オオカミが集団で生活するうえで、「パック」と呼ばれる群れの中で、オスメスそれぞれに順位が存在し、順位が上のものにはきちんと従い、群れの仲間を大切にするということで統率が取れています。渡辺千賀さんのレポートでは、「ミーアキャット」という、カラハリ砂漠に住む、体長20センチほどのイタチのような外見で、後ろ足ですっくと伸び上がって立っている姿が有名な動物を取り上げています。
「固い絆を持った家族が一団となって、集団で眠り、集団でえさ探しをする。 砂漠の夜は厳しく、重なり合って寝ることで暖を取る必要がある。 また、えさは土の中にすむ虫で、ひたすら穴を掘らないとえさに巡り会えない。 しかし、地中に頭を突っ込むようにして必死に掘っていると、ミーアキャットの天敵の猛禽類に頭上から襲われてしまう。 そこで、えさ探しは必ず集団で行い、一匹が見張りをする。 見張りは二本足で立って辺りをうかがい、天敵の姿が見えたら警告を発する。
ミーアキャットの集団の掟は厳しく、一匹のリーダーに全員が絶対服従する。 リーダーに嫌われたものは、群れの他の仲間からも激しいいじめを受け、群れから追い出されてしまう。 単独では厳しいカラハリ砂漠を生き残ることができないので、追い出されたミーアキャットは、群れから少し離れたところで群れを見続け、ひたすらリーダーの怒りが解けるのを待つ。(中には、他の群れに忍び込もうとするものもいるが。)
ミーアキャットはこうして何世代も何世代も、「群れから外れたら死んでしまう」 という環境の中で過ごし、集団行動のために最適化された社会性を生み出した訳だ。 その中では、「自分の群れ」を離れることは恐ろしいことであり、独立は死を意味する。」
人間はどうでしょうか。私は、人間も一人では生きていけない動物であり、集団の中で、様々なルールが存在します。渡辺さんのレポートでは、この「自分の属する集団を出たら生きていけないかも」という「当然のこと」を無視して、敢えてわざわざ海の向こうの知らない国に出て行って、そこに住もうと思った人たちが集まっているのがシリコンバレーであるといっていますが、私は少し見解が違います。それは、集団の捉え方が、違っていると思うからです。ミーアキャットが、なぜ集団を構成することが必要かというと、餌探しをみんなでしてしまうと、敵に襲われる危険があるので、見張リ役が必要だからです。それぞれ役割があり、ひとりではその役目は果たすことが出来ないからです。集団というのは、みんな同じことをするためではなく、それぞれがそれぞれの役目をすることが社会を構成するということです。ですから、例えば、シリコンバレーに行くのは、集団を離れるのではなく、自分の役目を果たすために、自分を生かす場所で活動するためです。いくら、国内にいても、自分の役割が見つけられず、自分ながらの生き方が出来なければ、集団から離れたことになるのです。
少子社会になると、この集団を構成するための特性が子どもたちの中で育ちにくくなってきている気がします。お互いを尊重し、他のものに対して共感する心を持ち、ともに生きていこうとする心は集団の中で育っていきます。道徳の授業の中で教わることではないと思います。
『国内にいても、自分の役割が見つけられず、自分ながらの生き方ができなければ、集団から離れたことになる』ーこの言葉にはとても深い意味が含まれているように思います。近年、通り魔的に事件を犯す連中は、社会の中での自分の役割を見つけることができない腹いせに、犯罪を起こしているような気がします。「自分」探しの果てに、事件の犯人になることで存在証明するとはなんとも始末の悪い話です。彼らに、いくら「命の大切さ」を説いても無駄でしょうね。なんで、そんな人間ができてしまったのか、幼児期までさかのぼって、家庭や地域や保育環境まで調べて検証してほしいものです。
渡辺千賀さんのレポートを読んでなるほどと思い、藤森先生の見解を読んで、またなるほどと思いました。自分の考えをきちんともっていないと、人の考えを聞いたときそこから自分はどう思うかと考えを進めていくことができません。自分の考えをもっと鍛えないといけないと思いました。
一人ひとりに役目があり、それを生かす場所で活動する。この考え方が大事なんですよね。それぞれの役目を比べてみたり優劣をつけたりといったことは意味がないと思います。自分の役目、自分の生き方を見つけることが大切なんでしょう。
私は高校、大学と部活動で団体行動を取ってきました。もちろんルールもありました。時々、そのルールに反して行動をとる人がいると、チームの士気が急に下がり周りに迷惑をかけたりなど色々ありましたが、ミーアキャットほど仲間はずれはありませんでした。やはり生き抜く為の動物間でのルールは、生死が関わる分厳しいのですね。ミーアキャットの集団は、それぞれが違った重要な役目があるということは藤森先生の言われるチーム保育ということと同じですね。そして集団を構成するための特性というのは確かに授業で学ぶことではないですね。それは子どもが実際に集団を体験して学ぶことだと思いました。
「集団を離れるのではなく、自分の役目を果たすために、自分を生かす場所で活動するため」という藤森先生の見解はその通りだと思います。そして「国内にいても、自分の役割が見つけられず、自分ながらの生き方が出来なければ、集団から離れたことになるのです」ということにも同感です。自分が生れた町と東京との間を行ったり来たりしていると先生の仰ることの意味がよくわかります。また海外に出かけてよくわかることは「お互いを尊重し、他のものに対して共感する心を持ち、ともに生きていこうとする心」を持っている人々が集団を形成しているということです。個が集団に働きかけ、そしてその集団を通して個が深く形成されます。個と集団との相互形成作用の大切さは集団を意識しなければ感得できないことだと思っています。個と集団という一見相矛盾する両者についてそれぞれの役割を介してもっともっと考える必要があるような気がします。