天文

 「人に何かを教えることは出来ない。ただその人が自分自身で気が付くように助けることが出来るだけだ」
 この言葉を言ったのは、天文学の父といわれたイタリアの物理学者、天文学者、哲学者であるガリレオ・ガリレイです。彼は、17世紀にコペルニクスの地動説を支持し、バチカンから「異端」として宗教裁判にかけられて有罪となり、「それでも地球は回っている」といったことで知られています。ですから、どうしても科学者的なイメージがあるのですが、哲学者であるフランシス・ベーコンと共に科学的手法の開拓者としても知られています。
 ガリレオは、冒頭の言葉以外にも、含蓄のある言葉をいくつか残しています。
「何も学ぶべき者のない人に会ったことはない」
「学者はしきりに「それゆえ」という言葉を使うが、なんで「それゆえ」なのか、俗人にはさっぱりわからない。なんだか、偉そうな言葉でごまかしているようだ」
「君は、報告を信じるだけで、自分で確めないのか」
「見えないと始まらない。見ようとしないと始まらない」
 先日の21日、ローマ法王ベネディクト16世は、バチカンでの礼拝で、17世紀の天文学者ガリレオ・ガリレイの地動説について、「自然の法則は神の業に対する理解を促した」と述べ、同法王としては初めてガリレオの研究を公式に認めたようです。前法王ヨハネ・パウロ2世は1992年、教会側の非を認め、公式に謝罪したのですが、現法王は枢機卿時代に「ガリレオ裁判は正当だった」と発言したことで知られていました。それ画、今回正式にガリレオを認めた形になったのですが、同時に、礼拝で、「ガリレオの望遠鏡による初の天体観測から400年になる」とも述べ、研究をたたえました。
 ガリレオは望遠鏡を最も早くから取り入れた一人です。そして、木星の衛星を3つ発見、その後もう一つ見つけ、これらの衛星はガリレオ衛星と呼ばれています。また、月面にクレーターや山、そして黒い部分があり、これを海と名づけました。さらに、望遠鏡での観測で太陽黒点を観測した最初の西洋人でした。しかし、望遠鏡で太陽を直接見たために、晩年に失明してしまったと考えられています。
ローマ法王が言ったとおり、ガリレオ・ガリレイが望遠鏡で天体観測を始めてから、来年2009年で400周年となります。この節目の年を「世界天文年」とする決議が、国際連合総会で採択されています。そして、世界中の天文学者やアマチュア観測者、教育者などが連携し、一般の人々を巻き込んでさまざまなイベントが行われる予定だそうです。
これを機会に、世界中の人々がそれぞれに夜空を見上げ、宇宙の中での地球や人間という存在に思いを馳せつつ、自分なりの発見をしていこうと呼びかけてはどうかというアイデアが、国際天文学連合 (IAU)の中から生まれてきました。世界の中でも日本は、昔から月や星を絵画や歌は俳句で愛でてきた国であり、現在では世界をリードする天文学・宇宙科学の先進国となっています。また、来年には、日本付近で条件のよい皆既日食も起こります。
公式名称は「世界天文年2009(The International Year of Astronomy 2009)」で、略称は「IYA2009」です。公式スローガン(標語)は「The Universe, Yours to Discover」(宇宙…解き明かすのはあなた)です。
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 子どもたちは、本来自然への興味と科学への関心を持っています。ぜひ、その心を育てていきたいですね。

天文” への5件のコメント

  1. ガリレオの残した言葉はどれも重みのある言葉です。「見えないと始まらない。見ようとしないと始まらない」などは、普段の自分の行動を考えさせられます。このような名言に触れることは、考えるヒントをもらえるのでありがたいです。どれだけ行動にうつすことができたか、反省点は多いですが、悩みながらでも行動することは大切にしていきたいと思っています。いつも同じことを反省していますが、それでも前へ進んでいる、以前とは同じところに立ち止まってはいないと信じることにしています。

  2.  ガリレオ・ガリレイ。名前はもちろん知っていますし、「それでも地球は回っている」という有名な言葉も聞いたことがあります。ただ、そこまでの知識しか知りません。ブログに書いてあるガリレオが言った言葉は全て心に響く言葉です。とくに「見えないと始まらない。見ようとしないと始まらない」は、保育に通ずるものがあるように思えます。例えば、一人の子どもの良い所がどうしても「見えない」というのは、「見えない」じゃなくて「見ようとしていない」から見つからないというのに当てはまると思いました。そしてブログの最後に書かれていますが、子どもが自然への興味と科学への関心も持っていることを、心の中まで見ようとしてあげることが、とても大切なことだと思いました。

  3. ガリレオ裁判から400年も経ってようやくローマ法王がその非を認めたというのは、宗教と科学の関係を考える上で重要な出来事ですね。本来、人間の救済と幸福のために生まれたはずの宗教が、時に自己の権威を守るために、真実を探求する勇気ある科学者ですら容赦なく弾圧することがある。キリスト教は、はたして人間のための宗教であったのか…。1996年10月、当時のローマ法王は、「進化論は仮説以上のものがある。肉体の進化は認めるけれど、精神は神からもらったものなので進化論は関係ない」と発言しています。ダーウィンの進化論とアダムとイブ伝説はどう考えても矛盾するのですが、どうもこの点については、まだ十分な説明はないようです。

  4. なるほど2009年は「世界天文年2009」ですか。私にとってはとても重要な情報です。かつてこの「コメント」でも触れましたが小学生5,6年生の頃は友人とよく「望遠鏡による天体観測」をしていました。木星の「ガリレオ衛星」や土星の環、アンドロメダ星雲・・・。興味関心をもつと知らずにはおれない性格ですから、父にねだって「天体望遠鏡」を買ってもらいました。私の望遠鏡よりは友人の望遠鏡の方が性能がよく羨ましく思ったものです。ガリレオの400周年にちなんで天体望遠鏡を購入しようかな・・・。「ただその人が自分自身で気が付くように助ける」とはとりもなおさず環境の整備でしょう。小学生の息子の気づきに役立つかも・・・。家内の承諾も・・・。

  5. 以前、「コペルニクス的発想」という言葉で、その時代で当たり前だと思っているものに対してそれを疑問視し、研究結果や分析から全くことなる発想を打ち出すということがいかに大変で、いかに夢のあることであるかということを学んだことを覚えています。また、冒頭の「人に何かを教えることは出来ない。ただその人が自分自身で気が付くように助けることが出来るだけだ」という言葉は、普段子どもたちに接していると、よく感じる言葉でもあります。何かを伝えようとしても、相手に受け取る容器や能力がなくては意味がないですし、それが本当にその子のためなのかということを感じることもあります。子ども自身が、子ども自身の経験・体験によって習得していくほかないようですね。

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