おたのしみ会

 昨日は、園で「おたのしみ会」がありました。この行事を通して、主に子どもたちの「表現」と「言葉」の領域の発達を保護者に伝えるものですが、3歳以上児にとっては、その日までの取り組みを通して、子どもたちは人間関係の発達が促されたような実感がありました。そんな大人の思いをよそに、子どもたちはずいぶんと楽しんだようです。終わってからトイレに行った子どもたちの会話で「ああ、楽しかったね。また、やりたいね。」というのを聞くと、この行事に自ら取り組んでいる姿がうかがわれます。
 2日前、担任が年長に練習させようとすると、「もう大丈夫だから」と言って、自分たちだけで相談をしていました。園児は、よく子どもたち同士でなにやら相談をよくします。この行事に取り組み始めて、それはよく行われ、行事の大切さを感じました。練習一つにしても、子ども自らやろうとする意欲がなければ、意味の無いものになってしまうでしょう。
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 東京では、少し前に「西の魔女が死んだ」という映画をやっていました。先日、奈良に行ったときに、ちょうど公開されていました。私は、その映画は見ていませんが、原作は読みました。梨木香歩さんの原作です。その本の解説を文庫本のカバー装画を描いた早川司寿乃さんが書いています。
「日々の中で、人間は、自らが作り出した化学物質をはじめとする人工的なものに囲まれ、さらに、人工的なよくわからないものがたくさん入った食べ物を食べて生きています。それは少しずつ人間を歪め、社会全体を歪めてきたように思います。」
 こんな社会の中で、主人公の中学生「まい」は、学校に足が向かなくなります。そこで、夏になる前、一月田舎にいる外国の人であるおばあちゃんのところに滞在することになります。そのときの様子を、解説ではこう書いています。
「そこで触れる自然と、自然にごく近い姿をしたおばあちゃんによって、徐々に、(まいは)生命力を回復してゆきます。おばあちゃんがまいに施した薬は、人が長いあいだに自然から教わり受け継いできた知恵や、生活の基本を見せることではなかったでしょうか。難しい理論があるわけでなく、ただ普段そのままを見せるだけです。そこには、人が生きるに必要なものが満ちていました。」
 その中で、自称「魔女」だというおばあちゃんによってまいの「魔女修行」が始まります。その内容とは、
「その人の持つ素質を伸ばす。自分で考え、自分で決めるという、本来の人らしい人になること」です。そして、おばあちゃんは、「答えを示すのではなく、厳しさと優しさを持って、まいが、自分で考え自分で決めるのを見守る姿勢をとり続けます。」
 これは、まさに教育の原点です。何かを教える、答えを出すのではなく、自分考え、自分で決める野を見守ってあげること。そのことによって、その子どもの持つ力を引き出していくことでしょう。これによってこそ、人として育っていくのです。そのようなことは、解説では、「特別な人たちだけがするのを許されたものではなく、実は、子供も大人も、男の人も女の人も、私たちみんなができることなのです。」と書かれています。

おたのしみ会” への7件のコメント

  1. ちょうど生活発表会のシーズンですが、藤森先生の園では「おたのしみ会」と呼んでいるんですね。発表会というと「親たちに園児の見事な演奏や演技を見せるもの」というイメージがありますが、先生の園ではどうも少し違うようです。運動会が身体機能の発達を伝える行事であったように、おたのしみ会は子どもたちのコミュニケーション能力の発達を表現する場なんですね。写真からも子どもたちが自ら進んで取り組んでいる様子が伝わってきます。決して先生が決めた演目をやらされるわけではないんですね。「西の魔女が死んだ」ーこんな素敵な映画があるのを知りませんでした。予告編の映像を見て、泣けてきました。どうも、歳のせいか最近涙線が緩くなってきているようです。

  2. 自分で考え自分で決めて行動し、その上で成功も失敗も体験することで学ぶことは、絶対に大切だと思います。魔女のおばあちゃんが言うように、「厳しさと優しさを持って見守ってあげる」大人の姿勢が、子どものためには必要ですね。
    園では何かを決めるときや起きた問題を解決するときに子どもたち同士で話し合う場を設けています。繰り返しているうちに自分の意見をきちんと言うようになりましたし、何より他の子の意見を聞くことが上手になってきました。子どもはすごい力を持っていると思わされます。そこから生まれる体験も大切にしてあげたいと思います。

  3.  行事をやるにあたって、一番大切だと思うことは子ども自身の意欲だと思いました。子ども自身が運動会にしても発表会にしても、やりたいという意欲がなかったら何も意味がない気がします。行事があるごとに先生がビシビシと鍛えるように仕込んでも、子どもに負担がかかるだけだと思います。以前、藤森先生のお話で「子どもに何か仕込むよりも、子ども自身が自分で考えて自分で決める方が、よっぽど厳しいこと」と言われていました。これは、ブログに書かれている映画「西の魔女が死んだ」と同じだと感じます。「自分で考え自分で決めるのを見守る姿勢をとり続けます」のフレーズは藤森先生の言葉を聞いている気がしました。

  4. 「おゆうぎ会」「発表会」あるいは(小学校では)「学芸会」と言われる行事を「おたのしみ会」という名称で行うことの素晴らしさを実感しています。保育園が依拠する「保育所保育指針」には「〇〇を楽しむ」と書かれています。「言語」や「表現」を「劇」や「合奏合唱」を通して「楽しむ」子どもたちの姿が「おたのしみ会」でまさに「有名有実」であることが今日のブログから理解できました。我が子もよその子もそして園の子どもたちも「自分で考え、自分で決める」そして行動する姿を目の当たりにすると言い知れぬ感動を覚えます。逆に、大人によって「やらされ」、「つまらない顔」をしている子どもを観ることほど嫌な気分にさせられることはありません。子どもたちがひとり一人が持つ力を大人は信じなければなりません。

  5.  見守る保育そのもののようなおばあちゃんの姿勢です。長い間自然の中で自然に対して、自分に対して真摯に向き合って生きてきた人が、人に何かを伝える時そのような姿勢へとなるものなのでしょうか。一朝一夕で得られるものではないという印象を持ちます。まさに教育の原点を感じます。
     運動会を経た今、次の行事はお楽しみ会ということで、お楽しみ会のブログを読みこんでいこうと思っています。臥竜塾過去ブログのコンプリートを目指す志を同じくするコメンテーターのk.takaさんにそのことを話すと「いいですね〜」とのことで、意欲的になっています。全くブログの話とは関係のないことなのですが、先日k.takaさんとコンプリートする為のざっとした計算をしてみたところ、1日に4件以上コメントしていくことで、2017年3月31日頃にコンプリートできるということに至りました。“大きく夢見て小さく始める”とは物事を始める時に大切なことと聞いたことがあります。日々コツコツと積み重ねることの大切さを感じるところです。

  6. 『西の魔女が死んだ』に出てくるお婆さんはまさに、見守る保育をそっくりそのまま実践しているようですね。
    〝難しい理論があるわけでなく、ただ普段そのままを見せるだけ〟という言葉が印象に残ります。
    決して普段の姿しか見せれないのではなく、自然と向き合い、自然と生活していくにはそのような姿が必要であるということを伝えているようで、そして、よく考え、あえてそのような姿勢でいることが伝わってきます。

  7. 「人が長いあいだに自然から教わり受け継いできた知恵や、生活の基本」があれば、人間が本来持っている能力を最大限に発揮して生きることに懸命になれるのだなと改めて感じました。西の魔女の「その人の持つ素質を伸ばす。自分で考え、自分で決めるという、本来の人らしい人になること」という言葉からも強く感じます。そして、「何かを教える、答えを出すのではなく、自分考え、自分で決める野を見守ってあげること。そのことによって、その子どもの持つ力を引き出していくこと」が、その人の素質を伸ばし、主体的にさせるスタンスであるのだなと感じました。

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