とんち

 子どもは「とんち話」が大好きです。それは、頭を働かせて、悪いものを懲らしめたり、危機を脱出したり、最後はハッピーエンドで終わることが多く、スカッとするからです。この「とんち」を漢字で書くと「頓知」と書きますが、「機に応じ変に処してはたらく知恵。さそく(早速)のちえ。機智。」と辞書には載っています。この「頓」という字が、「臨機にするさま。にわかなさま。」という意味のようです。
では、昔からとんち者というと誰を思い浮かべるでしょう。まず、「一休さん」が浮かびます。それは、テレビアニメでも放映されていたからです。このテレビのことは以前のブログでも書きました。
次に思い浮かべるのが「彦一とんち話」でしょう。この彦一が誰であるのかは定かではないようですが、肥後国熊本藩八代城の城下町の長屋に暮らしていた下級武士で、定職を持たず、時に農作業、時に傘職人などをして生計を立てていた人物ではないかといわれています。彼にまつわる民話を「彦一ばなし」とよんで、八代では今も語り継がれています。この話しの特徴は、町人や殿様などのほか、狐、河童、天狗などが登場するので、フィクションのものが多いようです。また、この話しは、子どもが好きな要素の、とんちを使って権力者を懲らしめたりするケースは少なく、どちらかというと、有名な「天狗の隠れ蓑」という話のように失敗して恥を掻いたりする話も多く、英雄ではない、等身大の姿が描かれており、それが広く愛されている所以でもあるといわれています。
もう一人、教科書に取り上げられて有名になったとんち者「吉四六さん」がいます。彼は、実在の人物としてその存在が分かっています。現在の大分県臼杵市野津町の生まれで、本名を廣田吉右衛門といい、名字帯刀を許された地方の庄屋でした。吉四六さんは吉右衛門がなまったものです。この吉四六にまつわるとんち話を「吉四六話」といいますが、これは、明治時代に地方から伝承を寄せ集めて編纂したものです。その後、地方紙が読み物としての連載を始めたことで、広く県民が知ることになります。
彼が地元に人気があるのは、彼は出世してからも権力を嫌い、年貢のとりたてに苦しむ庶民の味方になったり、つらく厳しい時代であっても、庶民の相談役となり持ち前のとんち・奇才で人々の難儀を救ったと言われていることにあります。昨日から訪れている大分での懇親会で、参加者の一人がこの「吉四六さん」を大分弁で演じてくれました。その人は、吉四六さんと同じ臼杵市野津町の人です。
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彼の代表的な逸話に「柿の見張り番」というのがあります。この話しは、吉四六さんが子どもの頃のエピソードです。
ある日、吉四六の家の柿がたわわに実りました。そこで親は盗まれないように、吉四六に柿の木を見ているように言いました。しかし、自分自身も食べたくてしかたありません。それなのに、村の友人がやってきて、柿を食べようと吉四六をけしかけます。そこで、吉四六は友人と一緒に全部柿を平らげてしまいます。畑仕事から戻ってきた親は吉四六をしかりつけますが、吉四六は頓知を働かせてこう言います。「柿の実は友達がもいで行ってしまったけど、私は、柿の木はずっと見ていた」と。親は呆れて開いた口が塞がらなかったということです。
この内容を教材として、子どもたちに、この吉四六の行動をどう考えるかという授業をします。

とんち” への5件のコメント

  1. 最近、「地頭力を鍛えるー問題解決に活かすフェルミ推定」という本が売れているようです。著者はこの本の中で、「頭がいい」と言われる人には三種類あると言います。一つは知識が豊富なもの知り、二つ目は対人感性が高くて人づきあいで気が回る人、三つ目はそして数学問題やパズルに強い人(地頭がいい人)。インターネットで検索すれば、専門家の知識を瞬時に手に入れられる時代ですから、これからの時代に生きる子供たちに必要なものは、人とのコミュニケーション能力とともに柔軟な思考力が要求されると思います。小さい頃から彦一や吉四六のとんち話に親しんで、常識にとらわれない自由な発想力を身につけてほしいですね。ちなみに、この本の中に次のような例題が登場します。『日本全国に電柱は何本あるか?』『シカゴにピアノ調律師は何人いるか?』(3分以内に、PCや電卓の使用は不可)皆さんはこの問題、解けますか?

  2. 吉四六と聞いて、気に入って食べ続けたことのある吉四六漬けを思い出しました。これも吉四六さんと関係あるんでしょうか。とんちは算数などと違って人柄が表れるように思います。知識で解決するというより総合力で解決するようなイメージです。私は多分苦手です。
    yamaya49さん。電柱と調律師の問題ですが、全く前に進むことができませんでした。どうやら徹底的に地頭力を鍛えなければいけないようです。

  3. 「とんち」は漢字で直すと「頓知」で「さそく(早速)のちえ」でピンときます。仏教で悟り方に「頓悟」と「漸悟」というのがあって前者の「頓」が「とんち」の「頓」につながり、トントン拍子にいろいろなことが繋がってきて考えるだけでおもしろくなります。昨日家内が歯を抜いた、とかで医者から「痛くなったら飲むように」と痛み止めの薬を処方されたようですが、そうした薬を「頓服」と称していました。「とんち」のことを再考すると最初の定義「機に応じ変に処してはたらく知恵。」がいいですね。「とんち」が全ての状況に応じて必要不可欠、ということがわかります。「吉四六」というと「大分県産麦焼酎」と出るようになりました。ライフスタイルを変えなければ、と真剣に思っております。「私は、柿の木はずっと見ていた」との話に「火を見ててね」と頼まれた東大生の話を思い出しました。「見守ら」なければならないのに「眺めて」いたのですね。

  4.  私は「吉四六」と聞くと焼酎の種類を思い浮かべます。ですから、人物の名前だとは思ってもいませんでした。写真の吉四六さんはとても面白い顔、格好をしていますね。とんち話しは漫才と違い、知恵を使って問題を上手に解決していくイメージがあります。たぶん一休さんをテレビで見ていたからかもしれませんが。漫才と違い、面白さの後に「なるほど」という印象で終わります。確かに、とんちを授業の教材に活用するのは、良いかもしれませんね。

  5. 頓知には、目の前の状況を肯定的に捉える素敵な考え方であるように思います。それだけではなく、そこに「笑い」というくすりとしてしまう楽しい要素までを盛り込んで、聞くものを魅了させます。当事者にとっては困った状況になるのだと思いますが…笑。そして、それを教訓として授業の中で教材とするのは面白いですね。日常にも、多くの頓知が存在することに気がつけるかもしれません。

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