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2008年11月30日 [近頃思うこと]
0から700
今日は、1日中大騒ぎだったのが、「0系」とのお別れでしょう。園で子どもたちが将来何になりたいかというと、「700系の運転手」といいますし、東京では、最近は「N700系の運転手」と答えます。私の息子が子どものころは、「新幹線の運転手」と答えましたし、私の子どものころは、「電車の運転手」と答えたものでした。
「運転手は君だ 車掌は僕だ あとの四人は 電車のお客 お乗りはお早く 動きますちんちん」電車ごっこの歌を思い出して、歌ってみたら、この電車は、最後に「チンチン」というので、どうもチンチン電車と呼ばれていた都電のようです。2番は、「運転手は上手 電車は早い つぎはぼくらの学校前だ お降りはお早く 動きます ちんちん」(「新訂尋常小学校唱歌(一)」昭和7年)でしたが、どうも井上赳氏が作詞した当時は、「つぎはぼくらの学校前だ」だったのが、昭和16年に、具体の地名からより一般的な学校前に改正されたそうです。
それにしても、この都電でさえ「電車は速い」ですから、新幹線の速さは想像できなかったでしょうね。「ビュワーン ビュワーン 走る 青いひかりの 超特急 時速250キロ すべるようだな 走る ビュワーン ビュワーン ビュワーン 走る」これは、私の好きな作家の山中恒作詞の「はしれ超特急」です。この車体は2番に出てきます。「まるいひかりの ボンネット 時速250キロ とんでくようだな 走る」
初代新幹線0系は、その先端が「団子っ鼻」で知られていましたが、当時は、「旅客機を思わせる先頭部……」といわれ、最先端のデザインだった新幹線が、今日、44年の歴史に幕を下ろします。東京オリンピックを9日後に控えて開業した東海道新幹線。慣らし運転の1年間は東京―新大阪間を当時では世界最速の時速210キロ、4時間で結んだ。開業日は東京から「ひかり1号」、新大阪から「ひかり2号」が出発したというニュースが、1964年10月1日に流れました。まさに、私の年代である団塊の世代の象徴でした。私は少しの違いで乗ることはできませんでしたが、3歳下の弟は、関西への修学旅行は新幹線で行きました。
当時のことを、この「だんご鼻」の先端をハンマー一本で打ち出した生みの親の一人である山下清登さんが、こう語っています。「時間がない。君に任せる。なんとか試作車を作ってくれ」東京五輪を3年後に控え、東海道新幹線の開業準備が急ピッチで進んでいた1961年秋、笠戸事業所で列車の板金工だった26歳の山下さんは、思わぬ相談を持ちかけられた。国鉄から届いた先頭車両のデザイン画を手にして絶句した。飛行機を思わせる流線型。従来の「かまぼこ型」とは訳が違う。「時速200キロを超える乗り物の板金法なんて誰も知らなかった」。他の4人の板金工はほとんどが10代。プラスチック製の先頭部に続く、なめらかな曲線が打ち出せず、木型に鉄板を何度も合わせ、試行錯誤を繰り返した。効率的に作業ができるよう鉄板を切り分けて打ち出し、後で溶接する方法をとった。打ち出し方にも工夫を重ね、夜遅くまでハンマーを振り続けた。
この先頭車前面には「ひかり前頭装置」と呼ばれる丸いプラスチックカバーが装着され、中には非常用の連結器が納められています。これらの職人の技術は、次世代への連結部かもしれません。
投稿者 fujimori : 20:54 | コメント (4)
2008年11月29日 [近頃思うこと]
日薬
先日、とてもいい言葉に出会いました。その言葉は、「日薬」という言葉です。「病気を治すために時の力が必要です」というような意味です。今の時代は、とても忙しく、病気になると早く直そうとします。熱が出ると「解熱剤」を飲み、熱を早く下げようとします。吐き気がすると、吐き気止めを飲もうとします。咳が出ると咳止めを飲もうとします。よほど辛いときは、仕方ありませんが、むやみに、すぐに使うことは慎重にしたほうがいいようです。というのも、熱が出るのは、熱によって体内に入った細菌やウイルスをやっつけようとするためですので、それを、体力や栄養で応援するべきなのです。また、嘔吐も、咳も、よくないものを体外に出すためにすることなのです。
「動物は怪我をしたり、病気になると、治るまで、傷口を舐めたりしてじっと巣の中にこもっている」というように、一番の治療は、ゆっくりと時間をかけて休息することなのです。かなり多くの病や不調は、特に何もしなくても、自然と治ってしまうことがあります。人間の自然治癒力というのは不思議なものです。特に、これからかかる風邪は、薬を飲むより、温かくして寝ていれば、大抵治ってしまいます。もちろん、違う大きな病気であることもあるので、そのときには医者に見せることも必要ですが、市販の風邪薬は、風邪を治すことはしないようです。一般的な市販の風邪薬は熱を下げたり、鼻水を抑えたり、咳を和らげたりといったそれぞれの症状を軽くするだけで、ウイルスや細菌を殺し、「風邪」という病気そのものを治癒するわけではないそうです。
江戸時代に貝原益軒が書いた「養生訓」は、彼の著書のうちで最もよく読まれたものです。この中に、このように書かれた部分があります。
巻第一の「養生の道を守る」にはこうあります。君子といわれる昔の偉い人たちは、適度な運動や精神の静養を行って、病にかからないようにしていまし。病気になってから薬を飲むのは、自分の体を痛めて病気をなおすことなので自分の体にいいわけはありません。それは、国を治めることと同じで、国の治安が悪くなってから武力で鎮圧するのではなく、普段から治安をよくするように心がけていれば、国民はいつも気持ちよく生活をすることができるので乱も発生せず、国を治める君子も国民から尊敬されることになるのです。
巻第六の「あせらず自然に」では、病気を早く治そうと無理をすると、治る病気も治らず、あくまで自然に治るのが一番だといっています。病気だけでなく、全てのことも、あわてると、よくないのです。このことが「日薬」ということなのです。
薬を飲むときの注意を、巻第七に書かれてあります。人は、病気にかかることもあり、そんなときには医者を呼んで治療を求めます。そのときの医者には、上中下の3種があるといっています。上の医者は知識と技術を持っており、これによって病気を治療します。そういう医者は、この世界の宝であり、その功績は宰相につぐものだとまで貝原は言っています。中の医者は、知識や技術では上医におよびませんが、薬をむやみに使用することがいけないことは知っています。ですから、病気にあわない薬を投薬することはありません。そして、自分の知らない病気に対しては、治療をしません。それが、下の医者になると、知識も技術も持っていず、むやみに薬を使い、誤診することが多いのです。病気にかかったときは、すぐに治療して楽になりたいと思いますが、医者の善し悪しを考えずに治療を受けると、逆に悪くなることがあるので、かえって自然に治るのを待つ方がいいこともあるといっています。
他の巻にこうあります。「病気の害よりも薬の害のほうが大きくなってしまう。薬を用いないで、慎重に養生すれば薬の害を受けずにすみ、病気も早く治るであろう。」もっと、日薬を使うべきかもしれません。
投稿者 fujimori : 21:55 | コメント (5)
2008年11月28日 [新聞記事より]
残業
厚労省は、28日に開いた労働政策審議会(厚労相の諮問機関)の分科会に「子育てで残業免除」を正式に提示したというニュースが新聞に掲載されていました。3歳未満の子どもを持つ労働者が子育てしやすいよう短時間勤務制の導入を企業に義務付けることや残業の免除を労働者の権利とすることなどが柱です。これは、仕事と子育ての両立を狙うもので、年末までに細かい制度内容を詰める予定のようです。
また、全国の労働局で22日に実施した無料電話相談の結果では、相談件数は計879件で前年比7.5%増加しており、内容はサービス残業に関するものが400件で最も多く、次いで長時間労働が320件だったようです。
そういえば、今年の5月に、「名ばかり管理職」ということが問題になりました。それは、管理職という定義は、会社の中で、従業員を監督したり、経営者と一緒になって会社全体の方針を決めたりする立場にある人のことをいいます。会社でいうと、課長や部長、取締役といった人たちが管理職とされることが多いようです。ですから従業員に比べて、どちらかというと、経営者側になります。従業員は、働く時間や休日、給料などの労働条件は労働基準法という法律で定められています。そして、経営者は、この時間を超えて従業員を働かせる場合には、会社は残業代を支払わなければなりません。しかし、管理職には、この法律は適用されません。当然、残業代はもらえません。その代わり、給料が高く、自分の判断で仕事の計画などを決めることが認められています。
このときに問題になったのは、給料も権限も、ほとんど一般の従業員と変わらないのに管理職扱いされて、残業代をもらえなかったり、逆に不利益を被っていると訴える人たちが増えているということでした。残業という仕事形態はいろいろなところで問題が起きます。外国ではどうなのでしょうか。また、逆に残業代を収入の一部に生活を組み立てている人も多く、簡単に少なくすればよいということでもなさそうです。
しかし、今回の厚労省の提示のように、少なくとも、子育て中の人には、残業をさせないで欲しいと思います。それが3歳まででよいのかなど議論の余地はありますが、中小企業では大変かもしれませんし、従業員にしても申請しにくい雰囲気があるような気がしますので、義務にしないと無理かもしれません。
どんな従業員に残業が多いかという調査を何年か前に、Tech総研(株式会社リクルートが提供する、エンジニア向けのポータルサイト)が行っていました。その結果を総括してみると、こんな結果が出ています。
残業時間の最も少ないエンジニアは、技術職の同僚はもちろん部署内の女性社員とも仲がよい人でした。また、社内の部下とは良好な関係を築き、社外の部下とはビジネスライクなつき合いのできる人です。そして、上司と非常に仲がよく、もしくは非常に仲が悪く、スキルの低い人だという結果でした。この結果の分析はわかりませんが、実際の数字ではこのように出たそうです。
急に残業をさせるなというのは無理があるかもしれませんが、子育て中の従業員(男女とも)には残業をさせないような作業計画を最初から立てるべきでしょう。それが、当然な考え方になる社会が、成熟した社会なのでしょう。
投稿者 fujimori : 22:21 | コメント (4)
2008年11月27日 [近頃思うこと]
就学前
以前のブログで、世界の教育の取り組みを書きましたが、ネットの世界ではかつてはなかなか知りようが無いような情報が手に入るようになりました。地球の裏側の情報でも、隣の人から話を聞くように身近かになりました。それは、逆に悪用もできますが、結局は使う人の倫理の問題でしょう。
最近、私はよくテレビの功罪の話をします。テレビ視聴が長いほど、子どもの言葉の遅れが見られるという調査結果があります。ですから、アメリカでは、2歳位までテレビを禁止している州があります。しかし、テレビが言葉の遅れをもたらすというと、テレビという家電が何か電波を出して声帯を壊しているかというと、そうではありません。その存在自体がいけないのではないのです。テレビを見ることによって、会話がなくなるからです。また、テレビからの一方的な情報をただ受け取るだけで、相互作用がないからです。要するに、テレビの使い方によるのです。
これは、ネットの世界でもいえることです。パソコン、ネットがいけないのではなく、その使い方に気をつけなければいけないということです。
マックフェイル佐奈絵さんというオーストラリア人と結婚された方が、毎日JPの中で、オーストラリアのクイーンズランド州が去年からスタートした幼児教育制度について報告しています。
オーストラリアでは、幼稚園の年長組は、小学校の前の年なので義務教育ではありませんが、州の制度では、限りなく公立学校に近いそうです。この年長組みは、プレップと呼ばれていますが、ここの目的は早期教育で、プレップに通った子どもたちがスムーズに小学校1年生の教育課程に移行できるように仕組まれています。
プレップでは、学期の初めに毎日学校に着くと自分の名前を書くことに始まります。そのうちに、好きな色に名前を書いたり、簡単なクイズに答えるなど応用が広がっていきます。また、個々にスケッチブックが与えられ、毎日好きな絵を描く時間があり、そこにも名前を書き、日付のスタンプを押すなど、1日の生活の中のそこここに学ぶ要素が組み込まれています。
また、数の感覚を養うためには、最初の日から100日までを毎日数え、100日目を祝うために100個の小さなものを家庭から持参するというものなどのおもしろい企画もあるそうです。
最近の例では、週に1回、1児童の保護者が人数分のスナックを教室に持参します。そして、その子どもは食べ物を配ります。その他の子どもたちは、1人ずつ食べ物をとりにくる際に、20セント(20円弱)を支払いますが(このお金は来年のプレップに何かひとつ役に立つものを残すために使われる)、お金に代わる紙に支払い済みのしるしと日付をつけてもらいます。この役も、毎回違う子どもが行います。子どもたちは、順番札を持っているのでバンク係の子どもに呼ばれると食べ物をもらいに来ることができるのです。この遊びによって、数や順番の感覚、いろいろな食べ物の経験などが期待できるようです。
就学前教育は、今、各国の課題です。ただ、学校教育の先取りではなく、学校教育に入ってから伸びていく力を、幼児期にどのような力として育て、どのような体験をさせていくべきかを考える必要があります。
投稿者 fujimori : 23:49 | コメント (4)
2008年11月26日 [映画]
ボンド
映画ニュースで、ショーン・コネリー、ロジャー・ムーア、ピアース・ブロスナンなどがジェームズ・ボンドを演じた007シリーズの22作目にあたる映画「007/クォンタム・オブ・ソラス」の製作発表会見が行われたことが流れていました。ボンド役は、前作と同じダニエル・クレイグだそうです。また22代目ボンドガールに、新人女優のジェマ・アータートンとオルガ・キュリレンコが抜てきされています。
今年は、ボンドシリーズの原作者であるイアン・フレミングの生誕100周年という記念の年です。フレミングは1908年ロンドンに生まれ、自分でも実際に1939年から007も所属するMI6に勤務し、第二次世界大戦中には安全保障調整局のスパイとして活動したそうです。ですから、彼の作品の007シリーズは、それまでの経験から書かれています。シリーズ第1作は、「カジノ・ロワイヤル」で、1964年に遺作となったとなったのは、「黄金の銃をもつ男」です。彼の死後、このシリーズは、公認されたジョン・ガードナーが2代目、更にレイモンド・ベンスンが3代目のボンド作家として書き継いでいます。そのほかの彼の作品には、絵本「チキチキバンバン」があります。この作品はミュージカル映画になっていますが、007シリーズにでも出てきそうな仕掛けのいっぱいある自動車が登場します。
私は、中学生の頃、東京創元社から出版された「カジノ・ロワイヤル 秘密情報部〇〇七号」を夢中になって読み、そのあと早川書房と交互に続々出されたフレミング原作の007シリーズは全部読みました。
そのあと、ジェームズ・ボンド役をショーン・コネリーが演じた映画が公開されます。「007」は原語で「ダブルオーセブン」ですが、映画では、第1作から第7作まで「ゼロゼロセブン」といわれています。この007シリーズの小説の映画化にあたって、最も映像化に向いているということで6作目の「ドクター・ノオ」が、テレンス・ヤング監督で映画化されたのが1962年でした。そのときのタイトルは、「007は殺しの番号」でした。この映画はとても安上がりに作ったのにもかかわらず、予想以上の大ヒットとなりました。
このときに主役を演じたショーン・コネリーは、フレミングからも不評だったようですが、原作のイメージに一番近いと私は思っています。といっても、他の俳優の作品は見ていないのでわかりませんが。私が見た映画で印象に残っている作品は二つあります。一つは、シリーズ第2作「007 ロシアより愛をこめて」です。この映画は、公開時の邦題は「007危機一発」でした。この中で、初めて色々な装備が施されている「アタッシュケース」が登場します。ほかにも、このシリーズの魅力は、毎回登場するボンドガールですが、この作品に登場したダニエラ・ビアンキには魅了され、その写真を持ち歩いているほどでした。
もう一つの作品は、日本を舞台にした第5作「007は二度死ぬ」です。ボンドガールは、若林映子と浜美枝でした。日本に始めて上陸するときに、「ボンドという名前は、日本では接着剤のことをいう」と聞かされたボンドは、日本語では変な意味でないことを知り安心する場面とか、丹波哲郎扮するドンと秘密の話しをするときに、部屋の周りの障子を全部開け放ち、「こうすれば、近づいてくる怪しい人がすぐにわかる」というせりふで、日本の逆転発想を知り、今でも、それを保育に生かしているほど、これらの映画から影響を受けました。
投稿者 fujimori : 23:50 | コメント (4)
2008年11月25日 [近頃思うこと]
ニッキ
職員と、お客からいただいたお菓子を食べようとしたときです。見たことのないお菓子だったので、私がまず食べてみました。私は、基本的には好き嫌いが全くないので、よくわからない食べ物は、まず食べてみます。周りにいた職員は、「どんな味ですか?」聞いたので、私は、「うーん、ニッキの味かな?」と答えました。すると、そこにいたほとんどの職員は、「ニッキって、なんですか?」と聞きます。以前のブログで書きましたが、今の若い人が「渋」を知らないように、若い人は、「ニッキ」を知らないようです。
私が「ニッキ」といってまず思い浮かべるのが「ニッキ飴」です。やはり若い人は知らないようです。「ほら、あのひし形で、茶色い粉がまぶしてある飴だよ」といってわからないので「今度買ってきてあげるから」といいました。最近のニッキ飴は、ひし形ではなく、いろいろな形をしているようです。また、川崎大師の飴をよくいただくのですが、その中にニッキ味のものもあります。そんなときに、京都土産の八ツ橋をいただきました。そこで、「この八ツ橋もニッキ味だよ!」とは言ったのですが、「それって、シナモンではないのですか?」と言われました。
確かに「シナモン」「カシア」「ニッキ」ともクスノキ科で、とても近い種類ですが、厳密に言うと、植物としての種類が少し違うようです。「シナモン」は、セイロンニッケイやシナニッケイの表皮をはがし、その内側のコルク層を薄く削り取り、何枚か重ねて丸めます。最もさわやかな香りで辛味はほとんどありません。それに比べると「カシア」は、コルク層を付けたまま丸めて乾燥させるので厚くなり、香りがかなり強く、日本で一番多く売られています。一方、「ニッキ」は、日本肉桂で、最近はあまり栽培されていないようです。樹皮の香りはあまり無く、根の皮に強い香りがありますので、最近は、シナニッケイの根からつくられるようです。京都の八ツ橋は、この材料を使っているので、正確に言うと、シナモンではなくニッキのようです。
シナモンは世界最古のスパイスの一つといわれ、紀元前4000年頃からエジプトでミイラの防腐剤として使われ出しました。日本には8世紀前半に伝来しており、正倉院の御物の中にもシナモンが残されています。しかし、樹木として日本に入ってきたのは江戸時代です。
香辛料としてのシナモンは、カプチーノ等の飲料や、アップルパイ、シナモンロールなどの洋菓子の香り付けに使われていますが、その成分には、防虫効果や香り付けだけでなく、様々な効果があります。シナモンやニッキ(肉桂)の最も主要な有効成分の1つはシンナミックアルデヒドで、抹消血管の拡張作用があり、血行を改善します。ですから、冷え性、肩こり、更年期障害などに効果があります。また、発汗作用、殺菌作用、健胃、整腸作用があり、初期の風邪にも効果があります。しかし、シナモンには、過剰摂取に対する注意が出されています。
これからの季節、シナモン・コーヒーでも飲んで、そのエキゾチックで芳ばしいシナモンの風味を味わってみてはどうでしょうか。グラニュー糖をあらかじめカップに入れておき、それに深煎りのコーヒーを抽出し、生クリームをホイップさせ、コーヒーを覆うように乗せます。そこに、スプレーチョコとシナモン粉を振り、真ん中にレモンの果皮を置き、シナモンスティックでかき回しながら飲むとよりいっそうおいしさが広がります。
投稿者 fujimori : 23:25 | コメント (4)
2008年11月24日 [近頃思うこと]
上司と部下
今週号のPRESIDENTのメインの特集は、「上位2割のリーダーVS下位2割に決定的な違い」です。そのはじめには、このようなことが書かれています。
「自分のチームの成果が上がらないのは、部下に恵まれていないからではないか。思うように結果が出ないと、このように部下に原因を求める人は多いかもしれない。ただ、隣の芝生は青く見えるもの。本当は部下の能力に大きな差は無く、上司自身の指導法やマネジメント能力、普段のコミュニケーションに問題がある可能性もある。」
これは、どんな世界でもいえることのような気がします。ブログでよく取り上げますが、旭川の「旭山動物園」の取り組みがあります。そのユニークな展示方法のアイデアが生み出されるのは、決してその才能を持った職員が揃っているわけではないのです。一時廃園を迫られるほど入場者が激減した園が、上野動物園に匹敵する入場者数を数えるようになったのは、何も職員が入れ替わったわけではなく、リーダーが入れ替わっただけです。
雑誌の特集では、デキる上司とデキない上司の特性をアンケートから考察しています。
「言われたことしかしない」と指示待ち部下に不満を感じるのは、できない上司のほうが多いようです。それは、「指示待ちの部下への不満は、わざわざ自分が指示しなくても自主的に動いて欲しいという期待の裏返し。ただ、それは自分が満足に指示を出していないことを棚に上げて、部下の自主性に頼る依存型の思考といえます。上司全体にこの傾向がありますが、デキない上司ほど顕著です。」と分析しています。
「自分のことを棚にあげて」というのは、政治家などに最近よく見られますね。このような人は本来、リーダーには向いていないような気がします。「自ら率先して」実行する人でないと、部下は心からついていこうとはしないでしょう。
意外な結果もあります。成果と人間関係のどちらを重視するかという問いに対して、「部下にプレッシャーをかけても成果を出す」を選んだデキる上司は、55.2%だったの対して、デキない上司では18.2%しかいませんでした。逆に「成果が下がっても部下との関係を保つ」と答えたデキる上司の44.8%に対して、デキない上司では81.1%もいました。デキない上司ほど人間関係重視という傾向が出ています。これについて、1950年代のマクレガーにより提唱された「成果と人間関係のバランスをとることが必要である」という理論から、最近では研究が進み、バランスより順序に焦点が当たっているといます。アメリカの研究では「目標を設定するときは厳しく、実行の段階では人間関係に配慮すると成果が上がりやすい」という結果が発表されています。
また、デキない部下がデキる部下を大きく上回ったのは、「自らの信念で動く」という答えだったそうです。一見、自主性があっていいように思えますが、「責任や権限を越えて勝手に動けば、やはり評価は下がります。自分の信念を貫こうとするエネルギーがあるなら、それを上司への説得に注ぐべきでしょう」と言っています。しかし、この部下時代はマイナス評価の「自分の信念で動く」は、上司になれば長所に代わります。部下時代はデキない部下ほど自分の信念で動く傾向が強いが、出世すると逆に優秀な上司ほど自分の信念で動く傾向が強まるといいます。
若い頃に真摯に学ぶ姿勢が、強い信念を作ることになるのでしょう。
投稿者 fujimori : 20:44 | コメント (4)
2008年11月23日 [近頃思うこと]
地域性
星の話が続いているので、ちょっと違う話題で一服。
人には、星の話が好きな人と、余り興味がない人がいます。いろいろな人と会うと、「ブログを読んでいます!」といわれることが多くなったのですが、どんな話題のときに読んでいるかというとそれぞれ違うようです。自然について書かれているとき、教育について書かれているとき、子どもについて書かれているとき、そして、星について書かれているときなど様々です。幸い、私はなんにでも興味があり、また、何でも見たり、調べたりすることが好きですので、新聞や雑誌に掲載されている記事を読むと、そのことについて考えることが多く、そこからの連想が湧いてきます。
人には、趣味が違うように、付き合うときにも相性というのがあるようです。どうもうまく行かないようなときには、とかく相手の性格や態度を責めてしまったりすることがありますが、実は、ただの性格や特性の違いであることが多く、どちらが悪いわけではないのです。その性格をよく取れば、相手がよく見えてくることがあります。今、職場ではそんなときに「個性心理学」と呼ばれている「動物占い」を見ることがあります。この心理の解説の特徴は、その性格を前向きに捉え、よく書いてある点です。物事には、裏表あります。同じ性格でも捉え方で長所になることが多いのです。
今週号の「PRESIDENT」には、面白い特集がいくつも組まれています。その中で、「県民性の法則で人付き合いの達人になる」というのがあります。相手の性格を見抜く手がかりの一つに、「出身地」の情報があるというのです。ただ、ここでいう出身地というのは、基本的に物心がつく思春期を過ごしていた地域をいいます。あちこち転勤して歩いている人は、一番記憶に残る地域を指します。その記事の中のよく言われる言葉が挙げられています。
「京都は過去に生き、東京は現代に生き、大阪は今日の夕方まで生きる」
「車の業界では、“新車は群馬で売れ”といわれてきた」
「山に囲まれた盆地の人は、おしなべて勤勉で几帳面」
「“俺も富山だ”“私も富山です”と最後まで残ったのは全員富山出身者だった」
「大阪弁をしゃべる必要はない。自分や身内の失敗談を惜しみなく話すこと」
などです。
たとえば、「戦略の関東、戦術の関西」とよく言われますが、戦略とは、どうすればライバルに勝つかを考えることで、戦術とは、そのために行動することです。この記事によると、東京の企業は頭を使って考えるのですが、関西の企業は「ごちゃごちゃいわんと働け」というように、とにかく走り回っていなければならないといいます。しかし、同じ関西といってもずいぶん違うようです。京都は都としての歴史の長さから、伝統を大切にする地域であり、神戸は港町のため長期的な視野を持っていますが、大阪は商人の街のため、目先志向の地域だといっています。
確かに、「地域は人を作り、人が地域を作る」と私は思います。それは、いつも感じることですが、文化であり、風土です。世界の保育、教育は、その地域から生まれたものを持っています。
投稿者 fujimori : 22:58 | コメント (3)
2008年11月22日 [近頃思うこと]
星占いの星座2
星座名はギリシャ神話に由来する物が多くあります。ギリシャ神話は、様々な文化に影響をしています。例えば、絵画を見ていてもギリシャ神話から主題を取ったものは多くあり、それを知っていると、絵画をより深く鑑賞することができます。また、テレビ番組や子供向けヒーロー物語にもその名前は出てきます。ギリシャ神話の創世記では、世界はカオス(混沌)の状態でした。世界のはじめは、形が無く、ドロドロとした塊で、天も地も何もない状態でした。このカオスから1人の女神が生まれます。大地の象徴であり、広い胸を持つ女神の名はガイアです。今、テレビ番組で「ガイアの夜明け」というのがありますが、それは、一番初めの大地を意味する女神ガイアから取ったものです。
昔の人は、夜空を飾る星たちを眺めながら、ギリシャ神話の神々の名前や、逸話を当てはめていったのでしょう。
星占いの中の一つ魚座(2/19-3/20)は、今頃の夕方、南寄り中天に見える星座です。余り明るい星が無いので、肉眼では見つけにくいです。この魚座も山羊座で出てきた怪物テュポンに関係します。この怪物は、怒った女神のガイアが、ゼウスに復讐するため産み落とした史上最も恐ろしい怪物です。
愛の女神アフロディテとその子エロスがユーフラテス川の岸を泳いでいるとき、怪物テュポンの出会ってしまいました。慌てて川に飛び込み魚の姿になって逃げました。その時、はぐれるといけないというので、しっかりと体をリボンで結んでいました。その姿が「魚座」です。ですからうお座は「北の魚」と「西の魚」が一本のリボンで結ばれています。
正確に言うと秋から冬に掛けての星座ではありませんが、しし座(7/23-8/22)の大がまの西で、冬の星のふたご座のポルックスの東にある星座がかに座(6/22-7/22)です。かに座は、やはり、これといって目立つ星もありません。
ゼウスとアルクメネとの間に出来た子である勇者ヘラクレス(ヘルクレス座)は、誤って自分の子を殺した罪を償うため、12の冒険を行うことになりました。1番目がしし座になっている獅子退治です。退治したあと、ヘラクレスはししの皮を肩にかけています。2番目が九つの頭を持つ化けヘビのヒュドラ(うみへび座)退治でした。そのときに、ゼウスの妻のヘラは、母親が違うヘラクレスを快く思っていなかったので、冒険に出かけたときに、巨大な化け蟹を使いに出し、はさみでヘラクレスの脚を切ろうとしました。しかし、ヒュドラとの格闘中のヘラクレスは、全く気付かずに化け蟹を踏み潰して殺してしまいます。この化け蟹が天に昇り、かに座となり、ヒュドラもうみへび座になったのです。
秋から冬にかけてみることができる星の中で、星占いに使われる星座にまつわるギリシャ神話を思い出してみました。その話しを読んで、人々はどう思ったでしょうか。天地に繰り広げられる神々の冒険の数々は、古代ギリシャの哲学や思想、そしてヘレニズム時代の宗教や世界観に影響を与えました。今なお、さまざまな文化遺産にその姿が残されています。日本では、余り日常の中にはそれと関係のあるものは少ないですが、星空を眺めながら、壮大な物語を思い出すのも、秋という季節は、うってつけかもしれません。
投稿者 fujimori : 23:56 | コメント (3)
2008年11月21日 [近頃思うこと]
星占いの星座
季節の変わり目は、夜空に輝く星座の移り変わりで知ることがあります。しかし、見る時間帯によって違う季節の星も見ることが出来ます。例えば、煙突を下から覗くと昼間でも星を見ることが出来ますが、そこに見える星は、今の季節は春から夏にかけての星空を見ることが出来るのです。ですから、冬の星座というのは、冬の夜空で見える星のことをいいます。
今の時期の夜空では、午後8時頃には秋の星座を見ることができ、夜中過ぎになると、冬の星座に変わっていきます。ですから、夜、長いあいだ空を眺めていると、星占いの星座を「おひつじ座」「おうし座」「ふたご座」のほかにもいくつか見ることが出来ます。まず、早い時間に見えるのは、「山羊座」(12/22-1/20)、「水瓶座」(1/21-2/18)があります。この星は、夏に見えるのですが、今の時期でも早い時間には、まだ沈まないでいます。
山羊座のヤギは、不思議な体をしています。それは、下半身が魚なのです。もともとは、ギリシャの森林と野原の神である牧神パーンです。パーンはギリシャのドリュオブス王の娘ドリュオベスとヘルメスとの間の子どもです。山羊の角と毛がはえ、尖った耳を持ち、足にはひづめがあります。ある日神々がナイル川沿いで酒盛りをしていました。パーンは葦の笛を吹いていました。普段、パーンはいつも仲間のサチュロス達と森のニンフ達を、追い掛け回していました。そんな中で、パーンに追いかけられた一人のニンフ、シュリンクスは川辺の葦に変身しました。パーンは彼女を探しながら、葦を一本折り葦笛を作ります。それをいつも吹いているのです。酒盛りをしているところへ、怪物テュポンが現れたので、神々は慌てて動物の姿などの姿に変えて逃げました。パーンは、山羊になりました。ところがパーンは酒を飲み過ぎて、逃げることが出来ず,川に飛び込んで咄嗟に魚に変身しようとしましたが浅瀬だったため、下半身が魚に変身しましたが、上半身は山羊のままだったと言います。その奇妙な姿が面白いのでゼウスによって星座とされたのです。
また、水瓶座にまつわる神話は、今で言うと犯罪になってしまうような事件が絡んでいます。
神々の住むオリンポスの神殿では食事の時、神食アンブロシアを皿に盛り、アポロンが琴をひき、音楽の女神が舞をまい、神酒ネクタルを飲みました。この神酒を注いでまわるのは、大神ゼウスと妃ヘラの娘で青春の女神ヘベの役目でした。しかし、ヘベがヘラクレスの妻となったため、その代わりがいることになりました。そこでゼウスは、鷲(わし座)に姿を変え、イーダ山で父の羊の番をしていたガニュメデスをさらってきました。ガニュメデスは、トロイの王子で体が金色に輝き、美少年の名が高かったのです。宮殿に着くとゼウスはその正体を現し、ガニュメデスに永遠の若さと美しさを与え、神酒ネクタルを注ぐ役目を告げました。 ガニュメデスは身に余る光栄でしたが、自分がいなくなったことを両親がどんなに嘆き悲しんでいるか思うと、とても心が痛みました。 これを知ったゼウスはトロイの国王夫妻の元に伝令神ヘルメスを使わし、事の次第を告げさせ、その上で息子を失った悲しみを和らげようと、ガニュメデスの姿を星座にしました。この「水瓶をかついだ美しい少年」の姿をかたどっているのが、水瓶座です。
私は、園の夕涼み会で子どもたちに星座の話をします。そのとき、子どもをさらったときの姿がわし座であり、その中のアルタイルという星が彦星なので、説明に困ります。そんなときは、少しやさしく変えてしまいます。
投稿者 fujimori : 22:59 | コメント (4)
2008年11月20日 [近頃思うこと]
冬の星座占い2
冬の夜空の王座を占めているのは、なんと言ってもオリオン座でしょう。それは、大きく、明るい星が多いからです。特に、1等星以上の星が二つもあります。右肩のところで赤く光っているのはペテルギウス、左の膝のところで青白く光っているのはリゲルという星です。このベテルギウスを頂点として、星の中で最も明るい大犬座の中のシリウスと、子犬座のプロキオンを結んだ線が「冬の第三角形」といいます。また、ペテルギウスを中心に、ぎょしゃ座のカペラ、おうし座のアルデバラン、ふたご座のポルックス、オリオン座のリゲル、こいぬ座のプロキオン、おおいぬ座のシリウスの1等星を結んだ線が「冬の大六角形」と呼びます。
この、冬の大六角形のうちの二つの星が、星座占いに使われる星座、牡牛座(4/21-5/21)、双子座(5/22-6/21)に含まれています。
スパルタ王テュンダレオスの王妃レダは、水浴びをしていた時に、白鳥(白鳥座)に化けて近づいたゼウスに犯されます。そして彼女は2個の卵を生みます。各々の卵が双子で4人の子供が生まれます。ポリュデウケス(ポルックス)は馬術の達人、カストルは拳闘の名手となり、共に金毛の羊(おひつじ座 )を奪いに行くアルゴー船の冒険に参加して手柄を立てました。後の姉妹がトロイ戦争の原因となるヘレネ、そして、トロイ戦争のギリシャ方の総大将アガメムノンの妻となるクリュタイムネストラです。ポルックスとヘレネはゼウスの神性を受け継ぎ不死身でしたが,カストルとクリュタイムネストラは死すべき運命の人間レダの子として生まれました。
カストルとポルックスはとても仲のよい兄弟でした。しかし、従兄弟のイダスとリュンケウス兄弟と闘った際に、カストルが射殺され,悲しみに暮れたポルックスは父親であるゼウスに自分の不死身をカストルと分かち合い,一年の半分を天上で半分を冥界で過ごさせてくれるよう頼んだのです。こうして二人はふたご座という星座になりましたが、一年のあるいは一日の半分のあいだ地平線上に姿を見せ,半分は地平線下に沈んでいるのです。
どうも私がなじめないのは、神話の中の大神ゼウスが、すぐに浮気したり、不倫好みなのと、その妻のヘラは嫉妬深く、すぐにゼウスの相手を動物に変えてしまうことです。
オリンポス山の頂きから下界を見下ろしていたゼウスは、野原で花を摘んでいた美しいフェニキアの王女エウローペに一目惚れしてしまいます。春のある日、侍女たちと野原に出かけたエウローペを見ていたゼウスは、純白の牡牛に変身して、エウローペに近づきました。エウローペは突然現れた牡牛に驚いたものの、穏やかな物腰と優しい眼差しに、すっかり心を許してしまいました。そして、美しい牡牛に興味を覚えたエウローペは、そっと乗ってみました。すると、牡牛はエウローペを乗せたまま海辺まで来たところで急に走り出し、海を渡り始めました。エウローペは降りる事もできず、悲鳴を上げながらもしがみついて遠ざかる陸地を見ていることしかできませんでした。やがて牡牛はクレタ島にたどり着き、ゼウスは想いをとげました。神々しかいなかったクレタ島に、初めて足を踏み入れた人間がエウローペだったという事で、そこは現在ではヨーロッパという名前の大陸になったとも言われています。そして、この時ゼウスの変身した牡牛の姿が星となり、牡牛座になったといわれています。
星座占いの中で、少なくとも自分の星座の由来くらいは知っておいたほうがいいかもしれません。
投稿者 fujimori : 23:49 | コメント (4)
2008年11月19日 [近頃思うこと]
冬の星座占い
ここのところ急に各地から雪の便りが聞かれます。ということは、冬型気圧配置になったということですので、東京は、快晴の日が続いています。私は、余り冬は好きではありませんが、星空については、冬がいいですね。空が晴れているからだけでなく、冬の大三角形や大六角形に代表されるような明るく光る星が多く見られます。
もう一つ、星座占いに登場する星が多くみられるのも冬の星座の特徴かもしれません。この占いは、もう一般的に広がっているので、自分の星座が何かを知っている人がほとんどでしょうが、その人の誕生した日に太陽が十二宮のどの宮に位置したかにより、その人物の性格や相性、運命などを占うものです。その占いは、古代バビロニアで生まれた占星術が、紀元前三世紀頃にギリシャに伝わり、個人の運勢を占うホロスコープ占星術に発展していきました。バビロニア帝国の中で、カルディア人が担っていたこの占星技術は、国家の運命や毎年の収穫などの重要事柄を占うために使われ、天文観測・医学・薬学・数学・建築学などに関係する神聖科学なのです。
私は、「牡羊座」(3/21-4 /20)ですが、この星座は冬の明るい星に消されて、少しじみな星座です。また、その星座にまつわる神話はとても劇的ですが、余り知られていません。他の星座の神話に結びついて、重要な役目を果たします。
テッサリアのアタマス王の后ネフェレーは、残してきた王子プリクソスと妹のヘレーが、その後に来た継母のイーノに子どもができたため、殺されそうになるのを心配して、大神ゼウスに助けを求めます。そこで、ゼウスは息子であるヘルメスに命じて金色に輝く毛皮を持った、羽の生えた雄羊を兄妹のもとに遣わしました。兄妹が背にのると雄羊は天空へ舞い上がり、コーカサスの山に近いコルキスの国を目指して飛び続けました。雄羊の飛翔のあまりの速さにヘレーは目がくらみ、ヨーロッパとアジアの境にある海峡に転落して死んでしまいます。これが、ヘレスポント(ヘレーの海)のなの起こりだといわれています。しかし、兄のプリクソスはコルキスに無事運ばれ、国王の手厚い保護をうけました。コルキスに着いた雄羊は、生け贄としてゼウスに捧げられました。その金色の毛皮は神殿に飾られ、眠ることのない一頭の竜に守護されることになりました。この雄羊が空にあげられた姿がおひつじ座です。
この羊の毛皮は、不思議な運命をたどります。ギリシャ神話にケンタウロス族と言う上半身が人で、下半身が馬である馬人が出てきます。特に、その一族の中のケイローンは、音楽の神アポローンと月の女神アルテミスから、音楽・医術・予言・狩りなどを授けられます。そして、ヘルクレスに武術、アスクレピオスに医術、カストールに馬術など、ギリシャの若者を教育しました。そのなかにヤーソンがいました。彼は、後にペーリアスの命令で、この金毛の羊を取り戻すため、ギリシャから50人の勇士を率いて、コルキスに向かったのが、アルゴー船遠征隊でした。そしてヤーソンは、魔女メーデアの助けで羊皮を手に入れます。このケイローンがやはり星座占いにある「射手座」(11/23-12/21)です。そして、アルゴー船はアルゴー座になります。また、医術を習ったアスクレピオスは「へびつかい座」、武術を習ったヘルクレスは「ヘルクレス座」、馬術を習ったカストールは「ふたご座」(5/22-6/21)になります。
この双子も、数々の活躍をします。本当にギリシャ神話はワクワクしますね。明日は、これらの話をします。
投稿者 fujimori : 21:36 | コメント (4)
2008年11月18日 [近頃思うこと]
木箱
今週の読売新聞の日曜版に青森県の弘前市が特集されていました。その中で、生活に溶け込んでいる「りんご文化」について書かれている部分があります。
マツの木で作る「リンゴ箱」は、プラスチック製品が普及した現代でも、農業の必需品だそうです。この箱は、「乱暴に扱っても壊れないし、何しろ1箱300円前後で安いから。プラスチックのコンテナは、1000円くらいするからね。」と青森資材の社長さんは言っています。また、箱だけではなく、ヒバやヒノキを使った脚立も、農家には欠かせないそうです。「金属の脚立だと、肌触りが冷たくて使いにくいからね。高齢化にあわせて、木材を細くして軽量化するなど、今でも工夫していますよ。」と言うのは、建具店の人です。そのほかにも、ネマガリダケで作るリンゴかごなど、先日のブログで紹介した秋田杉を使った商品に限らず、この土地独自の文化から生まれた生活の知恵は、今でも進化しているようです。
先日、いただいたリンゴは、ダンボールに入っていましたが、昔は、リンゴやみかんは、木箱に、おがくずや籾殻を、お互いがぶつからないようなクッション代わりにしたりもして送られてきました。八百屋さんの裏のほうには、それに入れられて運ばれてきたであろう木箱が積まれていました。
また、リンゴ箱やみかん箱の大きさは、逆さにするとちょうど机に良い大きさになるので、「三畳一間にみかん箱一つ」というように、学生の生活ぶりを表現したりしました。みかん箱は、そのように苦行振りを表すのには良いようで、むかし、ソフトバンクグループ創業者の孫正義は、自分が設立したユニソン・ワールドという会社で、アルバイト2人の前でみかん箱の上に乗って演説をしたことが知られていますし、民主党の小沢一郎代表が地方遊説の際にみかん箱の上に乗って演説をして回ったことが話題になりました。最近では、レトロブームで、インテリアとしても使われるようで、ネット販売で多く取引されています。
りんご箱は、基本的に、長い辺を「ガワ」といいますが、62cmあり、短かい辺のことは「ツマ」といい31cmあり、高さは31cmの木箱です。材料は、先に紹介した弘前のマツは、木が硬く、長持ちをするので高級品とされています。普通は、昔からブナやスギが一般的に使われていました。しかし、最近ではブナが稀少になったことからマツが主流となり、スギは価格を安く抑えたいときに使われるようです。リンゴは木の箱に入れると「色があがる」といわれていますが、特に脂分を多く含む松材がその効果は一番あるようです。また、柱などに木を使う場合とおなじように、その木の乾燥具合も影響します。「乾燥板」と呼ばれる板を使うと、箱にした後の狂いが少なく、隙間のない上質のものを作ることができますが、コストが高くなるため、余り乾燥させていない「生板」で製作し、それを乾燥させるのが主流だそうです。このように、材質や乾燥の具合によって値段は違います。
「箱打ち名人」と呼ばれている人は、いまでも一日150個の箱を作り続けているそうですが、「機械打ちの箱に比べて、やっぱり手打ちの頑丈さにはかなわない」といいます。最後は、やはり人間の技ですね。
投稿者 fujimori : 23:29 | コメント (4)
2008年11月17日 [近頃思うこと]
○○ご飯
今日の給食は、少し旬の時期が過ぎてしまっていますが、「栗ご飯」でした。ちょうどひと月前くらいにNHKテレビの「ためしてガッテン!」という番組で、栗を取り上げていました。その番組の冒頭で、出演者に対して栗についての問題を出します。
1問目は、「マロングラッセの影響で、ヨーロッパの女性の間に流行したおしゃれは?」という問題です。マロングラッセというのは、栗をバニラで香りをつけて砂糖漬けにしたお菓子ですが、ブランデーやラム酒を加えることもあり、高級なお菓子というイメージがあります。そのマロングラッセのマロンとは、栗のことですが、実は、トチノキ科の「マロニエ」の実の事をさすので、マロンなのです。ですから、マロングラッセはマロニエの実を砂糖漬けにしたものでしたが、栗を代用するようになって、栗のことをマロンというようになったのです。
ところで、これに影響されて流行したのは「マニキュア」です。クリの渋皮には、タンニンという物質が含まれていて、空気に触れると黒く染まる性質があります。女性たちがマロングラッセを作るとき、爪で皮をむくと、このタンニンで黒く汚れてしまいます。これを隠すために、マニキュアが大流行したそうです。
第2問は、「日本で栗ブームをおこした、歴史上の人物は?」の答えは、武田信玄です。栗を乾燥させた保存食に「かち栗」というものがありました。信玄はこれに「勝ち」という字をあてて、げんをかつぎ、戦いの前に食べるようにしたところ、戦に次々勝利しました。その影響で、他の武将も、こぞって栗を食べるようになったといわれています。
第3問は、「栗に含まれるビタミンCは、どの果物と同じくらいある?」という問いです。栗100グラムに含まれるビタミンCの量は、グレープフルーツの36ミリグラムとほぼ同じ33ミリグラムです。驚きですね。ビタミンCというと、すっぱいものというイメージがありますが、実はグレープフルーツ並みにビタミンCが含まれているのです。また、食物繊維が多いというとサツマイモを思い浮かべますが、それ以上に栗には含まれていますし、バナナ以上のカリウムを含んでいます。
一昨日の土曜日には「むかごご飯」をいただきました。「むかご」とは、「ぬかご」とも言いますが、漢字では「零余子」と書きますが、葉の付け根に生じる小指の頭ほどの球芽のことです。そのむかごが地面に落ちると、やがてそこから根が出て、新しい苗になります。ですから、むかごには養分が蓄えられています。その中で、食用にするのは、山芋の葉の付け根にできるむかごです。このむかごを炊く前のご飯にそのまま入れて炊けば、「むかごご飯」になります。小さな粒の一つ一つに山芋の香りとコクが凝縮されています。このむかごご飯は、秋の味覚です。関東では、11月頃の晩秋にできます。貯蔵できるのは一ヶ月ぐらいで、その後は中の水分が減って皮にしわが寄ってくるので見分けがつきます。ですから、むかごご飯は、秋の季語です。むかご自体も、噛んで外側の皮をプスッと破ると、トロッとして、かつ上品なコクのある中身が出てきます。そのほかにも、塩茹でをしたり、煎ったり、味噌汁の具にしたりして食べます。
味覚の秋ですね。
投稿者 fujimori : 23:56 | コメント (4)
2008年11月16日 [近頃思うこと]
世界の教育改革2
世界では、その国の事情によって様々な教育改革を行っています。それは、その国が当面問題になっている課題に対しての取り組みと、世界共通の子どもにおける課題に対しての取り組みがあります。300万人もの未就学児童を抱えるタンザニアでの課題は、すべての子どもに基礎教育の機会を保障するというものです。そのために、COBETという補完的基礎教育と呼ばれるプログラムに取り組み始めています。このCOBETの特徴は、従来の正規の教育では不十分だった部分を補い、子どもたちが通いやすい柔軟な教育の仕組みで、学校外教育の場であり、主役は地域社会です。COBETのカリキュラムや時間割、設置場所などの決定に住民が参画しています。COBET は正規の学校より「授業時間が短く」、「体罰をしないこと」、「無料であること」、「子どもにやさしい参加型の学習手法を取ること」を原則としています。学習内容は主に5点を重視し、自立のために必要な力を得られるように考えられています。その5点とは、「コミュニケーション(スワヒリ語と英語)」「算数(数学)」「一般知識」「職業上の技術」「生活に必要な能力など資質の向上」です。子どもたちは8~13歳と14~18歳の年齢ごとのグループにわけられています。COBET で3年間の教育を終えた低年齢組の子どもたちは正規の学校に編入できます。また、14~18歳の子どもたちには職業訓練や中等教育を続ける道が残されています。ここに通ってくる子どもたちは、長い間教育から離れていて、盗みなどの悪癖があったり、麻薬をやっていたり、また、貧しい家庭の子どもや、親のいない子どももいます。しかし、COBET に通うのに費用はかからず、制服もありません。そして、ここを出た後も、子どもが自分の力で生きていけるだけの能力を身に付けられるようにすることが大切です。指導員として働いている一人は、「正規の小学校で教員をやっていた頃は、教育システムから外れた子どもたちをどう扱えばよいのかわかりませんでした。ここでは、子どもたちをうまく学習に参加させながら教える手法を身につけることができました。」と言っています。また、地域社会がCOBET に参画していることが、子どもたちの学びやすい環境をつくることに大きく貢献しています。子どもに教育を受けさせることの効果も直接わかるので、住民は教育の重要性について認識するようにもなります。
また、マケドニアでは、「障害のある子どもを普通教育に包含するためのプロジェクト」が実施されています。知識レベルによって子どもたちを小ユニットにわけ、子どもたちはユニットごとに与えられる課題に取り組みます。個々に適した課題について最大限の成果をあげられるようにするのです。重要なことは、誰も学習の中で孤立しないことです。早く課題が終わった子どもは、友達の学習を手伝います。教師の役割は、子どもたちがみな平等であると感じられる雰囲気をつくることです。こうした学習手法は非常に個別化されたものですが、障害のある子ども、特に中、重度の障害のある子どもたちを受け入れるには適しています。最初の頃は、保護者から「なぜうちの子どもがその子の隣に座らなくてはならないのか?」「授業の邪魔なのでは?」という声があがったり、保護者会で子どもの障害について説明するよう求められたりしたそうです。しかし、教師たちは、子どもはみなそれぞれ問題があるものですから、といって説明しませんでした。その後、クラスは完璧に機能し、障害のある子どもはもっとも愛される存在となっているそうです。親は、自分の子どもが障害のある子どもを受け入れているということを認識すると、自分たちも同じように助け合おうとするものだと言っています。このプロジェクトは、障害のある子どもたちの存在を生活の一部分とし、互いに人間関係を築くことを可能にしています。
私たちも、学ぶべきことがたくさんありますね。
投稿者 fujimori : 19:42 | コメント (4)
2008年11月15日 [近頃思うこと]
世界の教育改革
今年の3月、日本では「学習指導要領」「幼稚園教育要領」「保育所保育指針」が告示化され、新しい時代の保育、教育を目指そうとしています。今回の日本における改定はどのような意味を持つでしょうか。OECDが行ったPISAの学力調査結果によって、いわゆる先進国といわれている国々は様々な教育改革を行っています。では、そのほかの国々はどうでしょうか。ちょっと古いデータ(2001年ユニセフ)ですが、余り見る機会が無いので、とても面白く読みました。
まず、バングラデシュの学習法です。この国の課題は、初等教育の就学率に加え、中途退学です。少なくとも小学校の5年間は子どもが自分から学校を離れていくことがないような学校づくりが求められています。そのために、どうしたら楽しくかつ十分に基礎教科が学習できるかということで、「M I理論」に基づいた多角的教授・学習法【Multiple Ways of Teaching and Learning:M W T L】と呼ばれるアプローチが試みられています。MI理論とは、「人間は、ものごとの認知や学習を通じて少なくとも7つの知能がはたらく」とするガードナー博士(ハーバード大学)の説です。7つの知能とは、「言語」「論理・数学」「視覚・空間」「音楽・リズム」「身体・運動」「対人関係」「自己内省」です。
「教師が話しつづけ、おうむのように繰り返させるだけの授業では、すぐにあきてしまいます。今は、歌う、踊る、演技するなどの活動を取り入れながら教えています。子どもたちはすぐに集中し、学習の手応えも感じられます。」と実践した教師は語っています。そして、この新しい授業をはじめてから、出席率が次第に上がってきて、子どもたち自身が「学校に行こう」と熱心になっているといいます。読み書きのできない環境からやってくる子どもたちは学校に対して何の準備もありません。従来の教科学習を突然はじめられたら、まったくついてこれなくなってしまいます。それを、参加型活動をベースにした授業をおこなうことによって、子どもたちが自分で何かを思いついたり、興味を持ったりすると、学習が早くなるのです。ある教師は、「私たちは、いかにおもしろく、これまでと違った授業ができるかを考えなければなりません」と話しています。ただでさえ学校をやめざるを得ない状況が子どもたちを取り囲んでいる中、せめて学校を子どもにやさしい、子どもが本当に学べる空間にするための取り組みが広まっています。
この国のように、学校が面白くないと思っている子どもたちが日本でもたくさんいます。バングラデシュでは、家庭の事情や、社会の状況がその理由の中にあるかもしれませんが、ずいぶん前から調査では、日本では子どもたちが学ぶ意欲がなくなってきていることが言われています。それを、ただ子どもが悪い、親が悪い、制度が悪いというのではなく、もう一度授業のやり方を見直すことも必要な気がします。今の子どもたちが興味・関心を持ち、自ら学ぼうという意欲を持った子にするのは、教師が、ただ淡々と黒板に向かって物を書いたり、教科書を読み上げるような授業をしていたら、今、面白いものが巷に満ち溢れている時代では、子どもたちは興味を持つわけはありません。
教育改革の動機は、国によって事情が違いますが、その試みは参考になることが多くあります。明日は、タンザニアの試みを紹介します。
投稿者 fujimori : 18:51 | コメント (4)
2008年11月14日 [新聞記事より]
秋田杉
先日、こんなニュースが流れました。「秋田杉を外装に使い、曲げわっぱの技術も駆使した木製自動車を、秋田県北秋田市綴子の県立鷹巣技術専門校の生徒たちが製作した。」
秋田杉といえば、日本三大美林の一つといわれています。しかし、秋田杉といっても、天然杉のことをいいます。人の手をかけないで自然に育った杉を「天然秋田杉」、人の手をかけて育てた人工の杉を「秋田杉」と呼んで区別しています。杉の語源ははっきりしていないようですが、アイヌ語のシンクニー(真っすぐな木の意味)から転じたものといわれています。和名では「スギ」と呼ばれ「マキ、イヌスギ、ホンスギ、ベニアカ、ヤマトスギ、ヤブトウシ、エゾスギ」などの品種を含む名称が四十種もあります。
杉のイメージは、真っすぐのびるというイメージと、早く大きく育つということと、様々な用途があるということで、植林されました。このイメージで、作られた歌が、作詞が吉田テフ子(補作詞:サトウ ハチロー)、作曲が佐々木すぐるの歌「お山の杉の子」があります。この歌は、第二次世界大戦も末期の昭和19年、小国民文化協会が行った少国民歌の懸賞募集の第1位入賞歌でしたが、終戦とともに放送やレコードの販売が禁止になり、この歌をもう一度復活させようと、サトウハチローが改作したものです。
なぜ、販売禁止になったかというと、その歌詞を見ると分かります。2番には、杉を何に使うかが歌われています。「大きな杉は 何になる お舟の帆柱 梯子段 とんとん大工さん たてる家 たてる家 本箱 お机 下駄 足駄 おいしいお弁当 食べる箸 鉛筆 筆入 そのほかに たのしや まだまだ 役に立つ 役に立つ」という歌詞が歌われていますが、作られた当時は、「大きな杉は 何になる 兵隊さんを 運ぶ船 傷痍の勇士の 寝るお家 寝るお家」そのあとは、同じです。このように、杉に託して、子どもが将来立派な兵隊になることを目指しているからです。
しかし、杉は様々なものに使われますが、特に天然秋田杉は、その柾目と香りが冴え、木目まっすぐで弾力に富んでいます。軽さと、明るく優美な木目が生かされた製品には、シンプルな味わいと気品があります。ですから、ニュースで流れたように自動車も作れるのでしょう。この自動車のモデルは、そうは言っても昭和40年代に生産され、箱形のがっちりしたボディーから「ハコスカ」の愛称で人気を集めた日産スカイラインGT―Rだそうですが、それでも曲線部分は多くあります。例えば、バンパーなどの曲がった部分では曲げわっぱの技術を使い、滑らかな曲線を浮かび上がらせたそうです。
大館曲げわっぱは、秋田民謡の『秋田音頭』にも謡われています。「コラ、秋田名物八森ハタハタ、男鹿で男鹿ブリコ(アーソレソレ)能代春慶、桧山納豆、大館曲げわっぱ 」
この曲げわっぱの製品を秋田の友人からいただきました。その手触りや軽さにびっくりするとともに、木目の美しさには目を奪われます。天然秋田杉を手割り、または製材により薄く剥いで、熱湯につけ、板が柔らかくなったところで巻き込んでいきます。とじ穴は、桜皮で縫いとめます。

藩政時代に大館城主佐竹西家が、当時杣夫が杉の柾目板を割って、曲げ物の器を作りそれを弁当として利用していたのを見て、領内の豊富な森林資源を利用して、窮乏を救うため下級武士達に命じ副業として、曲げわっぱの製作を奨励したといわれています。
いくらプラスチックが出廻っても、その本物の味わいは残していかなければいけないですね。
投稿者 fujimori : 21:46 | コメント (4)
2008年11月13日 [近頃思うこと]
値段
今年の8月のAERAに「ソニーから、マイクロソフトから、そしてNTTドコモから、多くの人材がグーグルの門を叩いた。何が彼らをひきつけ、グーグルは彼らの何を求めているのか。」という記事が掲載されていました。
「グーグルの何が、彼らをひきつけるのか」と理由の一つは、「ここで働けば成長できる。もっと頑張らねば、と沸々と感じさせてくれる」です。二つ目は、「多くの社員を抱えているグーグルが、組織らしい組織なしで機能していること」だそうです。三つ目は、「秘密が外に漏れない」だそうです。コミュニケーション能力も、特別なスキルがいるわけではなく、「これをやれ」と上から具体的に命令されることはないので、仕事をするには「自分がやりたいと思っていることの重要性や面白さを人に説明する力」が欠かせないようです。四つ目は、カフェテリアの食事がすべて無料ということもあり、「ここでは誰でも自由に発言できる。違う、と言われることはあっても、言うのは自由です」という風潮があるようです。五つ目は、「全員がスーパースターじゃなくていい。それぞれに頑張れば、尊重されるし尊敬もされる」というように、自分の意見にスーパースターが耳を傾け、アドバイスしてくれます。アイデアが枯渇しないのは、「20%ルール」があるからです。このルールは、働く時間の20%は好きなことに使っていいというものです。そして、「イチかゼロかではなく人間くさい。英語が下手でも、情熱を持ってやりたい!と訴えれば、わかってくれる」ということがあるようです。
そんな人気のグーグルも、この不景気を乗り越えるのは大変のようです。
豪華なメニューが一日三食無料で提供されることで有名なグーグルの社員食堂が、夕食の無料提供が中止されるという噂が流れました。しかし、実際は、無料ディナーが中止されるのは、技術系では無い部門のある建物の食堂のみだったのですが、この噂は、グーグルと食堂業者とのトラブルが原因だそうです。それは、どうも、昨年あらたに買収した新社屋にも社員食堂を建設するために、食堂運営の予算が大幅に不足していたことも要因の一つのようです。
もう一つ、昨日のブログで紹介した「渡辺千賀のはたらけシリコンバレー」の中で、8月に「グーグル幼稚園は月20万円?!」という記事がありました。最近グーグルが、社員向けデイケア(保育園・幼稚園)の「社員負担分」の値段を月2,390ドル(約25万円)に値上げすることが話題になったそうです。1歳未満の赤ちゃんで、これまで月1,425ドルだったのものが2,390ドルに、1-2歳児で月2,290ドル、3-5歳児で月1,710ドルとなったのです。もし、「子供が二人いたら年間のデイケア自己負担分は57.000ドル(約600万円)」になってしまうと、ニューヨークタイムズ紙の記事にまでなったそうです。ちなみに、グーグルがあるマウンテンビュー市が属するサンタクララ郡のデイケアの平均値段は、一歳児未満だと月1,200ドル、3-5歳児では900ドルだそうです。しかし、こんなに高くても、デイケアの多くが順番待ち状態だそうです。
そんな子を持つ親に厳しいアメリカなのに、日本に比べると出生率はかなり高いようです。それを、この記事を書いた渡辺さんは、その根底には「未来に希望がある」ということがあるのではないかと言っています。そして、「子どもが多いから未来に希望が生まれる」かもしれないとも言っています。
投稿者 fujimori : 21:25 | コメント (4)
2008年11月12日 [近頃思うこと]
集団から離れる
オオカミが集団で生活するうえで、「パック」と呼ばれる群れの中で、オスメスそれぞれに順位が存在し、順位が上のものにはきちんと従い、群れの仲間を大切にするということで統率が取れています。渡辺千賀さんのレポートでは、「ミーアキャット」という、カラハリ砂漠に住む、体長20センチほどのイタチのような外見で、後ろ足ですっくと伸び上がって立っている姿が有名な動物を取り上げています。
「固い絆を持った家族が一団となって、集団で眠り、集団でえさ探しをする。 砂漠の夜は厳しく、重なり合って寝ることで暖を取る必要がある。 また、えさは土の中にすむ虫で、ひたすら穴を掘らないとえさに巡り会えない。 しかし、地中に頭を突っ込むようにして必死に掘っていると、ミーアキャットの天敵の猛禽類に頭上から襲われてしまう。 そこで、えさ探しは必ず集団で行い、一匹が見張りをする。 見張りは二本足で立って辺りをうかがい、天敵の姿が見えたら警告を発する。
ミーアキャットの集団の掟は厳しく、一匹のリーダーに全員が絶対服従する。 リーダーに嫌われたものは、群れの他の仲間からも激しいいじめを受け、群れから追い出されてしまう。 単独では厳しいカラハリ砂漠を生き残ることができないので、追い出されたミーアキャットは、群れから少し離れたところで群れを見続け、ひたすらリーダーの怒りが解けるのを待つ。(中には、他の群れに忍び込もうとするものもいるが。)
ミーアキャットはこうして何世代も何世代も、「群れから外れたら死んでしまう」 という環境の中で過ごし、集団行動のために最適化された社会性を生み出した訳だ。 その中では、「自分の群れ」を離れることは恐ろしいことであり、独立は死を意味する。」
人間はどうでしょうか。私は、人間も一人では生きていけない動物であり、集団の中で、様々なルールが存在します。渡辺さんのレポートでは、この「自分の属する集団を出たら生きていけないかも」という「当然のこと」を無視して、敢えてわざわざ海の向こうの知らない国に出て行って、そこに住もうと思った人たちが集まっているのがシリコンバレーであるといっていますが、私は少し見解が違います。それは、集団の捉え方が、違っていると思うからです。ミーアキャットが、なぜ集団を構成することが必要かというと、餌探しをみんなでしてしまうと、敵に襲われる危険があるので、見張リ役が必要だからです。それぞれ役割があり、ひとりではその役目は果たすことが出来ないからです。集団というのは、みんな同じことをするためではなく、それぞれがそれぞれの役目をすることが社会を構成するということです。ですから、例えば、シリコンバレーに行くのは、集団を離れるのではなく、自分の役目を果たすために、自分を生かす場所で活動するためです。いくら、国内にいても、自分の役割が見つけられず、自分ながらの生き方が出来なければ、集団から離れたことになるのです。
少子社会になると、この集団を構成するための特性が子どもたちの中で育ちにくくなってきている気がします。お互いを尊重し、他のものに対して共感する心を持ち、ともに生きていこうとする心は集団の中で育っていきます。道徳の授業の中で教わることではないと思います。
投稿者 fujimori : 23:11 | コメント (4)
2008年11月11日 [近頃思うこと]
オオカミとトラ
動物園では、行った時期、自分の年齢、自分の職業によって、その時々色々な面白いことが見つかります。先日の日曜日に訪れた動物園でも、面白い説明版を見つけました。隣同士に作られた「トラ」と「オオカミ」が放たれた獣舎のまえの掲示には、こんなことが書かれていました。
「イヌはご存知、小型のオオカミが起源とされており、当然イヌ科の動物。トラはネコ科の動物です。イヌは主人に忠実でよくいうことをききますが、ネコは自由奔放でわがままだといわれていますが、これはもともとの生活の違いからきています。
オオカミは集団で生活します。オオカミの群れは「パック」と呼ばれ、オスメスそれぞれに順位が存在し、統率が取れています。順位が上のものにはきちんと従い、群れの仲間を大切にするということが、人とともに暮らすようになる上で、重要な働きをしました。動物園のオオカミたちも餌を食べるとき以外は「ずっと一緒」に生活させています。」
犬が、人間とともに過ごすようになったのは、もともとの「群れ」を作り、その仲間を大切にするという特性を生かしているからなのですね。その本来の特性を生かしつつ、その部分を延ばすような改良を加えていったのでしょう。例えば、オオカミでは集団を構成するために有利な性格と、逆に他の動物を襲うために有利な機能も持ち合わせています。しかし、人間と生活するうえでは、狩りをする上での有利な機能は、逆に不利な特性になってしまいます。攻撃的な性格、鋭い牙、速い足、恐ろしい吼える声、そんなものは必要なりません。ですから、それらの機能を必要最小限にし、より人懐っこい、穏やかな性格に変えていったのでしょう。一方、ネコ科ではどうでしょうか。こんなことが書かれています。
「ネコ科の動物は例外であるライオンを除き、基本的に単独で生活をします。トラの展示を見て「1匹しかいなくてかわいそう。」という声をよく聞きましが、嫌がらせをしているのではなく、トラ本来の生活スタイルに合わせているのです。部屋も1頭ずつ分かれており、外に出るときも1頭ずつです。交尾させるための同居、子育て中の親子は例外ですが、それ以外は1頭で生活を送ります。もともと独り者が身についているので相手のペースに巻き込まれるのは嫌いです。やっぱり「ひとりがいい」みたいです。」
面白いですね。1匹だけでかわいそうという人がいるのですね。余計なお世話です。そのような特性を持っているのです。よく、「1匹オオカミ」という言葉を聞きますが、「1匹トラ」という言葉は聞きません。それは、もともと集団で過ごすオオカミの中で1匹でいることにある不自然さ、ある主張があるように見えるからでしょう。しかし、オオカミだけではなく、人間も本来は集団の中で生活するように出来ています。その性格も、その体つきも、体の機能も、人間は集団を構成する上で有利なように出来ています。
シリコンバレーでどんな人たちが、どんな働き方をしているかを、シリコンバレー在住の渡辺千賀さんが面白いレポートを書いています。「一匹狼も100万人集まるとコミュニティになる」というタイトルで、集団行動のために最適化された社会性ということが書かれています。この報告は、とても興味深い部分が多いので、明日紹介します。
投稿者 fujimori : 22:29 | コメント (4)
2008年11月10日 [散歩]
動物園
北海道の「旭山動物園」に、今年の10月初めに再度訪れたのですが、相変わらずの人気でした。この動物園の人気の秘密は、様々な工夫で動物を格好良く見せることにあります。「ホッキョクグマのダイビング」「アザラシの円柱水路での泳ぎ」「オランウータンの空中散歩」「ペンギンの水中トンネル」など様々な見せ方をしています。今年は、新たに「オオカミの森」が完成したばかりでした。
この動物園の試みに影響されて、全国の動物園でも見せ方が変わってきました。私は、子どものころは、その頃住んでいた場所の近くだったこともあって、何度も上野動物園に行きました。遠足でも何度か行きました。しかし、小学生の頃に開園した、同じ都立動物園である「多摩動物園」での動物の見せ方に興奮した覚えがあります。この多摩動物園が、今年「開園50周年」を迎えています。

多摩動物公園が開園したのは、1958年(昭和33年)の子どもの日の5月5日です。戦後に娯楽施設として人気を誇った上野動物園の混雑を緩和すること、動物の自然な生態を見せること、動物の繁殖等を目指すことを目的として計画され、建設されました。この多摩動物園では、オリが並んでいて、そこを順に見て行くのではなく、広々とした緑の中を散歩するように見て行きます。動物は、オリではなく、出来るだけその動物が住んでいるような自然を再現した広場に放し飼いされています。
展示は当初、アジア産の動物が中心でしたが、その後、少しずつ敷地を拡張し、新しい動物の見せ方を工夫しています。その試みは、私が小学生の頃に開園して以来、定期的に訪れているので、自分の成長と共に、色々な思い出と重なっています。
まず、開園した1958年は、映画でもおなじみの、東京タワーが完成した年です。1964年に、アフリカ園が誕生しました。そして、ここに完成したライオンバスは、世界初の試みで、いまだに子どもだけでなく、大人にも人気です。
これは、旭山動物園の「もぐもぐタイム」のように、バスの脇にえさをつけて、それに飛び掛るライオンを間近に見ることが出来るのです。車内で椅子に座っている目の前に、大きなライオンが飛び掛ってくるのはとても迫力があります。また、この年には、京王電鉄多摩動物公園動物公園線が開通しました。
アポロ11号月面着陸成功した1969年には、昆虫園本館がオープンしました。1961年以来、チョウやバッタの展示に始まる充実した昆虫展示は、多摩動物公園の注目すべき特徴です。
その後、1978年に完成したチンパンジー放飼場では、長い棒を人工アリ塚に差し込んで、その先についた蜜をなめる姿を見ることも出来ました。そして、上野動物園にパンダが来たときに日本中を沸かせたように、1984年にコアラが初来日したときには、日本全国がそのかわいらしい仕草に魅せられました。2002年にリニューアルオープンした昆虫館本館の室内では、冬でも様々な蝶が色とりどりの花のあいだを舞っている姿を見ることが出来ます。
昨日の日曜日に、久しぶりに妻と多摩動物園を訪れてみました。今年は、開園50周年ということで「アジアの沼地」がオープンしていました。新しい試みと改革、その裏にある努力は、本当に動物が好きでないとできない気がしますし、逆に、本当に動物を愛すればこそ、現状に満足することなく、新しい試みに挑戦していけるのです。
投稿者 fujimori : 23:18 | コメント (4)
2008年11月09日 [映画]
正史と演義
最近は、なんとなく映画を見ていなかったのですが、ここ2週続けて映画を見ました。昨日は、ブログで取り上げた「まぼろしの邪馬台国」です。映画は、邪馬台国がどこにあるかということではなく、宮崎康平の夫婦愛を描いています。その映画の中で、宮崎が自分の書庫に妻になる和子を案内します。そして、そこにある書物を次から次に指し示し、盲目になった今、それらを読むことができなくなったことを訴えます。その中で邪馬台国がどこにあるかが記された「魏志倭人伝」は、この書物に書いていると指し示したのが「三国志」でした。
三国志というと、先週見た映画「レッド・クリフ」のような、曹操・孫権・劉備らが争い合ったことが書かれている書物という印象があります。ですから、魏志倭人伝とはどうも結びつかない気がします。しかし、「魏志倭人伝」の正式な名前は「『三国志』魏書東夷伝倭人条」といい、全文で1988(又は2008)文字からなっている書物です。中国の正史「三国志」は、「魏国志」30巻(「本紀」4巻、「列伝」26巻)、「蜀国志」15巻、「呉国志」20巻、計65巻から成る書物です。その中の「魏書」(全30巻)に書かれている東夷伝の中に、倭人の条があり、それを「魏志倭人伝」という略称が普通に使われ、特に日本では授業のなかではこの呼び方を使います。
区別するために、この歴史書である「三国志」を「正史」とか「正史三国志」と呼ぶようになりました。この「正史」とは、王朝が正式に認定した歴史書の事で、中国の西晋代の人陳寿により西暦280年~290年頃に編纂されたものです。映画レッド・クリフで描かれている曹操は、魏書30巻の中で「武帝紀第一」に書かれており、劉備は、蜀書15巻のうち「蜀書三先主伝第二」に書かれ、諸葛亮は、「蜀書五 諸葛亮伝第五」に書かれ、関羽・張飛・趙雲は、「蜀書六 関張馬黄趙伝第六」に書かれ、孫権は、呉書20巻のうち、「呉書二 呉主伝第二」に書かれているという具合です。
一方、歴史書の「三国志」やその他の民間伝承を基として唐・宋・元の時代にかけてこれら三国時代の三国の争覇を基とした英雄や、様々な説話が好まれ、その説話を基として明の初期に羅貫中らの手によって書かれたのが、「三国志演義」です。この講談などから発展して作られた通俗小説である「三国志演義」が、日本では「三国志」として流通しました。これは、何も日本に限ったことではなく、世界中で、「三国志」の世界は「三国志演義」を基として発展を続けていったのです。しかし、この演義は、面白おかしく書いた部分があり、そのために創作された部分も多くあり、史実とは異なる場合も多いようです。また、登場する地名・官職名・武器防具などにも三国時代の時代考証からみておかしいものもあるようです。
日本では、この演義を基にしていくつかの文学作品がかかれました。私が、三国志に夢中になったのは、作家吉川英治が演義を元にして著した小説「三国志」と、これを元にして独自の解釈等を織り交ぜて描かれた、横山光輝による全60巻(文庫版は全30巻)(潮出版社)の歴史漫画です。吉川英治の「三国志」では、諸葛亮の死で終わっていますが、漫画のほうは、蜀が滅亡するまでを描いています。
2週続けてみた映画は、奇しくも、ともに「三国志」に関係がありました。
投稿者 fujimori : 20:54 | コメント (4)
2008年11月08日 [近頃思うこと]
ボードゲーム
今年の9月のニュースで「対戦型ゲームで負けた腹いせに高校生を殴ってけがを負わせた」というものがありました。ゲームセンターで、容疑者の消防士が、その場に居合わせた高校3年生と対戦型ゲームをして、負けた腹いせに高校生を殴ってけがを負わせたというものです。機動戦士ガンダムの対戦型ゲームで対戦中、ゲームで負けた後、少年からなじられたことに腹を立て「バカと言ったのは誰だ」などと言って、少年の顔を左手で1回殴り、けがを負わせた疑いですが、お互いに面識はなかったそうです。
最近、少子社会になったこともあり、子どもたちは普段から他の子どもと遊んだり、ゲームをすることが少なくなってきました。ですから一人遊びをするか、対戦相手が必要なゲームなどは、母親を相手にするとか、機械を相手にすることが多く、負ける経験が少ないようです。母親は手加減してくれますし、機械はリセットボタンを押せばやり直せます。
日本では、昔から人気のあったゲームは、「将棋」「軍人将棋」「双六」「福笑い」など二人ないしは複数で楽しむゲームがほとんどでした。また、私が子どものころに海外から来たゲームでも、「囲碁」「チェス」「ダイヤモンドゲーム」「オセロ」などがはやりました。これらは、「ボードゲーム」と呼ばれるものです。この「盤上ゲーム」とも言われるゲームは、コンピューターゲームに対して、複数のプレイヤーがテーブルを囲んで遊ぶゲームを指すことがあります。
私の園では、このゲーム類を多く置くことにしています。それは、少子社会では、子ども集団で遊ぶ機会が少なくなってきたこと、負けることも経験する、また、これらのゲームを異年齢でも経験することによってルールを改定したり、加減したり、様々な工夫をしています。6歳児が、まだルールが理解できない3歳児を相手にオセロをしているのを見ていたら、黒と白のこまを交互において、一緒にきれいな模様を描いていました。こんな遊び方もあるの香と感心したものでした。
このようなボードゲーム類は、今までは「モノポリー」や「人生ゲーム」のようなものがありますが、これらは少し難しく、また、遊ぶのにかなり時間を費やしますので、幼児には余り向いていません。そこで最近はドイツ製のものが多くあります。ドイツのボードゲームは、こんな特徴を持っています。「ルールが比較的簡単で、その場で説明してすぐ遊べる」「プレイ人数は2人のものもありますが、ほとんどは3人~6人程度の集団で遊べるものが多い」「プレイ時間は、短いものが多い」「運だけで勝負を決めるのではなく、子どもでもなれてくるにしたがって勝てるようになるゲームが多い」「イラストもきちんとしたイラストレーターが書いているなど、いわゆる子どもだましではない」などです。最近は、必ずしもドイツ人だけで製作されたものではないようですが、このようなゲームがある地位を獲得してきているようです。
先日の 読売新聞に、「食の問題・新型インフルに備え…カードゲームで模擬訓練」という記事がありました。このゲームによって、「意見の違い知り、判断力を培う」とありますが、本来のゲームはそのような役目もあるので、すべて排除するというのもどうかなと思います。
投稿者 fujimori : 20:57 | コメント (4)
2008年11月07日 [近頃思うこと]
記憶
子どもと付き合っていると、子どもというのは、不思議な存在だなあと思うところが随所にあります。しかも、そのほとんどが、本人が意識していない場合です。
どこかに出かけるときに、朝あわただしく支度をして、さあ、出かけようと思ったとたんにオムツにウンチをしてしまうとか、車に乗り込もうとすると「トイレ!」と言い出す始末です。また、長い間念願だった旅行の計画の前日に子どもが熱を出したり、感染症にかかったりしてしまいます。
子どもとの親子関係での付き合いの中で、私がいくつかのポイントをあげました。「子どもは、何かものを与えれば喜ぶのではなく、気持ちをわかってもらうことを望んでいます。」「子どもは、自分のために親が犠牲になることを望むのではなく、子どもから望んだときに、自分が優先順位の高いことを望みます。」(やってあげる育児から見守る育児へ 学研)
子どもは、このようなことを親に望み、定期的にそれを試そうとしている気がしてなりません。「自分の気持ちをわかってくれているだろうか、自分が親の意識の中で優先順位が高いのであろうか」ということを、保護者の選択から感じようとします。ですから、究極の選択を迫るのです。
もうひとつ、こんなことが言えるようです。それは、その前のあわただしさから、子どもが精神的に疲れている可能性が大きいといえます。私たちの身の回りには、さまざまな細菌やウイルスがうじゃうじゃいます。たとえば、風邪のウイルスは200種以上あるといわれています。私は、昨日インフルエンザの予防注射を昨日しましたが、これが効くかどうかは当てにならないようです。というのも、その中のある種にしか効かないからです。それよりも、本当は効果的なのは、細菌やウイルスの感染を繰り返すうちに、自分自身に免疫力を着けることです。しかし、乳幼児では、まだ抵抗力を持っていません。ですから、出かける間際に限って、かかるわけではないのです。普段と、数値的には変わらないといいます。
しかし、なぜか大事なときの前に限って病気になる気がします。それは、どうも記憶の問題のようです。榊原洋一先生が「大人が知らない子どもの体の不思議」(講談社)の本の中で、こう説明しています。
「記憶を大きく二つに分けると、長期記憶と短期記憶があります。今日の朝食のメニューは思い出せても、三年前の同月曜日の朝食の内容は、日誌でも付けていなければ思い出せません。今日の朝食だって、何日か経つとすっかり忘れてしまいます。それは朝食の内容についての記憶が短期記憶だからです。しかし、たとえば自分の結婚式のメニューは、何年前のことでも思い出せるかもしれません。それは、結婚式という人生の特別イベントであるために、メニューが長期記憶として定着しているからです。だから、3年前の朝食のメニューであっても、それが何か長期記憶に刻まれるような特別の日の朝食であれば、思い出せるということになります。」
何が長期記憶として定着するかは、その日が特別な日であったり、印象深い日であるかによるのです。子どもにとって、いやな記憶を長期記憶として定着しないように気をつけなければなりませんね。
投稿者 fujimori : 18:14 | コメント (4)
2008年11月06日 [近頃思うこと]
落語
最近、私は講演することが多くなったので、少しは慣れてきた気がします。しかし、最初の頃は、余りうまく話すことが出来ませんでした。そんなときによく母から「少しは落語でも習ったら?」と言われました。全国には、話し方教室なるものがいくつもあります。人は、どうしても他の人とコミュニケーションをとらなければなりません。しかし、それが苦手な人は余り人と話しをしなくなります。ひとりで閉じこもることが多くなります。ある話し方教室の宣伝文句にこんなのがありました。
「なりたい自分になる!話し方でお悩みの方。人間関係でお悩みの方。話し方が変われば、生き方が変わります。生き方が変われば、話し方も変わります。一歩踏み出す勇気があれば、あなたもきっと変われます。」
話し方で生き方が変わるのですね。
落語から「相手を意識した対話の大切さ、人前での表現力、江戸文化も学んでいる」というような実践報告が新聞に掲載されていました。その実践を行っているのは諏訪市立城南小学校の6年生で、総合的な学習の時間で落語劇に取り組んでいるそうです。児童たちは、地域の人たちとのかかわりを学ぶため、地元の噺家であるすし職人の小平晴勇さんに自ら講師を依頼し、行事の企画もしています。どうしたら表現できるか、何を意識して話したら人に伝わるかなど落語の基本を担任が解説します。「どんなキャラクターを演じるか、子どもやおばあさん、男の人など、自分がその役になる工夫が要るね」。声の大きさ、強さ、高低、速さとリズム、所作など。江戸文化の中では大家と店子など人間の上下もある。「上からの目線というと変だけど、落語では上手と下手も使い分けるよ」
この授業を通じて講師の小平さんは、「子どもたちが人の目を見て話すようになったとか、先生の話をよそ見しないで聴くとか、効果を耳にしますよ。笑いを無くしたといわれる今の小中学生たちに、落語文化や笑いの大切さを伝えたい」と話しています。
話し方を落語から学ぶという書籍も、いくつも出版されています。野口 卓 (著), 春風亭 正朝 (監修)の「落語に学ぶ話し方と名文句」(日本実業出版社)や、松井 高志 (著)「人生に効く!話芸のきまり文句」(平凡社新書) (新書)などがあります。
また、落語からは、話し方を学ぶだけでなく、人生や人としての生き方、子育て、教育の考え方など学ぶことが出来ます。落語は江戸時代に生まれたものですが、単に面白いだけで楽しませるだけではなく、最後にはほろりとさせるものや、感動を覚えるものもあって、人間の本質を上手く捉え、時代を超えて共感を呼ぶ作品が多くあります。思わず笑ってしまう中から、先人たちが残した困難に打ち勝つ知恵や、心に深く響く学びのヒントを掴みとることさえできるのです。ですから、童門 冬二 (著)「人生で必要なことはすべて落語で学んだ」(PHP文庫)の本の宣伝文句に、こんなことが書かれています。
「こんな旅をしてみたい」「ダメ亭主ダメ女房」「嫌な奴を笑わせてやりこめる」「キレイな金の使い方」「“それを言っちゃーおしまいだよ”を言っちゃった時」など、家庭円満の秘訣や人間関係を円滑に保つ方法を、落語から学ぶ一冊。職人や商人、侍が織り成す落語ワールドは、まさに生きる知恵の宝庫。大の落語ファンが名作落語を引き合いに、軽妙に語る上手な生き方。「どうぞ“落語人間”におなりください」。笑いは本人を幸せにするだけでなく、周りも幸福にします!
落語でも聴いて、日本固有の笑いの奥にある生き方を考えてみることも必要かもしれません。
投稿者 fujimori : 22:26 | コメント (4)
2008年11月05日 [近頃思うこと]
生誕80年
昨日のブログでは、江戸川乱歩の作品が歌舞伎化されるというニュースを書きましたが、今度は、手塚治虫の漫画「ブラック・ジャック」が、狂言作品として舞台化されるというニュースが昨日流れました。それは、この3日が手塚の生誕80年だったからです。企画した兵庫県宝塚市文化振興財団は「漫画と狂言のコラボレーションは全国初。『新たな古典』を発信したい」と意気込んでいます。なぜブラック・ジャックを選んだかというと、演出・出演の大蔵流狂言方、善竹隆司さんは、「最近、家族関係が社会問題や事件になって世間をにぎわせていると感じます。手塚さんが描いた普遍的な親子愛を、ヒューマンドラマである狂言で表現したい」とコメントしています。
新聞報道によると、「ブラック・ジャック」は、無免許だが天才的な技術を持つ外科医が活躍する人間ドラマですが、今回は「勘当息子」という話を題材にするようです。寒村で誕生日を迎えた子だくさんの母を訪ねたのは結局、勘当した息子だった--という親子愛、を軸にした筋書きのようです。
JR高田馬場駅のホームに下りると流れる曲が「鉄腕アトム」で、早稲田口を出るとのガード下に、鉄腕アトムやリボンの騎士など、手塚治虫さんの人気キャラクターを勢ぞろいさせた大型壁画が目に入ります。コンクリートむき出しの暗い印象を変えようと、地域住民や商店主でつくった地域会議が、05年から話し合いを続け、今年の4月に設置にこぎつけたものです。それは、ここ高田馬場は「アトム生誕の地」とされ、手塚プロダクションが馬場に本社を置いているからです。
手塚作品の狂言かだけでなく、手塚治虫の生誕80年を記念して、様々な企画がされています。まず、初期作品の復刻やテーマ別の傑作選が相次いで出版されます。異形の宇宙人たちが集う宇宙空港や新型爆弾で滅びかけた地球を舞台に起こる波乱と冒険のドラマである「おもしろブック版ライオンブックス」(1、2巻、小学館発売)があります。また、初めて本格的にマンガにSFを持ち込んだといわれる1956、57年の月刊少年誌の雑誌付録12冊をカラーページやB5判の迫力そのままに復元されます。また、珍しい試みとして、代表作の最終回だけを「少年マンガ編」「青年マンガ編」の2冊に分け集めた「手塚治虫WORLD」(ゴマブックス)もあります。金の星社は絶版になった「愛蔵版手塚治虫全集」(全10巻)を復刊。このほか、小学館では、「アドルフに告ぐ」「きりひと讃歌」など大人向けの長編代表作3作を「手塚治虫の収穫」と題して刊行中のほか、小学館クリエイティブでは昭和22年発刊の長編漫画「新宝島」を来年2月末にも復刻する予定だそうです。
手塚さんが、平成元年に60歳で亡くなるまで700以上の作品を描いていますので、まだまだ記念発刊が続きそうです。インパクトがあるシーンを1ページ全体を使って大きく表現したり、「シーン」「シャキーン」といった擬音を登場させたりするなど、数々の画期的な手法を生み出した手塚作品について、手塚プロダクションのライセンスビジネス担当部長、内藤出さんは「手塚作品は映画の手法も採り入れ、現代の日本漫画の『文法』を作った。手塚さんがいなければ、日本の漫画文化がここまで世界に普及することはなかったでしょう。世界中の人に読まれることで、平和に少しでも貢献できれば」と話しています。
医学博士でもあった手塚さんが訴えてきた命の尊厳と平和の大切さは、いつの時代でも考えなければいけないテーマでしょう。
投稿者 fujimori : 23:38 | コメント (4)
2008年11月04日 [新聞記事より]
推理
先日のニュースで、江戸川乱歩の「人間豹」を松本幸四郎、市川染五郎の親子が来月、東京・三宅坂の国立劇場で歌舞伎化するそうです。「新しい歌舞伎を構想するうち、明治期以降のとらえどころのない感覚にひかれていった。インテリでモダンな演劇など、いろんなものが日本に入ってきた時代。その象徴のひとつが『乱歩だ』と思った」と語っています。演じられる「人間豹」は、34~35年に「講談倶楽部」に連載された長編ミステリーで、猛獣をかたどった影が女性の命を脅かすというストーリーで、言わずと知れた明智小五郎とのバトルを軸に展開するそうです。乱歩の作品の舞台化は「黒蜥蜴」や「陰獣」などが有名ですが、この作品は初めてのようです。
江戸川乱歩というと、怪人二十面相とか少年探偵団などが活躍する少年文学を思い出しますが、私も小学生の頃学校の図書室からの借り出しがクラスのトップでしたが、この江戸川乱歩物とシャーロック・ホームズシリーズとアルセーヌ・ルパンシリーズが大半を占めていました。そして、高校時代にまたマイブームが来ます。それは、文庫で出版され、その表紙が切り絵でとても妖艶なシリーズになっていたからです。そのときに、江戸川乱歩は、私が知っているような大衆小説を本当は書く気が無く、何度も悩んでいることを知ります。デビューも、大正12年「新青年」に掲載された「二銭銅貨」でした。この小説をはじめとして、初期の頃の作品は、欧米の探偵小説に強い影響を受けた本格探偵小説でした。
その頃、私は、谷崎潤一郎にも傾倒していきます。全集を買って、片っ端から読みました。谷崎といえば、私の高校の先輩という事もあるのですが、夢中になったきっかけは江戸川乱歩でした。なぜかというと、江戸川乱歩が「探偵小説に一つの時代を画するもの」、「これが日本の探偵小説だといって外国人に誇り得るもの」 (「日本の誇り得る探偵小説」) と絶賛した作品が、谷崎の「途上」だったのです。谷崎の作品といえば、日本的情緒に溢れた純文学的作品を数多く残し、どちらかというと少し異常性愛的なものも含まれているというイメージが強くします。しかし彼は、多くのミステリー物を書いているのです。しかも、それらの作品が、横溝正史など多くの作家に影響を及ぼしているのです。
乱歩と谷崎は、お互いに影響しあっていきます。くだけあって、多くの作品の雰囲気は同じような物があります。また、江戸川乱歩は、「探偵小説四十年」の中で谷崎についても論じており、私はこの著作から知りました。この中で、乱歩と谷崎の出会いがこう書かれています。温泉から温泉への放浪の途中で、乱歩は運命的な、一編の小説に出会います。「伊豆の伊東温泉であったと思うが、宿のつれづれに、ふと手にした小説が谷崎潤一郎の「金色の死」であった。」そのとき、乱歩は、これがエドガー・アラン・ポーの「アルンハイムの地所」「ランドアの屋敷」の着想に酷似していることに気づき、「ああ、日本にもこんな作家がいたのか」 と狂喜した。と語っています。それ以来、乱歩は谷崎文学のとりこになり、谷崎の小説を一つも残さず読むようになったそうです。
私が谷崎を知ったのは、江戸川乱歩からだったのです。何がきっかけになるかわかりませんね。
投稿者 fujimori : 21:52 | コメント (4)
2008年11月03日 [記念日]
文化
今日は「文化の日」ですが、文化とはなんでしょうか。日本国憲法が施行された日を記念して「憲法記念日」がありますが、今日は日本国憲法が公布された日を記念とし「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことを趣旨としています。
文化という英語は、カルチャー(culture)といいますが、これはラテン語 colere(耕す)から派生しています。これは全く私の勝手な考え方ですが、「文に化ける」ということで、それまで原始的であったり、自然そのものであった心を耕していくことだと思っています。
先週から全国公開されている映画に「まぼろしの邪馬台国」があります。吉永小百合さんと竹中直人さん主演で1967年に発表された宮崎康平の『まぼろしの邪馬台国』(講談社)という書籍を基にしています。この本は、同年、夫婦揃って第一回吉川英治文化賞を受賞しました。以前のブログでも書きましたが、この本に私は夢中になったことがあり、先日書庫を探してみたらこの年に出された本がありました。
今年8月に講談社より新装版が発売されたそうですが、1980年、その後の更なる研究内容が加筆された決定版が出版されたものの、書籍はいずれも絶版でした。
私はこの本の著者の宮崎さんは、自分の文化を築いているのだと思います。彼は、「邪馬台国はどこにあったか」という、いわゆる邪馬台国論争は専門の学者らの間でしか語られていなかったのを、個人的執念から邪馬台国がどこにあるのかを探求した人で、彼がきっかけで日本人一般にまで波及し、「邪馬台国ブーム」がおき、その論争に火が点いたのです。
邪馬台国の場所は、畿内説と九州説の二大仮説があり、彼は少数派の九州説を推しています。彼は最初は東宝映画に脚本家として勤めますが、兄の死去にあたり、家業の宮崎組と、島原鉄道の取締役に就任します。しかし、長崎市への原子爆弾投下によって、宮崎組は倒産してしまいます。
いっぽう、島原鉄道は昭和天皇の島原来訪のために、昼夜を徹した突貫工事が行われ、彼はそのときの過労により失明してしまいまいます。そして、妻から離縁の申し出があり離婚します。よく知られている「島原の子守唄」は、離婚後に彼が一人で子どもを育てた際に歌って聞かせた子守唄です。そんな彼をTV局で取材した司会者が後に妻になる和子さんです。そんな彼が、地元島原の集中豪雨で事故現場に向かって危機に晒されます。そこでふとしたことから土器に命を救われ、邪馬台国の位置を研究することに情熱を燃やし、妻となった和子とともに九州を行脚する旅に出るのです。
今は、邪馬台国は畿内説が有力ですが、様々な場所が今でも取りざたされています。その一つに、先週末訪れた大分県の宇佐があります。ここにある宇佐神宮は全国の八幡宮の総本社です。この原始八幡神の成立過程をみたり、その後続々とこの地を訪れる渡来人の多さ、そして、宇佐に点在する古墳の多さ等々が、邪馬台国を宇佐あるいはその周辺にあてた理由のようです。実際に、宇佐神宮の社殿のある地そのものが大きな古墳で、地中には石棺が埋まっています。
いくつかの川に挟まれた広大な平野を持つ宇佐の国指定の川部・高森古墳群のある史跡公園「宇佐風土記の丘」に立つと、この地方に日本の創世期から人々が住みつき、しかも、高い文化を持ち生活していた姿が浮かんできます。
投稿者 fujimori : 21:43 | コメント (4)
2008年11月02日 [講演先にて]
渋み
宇佐の宿で、夕方少し周りを歩いてみました。夕暮れが迫る中、すでに刈り取られた田が広がり、畦の木々は色を変え始めています。そんな秋の深まり感じさせるもう一つが、あちらこちらに鮮やかなオレンジ色の実をつけた柿の木です。
一緒に歩いていた若い男性職員が、ジャンプをしてその柿を一つもぎりとり、かじってみていました。一口かじって、奇妙な顔をしています。私は、「おいしい?」と聞いてみると、首を傾げています。もう一口食べて、なんともいえない顔をしています。どんな味か聞いてみると、「なんだか、口の中が、もわもわするような、なにかがへばりつくような気がする。」といったので、「それって、渋いということじゃないの?」「へえ、柿が渋いというのを、初めて知った。」といって感動していました。私たち子どものころは、よく軒下になっている渋い柿を取って食べたものでした。しかし、今は、柿は売っているものを買います。そのとき、渋いものは売っていません。
食物や飲み物はさまざまな味がします。これらの味覚は化学物質による化学刺激です。人間が感じる味覚は大きく分類すると、甘い、塩辛い、酸っぱい、苦いの4種類に分類することができます。料理などでは、これには、辛いと渋いは入らないといわれています。辛さと渋さは、舌が感じ取る味覚ではなく、触覚と痛覚が絡み合ってはじめてわかるもので、生理学的な味覚だからだそうです、
この中の「渋み・渋味」は、日本の美意識の1つであるといわれ、苦味・渋味の美味さは大人でないとなかなか理解できないものであるといわれています。ですから、「苦み」「渋み」は、「成熟した大人(特に男性)」の形容詞としても使われます。百科事典によると、大人っぽく落ち着いた雰囲気を表現して「渋い」と形容するようで、人として未熟なうちは 「甘いやつ」と言われ、人間が練られてくると「渋みが出てきた」とか「苦みばしったいい男」とか言われます。
ところで、柿には、渋柿と甘柿があります。なぜかというと、こんな理由があります。柿は自分の子孫を増やすため、その実を鳥や動物に食べさせ、その実の中にある種をばら撒いてもらわなければなりません。そのために実を甘くします。しかし、実の中の種が成長しないうちに食べられてしまっては元も子もありません。そこで種が成熟するまで実を渋くし、種が成熟してくるとその種から分泌されてくる成分で甘くなるという方法を考えたのです。
しかし、本当は柿が渋さから甘くなるわけではありません。柿の渋みはタンニンという成分です。そのタンニンは「水溶性タンニン」で食べた時に唾液に溶けるこため渋みを感じます。タンニンは話題のポリフェノールの一種で緑茶などにも含まれているものと同じものです。それが、熟してくるにしたがって、「不溶性タンニン」に変化してきて、唾液に溶けず、食べても渋みを感じなくなるのです。甘い柿を切った時ゴマのような黒い点が不溶性タンニンです。柿のさまざまな効用は、ポリフェノールタンニンに依存することが多いため、甘柿よりも渋柿の方が利用価値は高いとされています。
スイート好きの男性が増えていますが、味覚を発達させる意味でも、苦味や渋みも味わって欲しい気がします。
投稿者 fujimori : 21:41 | コメント (3)
2008年11月01日 [講演先にて]
宇佐の歴史
色々な地を訪ねると、どこかでつながる因縁の地と出会うことがあります。また、その地ではじめて知る歴史を知ることもあります。
昨日のニュースで、太平洋戦争末期の沖縄戦で住民に集団自決を命じたとする虚偽の記述で名誉を傷つけられたとして、元日本軍守備隊長らが「沖縄ノート」の著者大江健三郎さんと岩波書店を相手に、名誉毀損で訴えた裁判で、二審も「軍の深い関与」認める判決が出ました。その記事を読んだときに、少し前に訪れた沖縄を思い出しました。事実は、よくわかりませんが、この判決に対して語った大江健三郎さんのコメントの「沖縄の犠牲の記憶を守り、戦う」ではありませんが、私たちは決して戦争という残酷な歴史を忘れてはいけないでしょう。
今回訪れている宇佐市を車で走っているときに、田んぼの中にポコポコと小山が見えます。

ここは古墳が多く残っている地であるので、古墳のひとつだろうと思っていると、そうではなく、「掩体壕(えんたいごう)」というものだそうです。私は、この存在は知りませんでした。この掩体壕は、航空機を敵の攻撃から守るための格納庫だそうです。この掩体壕は、東京の調布飛行場の周辺にも遺構的に今でも残っているようです。そのほかにも、高知空港近くや千葉県茂原市、松山空港の近く、旧熊本空港の近くなどにも残されているそうです。ここ宇佐市の掩体壕は、当時地元の人々の勤労奉仕で造られたそうで、航空機といっても、軍用機を敵の攻撃から守るための施設です。
ここに、昭和14年に宇佐海軍航空隊が練習航空隊としてつくられました。茨城県の霞ヶ浦などの航空隊で、ひととおりの飛行訓練を終えた兵士たちが、実際に戦争に使う飛行機で 訓練の総仕上げをするところです。そのため、全国各地から 若い兵隊が集まり、ここで訓練された人たちが真珠湾攻撃に参加しました。しかし、太平洋戦争末期になると特別攻撃隊の基地となり、この基地から154名以上の若者が南の空に飛び立っていきました。特攻基地としては、大規模なものとして陸軍特攻基地として鹿児島知覧が有名ですが、そことは違った戦跡が残されているようです。
車である道路を通っているときに、その道の両側に20メートル間隔で「人型」のモニュメントが建ち並んでいるのが目に付きました。それは何かということを説明してもらいました。この田園地帯の中を走る周防灘へ一直線に伸びる道路は、特攻隊が沖縄を目指して飛び立って行った滑走路が、ほぼ当時のまま残されたものだそうです。
特攻隊の歴史を知るたびに悲しい気持ちになります。それは、正式名称を特別攻撃隊と呼ばれる特攻は、日本が戦局の悪化を打開するために航空機に250キロ爆弾を積み米艦に体当たりする必死の攻撃法で、一度飛び立ったら、二度と生きて帰ることはできなかったので、飛行機の燃料も始めから片道分だけで、帰りの分は積んでいかなかったという事情を聞き、どんな思いで飛び立ったのだろう胸が締め付けられます。この特攻で、全国では海軍4142人、陸軍1710人の計5852人が亡くなっています。
私たちの世代は、「戦争の記憶を忘れないで」ではなく、「戦争の記憶をつないでいく」事をしなければならないのです。