2003年11月のメルマガに、「ルロス・ゴーン経営を語る」から、こんな言葉が紹介されています。
「ある限られた時間の中で具体的な目標を決定していかなければならない時、“全員が同意しない限り、先には進まない”という日本のコンセンサスは、非常に大きな足かせとなる。
そんなことをしていたら、その間にも事態は悪化していくばかりだからである。
そもそも、意思決定の方法として日本式コンセンサスが優れているというのは、かなりのところ神話に過ぎない。というのも、過去に偉大な成功を収めた日本の企業は、たいていの場合、非常に個性的な経営者、あるいは経営陣が過去の習慣にとらわれず、時には独裁的な権力を行使して、会社の方向を決めてきたからである。その意味で言うと、日本式コンセンサスは隠れ蓑に過ぎないのだ。日本式コンセンサスというのは、自信がなく、能力にも欠ける経営陣が、何も決定しないで済ませるための言い訳に使うものである。」
ここでいう「日本式コンセンサス」というのはどういうものなのでしょうか。もともと、コンセンサスというのは、「合意」といってみんなの意見の一致を図ることです。しかし、簡単に合意といっても人さまざまな意見や考えがあり、それらが一致するということは難しいことです。ですから、当然コンセンサスを得るために、さまざまな議論などを通じて関係者の根底にある多様な価値を顕在化させ、相互の意見の一致させていかなければなりません。
この合意をさせていく過程を日本では「全員が同意しない限り、先には進まない」というように一見、民主的な決め方といってきたのでしょう。民主主義は一人一人の意見を尊重するのが原則だからです。しかし、民主主義とは本当にそういうことなのでしょうか。
大阪大学大学院生命機能研究科の柳田敏雄さんは、西洋と東洋の考え方の違いは、科学が追求している「真理」のとらえ方が基本的に異なることであるとしています。東洋人にとって, 真理は絶対的なものであるとする反面、 西欧の研究者にとっての真理は、みんなの「コンセンサス」ではないかと言っています。それは、キリスト教的コンセンサスに基づく論理の一貫性を基本にしていると言われる西欧の考え方に由来しているといいます。それに対して、日本人にとっては、論理よりもデータの正しさが絶対的なもので、コンセンサスに基づいて明快な議論を展開する西欧人と、どんなものかも解らない真理の追求を目標としている日本人とでは、議論をしても負けてしまいます。しかし、これからの時代は、混沌とした中から創発的に答えを導き出すような研究が重要であり、一義性を排し, 多様性やあいまいさを重んじ, 非論理性を受け入れる東洋的、特に日本的考え方のほうが有利になるのではないかと言っています。それは、コンセンサスなど飛び越えてゴールを見据えなくてはいけないような世界だからであるといいます。
真理を求めていこうとするときには、改革が求められることがあります。そのときに、変えようとしない人の多くは、みんなの合意を得ないからという理由を言うことが多くあります。結局は、リーダーが変えようとする意志が弱いからのような気がします。
つい先頃、「パナソニック」という統一ブランドを発表した松下電器ですが、2002年には過去最悪の業績にあえいでいました。当時の中村社長は『成功した企業や組織は、成功した人々と成功したシステムにより破壊する』として、その病根が過去の成功の呪縛にあると分析、20世紀型成功モデルを破壊し、超・製造業の創造を打ち出して、見事にV字回復をなしとげました。トップダウンかボトムアップかといえばトップダウン型の決断の好例だと言えます。非常時には、トップの改革への勇気ある決断と実行力が必要ですね。いま、子どもたちの世界が危機的状況にあるといわれて久しいのですが、保育現場の改革の動きは決して早いとは言えない感じですね。保育指針や教育要領が改定された今がチャンスだと思います。心ある園長先生の英断に期待したいと思います。
決定するのはリーダーの役目であり、みんなが同じ意見でなくても根底にある思いをそろえていくことができればいいのではないかと思います。意見が割れることを恐れない、決断することを恐れないことが大切だと思います。いきなり真理をつかもうとするのではなく、でも真理への道を外れることのないようにしながら、議論や検証を繰り返し、とにかく前へ進んでいくことが大切だと自分に言い聞かせています。
以前、保育を変えるときに、職員に言ったことがあります。
「反対の人もいるかもしれないし、ついてこれないと思う人もいるかもしれないけれど、私はここにいるみんなに嫌われても、子どもを一番に考える保育をしていきたい。保育を変えることで、子どもの数が減るかもしれないけど、子どもの数が減ったとしても、本当に子どものための園にしたい」
ちょっと、極論かもしれませんが、その思いはある程度伝わったみたいで、今、みんな頑張ってくれています。
人の入れ替わりはありますが、残ってくれている職員が、日々成長し、より子どもを主体に考えようとしてくれる姿に、感謝する毎日です。
私はまだ、リーダーと呼べる立場ではないですが、リーダーと言われる人から変わらないと、ついていこうと思う人たちも変われないと思います。リーダーの変わろうとする思いや行動が動機づけとなって、改革への道が開かれるのではないでしょうか?
エラソーなこと書いてしまいましたが、率直な気持ちです。
「コンセンサス」とは初めて聞いた言葉です。確かに日本は何かを変えようとする時は全員の意見を聞き、一致しないと変えないと思います。私も何か企画をして、それを実行する場合、周りの意見を気にするので聞いて回ります。先生の言われる通り意志が弱いのかもしれません。
何かを大きく変える時に、まずは変える事で何を一番大切にするのか?という意志を、しっかり持つことが大切なんですね。回りの反応を気にして、なかなか変えれないと言い訳をしていては、気付けば時代に遅れていってしまうかもしれません。それに私自身も、自分の確固たる意志を持つべきだと思いました。
何か新しいことを始める時よく耳にするのが「共通認識」とか「共通理解」ということです。これら「共通」が難しく「どうしたらいいですか?」という問いを伴います。しかし、よくよく考えてみると、新しいことを始める場合にも従来から行われてきたことがあったはずです。そしてそれらは往々にして「認識」とか「理解」はそもそも前提されていないことが多いような気がします。それにもかかわらず、従来のことを変えようとする時「共通認識」「共通理解」あるいは「コンセンサス」を殊更論います。「コンセンサス」にはおそらくレベル、程度があるでしょう。そして「時間」という環境が必要となるでしょう。「コンセンサス」を意識するより「方向性」についての確固たる信念をリーダーが持つことが肝要かと思われます。