そろそろ各地で紅葉情報を聞くようになって来ました。先日の黒姫では、最初に紅葉するのは、「つたうるし」などの蔦系だそうです。「つた」は、木などをつたっていくのでその名が着いたといわれますが、まだ周りが緑のうちに、真っ赤に紅葉するので目立ちます。そして、つた同様、赤く紅葉するものに「楓」があります。楓は、モミジとも呼ばれ、秋に紅葉する葉の代表格です。
「秋の夕日に 照る山もみじ こいもうすいも 数ある中に 松をいろどる かえでやつたは 山のふもとの すそもよう」と歌われるように、楓(かえで)や蔦(つた)は、濃いものや薄いものがあるので、着物のすそ模様のようにきれいです。この楓と蔦の二種類の組み合わせは、秋を表すときによく使われ、伊勢物語の第九段に「宇津の山にいたりて、わが入らむとする道は、いと暗う細きに、蔦、楓はしげり、もの心ぼそく」という中にも書かれてあります。この中の蔦や楓は、きれいというよりも、心細さを感じさせているようです。
紅葉は、もちろん葉の色が赤や黄色に変わる美しさがあるのですが、それだけではなく、それを引き立てる緑が必要です。その緑は、「もみじ」の歌では「松」ですが、そのほかの常緑樹も引き立て役を果たします。尾形光琳や俵屋宗達が同じモチーフで描かれた「槙楓図屏風」では、楓の赤を槙の緑が引き立てています。
もともとこの絵は宗達が描いたものですが、光琳がその絵を模写しました。その一対の絵が今、国立博物館で、尾形光琳生誕350周年記念「大琳派展-継承と変奏-」というイベントで公開されています。この絵画展では、琳派を代表する本阿弥光悦・俵屋宗達・尾形光琳・尾形乾山・酒井抱一・鈴木其一の六人の作品が展示されています。この間の日曜日に行ってきました。
彼ら琳派の特徴のひとつとして、先達の作品に触発され、同じ主題の作品を描いていることがあります。ここでは、「風神雷神図屏風」など、同じ主題の著名作品を同時に対比展示しています。もうひとつ印象的な作品が「槙楓図屏風」です。今回の展示では、この二作品がかぎの手に展示されているので、見比べながら観ることが出来ます。

宗達の絵は、重厚な趣を持っており、奥行きを感じさせます。力強さ、金の綺麗さ、槙の重さ、秋の草花は可憐さ、楓の赤を引き立てる槙の木は、葉だけでなく、その2本の幹も印象的です。

そして光琳の絵のほうは、枝葉を減らし、少し位置をずらして、全体をすっきりさせています。やはり、楓の赤がうまくきわ立つように、槙の緑の濃淡がリズミカルに広がり、奥行きも感じられます。同じものを描いても受ける印象は、ずい分と違ってきます。
槙は、千葉県の県木に指定されていますが、正確に言うと、「イヌマキ」という木で、その名称を単に「マキ」と改められて、そう呼ばれています。街路、公園、庭木など目によくふれる木です。種子は球形に近く、日本名マキは円木(まるき)の略したものといわれています。この木は、雌雄異株で,果実は赤紫色の花托の上に緑色の果実がつき色のコントラストと形が面白く、甘くて食べられます。
よく見る景色も、樹木も絵画を通してみるとまた違って見えてきます。
月別アーカイブ: 10月 2008
私はこれで
先月の9月19日に、映画監督の市川準が亡くなられました。出先の食事中だったそうで、59歳でした。当然亡くなられる場合の多くは、タバコが何らかの影響があるといわれていますが、市川さんは、まさか吸っていなかったでしょうね。というのは、市川さんは映画監督になる前の80年代は、CMディレクターとして活躍していました。その有名なCMに、禁煙パイポがあるからです。
このCMは、1984年に作られました。映像は、まず、3人のサラリーマンのおじさんが次々と登場します。一人目はこう言います。「わたしはこの禁煙パイポでタバコをやめました。」そして、二人目はこう言います。「わたしもこのパイポでタバコをやめました。」そして、三人目は、「わたしは、」と言って小指を出して、「これで、会社を辞めました。」というオチで終わるのです。
このCMには、懐かしい思い出があります。何度かブログで紹介しましたが、私が若い頃「八王子保育研究会」という会を立ち上げ、仲間と色々な活動をしていました。その主な活動が、毎年色々なテーマで開催をしていた「乳幼児の世界展」という保育展でした。1987年の保育展は、「くうねるあそぶ」というテーマで、子どもにとって「食べること」「寝ること」「遊ぶこと」の大切さを、井上陽水の出演の車セフィーロのCMをもじっての展示でした。その中で、私がこんなポスターを書きました。
それは、女性が小指を立てている絵で、コメントにこう書きました。「私は、これで会社を辞めました。」そして、その少しあとに続けて、「でも、保育園があったら 辞めなくてすんだのに。」もとのCMでおじさんが立てた小指は「彼女」を表していましたが、私たちの世界では、赤ちゃん指ということで「子ども」を表しています。
そのように、「くうねるあそぶ」ではありませんが、その頃話題になったCM を使って、子どもの世界を表しました。
例えば、「初恋の味 カルピス」というCMをもじって、「初恋の味 離乳食」ということで、子どもにとって始めて味覚を味わう離乳食の大切さや食育の大切さを訴えました。また、「やめられない とまらない かっぱえびせん」というCMをもじって、「やめられない とまらない スナック菓子」ということで、子どもにスナック菓子を与えすぎないようにという警告を発しました。また、「百円でポテトチップスは買えますが、ポテトチップスで百円は買えません」というCMをもじって、「百円でポテトチップスは買えますが、ポテトチップスで健康は買えません」ということで、やはり、スナック菓子の食べすぎを警告しました。
また、「タバコは動くアクセサリー」というCMをもじって、「子どもは動くアクセサリー」ということで、子どもをつれて歩くことのかっこよさを訴えました。
CMは、時代を反映したり、皮肉ったり、印象に残るものが数多くあります。「私はこれで…」を作った市川さんは、他にも「亭主元気で、留守がいい」と教え、それをくりかえすオバタリアンの教室では、主婦パワーを取り入れた金鳥タッチのCMがありますし、「エバラ 焼肉のタレ」「タンスにゴン」「ヤクルトタフマン」「デューダ」等のテレビCMなど400本以上のCMを発表し、85年にはカンヌ国際広告映画祭で金賞を受賞しています。
コマーシャルコピーは、短い言葉の中にどれだけの情報を入れ込むかという面白さがあります。俳句や短歌を詠むように、たまには、コマーシャルコピーを作って楽しむのも頭の体操になるかもしれません。
出会いの秋
「おもわぬ出会いがありました。」という文を見て、誰と出会ったと思うでしょうか。どんなものと出会ったと思うでしょうか。
先週の連休に妻と訪れた野尻湖のナウマンゾウへの興味は、「掘って 掘って また掘って」という本との出会いがきっかけでした。「おもわぬ出会いがありました。」は、今年の第62回「読書週間」の標語です。秋といえば、食欲や運動の秋と同時に「読書の秋」でもあります。しかし、最近はその言葉は余り聞きませんね。本好きというイメージの日本人としてはどうしてでしょう。
少し前の紹介した「ユニセフ・イノチェンティ研究所調査」によると、10冊未満の本しかない家庭の割合は、日本では9・8%で21か国中17位でした。この調査は、児童のいる家庭に限っていますので、最近の若い夫婦の世帯に本離れが進んでいるようです。
今年の標語は、本は、読む人にとってのひとつの出会いということで、読み手にとって本がどのような存在であるかということですが、過去においては、本は必ずしもそうではなかったようです。終戦まもない昭和22年、まだ戦争の傷跡が残っている日本で「読書の力によって、平和な文化国家を作ろう」という決意のもとに制定されたのが、第1回「読書週間」です。
そのときの呼びかけは多くの国民に反響を呼びました。それ以後も毎年文化の日を中心にした10月27日~11月9日を「読書週間」とし、国民的行事として定着し、日本は世界有数の「本を読む国民の国」になったのです。
このように最初は、本によって平和な文化国家にしようというような壮大なものでした。この考え方は、その後の標語にも見られます。1958年には、「読書でつくろう 明るい社会」、1960年「よい社会 ひとりひとりの読書から」などはそうです。その後、読書によって円満な家庭を作ろうという標語になります。1956年「読書がつくる よい家庭」、1957年「そろって読書 明るい家庭」、1965年「みんなで読書 あかるい家庭」、そして、決定版といえるのは、1970年の、前年の「いつでも どこでも たのしい読書」と二本立てで、「茶の間に雑誌 明るい家庭」です。今、これらを読むと、みんなでどうやって読書をするのだろうかとか、何で茶の間に雑誌があると家庭が明るくなるのかと思ってしまいます。それは、昔は、本を読んだあと、家族で話し合ったり、みんなで同じ本を読んだりしていて、現在、家族みんなでテレビを見る感覚だったのでしょう。しかし、今は、本は一人で、一人部屋で読みますし、家族が読む本は、それぞれ違う本を読むことが多くなっています。テレビでさえ、家族揃ってみることは少なくなってきています。
そうなると、本は国や家庭とは関係なく、本人の生き方に影響するようになります。1947年「楽しく読んで 明るく生きよう」、1955年「読書は人をつくる」、1962年「きょうの読書は あすへの希望」1974年「本との出会い 豊かな心」などは、その現れです。しかし、次第に本は楽しいものになっていきます。1973年「レジャーを本で」、1975年「本との出会い ゆたかな時間」などです。それが、次第に大げさに、またイメージになっていきます。1977年「一冊の本から 何かが始まる」、1978年「翔べ心! 本はその翼である」、1979年「燃えよ人生! 本とのふれあい」、1980年「素晴らしき人生 本との出会い」、1982年「読書はあなたの無限の宇宙」、1983年「読書は新しい発見の旅」などは、凄いですね。活版印刷技術がなかったころは、書を読むことができるのは、主に裕福層やインテリ層にだけ許された行為でした。今は、誰でも本を読むことができます。大切にしたいですね。
富貴
昨日の論語の中で「不義而富且貴」と書かれているように、人は「富貴」を求めようとします。孔子は、そのこと自体が悪いのではなく、それを、不義を働いて得ても意味が無いと言っています。
「子曰 富與貴是人之所欲也 不以其道得之 不處也」
孔子はこう言っています。「富と貴い身分とは人の誰でも手に入れたいと思うものです。しかし、それらを善い事(勤勉や高潔な人格)によって得たのでなければ、その富を享受することも、その地位についていることも、心から満足できないものです。
「貧與賤是人之所惡也 不以其道得之 不去也」
反対に、貧しかったり、賤しい身分でいることを人は嫌うものです。しかし、もし道を間違っているならば、そこから逃れることはできないのです。
これを読んでも、孔子は決して富貴を否定しているわけではありません。ですから、渋沢栄一が「論語と算盤」を著し、「道徳経済合一説」という理念を打ち出したのには、この考え方を孔子から学んだからでしょう。渋沢はこう言っています。「算盤をとって富を図るのはけっして悪いことではないが、算盤の基礎を仁義の上においていなければいけない。私は明治六年に役人をやめて、民間で実業に従事してから五十年、この信念はいささかも変わらない。」実際に、渋沢は、経済を発展させ、利益を独占するのではなく、国全体を豊かにする為に、富は全体で共有するものとして社会に還元することを説き、自らも心がけました。
「司馬牛憂曰 人皆有兄弟 我独亡 子夏曰 商聞之矣 死生有命 富貴在天 君子敬而無失 与人恭而有礼 四海之内 皆為兄弟也 君子何患乎無兄弟也」
司馬牛は憂いをもってこう言いました。「人間にはみんな兄弟がいるというのに、私だけはただ一人だ」それに答えて子夏が言います。「私は死生の別も運命であり、富み栄えるのも天命であるという言い伝えを聞いています。君子が慎み深い態度をとって間違いを行わず、人と親切に交流して礼を失わなければ、世界のすべての人々がみな兄弟になるだろう。君子であれば、兄弟がないというようなことを嘆くことはないだろうか。」
この中の「死生有命 富貴在天」とは、孔子が常に説く教訓です。しかし、この言葉からは、なんだかあきらめとか慰めのように聞こえます。はじめから、いつ死ぬか決められていたり、貧しくなるか金持ちになるかは天命によって決まっている、自分ではどうにもならないとなると、色々やったりするのは無駄のような気がします。しかし、その前後の文を読むとそうではない気がします。
自己がやるべきこと、できることをきちんとやったからこそ、天命に任せることができるのです。すなわち世のために生きようとしなければ、世の人から尊敬を得ることはできないのです。何もせず、奢り、贅沢に過ごしていては世の中の信用を失ってしまうものです。慎み深く、仁の心を忘れず、他人には礼の心をもって接する必要があるのです。
偉大な人が残した言葉は、その表面だけを読みとるのでなく、その奥にある言いたいことを感じる必要があるようですね。
幸福
9月28日の 読売新聞に、「幸福感」についての世論調査結果が特集されていました。この調査は、面接方式で、1979年以降継続的に30年間行っています。その結果を見ると、今の自分を「幸福だ」と感じている人は88%もいて、「不幸だ」という人は10%しかいなかったそうです。79年以降の調査を見ると、「幸福だ」と感じている人は89年の92%が最高で、最低でも99年の87%で、ほぼ30年の間、ずっと9割前後を推移し、日本人は、現状を肯定的に受け止めることがわかったそうです。
では、何を幸せと考えるかを具体的に聞いてみると、「何か良いことが起こること」と考える人は29%にとどまり、「何も悪いことが起こらないこと」の69%が大きく上回っています。では、今の日本人は、「自分が幸せかどうかを他人と比べて判断する人が多いと思う」と答えた人は76%いますが、「そうは思わない」は21%でした。「自分だけが幸せならばよいと考える人が多い」との指摘にも、「そう思う」と答えた人は72%もいました。
幸福とは何かを二つまで選んでもらったら、「健康なこと」が69%で最も多く、「しあわせな家庭生活」41%、「良い友人をもったり、人々と仲よく暮らしたりすること」27%と続いています。このベスト3は、30年間変わっていません。ただ、今回と79年を比べると、「健康」は3ポイント減、「家庭生活」は4ポイント減となり、「良い友人」は5ポイント増えています。
この結果をどう考えればよいのでしょうか。新聞には、コラムとして僧侶作家の玄侑宗久氏のコメントを載せています。
「私は、幸せとは自分が変わったと感じられることだと思っている。「『幸福』とは何か」という質問の答で、「ひとつの目的に向かって我を忘れて取り組むこと」という選択肢がある。これを挙げた人はほぼ30年前の1979年でもわずか7%、今回も3%に過ぎない。しかしこれこそが幸せの本質ではないか。夢中になって何かをやり、いつの間にか自分の枠を超えていたことに気づくということだ。」
確かに結果を見ると、幸福を求める姿が見えてきません。なにもしないでじっとしていると、確かに自分の身には、何も悪いことは起きないでしょう。それが幸せなのでしょうか。
論語の述而篇15にこうあります。「子曰、飯疏食飲水、曲肘而枕之、楽亦其在中矣、不義而富且貴、於我如浮雲」(子曰はく、疏食(そし)を飯(くら)ひ水を飲み、肘を曲げてこれを枕とす。楽しみ亦た其の中に在り。不義にして富み且つ貴きは、我に於いては浮雲の如し。)
孔子は、こう言っています。「高粱(コウリャン)のような粗末な飯を食べ、水を飲み、腕を曲げて、枕代わりとするような、質素な暮らしをしていても、道に志す本当の楽しみは、おのずからその中に在るものである。不正な手段や人に不義して得た富や地位などは、自分にとっては、浮雲のようなはかないものである」
人間としての真の楽しみは、学問と道徳の実践の中にこそあると考えています。私は、その実践から真理が少し垣間見えたときに幸せを感じます。
野菜
またまた食品への農薬混入が問題になっています。食は、人間にとって欠かせないものなので、困りますね。その食について、最近代わってきたことがあります。それは、これまで野菜は、多くの場合、肉や魚の脇役でしたが、最近は、野菜を主役に据えるレストランが、和洋中、様々なジャンルで増えているということです。
例えば、原宿にある落合圭子さんが経営する絵本店「クレヨンハウス」の地下には、洋食レストラン「HOME」と、和食レストラン「広場」という2つの自然食レストランがあります。この店のコピーは、「料理人も驚く、オーガニック野菜の味」というもので、レストランの前には、目に鮮やかな伊予柑やネーブル、泥がついたままの大根、ジャガ芋やニンジンなどが所狭しと並んだ八百屋「野菜市場」があり、売っている野菜のほとんどが有機野菜です。豆腐や調味料などの加工品も有機農産物を原料とするこだわりの商品で、2つのレストランの食材は全てこの八百屋から調達しています。事業部長の岩間建亜さんは「オーガニック食材のよい点は、まず美味しいこと、季節があること、体のリズムに合っていることです」また、「まず料理人たちが、その美味しさ、味わい深さに感動します。食材そのものが美味しいので、味付けの必要がないほどです」と言い、味に敏感な子どもは、家だと野菜嫌いなのに、なぜかここのレストランにくると野菜を食べるようになるといいます。
また、グリーンツーリズム(農山漁村での余暇)や地産地消などの概念が普及するのに伴い、農家自身が経営や調理にあたる「農家レストラン」が増えています。現在全国にはこの種のレストランが1000軒以上あるそうです。例えばその地域が蕎麦の産地であった場合、自家製あるいは地元産の蕎麦を用いたメニューを提供します。メニューは地域の伝統料理であることが多いようです。
先日の野尻湖で、最近注目を浴びているシェフ渡邉明の料理をいただきました。彼は、9月7日のテレビ東京「ソロモン流」を始め、テレビ番組「料理の鉄人」にも出演したり、よく取り上げられます。食事のあとに彼が挨拶に来たのですが、やはりオーラが出ていました。彼は、電気関係の専門学校を卒業後に大手音響メーカーに入社、その間に数々の飲食店でアルバイトを経験しています。そんな渡邉さんは小学生の頃から料理人になるのが夢だったそうです。その彼が得意にしている料理のひとつが、野菜を使ったヘルシーレシピや食材にこだわる食育です。
今回いただいた食事のメニューの中で特に美味しかったのは、名物の「農園バーニャカウダ」という料理です。
これは、料理といったよいかというほど、ただ、みずみずしい野菜が惜しげもなく迫力いっぱいに盛られた、そして、野菜の美しさを引き立てるかのように並べられた一皿です。地元で取れた新鮮な野菜を、バーニャカウダソースにつけて食べるのは、どんな贅沢な料理を食べるよりも美味しく、贅沢な気がします。バーニャカウダソースとは、にんにくとアンチョビをオリーブオイルに溶かしたものです。それを、ろうそくの火で暖めながら、野菜につけて食べます。このソースがまた抜群の美味しさです。
本当に美味しい料理は、新鮮な、よい素材そのものを味わうことですね。
森の効果
癒しの森を散策していて「人として太古からのDNA」という立て札に出会います。そこには、「人類が誕生してから今までの間の99.9%を森の中で暮らしてきた人類はDNAレベルで森に同調します。もともと自然環境の中で生活してきた人類が、現代の人工的な環境での生活は、本来の人間の生活とは違い、大変なストレスを与えます。森林セラピーはこのような環境からのストレスを改善するという点からも大きな効果を持っており、人々の心を癒すといわれています。
立て札は道を案内するかのように立っています。大きく「深呼吸」をしてみましょう。インストラクターの水野さんから、「おへその下あたりに空気を入れるように、ゆっくりと4秒くらいかけて、鼻で息を吸って、口をすぼめてゆっくりとはいてください」という言葉がけで、参加者はみんな静かに、大きく深呼吸です。きれいな空気をゆっくりと吸うことで、細胞に酸素を取り込み、免疫力をアップさせます。木漏れ日は、「緑のカーテン」です。空を仰ぐと、青い空が広がっているだけでなく、覆いかぶさるように木々の葉が緑から黄色、赤に色を変え始めています。そこからは、身体をリラックスさせ、脳にα波を増やす効果を発揮するといわれている「マイナスイオン」が満ちています。耳を澄ませば、せせらぎの音や木の葉をゆらす風が持つゆらぎは、気分を和らげてくれる力を持つといわれる「1/fゆらぎ」です。
このツアーで、参加者が最も感心したのは、樹木草類が発散する化学物質、菌などを抑制する作用を持つと言われている「フィトンチッド」です。
森林浴効果をもたらすといわれる森林の香りの正体は、「フィトンチッド」と呼ばれる、主に樹木が自分で作りだして発散する揮発性物質で、その主な成分はテルペン類などの有機化合物です。この揮散している状態のテルペン類を人間が浴びることを森林浴と言っても過言ではありません。樹木は、生きていくために光合成と同時に、二次的にフィトンチッドなどの成分を作りだすのです。それは、樹木にとってどんな効果があるのかというと、他の植物への成長阻害作用、昆虫や動物に葉や幹を食べられないための摂食阻害作用、昆虫や微生物を忌避、誘因したり、病害菌に感染しないように殺虫、殺菌を行ったりと実に多彩です。土に根ざして生きる樹木は移動することができません。そのため外敵からの攻撃や刺激を受けても避難できませんから、フィトンチッドを作りだし、それを発散することで自らの身を護るわけです。
1930年頃、旧ソ連のB.P.トーキン博士は、この植物の不思議な力を発見し、フィトン(植物が)チッド(殺す)と名づけました。また、フィトンチッドには、自己防衛のためだけではなく、攻撃手段でもあります。およそ生き物は自らのテリトリーを広げようとします。そのために他の植物に対して強力な成長阻害作用を持つ物質、すなわちフィトンチッドを分泌して、自らの勢力を拡大した結果なのです。しかし、このフィトンチッドは他の生物に対して攻撃的に作用しますが、人体に対しては有益です。自律神経の安定に効果的と言われ、肝機能を改善したり快適な睡眠をもたらし、空気を浄化したり、悪臭を消す働きがあります。また、食品への防腐、殺菌を始め、部屋や浴室のカビ、家ダニなどへの防虫にも効果的です。
森林リフレッシュのあとの昼食は、野尻湖半で、野尻原人さながら火おこしをし、石のナイフでゾウの肉ではありませんが、熊の肉を切り、それをバーベキュー、そして、笹の葉に乗せた古代米のおにぎりをいただきました。
森セラピー
今回の黒姫へは、「森を感じる休日@信州信濃」というイベントに参加することが目的でした。このイベントは、10月11日から13日まで行われました。私は、11日は八戸でしたので参加できませんでしたが、12日は朝から参加しました。12日はブログで書いた「アファンの森探訪」です。
13日に参加したのは、午前中は「野尻湖畔トレッキング」ということで、癒しの森(ゾウの小径)を歩きました。これは、普段ここ信濃町が取り組んでいる、「森の風景や香り、木々の音や感触には心身を癒す効能がある」というそんなパワーを健康回復・増進に役立てようという「森セラピー」という「癒しの森」事業です。
昔から「森林浴」といって、森の中に入ると体や気もちによいといわれてきました。「森林セラピー」は、それをもう一歩進めて、この効果を科学的に解明し、こころと身体の健康に活かそうという試みです。森林浴で気持ちがリラックスすることはもちろん、森を歩く前と、終わってからとでは、実際に身体の免疫力が上がり、血圧が低下するなどの科学的な効果が見られるようです。
町内には距離や高低差が異なる10の「癒しの森コース」がありますが、今回は、その中で、難易度はBで運動としてはちょっと軽めの、距離2・5キロの、もちろんナウマンゾウが歩いたであろう「象の小径(こみち)コース」を歩くことにしました。案内役は、町独自の講座を受けて認定された「森林メディカルトレーナー」です。
道を歩きながら、今回のトレーナーの水野さんは、木々について説明しながら「立て札」のところで立ち止まり、その内容を説明してくれます。
「森がカウンセリング」。森の中で過ごすことで心が穏やかになるのは、森がカウンセリングしてくれるからです。同時に、「ストレッチングとウォーキング」。ウォーキングにストレッチを加えることで、全身の血行が促進し、心身共にリフレッシュする効果が高まります。紅葉が始まった森は、踏みしめる落葉がカサコソと音を立てます。その葉の種類も、周りの景色の変化に合わせて変わっていきます。時折木立の合間からは、湖面を覗き込むことができます。そんなときには「何もしない」。この立て札には、「好きな場所を見つけ、しばらく座ってください」と書かれています。「何もしない時間」はとても意味があるようです。
途中立ち止まって、小枝を切って「この木、なんだか分かりますか」と聞きながらその枝を渡してくれます。とてもいい香りがします。クロモジという昔からようじに使われている木だそうです。そのように森は、音や匂いなどを感じることができます。「五感を使おう」。森の中では何もしなくともそれだけで心癒されますが、さらに効果的に森林パワーを感じるためには、人間に備わっている「五感」を使って個人の価値観に応じた森林セラピーを楽しむことによって、森の力をより明確に実感できます。森の中や周辺で耳や目、鼻、手足、味覚等の五感のアンテナを研ぎ澄ませて、木々の息吹や風のざわめきを感じて、その中でいちばん自分に合ったリラックス法を探してみることによって、自然の中で本来あるべき場所にいるという快適感を全身で感じ、楽しむことができるのです。
まだまだ、小道は続いていきます。
日本のゾウ
私が子ども会の顧問をしていたことがありました。そのときの役員は全員父親だけという珍しい会でしたので、企画がとても面白いものが多かったような気がします。ある年にテーマを「縄文時代体験」としたことがありました。その年の行事は、例えば、ある月に地域を流れる川に行って、その川床にある粘土を取りに行き、それを砕いて粉にして水に溶かし、その次の月に、それを粘土のようによく練って土器を作り、その周りには縄を押し付け、模様をつけました、それをよく乾かしたあと、次の月に野焼きで焼いて、縄文土器を作りました。また、どんぐりを粉にしてそれを焼いて食べ、縄文時代の食を体験しました。
東京の奥多摩のほうに「縄文爺さん」という人がいて、父親たちと訪ねました。彼から、縄文時代の生活を聞くためです。彼は、どんぐりを食べ、蓑虫の蓑をつなぎ合わせた服を着ていました。また、私が当時教員をしていたのですが、担任していた1年生のクラスで、縄文時代の住居を再現しました。(以前にブログで書きました)どうも、古代に興味を持っていたのかもしれません。そんな頃に、2冊のまんがの本と出合います。1983年、野尻湖発掘調査団によって発行された「掘って掘って また掘って」というまんが野尻湖発掘ものがたりでした。もう1冊の本は、「よみがえったナウマンゾウ」という、まんが恐竜博士シリーズの1冊です。ともに、野尻湖の「ナウマンゾウ」の発掘について書かれた本です。
以後、私は、一度は野尻湖に行ってみたいと思うようになりました。発掘調査は、毎回新しいものが発見されており、とてもロマンを感じていたからです。しかし、その後忙しくなって、野尻湖とナウマンゾウのことは忘れていました。昨日から休日を過ごしに来ている黒姫は、まさに、その野尻湖の湖畔にあり、今日、念願の「野尻湖ナウマンゾウ博物館」を訪れることができました。
お願いをして開館以来学芸員を務める近藤洋一さんからレクチャーを受けました。昨日の松木さん同様、熱っぽく語るその内容は、思わず引き込まれるようでした。ナウマンゾウは日本を代表する化石です。そのナウマンゾウの発掘を40年も続けている野尻湖は、ナウマンゾウのいる湖として名を知られています。2年に1回の「大衆発掘」には、毎回多くの参加者があるそうです。全国にある「野尻湖友の会」という団体に入会すれば誰でも発掘に参加でき、ナウマンゾウ博物館に展示してある化石や石器などは、この友の会の会員が発掘したものも多く、ラベルには発見者の名前が書いてあり、これは、世界的にも珍しい発掘方法です。
ナウマンゾウは、陸続きであった中国から日本に渡ってきて、もっとも繁栄した最盛期は今からおよそ12万年前から7万年前のことで、日本列島が暖かい時代でした。ですから、日本中、北海道まで分布を伸ばしていたことがわかっています。寒い時代を迎えてもその分布範囲は縮小することなく、日本特有の種になっていったのです。しかし、野尻湖の時代を迎えて突然、絶滅します。近藤さんは、人類がナウマンゾウを滅ぼしたのではないか、という仮説を打ち出し、研究しているそうです。
それを裏付ける人間による槍やナイフは発見されているものの、肝心の人骨の発掘は、まだのようです。まだまだ永遠のロマンは衰えてはいないようです。
森の見学
今日の休日は、妻と黒姫に来ています。そのひとつの目的は、「アンファンの森」の見学会に参加するためです。この見学会は、普段は会員に行われているものですが、今日は、一般公開でした。
この森は、英国の南ウェールズ生まれのクライブ・ウィリアム・ニコル氏が、地元の放置林を買い取り「アンファンの森」と名付けたところです。現在は、この森を永遠の森にするためにC.W.ニコル氏は、この土地を寄附し、この森で起きることが、日本中の森がよみがえるための一歩となることを願って、「財団法人 C.W.ニコル・アファンの森財団」の森にしました。今日の見学会の最初に、財団の人から森の中で、みんなでサークルになって木のベンチに腰掛け、C.W.ニコル氏がなぜこの森を「アンファンの森」と名づけたのか、また、どうして森を守る活動を日本でしようと思ったか、そして、それがどんな成果を遂げているかなどを紙芝居形式で説明を受けました。そのいきさつはこう説明されています。
「北には流氷、南にはサンゴ礁、世界でもっとも生物の多様性に富んだ風土を持つ国、日本。そこに住む人々は、自然を愛する繊細な文化を持っていましたが、残念なことに、高度経済成長期以降、経済の発展のためにその自然の素晴らしさに背を向けるようになります。樹齢400年以上のナラ、ブナ、トチなどの大木が一瞬にして切り倒され、スギやカラマツの植林地になってしまいました。
ところが、残念なことに、日本人は経済の発展のためにその自然の素晴らしさに背を向けるようになります。樹齢400年以上のナラ、ブナ、トチなどの大木が一瞬にして切り倒され、スギやカラマツの植林地になってしまいました。
人間の都合に合わせた自然につくりかえられてしまった森は、野生動物を棲まわせたり、水をきれいにしたり土をつくったりする豊かな力を失っていきました。しかもその植林された森が、またもや経済的な理由で放置され、今や荒れ果てています。食べ物を失った野生動物たちは、里に下りて農作物を荒らさざるを得なくなり、絶滅の危機に危ぶまれるツキノワグマさえ、里におりてくれば害獣として打ち殺されてしまうのです。」
昨日のブログではありませんが、日本には四季があり、素晴らしい自然があります。それはニコルさんではありませんが、世界でもまれに見る多様な自然です。地方に行くと、まだまだ多くの森が残っています。まだまだ自然が残っています。しかし、それが思い違いであることを説明でわかりました。日本の国土に占める森林率は67%ですが、このうち、41%がスギなどの人工林ですし、その中で本当に原生林と呼ばれる森はわずかですし、もう一度人間の手を入れて本来の森を取り戻さなければならない森がほとんどです。
今日の見学会で、先頭にたっていろいろな話をしてくれたのが、松木さんという人でした。ニコルさんがこの森を取り戻そうとしたときに、地元でかつて炭焼きをしていた松木さんの森についての知識の豊富さに惚れて、森の管理を何度もお願いしたそうです。彼による途中の説明は、松木節といわれるような軽妙な語り口で、その森を心から愛している思いが伝わってくるようでした。見学会の終わりには、その森の入り口に立っている松木小屋の薪ストーブで作られたきのこ汁をご馳走になりました。