幼児教育

戦後、日本は敗戦のショックからもう一度立ち直ろうとしました。そのときには、すでに幼児教育の大切さを認識し、就学年齢の引き下げまでの検討しようとしていました。しかし、同じ幼児教育を担おうとしていた保育園と幼稚園の歴史は、別々に歩んできてしまっています。昨日のブログのように目指そうとしてきた幼児教育の内容も、いつの間にか就学後の教育の下請けのような内容に変化し、集団は、一斉に均一なものを目指すものとして捉え、否定されてきました。「個々に」「一人ひとりに」ということが、「自分勝手に」「自分だけ」というように受け止められ、同時に、「平等」とか「民主主義」とか「自由」という素晴らしい宝を手に入れ、その考え方が戦前で欲していたこともあって、極端な受け止められ方をすることも多くなってきました。
戦後の復興から立ち直り、次に経済の戦争といわれるバブルが始まりました。その経済を支える人材は、「黙って、言われたとおりに働く」ことに価値が置かれてきます。それが、また、間違った集団意識につながっていきます。もう一度、昭和28年12月15日に文部省から出された「わが国の教育の現状」を見てみると、今と同じような課題が見えます。
 この頃の幼稚園の数は昨日のブログのように、要望が多いわりには整備されていませんでした。そして、小学校第1学年入学児童の14.1%が幼稚園修了者でした。その設置園数も、小学校数の15.7%にすぎず、しかもその半数は私立でした。又その設置状況は地域によって非常に差があり、たとえば秋田・新潟は人口10万人でわずかに1園であるに反し、徳島は16園・香川は12園です。このような地域間格差が生じていたのは、たとえば、公立幼稚園の経費は82.73%が市町村支出金によってまかなわれ、国および都道府県の支出金が少ないからでしょう。また、幼児1人当りの消費的支出についての単位経費も地域によって非常に差があり、最高は鳥取の10,215円・最低は山梨の2,492円だったそうです。
幼稚園教諭の処遇についても余り高いものではなかったようです。幼稚園の教員数は1組当り1.1人でしたが、その51.4%が助教諭でした。また、公立の幼稚園の教員の給与は公立の小・中学校教員給与のように半額都道府県・半額国庫という負担制度になっておらず、全額市町村負担でしたから、公立幼稚園の教員の給与が一般的にひくく、又幼稚園の普及が遅れていることと関連があると考えられていました。このような地域間格差に対して、「現在の市町村が給与のすべてを負担する制度を検討し、その改善をはかることが幼稚園教育向上のためにぜひ必要なことである」としています。しかし、実際は、地方分権と言う名の下に、全てを地方に委譲し、国の責任ですべきことが整理されていない気がします。
それは、施設整備でもいえるようです。その頃の施設面積は、最低基準面積として幼児一人あたり0.7坪で、望ましい基準面積として幼児1人あたり1.4坪としていました。ところが、現有坪数は、公立幼稚園においてでさえ、最低基準に対して49.2%・望ましい基準面積に対して24.6%にすぎないと指摘しています。
 少子社会では、保育園、幼稚園のような子ども集団が形成されやすい施設保育は重要になってきています。ベビーシッターが主流であった米国でも施設保育が見直されています。幼児教育は、その保育内容の見直しを自ら行うことと、国の責任でそれを保障をしてくことが、将来の人材を育成していく上で重要なことのような気がします。

義務教育前

 先日、たまたま買い物をしている途中で、私が卒園した幼稚園の前を通りました。その前で、職員に記念写真を撮ってもらいました。幼稚園に通園していたのは、もう、なんと55年位前の話になります。その園は、下町の台東区の問屋街にあります。その頃は、下町でもいわゆる専業主婦という人はいず、ほとんどの家庭では両親とも働いていました。今でしたら、そのような家庭では保育園に入園するのでしょうが、その頃は、働いているといっても自営業がほとんどで、帰ってからは親のなんとなく目の届くところで、地域の中で遊んでいました。園へは、下町では、住み込みの番頭さんという人がいて、その番頭さんの自転車の後ろに乗って園への送迎をしてもらっていました。また、赤ちゃんのころはお子守さんに背負わされていましたので、保育園ではなく、幼稚園に通園していたのです。
 ちょうどこの頃、義務教育前の学校教育施設である幼稚園の増設を望む社会的要求は非常に強くなりました。たとえば昭和23年以降の幼稚園の普及状況をみても、昭和28年度は昭和23年度に比較して、園数において約2.2 倍・幼児数において約2.3倍・教員数において約2.8倍にもなっています。しかし、このような増加にもかかわらず、現状では僅かに入園希望者の46.5%きり収容できなかったようです。しかも、入園該当年令幼児数全体から見ると、幼稚園に入園しているものは僅かに7.1%でした。
 どうして、こんなにも幼稚園に入れようとしたかというと、幼稚園教育を受けた子どもに次のような教育効果が認められたからです。
社会性の面から言うと、「集団生活の経験が豊富である」「集団生活に喜んで参加できる」「集団生活における協同の態度や自立的な行動がとれる」「社会的不適応の行動をとる割合が少ない」「小さい者をいたわる」「しごとについて順序をわきまえている」です。これを見手びっくりするのは、このころは戦後の多子社会です。兄弟、地域の中には子どもは満ち溢れていて、そのなかで子ども集団の経験はふんだんにあったはずです。しかし、幼稚園に期待する第1は、集団体験です。
では、知識面では、幼稚園に行くことによってどんな効果が見られたのでしょうか。能力的な面として、次のものが挙げられています。「表現の能力が比較的によい」「構成力がある」「創造工夫の力がある」「語いが豊富である」「ひとの話をおわりまで聞き、よく理解する」「一つのことを始める前に、自分で一定の計画をもつことができる」「簡単な課題はよく解決する」「身近なものによく関心をもつ」が挙げられています。このなかで、認知的なものとして強いて言えば、語いの豊富さだけである。他の挙げられた項目を見ると、それらは全て、今の時代でも必要な力です。というより、今の時代にもっとも必要とされている力です。そして、これらは、全て子どもが主体で、大人が主体ではありません。
その他の効果として「健康や運動の面」で挙げられているのは、「健康に必要な習慣が大体ついている」「偏食が少ない」「運動機能の調節が割合によくとれている」「自分の身体に関心をもっている」「姿勢がよい」ということで、情緒的な面でも、「安定感がある」「大体根気がよく忍耐強い」「小さい物や動植物を可愛がり同情心もある」「感情的な態度をとることが少ない」「物に対してそれを美しいとか・悪いとかを感じ、美しいものを喜ぶ」が挙げられています。
これらの項目は、目標ではなく、終戦から間もない頃に幼稚園に通園している子に見られた効果なのです。時代が進んだとか、進歩したというのは幻想で、後退しているのかもしれませんね。

無駄

そろそろ年末です。園では、今、年賀状作りに追われています。各クラス、それぞれの工夫を凝らした年賀状が作られていきます。毎年思うのですが、この年賀状は、無駄なことでしょうか。意味の無いことでしょうか。
12月12日付の「よみうり寸評」には、こんなことが書かれてありました。
 「無駄」の反対語は「贅沢」なのだという。つまり普通なら、限られた時間や資源をいかに有効活用するか考えるところを、敢えて「無駄」に使うことが「贅沢」◆「無駄学」(西成活裕著、新潮社)で、そんな考え方があるのを知った。ただし無駄と贅沢の区別は容易ではない。ある人の無駄も別の人には有用。贅沢を戒め無駄を切りつめるだけも果たして…◆西成さんは、電子メールの例を挙げている。以前は、便利な道具と思っていた。今は「まったく逆の気持ち」という◆手軽なので初対面の相手からも次々用件が舞い込む。すぐに返事を迫られる。無駄を排した連絡法の先には「紙でやりとりしていた頃の数年分の手紙の量が1週間で来る」「恐ろしい時代」◆となれば年賀状も贅沢なのか。年賀はがきの発行数は減っている。年賀状の配達数も昨春、この10年で初めて、30億枚の大台を割り込んだ◆敢えて無駄はお勧めしない。贅沢な人にだけ、お知らせすると、新春の年賀状は来週15日から引き受けが始まる。
 「無駄」とは、「むな(空)」の変化といわれ、ムナシの義とされています。また、モダ(黙)の転であり、モタ(黙)の義であるとも言われています。要するに「効果がないこと」「無益」という事とされています。こんな説もあります。「駄」は馬に載せた荷物の意味で、人を乗せて走る馬のことは「乗馬」で、それに対して「駄馬」は荷物は載せれるが、乗用に役に立たないということで言われます。ですから、馬が米俵をひとつ載せていると「一駄」、ふたつだと「二駄」、そして空荷だと「無駄」というという説ですが、どうも「無駄」は当て字のようです。
 国語辞典では、「役に立たないこと」「甲斐がないこと」「益がないこと」と書かれています。しかし、世の中には、「無駄」も必要だということがあるのですが、この言い方が変なのは、必要だと思うものは「無駄」ではないからです。よく仕事をするとき三無主義といわれるのは、「無駄、ムラ、無理」です。
 今月はじめにアイ・キューが運営するサイト「仕事ラボ.net」で実施した「会社での無駄な会議」に関するアンケートの結果を発表しました。調査によると、行われる会議は月に平均3.6回。その中で無駄だと思う会議は約半数の平均1.7回でした。会議の中で無駄なものに関しては、「過去の議事録・配布資料」が最も多く、次いで「飲食物」「やる気」が続いています。では、「無駄な会議に出るくらいなら何をしたかったか」という質問に対しては、64%が「仕事」と回答し、2位の「帰宅」(8%)を大きく上回っています。
 「無駄な会議を抜け出す方法」に関しては、約半数が「抜け出したことがないので分からない」と回答したものの、残りの半数は「お手伝い」「電話が鳴ったふりをする」「飲み物を取りに行く」「急用を思い出す」などの方法で会議を抜け出しているようです。
 年賀状は、私は無駄だとは思いませんが、会議は無駄のものがあるような気がします。みんなそう思っているのに、どうしてしなければならないのでしょうね。

理数

昨日の新聞に、「小中学校の算数・数学と理科で来春から授業時間と内容が大幅に増えることに対応するため、文部科学省と財務省は16日、授業支援の非常勤講師を学校現場に配備できるよう、約1万人分の予算をつける方向で調整に入った」という記事が載っていました。この記事によると、算数・数学と理科は国際的な学力調査でも思うような結果が出ず、教育の重点項目の一つになっているからだということです。この非常勤講師には、退職した教員中心に活用し、経験を踏まえてわかりやすい授業を展開したり、正規の教員と組んで少人数の授業やチームティーチングを進めたりすることが期待されているようです。退職した教員が、今の子どもに対して、興味・関心を引くような授業が展開できるか少し心配です。
また、授業時間数も、算数・数学と理科については来春から前倒しで、小学校では各学年で週1コマ増え、中学でも1年数学や3年理科で週1コマ程度増えるようです。
今の子どもたちは、昔と違って娯楽が満ち溢れ、テレビなどでお笑いに浸り、テンポの速いリズムの中で生活、活動をしているので、淡々と、ただ黒板に書いているような授業ではついてこないで、でんじろうさんのような、面白、おかしく、手品のような理数を進める必要があるでしょう。最近の子どもたちの理数離れは、授業数が少なかったり、先生の数が少ないからではなく、授業の進め方にあるのですから。
 文部科学省は、「蜂の巣応援団」という「基礎知識の定着。向学心の喚起!」というプロジェクトを進めています。蜂の巣のように、必要不可欠な施策を組み確実に実施していくことにより、理数が好き・得意な子どもをしっかり育てようとするものです。1は、「魅了する」で、「興味・関心・学習意欲の喚起」、2「導く」は、「教員の指導力向上」、3「満たす」は、「地域における学習機会の充実」が柱になっています。そして、「19年度重点拡充」として、理数学生応援プロジェクトを進めています。
 理数といえば、2006年にグランドオープンした東京都江東区有明にある「パナソニックセンター東京内」の「リスーピア」は、「理科と数学(算数)」をテーマにした体感型デジタルネットワークミュージアムで、とても面白く理数が体験できるようになっています。コンセプトは、「子供たちが理科や数学(算数)の持つ魅力に触れ、興味を抱くきっかけづくりの場を提供することにより、企業市民として技術立国日本のための技術者育成に貢献することを狙いとする。」とあります。
ディスカバリーフィールドを見学後に手渡されるお土産用のIDカードを使い、WebサイトのメンバーページからID・PWを入力の上ログインすると、館内で育てたエージェントが現れキャンプ同様に体験履歴をナビゲートしてくれます。
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メンバーページではディスカバリースコープの復習は勿論、体験した展示テーマについてWebサイト独自のコンテンツによるより深い学習が可能になり、次回来館時にIDカードを持参すると、前回の続きから体験することができるなど、とても新しい科学にも触れることができるようになっています。
授業も、ただ教えるだけでなく、新しい工夫をしていかないと、子どもたちは理数に対して興味・関心が薄れ、自ら取り組もうという姿勢は見られなくなってしまいます。

もつ

空腹時に、まず酒を口にすると、アルコールが内臓に染み入るように入っていくことを「五臓六腑にしみわたる」ということがあります。また、頭に来たり、激しい怒りが湧いてきたときに「五臓六腑が煮えくりかえる」ということがあります。この言葉は、「はらわたが煮えくりかえる」とも言うように、五臓六腑(ごぞうろっぷ)とは、「はらわた」のことで、人間の内臓全体を言い表すときに使われる言葉です。
「五臓」とは、肝・心・脾・肺・腎を指します。時によっては、心包を加えて「六臓」ということもあります。「六腑」とは、胆・小腸・胃・大腸・膀胱・三焦を指します。こちらも、三焦は、それに当てはまる臓器がないので、五腑とすることもあります。ただし、この言い方は、現代医学における解剖学の知見とは異なって、この言葉について書かれた最古の文献は、中国最古の医学書とされる「黄帝内経」であると言われているように、伝統中国医学で使われる言い方ですが、五臓の主な機能は精気の貯蔵・分泌・生成を行っているといわれ、一方、六腑は、五臓の補佐をしながら、消化・吸収・排泄などの生理機能を営んでいるといわれます。
 このように言われる内蔵ですが、牛や豚や鳥の内臓は、もつ鍋だけでなく、いろいろな調理方法があります。その有名なのは、やはり「焼き鳥」でしょう。焼き鳥というのでもちろん「鳥肉に、たれ・塩などをつけてあぶり焼いたもの」ですが、じっさいは、牛・豚などの臓物を串焼きしたものでも言うようです。ということは、焼き鳥といっても、牛や豚の「もつ」をくしに刺して焼いたものである「もつやき」のことをいうこともあるのです。
 以前は捨てられていた贓物の八割程度は、現在は、酒場で提供されているそうです。確かに、家庭ではレバー以外は余り食べる習慣はありませんが、しかし、欧米では臓物の栄養価値に対する認識も高く、肉屋と並んで 臓物の専門店もあり、肉と同様に食べられているようです。焼き鳥屋で出す「もつやき」は、最初は鳥の臓物が中心で、関東大震災の直後に東京・日本橋室町で、鶏のきも、砂肝、腎臓、心臓、皮身などを焼いて売り出したのがはじめといわれ、安いということで手軽な酒の肴として屋台などで商われるようになり、次第に酒場まで拡がっていきました。その後、鶏のもつだけでなく、牛や豚のもつも焼いて出すようになります。
また、焼肉でも「もつ」は好んで食べます。「タン」は、牛の舌のことで、焼肉には舌の付け根の部分(タンモト)の脂肪の乗った霜降り状の柔らかな部分を使います。「レバー」は、肝臓で、ビタミンAと鉄分が豊富に含まれています。「ハツ」は、心臓のことで、弾力性があり、くせがなく、脂肪分が少なくヘルシーで、固くてコリコリとします。「ハラミ」は、横隔膜の一部で柔らかく脂肪も豊富で濃い味です。牛には4つの胃がありますが、それぞれに名前がついています。1番目は、「ミノ」といい、1番大きな胃で、クセが無く食べやすいです。切り開くと簑笠のような三角形になることから「ミノ」と呼ばれています。2番目は、「ハチノス」といい、蜂の巣状の筋があり、独特の風味と歯ごたえがあります。3番目は、「センマイ」といい、胃壁が千枚ものヒダに見えることから、「センマイ」と命名されています。4番目は「ギアラ」です。濃厚ですが、希少価値が高くなかなか手に入りません。「フワ」は、牛の肺で、味は淡泊です。「タチギモ」は、牛のヒ臓で、レバーよりきめ細やかです。「マメ」は、腎臓で、ビタミンA、ビタミンB2が豊富です。「ヒモ」は、盲腸で、柔らかくて食べやすい部分です。「モウチョウ」は、あっさりしていて独特の歯応えが楽しめます。「コブクロ」は、子宮で、淡泊で、コリコリとしています。「シマチョウ」は、大腸部分で、あっさりしています。
ずいぶんといろいろなところを食べますね。どの部位か知ると、なんだか食べたくなくなるかもしれません。

寒い夜2

 先日、熊本に行ったのですが、熊本名物といえば「馬刺し」ですね。私は、子どものころは台東区で育ったのですが、その頃にすき焼きを食べに行くとしたら、「桜鍋」といって、馬肉を使った鍋をよく食べました。文明開花の中、ハイカラなグルメとして桜鍋が生まれ、数少ない東京の郷土料理として、吉原遊郭行き帰りの粋客から朝・夜問わず食されたといわれています。もちろん、私は吉原で食べたわけではありませんが。
 人間というものは、本当に好奇心が強いというか、貪欲というか、何でも食べてみようと思うようです。その一つが「もつ」といわれる内臓を食べようと思ったことでしょう。しかし、内臓はすぐに悪くなりますが、栄養があるものが多くあります。ライオンやチーターが獲物をしとめると、最初に内臓から食べ始めるのは栄養を考えているからだといわれています。
「もつ」とは、鳥獣肉の臓物(内臓)の総称のことですが、普通は、肝臓や心臓などを「赤もつ」、胃や腸などを「白もつ」と言います。しかし、畜産業界が定めた正式な呼びかたは「畜産副生物」といい、生肉処理の段階で副次的に産出される肉類のことを指します。欧米では「バラエティミート」とか、「ファンシーミート」と呼ばれています。日本では、肉そのものを食べる習慣が遅く始まったので、劣化が早い、独特なにおいや外見のために、「もつ」を食べることには好き嫌いがあるようです。しかし、食肉の歴史が古いヨーロッパなどでは比較的一般的のようです。
 先日、職員と体を温めるために食べた「もつ鍋」は、本来、福岡市近辺の郷土料理でした。しかし、地元の店舗がバブル景気崩壊直後、安い食べ物として東京へ進出したところ、酒にも合うということでブームとなり、全国的に知れ渡るようになりました。しかし、BSE問題や、一過性流行であったことで、余り定着しませんでした。しかし、最近、また不景気のせいか、東京ではブームが起きているようです。また、関西圏ではホルモン焼き・ホルモン鍋として、定着しているようです。ただ、地元福岡では元々の郷土料理であることもあって、はやりすたりは無く、老舗も多く、一般の居酒屋でも博多ラーメンに次ぐ人気メニューとなっています。
もつ鍋は、体が温まるだけでなく、美容と健康によいとされています。この鍋の主役というべき「もつ」には、のモツには、五大栄養素の1つミネラルや必須アミノ酸が多く含まれています。また、コラーゲンが多く含まれていますので、美容にも良いというわけです。しかし、コラーゲンは、そのまま体内のコラーゲンとはなりません。アミノ酸、ビタミン、ミネラルも必要で、その役割を助ける酵素も必要です。それらが「もつ」には含まれているのです。また、「もつ」は、その噛み応えがしっかりしているので、あごが鍛えられ、しっかりと噛むことによって脳を刺激します。
また、この鍋の中に入れるキャベツには、ビタミンUをはじめ、水溶性ビタミンや脂溶性ビタミンがたくさん含まれ、その他、カルシウム、リン、鉄、カリウム、マグネシウム などのミネラル分が豊富ですし、ニラには硫化アリルやカロチン、ビタミンB1、B2、C、カルシウムやカリウムなど豊富です。それにくわえて、にんにく、胡麻などが入るわけですから、悪いわけはありません。
 そして、野菜を食べた後の仕上げにちゃんぽん麺を入れて煮込んでいただきました。ほっとした、冬の寒い夜のひと時でした。

寒い夜

 寒いある日、ちょっと寒気がしました。まだまだ今年は仕事が残っているので、風邪を引くわけにはいきません。そこで、職員数人と「もつ鍋」を食べに行きました。
 わかっているようではっきりわからないのが、「もつ」とか、「ホルモン」という肉の種類です。食べる前に「なんのもつだろうね」ということが話題になりました。それは、何の動物のどの部分かということです。
 私たちは、肉をよく食べます。おもなものは、牛、豚、鳥ですが、最近は馬、いのししなども食べるようになりました。しかし、どの部分かというと、牛では、その場所によって呼び方が違います。また、料理法によって美味しい部位があります。牛の肩のほうから、肩ロース(Chuck)、リブロース(Rib eye)、サーロイン(Sirloin)で、うまみでは肩からの順番、脂肪があってうまみが強いのはその逆といわれています。ですから、ステーキはサーロイン、ローストビーフはリブロースや肩ロースがいいといわれています。また、テンダーロイン(Tenderloin)はいわゆるフィレ肉で、脂肪も少なく柔らかい肉です。Tボーンステーキは、サーロインとフィレが骨をはさんでくっついている部位をステーキにしたものをいい、両方の肉を味わえるステーキとしてとてもおいしいものです。そのほかにも牛では、タンも焼肉やシチューにして食べます。また、ばら肉は、焼肉やではカルビといって人気があります。
また、豚肉も牛と同じように名前がついています。肩は、シチューや豚汁などの煮込み料理や、薄切りにしてポークビーンズなどにも適しています。肩ロースは、カレーや焼き豚、焼肉、しょうが焼きなどに適しています。ロースは、豚カツやポークソテー、焼き豚、ロースハムに向いています。ひれは、美肌効果があるビタミンB1が最も多く含まれていて、脂肪が少なく、柔らかいので、ポークソテーや豚カツなどの油を使う料理がいいようです。ばらは、ベーコン、焼き豚、肉じゃが、角煮に使われます。豚ももは、ヒレに次いでビタミンB1を多く含んでいて、ローストポークやボンレスハムなどに使用します。豚そとももは味が淡白なので、豚汁やシチュー、角煮などに向いています。そのほかには、豚足とか耳も食べます。
 これら、牛肉や豚肉の食べる部分と違う場所が、焼肉屋に行くとメニューに並んでいます。それは、これらの動物の内臓の部分です。内臓にもさまざまな部位がありますが、それらを総称して「モツ」と呼びます。内臓の総称とされる「ホルモン」も、焼肉店では牛の白い内臓(大腸や小腸など)を意味します。大腸は朝鮮語で「テッチャン」と呼ばれ、あっさりした脂が特徴です。ホルモンにはさまざまな語源説があり、最も有力なのは内臓=廃棄部分のため、関西弁で「捨てるもの」という意味を持つ「放(ほお)るもん」から名付けられたとか、内臓を食べると精力がつくというイメージから、生理活性物質(ホルモン)にちなんで名付けられたなどの説があります。
 もつ鍋は、汁を張った鍋の中に、下処理した牛や豚(飲食店では、主に牛)の白もつ(腸)を入れて味がつく程度に煮込み、後にキャベツやニラ等を入れたものですが、汁の味付けには醤油味にニンニクや唐辛子を入れたものと、味噌味のものがありますが、私たちが食べたのは、黒ごま味と、にんにく味のものでした。もう少し、もつ鍋を紹介します。

おたのしみ会

 昨日は、園で「おたのしみ会」がありました。この行事を通して、主に子どもたちの「表現」と「言葉」の領域の発達を保護者に伝えるものですが、3歳以上児にとっては、その日までの取り組みを通して、子どもたちは人間関係の発達が促されたような実感がありました。そんな大人の思いをよそに、子どもたちはずいぶんと楽しんだようです。終わってからトイレに行った子どもたちの会話で「ああ、楽しかったね。また、やりたいね。」というのを聞くと、この行事に自ら取り組んでいる姿がうかがわれます。
 2日前、担任が年長に練習させようとすると、「もう大丈夫だから」と言って、自分たちだけで相談をしていました。園児は、よく子どもたち同士でなにやら相談をよくします。この行事に取り組み始めて、それはよく行われ、行事の大切さを感じました。練習一つにしても、子ども自らやろうとする意欲がなければ、意味の無いものになってしまうでしょう。
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 東京では、少し前に「西の魔女が死んだ」という映画をやっていました。先日、奈良に行ったときに、ちょうど公開されていました。私は、その映画は見ていませんが、原作は読みました。梨木香歩さんの原作です。その本の解説を文庫本のカバー装画を描いた早川司寿乃さんが書いています。
「日々の中で、人間は、自らが作り出した化学物質をはじめとする人工的なものに囲まれ、さらに、人工的なよくわからないものがたくさん入った食べ物を食べて生きています。それは少しずつ人間を歪め、社会全体を歪めてきたように思います。」
 こんな社会の中で、主人公の中学生「まい」は、学校に足が向かなくなります。そこで、夏になる前、一月田舎にいる外国の人であるおばあちゃんのところに滞在することになります。そのときの様子を、解説ではこう書いています。
「そこで触れる自然と、自然にごく近い姿をしたおばあちゃんによって、徐々に、(まいは)生命力を回復してゆきます。おばあちゃんがまいに施した薬は、人が長いあいだに自然から教わり受け継いできた知恵や、生活の基本を見せることではなかったでしょうか。難しい理論があるわけでなく、ただ普段そのままを見せるだけです。そこには、人が生きるに必要なものが満ちていました。」
 その中で、自称「魔女」だというおばあちゃんによってまいの「魔女修行」が始まります。その内容とは、
「その人の持つ素質を伸ばす。自分で考え、自分で決めるという、本来の人らしい人になること」です。そして、おばあちゃんは、「答えを示すのではなく、厳しさと優しさを持って、まいが、自分で考え自分で決めるのを見守る姿勢をとり続けます。」
 これは、まさに教育の原点です。何かを教える、答えを出すのではなく、自分考え、自分で決める野を見守ってあげること。そのことによって、その子どもの持つ力を引き出していくことでしょう。これによってこそ、人として育っていくのです。そのようなことは、解説では、「特別な人たちだけがするのを許されたものではなく、実は、子供も大人も、男の人も女の人も、私たちみんなができることなのです。」と書かれています。

ドイツのクリスマス

 世界の1年間の祝祭日を見ると、その国の歴史を祝う日があります。また、それにちなんだ行事や祭りが各国で行われます。それは、おもにその国の宗教にちなんだものが多くあります。日本は、それぞれの国の祭りや宗教行事を、商戦と結び付けて取り入れるのが上手です。それは、ある意味では、わが国の発展の底力かもしれません。バレンタインデーなどは、そのいわれを知っているいる人はほとんどいなくてもチョコレート交換をします。ハロイゥンなどは、気持ちが悪いもので、日本では根付くかと思っていましたが、最近は児童館や学童を中心に行い始めているようです。
 そんな行事が年末は目白押しです。その中心がクリスマスでしょう。どの家庭でも園でも行うところが多いでしょうが、きちんと生誕劇を行うところは少ないでしょう。クリスマスといえば、まずはプレゼントです。その次にもみの木ツリーの飾り付けです。それから若い人は、彼女、彼氏とディナーや旅行や遊園地などに出かける人も多いようです。しかし、クリスマスは、キリスト教を信じる国では、その歴史が古いだけに、様々なしきたりや祝い方があるようです。
 ドイツのクリスマスと言えば、「シュトレン」といっても、まだ日本ではそれ程なじみがないかもしれません。私は、ここ数年、友人からこの季節になると「シュトレン」をいただきます。最近は、その包みを開けるときにクリスマスが近づいたことを感じるようになりました。
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「シュトレン」は、ブランデーなどに浸けておいたドライフルーツを、たっぷりのバターと一緒に練りこんで焼いた長細いパンですが、普通のパンと違ってかなり重くて日持ちがします。ですから、このシュトレンをク、リスマスを待つ4週間の期間であるアドヴェントの各週末に、身内や身近な友人とささやかにティーパーティをし、薄く切って賞味します。
 シュトレンはその形がトンネルのような格好をしているために、「坑道」とか「棒」という意味があります。もともとシュトレンは、翌年の豊作を祈願して作られる棒状のパンでしたが、より豊作を願って、中にレーズンやアーモンドがタップリと入れられるようになりました。14世紀の文献には、パン屋の誇りと品質管理の伝統である「組合」を認可してもらうかわりに、「シュトレンという白い棒パン」を12月に司教に献上したとあるそうです。こうして「献上するもの」という伝統が始まり、さらにその呼び名は16世紀以降、正式名をChrist stollen(クリストシュトレン)としています。このパンの上に降りかけられた白い粉砂糖の姿が、イエスキリスト誕生時に白い布で包まれた赤ん坊の姿を表現していると言われています。
シュトレン発祥の地、ドレスデンで12月の第一土曜に行われるお祭があります。黒の制服の煙突掃除人、白の制服のパン屋が3.3トンもの巨大シュトレンと共にパレードをするそうです。また現在では、ドイツではクリスマス時期に家庭で焼いたシュトーレンを友人や家族への贈り物としてもつかわれます。
 ドイツのパン屋は徒弟制度が厳しく、マイスターの称号を得てやっと店を持つことができます。 いただいたシュトレンに同封されているほかのパンもとても美味しいパンです。ですから、シュトレンが美味しいというだけでなく、それを作っている職人の腕がいいのでしょうね。

カレンダー

そろそろ、来年のカレンダー付きの手帳を用意する頃です。しかし、なかなか使いやすいものがありません。手帳というのは、その人の使い方で便利な機能が違います。私が使う場合の条件の一つが、職業上、4月始まりがいいのですが、そのような手帳は、少しはあるのですが、吊るすカレンダーではなかなかそのようなものはありません。また、仕事上、土、日と続く予定が多いので、月曜日始まりのほうが使いやすいです。また、1日のうちに三つくらいの予定が入るので、それが書き込めるほうがいいのですが、いつも持ち歩くためにあまり厚くないものとなると、なかなか希望のものはありませんね。しかも、今年購入するときに、もうひとつ機能を付け加えました。予定が来年の4月から3月までだけではなく、再来年の予定まで入ってくることが多くなってきたので、今年は、3年手帳にしました。
一般的に来年のカレンダーを入手してまずチェックするのは何でしょうか?三菱電機ビルテクノサービス(本社・東京都千代田区)で調査をしてみたところ、「ゴールデンウイークの連休状況」という答えが、ほぼ半数あったそうです。この調査は、同社のカレンダープレゼント応募者へのアンケートをまとめたものだそうですが、「すぐチェックすること」の1位はGWの状況(49.8%)、続いて家族や友達・恋人の誕生日の曜日(45.4%)、自分の誕生日の曜日(39.7%)だったそうです。
 ちなみに、来年9月に土・日曜を含めて5連休があることを知っていた人は26.3%で、「知らない」人が7割以上もいます。5月のゴールデンウイークなみですね。ですから、この5連休に名前を付けるとすればという質問では、「シルバーウイーク」と「オータムウイーク」が多かったそうです。来年の休みは、0101(木)元日、0112(月)成人の日、0211(水)建国記念の日、0320(金)春分の日、0429(水)昭和の日、0503(日)憲法記念日、0504(月)みどりの日、0505(火)こどもの日、0506(水)振替休日、0720(月)海の日、0921(月)敬老の日、0922(火)国民の休日、0923(水)秋分の日、1012(月)体育の日、1103(火)文化の日、1123(月)勤労感謝の日、1223(水)天皇誕生日と17日あります。
米国では、0101新年、0121キング牧師誕生日、0218大統領記念日、0526戦没者記念日、0704独立記念日、0901労働感謝の日、1013コロンブス記念日、1111退役軍人の日、1127感謝祭、1225クリスマスの10日です。英国ロンドンでは、0101新年、0321聖金曜日、0323復活祭、0324復活祭月曜日、0505アーリー・メイ・バンク・ホリデー、0526スプリング・バンク・ホリデー、0825サマー・バンク・ホリデー、1225クリスマス、1226ボクシング・デーの9日です。ドイツでは、0101新年、0321聖金曜日、0324復活祭月曜日、0501メーデー・キリスト昇天祭、0512聖霊降臨祭、1003ドイツ統一記念日、1225、1226クリスマスの8日です。中国では、0101元日、0126春節、0404清明節、0501労働節、0608端午節、0914中秋節、1002国慶節です。旧正月の春節や建国記念日の国慶節は3日間にわたるようですが、記念日としては7日です。
 日本はずいぶんと多いのですね。また、それぞれの国が、どんな日を祝祭日にしているかを見ると、何を大切にしているかがわかりますね。