「おもわぬ出会いがありました。」という文を見て、誰と出会ったと思うでしょうか。どんなものと出会ったと思うでしょうか。
先週の連休に妻と訪れた野尻湖のナウマンゾウへの興味は、「掘って 掘って また掘って」という本との出会いがきっかけでした。「おもわぬ出会いがありました。」は、今年の第62回「読書週間」の標語です。秋といえば、食欲や運動の秋と同時に「読書の秋」でもあります。しかし、最近はその言葉は余り聞きませんね。本好きというイメージの日本人としてはどうしてでしょう。
少し前の紹介した「ユニセフ・イノチェンティ研究所調査」によると、10冊未満の本しかない家庭の割合は、日本では9・8%で21か国中17位でした。この調査は、児童のいる家庭に限っていますので、最近の若い夫婦の世帯に本離れが進んでいるようです。
今年の標語は、本は、読む人にとってのひとつの出会いということで、読み手にとって本がどのような存在であるかということですが、過去においては、本は必ずしもそうではなかったようです。終戦まもない昭和22年、まだ戦争の傷跡が残っている日本で「読書の力によって、平和な文化国家を作ろう」という決意のもとに制定されたのが、第1回「読書週間」です。
そのときの呼びかけは多くの国民に反響を呼びました。それ以後も毎年文化の日を中心にした10月27日~11月9日を「読書週間」とし、国民的行事として定着し、日本は世界有数の「本を読む国民の国」になったのです。
このように最初は、本によって平和な文化国家にしようというような壮大なものでした。この考え方は、その後の標語にも見られます。1958年には、「読書でつくろう 明るい社会」、1960年「よい社会 ひとりひとりの読書から」などはそうです。その後、読書によって円満な家庭を作ろうという標語になります。1956年「読書がつくる よい家庭」、1957年「そろって読書 明るい家庭」、1965年「みんなで読書 あかるい家庭」、そして、決定版といえるのは、1970年の、前年の「いつでも どこでも たのしい読書」と二本立てで、「茶の間に雑誌 明るい家庭」です。今、これらを読むと、みんなでどうやって読書をするのだろうかとか、何で茶の間に雑誌があると家庭が明るくなるのかと思ってしまいます。それは、昔は、本を読んだあと、家族で話し合ったり、みんなで同じ本を読んだりしていて、現在、家族みんなでテレビを見る感覚だったのでしょう。しかし、今は、本は一人で、一人部屋で読みますし、家族が読む本は、それぞれ違う本を読むことが多くなっています。テレビでさえ、家族揃ってみることは少なくなってきています。
そうなると、本は国や家庭とは関係なく、本人の生き方に影響するようになります。1947年「楽しく読んで 明るく生きよう」、1955年「読書は人をつくる」、1962年「きょうの読書は あすへの希望」1974年「本との出会い 豊かな心」などは、その現れです。しかし、次第に本は楽しいものになっていきます。1973年「レジャーを本で」、1975年「本との出会い ゆたかな時間」などです。それが、次第に大げさに、またイメージになっていきます。1977年「一冊の本から 何かが始まる」、1978年「翔べ心! 本はその翼である」、1979年「燃えよ人生! 本とのふれあい」、1980年「素晴らしき人生 本との出会い」、1982年「読書はあなたの無限の宇宙」、1983年「読書は新しい発見の旅」などは、凄いですね。活版印刷技術がなかったころは、書を読むことができるのは、主に裕福層やインテリ層にだけ許された行為でした。今は、誰でも本を読むことができます。大切にしたいですね。
「出会いの秋」とは意表を突いたタイトルですね。秋というと、どことなく物悲しくて、落ち葉舞い散る並木道で男と女が別れていく、あの有名な「第三の男」のラストシーンを思い出してしまいます。そうか、読書週間で「本との出会い」ですね。アルピニストで環境保護活動でも有名な野口健さんは、高校1年の停学中に植村直己さんの「青春を山に賭けて」を読んで感銘を受け、山の世界に入ったとか。1冊の本が人生を変えてしまうこともあるんですね。藤森先生のブログとおつきあいするようになってから、少し読書量が増えたように思います。先生のお話をより深く理解するために関連する本を選んで読んでいるからです。最近、柏木恵子先生の「子どもが育つ条件」(岩波新書)を読みました。藤森先生のお考えにとても近いですね。見守る保育の理念が、もっともっとスタンダードになってほしいですね。
読書週間の標語が時代によってこんなに違うんですね。同じ読書ですが、いろんな目的の持って読書できることを感じました。自分はどんな目的で本を読んでいるか考えてみましたが、興味や関心を広げていくために本を読んでいるのかもしれません。なんとなく心にひっかかるものがあれば、そのテーマの本を読んでみる。その中でまた感じるものがあればその本を、といった感じでしょうか。本を読むことが今のように簡単にできることではなかった時代を考えると、本当に有難いことかもしれません。
「読書週間」の標語を年代順に並べて紹介して頂くと面白い傾向が見えてきます。「読書週間」が始まった頃は「読書」によって「社会」を造ろうとすることがわかりますが、その傾向が「家庭」そして「個人」へ、とすなわち集団から個へ、と推移して来ていることに気づかされます。私としては、「読むこと」によっていろいろなことを知ることができるので、特に社会の在り様を考え、そのあり方の様態をさまざまに考える際には欠かせない行為です。「読書」というと、単行本や新書、あるいは文庫本をイメージしますが、インターネットで様々な文を読むことも昨今は「読書」でしょうから、そうした意味では、日本の老若男女はいまだに「読書」好きと言えるかもしれません。「読書」という行為が時代によって変遷してきている、すなわち紙媒体から電子媒体へ移行してきている、と言えるのかも知れません。臥竜塾ブログを読むことも立派な「読書」です。
社会人になって逆に本を読むようになった気がします。とは言っても、以前が全く読んでいなかったので、読むようになったと言っても一ヶ月に一冊くらいのような気がします。その読書週間の標語は時代が進むにつれて、どんどんインパクトが凄くなってきていますね。「燃えよ人生!本とのふれあい」なんて、逆にどうコメントすればいいのか?困ってしまいます。ですが、それだけ読書の素晴らしさというのを、少しでも多くの人に理解してもらいらい為に、標語に熱い思いを込めているのでしょうか。それにしても、昔は裕福層やインテリ層しか読むことが出来なかった本が今では誰でも気軽に読める環境になりました。そういう歴史があるからこそ、本と言うものは大切にしなければいけないと思いました。