偏見

 アメリカで、黒人であるオバマ氏が大統領になると聞いて、違う国のものでもある感慨があります。とくに私の世代は、黒人差別問題が表面に出てきて、それをテーマにした映画の中に名作がたくさん生み出されました。
 その代表作ともいえる作家ハーパー・リーのピュリツァー賞受賞作を映画化した「アラバマ物語」を監督し、アカデミー賞監督賞候補にもなったロバート・マリガン氏が、今月20日、亡くなったことが報道されました。1962年に映画化された「アラバマ物語」は、人種差別が横行する米南部で社会正義を貫こうとする弁護士の姿をグレゴリー・ペック主演で描いた作品です。このグレゴリー・ペック氏は、この作品の10年ほど前に公開された「ローマの休日」でも有名です。彼は、「アラバマ物語」で、主演男優賞を受賞しています。
 不況のドン底だった1932年、アラバマ州メイコムという小さな町に2児の父親で、男やもめで正義感の強い弁護士アティカス・フィンチが住んでいました。彼は、身に覚えのない暴行事件で起訴された黒人トムの弁護を引き受けます。町の人々は黒人に偏見を持ち、黒人などを弁護したらただではすまぬと警告したり、冷たく当たります。アティカスは不正と偏見を嫌い、何よりも正義を重んじる男で、そんな町の人の反応にも脅しに動じない父親の姿を彼の子どもたちは尊敬し、その勇気ある行動を目の当たりにしながら大きく成長してゆきます。しかし、裁判の判決は、被告の無罪を必死に弁護したにもかかわらず、陪審員は有罪と決定します。アティカスには、控訴審で判決をくつがえす自信があったのですが、搬送されていく途中で有罪判決でショックになったトムが脱走してしまい、殺されてしまいます。なんともいえない結末でした。この映画を見たときに、アメリカで行われている陪審員制度に疑問を持ったものでした。もう一つ、偏見の恐ろしさをこの映画は描いています。それは、精神障害から親に家に閉じ込められて引きこもっている隣人に、子どもたちが襲われたときに助けられます。誰がいい人で、誰が悪いひとということに対して、外から見える偏見の恐ろしさも描いていました。
もう一つ、黒人差別と、戸惑いを描いた映画の名作に、1967年に製作された「招かれざる客」があります。
 新聞社を経営し、人種差別と戦ってきて人格者で通っていた父親もとに、娘がお互いの両親の許しを得るため婚約者を連れてきます。白人の娘の彼は、なんと黒人だったのです。彼は、世界的に著名な医師で立派な人格者でした。母親は驚きますが、娘の嬉々とした様子に、動揺は次第に喜びに変わっていきます。しかし、父親は、彼がいくらりっぱな人物であっても、納得できません。それは相手の両親も同じでした。白人と黒人の結婚はタブーであり、これからの二人の人生において、持ち上がるであろう様々な反感や、困難さや軋轢を親は心配するのです。黒人である彼が、反対する自分の父親に向かってこう言います。「古びた信念を唯一最良と頑強に押し通す、そんな世代が死に絶えるまで僕たちは重荷を背負うんだ。自由になれない。僕は黒人としてでなく、人間として生きたいんだ」
最後には、娘の父親は、若い2人のどんな困難にも立ち向かおうとする真剣さとその情熱に、かつての自分の青春を見、その尊さに気づき、2人の結婚を認め、こう言います。「これから多くの人たちの反感と嫌悪が君たちを待ち受ける。永久にそれを乗り越えていかねばならん。だが、互いの絆を強くし、決して負けるな!」

偏見” への6件のコメント

  1. もっとも大切なもののために主体的に自らの運命を切り開く。
    昔から本当の勇気とは人間として生きることの本質と正対する時に必要な気がします。
    今、萩の松蔭神社に来ていますがシンクロニシティがありました。
    有難うございます。

  2. 今日3回目のコメントです(笑)。「アラバマ物語」も「招かれざる客」も観たことはありませんが、こういう映画が人種差別の激しかった40年前に上映されていたというのが、アメリカの凄いところですね。キング牧師、パークス女史など多くの黒人指導者の命がけの闘争が、いまようやくオバマ大統領の誕生という形で一応の到達点に立ったところですね。彼がブッシュの残した負の遺産を清算して、名実ともに世界の盟主としての自信と誇りを、母国に取り戻すことを祈らざるをえません。彼の大統領就任演説がどのようなものになるか、今からとても楽しみです。

  3. 偏見は怖いですね。私自身も偏見をもっていたことに気づかされることがあります。偏見をもっていないつもりでも、その場面に立たされたときにどのように心が動くかわからないというのが情けないところです。どんなことに対しても偏見をもたずにまっすぐに見ることのできる心を、日々の行動の中でも磨いていきたいと、最近特に強く思うようになりました。

  4.  社会の授業で黒人差別のことで色々教わりました。当時の実際に起きた事件や映像など聞いたり、見たりしましたが、とてもショックを受けました。全く同じ人間で、同じ色の血も流れているのに、ただ肌の色が違うだけで、どうしてあそこまで差別されないといけないのか?と強く思いました。しかし私自身、幼い時に転入生で外国人が来た事が何度かありましたが、物珍しそうな目で見ていました。それも結局は差別に値する行為だと思います。少なくともこれからの子どもたちには、世界には色々な国があって、色々な人が住んでいるなど、子どもの視野を少しでも広げれるようなことを考えていきたいと思いました。

  5. 「偏見」というものは本当に恐ろしいですね。事実を知らなければ、あるいは背景に思いを馳せなければ、「偏見」の魔の手に絡め取られることは実に容易なことです。大学生時代から縁あって東南アジア・南アジアの国々を訪れる機会がありました。その国々の「貧しさ」を労働に対する勤勉さの欠如、と思い込まされていた自分の「偏見」に気づくことになりました。それ以来、自分の中の「偏見」には注意するようになったと思います。最近の若者の皆さんには私が抱いていたような「偏見」は少なくっているような気がします。「最近の若者」の方が年輩者より「偏見」の呪縛から解放されている気がします。「年輩者」の仲間入りしているとよくわかります。

  6. 「古びた信念を唯一最良と頑強に押し通す、そんな世代が死に絶えるまで僕たちは重荷を背負うんだ。自由になれない。僕は黒人としてでなく、人間として生きたいんだ」という言葉の中には、人種を超えた「人として」のあり方が詰まっているように感じました。それが本来の姿でありながら、何らかの影響からか、おかしな偏見が存在している中では、正しい判断というのも出来にくくなってしまう恐れがあるようですね。裁判であっても、行いそのものを評価するというより、それよりも人種が優先されてしまうというのは、本当に恐ろしいことであると思います。偏見を持たないようにしようということよりも、人としてのあり方を考えるべきなのですね。

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