記憶

 子どもと付き合っていると、子どもというのは、不思議な存在だなあと思うところが随所にあります。しかも、そのほとんどが、本人が意識していない場合です。
 どこかに出かけるときに、朝あわただしく支度をして、さあ、出かけようと思ったとたんにオムツにウンチをしてしまうとか、車に乗り込もうとすると「トイレ!」と言い出す始末です。また、長い間念願だった旅行の計画の前日に子どもが熱を出したり、感染症にかかったりしてしまいます。
 子どもとの親子関係での付き合いの中で、私がいくつかのポイントをあげました。「子どもは、何かものを与えれば喜ぶのではなく、気持ちをわかってもらうことを望んでいます。」「子どもは、自分のために親が犠牲になることを望むのではなく、子どもから望んだときに、自分が優先順位の高いことを望みます。」(やってあげる育児から見守る育児へ 学研)
子どもは、このようなことを親に望み、定期的にそれを試そうとしている気がしてなりません。「自分の気持ちをわかってくれているだろうか、自分が親の意識の中で優先順位が高いのであろうか」ということを、保護者の選択から感じようとします。ですから、究極の選択を迫るのです。
 もうひとつ、こんなことが言えるようです。それは、その前のあわただしさから、子どもが精神的に疲れている可能性が大きいといえます。私たちの身の回りには、さまざまな細菌やウイルスがうじゃうじゃいます。たとえば、風邪のウイルスは200種以上あるといわれています。私は、昨日インフルエンザの予防注射を昨日しましたが、これが効くかどうかは当てにならないようです。というのも、その中のある種にしか効かないからです。それよりも、本当は効果的なのは、細菌やウイルスの感染を繰り返すうちに、自分自身に免疫力を着けることです。しかし、乳幼児では、まだ抵抗力を持っていません。ですから、出かける間際に限って、かかるわけではないのです。普段と、数値的には変わらないといいます。
 しかし、なぜか大事なときの前に限って病気になる気がします。それは、どうも記憶の問題のようです。榊原洋一先生が「大人が知らない子どもの体の不思議」(講談社)の本の中で、こう説明しています。
 「記憶を大きく二つに分けると、長期記憶と短期記憶があります。今日の朝食のメニューは思い出せても、三年前の同月曜日の朝食の内容は、日誌でも付けていなければ思い出せません。今日の朝食だって、何日か経つとすっかり忘れてしまいます。それは朝食の内容についての記憶が短期記憶だからです。しかし、たとえば自分の結婚式のメニューは、何年前のことでも思い出せるかもしれません。それは、結婚式という人生の特別イベントであるために、メニューが長期記憶として定着しているからです。だから、3年前の朝食のメニューであっても、それが何か長期記憶に刻まれるような特別の日の朝食であれば、思い出せるということになります。」
 何が長期記憶として定着するかは、その日が特別な日であったり、印象深い日であるかによるのです。子どもにとって、いやな記憶を長期記憶として定着しないように気をつけなければなりませんね。

記憶” への5件のコメント

  1. せっかく藤森先生が毎日貴重な時間を割いて、ブログを書いていただいているのですから、読むだけでなくしっかり記憶にとどめておきたいですね。私は、その日のブログをプリントアウトして、大事なところには印をしたり、連想した言葉を添えておくようにしています。ブログの情報を自分なりに咀嚼する作業が大事ですね。そうしないと、長期記憶に入らないようです。今日のお話のポイントは、こどものいろんな行動の意味を理解することが大事だということですね。でも、今の大人たちは、これがどうも苦手になっているようです。お茶の水女子大の本田和子先生は、公園や学校から賑やかな子供たちの声が消えたことを通して、現代の大人は極端に「子供嫌い」になっていると言います。生まれた子供には、彼らなりの成長の難しさがあり、現代社会で子育てする大人には、以前と異なる子供への理解と支援の方法が必要だと結論づけておられます。直接、親と接する保育園の果たす役割は大きいですね。

  2. 自分の記憶をたどってみると、嫌な思い出に関してはそのときの細かい風景まで良く覚えています。今でもよく頭に浮かんできます。長期記憶は楽しくうれしいものがいいですね。気をつけなければいけません。
    子どもの存在は本当に不思議です。ウンチとか病気とか、またそうなるんじゃないかと思うことが本当にその通りになることが多いです。保護者が試されているというのは同感です。子育ては、その他のことも同じかもしれませんが、自分自身と向き合ったり、そこに関わる人の関係を問い続けることかもしれません。そんな風に考えさせてくれる子どもの存在はありがたいと思っています。

  3.  私も子どものときは家族で旅行や出かけるときに、トイレや急に体調を崩したりなどで親を試していたことがあるのか気になります。機会があれば親にこのブログを読んで、どうだったか?聞いてみようと思います。
     確かに数日前の朝食は覚えていませんが、数年前に高級なホテルで泊まったときの朝食ははっきりと覚えています。それと同様に、小学校の時に先生に怒られた嫌な記憶もはっきりと覚えています。結局それがトラウマになり嫌な記憶と同じような状況に直面すると急に暴れたり、興奮状態に陥ったりするのかな、と思います。先生の言われる通り、せめて子どもの時だけでも、いやな長期記憶は残したくないですね。

  4. 子どもが「自分の気持ちをわかってもらうことを望んで」いたり「子どもから望んだときに、自分が優先順位の高いことを」望んでいたりする。親となって子育てに夢中になっているとついつい忘れてしまうことですが、自分が子どもだった頃の記憶を辿るとナルホドと思えてきます。今日のブログのタイトルが「記憶」ですが、大人になって思うことは、子どもの頃の思いを記憶していれば、この世の中、もう少しマトモになるのでは、ということです。自分の子ども時代に願っていたり希望したりしていたことに素直に心の耳を傾けるならば目の前にいる子どもの中にかつての自分を見出すことができ、怒ったり叱ったりせずにすむような気がします。子どもの頃の記憶を私たち大人はもっと大切にして「現在を最もよく生きる」子どもたちを支えていかなければ、と今日のブログを読みながら思いました。

  5. よく、数十年前の自慢話しをしている人を見かけると、よくそんな鮮明に覚えているなぁと感じます。それは、人は自分に都合の良いことは長期記憶フォルダにしまっているのだなと思っていましたが、ある種の生存戦略でもあるのかもしれません。自分にとって不快で嫌な感情の記憶を長期的に保管しているほど苦しいものはありません。それが自分に未来に必要とされないと思ったら残そうとは思いません。それが戒めとして、過ちを繰り返さないようにしていることもあるとは思いますが、それが優先的であっては辛いですね。記憶とは、未来への活力であるのだと信じて、子どもたちが生きることを楽しいと思える現在にしなくてはいけませんね。

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