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2008年12月31日 [近頃思うこと]
すばる
枕草子の二三五段には、こう書かれています。
「星は 昂星(すばる)。牽牛(ひこぼし)。明星。長庚(ゆうづつ)。流星(よばい星)をだになからましかば、まして」
(星はすばる、ひこぼし、明けの明星、宵の明星が良い。流れ星も少し趣がある。尾を引かなければもっとよいのだけれど。)
昂星は「すばる」のことで、牽牛とは「彦星」(ひこぼし)です。明星は、「暁の明星」のことで、夜明けに東天に見える金星のことです。それに対して、夕暮れに西天に現れる金星の「宵の明星」は、夕方に見えるということで「ゆうづつ」といいましたが、これは見える時刻によって名前を変えたというよりも、同じ金星と思わず、違う星と思っていたのかもしれません。「よばい星」とは、流れ星のことをいいます。そもそも「よばい=婚ひ」は女性に求婚する意味ですが、流れていくさまが女性のところに通っていくように見えたのでしょうか。ただ、流れ星は尾を引きますが、清少納言は、「尾などないほうがもっといいわ」というのは、どうしてでしょうね。尾を引くからいいと思うのですが。
どの星が「いとおかし」なのかは、清少納言の意見には賛同できないところが多いのですが、真っ先に挙げている「昴」は少しわかる気がします。この「昴」は、まさに今の季節を代表する星で、その光は昔から魅了してきたことでしょう。
この昴は、「プレアデス星団」といわれるように、生まれたばかりの青白い星が百個以上も集まり、星々を青白いガスが取り巻き、たいへん美しい姿に見えます。そのようにいくつもの星の集まりということで、「すばる」という和語は「統一されている」「ひきいられている」という意味で、一つの星の名前ではなく、星団をひとくくりとしての名前です。万葉集で「須売流玉(すまるのたま)」、日本紀竟宴和歌で「儒波窶玉(すばるのたま)」などといわれるように、玉飾を糸でひとくくりとしたものを「すまる・すばる」と呼びました。
肉眼でも5~7個の星に分かれて見えることから、ギリシャ神話では、「プレアデス星団」の話の中でのプレアデスは、「オリオン」に追われて星になった7人姉妹だとされています。このため、「プレアデス星団」には、7人の姉妹と、父「アトラス」、母「プレイオネ」の名前が残っています。 プレイアデスは女神アルテミスに仕えていました。この「プレアデス星団」は、おうし座の背中に輝いています。また、同じくおうし座にあるヒアデス星団のヒアデスの7姉妹は、アトラスとアエトラの娘たちであり、プレイアデス姉妹とは異母姉妹の関係です。
いよいよ、今日で今年も終わります。来年はどんな年になるのでしょうか。世の中は不況だと騒がれています。先行きが不安になることもあります。そんなときには、広い、雄大な空を眺めてみましょう。人間は、大きな夢を持てる生き物です。大きな空を眺めて、壮大な物語を語り、寒い夜でも、そこに瞬く星の美しさに感動してきました。
来年は、世界天文年で、丑年です。夜空に輝くおうし座の背の「昴」を見つめていると、いくつかの星の集まりが美しい光を作っているというように、子どもたちがそれぞれの光を放ちながら、その集まりがより美しい光になるようにと願ってやみません。
今日の月
投稿者 fujimori : 19:50 | コメント (4)
2008年12月30日 [近頃思うこと]
天文
「人に何かを教えることは出来ない。ただその人が自分自身で気が付くように助けることが出来るだけだ」
この言葉を言ったのは、天文学の父といわれたイタリアの物理学者、天文学者、哲学者であるガリレオ・ガリレイです。彼は、17世紀にコペルニクスの地動説を支持し、バチカンから「異端」として宗教裁判にかけられて有罪となり、「それでも地球は回っている」といったことで知られています。ですから、どうしても科学者的なイメージがあるのですが、哲学者であるフランシス・ベーコンと共に科学的手法の開拓者としても知られています。
ガリレオは、冒頭の言葉以外にも、含蓄のある言葉をいくつか残しています。
「何も学ぶべき者のない人に会ったことはない」
「学者はしきりに「それゆえ」という言葉を使うが、なんで「それゆえ」なのか、俗人にはさっぱりわからない。なんだか、偉そうな言葉でごまかしているようだ」
「君は、報告を信じるだけで、自分で確めないのか」
「見えないと始まらない。見ようとしないと始まらない」
先日の21日、ローマ法王ベネディクト16世は、バチカンでの礼拝で、17世紀の天文学者ガリレオ・ガリレイの地動説について、「自然の法則は神の業に対する理解を促した」と述べ、同法王としては初めてガリレオの研究を公式に認めたようです。前法王ヨハネ・パウロ2世は1992年、教会側の非を認め、公式に謝罪したのですが、現法王は枢機卿時代に「ガリレオ裁判は正当だった」と発言したことで知られていました。それ画、今回正式にガリレオを認めた形になったのですが、同時に、礼拝で、「ガリレオの望遠鏡による初の天体観測から400年になる」とも述べ、研究をたたえました。
ガリレオは望遠鏡を最も早くから取り入れた一人です。そして、木星の衛星を3つ発見、その後もう一つ見つけ、これらの衛星はガリレオ衛星と呼ばれています。また、月面にクレーターや山、そして黒い部分があり、これを海と名づけました。さらに、望遠鏡での観測で太陽黒点を観測した最初の西洋人でした。しかし、望遠鏡で太陽を直接見たために、晩年に失明してしまったと考えられています。
ローマ法王が言ったとおり、ガリレオ・ガリレイが望遠鏡で天体観測を始めてから、来年2009年で400周年となります。この節目の年を「世界天文年」とする決議が、国際連合総会で採択されています。そして、世界中の天文学者やアマチュア観測者、教育者などが連携し、一般の人々を巻き込んでさまざまなイベントが行われる予定だそうです。
これを機会に、世界中の人々がそれぞれに夜空を見上げ、宇宙の中での地球や人間という存在に思いを馳せつつ、自分なりの発見をしていこうと呼びかけてはどうかというアイデアが、国際天文学連合 (IAU)の中から生まれてきました。世界の中でも日本は、昔から月や星を絵画や歌は俳句で愛でてきた国であり、現在では世界をリードする天文学・宇宙科学の先進国となっています。また、来年には、日本付近で条件のよい皆既日食も起こります。
公式名称は「世界天文年2009(The International Year of Astronomy 2009)」で、略称は「IYA2009」です。公式スローガン(標語)は「The Universe, Yours to Discover」(宇宙…解き明かすのはあなた)です。

子どもたちは、本来自然への興味と科学への関心を持っています。ぜひ、その心を育てていきたいですね。
投稿者 fujimori : 20:56 | コメント (4)
2008年12月29日 [近頃思うこと]
検索
わからないことがあったら、昔だったらすぐ辞書をひきました。何かを詳しく知りたかったら百科辞典を見ました。どこか行きたいところがあったら地図帳を広げました。今日は何の食事にしようか迷ったら、料理の本を参考にしました。茶の間の本棚には、それらの本が並んでいました。しかし、今はそんなときは、どんなときでもパソコンを開きます。そして、「検索」機能を使います。
最近、他の人はどんな言葉を検索したか興味を持つことがあります。それは、「iGoogle」というgoogleが提供するwebサービスを見ることがあるからです。このサービスは、googleのシンプルなTOPページに最新のニュースや天気などを自由に追加することができるのです。追加できるコンテンツには、様々なものが用意されていますが、その一つに「google急上昇ワード」というものがあり、検索された言葉のベストテンが表示されています。その検索された言葉も「最新」「1日前」「過去1週間」「過去1ヶ月」とあります。最新の項目を見ていると、「世の中の人は、すぐにパソコンで調べるのだなあ」と感心します。テレビを見ていて、そこに出てくる地域や芸能人、キーワードなどがすぐに検索され、ベストテンに入ってきます。逆にある言葉が出てくると、「その言葉がどこかの番組に取り上げられたのだろうか」「何かのニュースに流れたのだろうか」と気になります。というわけで、「検索ワード」は、いまや時代を表しています。
しかし、同時によく検索される言葉は、検索サービスのサイトが多いようです。先週1週間で検索された言葉の上位6位までは、すべて検索サイトです。1位YouTube、2位mixi、3位Google、4位2ちゃんねる、5位楽天、6位Amazon、8位ニコニコ動画、10位goo、13位MSNなどです。7位の郵便番号、9位の年賀状、20位の郵便局は、年末の年賀状を書いている姿が思い浮かびます。12位JAL、14位ANAからは、年末帰省する姿がみえます。15位価格.com、16位ユニクロなどは不況から安いものを買おうとする姿が見えますし、18位ハローワークは、派遣切り、内定取り消しなどの姿が見えてきます。
では、子どもはどんな言葉を検索するのでしょうか。やはり最近の「Yahoo!きっず」で1週間の中で検索された言葉を見てみます。
1位ゲーム、2位火山、3位地震、4位きせかえゲームは、その前の週と同じ順位です。ゲーム類は、クリスマスプレゼントに関係するのでしょうが、火山とか地震はどうしてでしょうか。その理由はよくわかりませんが、子どもの場合は、どうしてその言葉を検索するかという理由では、学校の授業に関する場合が多いようです。この週の10位であった「米」について、このような理由が説明されています。
「子どもがよく検索する言葉として「米」というキーワードがあります。なぜ「米」? と思われるでしょう。実は「米」という言葉は、2007年5~6月の月間第1位。「総合的な学習の時間」で年間テーマに「米」を選んだ小学校では、5~6月ごろにインターネットを使った調べ学習などを行ったうえで、田植えなどの体験学習に移行することが多いようです。」
ちなみに、他の順位の言葉は、5位戦争、6位アニメ、7位ドラマ、8位昔の道具、9位NHK、11位平和、12位盲導犬、13位原爆、14位地球温暖化、15位年賀状、16位祭り、17位ドラえもん、18位手話、19位ポケモン、20位点字でした。子どもの生活が少し見えてきます。
投稿者 fujimori : 20:53 | コメント (4)
2008年12月28日 [映画]
偏見
アメリカで、黒人であるオバマ氏が大統領になると聞いて、違う国のものでもある感慨があります。とくに私の世代は、黒人差別問題が表面に出てきて、それをテーマにした映画の中に名作がたくさん生み出されました。
その代表作ともいえる作家ハーパー・リーのピュリツァー賞受賞作を映画化した「アラバマ物語」を監督し、アカデミー賞監督賞候補にもなったロバート・マリガン氏が、今月20日、亡くなったことが報道されました。1962年に映画化された「アラバマ物語」は、人種差別が横行する米南部で社会正義を貫こうとする弁護士の姿をグレゴリー・ペック主演で描いた作品です。このグレゴリー・ペック氏は、この作品の10年ほど前に公開された「ローマの休日」でも有名です。彼は、「アラバマ物語」で、主演男優賞を受賞しています。
不況のドン底だった1932年、アラバマ州メイコムという小さな町に2児の父親で、男やもめで正義感の強い弁護士アティカス・フィンチが住んでいました。彼は、身に覚えのない暴行事件で起訴された黒人トムの弁護を引き受けます。町の人々は黒人に偏見を持ち、黒人などを弁護したらただではすまぬと警告したり、冷たく当たります。アティカスは不正と偏見を嫌い、何よりも正義を重んじる男で、そんな町の人の反応にも脅しに動じない父親の姿を彼の子どもたちは尊敬し、その勇気ある行動を目の当たりにしながら大きく成長してゆきます。しかし、裁判の判決は、被告の無罪を必死に弁護したにもかかわらず、陪審員は有罪と決定します。アティカスには、控訴審で判決をくつがえす自信があったのですが、搬送されていく途中で有罪判決でショックになったトムが脱走してしまい、殺されてしまいます。なんともいえない結末でした。この映画を見たときに、アメリカで行われている陪審員制度に疑問を持ったものでした。もう一つ、偏見の恐ろしさをこの映画は描いています。それは、精神障害から親に家に閉じ込められて引きこもっている隣人に、子どもたちが襲われたときに助けられます。誰がいい人で、誰が悪いひとということに対して、外から見える偏見の恐ろしさも描いていました。
もう一つ、黒人差別と、戸惑いを描いた映画の名作に、1967年に製作された「招かれざる客」があります。
新聞社を経営し、人種差別と戦ってきて人格者で通っていた父親もとに、娘がお互いの両親の許しを得るため婚約者を連れてきます。白人の娘の彼は、なんと黒人だったのです。彼は、世界的に著名な医師で立派な人格者でした。母親は驚きますが、娘の嬉々とした様子に、動揺は次第に喜びに変わっていきます。しかし、父親は、彼がいくらりっぱな人物であっても、納得できません。それは相手の両親も同じでした。白人と黒人の結婚はタブーであり、これからの二人の人生において、持ち上がるであろう様々な反感や、困難さや軋轢を親は心配するのです。黒人である彼が、反対する自分の父親に向かってこう言います。「古びた信念を唯一最良と頑強に押し通す、そんな世代が死に絶えるまで僕たちは重荷を背負うんだ。自由になれない。僕は黒人としてでなく、人間として生きたいんだ」
最後には、娘の父親は、若い2人のどんな困難にも立ち向かおうとする真剣さとその情熱に、かつての自分の青春を見、その尊さに気づき、2人の結婚を認め、こう言います。「これから多くの人たちの反感と嫌悪が君たちを待ち受ける。永久にそれを乗り越えていかねばならん。だが、互いの絆を強くし、決して負けるな!」
投稿者 fujimori : 21:23 | コメント (5)
2008年12月27日 [近頃思うこと]
郷中3
江戸末期に薩摩で行われた「郷中教育」では、教える立場にある者も、常に真摯な態度で不断に修業にいそしんだとあります。さらに、指導する地位にあるものは、率先して修学の模範を示し、教育がより価値高き人間の形成を意味するものとするならば、それは終極なしの不断の努力であるべきで、子弟同行でなければならないと松本氏は書いています。
この「子弟同行」というのは、教師と生徒がともに教育の道を同行することです。しかし、それは、教師は教師の地位にいて、生徒は生徒の地位にいて、ただ同一事を協力するということではないといっています。「師は師弟とともにあるときは、もとより子弟を導いて共同行践し、師弟のより完全化への努力に助力するのは当然であるが、師はまた自己自身の立場においては、自励研磨、自らの向上、自らの形成の道を独歩行践し、模範的に教育に逞しく精進するものでなければならぬ。かかる深い意味での師弟同行の教育こそ、実に郷中教育の本来の面目であったのである。」
「学びあい」と称して、教師は何もせずに子どもだけで教えあうことをさせることがあります。それは、勘違いをしている部分があります。また、この学びあいには、いわゆる「他者支援力」という力が育っていることが必要になってきます。きちんと「学びあい」の意味を子どもの発達の上からも考えないといけないのです。
いま、「総合的学習」が見直されています。その総合的学習を進めることで基礎学力が低下したと見られているからです。しかし、「自ら課題を見つけ、自らその課題に取り組む姿勢」を目指した教育は、今後ますます重要になってくるはずです。それが失敗したのは、そのような学習、教育に取り組む前に、そのような姿勢を育てていくことが必要になってくるのです。就学前教育の中で、きちんと子どもをしつけなければ、きちんと挨拶ができ、きちんと座っている子を作るという課題が優先され、自分でものを考えたり、自分でやりたいことに取り組むことなく、言われたとおりに動き、言われたことだけをやるようなことをして学校に送り出しても、総合的学習は失敗するでしょう。
同じように、ただ、大人からの保護だけを受けて育ってきた子に、他の子を支援するような「学びあい」はうまく行きません。「学びあい」では、「他者の喜び」を「自分の喜び」として受け止めることが必要であり、そのために乳児期の「受容」、自己主張が始まったころの言葉の十分なキャッチボール、そして、幼児期での子ども集団での、特に異年齢児における集団体験がなければ「他者支援力」は育っていかないのです。
また、「学びあい」を異年齢児のあいだで行う場合は、子ども同士のあいだで、ほぼ発達の違いが見られるので、教える側と教わる側に役割が自然と行われるのですが、学校のクラス単位で行う場合は、多くは同年齢の中で行われることが多いので、まず、教える側に教師がなる場合が多いと思われます。そのときには、なにを学びあいさせるかということを考えないと、子どもたちは、形式だけ話し合いを持っても、大切な内容は伝わらなくなってしまいます。また、教師は、内容を伝えるだけでなく、教える側のモデルも示していかなければならないでしょう。
どんなよい教育システムであっても、形だけでは意味をなしませんし、乳幼児期からの子ども集団での育ちがきちんと行われなければ、逆効果になりかねません。乳幼児期は単に託児という考え方やプレスクールという考え方ではなく、人生のスタートとしてきちんと考える時代が来たような気がします。
投稿者 fujimori : 21:53 | コメント (4)
2008年12月26日 [近頃思うこと]
郷中2
薩摩藩における「郷中教育」は、今の時代の「学びあい」に通じるものがある反面、その違いに見習うべきところもあるような気がします。
郷中教育では、青少年を「稚児(ちご)」と「二才(にせ)」に分けて、稚児は年齢によってさらに、6・7歳~10歳の小稚児(こちご)と11歳~14・15歳の長稚児(おせちご)に分けられ、稚児のリーダーとして稚児頭(ちごがしら)がいました。また、二才(15・16歳~24・25歳)のリーダーとして二才頭(にせがしら)がいて、二才と稚児の面倒をみていました。
ここで少し話は変わりますが、今で言う青年の頃を「二才」というのはどうしてでしょうか。この言葉で思い出すのは、「青二才」という言葉です。「青」は未熟の意味です。「赤」の「熟」に対立した言葉で、名詞の上に付けて未熟、幼少を示します。「青田」「青葉」などがあります。しかし、その語源は余りはっきりしていません。「二才」は、大言海には、その二に、「特に鱸、鯔などの2年子」とあり、その三に「若者を卑しめて罵る語、青二才、毛二才、小二才などともいう。乳臭児」とあります。この2番目の意味からが語源だという説が有力です。鯔(ぼら)という魚は、成長とともに名前が変わっていく、いわゆる「出世魚」です。その呼び名は、地域によって違うようですが、どこでも2年魚以上を「ボラ」といい、成長して一人前になったばかりの若魚のことです。ですから、「二才」だけでは、本当は嘲罵の意味は含まれていないのです。
「郷中教育の研究」(松本彦三郎 著)には、学びあいの様子をこう書いています。「同輩は相補い助け合い、一処においては先生であり、そして他処においては生徒であった。一方において教えられながら、他方において教えている。換言すれば学びつつ教え、教えつつ学び、学と教と一体の教育であったのである。」
この考え方は、教師にとっても必要なことです。また、育児をしている親にしても、子どもを教えている、育てているという大人が主体的な考え方だけでなく、子どもから教わり、育てられているという態度も必要なのです。そのことに関して、松本氏はこう書いています。
「郷中教育では、指導の立場にあるものは完全せる成人ではなく、未完成な青年であり、未成熟な少年でさえあった。この指導者は、単に先に生まれ出て僅かに1日の長者たるだけの人格で、換言すれば、僅かに「より完成せる人格」というだけで、その資格が認められていた。」
ここが、今の学校教育と違うところだといいます。「今日の学校教育においては、指導の任に当たる者は、特定の資格を完全に具備すると認められたる職業人で、いわば神のごとく完全なる人格でなければならぬことである。教育とはこの完全者が、未熟な不完全な人格者にある種の働きかけをなすものと考えられている。したがって学ぶこと、修習は、被教育者の側のみに強く要求せられ、教育者たる教師には、現在より以上の修行は必ずしも義務付けられていない。教師はいかなる場合にも教師であって、生徒たることがない。教育者と被教育者とは、ここにおいては、終始固定的概念と化しているのである。」
ここに、今の時代に学ぶべき点が見出せるかもしれません。
投稿者 fujimori : 23:30 | コメント (4)
2008年12月25日 [近頃思うこと]
郷中
薩摩で行われた「郷中教育」は、もちろん今の時代にそのまま取り入れることはできません。というのは、教育とは、その時代に、その国にとって、必要な人材を育てる目的がありますので、時代が変わったり、風土が変わったりすると、また違ってきます。ですから、教育内容や保育内容を、今の時代にそのまま取り入れることは危険な場合もあります。しかし、人を育てるという根本的な考え方や、そのこうかてきなやり方には学ぶべきところも多くあります。特に、少子社会になった今、「郷中教育」には、学ぶ点がいくつかあるような気がします。しかし、以前紹介した日新公の「いろは歌」にあるように「いにしへの道を聞きても唱えても 我が行にせずばかひなし」です。
「郷中教育の方法として「詮議」ということがある。思考の適正、判断の妥当を得るように練習するために用いられる問答法である。大は忠孝の大道に関する問題から、小は日常生活の一挙一動に至るまで起こり得るあらゆる場合を取り上げ、それに対処していかなる態度を執り、いかに行為すべきかに至るまで、予め考えてみることである。これはいわゆるソクラテスの対話法とも相通ずるものがあって、人生問題を具体的に考察する点においてきわめて適切であるといわねばならぬ。しかもこの詮議は単なる座上の水練や口頭禅に堕することなく、常に直ちに現実の行動に移し得るものであり、また移されねばならぬものとせられておるのである。」ということを「郷中教育の研究」の序を書いた友枝高彦氏が書いています。まさに、今の時代に必要であり、また、特に日本人の教育の欠けているといわれている「ディベート力」です。一方的に話すことに、黙って、じっと座って聞くという教育では育たない力です。
郷中教育には、他にも特徴がありますが、その一つに「教師なき教育」といわれていることです。それについて、「郷中教育の研究」(松本彦三郎 著)では、こう書かれています。ただ、これが書かれたのは戦前なので、少し今と定義が違うかもしれませんが。
「今日普通の意義でいえば、教育とは、教師が生徒に対して何らかの意味で影響を与えるところの具体的活動を意味する。郷中教育にはこのような意味での教師はおらない。もちろん、稚児たちがその許にまかり出て四書や五経等を読み習った先輩学者はおった。けれども、その教育をもっぱらに担任してその指導の責を負うべき特定の人物―職業人としての教師はおらなかった。しかもそこで、実に偉大なる教育が行われたのである。」では、どうして学んだのでしょうか。
「あたかも親身の兄弟のごとく、先輩は後輩を懇ろに教え親切に導き、後輩は先輩を心から敬慕し信服した。すなわちこの教育では先に生まれたもの「先生」―真実の意義における「先生」が、後生を合い愛重し撫育したのである。復習座元においては、長稚児は小稚児に対して先生になり、長稚児相互の間ではお互いがお互いの先生となった。」
いわゆる学びあいです。しかし、学びあいには注意が必要です。というのは、学校の授業のような同年齢の中でそれを行う場合です。この郷中教育の中でも同年齢での学びあいは、復習のときと限られているようです。新しいことを習うときには、当然、それをよく知っているものが教えなければならないからです。それが先に生まれたもの、すなわち、年上の子であったり、先生でなければならないのです。
投稿者 fujimori : 22:39 | コメント (4)
2008年12月24日 [旅先にて]
異年齢の集団
最近、少子化が進み、子どもたちの異年齢交流の減少や地域との結びつきの低下が叫ばれるなかで、異年齢集団活動による青少年育成の試みが全国各地で行われています。しかし、異年齢集団を構成する意図が違う場合があり、それらを混同すると、個人を軽視して、集団を優先してしまうようなことも起きかねません。
昔は、地域の中で子どもたちは遊ぶとき、遊ぶ相手を選ぶときに、それぞれの年齢は余り意識しませんでした。一緒に色々な遊びをしました。しかし、当然、子ども個々に能力が違います。また、その中からリーダーらしき存在も現れます。「みんな一緒」で遊んではいたのですが、「みんな同じ」ではなかったのです。それどころか、その子の年齢によって、ルールややり方は変えてあげていました。このやり方にはポイントがあります。まず、正確に言うと、その子の年齢によって変えてあげるのではなく、その子の能力によって、変えてあげているのです。ですから、この集団は、異年齢児集団ではなく、さまざまな能力や特技などの個人差を尊重し、それをお互いに補正しながら一緒に同じ遊びをするのです。もう一つのポイントは、そのルール改正には、大人の手配は介入しません。あくまでも、子ども同士の取り決めの中で行われます。ですから、大人の考える「能力別」や「習熟度別」ではないのです。そして、その子によってやり方を変えるのは、「差別」ではなく、個人差があっても、それに配慮してあげて一緒に遊ぼうという「思いやり」の心から出たものです。
異年齢児集団を構成する意図がもう一つあります。これも、正確に言うと年齢の違いに配慮するのではなく、その子の能力の違いを活用するという考え方です。ですから、同じ年齢に同士のあいだでも行われます。この場合は、大人が意図する場合も含みますので、学校教育の場面とか、設定保育といわれるような大人が意図的に計画するような保育の仲でも行われることがあります。それは、先生から子どもに知識や知恵を伝えるのではなく、子どもから子どもへ伝えるというやり方です。最近、学校教育の中で、「学びあい」という教育方法を取り入れる学校が増えてきたようです。また、習熟度別にクラス分けをするのではなく、同じクラスの中で、わかった子がわからない子に教えるというやり方で、「教わる」よりも「教えること」のほうが学びが大きいという考え方です。
鹿児島の甲突川東岸ぞいの今の加治屋町あたりは、40~80戸ほどの比較的小さな面積で区切られた方限(ほうぎり)の一つで、下級武士が多く住んでいました。しかし、このせまい方限から、西郷隆盛をはじめとして、大久保利通、吉井友実、伊地知正治、篠原国実、村田新八、西郷従道、大山巌、東郷平八郎、山本権兵衛、などたくさんの偉人が出ています。

西郷隆盛と大久保利通の生誕の地

大山巌と東郷平八郎の生誕の地
なぜでしょうか。その地域には立派な教師がいたからでしょうか。そうではありません。そこでは、以前のブログで何回か紹介した薩摩藩の伝統的な縦割り教育の一つであった「郷中教育」が行われていたのです。
郷中教育とは、青少年を「稚児(ちご)」と「二才(にせ)」に分けて、勉学・武芸・山坂達者(今でいう体育・スポーツ)を通じて、先輩が後輩を指導することによって強い武士をつくろうとする組織でした。いわゆる、異年齢による「学びあい」を行っていたのです。
今回、NHK大河ドラマつながりで訪れた鹿児島では、この郷中教育を少し調べてみました。
投稿者 fujimori : 20:48 | コメント (4)
2008年12月23日 [近頃思うこと]
トライアル
最近は、映画にしてもテレビ番組にしても書籍にしても商品にしても、人口の多くを占める団塊の世代を対象にした物が多く、その年代である私は懐かしく思うものがたくさんあります。このほど出版された書物で、特に私の子どものころに懐かしいのではなく、私が少しのあいだ小学校で教えていたときに、その教え子のあいだではやっていたものを取り上げたものが出版されました。
それは、「スーパーカー誕生」(著者:沢村 慎太朗)です。沢村さんによると、現在は、一般車の場合、「技術的臨界点」は既に超えているといいます。「この値段、用途で、この客層ならこんなもの。設計の筋道は20年前に出来上がり、今や車は会議でつくられる」のですが、スーパーカーの時代は、「スーパーカーの歴史はトライアルの歴史なんです」といわれます。沢村さんは、この本を書くのに、イタリアに取材に行きます。それは、その頃の車を目の前にすると、試行錯誤の様子が浮かび上がり、「『どうしてそうなったのか』『どういう理由でそこに至ったのか』(中略)を猛然と知りたくなった。それを知るには、事件が起きた現場に行かなければならない」という動機からです。余りに機械化が進み、いろいろなことが当然のごとく生み出されていく中、「トライアル」をもう一度見直すことが必要なのかもしれません。
スーパーカーといえば、江崎グリコの「アーモンドプレミオ」「バンホーテン ディアカカオ」のCMに登場しました。サザエさん一家の子どもたちが25年後に法事で再会するという設定でした。その法事に、小栗旬が演じるイクラちゃんがスーパーカーで磯野家を訪れます。
また、夏に公開されたタツノコアニメの名作「マッハGoGoGo」をワーナーが実写化した映画「スピード・レーサー」の主役は、レーサー家の次男スピード君の父の作ったスーパーカー「マッハ号」です。その車を天才的なテクニックで操り、陰謀が潜むグランプリに挑戦するという内容です。私は、この映画は見ていませんし、もとのアニメもあまり印象にはありません。ただ、007なみに、砂漠も岩山も氷のトンネルも断崖も、超スパイクタイヤで駆け上り、ハンドルについたAやBやCのボタンを押すとジャンプしたり、回転ノコギリが出てきたりしたことだけはなんとなく覚えています。
そのアニメではなく、池沢さとしの漫画「サーキットの狼」などの影響で、日本では、1974年から1978年にかけて、スーパーカーの爆発的なブームが起きました。コカ・コーラ、ファンタ等の清涼飲料水の王冠に車が描かれていたり、カード型の書籍が発売されたり、スーパーカー消しゴムと呼ばれる塩化ビニール製のミニチュアが売られたりしました。私が勤務していた小学校の近くを高速道路が走っていたので、その頃担任をしていた1年生をつれて高速道路にかかる橋の上から、下を通るスーパーカーを見に行きました。授業中に連れて行ったので、今考えると「ゆとり」があったのですね。
当時、圧倒的に人気のあったのが、マルチェロ・ガンディーニによる近未来的なウェッジシェイプを体現したデザインの「ランボルギーニ・カウンタック」でした。その全体の姿だけでなく、上に上がるドアの開け方も驚きでした。車名に用いられているCountachは、「クゥンタッチ(クンタッチ)」が原語にもっとも近いとされる発音で、ピエモンテ州の方言で、クンタッシッという「驚き」を表す感動詞です。
そのほか、色々なスーパーカーの車種名を子どもたちは覚えましたが、それは、「トライアル」が重視された時代の産物だったのです。
投稿者 fujimori : 23:05 | コメント (4)
2008年12月22日 [近頃思うこと]
支援事業
最近、巷でちょっとした話題になっているのが「小中学校への携帯電話の持ち込みの原則禁止」です。この素案は、来月、麻生首相に提出する予定だそうです。少し前に、大阪府の橋下徹知事が、政令市を除く府内の公立小中高校で携帯電話の持ち込みや校内での使用を禁じる方針を示して波紋を呼びました。
素案では、子どもの携帯電話利用の弊害に関し、「わいせつ情報や暴力、いじめを誘発する有害情報が悪影響を与える」と指摘しており、保護者が「家庭内ルール」を作ることや、小中学校が「持ち込みの原則禁止」を打ち出すなど、利用方針の明確化が必要だとしています。しかし、家庭との緊急連絡などのために必要ではないかという主張に対しては、「通話先限定や、GPS(全地球測位システム)機能のみの携帯電話や、これらの機能に緊急連絡用のメール機能を付加した携帯電話は有効」としています。
新しい技術が悪用されるようになると、そのものが定着してきたということでしょうが、携帯電話の技術の発展には、素晴らしいものがあります。アメリカで人気の高いアイフォンが日本でも売り出されたのですが、発売当時の話題に比べて意外と売り上げが伸びないのは、日本の携帯電話の技術が優れていて、よく知るとそれほどのものではなく、かえって使いにくいということもあるようです。アメリカでは、普通の携帯電話が日本ほど誰でも便利にいろいろな機能を使っているわけでもないので話題になったのです。
日本では、昔から科学技術が進んでいる国というイメージがありましたが、最近の子どもたちの理数離れで、それも危うくなったことで、数日前のブログで書いたような理数強化が取り組まれているのです。それは、小中学校の補助教員をつけることをはじめとして、文部科学省では、科学技術・学術関係人材の養成・確保のため、初等中等教育段階から、大学学部、大学院、社会人に至るまで、連続性を持った取組を総合的に推進しています。
その一つとして、「理数学生応援プロジェクト」というものがあります。これは、理系学部等において、理数分野に関する優れた意欲・能力を有する学生をさらに伸ばすための入試方法・教育プログラムの開発・実践や工夫した取組を行う事業を、国からの委託により、昨年度から実施しているものです。この「科学技術関係人材を養成するための取組み」はわかるのですが、その中で私が「へえ~?」と思った取り組みが二つありました。
その一つが「女子中高生の理系進路選択支援事業」というものです。一昨年から取り組まれている事業ですが、「何で女子だけなの?」と思いました。その趣旨として、「女子中高生の科学技術分野に対する興味・関心を喚起し、理系への進路選択を支援する」とあります。同じような趣旨として、やはり一昨年度から取り組まれている事業に「女性研究者支援モデル育成」というものがあります。この趣旨は、「大学や公的研究機関を対象として、女性研究者が研究と出産・育児等を両立し、研究活動を継続するための支援を行う仕組みを構築する際の模範となる優れた取組を支援する」とされています。
ともに女性対象ということで、出産・育児との両立支援ということはわかるのですが、女子中高生への支援はどうしてでしょうね。この世界で、女子は差別を受けているのでしょうか?それとも、積極的に女性の知恵を活用しようとするものなのでしょうか?
ぜひ、「男性保育者支援事業」の取り組みをして欲しいと思います。
投稿者 fujimori : 20:23 | コメント (4)
2008年12月21日 [近頃思うこと]
幼児教育
戦後、日本は敗戦のショックからもう一度立ち直ろうとしました。そのときには、すでに幼児教育の大切さを認識し、就学年齢の引き下げまでの検討しようとしていました。しかし、同じ幼児教育を担おうとしていた保育園と幼稚園の歴史は、別々に歩んできてしまっています。昨日のブログのように目指そうとしてきた幼児教育の内容も、いつの間にか就学後の教育の下請けのような内容に変化し、集団は、一斉に均一なものを目指すものとして捉え、否定されてきました。「個々に」「一人ひとりに」ということが、「自分勝手に」「自分だけ」というように受け止められ、同時に、「平等」とか「民主主義」とか「自由」という素晴らしい宝を手に入れ、その考え方が戦前で欲していたこともあって、極端な受け止められ方をすることも多くなってきました。
戦後の復興から立ち直り、次に経済の戦争といわれるバブルが始まりました。その経済を支える人材は、「黙って、言われたとおりに働く」ことに価値が置かれてきます。それが、また、間違った集団意識につながっていきます。もう一度、昭和28年12月15日に文部省から出された「わが国の教育の現状」を見てみると、今と同じような課題が見えます。
この頃の幼稚園の数は昨日のブログのように、要望が多いわりには整備されていませんでした。そして、小学校第1学年入学児童の14.1%が幼稚園修了者でした。その設置園数も、小学校数の15.7%にすぎず、しかもその半数は私立でした。又その設置状況は地域によって非常に差があり、たとえば秋田・新潟は人口10万人でわずかに1園であるに反し、徳島は16園・香川は12園です。このような地域間格差が生じていたのは、たとえば、公立幼稚園の経費は82.73%が市町村支出金によってまかなわれ、国および都道府県の支出金が少ないからでしょう。また、幼児1人当りの消費的支出についての単位経費も地域によって非常に差があり、最高は鳥取の10,215円・最低は山梨の2,492円だったそうです。
幼稚園教諭の処遇についても余り高いものではなかったようです。幼稚園の教員数は1組当り1.1人でしたが、その51.4%が助教諭でした。また、公立の幼稚園の教員の給与は公立の小・中学校教員給与のように半額都道府県・半額国庫という負担制度になっておらず、全額市町村負担でしたから、公立幼稚園の教員の給与が一般的にひくく、又幼稚園の普及が遅れていることと関連があると考えられていました。このような地域間格差に対して、「現在の市町村が給与のすべてを負担する制度を検討し、その改善をはかることが幼稚園教育向上のためにぜひ必要なことである」としています。しかし、実際は、地方分権と言う名の下に、全てを地方に委譲し、国の責任ですべきことが整理されていない気がします。
それは、施設整備でもいえるようです。その頃の施設面積は、最低基準面積として幼児一人あたり0.7坪で、望ましい基準面積として幼児1人あたり1.4坪としていました。ところが、現有坪数は、公立幼稚園においてでさえ、最低基準に対して49.2%・望ましい基準面積に対して24.6%にすぎないと指摘しています。
少子社会では、保育園、幼稚園のような子ども集団が形成されやすい施設保育は重要になってきています。ベビーシッターが主流であった米国でも施設保育が見直されています。幼児教育は、その保育内容の見直しを自ら行うことと、国の責任でそれを保障をしてくことが、将来の人材を育成していく上で重要なことのような気がします。
投稿者 fujimori : 19:48 | コメント (4)
2008年12月20日 [近頃思うこと]
義務教育前
先日、たまたま買い物をしている途中で、私が卒園した幼稚園の前を通りました。その前で、職員に記念写真を撮ってもらいました。幼稚園に通園していたのは、もう、なんと55年位前の話になります。その園は、下町の台東区の問屋街にあります。その頃は、下町でもいわゆる専業主婦という人はいず、ほとんどの家庭では両親とも働いていました。今でしたら、そのような家庭では保育園に入園するのでしょうが、その頃は、働いているといっても自営業がほとんどで、帰ってからは親のなんとなく目の届くところで、地域の中で遊んでいました。園へは、下町では、住み込みの番頭さんという人がいて、その番頭さんの自転車の後ろに乗って園への送迎をしてもらっていました。また、赤ちゃんのころはお子守さんに背負わされていましたので、保育園ではなく、幼稚園に通園していたのです。
ちょうどこの頃、義務教育前の学校教育施設である幼稚園の増設を望む社会的要求は非常に強くなりました。たとえば昭和23年以降の幼稚園の普及状況をみても、昭和28年度は昭和23年度に比較して、園数において約2.2 倍・幼児数において約2.3倍・教員数において約2.8倍にもなっています。しかし、このような増加にもかかわらず、現状では僅かに入園希望者の46.5%きり収容できなかったようです。しかも、入園該当年令幼児数全体から見ると、幼稚園に入園しているものは僅かに7.1%でした。
どうして、こんなにも幼稚園に入れようとしたかというと、幼稚園教育を受けた子どもに次のような教育効果が認められたからです。
社会性の面から言うと、「集団生活の経験が豊富である」「集団生活に喜んで参加できる」「集団生活における協同の態度や自立的な行動がとれる」「社会的不適応の行動をとる割合が少ない」「小さい者をいたわる」「しごとについて順序をわきまえている」です。これを見手びっくりするのは、このころは戦後の多子社会です。兄弟、地域の中には子どもは満ち溢れていて、そのなかで子ども集団の経験はふんだんにあったはずです。しかし、幼稚園に期待する第1は、集団体験です。
では、知識面では、幼稚園に行くことによってどんな効果が見られたのでしょうか。能力的な面として、次のものが挙げられています。「表現の能力が比較的によい」「構成力がある」「創造工夫の力がある」「語いが豊富である」「ひとの話をおわりまで聞き、よく理解する」「一つのことを始める前に、自分で一定の計画をもつことができる」「簡単な課題はよく解決する」「身近なものによく関心をもつ」が挙げられています。このなかで、認知的なものとして強いて言えば、語いの豊富さだけである。他の挙げられた項目を見ると、それらは全て、今の時代でも必要な力です。というより、今の時代にもっとも必要とされている力です。そして、これらは、全て子どもが主体で、大人が主体ではありません。
その他の効果として「健康や運動の面」で挙げられているのは、「健康に必要な習慣が大体ついている」「偏食が少ない」「運動機能の調節が割合によくとれている」「自分の身体に関心をもっている」「姿勢がよい」ということで、情緒的な面でも、「安定感がある」「大体根気がよく忍耐強い」「小さい物や動植物を可愛がり同情心もある」「感情的な態度をとることが少ない」「物に対してそれを美しいとか・悪いとかを感じ、美しいものを喜ぶ」が挙げられています。
これらの項目は、目標ではなく、終戦から間もない頃に幼稚園に通園している子に見られた効果なのです。時代が進んだとか、進歩したというのは幻想で、後退しているのかもしれませんね。
投稿者 fujimori : 22:13 | コメント (4)
2008年12月19日 [近頃思うこと]
無駄
そろそろ年末です。園では、今、年賀状作りに追われています。各クラス、それぞれの工夫を凝らした年賀状が作られていきます。毎年思うのですが、この年賀状は、無駄なことでしょうか。意味の無いことでしょうか。
12月12日付の「よみうり寸評」には、こんなことが書かれてありました。
「無駄」の反対語は「贅沢」なのだという。つまり普通なら、限られた時間や資源をいかに有効活用するか考えるところを、敢えて「無駄」に使うことが「贅沢」◆「無駄学」(西成活裕著、新潮社)で、そんな考え方があるのを知った。ただし無駄と贅沢の区別は容易ではない。ある人の無駄も別の人には有用。贅沢を戒め無駄を切りつめるだけも果たして…◆西成さんは、電子メールの例を挙げている。以前は、便利な道具と思っていた。今は「まったく逆の気持ち」という◆手軽なので初対面の相手からも次々用件が舞い込む。すぐに返事を迫られる。無駄を排した連絡法の先には「紙でやりとりしていた頃の数年分の手紙の量が1週間で来る」「恐ろしい時代」◆となれば年賀状も贅沢なのか。年賀はがきの発行数は減っている。年賀状の配達数も昨春、この10年で初めて、30億枚の大台を割り込んだ◆敢えて無駄はお勧めしない。贅沢な人にだけ、お知らせすると、新春の年賀状は来週15日から引き受けが始まる。
「無駄」とは、「むな(空)」の変化といわれ、ムナシの義とされています。また、モダ(黙)の転であり、モタ(黙)の義であるとも言われています。要するに「効果がないこと」「無益」という事とされています。こんな説もあります。「駄」は馬に載せた荷物の意味で、人を乗せて走る馬のことは「乗馬」で、それに対して「駄馬」は荷物は載せれるが、乗用に役に立たないということで言われます。ですから、馬が米俵をひとつ載せていると「一駄」、ふたつだと「二駄」、そして空荷だと「無駄」というという説ですが、どうも「無駄」は当て字のようです。
国語辞典では、「役に立たないこと」「甲斐がないこと」「益がないこと」と書かれています。しかし、世の中には、「無駄」も必要だということがあるのですが、この言い方が変なのは、必要だと思うものは「無駄」ではないからです。よく仕事をするとき三無主義といわれるのは、「無駄、ムラ、無理」です。
今月はじめにアイ・キューが運営するサイト「仕事ラボ.net」で実施した「会社での無駄な会議」に関するアンケートの結果を発表しました。調査によると、行われる会議は月に平均3.6回。その中で無駄だと思う会議は約半数の平均1.7回でした。会議の中で無駄なものに関しては、「過去の議事録・配布資料」が最も多く、次いで「飲食物」「やる気」が続いています。では、「無駄な会議に出るくらいなら何をしたかったか」という質問に対しては、64%が「仕事」と回答し、2位の「帰宅」(8%)を大きく上回っています。
「無駄な会議を抜け出す方法」に関しては、約半数が「抜け出したことがないので分からない」と回答したものの、残りの半数は「お手伝い」「電話が鳴ったふりをする」「飲み物を取りに行く」「急用を思い出す」などの方法で会議を抜け出しているようです。
年賀状は、私は無駄だとは思いませんが、会議は無駄のものがあるような気がします。みんなそう思っているのに、どうしてしなければならないのでしょうね。
投稿者 fujimori : 22:30 | コメント (4)
2008年12月18日 [新聞記事より]
理数
昨日の新聞に、「小中学校の算数・数学と理科で来春から授業時間と内容が大幅に増えることに対応するため、文部科学省と財務省は16日、授業支援の非常勤講師を学校現場に配備できるよう、約1万人分の予算をつける方向で調整に入った」という記事が載っていました。この記事によると、算数・数学と理科は国際的な学力調査でも思うような結果が出ず、教育の重点項目の一つになっているからだということです。この非常勤講師には、退職した教員中心に活用し、経験を踏まえてわかりやすい授業を展開したり、正規の教員と組んで少人数の授業やチームティーチングを進めたりすることが期待されているようです。退職した教員が、今の子どもに対して、興味・関心を引くような授業が展開できるか少し心配です。
また、授業時間数も、算数・数学と理科については来春から前倒しで、小学校では各学年で週1コマ増え、中学でも1年数学や3年理科で週1コマ程度増えるようです。
今の子どもたちは、昔と違って娯楽が満ち溢れ、テレビなどでお笑いに浸り、テンポの速いリズムの中で生活、活動をしているので、淡々と、ただ黒板に書いているような授業ではついてこないで、でんじろうさんのような、面白、おかしく、手品のような理数を進める必要があるでしょう。最近の子どもたちの理数離れは、授業数が少なかったり、先生の数が少ないからではなく、授業の進め方にあるのですから。
文部科学省は、「蜂の巣応援団」という「基礎知識の定着。向学心の喚起!」というプロジェクトを進めています。蜂の巣のように、必要不可欠な施策を組み確実に実施していくことにより、理数が好き・得意な子どもをしっかり育てようとするものです。1は、「魅了する」で、「興味・関心・学習意欲の喚起」、2「導く」は、「教員の指導力向上」、3「満たす」は、「地域における学習機会の充実」が柱になっています。そして、「19年度重点拡充」として、理数学生応援プロジェクトを進めています。
理数といえば、2006年にグランドオープンした東京都江東区有明にある「パナソニックセンター東京内」の「リスーピア」は、「理科と数学(算数)」をテーマにした体感型デジタルネットワークミュージアムで、とても面白く理数が体験できるようになっています。コンセプトは、「子供たちが理科や数学(算数)の持つ魅力に触れ、興味を抱くきっかけづくりの場を提供することにより、企業市民として技術立国日本のための技術者育成に貢献することを狙いとする。」とあります。
ディスカバリーフィールドを見学後に手渡されるお土産用のIDカードを使い、WebサイトのメンバーページからID・PWを入力の上ログインすると、館内で育てたエージェントが現れキャンプ同様に体験履歴をナビゲートしてくれます。
メンバーページではディスカバリースコープの復習は勿論、体験した展示テーマについてWebサイト独自のコンテンツによるより深い学習が可能になり、次回来館時にIDカードを持参すると、前回の続きから体験することができるなど、とても新しい科学にも触れることができるようになっています。
授業も、ただ教えるだけでなく、新しい工夫をしていかないと、子どもたちは理数に対して興味・関心が薄れ、自ら取り組もうという姿勢は見られなくなってしまいます。
投稿者 fujimori : 23:32 | コメント (4)
2008年12月17日 [近頃思うこと]
もつ
空腹時に、まず酒を口にすると、アルコールが内臓に染み入るように入っていくことを「五臓六腑にしみわたる」ということがあります。また、頭に来たり、激しい怒りが湧いてきたときに「五臓六腑が煮えくりかえる」ということがあります。この言葉は、「はらわたが煮えくりかえる」とも言うように、五臓六腑(ごぞうろっぷ)とは、「はらわた」のことで、人間の内臓全体を言い表すときに使われる言葉です。
「五臓」とは、肝・心・脾・肺・腎を指します。時によっては、心包を加えて「六臓」ということもあります。「六腑」とは、胆・小腸・胃・大腸・膀胱・三焦を指します。こちらも、三焦は、それに当てはまる臓器がないので、五腑とすることもあります。ただし、この言い方は、現代医学における解剖学の知見とは異なって、この言葉について書かれた最古の文献は、中国最古の医学書とされる「黄帝内経」であると言われているように、伝統中国医学で使われる言い方ですが、五臓の主な機能は精気の貯蔵・分泌・生成を行っているといわれ、一方、六腑は、五臓の補佐をしながら、消化・吸収・排泄などの生理機能を営んでいるといわれます。
このように言われる内蔵ですが、牛や豚や鳥の内臓は、もつ鍋だけでなく、いろいろな調理方法があります。その有名なのは、やはり「焼き鳥」でしょう。焼き鳥というのでもちろん「鳥肉に、たれ・塩などをつけてあぶり焼いたもの」ですが、じっさいは、牛・豚などの臓物を串焼きしたものでも言うようです。ということは、焼き鳥といっても、牛や豚の「もつ」をくしに刺して焼いたものである「もつやき」のことをいうこともあるのです。
以前は捨てられていた贓物の八割程度は、現在は、酒場で提供されているそうです。確かに、家庭ではレバー以外は余り食べる習慣はありませんが、しかし、欧米では臓物の栄養価値に対する認識も高く、肉屋と並んで 臓物の専門店もあり、肉と同様に食べられているようです。焼き鳥屋で出す「もつやき」は、最初は鳥の臓物が中心で、関東大震災の直後に東京・日本橋室町で、鶏のきも、砂肝、腎臓、心臓、皮身などを焼いて売り出したのがはじめといわれ、安いということで手軽な酒の肴として屋台などで商われるようになり、次第に酒場まで拡がっていきました。その後、鶏のもつだけでなく、牛や豚のもつも焼いて出すようになります。
また、焼肉でも「もつ」は好んで食べます。「タン」は、牛の舌のことで、焼肉には舌の付け根の部分(タンモト)の脂肪の乗った霜降り状の柔らかな部分を使います。「レバー」は、肝臓で、ビタミンAと鉄分が豊富に含まれています。「ハツ」は、心臓のことで、弾力性があり、くせがなく、脂肪分が少なくヘルシーで、固くてコリコリとします。「ハラミ」は、横隔膜の一部で柔らかく脂肪も豊富で濃い味です。牛には4つの胃がありますが、それぞれに名前がついています。1番目は、「ミノ」といい、1番大きな胃で、クセが無く食べやすいです。切り開くと簑笠のような三角形になることから「ミノ」と呼ばれています。2番目は、「ハチノス」といい、蜂の巣状の筋があり、独特の風味と歯ごたえがあります。3番目は、「センマイ」といい、胃壁が千枚ものヒダに見えることから、「センマイ」と命名されています。4番目は「ギアラ」です。濃厚ですが、希少価値が高くなかなか手に入りません。「フワ」は、牛の肺で、味は淡泊です。「タチギモ」は、牛のヒ臓で、レバーよりきめ細やかです。「マメ」は、腎臓で、ビタミンA、ビタミンB2が豊富です。「ヒモ」は、盲腸で、柔らかくて食べやすい部分です。「モウチョウ」は、あっさりしていて独特の歯応えが楽しめます。「コブクロ」は、子宮で、淡泊で、コリコリとしています。「シマチョウ」は、大腸部分で、あっさりしています。
ずいぶんといろいろなところを食べますね。どの部位か知ると、なんだか食べたくなくなるかもしれません。
投稿者 fujimori : 23:39 | コメント (4)
2008年12月16日 [近頃思うこと]
寒い夜2
先日、熊本に行ったのですが、熊本名物といえば「馬刺し」ですね。私は、子どものころは台東区で育ったのですが、その頃にすき焼きを食べに行くとしたら、「桜鍋」といって、馬肉を使った鍋をよく食べました。文明開花の中、ハイカラなグルメとして桜鍋が生まれ、数少ない東京の郷土料理として、吉原遊郭行き帰りの粋客から朝・夜問わず食されたといわれています。もちろん、私は吉原で食べたわけではありませんが。
人間というものは、本当に好奇心が強いというか、貪欲というか、何でも食べてみようと思うようです。その一つが「もつ」といわれる内臓を食べようと思ったことでしょう。しかし、内臓はすぐに悪くなりますが、栄養があるものが多くあります。ライオンやチーターが獲物をしとめると、最初に内臓から食べ始めるのは栄養を考えているからだといわれています。
「もつ」とは、鳥獣肉の臓物(内臓)の総称のことですが、普通は、肝臓や心臓などを「赤もつ」、胃や腸などを「白もつ」と言います。しかし、畜産業界が定めた正式な呼びかたは「畜産副生物」といい、生肉処理の段階で副次的に産出される肉類のことを指します。欧米では「バラエティミート」とか、「ファンシーミート」と呼ばれています。日本では、肉そのものを食べる習慣が遅く始まったので、劣化が早い、独特なにおいや外見のために、「もつ」を食べることには好き嫌いがあるようです。しかし、食肉の歴史が古いヨーロッパなどでは比較的一般的のようです。
先日、職員と体を温めるために食べた「もつ鍋」は、本来、福岡市近辺の郷土料理でした。しかし、地元の店舗がバブル景気崩壊直後、安い食べ物として東京へ進出したところ、酒にも合うということでブームとなり、全国的に知れ渡るようになりました。しかし、BSE問題や、一過性流行であったことで、余り定着しませんでした。しかし、最近、また不景気のせいか、東京ではブームが起きているようです。また、関西圏ではホルモン焼き・ホルモン鍋として、定着しているようです。ただ、地元福岡では元々の郷土料理であることもあって、はやりすたりは無く、老舗も多く、一般の居酒屋でも博多ラーメンに次ぐ人気メニューとなっています。
もつ鍋は、体が温まるだけでなく、美容と健康によいとされています。この鍋の主役というべき「もつ」には、のモツには、五大栄養素の1つミネラルや必須アミノ酸が多く含まれています。また、コラーゲンが多く含まれていますので、美容にも良いというわけです。しかし、コラーゲンは、そのまま体内のコラーゲンとはなりません。アミノ酸、ビタミン、ミネラルも必要で、その役割を助ける酵素も必要です。それらが「もつ」には含まれているのです。また、「もつ」は、その噛み応えがしっかりしているので、あごが鍛えられ、しっかりと噛むことによって脳を刺激します。
また、この鍋の中に入れるキャベツには、ビタミンUをはじめ、水溶性ビタミンや脂溶性ビタミンがたくさん含まれ、その他、カルシウム、リン、鉄、カリウム、マグネシウム などのミネラル分が豊富ですし、ニラには硫化アリルやカロチン、ビタミンB1、B2、C、カルシウムやカリウムなど豊富です。それにくわえて、にんにく、胡麻などが入るわけですから、悪いわけはありません。
そして、野菜を食べた後の仕上げにちゃんぽん麺を入れて煮込んでいただきました。ほっとした、冬の寒い夜のひと時でした。
投稿者 fujimori : 23:33 | コメント (5)
2008年12月15日 [近頃思うこと]
寒い夜
寒いある日、ちょっと寒気がしました。まだまだ今年は仕事が残っているので、風邪を引くわけにはいきません。そこで、職員数人と「もつ鍋」を食べに行きました。
わかっているようではっきりわからないのが、「もつ」とか、「ホルモン」という肉の種類です。食べる前に「なんのもつだろうね」ということが話題になりました。それは、何の動物のどの部分かということです。
私たちは、肉をよく食べます。おもなものは、牛、豚、鳥ですが、最近は馬、いのししなども食べるようになりました。しかし、どの部分かというと、牛では、その場所によって呼び方が違います。また、料理法によって美味しい部位があります。牛の肩のほうから、肩ロース(Chuck)、リブロース(Rib eye)、サーロイン(Sirloin)で、うまみでは肩からの順番、脂肪があってうまみが強いのはその逆といわれています。ですから、ステーキはサーロイン、ローストビーフはリブロースや肩ロースがいいといわれています。また、テンダーロイン(Tenderloin)はいわゆるフィレ肉で、脂肪も少なく柔らかい肉です。Tボーンステーキは、サーロインとフィレが骨をはさんでくっついている部位をステーキにしたものをいい、両方の肉を味わえるステーキとしてとてもおいしいものです。そのほかにも牛では、タンも焼肉やシチューにして食べます。また、ばら肉は、焼肉やではカルビといって人気があります。
また、豚肉も牛と同じように名前がついています。肩は、シチューや豚汁などの煮込み料理や、薄切りにしてポークビーンズなどにも適しています。肩ロースは、カレーや焼き豚、焼肉、しょうが焼きなどに適しています。ロースは、豚カツやポークソテー、焼き豚、ロースハムに向いています。ひれは、美肌効果があるビタミンB1が最も多く含まれていて、脂肪が少なく、柔らかいので、ポークソテーや豚カツなどの油を使う料理がいいようです。ばらは、ベーコン、焼き豚、肉じゃが、角煮に使われます。豚ももは、ヒレに次いでビタミンB1を多く含んでいて、ローストポークやボンレスハムなどに使用します。豚そとももは味が淡白なので、豚汁やシチュー、角煮などに向いています。そのほかには、豚足とか耳も食べます。
これら、牛肉や豚肉の食べる部分と違う場所が、焼肉屋に行くとメニューに並んでいます。それは、これらの動物の内臓の部分です。内臓にもさまざまな部位がありますが、それらを総称して「モツ」と呼びます。内臓の総称とされる「ホルモン」も、焼肉店では牛の白い内臓(大腸や小腸など)を意味します。大腸は朝鮮語で「テッチャン」と呼ばれ、あっさりした脂が特徴です。ホルモンにはさまざまな語源説があり、最も有力なのは内臓=廃棄部分のため、関西弁で「捨てるもの」という意味を持つ「放(ほお)るもん」から名付けられたとか、内臓を食べると精力がつくというイメージから、生理活性物質(ホルモン)にちなんで名付けられたなどの説があります。
もつ鍋は、汁を張った鍋の中に、下処理した牛や豚(飲食店では、主に牛)の白もつ(腸)を入れて味がつく程度に煮込み、後にキャベツやニラ等を入れたものですが、汁の味付けには醤油味にニンニクや唐辛子を入れたものと、味噌味のものがありますが、私たちが食べたのは、黒ごま味と、にんにく味のものでした。もう少し、もつ鍋を紹介します。
投稿者 fujimori : 23:12 | コメント (5)
2008年12月14日 [行事]
おたのしみ会
昨日は、園で「おたのしみ会」がありました。この行事を通して、主に子どもたちの「表現」と「言葉」の領域の発達を保護者に伝えるものですが、3歳以上児にとっては、その日までの取り組みを通して、子どもたちは人間関係の発達が促されたような実感がありました。そんな大人の思いをよそに、子どもたちはずいぶんと楽しんだようです。終わってからトイレに行った子どもたちの会話で「ああ、楽しかったね。また、やりたいね。」というのを聞くと、この行事に自ら取り組んでいる姿がうかがわれます。
2日前、担任が年長に練習させようとすると、「もう大丈夫だから」と言って、自分たちだけで相談をしていました。園児は、よく子どもたち同士でなにやら相談をよくします。この行事に取り組み始めて、それはよく行われ、行事の大切さを感じました。練習一つにしても、子ども自らやろうとする意欲がなければ、意味の無いものになってしまうでしょう。
東京では、少し前に「西の魔女が死んだ」という映画をやっていました。先日、奈良に行ったときに、ちょうど公開されていました。私は、その映画は見ていませんが、原作は読みました。梨木香歩さんの原作です。その本の解説を文庫本のカバー装画を描いた早川司寿乃さんが書いています。
「日々の中で、人間は、自らが作り出した化学物質をはじめとする人工的なものに囲まれ、さらに、人工的なよくわからないものがたくさん入った食べ物を食べて生きています。それは少しずつ人間を歪め、社会全体を歪めてきたように思います。」
こんな社会の中で、主人公の中学生「まい」は、学校に足が向かなくなります。そこで、夏になる前、一月田舎にいる外国の人であるおばあちゃんのところに滞在することになります。そのときの様子を、解説ではこう書いています。
「そこで触れる自然と、自然にごく近い姿をしたおばあちゃんによって、徐々に、(まいは)生命力を回復してゆきます。おばあちゃんがまいに施した薬は、人が長いあいだに自然から教わり受け継いできた知恵や、生活の基本を見せることではなかったでしょうか。難しい理論があるわけでなく、ただ普段そのままを見せるだけです。そこには、人が生きるに必要なものが満ちていました。」
その中で、自称「魔女」だというおばあちゃんによってまいの「魔女修行」が始まります。その内容とは、
「その人の持つ素質を伸ばす。自分で考え、自分で決めるという、本来の人らしい人になること」です。そして、おばあちゃんは、「答えを示すのではなく、厳しさと優しさを持って、まいが、自分で考え自分で決めるのを見守る姿勢をとり続けます。」
これは、まさに教育の原点です。何かを教える、答えを出すのではなく、自分考え、自分で決める野を見守ってあげること。そのことによって、その子どもの持つ力を引き出していくことでしょう。これによってこそ、人として育っていくのです。そのようなことは、解説では、「特別な人たちだけがするのを許されたものではなく、実は、子供も大人も、男の人も女の人も、私たちみんなができることなのです。」と書かれています。
投稿者 fujimori : 20:13 | コメント (4)
2008年12月13日 [行事]
ドイツのクリスマス
世界の1年間の祝祭日を見ると、その国の歴史を祝う日があります。また、それにちなんだ行事や祭りが各国で行われます。それは、おもにその国の宗教にちなんだものが多くあります。日本は、それぞれの国の祭りや宗教行事を、商戦と結び付けて取り入れるのが上手です。それは、ある意味では、わが国の発展の底力かもしれません。バレンタインデーなどは、そのいわれを知っているいる人はほとんどいなくてもチョコレート交換をします。ハロイゥンなどは、気持ちが悪いもので、日本では根付くかと思っていましたが、最近は児童館や学童を中心に行い始めているようです。
そんな行事が年末は目白押しです。その中心がクリスマスでしょう。どの家庭でも園でも行うところが多いでしょうが、きちんと生誕劇を行うところは少ないでしょう。クリスマスといえば、まずはプレゼントです。その次にもみの木ツリーの飾り付けです。それから若い人は、彼女、彼氏とディナーや旅行や遊園地などに出かける人も多いようです。しかし、クリスマスは、キリスト教を信じる国では、その歴史が古いだけに、様々なしきたりや祝い方があるようです。
ドイツのクリスマスと言えば、「シュトレン」といっても、まだ日本ではそれ程なじみがないかもしれません。私は、ここ数年、友人からこの季節になると「シュトレン」をいただきます。最近は、その包みを開けるときにクリスマスが近づいたことを感じるようになりました。
「シュトレン」は、ブランデーなどに浸けておいたドライフルーツを、たっぷりのバターと一緒に練りこんで焼いた長細いパンですが、普通のパンと違ってかなり重くて日持ちがします。ですから、このシュトレンをク、リスマスを待つ4週間の期間であるアドヴェントの各週末に、身内や身近な友人とささやかにティーパーティをし、薄く切って賞味します。
シュトレンはその形がトンネルのような格好をしているために、「坑道」とか「棒」という意味があります。もともとシュトレンは、翌年の豊作を祈願して作られる棒状のパンでしたが、より豊作を願って、中にレーズンやアーモンドがタップリと入れられるようになりました。14世紀の文献には、パン屋の誇りと品質管理の伝統である「組合」を認可してもらうかわりに、「シュトレンという白い棒パン」を12月に司教に献上したとあるそうです。こうして「献上するもの」という伝統が始まり、さらにその呼び名は16世紀以降、正式名をChrist stollen(クリストシュトレン)としています。このパンの上に降りかけられた白い粉砂糖の姿が、イエスキリスト誕生時に白い布で包まれた赤ん坊の姿を表現していると言われています。
シュトレン発祥の地、ドレスデンで12月の第一土曜に行われるお祭があります。黒の制服の煙突掃除人、白の制服のパン屋が3.3トンもの巨大シュトレンと共にパレードをするそうです。また現在では、ドイツではクリスマス時期に家庭で焼いたシュトーレンを友人や家族への贈り物としてもつかわれます。
ドイツのパン屋は徒弟制度が厳しく、マイスターの称号を得てやっと店を持つことができます。 いただいたシュトレンに同封されているほかのパンもとても美味しいパンです。ですから、シュトレンが美味しいというだけでなく、それを作っている職人の腕がいいのでしょうね。
投稿者 fujimori : 20:39 | コメント (4)
2008年12月12日 [近頃思うこと]
カレンダー
そろそろ、来年のカレンダー付きの手帳を用意する頃です。しかし、なかなか使いやすいものがありません。手帳というのは、その人の使い方で便利な機能が違います。私が使う場合の条件の一つが、職業上、4月始まりがいいのですが、そのような手帳は、少しはあるのですが、吊るすカレンダーではなかなかそのようなものはありません。また、仕事上、土、日と続く予定が多いので、月曜日始まりのほうが使いやすいです。また、1日のうちに三つくらいの予定が入るので、それが書き込めるほうがいいのですが、いつも持ち歩くためにあまり厚くないものとなると、なかなか希望のものはありませんね。しかも、今年購入するときに、もうひとつ機能を付け加えました。予定が来年の4月から3月までだけではなく、再来年の予定まで入ってくることが多くなってきたので、今年は、3年手帳にしました。
一般的に来年のカレンダーを入手してまずチェックするのは何でしょうか?三菱電機ビルテクノサービス(本社・東京都千代田区)で調査をしてみたところ、「ゴールデンウイークの連休状況」という答えが、ほぼ半数あったそうです。この調査は、同社のカレンダープレゼント応募者へのアンケートをまとめたものだそうですが、「すぐチェックすること」の1位はGWの状況(49.8%)、続いて家族や友達・恋人の誕生日の曜日(45.4%)、自分の誕生日の曜日(39.7%)だったそうです。
ちなみに、来年9月に土・日曜を含めて5連休があることを知っていた人は26.3%で、「知らない」人が7割以上もいます。5月のゴールデンウイークなみですね。ですから、この5連休に名前を付けるとすればという質問では、「シルバーウイーク」と「オータムウイーク」が多かったそうです。来年の休みは、0101(木)元日、0112(月)成人の日、0211(水)建国記念の日、0320(金)春分の日、0429(水)昭和の日、0503(日)憲法記念日、0504(月)みどりの日、0505(火)こどもの日、0506(水)振替休日、0720(月)海の日、0921(月)敬老の日、0922(火)国民の休日、0923(水)秋分の日、1012(月)体育の日、1103(火)文化の日、1123(月)勤労感謝の日、1223(水)天皇誕生日と17日あります。
米国では、0101新年、0121キング牧師誕生日、0218大統領記念日、0526戦没者記念日、0704独立記念日、0901労働感謝の日、1013コロンブス記念日、1111退役軍人の日、1127感謝祭、1225クリスマスの10日です。英国ロンドンでは、0101新年、0321聖金曜日、0323復活祭、0324復活祭月曜日、0505アーリー・メイ・バンク・ホリデー、0526スプリング・バンク・ホリデー、0825サマー・バンク・ホリデー、1225クリスマス、1226ボクシング・デーの9日です。ドイツでは、0101新年、0321聖金曜日、0324復活祭月曜日、0501メーデー・キリスト昇天祭、0512聖霊降臨祭、1003ドイツ統一記念日、1225、1226クリスマスの8日です。中国では、0101元日、0126春節、0404清明節、0501労働節、0608端午節、0914中秋節、1002国慶節です。旧正月の春節や建国記念日の国慶節は3日間にわたるようですが、記念日としては7日です。
日本はずいぶんと多いのですね。また、それぞれの国が、どんな日を祝祭日にしているかを見ると、何を大切にしているかがわかりますね。
投稿者 fujimori : 23:14 | コメント (4)
2008年12月11日 [近頃思うこと]
いよいよ年の瀬
いよいよ12月も半ばになり、年の瀬が迫ってきました。12月は、やはり年の変わり目ということもあって、いつもの月とは違う感慨があります。そんなこともあって、12月を様々な名前で呼びます。他の月も呼び方は色々とあるのですが、同じように少し違った感慨がある1月についで、12月は呼び方が多いようです。
12月を「師走」と呼ぶのは、有名ですね。しかし、その師は誰を指すかというと、様々な説があるようです。主な語源説は、昔は12月になると、住職の僧が檀家周りでお経をあげるために、東西を馳せる月という意味から「 師馳す(しはす)」から生じたというものがあります。平安末期の「色葉字類抄」には、「しはす」の注としてこのような説明がついています。
他の説では、「しわす」とは「しねはつる」ではないかと言われています。「しね」とは年貢として納める穀物のことで、「はつる」とは「果てる」ということです。古代においては秋に収穫した穀物の年貢を納めきるのが年の最後の月でした。ですから、年貢納めの月という意味で「しねはてる月」と言い、それが訛って「しはす月」と呼ぶようになり、「師走月」という漢字を当てたという説もあります。
1年の最後の月ということで極月(ごくげつ、ごくづき)と呼ぶことも知られています。このように1年の最後という意味では、窮月(きゅうげつ)、除月(じょげつ)、弟月(おととづき)、暮歳(ぼさい)、限月(かぎりのつき)と呼ばれることもあります。「極」とか「窮」とは、「きわまる」とも読み、「進退窮まる」というように使いますが、この文言は、「詩経」の「進退維谷」(進退維(これ)谷まる)からきています。きわまるという言葉は、「窮まる」「極まる」「際まる」と今では書きますが、もともとは「谷まる」と書きます。というのは、このような状態は、谷に入り込んで動けなくなったような状態を指すからです。除月とは、「旧年を除く月」という意味で、旧年を除く夜のことを「除夜」といい、除夜の鐘を突きます。「弟月」は、「末っ子の月」ということのようです。「年の暮れ」とか「限」は「限界」「限度」などと使われるように「かぎり」ですので、「年の限りの月」と意味でしょう。暮来月(くれこつき・くれこづき)とか、暮れ古月(くれこづき)とか、年積月(としつみつき)などの呼び方からは、なんとなく、日々を積み重ね、もうすぐ暮れが来るという感じがしますね。
12月は、1年の最後の月ということだけでなく、旧暦では冬の終わりの月です。ですから、そんな意味の呼び方があります。暮冬(ぼとう)、晩冬(ばんとう)などはそうです。
また、12月は、年の最後とか、冬の最後とか言うことだけでなく、次の月に春が来るという希望の前触れということもあります。「春待月」という呼び方などは、そういう意味で美しいですね。梅初月(ばいしょづき)という呼び方も、春への期待がこめられています。
そのほかにも、親子月(おやこづき)、三冬月(みふゆづき)、季冬(きとう)、余月(よげつ)、臘月(ろうげつ)、窮陰(きゅういん)、窮冬(きゅうとう)、苦寒(くかん)、嘉平(かへい)、雪月(ゆきづき)、乙子月(おとごづき)、黄冬(おうとう)、建丑月(けんちゅうげつ)、氷月(ひげつ・ひょうげつ)などずいぶんたくさんありますね。
他の国にもそんなにたくさんの呼び方があるのでしょうか。季節に敏感な日本人の感性が感じられますね。
投稿者 fujimori : 23:31 | コメント (4)
2008年12月10日 [近頃思うこと]
滝とマイナス
一時期、家電製品やテレビ番組で「マイナスイオン」ということが話題になりました。しかし、マイナスイオンを発生する家電の効果などは、少し言いすぎではないかとも言われています。
この「マイナスイオン」というのは、別名「空気イオン」「空気のビタミン」とか言われますが、和製英語で、定義は明確ではありません。空気中にあるミクロンから分子程度の大きさの電子を帯びた微粒子の中で、それが何らかの要因(宇宙線、放射線、放電等)で電離してマイナス電子を引き剥がされて「プラスイオン」、引き離された電子が他の分子に捕まえられて「マイナスイオン」になります。一般的に大気が汚れて湿度が高いときには、空気中にプラスのイオンが多く、大気電界もプラスになっていますし、その反対に大気が澄み切って湿度が低く、すがすがしい状態のときは、空気中にマイナスのイオンが多く大気電界もマイナスになっている、という傾向があります。
空気中の「マイナスイオン」と「プラスイオン」を測ったデータがあります。交通の激しい道路周辺では、マイナス(イオン)が1800(軽イオン個/cc)、プラスは2700です。また、汚染の激しい工業地帯では、マイナスが500で、プラスが2000だったそうです。それに対して、滝の近くでは、マイナスが12000、プラスが1800、河の近くの森林では、マイナスが2800、プラスが1700だそうです。
自然の中にはマイナスイオンがたくさんあり、その中でも多いのが、「滝」です。水がはじける場所にはたくさんのマイナスイオンが発生しています。自然界ではマイナスイオンは空気中で微細水滴が分裂するとき、水滴はプラスに帯電し、周囲の空気はマイナスに帯電する空気イオン化現象によっておきます。これをレナード効果と呼んでいます。先日、野尻湖班の「癒しの森」を散策したときにも、インストラクターの方に滝の近くに連れて行ってもらい、「マイナスイオンを十分に吸ってくださいと言われました。」そして、「その濃度は、距離の事情に反比例しますから、落ちない程度に近づいてください。」と言われました。
プラスイオンは、酸素と一緒に血液中に溶け込み血液を酸性に傾け、活性酸素を増加させ、生命活動に重要な役割を果たす免疫力が低下し、各組織や自律神経が不調になり、栄養素が取り入れられず、老廃物や、炭酸ガスを出すことができなくなり、毒素が体内にたまります。すると、病気が誘発され、老化が進行します。そして、リウマチ・神経痛・慢性病などのあらゆる疾患の原因となります。
一方、マイナスイオンが強くなると、酸化した細胞間質液を弱アルカリ性に導くことができることにより、細胞内に酸素と栄養成分を十分に吸収でき、各細胞の機能が活発となるため、自身に持っている自然治癒力が高まり、身体の生命力が強くなります。また、心身をリラックスさせる効果があるといわれています。むかしから、転地療法といって、緑の多い草原や、空気のいい高原などで療養すると、病気が治るとよく言われます。
先週末、熊本の小国町の「鍋ヶ滝」に行って、たくさんマイナスイオンを吸ってきました。この滝は、松島奈々子の生茶のCMで有名な裏見の滝です。
新聞によると、前日、この地方は今冬最低の零下6.8度を記録したそうで、滝の周りにはツララが見られました。
投稿者 fujimori : 23:00 | コメント (4)
2008年12月09日 [近頃思うこと]
教育と教養
「教育」という言葉が最初に出たのは、四書五経の「孟子」の中に出てきますが、「教」という字は、手に棒を持っている姿を表し、「育」という字は、母親のいつくしみ、はぐくむという意味です。それは、父親の厳しさと母親の優しさの両面を持って教育をするという意味です。しかし、教えることも、いつくしむこともどちらも主体は教える側にあります。また、そこには、教えられる側は知識を持たず、することもわからないという思いがあります。ですから、教育の平等は、「等しく教える」というように、教える側の論理になってしまうのは仕方ないことかもしれません。
しかし、教育基本法第一条(教育の目的)には、「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に満ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない。」と書かれてあります。ここには、教育は、「自主的精神に満ちた」ものでなければならないとされており、それは、教育の主体は、学ぶ側であることが謳われています。
また第二条(教育の方針)には、「教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。」と書かれており、「自発的精神を養い」ということで、あくまでも自発的であることを謳っているのです。
日本語源大辞典(前田富祺 監修)には、「教育」の意での使用は、古く「書紀-神代上」に「其中一児最悪、不順教養」(丹鶴本訓 をしへ)にみられると書かれています。しかし、その言葉は、日本語として定着せず、明治初期に、近世中国語の影響で、英語education・educateの訳語として中国から伝わったものであると思われているそうです。
一方、「教養」という言葉があります。広辞苑には、「教養とは、単なる学殖、多識とは異なり、一定の文化理想を体得し、それによって個人が身につけた創造的な理解力や知識。その内容は時代や民族の文化理念の変遷に応じて異なる」と書かれています。その言葉に相当するギリシア語は、「パイデイア」であり、意味は「子供が教育係に指導されて身についたもの」のことです。英語ではcultureで「粗野な状態から耕された、人の手を経たもの」という意味であり、文化、教養と並んで、修養やトレーニングという意味も含んでいます。ドイツ語ではBildungであって「つくられたもの」のことをいい、そこには、人格とか自分の内なるモラルとか価値観とか、多面的なものを含んでいます。
この「教養」は、単に個々の学識や多識ではなく、総体的な理解力や知識をもった行動様式を言っているのです。そこで、行動様式である教養を身に着けるとしたら、教えたり、はぐくんだりでは無理です。それは、教わる側が、あくまでも主体的でなければならないからです。発達が、子ども自ら環境に働きかけ、環境との相互作用により行われるように、教育もあくまでも自発的な行為でなければならないのです。
educationは、ラテン語の「引き出す」という意味から来ているように、その子どもの良いところを引き出し、伸ばしていくところに教育の本質があるのです。
投稿者 fujimori : 23:46 | コメント (4)
2008年12月08日 [近頃思うこと]
家庭の崩壊
教育、学校という言葉を最初につくったのが孟子です。孟子は、ずいぶんと母親が教育熱心だったようですね。それがわかる逸話がいくつかあります。その一つは、「孟母三遷」で、もう一つは、「孟母断機」という言葉です。
「孟母三遷」という言葉は余りにも有名なので、みんな知っていると思いますが、孟子の母親は、幼かった孟子を育てるのによいと思われる環境を求めて、住まいを三回かわったというものです。最後には、学校の側へ引っ越したおかげで、孟子が勉強の真似事ばかりして遊ぶようになったというのです。
「孟母断機」というのは、遠方へ勉学に行っていた孟子が、途中で家に帰ってきたときに「勉学は、どれくらい進みましたか」という母親の質問に、「いいえ、元のままです」という答えを聞いて、母親は、刀を持ち出し、ちょうど今自分が織っていた織物を、スパッと切り裂き、「おまえが学問を途中でやめるのは、織りかけていた織物を、途中で断ち切るのと同じです。何の役にも立ちません」と、厳しく教えたというものです。
今週号の「Newsweek」に、イギリスのジャーナリストのコリン氏が、自らの生い立ちを語っています。タイトルは、「子供が最も不幸な国に育って」というもので、以前ブログでも取り上げたユニセフが昨年発表をした「子供の幸福度ランキング」で、最下位の評価だったことに対して子供時代を振り返れば頷けるという記事です。
イギリス政府が昨年発表した調査では、4人に3人が15歳までに飲酒を体験し、14歳の子供の37%が過去2週間に酒を飲んだと答えたそうです。ブレア前首相は、1に教育、2、3も教育といって教育改革を最優先課題と位置付けました。その目標は達成しましたが、それはうわべだけのことで、成績の評価を甘くしたからだとコリン氏はいいます。大学進学者が急増したのも、入学基準を下げ、基礎知識さえ怪しい生徒を入れるようにしたからだといいます。
また、体にいい学校給食を提供する運動に取り組んできましたが、肝心の子供たちが、野菜やパスタよりもインスタント食品やフライドポテトを食べたがり、成果が上がりません。子供のあいだには、肥満と多動傾向が恐ろしいほど広がっているようです。運動を心がけ、食生活を改善するだけで大きな効果が望めそうなのに、実際は薬を飲まされている子供が多いといいます。
コリン氏は、こう続けます。「こんなふうに書くと、親は何をしているんだ?と言いたくなるだろう。だが、イギリスでは、子供の実に3人に1人が単身家庭で育っている。たいていは結婚暦のない貧しいシングルマザーの家庭だ。ユニセフの調査を見れば、父親のいない子どもがどういう人生を歩むかがわかる。より早く学校をやめ、健康により大きな問題をかかえ、より早い時期に家を離れ、より低い賃金に就くのだ。英保守党が昨年発表した調査は、さらに寒々しい。イギリスでは満足な教育を受けず、薬物やアルコール依存に苦しみ、人生をほとんどあきらめた下層階級が拡大している。この層を増やす問題の中核にあるのは、家庭の崩壊だという。」
日本は、このイギリスをモデルにしようとし、市場競争原理から教育をしようとしています。なんだか、怖い話しですね。こうなっていくのでしょうか。
投稿者 fujimori : 23:16 | コメント (4)
2008年12月07日 [近頃思うこと]
平等院
先日、奈良を訪れたとき、帰り道で宇治に途中下車をしました。それは、秋の「平等院」を見てみたいと思ったからです。もみじは赤く染まり、秋の深まりは日本全国少しずつ時期はずれていきますが、どこにでも平等に訪れます。永承7年(1052年)に、藤原頼通は、父道長から譲り受けた別荘のひとつを寺院に改めて、平等院としました。平等院という名前は、「仏の救済が平等であるということ」を意味します。イミダスによると、末法思想とは、釈迦の入滅後、二千年を経過すると、一万年間は釈迦の教えだけが残り、悟りを得る者はいなくなるとする思想です。中国から伝えられたものですが、平安後期の日本では、飢饉や日照り、水害、地震、疫病の流行、僧兵の抗争が続き、貴族も民衆も危機感を募らせていました。1052年は、末法の第1年にあたるとされ、末法の救いを阿弥陀仏に求める浄土信仰が盛んになり、この年に頼道が宇治の平等院に阿弥陀堂を建立したのです。厳しい身分制社会の中で、貧困と差別に喘ぐ庶民に生きる力を与えるものとして、仏は、全ての人を平等に救済してくれるという思いが必要だったのでしょう。それは、物事のあり方が真理の立場から見ればすべて同一であることから来ています。
日本国憲法には、「第十四条 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」とありますが、この「法の下に平等」というのも、「真理の立場からみな等しく見る」ということであり、「法的に同等の機会や権利を有する」ということです。
いつの間にか、「平等」は、「すべてのものが一様で等しいこと」を意味するかのような使われ方をすることが多くなりました。 そして、その一様に等しいものが集団を形成し、逆に集団は、全てを一様にしていくことが目指されてきた過去がありました。「みんな手をつないでゴールをする」「勝ち負けは決めない」「勉強ができる子でも、できない子でも同じ授業をする」というような平等が教育界にも持ち込まれました。
教育基本法第3条(教育の機会均等)では、「 すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであって、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。」という文言を、教育とは、「ひとしく与える」のか「ひとしく機会を与える」ではずいぶんと意味が違ってきます。
このときの平等の概念は、帝国議会における「教育の機会均等をいかに実現するつもりか」ということに対する答弁を見ればわかります。
「この第三条は、第一項の前段におきましては、教育の機会均等の本質を述べ、次に人種、信条、性別以下は、これは教育を実施する上におきまして、こういう風な事項によって差別をされてはならないということをうたつたものであります。入学の際、あるいは入学の後の教育実施にあたっての問題を、すべてここに包含しておるつもりであります。」と辻田政府委員が答弁しています。この平等は、どちらかというと、equalityよりも、インクルージョンという包括的な教育に近い概念です。「包括的な教育の下では、すべての子供たちが学習し、参加することが保障されている。」といわれています。
なにが思い違いを起こしたのでしょうか?
投稿者 fujimori : 22:21 | コメント (4)
2008年12月06日 [近頃思うこと]
スキップ
今年の園での運動会で、年長さんが「スキップ」を見せました。最近の子どもたちは、体格が向上しているにもかかわらず、体力・運動能力が低下しているということがよく言われます。特に、身体能力という自分の身体を操作する能力の低下が深刻な状況であるということがいわれ、そのときの例として、「靴のひもを結べない」ということと、「スキップができない」ということがあげられます。
簡単な運動を習慣にすることが大切です。その中で、手足の運動は脳の活性化に良いといわれます。しかし、運動を日常生活に入れるためには、「運動をしなくてはいけない!」という義務感はかえってストレスになってしまいますので、自分が気持ちよくできることが大事です。無理なく続けられる、自分の体力にあった運動を日常生活に取り入れることです。
「運動不足病」は、1960 年代に、アメリカで生活様式の変化や、労働の質の変化、勤務時間や通勤時間などの変化などから総運動量が激減し、国民病として指摘されました。そこで、1970 年代のアメリカでは、ジョギング・ブームやその後のエアロビクス・ブームが起きたのです。その科学的根拠として、持久的運動を行なうスポーツマンには冠状動脈(心臓の筋肉に酸素や栄養を送る血管)の疾患が少ないことが報告され、それは、運動の継続により、毛細血管の拡張や機能亢進がおこり、血管を詰まらす悪玉コレステロールを排除する善玉コレステロールの増加が起きるからであり、また、持久的運動の継続による過剰な摂取カロリーの消費は、余分な皮下脂肪の沈着を防ぎ、余分な脂肪を燃焼させて肥満や糖尿病を予防する効果もあることがわかりました。
そのことを報告したクーパーは、健康の維持のため、1日20 分間、ランニングで3.2km、水泳で730m、サイクリングで 8kmを週4回実施するエアロビクス理論を提唱しました。
しかし、なかなかそんなに運動ができない人には、早足の散歩や手足を動かすストレッチでも十分です。その中で、スキップ運動は脳にも有効で、体の老化を防ぎます。「右・右・左・左」の片足とびスキップをしたり、また、特に前に進まなくても、その場でやっても心も体も軽やかになります。
私の園の園舎は傾斜地に建てられています。その園舎は、「スキップフロア」と呼ばれる建て方をしています。この建て方は、床の高さを半階ずつずらして、配置する住宅の建て方で、実際の面積以上の広がりが感じられ、開放的な、変化のある室内空間が得られます。また、動線を短縮することが可能などのメリットがあり、よく、敷地が傾斜地などの場合や、ガレージの上部空間を有効活用するために用いられることもある。
園は、新宿という都会の中に建てられているために、敷地が狭く、高さ制限や、隣地境界からの制限などがあります。そこで、傾斜を生かすためにこの「スキップフロア」にしてあります。
地下から職員、来客が出入りし、1階の玄関から0,1歳児の保育室、半階上がって2歳児、2階は3,4,5歳児、3階は学童、4階はセミナー室というように、年齢が上がるにしたがって、階も上がっていき、成長することを子どもたちが実感できるようにしてあります。
建物は、そこで生活するものの心と体を軽やかにするものでなければならないと思います。
投稿者 fujimori : 22:40 | コメント (4)
2008年12月05日 [近頃思うこと]
容器
今年の5月の末に、「文字や図形が付されない容器での立体商標として日本で初めて、コカ・コーラ コンツアーボトルの立体商標が認められた」というニュースが流れました。
コカ・コーラのコンツアーボトルは、1916年に米国で生み出されたものですが、当時のデザイン開発にあたっては、「暗闇で触ったときにもそれがコカ・コーラのボトルとわかるもの」という条件が挙げられたそうです。1956年に日本でも販売されて以来、コンツアーボトル入りコカ・コーラは継続して販売されていて、コカ・コーラと言えば、「あの特別な形のくびれたボトル」と思い出すほど、その容器はシンボルになっています。世界では、すでに、アメリカ、イギリス、ロシア、欧州共同体、中国など数十カ国で、立体商標登録されていました。
コカ・コーラ社によると、このコンツアーボトルの原型スケッチは、1913年版の「大英百科事典」で見つけたココア豆の挿し絵にインスピレーションを得て描かれたものだそうです。この曲線の傑作は、多くの芸術家にインスピレーションを与え、ポップアーティストのアンディー・ウォーホールも「コンツアーボトル」を称賛しているなど世界中の芸術作品の中で表現されているようです。
容器の形状で認められたのは、今回が初めてですが、1997年には、立体物も商標登録できるようになりました。例えば、早稲田大学の「大隈重信像」や、日本ケンタッキーフライドチキンの「カーネルサンダース立像」や、不二家の「ぺこちゃん人形」などです。しかし、容器の形状は、「他の商品との識別力がないのが普通」として、商標権として半永久的に独占されると、自由競争の妨げになるおそれがあるということで、商標として認められてこなかったのです。
2001年には、東京高裁によって「10社以上が類似した容器を使って乳酸菌飲料を販売している」ということで、ヤクルトの容器が、形状だけで識別力を獲得していたと認めるのは困難という判断を下しています。サントリー角瓶も同様な判断で認められていません。
このヤクルトの容器が、今年のグッドデザイン賞の中の「ロングライフデザイン賞」を自称しました。1935年に生まれた乳酸菌飲料の「ヤクルト」は、当時ビンの容器でした。私の祖母はヤクルトを飲んでいました。牛乳と同じように、朝、牛乳箱のようなものに届けられており、私が子どものころのそれをもらって、飲んでいました。「年齢を問わず、多くの人々に親しまれ、長く愛される容器を」ということで1968年にプラスチック容器が開発されました。口当たりがよく、一口で飲みきらずにゆっくり楽しめるように、中央部がくびれているデザインになっているそうです。また、容器を薄く軽くすることで省資源化、そしてヤクルトレディの労働力を軽減するためにということもあるようです。そのようなフォルムを求めて、実に数多くのモデルが作られ,細かな検討を経て1968年に現行のデザインが出来たそうです。今や「ヤクルト」と聞けば、このかたちと味が思い浮かぶほど浸透し、30余カ国に親しまれているそうです。
グッドデザイン賞の中で有名なものに1993年度に商品デザイン部門で受賞した「キッコーマンしょうゆ卓上びん」があります。このしょうゆびんは、保存容器をそのまま食卓にも持ってきて醤油差しとしても使えるという、それまでに無い新しい容器と使い方の提案でした。それはダイニング・キッチンという機能をもった部屋の出現に象徴され、調理と食事の新しい関係性を反映したものでもありました。
容器からでも、生活スタイルなど新しい時代を提案できるのです。
投稿者 fujimori : 22:31 | コメント (4)
2008年12月04日 [近頃思うこと]
市民
私が、ブログの中で何回かオランダの「イエナプラン」という教育法について書きました。それを日本に広めようとしているのがリヒテルズ直子さんです。彼女が、先月末に日本に来て、シンポジウムを行っていました。その内容が、毎日新聞の11月17日に紹介されていました。
オランダでは、個別教育が重視されています。しかし、個人主義が行き過ぎると、自己中心主義に陥り、社会性を失わせる恐れもあります。そこでオランダでは、異なる意見も尊重できるようにと「シティズンシップ(市民性)教育」にも力を入れ、05年からは日本の小中高に相当する初等・中等教育で義務づけられているそうです。
例えば、社会参加の下地作りのために、こんな授業が行われます。
ある学校では、4歳のクラスから週1~2回、ディスカッションの時間を設け、8歳で死刑制度の是非について話し合います。別の学校では、低学年の子ども同士がけんかをしていると、上級生が仲裁者として間に入り、一緒に話し合いながら解決方法を探るといったことが教育活動の一環として行われているそうです。これらは、自分と異なる意見を尊重する態度を身につけさせるのが狙いで、「既成の価値観に対する同化を求める道徳教育に比べ、価値観の多様化した現代社会を意識している」のが特長だとリヒテルズさんは話しています。デ・ウィンター教授は、その意義を「未来の社会づくりは、子どもが積極的に社会参加できる市民になれるかどうかにかかっている」と強調しています。
この「シティズンシップ(Citizenship)」は、日本では、「市民性」と訳されます。これまで「市民権」「公民権」などと訳され、国籍や参政権に近い概念でしたが、現在は、「市民社会でいかに振る舞うか」といった概念へと広がってきています。そして、このシティズンシップ教育は、めまぐるしく変化する現代社会において、子どもたちが将来、市民としての十分な役割を果たせるように、近年、欧米諸国を中心に学校教育で導入されてきています。とくに、ニートといわれる若者の就業意識の低下、社会的無力感や、投票率の低下をはじめとする政治的無関心は、深刻な問題とされ、将来を担う世代に、社会的責任、法の遵守、地域やより広い社会と関わることを教えなければ、民主主義社会の未来はないとの危機感が広がってきたことも背景にあります。そういうことで、日本でも最近、一部の自治体や私立校で取り入れられつつあります。
もともと英国で、2002年に中等教育にシティズンシップ教育を導入し、話題を呼びました。この教育カリキュラムの導入に向けた諮問委員会の答申書では、「我々は国家全体でも地域でも、本国の政治文化を何より変えることをねらいとしている。つまりそれは、公共生活に影響を与える意思、能力、素養をもった能動的な市民として、人々が自身について考えられるようにすることである。」と述べられ、社会に積極的に参加し、責任と良識ある市民を育てるための教育をうたっています。
例えば、イギリスでは、民主主義社会における市民性を高める教育について、ルール、自分、コミュニケーションという3つの能力や知識が必要であると考えられています。そして、その3つを育むためには、講義聴講形式の授業ではなく、コミュニケーション型・参加体験型の授業形式が必要になるのです。
これからは、人と人とのコミュニケーションが、市民性を高める教育として重要であるとしています。集団がないと育たない力です。
投稿者 fujimori : 23:30 | コメント (4)
2008年12月03日 [講演先にて]
秋の句と歌
「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」
法 隆 寺
先日、奈良での講演のあと、斑鳩の里を歩いて見ようと、法隆寺に行って見ました。五重塔を眺めていたとき、鐘の音が聞こえてきました。そのとき、この句が浮かんできて、門前の茶店を歩いてみると、なんと「柿の葉寿司」の店内で、「吉野柿」を売っていました。その柿をかじりながら、もう一度五重塔を眺めてみました。
正岡子規は、明治28年10月26日から奈良を旅し、大和路をあるき、法隆寺の門前の茶店で休んで柿を食べていると、寺から鐘の音がひびいてきました。たぶん、柿を食べた甘さが口に広がり、逆にその甘さと、鐘の音があたりの静けさを際立たせたのでしょう。ふと、秋ののどかさのなかの寂しさを感じます。
来年秋からNHKで放送するスペシャルドラマ「坂の上の雲」の原作は、秋山兄弟や子規ら明治期の青春群像を通じて近代国家づくりに突き進んだ日本人の姿を描いた司馬遼太郎の作品です。この小説の中の「須磨の灯り」には、「大和路をあるき、法隆寺まできて茶店に憩うたとき、田園の夕にもやがただよっていかにも寂しげであった。柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺 という句は、このとき心にうかぶままを句帳にとどめたものである。」と書かれてあります。
「ちはやぶる神世も聞かず竜田川 からくれなゐに水くくるとは」
竜 田 川
この歌は、古今和歌集にある在原業平の作品で、百人一首にも選ばれています。斑鳩を流れる竜田川は、紅葉の美しさから、歌枕として古来より多くの和歌に詠まれています。伝説では崇神天皇が川に流れていた八葉の楓葉を五穀豊穣を祈願し、生駒の竜田神社に献上されたとされています。この業平の歌は、「遠い神代の昔には、いろいろなことがあったと聞きますが、竜田川が唐の国から輸入した鮮やかな紅色で水をくくり染めにするというようなことは聞いたことがありません。」きれいな紅葉が、竜田川の流れる水に浮かんでいる姿を、川が染めたと見立てています。
「嵐吹く三室の山のもみぢ葉は竜田の川の錦なりけり 」
三 室 山
「強い風が、三室山のもみじの葉を吹き散らしてしまって惜しいことをしたと思ったが、そのもみじの葉が、三室山の下を流れる竜田川に浮かんでいるのを見て、その姿は、美しい錦を織り成すために散ったのだということに納得するほど、とても美しい」
この歌は、後拾遺和歌集に収められた能因法師の作品で、同じく百人一首に収められています。もともとは、後冷泉天皇が開いた内裏歌合せの中で、藤原祐家の「散りまがふ 嵐の山のもみぢ葉は ふもとの里の秋にざりける」という歌と競って勝った歌です。
標高82mの三室山の「みむろ」は「御室」「三室」と書き、神の鎮座する山や森を表します。飛鳥時代、聖徳太子が斑鳩宮造営にあたり、太子の出生地の飛鳥神名備の産土神を竜田に近い山に勧請されました。その山を神名備山とも、三諸山ともいったといいます。太子は宮の裏鬼門に神を祀られたといわれています。
斑鳩の里は、もうすっかり秋です。もみじも、その赤さの盛りを過ぎ、その赤さを残すために、大地や川面にその姿を映します。その上を、山から吹き降ろしてきた冷たい強い風が通り過ぎていきます。
投稿者 fujimori : 22:17 | コメント (4)
2008年12月02日 [新聞記事より]
ドイツ環境省
一昨日のニュースで目を引いたものがありました。それは、ドイツの環境省が発表したものですが、07年の温室効果ガスの排出量が90年比で22.4%減となり、京都議定書で掲げられた21%減という目標値に達したというものです。それは、工業、交通などの分野で削減が進んだからのようです。
今年日本中を大騒ぎさせた北海道洞爺湖サミットでは、主要8カ国は、温室効果ガスの世界全体の排出量を「2050年までに半減する」との長期目標そのものには合意しませんでした。首脳宣言案では、「共有を目指す」との文言にとどめただけでした。それは、新興国が参加しない目標設定に慎重な米国に配慮したためです。
しかし、ドイツのハイリゲンダムサミットでは、世界全体の長期目標について、日本や欧州連合(EU)、カナダが提案した「50年半減」は、「真剣に検討する」ことで一致されていたはずでした。ですから、それに引き続いて行われた洞爺湖サミットでは、「検討」から「合意」したかったのですが、そこまで行かず、「目指す」という表現にとどまったことが、まだ記憶に新しいですね。
ただ、中国やインドなど新興国の参加を求める米国の意向を「この地球規模の課題は、世界全体が取り組むことで初めて実現する。特に、すべての主要経済国による貢献が必要だ」と明記することで反映しました。
京都議定書第 4 条(共同達成)に基づき、EU15 ヵ国1 の温室効果ガス削減目標は2008~2012 年の第1 約束期間において基準年(1990)対比でマイナス8%となっています。その基準に沿って、EU 域内では各国で削減目標を設定していますが、8%の目標を上回って削減する国は、ドイツやデンマーク等だけで、フランスやフィンランドでは、現状維持で、上限は設定されているが排出量を1990 年よりも増加させることが認められている国は、スウェーデン、スペイン、ポルトガル等です。
一方、現行の政策でこのままで行くと将来達成できると見られているのは、ドイツ、スウェーデン、英国の3 ヵ国であり、フランスとイタリアは追加措置が必要で、スペインの場合は、目標達成はほぼ絶望的であるといわれています。
では、提案国である日本ではどうでしょうか。1997年に採択された京都議定書において、日本は 6 %の温室効果ガス削減を約束しました。しかし、2005年の温室効果ガス排出量は、京都議定書の基準年(1990年)よりも8.1%増加しており、このままでは目標達成は困難であることが示されています。
日本は世界第5位のCO2排出国であり、また人口一人当たりの排出量も途上国の数倍あります。しかも、日本は高い技術力を持った先進国として、温暖化対策の中で大きな役割を果たすことが期待されています。温暖化の防止は、必ずしも経済成長の犠牲を伴なうものではありません。ヨーロッパではすでに二酸化炭素の排出を削減しながら、プラスの経済成長を続けている国もあります。「制度を整え、国全体が積極的な姿勢に転じれば、日本も温暖化の防止と経済成長の両立を、実現することが、必ずできるでしょう」と提案されています。
1国の問題ではなく、世界的視野の中での社会のあり方が、いろいろな分野から問われています。
投稿者 fujimori : 23:25 | コメント (4)
2008年12月01日 [近頃思うこと]
太郎
現在、人気のある名前ベストテンは女の子では、「優那」「優奈」「葵」「陽菜」「凛」「愛」「美咲」「さくら」「遥」「楓」です。男の子では、「翔太」「翔」「蓮」「陸」「奏太」「翼」「颯太」「大翔」「大輝」「悠斗」です。これは、漢字で書く場合であり、読み方になるとまた違ってきます。漢字では、よくある名前のように見えても、最近は読み方が様々な場合があります。また、時代を反映して、そのときにはやったテレビやドラマの主人公や、皇室の方の名前なども影響するようです。
ちなみにアメリカではどうでしょうか。2007年のベストテンでは、男の子は、「Jacob」「Michael」「Ethan」「Joshua」「Daniel」「Christopher」「Anthony」「William」「Matthew」「Andrew」です。女の子のベストテンは、「Emily」「Isabella」「Emma」「Ava」「Madison」「Sophia」「Olivia」「Abigail」「Hannah」「Elizabeth」です。それ程突拍子もない名前は無いようです。それは、たぶん国民にキリスト教が根底になるからで、それにちなんだ名前が多いようです。
かつて、名前にはその子に対する願いをこめました。また、兄弟が多かったので、誰にでもわかるように、その兄弟の何番目かというように、番号を振るという意識で名前を割り振ったりしました。順番を表す名前の代表が、「一郎」でしょう。しかし、野球の選手の「イチロウ」ではありませんが、この名前は必ずしも長男ではないようです。その中で、日本の名前で男の子の代表的なもので、必ず長男にしかつけない名前に「太郎」があります。なぜ、太郎が長男を表すようになったのでしょう。
「大」という字は、「人」が天地の境である「一」に頭を飛び出させた字です。そして、大きくなるのです。そして、その両方に広げた足のあいだにある「ヽ」は、正しい道を進むための杖を表しています。「天命を受け、力強く、心身共に正しい道を歩むもの」として、「男は太郎たれ」といわれ、家を継ぐ長男に付けられてきた名前です。
浮川さんが、学生時代家庭教師をしていた受け持ちの中学生が病死をします。その子の名前が「太朗」でした。その「太郎」という名前は、日本の男の子の代表的な名前であることや、「太郎よ、日本一になれ」という思いを込めて、ジャストシステムの社長になった浮川さんは、後に看板製品になる日本語ワープロソフトに「一太郎」という名前をつけたのです。
女の子の日本の代表名名前といえば、花子でしょう。花とは真理の闇(不条理)に悩みながらも苦労を受けて立つ精進努力を表していると解釈されているものがあります。そうすれば、いずれは開花し、幸せが訪れるといわれています。ジャストシステムは、統合グラフィックソフトには、「花子」という名前をつけています。
今、「太郎」と「一郎」が世間を騒がし、先日は両雄対決が行われました。その内容は、天から導かれた天命によって、正しい道を探って行こうという姿勢には程遠いものでした。日本の伝統ある名前を持っているのですから、もっと、日本を代表するにはじない発言をしてもらいたいものです。