記事より

老いの形

 「老いの形」が急速に変わっている。長い老後をどう生きるか。どんな知恵や仕組みが必要か。直面する課題をシリーズで探る「長寿革命」という連載が、読売新聞で13日から連載が始まりました。その記事から、今の生き方を考える上でのヒントをたくさん得ることができ、とても面白く読んでいます。
 いまや日本は、世界一長寿国です。それは、公衆衛生の向上や医療の発展、感染症対策、健康意識の高まりなどと相まって、日本人の寿命を大きく伸ばしました。しかし、日本人が特に長寿国になった理由に、違うことをあげています。
 欧米諸国に比べ、日本には「高齢になっても、元気なうちは働きたい」という人がはるかに多いという特徴があるそうです。生きがいとして働き、社会のどこかに帰属したいという意識が強いのだそうです。それは、「農業社会では、高齢者にも相応な役割があり、本人も社会もそれを自覚していました。その伝統が今も引き継がれています。この文化的風土と、社会参加の意欲が、日本の特色です。」と書かれてあります。
 以前ブログでも紹介しましたが、私の園の取り組みに「ゲストからスタッフへ」というものがあります。園に来る人は、ゲストとしてこないで、スタッフとして来てほしいという呼びかけです。かつて、園の近くに三宅島から避難してきた人たちがいました。その中の子どもたちにはいろいろな団体からの支援がありました。しかし、お年寄りたちは家に閉じこもってなかなか地域に溶け込みませんでした。そこで、園から、「ぜひ、園に遊びに来てください。」と呼びかけましたが、誰も来ません。そこで、園の片隅に小さいのですが、畑を作って、「そこで何かを作りたいのですが、どうしたらよいかわからないので、助けてください。」と呼びかけたところ、あるお年寄りが来てくれたのです。その時に、人は、誰かから必要とされることで、参加をするのだということで、「ゲストからスタッフへ」というコピーを作ったのです。
 この呼びかけは、人は人生を終える時まで、ゲストではなく、スタッフとして生きようというメッセージが込められているのです。
 この新聞の連載でも、これからの高齢者は、誰もが「長寿」としての役割を与えられるわけにはいかず、従来の老人観を乗り越える必要があることを訴えています。「退職後の世代が大学で学び直す西欧のように、学ぶことを通じて社会参加し、活動を広げることも一つの方法でしょう。高齢者をとりまく社会のあり方を、各世代が真剣に検討し、歩みだすことも大切です。」
 私は、スタッフとして生きるということは、何かに「貢献」することだと思っています。それは、必ずしも肉体的な活動だけではなく、精神的な支えや、その存在自体で生きる姿勢を示すこともあると思います。そして、これはその年齢に関係はありません。たとえば、生まれたばかりの乳児でも、その母親に自らの存在で生きる喜びを与えているのです。また、同時に、生きる意欲も与えています。
自分を必要とする人や、必要とする場があることは、人を老いから遠ざけますし、いつまでも若くいられるための重要な要素かもしれません。

投稿者 fujimori : 23:50 | コメント (4)

2009年01月14日 散歩

セザンヌ

 今、自分の中にある教養と呼ばれるものは、意外ですが、小中学生時代に身に付いたものが多くあります。美術や音楽への興味も、今となると、小中学生のころの影響が多いような気がします。私のころの都立高校入学試験は、9科目でした。国数理社英の5教科のほか、美術・音楽・体育・技術家庭の4教科がありました。しかも、これらはすべてペーパー試験でしたので、暗記科目でした。
 たとえば、音楽でいえば、学習指導要領に「共通鑑賞教材」というものがあり、各学年で決めたれた鑑賞曲がありました。中学3学年では、ベートーベン作曲、交響曲第6番ヘ長調「田園」がありましたが、その曲の出だしを楽譜で覚えたものでした。それは、最初の小節が出て、「これは、誰の作曲で、どんな曲か?」という問題が出るからです。また、階名を振ったり、移調、転調をするような問題が出るために、当然楽譜は読まなければなりませんでした。
 同じように、美術でも、3原色とか、補色とか、暖色、寒色はどんな色とか、有名な画家の有名な作品と、その作品の特徴と、その作品がどのような影響を与えたかなども覚えました。
 有名な画家の中で印象のある作品は多いのですが、今でも覚えているのは、セザンヌの作品です。彼の作品を鑑賞するうえで、彼の言葉のこんな言葉を教わりました。
「自然を円筒形と球形と円錐形によって扱いなさい」という言葉です。本当は、この言葉に続いて「自然は平面よりも深さにおいて存在します。そのため、赤と黄で示される光の震動の中に空気を感じさせる青系統を入れる必要性があるのです。」という言葉があります。セザンヌ以前の絵画においては、人体、山や木などの自然、リンゴや花などの静物を、いかにも眼前にそれがあるごとく、実物をいかに再現するかということが課題でした。そのために、対象物を正確に模写できるかということに力を注ぎました。
しかし、実際の対象物は3次元にあり、立体的なものです。それを2次元であるカンヴァスの上に模写しても、表わしきれるものではありません。セザンヌは、「人問にとって、その表面にあらわれているものよりずっと奥深い」と考え、それに比べて絵画は「彩色された平面」にすぎないことに気がつきます。ですから、自然を見たままの形態ではなく、円筒、球、円錐などの幾何学的な形態として捉えようとしました。その手法は、ゴーギャン、モディリアーニをはじめ、日本でも安井曾太郎、岸田劉生、森田恒友、佐伯祐三らに影響を与え、後にキュビスムとしてパブロ・ピカソ、ジョルジュ・ブラックらに受け継がれて行きます。
そこで、彼は「「近代絵画の父」と呼ばれ、「セザンヌ主義(セザニスム)」という言葉が生まれました。今、横浜美術館で、画家ポール・セザンヌと、その芸術に影響を受けたヨーロッパと日本の画家の作品を紹介する展覧会「セザンヌ主義-父と呼ばれる画家への礼讃 ピカソ・ゴーギャン・マティス・モディリアーニ」が開催されています。
sezannu.JPG
その展覧会に、先日の日曜日に行ってきました。最終日でもないのに、ずいぶんと混んでいました。時間が少し足りなく、じっくりと作品を鑑賞できませんでしたが、セザンヌの作品と、彼に影響を受けた画家の作品を見ていて、なんとなく、中学時代に覚えさせられたことを思い出しました。

投稿者 fujimori : 23:23 | コメント (4)

2009年01月13日 近頃思うこと

塩2

塩は、いくら体に良いからといっても、それだけで食べるものではありません。ただ、激しい肉体労働をする人は、汗で大量の塩分を失いますので、塩をなめながら仕事をするということはあるようですが。しかし、特に日本では、塩はそのままで食べないで、いろいろなものに利用されています。日本の伝統食である味噌、醤油、漬物、梅干等に使い、食を豊かにしたり、保存食としても重要な役割を果たしています。世界1と言われる日本人の平均寿命を支えているのは伝統食世代であり、この人たちが長生きするようになったことが長寿世界1の一番の要因と考えると、塩こそその陰の存在ともいえるかもしれません。
徳川家康はある日、側に仕える阿茶の局に、「この世で一番うまいものは何か?」と尋ねた答えに、「それは塩です。山海の珍味も塩の味付け次第。また、一番まずいものも塩です。どんなにうまいものでも塩味が過ぎると食べられなくなります。」と答えと言われています。塩はさじ加減ひとつで、他のものの味を引き出します同じように。指導者もまた、家臣の心を巧みにとらえ能力を引き出すことが肝心ということを、暗にほのめかした局の答えに、家康は深く感銘し、以後教訓としたといわれています。それは、教育にも言えます。教師が強すぎず、教師という環境が子どもの持っている力を引き出すのです。また、それが「いい塩梅」なのでしょう。
人間の体は塩を必要としていますが、塩の過剰摂取は、高血圧、脳卒中、さらには胃ガンなどを引き起こす恐れもあり、体にとって良くないということは一般的によくいわれます。人が一日に体外に排出する塩分は1.3gだと言われていますので、、健康体であれば、最低でもそのくらいの塩分が必要になります。ではその適量とはいったいどれくらいなのでしょうか? 人が一般的に美味しいと感じる塩分濃度は0.8%だといわれています。これは人間の細胞外液の塩分濃度の数値に一致します。 つまり適塩を守る=体液濃度を維持すること そのために守るべき摂取量は10g、すなわち小さじ2杯分です。
ナメクジに塩をかけると縮んで死んでしまいます。それは、ナメクジの体の殆どは水分で構成されているため、塩をかけると浸透圧の関係で水分を失わらせてしまうからです。ですから、すっかり元気がなくなることのたとえとして、また、苦手なものの前に出て萎縮してしまうことのたとえとして「ナメクジに塩」と言いますし、同じように塩をかけると縮んで死んでしまう「ひる」にたとえて、「ひるに塩」といって、忌み嫌う苦手なものに直面して縮こまることのたとえとしてや、弱って足腰が立たなくなることのたとえとして使います。同様に、青菜に塩をかけると、葉や茎に含まれた水分が外に吸い出され、しおれてしまいます。そこから、急に元気をなくしてしょげるさまを、「青菜に塩」と言います。
体に良いものは、その使い方で悪いものになってしまうことが多いのです。「塩たらず」という言葉は、「塩はほどよい量を使わないと食べ物の持ち味を引き出せない。塩が足りないと間のぬけた味になってしまう」ということから、人がのろのろしていること、能力が低いことを表します。ヨーロッパには、「塩の豊かな人」という言葉があり、すぐれた人、教養のある人を表現するときに用いるようです。
そして、子どもは、「手塩にかけて」育てないといけないのです。自分の手で塩をふり、時間をかけて漬け込む漬物や、手のひらいっぱいに塩をつけて握りしめるおむすびのように、昔から手に塩をつけて丹念にものを作る行為には、愛情が込められています。

投稿者 fujimori : 20:42 | コメント (4)

2009年01月12日 記念日

 このブログの「地名」というタイトルの時に、オーストリアのザルツブルグは、もともとザルツというソルトという塩から来ているということから、日本にも塩に縁のある地名が多いことを書きました。その時に、長野に塩のつく地名が多いことと、「敵に塩を送る」という逸話に少しふれました。
 この逸話は、ちょうど今、NHK大河ドラマで放送されている「天地人」に出てくる謙信と信玄の話です。
信玄が三国(甲斐・相模・駿河)同盟を破って駿河へ侵攻すると、今川氏真は相模の北条氏康とはかり、その報復措置として信玄領国へ塩を送ることを前面的に禁止しました。これは、今でいう経済封鎖政策です。体にとって塩がないというのはとても困ります。このことを知った謙信は、「塩を絶つとは卑劣で武士の恥であり、相手の国の力を弱めようとする行為自体が、相手に対し恐れをもっている証拠だ」と言い、敵国である武田家に塩を以前同様に通常の価格で売るように家来に命じたそうです。もしも高い値段で塩を売りつける者がいるのなら連絡せよとも言ったとか。このため武田の領民は、蘇生の思いをなし、深く謙信の高義を感じ、その厚志を徳としたといいます。謙信が義を重んじた態度に感謝した信玄は、そのお礼に太刀一振りを贈ったといわれています。その太刀のことを「塩留めの太刀」といい、現在、東京国立博物館に所蔵されているそうです。
これを、江戸時代の陽明学者・頼山陽が讃えて「所争在弓箭不在米塩」(争うところは、弓箭(いくさのこと)にある。米や塩ではない)と言い、「敵が苦しんでいる時に、かえってその苦境を救う」ことを「敵に塩を送る」と言うようになったのです。
このとき、塩が当時の武田領の松本市に到着した日が1569年1月11日で、甲府には1月14日に到着しました。ですから、昨日の1月11日は「塩の日」と決められています。そして、松本市に到着した辻で、1月11日に、ここのえびす様を祭っていた宮村天神(深志神社)の神主が塩を売るのが恒例となり「塩市」が始まったとされています。しかし、江戸時代前期に、飴を売る露天が本町に軒を連ねたため、今は「飴市」と呼ばれています。また、松本には、本庁の街角に「牛つなぎ石」という石がありますが、これは、その昔、上杉謙信が牛の背に塩を乗せて松本の地まで運んできたおりに、牛をつないでおいた石だとされています。
塩は、高血圧の敵のように言われていますが、実は体にとってはとても重要な役目があります。まず、塩のナトリウム分には神経・筋肉の働きを調節するという役割があり、ナトリウムが不足すると筋肉の収縮、弛緩がうまく行かなくなります。ですから、塩は筋肉運動に重要な役割を果たしているのです。また、 体温が上がりすぎると発熱体である塩分を体外に出し体温を下げようとします。これがいわゆる汗で、舐めるとしょっぱいのはそのせいです。脱水症状というのはこの活動が過ぎた時に起きる、塩分不足状態です。このように、塩は体温をコントロールしているのです。また、塩は導電物質で、人間の体内では塩分濃度が不足すると電流がよく流れなくなるため、情報伝達がうまくいかず、体調不良をきたします。また、塩のナトリウムイオンが不足すると新陳代謝は衰えてしまいます。他にも、ナトリウムイオンは腎臓の働きも助けています。そして、血液が酸性になるのを防いだり、消化の働きにも塩化ナトリウムが必要なのです。
塩を絶たれると困るわけですね。

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2009年01月11日 近頃思うこと

住宅

今、私の自宅の前に351戸のマンションを建設中です。随分と多くの世帯が入居する予定ですので、学区内の小学校では児童数の増加を心配しています。このマンションは、分譲で、少しまえよりもかなり価格は安いのですが、いったい誰が買うのでしょうね。少子化といわれ、それほど子どもが増えていないのにもかかわらず、どんどん高層マンションが建てられています。明日は成人式ですが、今年成人式を迎える人は、昭和天皇が崩御されたのは、昭和64年1月でしたから、昭和64年生まれと平成元年生まれの人がいます。総務省発表によると、1月1日現在の推計人口では、新成人は133万人で、推計を開始した68年以降で過去最少だそうで、今年で最少記録の更新は2年連続だそうです。こんなに成人がどんどん減っているのに、住むところの数がどんどん増えてどうするのでしょうね。
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人口が増えていないのに住むところが増えるというのは、一つには一極集中で、どんどん都心に住む人が増えてきたということと、もう一つの理由に、同居世帯が減り、それぞれの世帯が分かれて住むようになったために、数が増えているということでしょう。かつては、「住まいは代々受け継いでいくもの」という考え方が当時は一般的だったのが、20世紀に入って「自分の家は自分で建てる」という発想に転換したからです。日経新聞の住宅サーチという記事の中で、建築家の隈研吾氏と長谷工コーポレーション執行役員河村順二氏との対談が掲載されていました。テーマは、「過去の伝統、海外に学ぶ日本の住まいのこれから」というものです。この中で、隈氏はこんなことを言っています。
「家を建てなければ一人前ではない」という風潮が戦後に生まれたのは、アメリカの影響が大きく、それは、当時、アメリカが発明した「住宅をどんどん建てることで景気は浮上する」というロジックでした。実際、それはある時期には機能していましたが、しわ寄せは後世に回される結果となります。一つの分かりやすい破たんの形が、米国のサブプライムローン問題です。そこで、消費者が景気対策のために強制的に見せられていた夢から覚め、本来の住宅のあり方を見直そうとしているのです。
「現在の日本の住宅や街づくりに欠けている点は何だと考えられますか?」という問いに対して、 隈氏は、「日本でも、例えば江戸時代には企画・デザインと建設を一緒にやってしまうような優秀な大工さんが多くいました。江戸の街並みが優れていたのは住まいや街を俯瞰で見て、育てていく視点があったからでしょう。しかし、20世紀の大量建築の時代には「街の一部としてデザインすること」「実際に建物をつくること」が切り離されてしまっています。住宅をそれ単体で考えてしまい、ひと続きの街として考えられなくなっていること、問題はそこにあるのではないでしょうか。」と答えています。
コミュニティーは、街の作り方、建物の作り方からでも影響を受けます。

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2009年01月10日 近頃思うこと

主人公

朝日新聞の朝刊に、月1回程度、様々な事象について、各界で活躍する100人のメンバーに質問を投げかける「100アンサーズ」という特集が組まれています。その特集で、昨年暮れのアンケートでは、「主役にしたい大河ドラマの人物」は、という問いに対する答えが掲載されていました。
まず、複数の人が挙げたのが昭和天皇でした。100人の中で生活経済ジャーナリストの和泉昭子さんは「タブーがあって実現できないとは思いますが、NHKがやったらチャレンジですよね」。名古屋大教授の坪井秀人さんはイッセー尾形、映画監督の森達也さんは平幹二朗の配役で、と回答しています。
 私が以前このブログで紹介した映画「太陽」は、アレクサンドル・ソクーロフ監督が、ヒトラーやレーニンを描いてきた3部作「20世紀の権力者」のひとつとして、これまで誰も描いて来なかった昭和天皇をテーマに据えた作品で、このアンケートで誰がやればいいかという問いの答えに挙げられているイッセー尾形が昭和天皇を演じています。その時に、あまりに昭和天皇役のイッセー尾形は、出で立ちから話し方に至るまで昭和天皇の雰囲気を見事に再現していてとてもびっくりした思い出があります。
 そういえば、駅構内の通るときに目につくポスターがあります。それは、東条英機を演じているビートたけしの写真です。それは、放送日は未定のようですが、TBS系特別ドラマ「あの戦争は何だったのか(仮題)」にビートたけしが主演し、東条英機を演じるのです。写真を見る限りでは、眼鏡とひげをつけた程度で、東条英機本人にそっくりで、同局関係者によると、たけし本人も扮装した自分と東条の写真を見比べて驚いているそうです。また、ちょっと高い声質も似ていると言っているそうです。八木プロデューサーは、「たけしさんは東条に対し、築いた地位や名誉を国の将来より優先した人間の弱さを感じているようです。それを演じることに意味を感じているのではないか。東条を演じるのは彼しかいない」と起用のいきさつを説明しています。
 アンケートでは、ほかにも黒岩比佐子(ノンフィクション作家)は、「むずかしいだろうが、明治天皇。」と答えています。昭和天皇同様、天皇を主人公にするのは難しいと思っているようです。それは、時代があまりに最近だから主人公になりにくいのかわかりませんが、ほかにも持統天皇と答えた人もいるように、どうしても日本の歴史には天皇が関係してくるのは仕方がありませんね。ただ、NHK 大河ドラマは、原作者がいるドラマであり、史実とは限りませんが、どうも見ている人は、それが史実かのように錯覚する人がいて、悪い人、良い人を区別しがちです。娯楽ドラマとして楽しむ見方をしないといけませんね。
 ただ、歴史的に偉業をなした人の生き方、考え方から学ぶことはたくさんあります。そんなことで、今の時代らしいアンケートの答えとして、二宮金次郎を二人が挙げています。理由は「100年に1度の大不況期、この人しかいない。節倹、殖産、町おこし、実行主義。金次郎は六百数十町村を復興した」からです。しかし、実際は視聴率の関係もあるので、どうかわかりませんが、私も二宮金次郎は見てみたいですね。

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2009年01月09日 近頃思うこと

あじ

 最近の子どもたちの食に関する問題点として、その食材のもとの姿をあまり見たことがないということが言われています。昨年、冷凍インゲンに農薬が混入していたという事件がありましたが、そのニュースを聞いたときに、農薬が入っていたというだけでなく、主婦でもインゲンは冷凍物を使うことが多くなったということに少しびっくりしました。そのように、最近は食材を元の姿から家庭で料理することは少なくなりました。大根は洗われ真っ白で売られていますし、肉や魚は切り身で売られています。むかし、「あじ」は開きのままで泳いでいると思っている子どもがいるという話を聞きましたし、本の編集を手伝っているときに、魚の写真を使おうとしたら、魚そのままでは女性の保育者は魚の目玉が怖いという人が多く、その本を読んでもらえないということで却下になった思い出があります。
 そんなこともあって、今日園ではあじの三枚おろしのライブを行いました。子どもたちへの告知の張り紙には、「さかなのかいたいショー」と書かれてありますが、あじはマグロほど大きくないので迫力はないのですが、それでも子どもたちは興味をもって眺めていました。
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あじは、大衆魚の王者で、新井白石は「アジとは味なり」と言ったといわれているように、味が良いところから「あじ」という説がありますが、実のところはよくわからないようです。また、漢字では「鯵」と書きますが、つくりの「参」という字は3月のことで、旧暦三月頃(今でいうと5月)が「まあじ」の旬であるというところから来ているようです。
 ともあれ、あじはとてもおいしい魚です。それは、脂肪が多い割にはくせがありません。それは、真あじのエキス分にはアラニン、グリシン、グルタミン酸などの遊離アミノ酸が多く含まれ、これらのエキス成分と脂肪のバランスの良さが、日本人好みの淡白な味わいを作り出しています。
 味だけでなく、栄養的にも抜群です。「あじ」は青背の魚ですので、血液をサラサラにし、血管をしなやかにするEPA(エイコサペンタエン酸)、脳の機能を活性化さるDHA(ドコサヘキサエン酸)を備えています。しかも「あじ」には、血圧やコレステロール値を下げる効果のある不飽和脂肪酸(EPA)を含み、体内の余分な塩分を排出し血圧を下げるカリウムが他の青背魚より多く含まれるので、血栓症、心筋梗塞や脳硬塞などの血管の病気に大変有効な魚です。
今日、園で三枚におろした「真あじ」は塩焼きにして子どもたちに少しだけ味見をしてもらいました。この三枚おろしは魚をおろす基本のおろし方ですが、どんな魚でも3枚におろせるかというと違うようで、いさき、かつお、かわはぎ、きんめだい、すずき、さば、たい、たら、ぶりなどなどだけのようです。そのほかにも、「真あじ」は、新鮮なものはたたきや刺身、酢の物にすることがありますが、フライ、煮物、つみれにしてもおいしいですね。
国内の漁獲量は、島根県と長崎県で50%近くを占め、30%が生鮮、30%が干物などの加工用、40%は養殖魚のエサに使われているそうです。最近問題になっている輸入は以外に少ないようです。干物にすると、水分が減って味が濃縮され、日光によってたんぱく質が分解され旨み成分が増えるためです。
 今は特別に旬ではありませんが、「あじ」は味なものですね。

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2009年01月08日 近頃思うこと

不景気と社会貢献

世界的な貧困率の増加に対して、OECD諸国は20年前の3倍もの資金を家族政策に費やしているのにもかかわらず、片親世帯の貧困率に至っては人口平均の貧困率の3倍にも達しているという結果になりました。この結果から、ただ家族支援ではなく、「教育」のカイゼンに投資すべきだということを提案しています。同報告書によると、教育の改善は、エリートのみではなく、万人に恩恵をもたらす強力な成長達成策となると結論しています。目の前の対策よりも、教育に力を入れるということは、将来に向けての投資であり、貧富の差無く、万人に恩恵をもたらします。子どもたちこそ、われわれの将来であり、夢であり、勇気の源なのです。
 一昨日の朝日新聞の1面には、貧困層への少額融資制度で知られる世界的な経済学者ムハマド・ユヌス氏へのインタビューが掲載されていました。彼は、ここで、国際金融危機で直撃を受けた最貧困層の救済を最優先すべきだと主張しています。自らが提唱する社会貢献を最優先にする新企業モデル「ソーシャル・ビジネス」(社会的企業)への参加を日本企業にも呼びかけています。
 彼が2006年にノーベル平和賞を受賞した理由は、グラミン銀行を設立し、その銀行の総裁としてバングラデシュの農村で貧困層に無担保融資を続けてきたからです。それは、マイクロクレジットと呼ばれる事業で、これまでの銀行業務を一変させ、かつ貧困層が自立するのに大きな力を果たす画期的なものでした。その活動で、ノーベル賞のほかにも、アジアのノーベル賞といわれるマグサイサイ賞をはじめ、数々の賞を受賞し、その功績は、本国、バングラデシュのみならず、各国で大きな評価を得ています。
既存の銀行は、預貯金という形で募ったお金を必要としている人へ、担保という信用を保証に融資をするのが主たる業務ですが、担保を持たない人は、信用力がないと見なされ、お金は貸してもらえません。しかたなく高利貸しからお金を借りるのが唯一の方法でした。稼いだお金も返済と高い利子にあてると底をつき、またお金を借りるという悪循環に陥り、貧しければ、貧しいほど貧困から抜け出せない悪循環が起きます。逆に、富める者ほど大きな担保で多額のお金を借り、それを元にますます富んでいきます。これらの循環を裁ち切るためにマイクロクレジットという事業を創設します。これは、少額無担保融資の意味で、工芸や畜産、農産物の加工、小売業などの小さな事業を興すために必要な数ドル、数十ドルという少額の資金を、資産や土地などの担保を持たない人に貸し付けるという事業です。
 このユヌス氏は、インタビューの中で、昨年の金融危機、食糧危機などで「最も影響を受けたのは貧困層だ」と指摘し、「利益の最大化を目的とするビジネスだけに市場を使ってきた経済システムの再設計が必要だ」と語り、グローバル化や資本主義の現状に疑問を投げかけています。その上で「人間が持つ利己的な部分だけでなく、無私の部分も市場に持ち込めば、資本主義は完成する」と述べ、貧困や環境問題の新たな解決策として新たに提唱した社会貢献目的の企業モデル、社会的企業の活用に言及しています。「日本の企業には、社会貢献のための基金がある。慈善事業に使っていた基金を、このモデルに使って欲しい」と参加を求めています。
 ユヌス氏が「利益の最大化を夢見る眼鏡を外し、社会的企業の眼鏡をかければ、世界が全く違って見えるだろう」と語っているように、不景気だからこそ、企業は儲けようとしないで、社会貢献を考える時期のような気がします。

投稿者 fujimori : 22:46 | コメント (4)

2009年01月07日 近頃思うこと

貧困

 今年の国内外の景気について、日本経団連、日本商工会議所、経済同友会の経済3団体首脳は、非常に厳しい状況だとの認識をそろって表明しました。そして、雇用問題で3者連携をするべきであるという認識を示しています。最近のニュースでは、昨年秋以降の世界経済の急激な悪化と円高により、製造業を中心に派遣社員など非正規労働者の削減が進んでいることを取り上げています。
 不景気であるとか、仕事を切られるとかいうニュースがあるかと思うと、高額な福袋に群がる姿や、年末年始の高額なホテルが満室になっているというニュースを聞くと、日本は、本当は豊かなのか、貧しいのかわからなくなるときがあります。
 2006年の7月に「日本の貧困率2位」という結果が公表されたときにも「ほんとう?」と思ったものでっした。この報告書では、日本の所得格差が拡大し、2000年にはOECD加盟国の中で相対的貧困率がアメリカに次いで二番目に高くなったことを明らかにしています。
 この相対的貧困率とは、生産年齢人口(十八歳から六十五歳以下)を対象に、税金や社会保障の負担などを引いた後の自由に使える所得である「可処分所得」について分析し、この所得分布の中央値の半分以下の所得しかない人口の割合のことです。アメリカは貧富の差が激しく、貧困層が多くいるだろうとは創造できますが、そのアメリカの貧困率13・7%にたいして、日本はそこに迫る13・5%でした。3位のアイルランドでさえ11・9%ですから、いかにアメリカと日本の貧困率が高いかがわかります。
 もう一つの生活必需品のコストを基に算出した「絶対的貧困」の率でも、日本では80年代半ばから2000年に5ポイント増加したと指摘され、OECD加盟国の中で唯一貧困が進んでいる国だと述べています。
 実感が余りないのですが、どうしてこんな数字が出たのでしょうか。OECDでは、格差拡大の原因に、非正規労働の拡大による労働市場の二極化があると分析しています。そして、このときに日本に対する勧告として、正規と非正規の労働市場の二極化を是正することが重要な鍵だと指摘し、正規雇用増加への「包括的な取り組み」を求めました。それに対しての取り組みが無いまま進んできた結果、今回のような非正規労働の問題が噴出したのでしょう。
また、一昨年末に出された、OECDの新報告書によれば、OECD諸国の4分の3以上で過去20年間に富裕層と貧困層の格差は拡大しており、過去20年ほどの経済成長は貧困層より富裕層に恩恵をもたらしていると結論しています。そのときの分析でも、所得格差の主なけん引役となっているのは、仕事に就けない非熟練者や低学歴者の増加だとしています。また、単身者や片親世帯の増加も所得格差の拡大の一因だとしています。そして、過去20年間に所得が最も伸びているのは退職年齢近辺の層であり、これに対し、児童貧困率は上昇しています。今では児童と若年成人の貧困率は人口全体の貧困率より25%も高くなっています。
 では、貧困層に対して、どうすればいいのでしょうか。もちろん、当座は住まいや食べ物の確保が問題ですが、同時に、根本的な体制も必要な気がします。ちょうど、昨日の朝日新聞の一面に2006年にノーベル平和賞を受賞しているムハマド・ユヌス氏が提案していますので、それを紹介します。

投稿者 fujimori : 23:26 | コメント (4)

2009年01月06日 旅先にて

大河

 昨年好評だったNHK大河ドラマ「篤姫」に続いて、今年も4日にスタートした「天地人」の初回視聴率は24・7%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)で、初回では昨年の「篤姫」の20・3%を上回り、04年の「新選組!」(26・3%)以来の高い数字となったそうです。年間を通して、どうでしょうか。
私は、妻とどこかに出かけるときに何かテーマを持ったほうがいいのではないかということでこの大河ドラマつながりをめぐることにしています。しかし、昨年の「篤姫」の舞台は、ほとんどが江戸ですので、東京近辺を歩き、何回かブログに書きました。しかし、一度は、彼女の出身地である鹿児島に行かなければと思いながら年の暮れになってしまいました。そこで、思い切って、暮れに、ちょうどブログで書いた「郷中教育」について調べることと、一度は行きたくて、まだ行ったことのない「知覧」に行くことを目的として鹿児島に行ってきました。郷中教育についてはブログで何回かに分けて書いたのですが、今度いつか「知覧」についても書きたいと思っています。
 とりあえず、今年の大河ドラマが始まってしまいましたので、篤姫関係を報告します。
篤姫が生まれたのは、現在の鹿児島市で、JR鹿児島駅の裏手、南洲公園の入口あたりです。小さかった頃から大変利発で活発な子だったと言われています。ここで、約19年間を過ごします。テレビでもよく出てきますが、鹿児島市からは錦江湾を挟んで桜島がよく見えます。この桜島は、死者58名をだした1914年(大正3年)の噴火により、それまで海峡で隔てられていた大隅半島と陸続きになるまでその名の通り島でした。この桜島は、鹿児島から思った以上に大きく見ることができます。
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鹿児島市で生まれた篤姫ですが、指宿今和泉には、今和泉島津家の別館があります。この別邸には篤姫も度々訪れたと言われています。今は、建物は残っていませんが、小学校の海岸側に当時の石垣の一部が残っています。目の前に海が広がり、ここからでも遠くに桜島が望めます。
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そのほかにもこのあたりの集落内には今和泉島津家ゆかりの史跡が数多く点在してあり、忠郷をはじめ、実父の忠剛や兄の忠冬が眠る今和泉島津家墓地や、豊玉媛神社などがあります。
 もう一つ、このドラマで興味を持ったのが、篤姫を心の中で慕い、再開シーンでは泣かせた小松帯刀という人物の存在です。彼は実在の人物ですが、実は、宮尾登美子さんの原作には登場していません。脚本の田渕久美子さんが、薩摩藩の若き家老であり、西郷や大久保が活躍した背景にあり、幻の宰相と呼ばれ、薩長同盟や大政奉還の際でも深くかかわっているなど重要な活躍をしたにもかかわらず、あまり歴史にとりあげられることが少なったヒーローにスポットを当ててみたいという思いがあって、ドラマに登場させたそうです。
小松帯刀は、「一外交官の見た明治維新」という文庫の中で、英国外交官として活躍したアーネスト・サトウによって、こう評されています。「小松は私の知っている日本人の中で一番魅力のある人物で、家老の家柄だが、そういう階級の人間に似合わず、政治的な才能があり、態度にすぐれ、それに友情が厚く、そんな点で人々に傑出していた。顔の色も普通よりきれいだったが、口の大きいのが美貌をそこなっていた」
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有名な西郷像に程近いところに建てられた帯刀像は、今回の大河ドラマで改めて脚光を浴びたそうです。その思惑に乗せられた感はありますが、大河ドラマは、改めてよく知らなかった人物にも興味を持ったり、今まで気がつかなかった場所を知ったりと、私にとってはよいきっかけとなります。

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2009年01月05日 近頃思うこと

紅白と大河

 今年のNHK紅白歌合戦の平均視聴率は、3年ぶりに40%の大台を超え、大健闘だったようですね。関東地区では、ビデオリサーチ調べによると、第2部は42.1%で、前年から2.6ポイントアップ、第1部も前年比2.9ポイント上昇して35.7%だったそうです。その理由はいろいろと取りざたされていますが、私はこう思います。まず、ほかに見るような番組がなかったからのような気がします。日本テレビ系「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」が善戦しましたが、この番組は、テレビを余り見ない若者向けで、テレビ視聴がもっとも多い団塊の世代では見ないような番組です。また、テレビ東京系「ハッスル・マニア2008」では、最近新しいヒーローが現れず、同じような顔ぶれで、なんだか読めてしまいそうな結果のような気がします。TBS系格闘技「Dynamite!!」も同じような理由で、頭打ち。フジテレビ系「2008年クイズ!!」では、紅白出場の羞恥心やPaboと中継を結んだり、民放とNHKとのコラボを企画したのは新しい試みでしたが、なにも大晦日に見るような番組ではなかった気がします。
もう一つの理由は、若い人にも人気のある歌手が多く出場したからでしょう。じっくり聞くには少し物足りなさはありましたが、多くの歌手を出すには仕方ないのかもしれません。また、芸能人が所属する事務所の思惑もずいぶん感じられました。また、事務所の勢いの変化も激しいですね。元日放送のフジテレビ系「新春かくし芸大会」は、毎年とても人気のある番組で、一時期は2日に分けて放送されていたこともあるのですが、今年は、8.6%で前年の12.6%から大きく落ち込み、初めて1ケタ台となりました。
 第1回NHK紅白歌合戦は、1951年1月3日にNHK東京放送会館第1スタジオで行われたように、最初は1月の番組でした。それが、はじめて12月31日に日本劇場で行われたのは、1953年の通算4回目のNHK紅白歌合戦からです。出場歌手が正月公演で多忙なこと、また公開用に使える大きな会場が正月公演で空いていないことなどから、会場に空きがあった大晦日に放送することになったそうです。そのときの司会は、紅組は、水の江滝子、白組は、高橋圭三アナウンサーです。
この紅白歌合戦は、毎年、テレビ視聴率が非常に高いことで知られますが、昔は、今より民放では見る番組が無かったことと、その頃のテレビは、各家庭1台がせいぜいでしたので、みんなで一緒に楽しんでみたために万人受けするNHKを見たのでしょう。1962年に視聴率調査が始まって以来最高視聴率は、1963年に行われた第14回で、81.4%(関東地区)もありました。それ以降も1980年代前半までは一人勝ちで、「お化け番組」「怪物番組」ともいわれていて、民放では、それに挑戦するのはあきらめた制作をしていました。
最高視聴率を樹立した1963年は、やはり昨年好調だったNHK大河ドラマの第1作目が放送された年でした。この大河ドラマは、映画に負けない大作を目指して制作された大型娯楽時代劇です。第1作は幕末の大老井伊直弼を主人公にした舟橋聖一原作「花の生涯」のドラマ化です。今の大河ドラマは、1月から12月までの放送ですが、このときは、4月から12月まででした。
一時は、NHKでは、不祥事、不払い、様々なことがありましたが、ずいぶんと持ち直しました。不祥事を糧にして伸びるか、それで信用を失うかは、不祥事の危機管理についての経営のトップの問題なのでしょうね。

投稿者 fujimori : 23:12 | コメント (4)

2009年01月04日 散歩

哲学

 2,3日の箱根駅伝は、毎年ながらドラマがありますね。今日の新聞やテレビ番組では、総合優勝を果たした東洋大学の選手たちが取り上げられていました。その中で特に注目を浴びたのが、1,2年生を中心の選手層で、来年以降の活躍も期待できそうなところでしょう。
 昨年暮れ近く妻と中野駅から園まで散歩しました。途中「林芙美子記念館」に寄ることも目的でしたが、もう一つ、途中で「哲学堂」にも寄りました。ここは、今回の駅伝総合優勝を果たした東洋大学の創設者である哲学者井上圓了博士が、明治37年小石川原町(文京区白山)に開設された哲学館大学(現東洋大学)を記念して「四聖堂」を建設して、それが「哲学堂」と呼ばれ、そのまま公園になっているところです。
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 この公園内にある「四聖堂」とは、ソクラテス、カント、孔子、釈迦を祀ったものですが、当初哲学堂とも呼ばれていたために、公園名は「哲学堂公園」となっていますが、そのほかにも到る所に哲学に由来するユニークな名前の坂や橋などが点在し、井上円了の思想を垣間見ることができるようになっています。
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 井上円了は、明治14年、設立間もない東京大学文学部哲学科に入学しますが、そのときはただひとりの1年生でした。しかし、在学中に「洋の東西を問わず、真理は哲学にあり」と確信します。ここでいう「哲学」とは、「万物の原理を探り、その原理を定める学問」ということであり、維新後の日本では鹿鳴館時代に象徴されるような欧米文化至上主義の時代で、そのような表面的なものに踊らされること無く、きちんとした事実と実証に基づいて物を考えるべきだということを訴えているのでしょう。今でも、なんとなく哲学というと観念的演繹的な学問という気がしますが、円了は、「政治、法律はもとより科学や芸術まで、その根底には哲学がなくてはなりません」と述べています。この考えから明治20年「私立哲学館」という哲学専修の専門学校を創設しました。これが現在の東洋大学の前身なのです。
 私が彼に共感する部分として、学問とは机上のものではなく、実践してこそ価値を持つという考えで活動したことです。「余資なく、優暇なき者」のために「社会教育」と「開かれた大学」を目指して活動を開始します。その一つに、学校開設の翌年から「哲学館講義録」を発行して、通学できない者にも勉学に機会を与えました。これが、今の通信教育です。また、30歳代から生涯、全国行脚を続けて講演を行います。統計の残っている明治39年から大正7年までの13年間で、全国60市、2198町村において5291回の講演を行い、社会教育に力を入れたという記録が残っています。
 このようないわれのある哲学堂公園に点在している「哲学堂七十七場」のいくつかを紹介します。
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六賢臺(ろくけんだい)聖徳太子・菅原道真(日本)・荘子・朱子(中国)・龍樹・迦毘羅仙(印度)の六人を東洋的「六賢」として祀ってあります。
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宇宙館(うちゅうかん)哲学が宇宙の真理を研究する学問であるとの観点にもとづき、哲学の講習の講義室として設けられました。
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主観亭(しゅかんてい)客観盧に対する名称で心界の休息所の意味であり、一休みして心界の風光を観察するのに最高の場所です。
 自分を振り返るのにはいい場所です。

投稿者 fujimori : 21:26 | コメント (5)

2009年01月03日 近頃思うこと

今年は丑年ですが、有名人のなかで丑年であり、正月に関係あるとしたら「菅原道真」でしょう。その真意は定かではありませんが、菅原道真と牛との関係は深く、全国にある天満宮には、臥牛の像がおかれているところが多いようです。その理由は、道真が丑年ということだけでなく、色々な縁が言われています。
 道真は、わずか5歳で和歌を詠み、10歳を過ぎて漢詩を創作し、神童と称されました。
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5歳の菅公
その後、次々と出世して33歳で式部少輔、文章博士となり、学者としては最高の栄進を続けました。そして、京で蔵人頭などの政治の中心で活躍し、50歳の時には、唐の国情不安と文化の衰退を理由に遣唐使停止を建議しました。そして、ついに、藤原時平とともに従二位に叙せられましたが、その直後、急転して大宰府左遷となりました。ここで、配流に近い窮迫の日々を送りながら不遇の中で亡くなります。
実は、左遷は左大臣藤原時平に讒訴された為であるために、朝廷にたたりをなし、その後、朝廷でも罪なきことが判明し、人から神となり、天満天神、学問の神・文化の神として現代に至るまで永く人々の信仰を集めているのです。
小さい頃から神童といわれたり、波乱の人生のためか、たたりを含めてずいぶんと逸話が多く作られています。その中で、牛にまつわるものが多いのです。普段から道真は牛を大層可愛がっていて、牛も道真によくなついていたといわれます。そこで、「大宰府へ左遷される時、可愛がっていた牛が、泣いて見送った」とか、「牛に乗って大宰府へ行った」といわれています。また、大宰府へ向かう途中でも事件が起きます。道真を陥れた藤原時平が放った刺客に襲われますが、牛が菅原道真を守ったともいわれています。
もう一つ、各地の天満宮や天神には銅像があることが多いですが、すべて牛が座りこんだ姿になっています。
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それは、「道真の遺体を牛車に乗せて墓所に運ぼうとしたら、牛が座り込んで動かなくなったので、そこに安楽寺を建てて葬った。それが後の大宰府天満宮の場所である」というのが標準的な説明として書かれています。また、「道真が亡くなった際、轜車を引いていた牛が、悲しみのあまり安楽寺四堂のほとりで座して動かなくなってしまった」ということで、境内には、その姿を模して「座牛・寝牛」として造られるようになったようです。
その「座牛・寝牛」が、次第に「撫牛・臥牛」になっていきます。
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それは、後年、親しみを持って撫でたり擦ったりするようになっていったからです。そして、撫でた箇所にご利益があるといわれ、学業成就は牛の頭や角、身体の痛む場所を撫でれば病気平癒などの願いがかなうのだそうです。そこで、神使とされ、「神牛・随牛」と呼ばれるようになります。
 もともと牛や馬は、農耕の際の雨乞いの祭りなどのときに捧げられた犠牲の動物でした。ですから、馬の犠牲が「絵馬」となって、いまも生き続けているように、牛を祭って天神の怒りを鎮め、疫病を防止しようとしたのでしょう。もともとは自然の神であり、農耕の神としての「天神」は、従来から「恵みの神」であり、そこには象徴である牛がいるというのは当然のことかもしれません。それが、菅原道真と結びついたということなのでしょう。
 今年は、牛の話題が多くなるかもしれませんが、いろいろなことがきっかけになっていろいろなことに思いをめぐらすことも、とても楽しみです。

投稿者 fujimori : 21:11 | コメント (4)

2009年01月02日 近頃思うこと

己丑

「今年は何どし」というときに十二支は使われるだけでなく、年、月、日、時間、方位などを示すためにも使われ、それらの吉凶を表わすようにもなりました。江戸時代の時刻の単位は今の時間でいうと2時間ずつ「一時(いっとき)」といいました。一日24時間を12等分し、午前0時を「子」として、時計回りに2時間ずつ十二支にあてはめました。そうすると、午後12時は「午の刻」となり、ちょうど12時ということで「正午」といいます。また、「草木も眠るうしみつどき」という言葉は、午前2のことを指します。
また、中国を中心とする東アジアでは、昔は十二支による方位が用いられていました。北を「子」とし、30°間隔で決められ、東が「卯」、南が「午」、西が「酉」です。そして、日本では、北東は十二方位の丑と寅の中間なので丑寅というように、今の北東のように両方を並べて言いました。
 一方、「甲、乙、…」という十干も、いろいろなところに使われています。少し年配者からすると、これは学校の成績表を思い出すでしょうし、兵隊検査でも甲種合格のようにランク付けに使われていました。また、現代でも焼酎は、甲類、乙類と分けられ、法的議論をする時に、登場人物の仮名に「甲男は、乙男に対して脅しや…」などと使われたり、契約書を交わすときに、当事者を甲、もう一方を乙として文章を作り、最後にそれぞれ署名をします。このように十干は日常的に使われています。
 この十干は、「甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸」ですが、音読みでは、「こう、おつ、へい、てい、ぼ、き、こう、しん、じん、き」訓読みでは、「きのえ、きのと、ひのえ、ひのと、つちのえ、つちのと、かのえ、かのと、みずのえ、みずのと」といいます。この訓読みを見ると語尾が「え」と「と」に分かれます。語尾の「え」は陽で兄、「と」が陰で「弟」で、両方を合わせて「えと」と呼び、これが「陰陽説」で、日本に伝来して陰陽道と呼ばれました。少し前に夢枕獏原作の「陰陽師」という映画が公開されましたが、主人公の陰陽師・安倍晴明は平安時代の実在した人物です。
 また、四季の変化は五行の推移によって起こると考えられ、方角・色などのあらゆる物に五行が配当されました。この五行の「木」(木行)は、樹木の成長・発育する様子を表す「春」の象徴で、「火」(火行)は、火のような灼熱の性質を表す「夏」の象徴で、「土」(土行)は、万物を育成・保護する性質を表す「季節の変わり目」の象徴で、「金」(金行)は、金属のように冷徹・堅固・確実な性質を表す収獲の季節「秋」の象徴で、「水」(水行)は、命の泉と考え、胎内と霊性を兼ね備える性質を表す「冬」の象徴としました。この四季に対応する五行の色と四季を合わせて、青春、朱夏、白秋、玄冬といった言葉が生まれたのです。
 これら五行説と陰陽説が統合されて陰陽五行説が成立しました。今年は、陰陽五行では、「己丑」は、己は陰の土性で丑も陰の土性になり比和です。比和とは、同じ気が重なると、その気は盛んになる。その結果が良い場合には益々良く、悪い場合には益々悪くなります。己の字は三本の平行線を形取ったもので、そこから、条理が整然としている状態という意味になり、植物が充分生長し形が整然としている状態をあらわします。「丑」は、元々は「紐、ちゅう」とされ、「ひも」「からむ」の意味で、やはり芽が種子の中に生まれて、でもまだ伸びることができない状態を表しているのだそうです。
 「己丑」の年に生まれた人は、ちょうど60年で一回りになり、今年の「己丑」から2周目が始まります。これが還暦です。新しい年をこれから芽が出る未来のある年にしたいですね。

投稿者 fujimori : 21:31 | コメント (4)

2009年01月01日 近頃思うこと

丑年

 開けましておめでとうございます。新しい年が始まりました。毎年ながら、気もちが新しくなります。私の個人的なことですが、特に今年は新たに始まった気持ちがします。今年の東京の元日は快晴で、日の出を見ることができました。昨年末、桜島の横から出る太陽を見ましたが、それに比べると味も素っ気もないのですが、我が家から見るというのは違う感慨があります。
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 今年2009年、平成21年は、干支で言うと「丑年」です。前年度に来年の干支が最初に気になるのは、年賀状を作成するときです。年賀状という、毎年の行事のような、マンネリのような作業でも新鮮さを感じるのは、毎年のテーマが違うからなのかもしれません。
 今年の干支は「丑」で、牛、うしです。「ね、うし、とら、…」と唱えると、十二支のニ番目に数えられる動物です。順番を決める競争では、1番になるはずでしたが、ゴール寸前で牛の頭に乗っていたねずみがゴール寸前、ひらりと降りて先にゴールをしたという話しがあります。
しかし、単に干支は何かだけでなく、干支の前につく文字が気になる年が二つあります。一つは、60年に一度めぐってくる「丙午」(ひのえうま)です。過去の出生率で、極端に減るのはこの年だといわれています。これは、江戸時代の中期に広まった迷信で、「この年生まれの女性は、気性が激しく、夫を尻に敷き、夫の命を縮める(ひのえうまの女は男を食い殺す)」というものです。こんな江戸時代の迷信ですが、1966年(昭和41年)の丙午では、出生数は他の年に比べて極端に少なく、その反動で、1966年の前年、翌年の出生数は増えたということがありました。
 もう一つは、36年に一度めぐってくる「五黄の寅」です。寅年生まれは、「果敢に決断して、よく艱難に耐え、進取の気性に富み思慮分別があり競争心が強い」といわれ、「五黄」生まれの人は、一般に運気が強いとされていて、両方が重なると、「強(ごう)の寅、強い虎」として女性では嫌われることもあります。
 このような言い方をすれば、今年は、「己丑」であり、「九紫の丑」です。
十二支は、もともと十二年で天を一周する木星の軌道上の位置(天の位置)を示すための任意の数詞で、「年」を数える数詞でした。それを動物に当てはめたのが十二支です。また殷代では、「日(太陽の巡り)」を数えるための数詞に十干(じっかん)を使いました。1ヶ月を上旬、中旬、下旬と十日ずつに分け、その十日を単位にしたものが十干です。十干とは、「甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸」で、この十干と十二支を組み合わせた「十干十二支」を、一般に干支と呼んでいます。
暦注の多くは陰陽五行説という古代中国の思想や易から発生し、月日に当てられるようになったもので、その大きな柱となるものが干支です。また、日本では、この「陰」と「陽」を「兄(え)」と「弟(と)」に見たて、「兄弟(えと)」と呼ぶようになりました。一方の五行説とは、古代中国に端を発する自然哲学の思想で、万物は木・火・土・金・水の5種類の元素から成るという説で、それらの元素がお互いに影響しあうことによっていろいろな物が生まれたり変化したりするという考え方です。
ということで、今年の「己丑」とは、「己」(木)は、陰(弟)であり、「土の弟」ということで「つちのとうし」ということになります。
 このような呼び方や考えかたは、ギリシャ神話が星座や哲学や絵画などに影響しているように、東洋におけるいろいろな分野に影響し、それを少し理解するだけでも「そういうことだったんだ」と納得することが多いと思います。もう少し、見てみようと思います。

投稿者 fujimori : 10:00 | コメント (4)