幼児教育

戦後、日本は敗戦のショックからもう一度立ち直ろうとしました。そのときには、すでに幼児教育の大切さを認識し、就学年齢の引き下げまでの検討しようとしていました。しかし、同じ幼児教育を担おうとしていた保育園と幼稚園の歴史は、別々に歩んできてしまっています。昨日のブログのように目指そうとしてきた幼児教育の内容も、いつの間にか就学後の教育の下請けのような内容に変化し、集団は、一斉に均一なものを目指すものとして捉え、否定されてきました。「個々に」「一人ひとりに」ということが、「自分勝手に」「自分だけ」というように受け止められ、同時に、「平等」とか「民主主義」とか「自由」という素晴らしい宝を手に入れ、その考え方が戦前で欲していたこともあって、極端な受け止められ方をすることも多くなってきました。
戦後の復興から立ち直り、次に経済の戦争といわれるバブルが始まりました。その経済を支える人材は、「黙って、言われたとおりに働く」ことに価値が置かれてきます。それが、また、間違った集団意識につながっていきます。もう一度、昭和28年12月15日に文部省から出された「わが国の教育の現状」を見てみると、今と同じような課題が見えます。
 この頃の幼稚園の数は昨日のブログのように、要望が多いわりには整備されていませんでした。そして、小学校第1学年入学児童の14.1%が幼稚園修了者でした。その設置園数も、小学校数の15.7%にすぎず、しかもその半数は私立でした。又その設置状況は地域によって非常に差があり、たとえば秋田・新潟は人口10万人でわずかに1園であるに反し、徳島は16園・香川は12園です。このような地域間格差が生じていたのは、たとえば、公立幼稚園の経費は82.73%が市町村支出金によってまかなわれ、国および都道府県の支出金が少ないからでしょう。また、幼児1人当りの消費的支出についての単位経費も地域によって非常に差があり、最高は鳥取の10,215円・最低は山梨の2,492円だったそうです。
幼稚園教諭の処遇についても余り高いものではなかったようです。幼稚園の教員数は1組当り1.1人でしたが、その51.4%が助教諭でした。また、公立の幼稚園の教員の給与は公立の小・中学校教員給与のように半額都道府県・半額国庫という負担制度になっておらず、全額市町村負担でしたから、公立幼稚園の教員の給与が一般的にひくく、又幼稚園の普及が遅れていることと関連があると考えられていました。このような地域間格差に対して、「現在の市町村が給与のすべてを負担する制度を検討し、その改善をはかることが幼稚園教育向上のためにぜひ必要なことである」としています。しかし、実際は、地方分権と言う名の下に、全てを地方に委譲し、国の責任ですべきことが整理されていない気がします。
それは、施設整備でもいえるようです。その頃の施設面積は、最低基準面積として幼児一人あたり0.7坪で、望ましい基準面積として幼児1人あたり1.4坪としていました。ところが、現有坪数は、公立幼稚園においてでさえ、最低基準に対して49.2%・望ましい基準面積に対して24.6%にすぎないと指摘しています。
 少子社会では、保育園、幼稚園のような子ども集団が形成されやすい施設保育は重要になってきています。ベビーシッターが主流であった米国でも施設保育が見直されています。幼児教育は、その保育内容の見直しを自ら行うことと、国の責任でそれを保障をしてくことが、将来の人材を育成していく上で重要なことのような気がします。