昨日紹介した「ユニセフ・イノチェンティ研究所調査」では、ほかにもこんなデータがありました。
「向上心」の指標として掲げた、「30歳になった時、どんな仕事についていると思いますか」との質問に対しては、「非熟練労働への従事」と答えた日本の15歳の割合は、25か国中最高の50・3%に達しています。2位のスイスが39・7%ですから、日本の若者はダントツ向上心がない国であるという結果です。これは、どうしてかということが問題ですが、よく、日本は格差社会なので、その格差に対してあきらめのような気持ちを持っているからだといわれますが、もっと格差がひどいアメリカでは、意外と14・4%で「向上心」世界第一位なのです。これは、「アメリカン・ドリーム」という「夢」があるからでしょう。ということは、日本の若者は、夢を持てないということになるのかもしれません。
反面、日本は、親が働いていない家庭の割合が、先進国中で最も少ない0・4%でした。ところが、平均収入の5割を下回る家庭に暮らす「貧困児童」の割合は、14・3%にのぼり、最悪の米国の21・7%から数えてワースト9位でした。先進国間での比較ですが、最下位のアメリカは論外として、デンマークの2・4%に比べても、先進国平均11・2%と比べてもかなり低く、最近の「所得格差拡大」や子どもを持つ「ワーキングプア」家庭が相当数に達していることが分かりました。
では、仕事ぶりはどうなのでしょうか。学力調査で有名なOECDとは、経済協力開発機構だけあって、働くことに関しての調査結果を発表しています。加盟30カ国であった2006年のデータによると、労働者一人当たりの年間平均労働時間は、日本の場合最近どんどん時短が進んできましたが、それでも1784時間です。急激に減ってきている韓国がいまだに2357時間であることからするとまだいいのかもしれませんが、欧州ではどの国も少ないようです。オランダの場合は1391時間だそうです。もちろん、少ないにこしたことはありませんが、あまりに少ないと収入が減り、経済効率が悪くなるような気がします。
OECDの国別労働生産性は、国民総生産(GDP)を勤務時間で割った数値で比較されています。勤務時間当たりのGDPを示すため、労働者の能力や勤勉さ以外に、生産効率性や技術水準など複合的な要因も作用します。OECDによると、2006年の労働者の時間当たり労働生産性はOECD加盟国の平均は38ドルでした。労働時間でダントツ多い韓国では、20.4ドルで、トルコの14.6ドル、メキシコの16.0ドル、ポーランドの19.3ドルに次ぐ4番目の低さで、韓国の新聞でこれが取り上げられ、問題になっていました。労働生産性が最も高い国はルクセンブルクで72.2ドル、ノルウェーは71.0ドルで、次いでベルギー、アイルランド、オランダ、米国、フランス、ドイツ、スウェーデン、デンマーク、オーストリア、豪州、英国、フィンランド、カナダ、スイスなどの順で、いずれも40ドルを上回っています。日本は、韓国ほど低くありませんが、それでも平均を下回る35・6ドルでした。
効率が悪く、ただ多く働いて、夢が持てない社会では、自殺者が多い国になったことが頷けますし、やけになって無差別殺人を犯す人が多くなるのも判る気がします。
日本は格差社会になったと言われますが、いつの時代でも身分の違いからくる貧富の差はあったわけで、現在の格差社会は「パラダイムチェンジ」つまり「時代の枠組み」それ自体が大きく変化した結果と捉えるべきです。中教審会長の山崎正和氏がある新聞で語っていましたが、産業活動の主力が金融や新技術、「デザイン」など、いわゆる知識集約型に移り、『ポスト工業社会』が到来しているといいます。今の日本では知的競争力を持った人材(エリート)が要求されているが、戦後以来の麗しい平等主義によって、エリートという言葉すら嫌われている。こういう平等主義、何もかも平均に押しこむといった考え方はこれまではうまくいっていた。真ん中ぐらいの労働力が主流の産業社会に適応していたから。ところが、今はそういう人が働く所がないから、日雇いになってしまう。結果として格差が生まれてくる。こういう時代認識を前提にして、これからの教育の在り方を模索する努力が必要かと思います。
日本の若者が向上心がない理由で、日本が格差社会というのは納得してしまいます。確かに、他人と比較され自分が劣っていると、すぐに諦めたり、「どうでもいいや」という感情が今の若者にあると思います。実際に私もつい、そのような傾向があるので偉そうなことは言えませんが…。そして日本よりも格差があるアメリカは向上心が世界で一位というのは衝撃でなりません。どれだけ日本人は夢がなく、目標に向かって努力しないのだろう?と思いました。「アメリカンドリーム」という言葉もただの言葉でないですね。大人になっても子どもの頃に持っていた純粋な気持ちというのは忘れたくはありませんし、それ位の心の余裕を持ってもいいと思います。
夢を持てない社会はさみしいですね。夢の全てが叶えられるわけではないですが、それが叶えられないことと夢自体をもてないことは大きく違います。日本を出ておられる方が今回ノーベル賞を受賞されていることなどを考えても、国としての考えを大きく見直す必要があると思ってしまいました。子どもたちが夢を持てる社会でなければいけないし、それにつながる教育でなければいけないと思います。
わが国は「向上心」など持たないほうがいい、という教育が小中高大を通じて連綿と行われていると思います。学校の先生は「いやっ!絶対にそんなことはない!」と反論されると思いますが、自らの過去を振り返り、あるいは家内の高校時代を聞き、さらには、我が子の今を反芻するにつけ、その反論は単なる掛け声シュプレヒコールとして響いてきます。OECDのPISAの調査を受けて小学校の国語算数の授業時間数は増え、しかも宿題により「詰め込み」教育を復活させるようです。来年度からの本格実施のようですが、我が子はすでにその波の中にあり、宿題を出しては「なおしてだしましょう」と修正再提出を毎日求められています。我が子は馬鹿なのか、と夫婦揃って「向上心」どころか「羞恥心」さえ感じます。これからの学校教育は家族全体でやる気をなくさせるか、あるいは半狂乱的に子どもを仕込むか、何だかそんな方向に向いているような気がします。どちらをとっても「向上心」など望むべくもありません。