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2008年10月17日 新聞記事より

幸福

 9月28日の 読売新聞に、「幸福感」についての世論調査結果が特集されていました。この調査は、面接方式で、1979年以降継続的に30年間行っています。その結果を見ると、今の自分を「幸福だ」と感じている人は88%もいて、「不幸だ」という人は10%しかいなかったそうです。79年以降の調査を見ると、「幸福だ」と感じている人は89年の92%が最高で、最低でも99年の87%で、ほぼ30年の間、ずっと9割前後を推移し、日本人は、現状を肯定的に受け止めることがわかったそうです。
 では、何を幸せと考えるかを具体的に聞いてみると、「何か良いことが起こること」と考える人は29%にとどまり、「何も悪いことが起こらないこと」の69%が大きく上回っています。では、今の日本人は、「自分が幸せかどうかを他人と比べて判断する人が多いと思う」と答えた人は76%いますが、「そうは思わない」は21%でした。「自分だけが幸せならばよいと考える人が多い」との指摘にも、「そう思う」と答えた人は72%もいました。
 幸福とは何かを二つまで選んでもらったら、「健康なこと」が69%で最も多く、「しあわせな家庭生活」41%、「良い友人をもったり、人々と仲よく暮らしたりすること」27%と続いています。このベスト3は、30年間変わっていません。ただ、今回と79年を比べると、「健康」は3ポイント減、「家庭生活」は4ポイント減となり、「良い友人」は5ポイント増えています。
 この結果をどう考えればよいのでしょうか。新聞には、コラムとして僧侶作家の玄侑宗久氏のコメントを載せています。
「私は、幸せとは自分が変わったと感じられることだと思っている。「『幸福』とは何か」という質問の答で、「ひとつの目的に向かって我を忘れて取り組むこと」という選択肢がある。これを挙げた人はほぼ30年前の1979年でもわずか7%、今回も3%に過ぎない。しかしこれこそが幸せの本質ではないか。夢中になって何かをやり、いつの間にか自分の枠を超えていたことに気づくということだ。」
確かに結果を見ると、幸福を求める姿が見えてきません。なにもしないでじっとしていると、確かに自分の身には、何も悪いことは起きないでしょう。それが幸せなのでしょうか。
論語の述而篇15にこうあります。「子曰、飯疏食飲水、曲肘而枕之、楽亦其在中矣、不義而富且貴、於我如浮雲」(子曰はく、疏食(そし)を飯(くら)ひ水を飲み、肘を曲げてこれを枕とす。楽しみ亦た其の中に在り。不義にして富み且つ貴きは、我に於いては浮雲の如し。)
 孔子は、こう言っています。「高粱(コウリャン)のような粗末な飯を食べ、水を飲み、腕を曲げて、枕代わりとするような、質素な暮らしをしていても、道に志す本当の楽しみは、おのずからその中に在るものである。不正な手段や人に不義して得た富や地位などは、自分にとっては、浮雲のようなはかないものである」
 人間としての真の楽しみは、学問と道徳の実践の中にこそあると考えています。私は、その実践から真理が少し垣間見えたときに幸せを感じます。

投稿者 fujimori : 2008年10月17日 23:53

コメント

「幸福」ということで思い出すのは、チャップリンの「ライムライト」のあの名セリフ『人生に必要なものは・・』ですね。かつては有名であったが、今では落ちぶれたコメディアンのカルヴェロ(チャップリン)が売れないバレリーナ、テリーを励ますシーンのカルヴェロのセリフを紹介します。
  『人生を恐れてはいけない。人生に必要なものは勇気と希望と少々のお金だ。
   戦うんだ。人生そのもののためにだ。生き、苦しみ、楽しむんだ。
   生きていくことは美しく素晴らしい。死と同じく生も避けられない。
   生命だ。命だ。宇宙にある力が地球を動かし、木を育てる。
   君の中のある力と同じだ。その力を使う勇気と意思を持つんだ。』
今更ながら、彼の人生の本質をついた幸福観と人間と宇宙を貫く生命のダイナミズムへの洞察の鋭さには驚かされます。彼の持つ哲学は、西洋人でありながらどちらかというと東洋思想に近いと考えるのは私だけでしょうか。真の幸福感は人生をよりよく生きる哲学から生まれるような気がします。

投稿者 yamaya49 : 2008年10月18日 12:05

何が幸福かというのはとても難しいですが、何事もなければそれで幸福を感じるということはないでしょうね。やはり自分の目標に向かって動いているときに、少しであっても前に進んでいると実感できたときに充実した気持ちになります。この充実感に今の自分は幸せを感じています。

投稿者 あいやま : 2008年10月19日 10:23

 自分にとって何が「幸福」なのか?と聞かれた時に、以前の私はブログに書かれているような事を答えていたと思います。でも今は「今の職場に出会えたこと」と答えます。玄侑宗久氏のコメントのように、今の職場に出会って自分の力が100%以上の力が発揮できると思いますし、この1年で少しは変われたような気がします。
 「幸福」というのはお金がたくさんあったり、権威があったりするのが幸福でなく、自分がとても輝ける場所があるというのが「幸福」なのかな?と私は思いました。

投稿者 Sasuke : 2008年10月19日 12:58

「幸福」とは洋の東西を通じてはるか昔からあれこれと定義されてきたところです。結果、数々の「幸福論」が世に送り出されてきました。しかし、ショウペンハウアーやラッセル、アラン、などなど、すぐにわかる!、というものではないですね。それほど「幸福」とは難しいのだとわかります。もっとも今日のブログは私たち日本人の「幸福感」です。「感」ならあまり難しく考えなくてもいいですね。家族で夕飯をとる、という当たり前の出来事にも「幸福」を感じられます。あるいは素敵な景色を見ることができても「幸福」は感じられます。そして皆が楽しそうに何かに取り組む姿からも「幸福」は感じられます。「楽しい」と「幸福感」に繋がりますね。この当たり前のことがとても重要な気がします。

投稿者 toshi0919 : 2008年10月20日 22:07

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