郷中2

 薩摩藩における「郷中教育」は、今の時代の「学びあい」に通じるものがある反面、その違いに見習うべきところもあるような気がします。
 郷中教育では、青少年を「稚児(ちご)」と「二才(にせ)」に分けて、稚児は年齢によってさらに、6・7歳?10歳の小稚児(こちご)と11歳?14・15歳の長稚児(おせちご)に分けられ、稚児のリーダーとして稚児頭(ちごがしら)がいました。また、二才(15・16歳?24・25歳)のリーダーとして二才頭(にせがしら)がいて、二才と稚児の面倒をみていました。
ここで少し話は変わりますが、今で言う青年の頃を「二才」というのはどうしてでしょうか。この言葉で思い出すのは、「青二才」という言葉です。「青」は未熟の意味です。「赤」の「熟」に対立した言葉で、名詞の上に付けて未熟、幼少を示します。「青田」「青葉」などがあります。しかし、その語源は余りはっきりしていません。「二才」は、大言海には、その二に、「特に鱸、鯔などの2年子」とあり、その三に「若者を卑しめて罵る語、青二才、毛二才、小二才などともいう。乳臭児」とあります。この2番目の意味からが語源だという説が有力です。鯔(ぼら)という魚は、成長とともに名前が変わっていく、いわゆる「出世魚」です。その呼び名は、地域によって違うようですが、どこでも2年魚以上を「ボラ」といい、成長して一人前になったばかりの若魚のことです。ですから、「二才」だけでは、本当は嘲罵の意味は含まれていないのです。
「郷中教育の研究」(松本彦三郎 著)には、学びあいの様子をこう書いています。「同輩は相補い助け合い、一処においては先生であり、そして他処においては生徒であった。一方において教えられながら、他方において教えている。換言すれば学びつつ教え、教えつつ学び、学と教と一体の教育であったのである。」
この考え方は、教師にとっても必要なことです。また、育児をしている親にしても、子どもを教えている、育てているという大人が主体的な考え方だけでなく、子どもから教わり、育てられているという態度も必要なのです。そのことに関して、松本氏はこう書いています。
「郷中教育では、指導の立場にあるものは完全せる成人ではなく、未完成な青年であり、未成熟な少年でさえあった。この指導者は、単に先に生まれ出て僅かに1日の長者たるだけの人格で、換言すれば、僅かに「より完成せる人格」というだけで、その資格が認められていた。」
ここが、今の学校教育と違うところだといいます。「今日の学校教育においては、指導の任に当たる者は、特定の資格を完全に具備すると認められたる職業人で、いわば神のごとく完全なる人格でなければならぬことである。教育とはこの完全者が、未熟な不完全な人格者にある種の働きかけをなすものと考えられている。したがって学ぶこと、修習は、被教育者の側のみに強く要求せられ、教育者たる教師には、現在より以上の修行は必ずしも義務付けられていない。教師はいかなる場合にも教師であって、生徒たることがない。教育者と被教育者とは、ここにおいては、終始固定的概念と化しているのである。」
ここに、今の時代に学ぶべき点が見出せるかもしれません。