双葉山

最近、相撲力士に関しての様々な事件、不祥事が世間を騒がせています。その中で特に衝撃的だったのが、昨年、時津風部屋力士暴行死事件の発生です。この部屋は、昭和17年、当時まだ現役の横綱双葉山定次により双葉山相撲道場として設立されたものです。
今週号のR25に「『国技』をめぐる日本と世界の不思議な事情」という記事が掲載されています。「相撲は日本の国技」だと思っていることが、実は違うという記事です。日本相撲協会によると、「国技館で行われているために、そう思う方々が多いのではないでしょうか。国技館は、日本相撲協会が相撲を行うために建てた施設で、明治42年の6月に開館されたのですが、完成前までは『常設館』という名称の予定でした。しかし、完成した際に「国技館と命名しよう」という提案があり、それが了承されたため、現在の名称になったんです。そのあたりから、相撲は国技といわれてきたのでしょう」ということらしいです。
 とはいっても、力士には人格の高さが要求されますし、相撲も品格が求められます。その力士の中でも有名なのが、「双葉山」でしょう。彼は、双葉山 定次といい、第35代横綱です。今日は、彼の出身地である大分県宇佐市に来ています。宿泊先の前には立派な土俵があり、そのそばには彼の銅像が立てられています。
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 彼が有名なのは、まだ年2場所の時代にもかかわらず、本場所での通算69連勝、優勝12回、全勝8回などの記録を残したことがあります。その数々の大記録は未だに破られていないものも多くあります。彼が活躍した時代は、日中戦争が泥沼化し、緊張の時代の中、国民に熱狂的に迎えられ、国民的英雄でした。「双葉の前に双葉無し、双葉の後に双葉無し」と言われたほど、史上最強の横綱でした。
その彼が立派な成績を残したことだけでなく、他にも国民的英雄といわれた理由があります。彼が5歳の時、友達の吹矢が右目に当り、その負傷が元で右目が半失明状態になってしまいます。また、家業の海運業の手伝いをしているときに錨の巻上げ作業で小指に重傷を負い、その後遺症によって右手の小指が不自由でした。そんなハンデを抱えながら、「木鷄」を目標に相撲道に精進し、昭和屈指の大力士となったのです。
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双葉山が目指した「心・気・体」は、この木鷄に現れていますが、その言葉は、69連勝を逃したときに友人に語った「我はまだ木鶏たりえず」という言葉です。この木鶏という言葉は、「荘子」にでてくる「木鶏の教訓」という挿話です。紀省子という闘鶏を育てる名人が、王様がもっていた一羽のすぐれた鶏を鍛え上げた姿を「相手が挑戦してきても、いっこうに平氣でちょっと見ると木鶏のごとく、その徳が完成しています。これからは、どんな敵が現れても戦う前にしっぽをまいて退却することでしょう」と答えたことから来ています。荘子は、この木鶏の寓話で、人間が虚心無我になったときに最も強くなるということを語っています。虚心無我というのは、私心や欲や我執を持たず、わだかまりが無く素直な気持ちでいることであり、そんな気持ちでいるときにこそ力が出るものであるといっています。双葉山は、負けたときに言い訳をせず、まだ自分は虚心無我の境地にはなっていないからであるという自分を戒める言葉を言ったのです。
 最近のニュースを見て、相撲だけでなく、多くの人に影響する人たちは、言動に気をつけてもらいたいものだと思わずにはいられません。

双葉山” への5件のコメント

  1. 先週の土曜日、東京・九段の「昭和館」に行ってみました。昭和の歴史を知るには絶好の資料館です。戦前・戦中の様子を映像でみるコーナーがあり、そこで今日のブログの主人公「双葉山」関の相撲姿を見ることができました。その端整な体つきから出るパワーは流石日本の相撲史の一時代を築き上げるに足ると感動しました。そして「我はまだ木鶏たりえず」と敗戦の弁を語るその奥深さ。荘子の教訓が普通に手でくるところは凄いことです。「私心や欲や我執を持たず、わだかまりが無く素直な気持ちで・・・」は私自身めざすところですが、「我執」「わだかまり」・・・乗り越えるべき課題は多いです。しかも「言動」。「環境を通して」この「言動」にも気をつけていきたいと自戒したところです。

  2. 相撲が国技かどうかではなく、注目される立場としてどうかということで、品格が議論されてほしいと思います。相撲に限らず、競技中は多くの人を魅了していても、それ以外での言動でがっかりさせられることが多くなってきているような気がします。子どもたちに夢を与えるだけでなく、生き方や考え方のモデルになるような、そんな姿を見せる人が注目されるようにならなければいけないんでしょうね。

  3.  私は相撲がとても大好きです。以前、両国にも実際に見に行ったことがありますが、テレビで見るより土俵はとても小さく、その小さな土俵で体の大きな力士が必死に相撲をとっている姿は迫力満点でした。そんな相撲が麻薬や八百長などの不祥事が次々と起きているのは本当にがっかりしました。
     有名になるというのは簡単な事ではありませんし、並大抵の事ではなれないと思います。そして有名になれば周りから尊敬され、慕われると思いますが、その分一つ一つの行動や発言は人に多大な影響を与えると思います。有名になるというのは、それだけのリスクを背負うという覚悟が必要なのだな、と感じました。

  4. 相撲は日本固有の神道に基づいた神事であり、日本各地で豊作を祈願する奉納相撲が今でも行われています。元来、神前で健康な男たちがその力を捧げ、神々に敬意と感謝を示す行為なので、当然礼儀作法が重要視されます。たとえば、勝っても負けても、土俵を下りる時は必ず一礼をします。某横綱はしませんけど。どうも彼ら外国人力士は、相撲をただの「格闘技」と考えてる節があります。強ければいいだろう、勝てばいいだろうというのは、相撲道ではありません。白鵬が双葉山を目標にしているという話を聞いたことがあります。モンゴルに帰ったままなかなか帰ってこない某横綱の時代は終わりましたね。白鵬のさらなる精進と日本人力士の横綱誕生に期待です。

  5. 「相撲は日本の国技」であると思っていましたが、そうではないのですね。ただ、日本における相撲への比重は決して軽くはなく、国技のような意識を持っていることが伝わってきたりもします。祖父は、いつも相撲中継を楽しみにしていました。幼い子供ながらに、何度も両手をついては体を起こしている姿を見て、「早く始めないのかな…」と思ったりもしていました。間合いをはかっている動作が、子どもには耐えられなかったのかもしれません。また、日本が求めるヒーロー像として、弱者に優しく無口で強いといったイメージがあります。そのヒーロー像というのも、現代で変わってきているのかが気になるところです。

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