就学前

以前のブログで、世界の教育の取り組みを書きましたが、ネットの世界ではかつてはなかなか知りようが無いような情報が手に入るようになりました。地球の裏側の情報でも、隣の人から話を聞くように身近かになりました。それは、逆に悪用もできますが、結局は使う人の倫理の問題でしょう。
 最近、私はよくテレビの功罪の話をします。テレビ視聴が長いほど、子どもの言葉の遅れが見られるという調査結果があります。ですから、アメリカでは、2歳位までテレビを禁止している州があります。しかし、テレビが言葉の遅れをもたらすというと、テレビという家電が何か電波を出して声帯を壊しているかというと、そうではありません。その存在自体がいけないのではないのです。テレビを見ることによって、会話がなくなるからです。また、テレビからの一方的な情報をただ受け取るだけで、相互作用がないからです。要するに、テレビの使い方によるのです。
これは、ネットの世界でもいえることです。パソコン、ネットがいけないのではなく、その使い方に気をつけなければいけないということです。
マックフェイル佐奈絵さんというオーストラリア人と結婚された方が、毎日JPの中で、オーストラリアのクイーンズランド州が去年からスタートした幼児教育制度について報告しています。
オーストラリアでは、幼稚園の年長組は、小学校の前の年なので義務教育ではありませんが、州の制度では、限りなく公立学校に近いそうです。この年長組みは、プレップと呼ばれていますが、ここの目的は早期教育で、プレップに通った子どもたちがスムーズに小学校1年生の教育課程に移行できるように仕組まれています。
 プレップでは、学期の初めに毎日学校に着くと自分の名前を書くことに始まります。そのうちに、好きな色に名前を書いたり、簡単なクイズに答えるなど応用が広がっていきます。また、個々にスケッチブックが与えられ、毎日好きな絵を描く時間があり、そこにも名前を書き、日付のスタンプを押すなど、1日の生活の中のそこここに学ぶ要素が組み込まれています。
 また、数の感覚を養うためには、最初の日から100日までを毎日数え、100日目を祝うために100個の小さなものを家庭から持参するというものなどのおもしろい企画もあるそうです。
 最近の例では、週に1回、1児童の保護者が人数分のスナックを教室に持参します。そして、その子どもは食べ物を配ります。その他の子どもたちは、1人ずつ食べ物をとりにくる際に、20セント(20円弱)を支払いますが(このお金は来年のプレップに何かひとつ役に立つものを残すために使われる)、お金に代わる紙に支払い済みのしるしと日付をつけてもらいます。この役も、毎回違う子どもが行います。子どもたちは、順番札を持っているのでバンク係の子どもに呼ばれると食べ物をもらいに来ることができるのです。この遊びによって、数や順番の感覚、いろいろな食べ物の経験などが期待できるようです。
 就学前教育は、今、各国の課題です。ただ、学校教育の先取りではなく、学校教育に入ってから伸びていく力を、幼児期にどのような力として育て、どのような体験をさせていくべきかを考える必要があります。

就学前” への5件のコメント

  1. テレビ自体が悪いわけではないとはっきりいう人がもっと出てくると、ほっとする親は多いのではないでしょうか。「子どもにテレビはよくない」と主張する人は、テレビをどのように利用するのが子どもにはよくないのかをきちんと説明する必要があると思います。結局は使い方、人の問題ですね。
    プレップの取り組みはいろいろ工夫されていますね。内容もそうですが、州として就学前教育に取り組んでいる姿勢が大事なところではないでしょうか。就学前にどんな経験が必要か、日本でももっと議論は必要だと思います。

  2. そういえば、藤森先生の以前のブログ(2006年9月6日)に、日本の子供たちは算数の文章題が苦手というお話がありました。今、それを読み返したんですが、『文章題が苦手な子は、文を実体験と結びつけないで、数式に当てはめようとする子どもに多いのです』とあります。ここでいう実体験とは、まさしく今日のブログのオーストラリアのプレップのような幼児期の体験型学習ですね。幼稚園での生活体験がそのまま国語や算数の力を下支えしているんですね。あの「算数のはじまり・国語のはじまり」の世界を連想させます。世界の幼児教育の大勢は、間違いなくこのプレップのような教育を志向しています。知識注入型の早期教育は改めるべきですね。

  3.  ブログに書かれている、テレビのせいで子どもの言葉の発達が遅れるというお話しを先生からお聞きしました。それと同様に読み聞かせも良くない理由を言われていましたが、そのお話しを聞いて、子どもに「本を読んで!」と言われると戸惑ってしまう自分がいました(笑)冷静に考えれば、子どもに話しかけながら本を読めば良いのですが…。
     プレップのような数字の教育方法が子どもにとって一番身に入りやすいのかもしれません。数字や文字にしろ、身近な体験から学ぶ事ができることが就学前教育として一番の方法のような気がします。保育にしても日本はまだまだ見直すところがたくさんあると思いました。

  4. 今日のブログで紹介されたオーストラリア・プレップでの取り組みは参考になります。文字がコミュニケーションの手段として獲得される一方、数は論理的思考力を培うことに役立ちます。100までの数を習得するために「100日」という日数を使ったり、また「100個の小さなもの」を家庭から持参して個数の概念と結びつけたり、とても良い工夫をしているなと感心しました。スナック菓子を持参し売り、売ったお金で来年のプレップに役立つものを購入する、という発想もいい。貢献する、ということが保障されています。日本の保育園や幼稚園は年案・期案・月案を先生たちが作成しますが、どうせ作成するのなら、今日のブログで取り上げられた取り組みのようなものを盛り込んで作ってほしいものです。

  5. 「存在自体がいけないのではない」という言葉を聞いて、世の中にあるものすべてに言えることでもあるのかなとも感じます。その存在するものを、どのように使うかが問題であるのですね。子どもという実に柔軟で吸収率の高い存在にとって、何を与え何を感じさせるかというのは、大人の責任であるように、それが他国によっても様々なことは想像できます。しかし、物の使用の仕方というものを統一するというのは難しいでのしょうね。根本・最低限・基本というものを理解することが望ましいことが理解できます。そして、「100日目を祝うために100個の小さなものを家庭から持参する」という試みは面白いなと思いました。散歩にいった際に、小さなものを一つずつ集め、100という数を理解する遊びにもできますね。

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