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2008年10月31日 講演先にて

双葉山

最近、相撲力士に関しての様々な事件、不祥事が世間を騒がせています。その中で特に衝撃的だったのが、昨年、時津風部屋力士暴行死事件の発生です。この部屋は、昭和17年、当時まだ現役の横綱双葉山定次により双葉山相撲道場として設立されたものです。
今週号のR25に「『国技』をめぐる日本と世界の不思議な事情」という記事が掲載されています。「相撲は日本の国技」だと思っていることが、実は違うという記事です。日本相撲協会によると、「国技館で行われているために、そう思う方々が多いのではないでしょうか。国技館は、日本相撲協会が相撲を行うために建てた施設で、明治42年の6月に開館されたのですが、完成前までは『常設館』という名称の予定でした。しかし、完成した際に「国技館と命名しよう」という提案があり、それが了承されたため、現在の名称になったんです。そのあたりから、相撲は国技といわれてきたのでしょう」ということらしいです。
 とはいっても、力士には人格の高さが要求されますし、相撲も品格が求められます。その力士の中でも有名なのが、「双葉山」でしょう。彼は、双葉山 定次といい、第35代横綱です。今日は、彼の出身地である大分県宇佐市に来ています。宿泊先の前には立派な土俵があり、そのそばには彼の銅像が立てられています。
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 彼が有名なのは、まだ年2場所の時代にもかかわらず、本場所での通算69連勝、優勝12回、全勝8回などの記録を残したことがあります。その数々の大記録は未だに破られていないものも多くあります。彼が活躍した時代は、日中戦争が泥沼化し、緊張の時代の中、国民に熱狂的に迎えられ、国民的英雄でした。「双葉の前に双葉無し、双葉の後に双葉無し」と言われたほど、史上最強の横綱でした。
その彼が立派な成績を残したことだけでなく、他にも国民的英雄といわれた理由があります。彼が5歳の時、友達の吹矢が右目に当り、その負傷が元で右目が半失明状態になってしまいます。また、家業の海運業の手伝いをしているときに錨の巻上げ作業で小指に重傷を負い、その後遺症によって右手の小指が不自由でした。そんなハンデを抱えながら、「木鷄」を目標に相撲道に精進し、昭和屈指の大力士となったのです。
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双葉山が目指した「心・気・体」は、この木鷄に現れていますが、その言葉は、69連勝を逃したときに友人に語った「我はまだ木鶏たりえず」という言葉です。この木鶏という言葉は、「荘子」にでてくる「木鶏の教訓」という挿話です。紀省子という闘鶏を育てる名人が、王様がもっていた一羽のすぐれた鶏を鍛え上げた姿を「相手が挑戦してきても、いっこうに平氣でちょっと見ると木鶏のごとく、その徳が完成しています。これからは、どんな敵が現れても戦う前にしっぽをまいて退却することでしょう」と答えたことから来ています。荘子は、この木鶏の寓話で、人間が虚心無我になったときに最も強くなるということを語っています。虚心無我というのは、私心や欲や我執を持たず、わだかまりが無く素直な気持ちでいることであり、そんな気持ちでいるときにこそ力が出るものであるといっています。双葉山は、負けたときに言い訳をせず、まだ自分は虚心無我の境地にはなっていないからであるという自分を戒める言葉を言ったのです。
 最近のニュースを見て、相撲だけでなく、多くの人に影響する人たちは、言動に気をつけてもらいたいものだと思わずにはいられません。

投稿者 fujimori : 23:07 | コメント (4)

2008年10月30日 講演先にて

とんち

 子どもは「とんち話」が大好きです。それは、頭を働かせて、悪いものを懲らしめたり、危機を脱出したり、最後はハッピーエンドで終わることが多く、スカッとするからです。この「とんち」を漢字で書くと「頓知」と書きますが、「機に応じ変に処してはたらく知恵。さそく(早速)のちえ。機智。」と辞書には載っています。この「頓」という字が、「臨機にするさま。にわかなさま。」という意味のようです。
では、昔からとんち者というと誰を思い浮かべるでしょう。まず、「一休さん」が浮かびます。それは、テレビアニメでも放映されていたからです。このテレビのことは以前のブログでも書きました。
次に思い浮かべるのが「彦一とんち話」でしょう。この彦一が誰であるのかは定かではないようですが、肥後国熊本藩八代城の城下町の長屋に暮らしていた下級武士で、定職を持たず、時に農作業、時に傘職人などをして生計を立てていた人物ではないかといわれています。彼にまつわる民話を「彦一ばなし」とよんで、八代では今も語り継がれています。この話しの特徴は、町人や殿様などのほか、狐、河童、天狗などが登場するので、フィクションのものが多いようです。また、この話しは、子どもが好きな要素の、とんちを使って権力者を懲らしめたりするケースは少なく、どちらかというと、有名な「天狗の隠れ蓑」という話のように失敗して恥を掻いたりする話も多く、英雄ではない、等身大の姿が描かれており、それが広く愛されている所以でもあるといわれています。
もう一人、教科書に取り上げられて有名になったとんち者「吉四六さん」がいます。彼は、実在の人物としてその存在が分かっています。現在の大分県臼杵市野津町の生まれで、本名を廣田吉右衛門といい、名字帯刀を許された地方の庄屋でした。吉四六さんは吉右衛門がなまったものです。この吉四六にまつわるとんち話を「吉四六話」といいますが、これは、明治時代に地方から伝承を寄せ集めて編纂したものです。その後、地方紙が読み物としての連載を始めたことで、広く県民が知ることになります。
彼が地元に人気があるのは、彼は出世してからも権力を嫌い、年貢のとりたてに苦しむ庶民の味方になったり、つらく厳しい時代であっても、庶民の相談役となり持ち前のとんち・奇才で人々の難儀を救ったと言われていることにあります。昨日から訪れている大分での懇親会で、参加者の一人がこの「吉四六さん」を大分弁で演じてくれました。その人は、吉四六さんと同じ臼杵市野津町の人です。
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彼の代表的な逸話に「柿の見張り番」というのがあります。この話しは、吉四六さんが子どもの頃のエピソードです。
ある日、吉四六の家の柿がたわわに実りました。そこで親は盗まれないように、吉四六に柿の木を見ているように言いました。しかし、自分自身も食べたくてしかたありません。それなのに、村の友人がやってきて、柿を食べようと吉四六をけしかけます。そこで、吉四六は友人と一緒に全部柿を平らげてしまいます。畑仕事から戻ってきた親は吉四六をしかりつけますが、吉四六は頓知を働かせてこう言います。「柿の実は友達がもいで行ってしまったけど、私は、柿の木はずっと見ていた」と。親は呆れて開いた口が塞がらなかったということです。
この内容を教材として、子どもたちに、この吉四六の行動をどう考えるかという授業をします。

投稿者 fujimori : 20:33 | コメント (4)

2008年10月29日 近頃思うこと

以前ブログで書いたナウマンゾウの発見は、野尻湖畔の旅館の主人が、野尻湖底でナウマンゾウの臼歯を発見したことから始まりました。その形からして「湯たんぼ」だと思って拾ったのですが、それにしては変だと思って、地元の野尻湖小学校の校長にみてもらったところ、ゾウの歯ではないかといわれ、とっておいたのが発端でした。草食動物であるゾウにとって、ものをすりつぶす臼歯の役目はとても重要です。ですから、臼歯は次から次へおくからできてきて、古い歯を前に押し出し、それが落ちていくのです。
現在、人間の体のあらゆる部分も次から次へと入れ替わっていくことがわかってきています。皮膚や髪や爪などは入れ替わっていくことを実感することができますが、硬い骨や歯も入れ替わっているそうです。もちろん、歯は、1度入れ替わることは誰でも知っていますが、そうではなく、一生絶え間なく入れ替わっているのです。それは、その中身です。体のすべての分子は食べ物の分子と絶え間なく入れ替わり、全体として流れているそうです。これが「動的平衡」というようですが、岩波ブックレット「生命と食」(福岡伸一著)の中で説明されています。
すべてのものが入れ替わるために、食が大切なのです。食は、動くときのエネルギーをうみだすことで必要とされ、それに、子どものころは成長するために必要だと思われています。しかし、実は、それだけでなく、「食べ物は体の中に入って、体の一部に変わるけれど、もともとそこにあった分子は分解され、体の外に捨てられた、ということが考えられます。つまり、食べ物の分子は、単にエネルギー源として燃やされるだけでなく、体のすべての材料となって、体の中に溶け込んでいき、それと同時に、体を構成していた分子は、外へ出て行くということです。」(「生命と食」より)
簡単に言うと、へんな食べ物を食べると、すぐに気持ち悪くなるとか、体に変調をきたすだけでなく、次第にそれが体の部分を構成していってしまうのです。ですから、食べたものが消費されなくとも、その食べ物の重さ分だけ体重は増えないのです。飲み込むという作業を、どんな精密機械よりも精密に行う人間の体は、さまざまな部分でも行われているのです。
私の園に毎週来てくれる嘱託医の小児科の先生は、いつもガムをかんでいます。どうしてかと聞いてみると、風邪予防だといいます。これもブログで書きましたが、物をかむことの大切さのひとつに、「唾液の分泌を促進する」ということがあります。唾液の中には身体に有利に働く様々な酵素やホルモンが含まれています。アミラーゼという酵素はデンプンをデキストリンや麦芽糖に分解し消化、吸収を助けます。作用は胃の中でも持続し、胃酸で停止します。そのほかに、細菌の増殖を抑制し、また、直接殺菌する働きを持つ酵素が含まれています。さらに、かむことによって、耳下腺・顎舌腺からホルモンが分泌され、骨や歯の発育を促進し、加齢現象を抑えます。また、人間の記憶力は、ガムを噛む前より、噛んだ後の方が高いことは様々な研究で証明されているそうです。
人間の歯や、あご、そのほか様々なパーツはそれぞれ関連しながらどれも大切なものです。これらを作り、その内部の分子を入れ替える「食」は、新ためて見直されなければいけない大切ことです。

投稿者 fujimori : 21:58 | コメント (4)

2008年10月28日 新聞記事より

甘い誘惑

 昨日、職員の会話の中で「まったく、男のくせに泣くんだから!」という言葉を聞いて、私は、「男だから泣くんじゃないの?」と言いました。よく講演で話をしますが、私の息子が小さかった頃、公園で転んで泣いているのを妻と二人で慰めていると、後ろを通っていった6年生ぐらいの女子二人に「しょうがないよ。男の子だもん!」と言われました。私たちの世代では、男は泣くもんじゃないと教えられてきたのが、当時その頃から、泣くのは男の子というイメージが子どものあいだで広がっているのを聞いて、妙に納得したものです。もちろん、本当は個人差のものでしょうが、幼児を見ていると、確かによく泣くのは男の子のほうの気がします。
 そのほかにも、「男のくせに」「女のくせに」という言葉を使うことがあります。男女の違いがあることは確かですが、その多くは、刷り込みによる思い込みのことも多いような気がします。10月21日の読売新聞にこんな記事が特集されていました。
「男がとろける 甘い誘惑」というタイトルを見て、男性が女性の誘惑に心がとろける」というイメージを持った人は、男性に対して、かなり刷り込みを持っている人です。男がとろけるのは、何も女性に対してだけではないのです。実は、スイーツ好きの男性が増えているという特集なのです。甘いものを求めて、男性が人気店の行列に並ぶ姿も珍しくなくなっているようです。しかし、やはり「こっそり楽しむ隠れファンも多い」ということは、まだ男性がスイーツを楽しむのは隠れなければいけないことのようです。しかし、もはや、「男性は甘いものが苦手」という定説はなくなったのかと記者は取材をしています。
 この特集の最初のほうでは、最近増えてきているスイーツの店舗を紹介しています。東京・銀座にあるバーでは、ブランデーやラム酒など100種類以上の酒のボトルが並んでいますが、これらの酒をすべて、アイスクリームにかけて味わう店だそうです。その店の客の7割は男性で、しかも、40~50歳代が目立つといいます。どうも、甘い物好きの若者が増えたのではなく、最近は、年配にも甘い物好きがいるようです。
 記事では、こっそり楽しむ男性が多いのは、コンビニエンスストアでもうかがえると書いてあります。あるコンビにでは、自社開発のスイーツ購買層の6割が男性で、昨年6月からは、舌の肥えた男性向けの「男のスイーツ」をシリーズ化し、毎月、新商品が登場しているそうです。どうして、最近は男性も甘いものが好きになったのかというと、どうもそうではないようです。
 「スイーツ番長」という愛称でブログを開設している清水好夫さんは、「元々、甘いもの好きの男性は多い」と語っています。彼によると、スイーツ番長の元祖は「織田信長」ではないかと言っていますが、信長は、南蛮菓子が大好物だったそうです。また、産まれたばかりの赤ちゃんの口に甘いものを含ませると、笑顔を見せ、逆に苦いものを口に含ませると顔をそむけ機嫌が悪くなります。なにも、女の子や男の子の差はありません。
また、月刊男性誌「UOMO」(集英社)の編集長は、「手みやげなど、ビジネスでスイーツが活躍する場面が増えている。その過程で好きになる男性も多いようだ」と分析しているように、次第に好きになる環境もあるようです。
 この記事の最後に「そろそろ、男性も胸を張って甘いものをほおばっていい時代なのだろう。」と結んでいますが、男女というだけでなく、さまざまな刷り込みをなくして、自分はどうなのかをきちんと表現できるようのなかになってほしいですね。

投稿者 fujimori : 23:27 | コメント (5)

2008年10月27日 講演先にて

人魚

  私はまだ見ていないので、その内容についてじっくりと書きたいと思っているのが、映画「崖の上のポニョ」です。この物語は、「アンデルセンの「人魚姫」を今日の日本に舞台を移し、キリスト教色を払拭して、幼い子供達の愛と冒険を描く」と宮崎 駿さんは語っているように、この物語は、海に棲むさかなの子ポニョが、人間の宗介と一緒に生きたいと我儘をつらぬき通す物語です。この物語のように、いわゆる魚の子といわれる人魚が、昔から物語の題材になることは多くあり、その多くは、人間になりたいという願望を持つことによって起こる悲劇を主題にすることが多いようです。
 北方の、冷たく暗い海の岩の上で、女の人魚が考えていました。「人間の住む町は、明るくにぎやかで、美しいと聞いている。人間は魚よりけものより、人情があってやさしいと聞いている。一度手に取りあげて育てたなら、決して捨てたりしないと聞いている。さいわい自分達は人間そっくりだから、人間世界で暮らせるはず。せめて自分の子供だけは、人間の世界で育て大きくしたい」と、ある夜のこと、人魚のお母さんが神社の石段に赤ん坊を産みおとしました。
赤ん坊は町の蝋燭(ろうそく)屋の子どもがいなかった老夫婦に拾われ、大切に育てられ、美しい娘になりました。娘は、家の蝋燭に赤い絵の具で絵を描くのが好きになり、その蝋燭がたいへんよく売れ、家業が繁盛します。それは、その蝋燭でお宮にお参りすると、船が沈まないという評判が立ったからでした。ところが、人魚を見世物にしようという悪い香具師が差し出す金に目がくらんだ二人は人魚の娘を売り飛ばしてしまいました。そのとき、娘は泣く泣く最後の蝋燭に絵を描きます。それは、悲しさのあまり真っ赤な絵になりました。
その夜、訪ねてきた髪を乱した青白い女に娘が残した最後の蝋燭を売りました。その女が帰っていくと、まもなく雨が降りだし、たちまち嵐となり、娘の檻を積んだ船は難破してしまいます。そして、赤い蝋燭がその町にすっかりなくなると、その町はすっかり寂れ、ついに滅んでしまったといいます。
これは、東京朝日新聞に連載され、小川未明の最高傑作といわれる童話「赤い蝋燭と人魚」です。しかし、子どもが読む童話としてはせつなすぎますね。
 先週末訪れた富山で、飛騨高山と同様、江戸時代に天領となった飛騨古川に連れて行ってもらいました。この伝統ある城下町には、出格子の商家や白壁の土蔵が続き、その脇を意外と早い流れの瀬戸川には、大きな鯉が透き通った水を通して見えます。
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  この町のチラシには、「やわらかい、あたたかい、なつかしい」と書かれてあります。ここは、2002年にNHK朝の連続ドラマ「さくら」の舞台となりました。高山市の中学で英語指導助手をするハワイ生まれの主人公さくらが、この古川町の和ロウソク店に下宿します。その舞台となった江戸時代から続く手作り和ろうそく店「三嶋和ろうそく店」に入ってみました。
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 すべて手作りで作るろうそくは、全国でもここだけというだけあって、そこにある座布団には、生憎店主は座っていませんでしたが、職人の心意気が漂っていました。店の奥は、二階から顔を出したテレビのシーンを思い出させるかのような飛騨の家屋のつくりを見ることが出来ました。

投稿者 fujimori : 23:21 | コメント (4)

2008年10月26日 講演先にて

「LRT」と「TDM」

 映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の時代設定と地域設定は、まさに私が育った時代と、私が育った町が再現されています。以前ブログでも取り上げましたが、その中で懐かしく見たもののひとつに「都電」がありました。東京では現在は1路線のみになってしまいましたが、当時は今の地下鉄以上に東京を網の目のように走っていました。また、「トロリーバス」という無軌道電車が走っていました。これは、その名の通り、形は全くバスですが、電気で走るものです。これらは、様々な理由から次々に廃止されました。それに取って代わったのが、ガソリンで走る自動車です。しかし、自動車の急速な普及は、都市に、交通渋滞や交通事故の増加、大気汚染や騒音などの問題をもたらしています。それ以上に、自動車の普及は、人の流れや商店のあり方も変えてしまいました。また、人と人との出会いの機会も奪ってしまいました。
最近、欧米諸都市では、いったんは衰退した中心市街地を、自動車交通中心のまちづくりから公共交通中心のまちづくりへと転換することによって、活性化させる例が現れているようです。その中心市街地活性化の手段のひとつとして注目されているのが、時代遅れの乗り物として姿を消しつつあった路面電車を近代的に再生させた交通システムの導入です。この交通システムが「LRT」(Light Rail Transit)と呼ばれるもので、低床式車両路面電車の使用による「人と環境に優しい乗り物」としても、見直されています。
このLRTが活用されている国のひとつにドイツがあります。私は毎年ドイツに行っていますが、「ドイツは環境の国」というイメージがあるように、乗り物は、自転車か、路面電車が目立ちます。私が訪れるミュンヘンでは、自動車を環状道路の整備により強制ではなく誘導により迂回させ、TDM(Transportation Demand Management)という方法を実現しています。このTDKとは、その言葉の通り交通需要マネジメントのことで、自動車利用者の行動を変えることにより、道路渋滞をはじめとする交通問題を解決する手法です。今ではほとんど交通問題の解決のために、道路整備などを行うような交通の「供給側」からの対応ですが、それが限界に来たために最近では、交通の「需要側」からの対応使用という考え方をするようになってきています。ミュンヘンでは、この考え方を、LRTだけでなくその路線をドイツ的な土地利用の考え方に忠実に従ったものとし、バスとの連携、Sバーンからの連続として配置し、自動車交通の受け皿として積極誘導を行い、現在のLRTの発展の基礎となったとも言われています
そのほか、アメリカ、フランス、イギリスなど他の西側先進国でもこの取り組みが行われています。日本全国の様々な都市でも、導入運動が進んでいるシステムですが、必ずしも適応性がすべての都市で高いとはいえませんし、それぞれの都市では問題も多いようです。
昨日まで訪れていた富山では、旧富山港線を第3セクターが引き継いで路面電車化した富山ライトレールが開業し、富山市の都市計画に組み込まれるなど、日本初の本格的導入として注目されています。2006年度には、グッドデザイン金賞を受賞したり、今月には、第3回「ハイ・サービス日本300選」を受賞するなど、様々な賞を総なめしています。
 しかし、このライトレールは、ドイツで取り組まれたような意図が実現されているのでしょうか。地元の人の話からすると、いろいろな問題があるようです。

投稿者 fujimori : 22:18 | コメント (4)

2008年10月25日 近頃思うこと

摂食

摂食とは、そのまま食事をとることです。それは、食物を認識して口に取り込むことに始まり、胃に至るまでの一連の過程です。しかし、それだけのことといっても、様々な機能が必要なものです。
食物が口の中に入ると,まず咀嚼をして食物を飲み込める状態にします。その行為は、おもに歯とあごでします。それと同時に舌や頬の運動も必要です。舌や頬に運動障害や感覚麻痺があると,食べ物を飲み込める状態にすることが難しくなります。また、口をきちんと閉じることができないと、口から食物がこぼれてしまいます。そして、歯は、その役割によって形が違います。大きく言えば、前歯でものを噛み切り、奥歯でそれをすりつぶします。そして、飲み込める状態にします。
私の園に見学に来た方が「園の給食の野菜の刻み方が、子どもには大きすぎませんか?私の園では、もっと小さく切っています。」と、いかにも自分の園では丁寧にしているということを自慢げに言われました。そこで私は、「それは、前歯を使わないでいいようにですか?だったら、奥歯も使わないでいいようにすりつぶしたものを出したらどうですか?」と言ってしまいました。また、固いものを噛み砕くことのできる歯の強さ、あごの力も必要です。そのためにも、幼児期にしっかり噛む習慣をつけることが大切です。給食は、栄養素を子どもの体に流し込むことだけが目的ではなく、体の様々な機能をより高度に発達するように援助していくことなのです。
また、咀嚼とは、単に歯で食物を噛み砕くだけではありません。よく噛むことによって唾液も多く分泌し、食物と混ぜ合わされ、呑み込みやすい大きさ、形にすることができます。それは、また食物の消化吸収を高めることにもなります。また、噛むことによって、食物本来の味を引き出すことができ、食物をおいしく感じ、満腹感を得ることができます。また、咀嚼機能の発達と連動して、舌やあごの運動機能、口腔の容積やあごの筋肉、味覚などが発達します。また、両手との協調なども習得していきます。そして、6歳頃までに一人食べができるようになります。
 咀嚼がある程度完了したら,次は、舌を使って食物を咽頭へ送ります.この時に大切な機能が「舌尖の挙上」といわれることです。それは、舌の先を上に持ち上げ、上顎に付けることが出来ないと,食べ物を喉のほうに持っていくことができないからです。すると、いつまでも口のなかに食物が残ってしまいます。また、この時にも唇を閉じることができないと、食べ物の塊を口の奥のほうにうつしていくことはできないのです。
食べ物を飲み込むときにも、人間は素晴らしく様々な機能が連動します。飲み込もうとすると、軟口蓋が上に上がり、口腔と鼻腔が遮断されます。また、喉頭蓋で気管へ蓋をし,飲み込む瞬間だけ食道が開き、食べ物を食道に送り込みます。しかし、これらの複雑な運動に関わる神経や筋肉に何らかの障害が生じた場合、「嚥下障害」といって、飲み込むことが困難な状況になるのです。また、話しをするときや呼吸をするときは気管を使います。そのときには気管が開きます。ですから、話しながら、呼吸しながら食物を飲み込むと、食物が気管に入ってしまい、急いで吐き出そうとむせてしまうのです。
ものを食べるときには、精密な機械が、正確に連動し、動いている気がします。人間の体は、素晴らしいですね。

投稿者 fujimori : 23:11 | コメント (6)

2008年10月24日 近頃思うこと

食べ方

 そろそろ新そばの季節です。少し前にそばの花が満開でした。
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今日は、そばをいただきましたが、テーブルには食べ方が記されていました。まず、そばだけを食べます。そばの食感、味等、そばそのものを知るためです。その次に、そばに塩だけをつけて食べます。それは、そばの甘さを感じるためです。次に、薬味は使わず、つけ汁をつけて食べます。それは、汁の味をよく見て、そばと汁とのバランスを考えて、この後、そばにどのくらい汁をつけるか、薬味の分量をどうするかを決めるためです。そして、そば、汁を全て理解した後に、薬味をつけてそばを味わうのです。そのときに、汁は、そばの先端につけます。つける量は汁の味付けによって、そばとのバランスを考えて調整します。汁をつけたら、そのまま口に持って行き、箸で挟んだ汁のついていない部分を舌の中央に運びます。そうすることによって、そばの香りがまず楽しめます。次に、一気にそばをすすり込みます。このとき、猪口の縁にそばをあてると、そばについてくる汁の量を加減できます。そのとき、他の食べ物と大きく違うところですが、そばは音をたててすすった方が良いようです。そして、ただ飲み込むのではなく、ときたま、舌の後方の両側で味わいます。そして、そばを意識して噛むと美味しくなくなります。
そんな食べ方は個人の自由で、どのように食べても構いませんが、そこにこだわるのは、いかにも江戸っ子という感じがしますね。
ここのところのニュースで、パンを喉に詰まらせて志望した小学生のことが取り上げられています。新聞によると、東京都だけで、しかもここたったの2年以内の事例だけで、物がのどに詰まって救急車搬送された人が2443人もいて、即死亡した人が71人もいるそうです。(植物人間になっている人は把握できない)そして、一番多いのは、ご飯や寿司で次が餅、それから野菜果物、パンです。幼児に限ると、ウエハス、たまごボーロ、飴も多いそうです。
 私が小学1年生を担任していたときのことです。クラスに好き嫌いの激しい男子がいました。その子は、毎日、給食はほとんど食べません。食べるのは、食パンの真ん中の白いところをえぐり取り、それを手で丸めてのり状にして、それを口に入れてしばらくなめて飲み込みます。余りに奇妙な食べ方をするので、家庭訪問をして、母親から事情を聞いてみました。するとその子の母親はこういいました。「私は子どもがかわいくて、心配でたまりません。物を食べるときにも、喉に詰まらせないか心配なので、食べ物はすべてミキサーにかけてどろどろにしてから喉に流し込むのです。先日のカレーも、具を全部ミキサーにかけました。おそうめんもミキサーにかけて飲ませます。給食も、固形物は出さないで欲しいと思っています。」と言ったのです。その母親の周りでは、その子は手にスナック菓子を持って食べながら歩き回っていました。
 確かに、最近のスナック菓子は、硬いものは少なくなっています。やわらかく、口に入れると溶けてしまうようなものも多くなっています。それから、一口で食べることができるように小さくなっています。ですから、最近の子どもはあごの張った子は少なくなりました。これは、どんな影響を及ぼすのでしょうか。明日、摂食、咀嚼、嚥下について考えてみたいと思います。

投稿者 fujimori : 22:55 | コメント (4)

2008年10月23日 近頃思うこと

外注

 「今日は外食をしよう!」と言うときの外食とはどういう意味でしょう。多くの人は、「外で食事をする」という意味で使うと思います。ですから、食堂、レストランなどの飲食店で食事をするということでしょう。
 これは、すでに室町時代からありました。それは「茶屋」と呼ばれるものです。よく時代劇などにも見られる「峠の茶屋」などもそうでしょう。それは、「茶店」とも呼ばれ、一種の休憩所であり、注文に応じて茶や団子などの和菓子を飲み食いさせる店舗として発達しました。食事を提供するようになって江戸時代初期には「めし屋」という店舗が登場します。そして、江戸時代の中期から後期にはそば屋や、留守居茶屋という店ができてきます。
 しかし、外食というのは、もうひとつ、外の人が作った食事という意味もあります。例えば、調理済みの弁当や惣菜の販売などの「中食」と呼ばれるものや、出前やデリバリーと呼ばれるものです。
これらの外食は、ファーストフードといわれる店舗が出現することによって、家族ぐるみで利用するようになりました。1970年、大阪日本万国博覧会会場にケンタッキーフライドチキンが出店したのに続いて、1971年マクドナルドが銀座三越に、ミスタードーナツが第1号店を出店し、続々とできていきます。それに続いて、ファミリーレストランができ、日本中の町の中で必ず目に入るほど店舗数が増えていきました。
 それが、今年に入って、外食産業の全店売上高は3年ぶりに減少しました。それに追い討ちをかけるように、メラミン混入とは、農薬混入などの問題が起きたり、健康志向から少しずつ外食が見直されてきています。
 食事の外注といった外食だけでなく、最近は、様々なものを外注するようになって来ています。掃除の外注、家事の外注、墓参りの外注まで現れてきました。2000年度に家事支援サービス市場は、547億円でしたが、10年には1000億~1200億に拡大する見通しだそうです。このように家事代行サービスの需要を伸ばしているのは、20~30歳代の働く女性のようです。そんな実態が、今週号の「週間東洋経済」に特集されています。そこには、こんなことまで代行させるのかと思うようなものが多くあります。
 両親が残業で保育所に迎えに行けないときや、塾や習い事の送迎などに利用されるケースが多い「子育てタクシー」というのがあります。このドライバーは、子どもとの手のつなぎ方や歩き方、コミュニケーションのとり方などについての研修を受けたり、子育てサークルや子育てに関する情報も学ぶそうです。いま、この資格を持つドライバーは全国で600人います。
 また、宅配業者のドライバーが集荷に来て、洗濯をしてまた自宅に配送する「洗濯代行サービス」のほか、コンビニで家事代行サービスのチケットを販売したり、コンビニが食事配達サービスをしたり、警備をする会社がその顧客に定期清掃から料理代行、子どもの世話、病院への付き添いなど身近な家事をサポートしたりします。
 当然、トラブルも多いようですが、ますます家事の代行は増えてくるでしょう。問題は、代行してもらう代わりに、何をするかということですね。

投稿者 fujimori : 22:37 | コメント (4)

2008年10月22日 近頃思うこと

教育環境

 子どもたちにとってよい教育環境とはどういう環境でしょうか。例えば、緑豊かな、広々とした中で教育をするのがよいとか、音が全くしない無人島のようなところがいいとか言い出すとそれは様々な価値観の違いが出てきてしまいます。そうではなくて、大人が、子どもにどんな環境を用意して上げられるかというとある指針が出てきます。
 先日紹介した「ユニセフ・イノチェンティ研究所調査」では、教育環境の充実を象徴するものとして8品目を挙げています。それは、「学習机」「静かな学習空間」「勉強用パソコン」「教育ソフト」「インターネット接続環境」「計算機」「辞書」「教科書」です。この中で、これらの所有が6品目未満の家庭がどのくらいあるかという調査結果があります。その結果、日本は53・3%で、ギリシャに次いでワースト2位でした。
 では、学校における良い学習環境はどんなでしょうか。日本では、「学校環境衛生の基準」というものが決められています。その項目は次のようなものです。「照度及び照明環境」「騒音環境及び騒音レベル」「教室等の空気」「飲料水の管理」「雨水等利用施設における水の管理」「学校給食の食品衛生」「学校の清潔」「水飲み・洗口・手洗い場・足洗い場の管理」「ごみの処理」「ネズミ、衛生害虫等」の10項目が挙げられています。
 昨日の10月21日は「あかりの日」でした。電球・蓄音機・映写機という「3大発明」をしたエジソンが、実用的な白熱電球を40時間点灯させた日が、1879(明治12)年のこの日です。現在は、タングステン線がフィラメントの主流ですが、エジソンは京都産の竹を炭にしてフィラメントを作りました。
この「あかり」はとても重要な環境です。ですから、「学校環境衛生の基準」では、真っ先に挙げられています。また、「あかり」は、日常生活に必要な視覚情報を得るための重要な手段であり、生活文化の原点として、「あかり」は古くより人間生活に重要な役割を果たしてきました。今日、1日24時間を人々が活動できるのも「あかり」のおかげですし、またあかりは単に物を照らすだけでなく、そのあかりでホッとしたり、その場を演出してくれます。
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  さて、話を元に戻して、照明が環境として機能するための条件はなんでしょうか。まず、光を定量的に測定することを「測光」といい、電磁波の量に目の感度で重み付けをした量を「測光量」といいます。それには、「光束」「光量」「照度」「光度」「輝度」等があります。
「光束」とは、放射束を測光標準観測者の目を通して評価した量を表し,記号はΦ,単位はルーメン[lm]です。「光量」とは、その光束を時間で積算したもので,記号はQ,単位はルーメン秒[lm・s]です。また、光のりょうを表す中で一番使われるものは、「照度」です。この照度を正確に定義すると、照明によって照らされている面の単位面積に入る光束を評価した値であり,記号はE,単位はルクス[lx]になります。「教室及びそれに準ずる場所」において、望ましい基準として、下限値を「300ルクス」とし、「教室及び黒板の照度」は「500ルクス以上であることとされています。「光度」とは、光源の明るさを評価する量で,ある方向の微小な立体角内を通る光束を,その微小立体角で割ったもので,記号はI,単位はカンデラ[cd]です。「輝度」は、ある程度の大きさをもつ光源に対して、単位面積当たりの光度を求めるようにしたものが輝度であり,記号はL,単位はカンデラ毎平方メートル[cd/m2]です。
しかし、「明るさ」は人間が感じる感覚的なものであり,これを数値化するには注意が必要であると、国際的な機関であるCIEが中心となって,光に関する標準について勧告しています。数値で表せないものが人間には必要かもしれません。

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2008年10月21日 散歩

 そろそろ各地で紅葉情報を聞くようになって来ました。先日の黒姫では、最初に紅葉するのは、「つたうるし」などの蔦系だそうです。「つた」は、木などをつたっていくのでその名が着いたといわれますが、まだ周りが緑のうちに、真っ赤に紅葉するので目立ちます。そして、つた同様、赤く紅葉するものに「楓」があります。楓は、モミジとも呼ばれ、秋に紅葉する葉の代表格です。
「秋の夕日に 照る山もみじ こいもうすいも 数ある中に 松をいろどる かえでやつたは 山のふもとの すそもよう」と歌われるように、楓(かえで)や蔦(つた)は、濃いものや薄いものがあるので、着物のすそ模様のようにきれいです。この楓と蔦の二種類の組み合わせは、秋を表すときによく使われ、伊勢物語の第九段に「宇津の山にいたりて、わが入らむとする道は、いと暗う細きに、蔦、楓はしげり、もの心ぼそく」という中にも書かれてあります。この中の蔦や楓は、きれいというよりも、心細さを感じさせているようです。
 紅葉は、もちろん葉の色が赤や黄色に変わる美しさがあるのですが、それだけではなく、それを引き立てる緑が必要です。その緑は、「もみじ」の歌では「松」ですが、そのほかの常緑樹も引き立て役を果たします。尾形光琳や俵屋宗達が同じモチーフで描かれた「槙楓図屏風」では、楓の赤を槙の緑が引き立てています。
 もともとこの絵は宗達が描いたものですが、光琳がその絵を模写しました。その一対の絵が今、国立博物館で、尾形光琳生誕350周年記念「大琳派展-継承と変奏-」というイベントで公開されています。この絵画展では、琳派を代表する本阿弥光悦・俵屋宗達・尾形光琳・尾形乾山・酒井抱一・鈴木其一の六人の作品が展示されています。この間の日曜日に行ってきました。
彼ら琳派の特徴のひとつとして、先達の作品に触発され、同じ主題の作品を描いていることがあります。ここでは、「風神雷神図屏風」など、同じ主題の著名作品を同時に対比展示しています。もうひとつ印象的な作品が「槙楓図屏風」です。今回の展示では、この二作品がかぎの手に展示されているので、見比べながら観ることが出来ます。
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宗達の絵は、重厚な趣を持っており、奥行きを感じさせます。力強さ、金の綺麗さ、槙の重さ、秋の草花は可憐さ、楓の赤を引き立てる槙の木は、葉だけでなく、その2本の幹も印象的です。
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そして光琳の絵のほうは、枝葉を減らし、少し位置をずらして、全体をすっきりさせています。やはり、楓の赤がうまくきわ立つように、槙の緑の濃淡がリズミカルに広がり、奥行きも感じられます。同じものを描いても受ける印象は、ずい分と違ってきます。
 槙は、千葉県の県木に指定されていますが、正確に言うと、「イヌマキ」という木で、その名称を単に「マキ」と改められて、そう呼ばれています。街路、公園、庭木など目によくふれる木です。種子は球形に近く、日本名マキは円木(まるき)の略したものといわれています。この木は、雌雄異株で,果実は赤紫色の花托の上に緑色の果実がつき色のコントラストと形が面白く、甘くて食べられます。
 よく見る景色も、樹木も絵画を通してみるとまた違って見えてきます。

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2008年10月20日 近頃思うこと

私はこれで

先月の9月19日に、映画監督の市川準が亡くなられました。出先の食事中だったそうで、59歳でした。当然亡くなられる場合の多くは、タバコが何らかの影響があるといわれていますが、市川さんは、まさか吸っていなかったでしょうね。というのは、市川さんは映画監督になる前の80年代は、CMディレクターとして活躍していました。その有名なCMに、禁煙パイポがあるからです。
このCMは、1984年に作られました。映像は、まず、3人のサラリーマンのおじさんが次々と登場します。一人目はこう言います。「わたしはこの禁煙パイポでタバコをやめました。」そして、二人目はこう言います。「わたしもこのパイポでタバコをやめました。」そして、三人目は、「わたしは、」と言って小指を出して、「これで、会社を辞めました。」というオチで終わるのです。
このCMには、懐かしい思い出があります。何度かブログで紹介しましたが、私が若い頃「八王子保育研究会」という会を立ち上げ、仲間と色々な活動をしていました。その主な活動が、毎年色々なテーマで開催をしていた「乳幼児の世界展」という保育展でした。1987年の保育展は、「くうねるあそぶ」というテーマで、子どもにとって「食べること」「寝ること」「遊ぶこと」の大切さを、井上陽水の出演の車セフィーロのCMをもじっての展示でした。その中で、私がこんなポスターを書きました。
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それは、女性が小指を立てている絵で、コメントにこう書きました。「私は、これで会社を辞めました。」そして、その少しあとに続けて、「でも、保育園があったら 辞めなくてすんだのに。」もとのCMでおじさんが立てた小指は「彼女」を表していましたが、私たちの世界では、赤ちゃん指ということで「子ども」を表しています。
そのように、「くうねるあそぶ」ではありませんが、その頃話題になったCM を使って、子どもの世界を表しました。
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例えば、「初恋の味 カルピス」というCMをもじって、「初恋の味 離乳食」ということで、子どもにとって始めて味覚を味わう離乳食の大切さや食育の大切さを訴えました。また、「やめられない とまらない かっぱえびせん」というCMをもじって、「やめられない とまらない スナック菓子」ということで、子どもにスナック菓子を与えすぎないようにという警告を発しました。また、「百円でポテトチップスは買えますが、ポテトチップスで百円は買えません」というCMをもじって、「百円でポテトチップスは買えますが、ポテトチップスで健康は買えません」ということで、やはり、スナック菓子の食べすぎを警告しました。
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また、「タバコは動くアクセサリー」というCMをもじって、「子どもは動くアクセサリー」ということで、子どもをつれて歩くことのかっこよさを訴えました。
CMは、時代を反映したり、皮肉ったり、印象に残るものが数多くあります。「私はこれで…」を作った市川さんは、他にも「亭主元気で、留守がいい」と教え、それをくりかえすオバタリアンの教室では、主婦パワーを取り入れた金鳥タッチのCMがありますし、「エバラ 焼肉のタレ」「タンスにゴン」「ヤクルトタフマン」「デューダ」等のテレビCMなど400本以上のCMを発表し、85年にはカンヌ国際広告映画祭で金賞を受賞しています。
コマーシャルコピーは、短い言葉の中にどれだけの情報を入れ込むかという面白さがあります。俳句や短歌を詠むように、たまには、コマーシャルコピーを作って楽しむのも頭の体操になるかもしれません。

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2008年10月19日 近頃思うこと

出会いの秋

 「おもわぬ出会いがありました。」という文を見て、誰と出会ったと思うでしょうか。どんなものと出会ったと思うでしょうか。
 先週の連休に妻と訪れた野尻湖のナウマンゾウへの興味は、「掘って 掘って また掘って」という本との出会いがきっかけでした。「おもわぬ出会いがありました。」は、今年の第62回「読書週間」の標語です。秋といえば、食欲や運動の秋と同時に「読書の秋」でもあります。しかし、最近はその言葉は余り聞きませんね。本好きというイメージの日本人としてはどうしてでしょう。
少し前の紹介した「ユニセフ・イノチェンティ研究所調査」によると、10冊未満の本しかない家庭の割合は、日本では9・8%で21か国中17位でした。この調査は、児童のいる家庭に限っていますので、最近の若い夫婦の世帯に本離れが進んでいるようです。
 今年の標語は、本は、読む人にとってのひとつの出会いということで、読み手にとって本がどのような存在であるかということですが、過去においては、本は必ずしもそうではなかったようです。終戦まもない昭和22年、まだ戦争の傷跡が残っている日本で「読書の力によって、平和な文化国家を作ろう」という決意のもとに制定されたのが、第1回「読書週間」です。
そのときの呼びかけは多くの国民に反響を呼びました。それ以後も毎年文化の日を中心にした10月27日~11月9日を「読書週間」とし、国民的行事として定着し、日本は世界有数の「本を読む国民の国」になったのです。
 このように最初は、本によって平和な文化国家にしようというような壮大なものでした。この考え方は、その後の標語にも見られます。1958年には、「読書でつくろう 明るい社会」、1960年「よい社会 ひとりひとりの読書から」などはそうです。その後、読書によって円満な家庭を作ろうという標語になります。1956年「読書がつくる よい家庭」、1957年「そろって読書 明るい家庭」、1965年「みんなで読書 あかるい家庭」、そして、決定版といえるのは、1970年の、前年の「いつでも どこでも たのしい読書」と二本立てで、「茶の間に雑誌 明るい家庭」です。今、これらを読むと、みんなでどうやって読書をするのだろうかとか、何で茶の間に雑誌があると家庭が明るくなるのかと思ってしまいます。それは、昔は、本を読んだあと、家族で話し合ったり、みんなで同じ本を読んだりしていて、現在、家族みんなでテレビを見る感覚だったのでしょう。しかし、今は、本は一人で、一人部屋で読みますし、家族が読む本は、それぞれ違う本を読むことが多くなっています。テレビでさえ、家族揃ってみることは少なくなってきています。
 そうなると、本は国や家庭とは関係なく、本人の生き方に影響するようになります。1947年「楽しく読んで 明るく生きよう」、1955年「読書は人をつくる」、1962年「きょうの読書は あすへの希望」1974年「本との出会い 豊かな心」などは、その現れです。しかし、次第に本は楽しいものになっていきます。1973年「レジャーを本で」、1975年「本との出会い ゆたかな時間」などです。それが、次第に大げさに、またイメージになっていきます。1977年「一冊の本から 何かが始まる」、1978年「翔べ心! 本はその翼である」、1979年「燃えよ人生! 本とのふれあい」、1980年「素晴らしき人生 本との出会い」、1982年「読書はあなたの無限の宇宙」、1983年「読書は新しい発見の旅」などは、凄いですね。活版印刷技術がなかったころは、書を読むことができるのは、主に裕福層やインテリ層にだけ許された行為でした。今は、誰でも本を読むことができます。大切にしたいですね。

投稿者 fujimori : 22:30 | コメント (4)

2008年10月18日 近頃思うこと

富貴

昨日の論語の中で「不義而富且貴」と書かれているように、人は「富貴」を求めようとします。孔子は、そのこと自体が悪いのではなく、それを、不義を働いて得ても意味が無いと言っています。
「子曰 富與貴是人之所欲也 不以其道得之 不處也」
孔子はこう言っています。「富と貴い身分とは人の誰でも手に入れたいと思うものです。しかし、それらを善い事(勤勉や高潔な人格)によって得たのでなければ、その富を享受することも、その地位についていることも、心から満足できないものです。
 「貧與賤是人之所惡也 不以其道得之 不去也」
 反対に、貧しかったり、賤しい身分でいることを人は嫌うものです。しかし、もし道を間違っているならば、そこから逃れることはできないのです。
 これを読んでも、孔子は決して富貴を否定しているわけではありません。ですから、渋沢栄一が「論語と算盤」を著し、「道徳経済合一説」という理念を打ち出したのには、この考え方を孔子から学んだからでしょう。渋沢はこう言っています。「算盤をとって富を図るのはけっして悪いことではないが、算盤の基礎を仁義の上においていなければいけない。私は明治六年に役人をやめて、民間で実業に従事してから五十年、この信念はいささかも変わらない。」実際に、渋沢は、経済を発展させ、利益を独占するのではなく、国全体を豊かにする為に、富は全体で共有するものとして社会に還元することを説き、自らも心がけました。
 「司馬牛憂曰 人皆有兄弟 我独亡 子夏曰 商聞之矣 死生有命 富貴在天 君子敬而無失 与人恭而有礼 四海之内 皆為兄弟也 君子何患乎無兄弟也」
司馬牛は憂いをもってこう言いました。「人間にはみんな兄弟がいるというのに、私だけはただ一人だ」それに答えて子夏が言います。「私は死生の別も運命であり、富み栄えるのも天命であるという言い伝えを聞いています。君子が慎み深い態度をとって間違いを行わず、人と親切に交流して礼を失わなければ、世界のすべての人々がみな兄弟になるだろう。君子であれば、兄弟がないというようなことを嘆くことはないだろうか。」
この中の「死生有命 富貴在天」とは、孔子が常に説く教訓です。しかし、この言葉からは、なんだかあきらめとか慰めのように聞こえます。はじめから、いつ死ぬか決められていたり、貧しくなるか金持ちになるかは天命によって決まっている、自分ではどうにもならないとなると、色々やったりするのは無駄のような気がします。しかし、その前後の文を読むとそうではない気がします。
自己がやるべきこと、できることをきちんとやったからこそ、天命に任せることができるのです。すなわち世のために生きようとしなければ、世の人から尊敬を得ることはできないのです。何もせず、奢り、贅沢に過ごしていては世の中の信用を失ってしまうものです。慎み深く、仁の心を忘れず、他人には礼の心をもって接する必要があるのです。
 偉大な人が残した言葉は、その表面だけを読みとるのでなく、その奥にある言いたいことを感じる必要があるようですね。

投稿者 fujimori : 23:04 | コメント (4)

2008年10月17日 新聞記事より

幸福

 9月28日の 読売新聞に、「幸福感」についての世論調査結果が特集されていました。この調査は、面接方式で、1979年以降継続的に30年間行っています。その結果を見ると、今の自分を「幸福だ」と感じている人は88%もいて、「不幸だ」という人は10%しかいなかったそうです。79年以降の調査を見ると、「幸福だ」と感じている人は89年の92%が最高で、最低でも99年の87%で、ほぼ30年の間、ずっと9割前後を推移し、日本人は、現状を肯定的に受け止めることがわかったそうです。
 では、何を幸せと考えるかを具体的に聞いてみると、「何か良いことが起こること」と考える人は29%にとどまり、「何も悪いことが起こらないこと」の69%が大きく上回っています。では、今の日本人は、「自分が幸せかどうかを他人と比べて判断する人が多いと思う」と答えた人は76%いますが、「そうは思わない」は21%でした。「自分だけが幸せならばよいと考える人が多い」との指摘にも、「そう思う」と答えた人は72%もいました。
 幸福とは何かを二つまで選んでもらったら、「健康なこと」が69%で最も多く、「しあわせな家庭生活」41%、「良い友人をもったり、人々と仲よく暮らしたりすること」27%と続いています。このベスト3は、30年間変わっていません。ただ、今回と79年を比べると、「健康」は3ポイント減、「家庭生活」は4ポイント減となり、「良い友人」は5ポイント増えています。
 この結果をどう考えればよいのでしょうか。新聞には、コラムとして僧侶作家の玄侑宗久氏のコメントを載せています。
「私は、幸せとは自分が変わったと感じられることだと思っている。「『幸福』とは何か」という質問の答で、「ひとつの目的に向かって我を忘れて取り組むこと」という選択肢がある。これを挙げた人はほぼ30年前の1979年でもわずか7%、今回も3%に過ぎない。しかしこれこそが幸せの本質ではないか。夢中になって何かをやり、いつの間にか自分の枠を超えていたことに気づくということだ。」
確かに結果を見ると、幸福を求める姿が見えてきません。なにもしないでじっとしていると、確かに自分の身には、何も悪いことは起きないでしょう。それが幸せなのでしょうか。
論語の述而篇15にこうあります。「子曰、飯疏食飲水、曲肘而枕之、楽亦其在中矣、不義而富且貴、於我如浮雲」(子曰はく、疏食(そし)を飯(くら)ひ水を飲み、肘を曲げてこれを枕とす。楽しみ亦た其の中に在り。不義にして富み且つ貴きは、我に於いては浮雲の如し。)
 孔子は、こう言っています。「高粱(コウリャン)のような粗末な飯を食べ、水を飲み、腕を曲げて、枕代わりとするような、質素な暮らしをしていても、道に志す本当の楽しみは、おのずからその中に在るものである。不正な手段や人に不義して得た富や地位などは、自分にとっては、浮雲のようなはかないものである」
 人間としての真の楽しみは、学問と道徳の実践の中にこそあると考えています。私は、その実践から真理が少し垣間見えたときに幸せを感じます。

投稿者 fujimori : 23:53 | コメント (4)

2008年10月16日 旅先にて

野菜

  またまた食品への農薬混入が問題になっています。食は、人間にとって欠かせないものなので、困りますね。その食について、最近代わってきたことがあります。それは、これまで野菜は、多くの場合、肉や魚の脇役でしたが、最近は、野菜を主役に据えるレストランが、和洋中、様々なジャンルで増えているということです。
 例えば、原宿にある落合圭子さんが経営する絵本店「クレヨンハウス」の地下には、洋食レストラン「HOME」と、和食レストラン「広場」という2つの自然食レストランがあります。この店のコピーは、「料理人も驚く、オーガニック野菜の味」というもので、レストランの前には、目に鮮やかな伊予柑やネーブル、泥がついたままの大根、ジャガ芋やニンジンなどが所狭しと並んだ八百屋「野菜市場」があり、売っている野菜のほとんどが有機野菜です。豆腐や調味料などの加工品も有機農産物を原料とするこだわりの商品で、2つのレストランの食材は全てこの八百屋から調達しています。事業部長の岩間建亜さんは「オーガニック食材のよい点は、まず美味しいこと、季節があること、体のリズムに合っていることです」また、「まず料理人たちが、その美味しさ、味わい深さに感動します。食材そのものが美味しいので、味付けの必要がないほどです」と言い、味に敏感な子どもは、家だと野菜嫌いなのに、なぜかここのレストランにくると野菜を食べるようになるといいます。
 また、グリーンツーリズム(農山漁村での余暇)や地産地消などの概念が普及するのに伴い、農家自身が経営や調理にあたる「農家レストラン」が増えています。現在全国にはこの種のレストランが1000軒以上あるそうです。例えばその地域が蕎麦の産地であった場合、自家製あるいは地元産の蕎麦を用いたメニューを提供します。メニューは地域の伝統料理であることが多いようです。
 先日の野尻湖で、最近注目を浴びているシェフ渡邉明の料理をいただきました。彼は、9月7日のテレビ東京「ソロモン流」を始め、テレビ番組「料理の鉄人」にも出演したり、よく取り上げられます。食事のあとに彼が挨拶に来たのですが、やはりオーラが出ていました。彼は、電気関係の専門学校を卒業後に大手音響メーカーに入社、その間に数々の飲食店でアルバイトを経験しています。そんな渡邉さんは小学生の頃から料理人になるのが夢だったそうです。その彼が得意にしている料理のひとつが、野菜を使ったヘルシーレシピや食材にこだわる食育です。
 今回いただいた食事のメニューの中で特に美味しかったのは、名物の「農園バーニャカウダ」という料理です。
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  これは、料理といったよいかというほど、ただ、みずみずしい野菜が惜しげもなく迫力いっぱいに盛られた、そして、野菜の美しさを引き立てるかのように並べられた一皿です。地元で取れた新鮮な野菜を、バーニャカウダソースにつけて食べるのは、どんな贅沢な料理を食べるよりも美味しく、贅沢な気がします。バーニャカウダソースとは、にんにくとアンチョビをオリーブオイルに溶かしたものです。それを、ろうそくの火で暖めながら、野菜につけて食べます。このソースがまた抜群の美味しさです。
 本当に美味しい料理は、新鮮な、よい素材そのものを味わうことですね。

投稿者 fujimori : 23:53 | コメント (4)

2008年10月15日 旅先にて

森の効果

 癒しの森を散策していて「人として太古からのDNA」という立て札に出会います。そこには、「人類が誕生してから今までの間の99.9%を森の中で暮らしてきた人類はDNAレベルで森に同調します。もともと自然環境の中で生活してきた人類が、現代の人工的な環境での生活は、本来の人間の生活とは違い、大変なストレスを与えます。森林セラピーはこのような環境からのストレスを改善するという点からも大きな効果を持っており、人々の心を癒すといわれています。
 立て札は道を案内するかのように立っています。大きく「深呼吸」をしてみましょう。インストラクターの水野さんから、「おへその下あたりに空気を入れるように、ゆっくりと4秒くらいかけて、鼻で息を吸って、口をすぼめてゆっくりとはいてください」という言葉がけで、参加者はみんな静かに、大きく深呼吸です。きれいな空気をゆっくりと吸うことで、細胞に酸素を取り込み、免疫力をアップさせます。木漏れ日は、「緑のカーテン」です。空を仰ぐと、青い空が広がっているだけでなく、覆いかぶさるように木々の葉が緑から黄色、赤に色を変え始めています。そこからは、身体をリラックスさせ、脳にα波を増やす効果を発揮するといわれている「マイナスイオン」が満ちています。耳を澄ませば、せせらぎの音や木の葉をゆらす風が持つゆらぎは、気分を和らげてくれる力を持つといわれる「1/fゆらぎ」です。
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 このツアーで、参加者が最も感心したのは、樹木草類が発散する化学物質、菌などを抑制する作用を持つと言われている「フィトンチッド」です。
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 森林浴効果をもたらすといわれる森林の香りの正体は、「フィトンチッド」と呼ばれる、主に樹木が自分で作りだして発散する揮発性物質で、その主な成分はテルペン類などの有機化合物です。この揮散している状態のテルペン類を人間が浴びることを森林浴と言っても過言ではありません。樹木は、生きていくために光合成と同時に、二次的にフィトンチッドなどの成分を作りだすのです。それは、樹木にとってどんな効果があるのかというと、他の植物への成長阻害作用、昆虫や動物に葉や幹を食べられないための摂食阻害作用、昆虫や微生物を忌避、誘因したり、病害菌に感染しないように殺虫、殺菌を行ったりと実に多彩です。土に根ざして生きる樹木は移動することができません。そのため外敵からの攻撃や刺激を受けても避難できませんから、フィトンチッドを作りだし、それを発散することで自らの身を護るわけです。
1930年頃、旧ソ連のB.P.トーキン博士は、この植物の不思議な力を発見し、フィトン(植物が)チッド(殺す)と名づけました。また、フィトンチッドには、自己防衛のためだけではなく、攻撃手段でもあります。およそ生き物は自らのテリトリーを広げようとします。そのために他の植物に対して強力な成長阻害作用を持つ物質、すなわちフィトンチッドを分泌して、自らの勢力を拡大した結果なのです。しかし、このフィトンチッドは他の生物に対して攻撃的に作用しますが、人体に対しては有益です。自律神経の安定に効果的と言われ、肝機能を改善したり快適な睡眠をもたらし、空気を浄化したり、悪臭を消す働きがあります。また、食品への防腐、殺菌を始め、部屋や浴室のカビ、家ダニなどへの防虫にも効果的です。
 森林リフレッシュのあとの昼食は、野尻湖半で、野尻原人さながら火おこしをし、石のナイフでゾウの肉ではありませんが、熊の肉を切り、それをバーベキュー、そして、笹の葉に乗せた古代米のおにぎりをいただきました。
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投稿者 fujimori : 23:44 | コメント (4)

2008年10月14日 旅先にて

森セラピー

 今回の黒姫へは、「森を感じる休日@信州信濃」というイベントに参加することが目的でした。このイベントは、10月11日から13日まで行われました。私は、11日は八戸でしたので参加できませんでしたが、12日は朝から参加しました。12日はブログで書いた「アファンの森探訪」です。
13日に参加したのは、午前中は「野尻湖畔トレッキング」ということで、癒しの森(ゾウの小径)を歩きました。これは、普段ここ信濃町が取り組んでいる、「森の風景や香り、木々の音や感触には心身を癒す効能がある」というそんなパワーを健康回復・増進に役立てようという「森セラピー」という「癒しの森」事業です。
 昔から「森林浴」といって、森の中に入ると体や気もちによいといわれてきました。「森林セラピー」は、それをもう一歩進めて、この効果を科学的に解明し、こころと身体の健康に活かそうという試みです。森林浴で気持ちがリラックスすることはもちろん、森を歩く前と、終わってからとでは、実際に身体の免疫力が上がり、血圧が低下するなどの科学的な効果が見られるようです。
町内には距離や高低差が異なる10の「癒しの森コース」がありますが、今回は、その中で、難易度はBで運動としてはちょっと軽めの、距離2・5キロの、もちろんナウマンゾウが歩いたであろう「象の小径(こみち)コース」を歩くことにしました。案内役は、町独自の講座を受けて認定された「森林メディカルトレーナー」です。
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 道を歩きながら、今回のトレーナーの水野さんは、木々について説明しながら「立て札」のところで立ち止まり、その内容を説明してくれます。
 「森がカウンセリング」。森の中で過ごすことで心が穏やかになるのは、森がカウンセリングしてくれるからです。同時に、「ストレッチングとウォーキング」。ウォーキングにストレッチを加えることで、全身の血行が促進し、心身共にリフレッシュする効果が高まります。紅葉が始まった森は、踏みしめる落葉がカサコソと音を立てます。その葉の種類も、周りの景色の変化に合わせて変わっていきます。時折木立の合間からは、湖面を覗き込むことができます。そんなときには「何もしない」。この立て札には、「好きな場所を見つけ、しばらく座ってください」と書かれています。「何もしない時間」はとても意味があるようです。
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途中立ち止まって、小枝を切って「この木、なんだか分かりますか」と聞きながらその枝を渡してくれます。とてもいい香りがします。クロモジという昔からようじに使われている木だそうです。そのように森は、音や匂いなどを感じることができます。「五感を使おう」。森の中では何もしなくともそれだけで心癒されますが、さらに効果的に森林パワーを感じるためには、人間に備わっている「五感」を使って個人の価値観に応じた森林セラピーを楽しむことによって、森の力をより明確に実感できます。森の中や周辺で耳や目、鼻、手足、味覚等の五感のアンテナを研ぎ澄ませて、木々の息吹や風のざわめきを感じて、その中でいちばん自分に合ったリラックス法を探してみることによって、自然の中で本来あるべき場所にいるという快適感を全身で感じ、楽しむことができるのです。
 まだまだ、小道は続いていきます。

投稿者 fujimori : 23:14 | コメント (4)

2008年10月13日 旅先にて

日本のゾウ

 私が子ども会の顧問をしていたことがありました。そのときの役員は全員父親だけという珍しい会でしたので、企画がとても面白いものが多かったような気がします。ある年にテーマを「縄文時代体験」としたことがありました。その年の行事は、例えば、ある月に地域を流れる川に行って、その川床にある粘土を取りに行き、それを砕いて粉にして水に溶かし、その次の月に、それを粘土のようによく練って土器を作り、その周りには縄を押し付け、模様をつけました、それをよく乾かしたあと、次の月に野焼きで焼いて、縄文土器を作りました。また、どんぐりを粉にしてそれを焼いて食べ、縄文時代の食を体験しました。
 東京の奥多摩のほうに「縄文爺さん」という人がいて、父親たちと訪ねました。彼から、縄文時代の生活を聞くためです。彼は、どんぐりを食べ、蓑虫の蓑をつなぎ合わせた服を着ていました。また、私が当時教員をしていたのですが、担任していた1年生のクラスで、縄文時代の住居を再現しました。(以前にブログで書きました)どうも、古代に興味を持っていたのかもしれません。そんな頃に、2冊のまんがの本と出合います。1983年、野尻湖発掘調査団によって発行された「掘って掘って また掘って」というまんが野尻湖発掘ものがたりでした。もう1冊の本は、「よみがえったナウマンゾウ」という、まんが恐竜博士シリーズの1冊です。ともに、野尻湖の「ナウマンゾウ」の発掘について書かれた本です。
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 以後、私は、一度は野尻湖に行ってみたいと思うようになりました。発掘調査は、毎回新しいものが発見されており、とてもロマンを感じていたからです。しかし、その後忙しくなって、野尻湖とナウマンゾウのことは忘れていました。昨日から休日を過ごしに来ている黒姫は、まさに、その野尻湖の湖畔にあり、今日、念願の「野尻湖ナウマンゾウ博物館」を訪れることができました。
 お願いをして開館以来学芸員を務める近藤洋一さんからレクチャーを受けました。昨日の松木さん同様、熱っぽく語るその内容は、思わず引き込まれるようでした。ナウマンゾウは日本を代表する化石です。そのナウマンゾウの発掘を40年も続けている野尻湖は、ナウマンゾウのいる湖として名を知られています。2年に1回の「大衆発掘」には、毎回多くの参加者があるそうです。全国にある「野尻湖友の会」という団体に入会すれば誰でも発掘に参加でき、ナウマンゾウ博物館に展示してある化石や石器などは、この友の会の会員が発掘したものも多く、ラベルには発見者の名前が書いてあり、これは、世界的にも珍しい発掘方法です。
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 ナウマンゾウは、陸続きであった中国から日本に渡ってきて、もっとも繁栄した最盛期は今からおよそ12万年前から7万年前のことで、日本列島が暖かい時代でした。ですから、日本中、北海道まで分布を伸ばしていたことがわかっています。寒い時代を迎えてもその分布範囲は縮小することなく、日本特有の種になっていったのです。しかし、野尻湖の時代を迎えて突然、絶滅します。近藤さんは、人類がナウマンゾウを滅ぼしたのではないか、という仮説を打ち出し、研究しているそうです。
 それを裏付ける人間による槍やナイフは発見されているものの、肝心の人骨の発掘は、まだのようです。まだまだ永遠のロマンは衰えてはいないようです。

投稿者 fujimori : 21:36 | コメント (4)

2008年10月12日 旅先にて

森の見学

 今日の休日は、妻と黒姫に来ています。そのひとつの目的は、「アンファンの森」の見学会に参加するためです。この見学会は、普段は会員に行われているものですが、今日は、一般公開でした。
 この森は、英国の南ウェールズ生まれのクライブ・ウィリアム・ニコル氏が、地元の放置林を買い取り「アンファンの森」と名付けたところです。現在は、この森を永遠の森にするためにC.W.ニコル氏は、この土地を寄附し、この森で起きることが、日本中の森がよみがえるための一歩となることを願って、「財団法人 C.W.ニコル・アファンの森財団」の森にしました。今日の見学会の最初に、財団の人から森の中で、みんなでサークルになって木のベンチに腰掛け、C.W.ニコル氏がなぜこの森を「アンファンの森」と名づけたのか、また、どうして森を守る活動を日本でしようと思ったか、そして、それがどんな成果を遂げているかなどを紙芝居形式で説明を受けました。そのいきさつはこう説明されています。
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「北には流氷、南にはサンゴ礁、世界でもっとも生物の多様性に富んだ風土を持つ国、日本。そこに住む人々は、自然を愛する繊細な文化を持っていましたが、残念なことに、高度経済成長期以降、経済の発展のためにその自然の素晴らしさに背を向けるようになります。樹齢400年以上のナラ、ブナ、トチなどの大木が一瞬にして切り倒され、スギやカラマツの植林地になってしまいました。
ところが、残念なことに、日本人は経済の発展のためにその自然の素晴らしさに背を向けるようになります。樹齢400年以上のナラ、ブナ、トチなどの大木が一瞬にして切り倒され、スギやカラマツの植林地になってしまいました。
人間の都合に合わせた自然につくりかえられてしまった森は、野生動物を棲まわせたり、水をきれいにしたり土をつくったりする豊かな力を失っていきました。しかもその植林された森が、またもや経済的な理由で放置され、今や荒れ果てています。食べ物を失った野生動物たちは、里に下りて農作物を荒らさざるを得なくなり、絶滅の危機に危ぶまれるツキノワグマさえ、里におりてくれば害獣として打ち殺されてしまうのです。」
昨日のブログではありませんが、日本には四季があり、素晴らしい自然があります。それはニコルさんではありませんが、世界でもまれに見る多様な自然です。地方に行くと、まだまだ多くの森が残っています。まだまだ自然が残っています。しかし、それが思い違いであることを説明でわかりました。日本の国土に占める森林率は67%ですが、このうち、41%がスギなどの人工林ですし、その中で本当に原生林と呼ばれる森はわずかですし、もう一度人間の手を入れて本来の森を取り戻さなければならない森がほとんどです。
今日の見学会で、先頭にたっていろいろな話をしてくれたのが、松木さんという人でした。ニコルさんがこの森を取り戻そうとしたときに、地元でかつて炭焼きをしていた松木さんの森についての知識の豊富さに惚れて、森の管理を何度もお願いしたそうです。彼による途中の説明は、松木節といわれるような軽妙な語り口で、その森を心から愛している思いが伝わってくるようでした。見学会の終わりには、その森の入り口に立っている松木小屋の薪ストーブで作られたきのこ汁をご馳走になりました。

投稿者 fujimori : 23:00 | コメント (4)

2008年10月11日 講演先にて

音風景

アイヌの人たちが「神々の遊ぶ庭」と呼んだ大雪山には、昨日紹介したような貴重な鳥類が生息しています。それは、険しいということで手つかずの自然がまだ残っているということです。その主峰旭岳の山麓には、いくつかの自然探勝路が設定されています。今回はそこを歩くことができませんでしたが、コマクサコース、見晴台コース、クマゲラコース、ナナカマドコースの4つの自然探勝路があります。ここを散策すると、氷河期から生息するナキウサギの声や、コマドリ、ミソサザイ、ルリビタキなど多くの野鳥の声が聞こえるそうです。自然は、見て楽しむだけでなく、音で楽しむことも出来ます。
各地には、様々な景勝地や名所などがありますが、自然と同じように、それらの地では、五感を刺激するものがあります。そのひとつが、音を聞いて楽しむ名所が各地にはあります。大雪山は貴重な生き物の鳴き声を楽しむことができます。また、先週末の最初に訪れた札幌では、時計台の鐘の音を聞くことができました。
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この時計台は、明治11年札幌農学校(現北海道大学)演武場として建設され、以来百年以上の間、札幌のシンボルとして時を刻み、鐘の音を響かせています。石原裕次郎の歌ではありませんが「時計台の下で会って、私の恋は始まりました」というようなその外観は、洋風建築で、札幌のポスターなどにもよく取り上げられています。しかし、意外とがっかりする建物だといわれています。それは、その建物のシンボルの時計塔の背景が、真っ青な空ではなく、味わいのないビルだからです。同じように、時計台の音も、昔は、4キロ四方にわたって鳴り響いたといわれていますが、今は、ビルの間で、ほとんど周辺にだけしか聞こえなくなってしまっています。それでも、歴史的文化的音色を奏でています。
そのほかにも音を楽しむ名所旧跡があります。そんな場所が「残したい日本の音風景100選」ということで、環境省環境管理局で平成8年に選定されています。この目的は、「全国各地で人々が地域のシンボルとして大切にし、将来に残しておきたいと願っている音の聞こえる環境(音風景)を広く公募し、音環境を保全する上で特に意義があると認められたものを認定」とあります。大雪山旭岳、札幌時計台も百選に入っています。
週末訪れた八戸にもこれに選ばれた場所があり、講演の合間に訪れてみました。
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そこは、「蕪島」です。この蕪島は、島と陸地との間は現在、埋め立てられて陸続きになっており、その西側には東北有数の機能を有する八戸港があり、イカ釣り漁船が所狭しと停泊しています。この島でどんな音がするかというと、この島はウミネコの一大繁殖地で、毎年2月下旬ごろに南方から飛来し始め、島に蕪の花が咲くころは、数万羽が島にやって来て産卵します。そして成長したヒナが巣立つ7月ごろまで島と港の上空は、「ミャー、ミャー」という猫に似た鳴き声と、太平洋から寄せる波音が共鳴し合う漁業の町の音風景なのです。秋に入った今は、ほとんどのウミネコは南へ旅立ってしまい、波が打ち寄せる音しかしませんが、それでも数羽、越冬するウミネコが岩や屋根に羽を休めていました。その泣き声は、騒がしい季節から、さびしい秋を感じる声でした。
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 音の聞こえる環境は、様々な観点から選ばれています。虫の音、植物の音だけでなく、祭りの音、生活の音、産業の音、交通の音などです。その地方ならではの音を楽しむのも一興かもしれません。

投稿者 fujimori : 19:52 | コメント (4)

2008年10月10日 講演先にて

紅葉前線

 秋はとても味わい深く、日本の四季の深みを感じます。と同時に「今は、もう秋、誰もいない海」というトワ・エ・ モアの歌ではありませんが、何か郷愁を感じ、夏の賑わいから代わって、少しさびしさを感じます。「秋深き 隣は何を する人ぞ」松尾芭蕉ではありませんが、秋が深まり、野山がどことなくさびしく感じられるようになると、人恋しくなり、隣人のことなどが気になってきます。
テレビでは次第に各地の紅葉情報が流れてくるようになりました。今日のテレビで放映されていたのは、北海道の大雪山の紅葉です。大雪山連峰は日本で最も北に位置する山々で、その中でも最も高い旭岳は、日本でいちばん早い紅葉と初雪を見ることができます。富良野から眺める旭岳は、もう真っ白に雪をかぶっています。
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 今週の日曜日に講演した場所は旭川の東川町でした。その町は旭岳のふもとにあるので、前日は、旭岳温泉に泊まりました。夜、宿に着いたら玄関周りには最近降ったであろう雪がまだ残っていました。
大雪山はひとつの山の名前ではなく、北海道の最高峰である旭岳(2,291m)をはじめとして、20連峰におよぶ標高2,000m級の山々の総称です。ここ一帯は、1934年(昭和9年)に国立公園に指定されており、わが国最大の山岳を中心とした原始性の豊かな公園です。その大きさも、ちょうど神奈川県の広さにほぼ同じ226,764ヘクタールの面積を持っています。かつてアイヌの人々は大雪山を「カムイミンタラ」と呼んでいましたが、その意味は「神々の遊ぶ庭」で、敬っていました。文人である大町桂月という人はこの山の雄大さを「富士山に登って山岳の高さを語れ、大雪山に登って山岳の大きさを語れ」と表現しています。
大雪山国立公園の山々には、多くの高山植物が咲き誇りましすが、とくに鳥類では国の天然記念物のクマゲラ・シマフクロウが生息し、冬にはオオワシやオジロワシも生息しています。このように希少な動植物が生息しているために大雪山国立公園は、十勝川源流域を含む一帯が特別保護地区であり、国の特別天然記念物にも指定されています。
翌朝、麓の講演先に向かうバスは、ちょうど乗った便が天人峡経由でした。ここにも温泉があり、1894年に忠別川での鉱物探索中に発見され、発見者の名前を付けた松山温泉として開設されました。その後、天人峡温泉と名前を変え、大正時代から昭和初期に有名になり、大きく発展しました。バスは、天人峡で数分間止まり、降りて景色を撮影する時間を取ってくれました。その場所は、クワウンナイ川に沿っては、柱状節理と呼ばれる岩が聳え立ち、そこを這うように紅葉し始めた木々がしげっています。この温泉の発見当時は、この柱状節理にへばりついて露天風呂があり、その当時は小さな橋で川を渡って宿から通っていたそうです。
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 クワウンナイ川は、「日本一美しい沢」とも呼ばれ、まさに秘境中の秘境といわれ、日本百名山のひとつでもあるトムラウシ山へ登っていくことができます。このクワウンナイ川とは、「杖のところの川」という意味のアイヌ語ですが、とても険しいので杖を使わなければさかのぼれない川という意味ではないかといわれています。
 今年は運よく、人より早く紅葉を楽しむことができました。

投稿者 fujimori : 22:57 | コメント (4)

2008年10月09日 近頃思うこと

霞ヶ関ビル

 「並ぶ官庁 広場 濠」という歌詞は、佐藤春夫作詞の千代田区歌です。私は、千代田区の中学と高校を卒業しましたので、この千代田区歌は何かの時にはよく歌いました。確かに千代田区には官庁が並んでいます。その多くは、霞ヶ関といわれる地域です。
江戸時代までは大名屋敷が並ぶ地域でした。それが明治になると官庁は、武家屋敷を利用したものが多く、皇居周辺を中心に点在していました。その後、維新政府は天皇親政の目的のため、諸官庁を皇居周辺に配置しました。現在の霞が関に初めて立地したのは、明治三年の外務省といわれています。ですから、霞ヶ関といえば外務省なので、「霞ヶ関外交」という言葉も生まれました。そして、明治時代の大火をきっかけにして、跡地に外務省や海軍省などが置かれたことをきっかけに、官公庁施設の集積地(正式には中央官衙地区、または霞ヶ関一団地の官公庁施設と呼ばれる。)としての計画的な整備が進められ、官庁街になったのです。ですから、「霞が関」という語は、「日本の中央官界」の代名詞としても使われています。今、中央合同庁舎第2号館の桜田通りの側に「霞ヶ関跡」の碑が建っています。
  その後、次々にこの界隈には様々な建物が建てられていきます。その計画は様々な困難中で何回も変更され、最終的には明治21年、日比谷練兵場跡の海側半分を占める軟弱地は公園(現在の日比谷公園)とし、司法省は残り半分の敷地の裁判所の隣地に、残りの官庁は議院、参謀本部、外務省、裁判所、司法省に囲まれた敷地へという計画が官庁集中計画の実現案となり、現在の霞ヶ関官庁街の骨格となっています。明治28年に竣工した司法省は、ネオバロック様式の庁舎です。明治3年の外務省の移転によりはじまった近代的官庁街区としての霞が関の町並みは、この司法省及び大審院の完成により、現在に近いものに形成されていきました。
  昭和初期には、関東大震災の復興と相まって、霞ヶ関一帯は空前の建設ラッシュを迎えました。また、終戦後の霞ヶ関も目覚しい変化を遂げていきます。その中心が、超高層の時代です。その代表的な建物が、昭和43年に完成した「霞が関ビル」です。
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  このビルは、地上36階、高さ147mで、日本初の超高層ビルといわれています。最近、何回かこの霞ヶ関ビルの前を通って、ある会議に出ています。その前を通るときにこのビルを見上げていますが、なんだか感慨深いものがあります。それは、私の高校時代、その高校の窓から霞ヶ関ビルのほぼ全身を見ることが出来ました。そして、私が高校1年生のときに建て始め、高校を卒業するときに完成したのです。私の高校時代とともに出来上がっていったのです。次第に高くなっていくビルを眺め、その迫力を感じるとともに、風に大きく揺れるその姿を心配していました。
そのビルの中では、当時は知りませんでしたが、様々なドラマが展開されていたようです。日本中が注目した「霞ヶ関ビル」建設は、当時、映画化され、また、少し前にはNHKの人気番組だった「プロジェクトX~挑戦者たち」でも取り上げられていました。そのサブタイトルは、「霞ヶ関ビル 超高層への果てなき闘い~地震列島 日本の革命技術~」でした。この番組ではありませんが、地震大国の日本では超高層ビルは考えられなかった常識を覆したのです。
今、いたるところに超高層ビルが立ち並んでいます。常識を覆す挑戦者たちの果てしなき戦いが日本を変えていくのですね。

投稿者 fujimori : 23:55 | コメント (4)

2008年10月08日 近頃思うこと

向上心

 昨日紹介した「ユニセフ・イノチェンティ研究所調査」では、ほかにもこんなデータがありました。
 「向上心」の指標として掲げた、「30歳になった時、どんな仕事についていると思いますか」との質問に対しては、「非熟練労働への従事」と答えた日本の15歳の割合は、25か国中最高の50・3%に達しています。2位のスイスが39・7%ですから、日本の若者はダントツ向上心がない国であるという結果です。これは、どうしてかということが問題ですが、よく、日本は格差社会なので、その格差に対してあきらめのような気持ちを持っているからだといわれますが、もっと格差がひどいアメリカでは、意外と14・4%で「向上心」世界第一位なのです。これは、「アメリカン・ドリーム」という「夢」があるからでしょう。ということは、日本の若者は、夢を持てないということになるのかもしれません。
反面、日本は、親が働いていない家庭の割合が、先進国中で最も少ない0・4%でした。ところが、平均収入の5割を下回る家庭に暮らす「貧困児童」の割合は、14・3%にのぼり、最悪の米国の21・7%から数えてワースト9位でした。先進国間での比較ですが、最下位のアメリカは論外として、デンマークの2・4%に比べても、先進国平均11・2%と比べてもかなり低く、最近の「所得格差拡大」や子どもを持つ「ワーキングプア」家庭が相当数に達していることが分かりました。
では、仕事ぶりはどうなのでしょうか。学力調査で有名なOECDとは、経済協力開発機構だけあって、働くことに関しての調査結果を発表しています。加盟30カ国であった2006年のデータによると、労働者一人当たりの年間平均労働時間は、日本の場合最近どんどん時短が進んできましたが、それでも1784時間です。急激に減ってきている韓国がいまだに2357時間であることからするとまだいいのかもしれませんが、欧州ではどの国も少ないようです。オランダの場合は1391時間だそうです。もちろん、少ないにこしたことはありませんが、あまりに少ないと収入が減り、経済効率が悪くなるような気がします。
OECDの国別労働生産性は、国民総生産(GDP)を勤務時間で割った数値で比較されています。勤務時間当たりのGDPを示すため、労働者の能力や勤勉さ以外に、生産効率性や技術水準など複合的な要因も作用します。OECDによると、2006年の労働者の時間当たり労働生産性はOECD加盟国の平均は38ドルでした。労働時間でダントツ多い韓国では、20.4ドルで、トルコの14.6ドル、メキシコの16.0ドル、ポーランドの19.3ドルに次ぐ4番目の低さで、韓国の新聞でこれが取り上げられ、問題になっていました。労働生産性が最も高い国はルクセンブルクで72.2ドル、ノルウェーは71.0ドルで、次いでベルギー、アイルランド、オランダ、米国、フランス、ドイツ、スウェーデン、デンマーク、オーストリア、豪州、英国、フィンランド、カナダ、スイスなどの順で、いずれも40ドルを上回っています。日本は、韓国ほど低くありませんが、それでも平均を下回る35・6ドルでした。
効率が悪く、ただ多く働いて、夢が持てない社会では、自殺者が多い国になったことが頷けますし、やけになって無差別殺人を犯す人が多くなるのも判る気がします。

投稿者 fujimori : 23:43 | コメント (4)

2008年10月07日 近頃思うこと

自己中

  何回か紹介した私がブログを始める前に書いていたメルマガからひとつ紹介します。2004年11月4日に書いたもので、さわやか福祉財団理事長の「堀田力」氏が書いた新聞記事を紹介しています。
「人の原点は、ほかの生物と同じく、自己中心主義(自己中)であろう。―略―
さて、自己中と自己中とが衝突するとどうなるか。親あるいは教師は、権力と権威で子どもを屈服させる。力の強いほうが勝つのである。それが教育だと思っており、子どもがいうことをきくことをもって、教育の成功だと思っている。しかし、それでは子どもの身には着かない。彼らが学ぶのは大人の偽善と、理不尽な力が勝つという不合理である。子どもの自己中を正すためには、自己中な子ども同士がぶつかり合い、その中で自ら学び、協調することを覚えるしかない。子ども同士なら、権威と力で押さえつけるという装置が働かないから、人間関係を作る中で自然に学ぶことが可能になるのである。大人は、子ども同士の交わりの中で子ども同士が自己中を正していくのを見守る。それが、大人のできる最高の教育であろう。」
 子どもが少ない少子時代の今では、子ども同士がぶつかり合うことが少なくなってきています。物が豊富になったため、ものを取り合ったり、譲り合ったりしないで済むようになりました。物だけではなく、時間も、空間も自分だけのために確保できるようになりました。そのような意味において、幼稚園・保育園という場は、子どもにとって、貴重な場だといえます。多くの子どもが共に生活するうえで、さまざまな場面で、譲り合っている姿を見ることができます。
 今回の保育指針の改定の背景に、子どもが人と関わる経験が少なくなってきていると書かれてあります。人と関わることで当然トラブルも発生しますし、自己中のぶつかり合いも起きます。しかし、その中から人に共感する心が育っていきます。もともと人とは、社会という集団を構成するようにできています。
 今日、以前ブログで「イエナプラン」というオランダの教育を紹介しましたが、それを日本に紹介しているリヒテルズ直子さんから、「残業ゼロ 授業料ゼロで 豊かな国 オランダ」(光文社)という書籍を送っていただきました。その「はじめに」のところに紹介されているのが「ユニセフ・イノチェンティ研究所調査」です。このデータは、日本でも昨年2月に日本の新聞で紹介されたものですが、国連児童基金(ユニセフ)が行った、先進国に住む子どもたちの「幸福度」に関する調査報告です。それによると、子どもの意識をまとめた項目で、「孤独を感じる」と答えた日本の15歳の割合は、経済協力開発機構(OECD)加盟25か国中29・8%と、ずば抜けて高かったのです。日本に続くのはアイスランド(10・3%)とポーランド(8・4%)ですから、日本は飛びぬけて多いですね。
 世界で一番感じていない国は、オランダの2・4%で、イギリスは、5・4%、学力が高いといわれているフィンランドは6・2%、ドイツでも、6・2%です。ぶつからないから仲がいいというのは違います。今回の小中学校の学習指導要領でも「協同的学び」が重視されていますが、群れていても、共感の心がないと無理な気がします。

投稿者 fujimori : 22:51 | コメント (4)

2008年10月06日 近頃思うこと

寝返り

 園では、もうすぐ運動会があります。そこでは、子どもたちの運動能力の発達を保護者の方に見てもらうのですが、ハイハイがまだ出来ない乳児は、寝返りを見てもらいます。
 人は、脳に近いところから発達をしていき、次第に首、腕をへて腰まで発達していきます。そうなると、自分で腰を自由にひねられるようになるので、突然、ゴロンとひっくり返るように、寝返りが打てるようになるのです。この時期は、ずいぶんと個人差があるようですが、だいたい7カ月ごろには、90%の乳児ができるようになります。
 寝ることが重要であることを昨日のブログで書きましたが、寝ているときの寝返りもまた、体重によって圧迫された身体の部分の痛み・血行不良を、体位を変える事で和らげる役割があり、とても重要です。しかし、このような大人での寝返りと、乳児の頃の寝返りは少し違うようです。まず、寝返りの方法ですが、乳児は、まず、腰を大きくひねって足を先に寝返りの体勢にしておいて、その反動でクルリと上体を回転させます。それに対して、大人の場合は逆で、あおむけに寝た姿勢からうつぶせになるときは、普通、腕を大きく動かして上体をひねり、そのはずみで下半身を回転させます。それはどうしてかというと、乳児の頃は、まだ足を自分の思ったとおりに動かせないでの、大人のように先に上体を回転させても、足がついていかないのです。そこで、腰をひねってまず足を動かしておいてから、自由がきく上体をひねるのです。
 乳児にとって、寝返りができるようになるということは画期的なことです。というのは、そればでは何かを取りたいときでも、腕を伸ばすことしかできず、体を自分で移動することはできないのが、ゴロンと自分で転がってなんとか移動できるようになるからです。寝返りでゴロンゴロンと体を転がし、動く範囲が広くなることは乳児にとって新鮮な驚きですし、新しい環境に自ら出会う喜びも生まれてきます。
大人の寝返りは、違う意味で大切です。睡眠中の脳波を測定してみると、激しく寝返りを繰り返す時に比べて、同じ姿勢のままで寝ているときのほうが、目が覚めた状態にある「中途覚醒」が倍以上もあることがわかっています。さらに、寝返りはおよそ90分間周期で訪れる浅い眠りと深い眠りの切り替え時に行われ、規則的で安定した睡眠を得る為のスイッチの様な働きも持つこともわかっています。
また、体にかかる圧力を調べたところ、仰向け寝では肩や腰の周辺に、横向き寝では骨盤の周辺に、圧力が集中することが判明しました。特定の場所が圧迫され続けると、痛くなったり体温で蒸れたりするため、脳は睡眠中も寝返りを打って姿勢を変えるよう指令を出しているのです。
 寝返りのしやすさに影響する寝具は敷布団と枕です。やわらかい敷布団に寝ると、寝返りしにくく、一般に硬いほど寝返りをしやすいといわれていますし、やわらかい枕よりも、硬い枕のほうが、寝返りがしやすく、眠ったまま無意識のうちに楽に姿勢を変え、快眠を維持するようです。
 赤ちゃんの頃の移動の手段としての寝返りは、体を健康に維持するための寝返りの準備でもあるのですね。

投稿者 fujimori : 22:51 | コメント (3)

2008年10月05日 近頃思うこと

 最近、自分の好きな枕が選べるというホテルがあったり、百種類以上の枕を取り揃えた枕専門店があったり、自分にあった枕を作ってくれる店があったりと「枕」にこだわる人が多くなりました。それは、人生の多くの時間を費やす「寝る」ことの大切さを認識してきたこともあるでしょう。
枕というものは、世界中のすべての文化の中で使われてきたようで、古代のエジプトの墳墓からも発見されているようです。私たちが昔の枕を見るのは、江戸時代などの時代劇によく見られる、あの木で出来た台のようなものです。これは、寝るときに頭を支えるというよりも、髷の形を崩さないように頭を中に浮かせるために、首を木製の小さな台に乗せるという箱枕です。こんなものを使って、よく眠れるなあと思いますが、実は最近、枕は、ただ頭だけを支えるだけではなく、首の形を整えて頭を支えるものと言われていわれて、その役目が重視されてきています。ですから、首や頭の形状は、体型、年齢、性差によって個人様々で、また、ベッドや布団との相性もあり、誰にでも合う枕というのはなかなかありませんので、ホテルなどでも様々なものを用意するようになったのです。
今日の旭川での講演のために泊まった宿でも、何種類もの枕が用意されていました。枕には、その形状、硬さ、大きさ、高さなどの違いがありますが、昨日の宿の枕は、中に入っている素材によって、いくつかの種類が用意されていました。そして、その棚には、それぞれの効果が書かれてありました。
「竹炭枕」は、調湿性に優れ、竹炭が発する酢酸による殺菌・防臭効果で清潔を保ちます。また、遠赤外線効果によって、肩こりや冷え性にも効果があります。「ひのき枕」は、日本人になじみのよいひのきの香りには、「フィトンチッド」という芳香性物質が含まれており、神経を鎮める作用があります。防カビ、防虫作用もあり、放熱性にも優れ、夏場でも快適です。「テンピュール枕」は、人の体温と体圧によって一人一人のベストバランスに変化し、サポートする体圧分散機能をもつフィット感抜群の人気の抵反発枕です。「ゲルマニウム枕」は、体内の細胞内電流バランスを整え、血液をさらさらにする働きがあり、自然治癒力を高め、肩こりや若返りの効果があります。「トルマリン枕」は、トルマリンの放出する遠赤外線には、細胞を活性化し、疲労回復させる効果があり、マイナスイオンによる自律神経安定効果があるので、生活習慣の乱れがちの方にオススメです。「そば殻枕」は、日本で古くから使われている代表的な枕です。吸湿性・放熱性に優れ、温まりにくい性質となっており、頭寒足熱で快眠を得ることができます。そばアレルギーの方はご注意ください。そして、形状によっての種類として、「いびき防止枕」は、いびきの原因といわれる仰向けになりにくい設計の枕です。横向き寝になるといびきが軽減する方にオススメです。「ボディーピロー(抱き枕)」は、横向き姿勢をを安定させるS字型の抱き枕です。自分の寝スタイルに合わせて抱き方を変え安眠を誘います。と書かれてありました。
 動物でも、動物園のゾウは、鼻と足でかき集めたワラを枕にして休みますし、キリンは長い首を後ろに折り曲げ、「自分のおしり」を枕のようにして頭をあてがって眠るそうです。
休むための睡眠で、かえって疲れてしまっては意味がありません。枕の中身も色々と試みてみたいですね。

投稿者 fujimori : 23:28 | コメント (4)

2008年10月04日 講演先にて

定山

以前のブログで、日本各地にある温泉の発見者の話をしました。多くの温泉には、猟師などが山奥に踏み入って、動物が傷を癒したりしているのを見つけて温泉を発見したというのがあります。また、有名な僧が、旅をして歩いているときに発見したというのも多くあります。特に、弘法大師や行基が発見したとされる温泉は、多く残っています。しかし、動物はいくらか本当だというところもありますが、高僧が発見というのは伝説めいています。それは、医療がまだ発達していなかった時代に、温泉というのはありがたい庶民の治療のひとつだったということもあったでしょう。ですから、霊験あらたかな意味もあって、発見者もありがたい高僧だという冠が欲しかったのかもしれません。
しかし、彼らが足を踏み入れたことのない地では、彼らを発見者にはできません。例えば、北海道などでは、たぶん発見者は、アイヌ民族のことが多い気がします。特に、アイヌ民族は狩猟民族でしたし、動物をとても大切にしていたので、動物が浸かっているのを見つけ、自分たちがそれを活用していたということは容易に想像できます。
しかし、発見しただけでは温泉場としては機能しません。その場所を温泉場として庶民が訪れることができるようにするには、かなりの苦労が伴います。
今週末訪れている札幌近郊に「定山渓」という温泉場がありますが、この定山というのは人の名前だと知りませんでした。
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この地の温泉の存在は古くからアイヌ民族に知られてはいました。そして、江戸時代には、松浦武四郎が旅行中に川の中に湧く温泉に入ったこと報告したことで多くの人に知れ渡ることになりました。彼は、江戸時代、幕末から明治時代にかけて活動した日本の探検家で、早くから諸国をめぐり、特に蝦夷地を探査し、択捉島や樺太にまで行っています。そして、蝦夷地に北海道という名前を考案したほか、アイヌ語の地名をもとに国名・郡名を選定しています。
 その後、1866年に小樽でこの温泉のことを知った備前の国出身の修行僧、「美泉定山」は、この温泉を北海道の開拓で病に苦しんでいる人々の湯治の場所にしたいと考えました。そこで、北海道開拓使の岩村通俊判官に、この温泉の開発を熱心に陳情しました。岩村は、この温泉地を訪れ、定山の熱心さからこの事を承諾し、自ら湯守となった定山に米を給与し、ここに休泊所と浴槽を作らせたのです。そのころ、札幌は人口が少なく、温泉経営はほとんど成り立たなく、定山の給与は打ち切られてしまいます。しかし、彼は、寝食を忘れて温泉の開発に努力をし、生涯を温泉開発に尽くしたのです。このことから、この温泉が定山渓と命名されたのです。
ここには、定山神社があります。
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明治44年に創立されたものですが、他の神々と一緒に美泉定山命が奉斎されています。ここには、こう書かれてあります。「美泉定山は文化12年1月7日岡山県に生まれる。安政3年渡道し、明治元年土人の案内により此地に来て温泉が湧出するを発見。明治4年開拓使から湯守を命ぜられ此の地を定山渓と命名し、浴客の便を図り定山渓開拓の基礎をつくれる恩人である。」
彼は、その名を地名に残していますが、偉人、恩人とは、必ずしもその名を残しているわけではありません。しかし、後世の人がその恩恵をその名を知らずに受けていることがあります。しかし、大切なのは、その名ではなく、その偉業なのです。

投稿者 fujimori : 19:35 | コメント (5)

2008年10月03日 近頃思うこと

豆腐

 今は、どこに行っても同じような料理が食べられますが、逆に、各地にその地方ならでは料理があります。それは、珍しい食べ物であったり、同じものでも製法が違ったり、味付けが違ったりします。それは、その地方で取れる食材の違いによるものであったり、その地方の気候によるものであったりします。ですから、そのような料理は、その地方で食べるのが本当は一番いいのでしょう。
 そういう意味で、先日訪れた沖縄には独特の料理があります。ひとつは、ソウキそばに代表されるような豚肉料理です。それから、今年園でも栽培をしたゴーヤチャンプルに代表されるゴーヤを使った料理です。
そして、余り目立ちませんが、独特の食感の豆腐料理があります。沖縄では、豆腐は料理に欠かせない食材であり、消費量も全国一といわれています。冠婚葬祭の行事には必ず登場しますし、庶民料理の代表であるチャンプルやンブシー、揚げ豆腐、汁物の具やゆし豆腐、白和えなどがありますが、有名なものに「スクガラス豆腐」という酒の肴があります。カラスとは塩という意味で、つまりスク(アイゴの稚魚)の塩漬けを豆腐に載せたものです。そして、「ジーマーミー豆腐」というピーナッツ豆腐があります。沖縄では、落花生のことを「ジーマーミー」といいます。普通の豆腐は、大豆で作られますが、このジーマーミー豆腐は、落花生を使って作られます。
あと、私をとりこにしたものに「豆腐よう」があります。これは、琉球伝統の味で、和製チーズとも言われており、チーズとウニをあわせたような風味を持ち、口の中で溶けます。この豆腐は、時間をかけてゆっくりと泡盛・米麹などで漬け、熟成発酵されて作られます。
 これらに使用される豆腐は、「島豆腐」といわれ、他の豆腐と決定的に違うのは、多くの豆腐が大豆を挽いた後、加熱してろ過する「煮とり製法」ですが、この豆腐は、「生搾り製法」で、水に浸した大豆を挽いた後、ろ過して豆乳を作ります。その結果、濃厚でどっしり重く栄養価の高い豆腐となります。タンパク質は本土の豆腐の1.3倍、また、リン、鉄、ナトリウム、カリウム、ビタミンB1、B2も多く含まれ、栄養が濃縮された食材です。
 この島豆腐のことがANAの今月の機内誌に特集されています。その記事の中に民俗学者の柳田國男が、「海南小記」で書いた文が掲載されています。「野武士の如き剛健なる豆腐である。華麗せんさいなる都の絹ごしどもをして面をふせ気萎えしむべき豆腐である」
また、食通で知られる琉球王朝最後の王である尚泰の4男である尚順男爵が「豆腐の礼賛」という中で、「真の美味珍味なるものは、決して遠い山や海ばかりから出るものではなく、一番安価にして何よりも手に入れやすく、山間僻地、而もシケでも降りでも構わず、大抵の処にては間違いなく得られるものに最上の珍味があるのである。夫は貴賎となく吾人の毎日程も口にする豆腐である」と書かれていたのが紹介されています。
 豆腐好きといえば、大村益次郎が有名ですが、彼は、酒の肴も豆腐、食事のおかずも豆腐、自宅に招待したお客にも豆腐というほどだったそうです。豆腐で接待された客に対して、「豆腐はタップリ滋養を含んでいる。豆腐さえ食べていれば、栄養的に問題はない。豆腐が喰えぬとは贅沢の極みである」と説教したそうです。
癌・高血圧・動脈硬化・心臓病・糖尿病・成人病・肥満などの発症を抑制したり、回復する効果、ボケ防止、また健康の維持に有効な成分が含まれ、長寿食といわれている豆腐は、侮れない存在です。

投稿者 fujimori : 22:41 | コメント (4)

2008年10月02日 近頃思うこと

コンセンサス

2003年11月のメルマガに、「ルロス・ゴーン経営を語る」から、こんな言葉が紹介されています。
「ある限られた時間の中で具体的な目標を決定していかなければならない時、“全員が同意しない限り、先には進まない”という日本のコンセンサスは、非常に大きな足かせとなる。
そんなことをしていたら、その間にも事態は悪化していくばかりだからである。
そもそも、意思決定の方法として日本式コンセンサスが優れているというのは、かなりのところ神話に過ぎない。というのも、過去に偉大な成功を収めた日本の企業は、たいていの場合、非常に個性的な経営者、あるいは経営陣が過去の習慣にとらわれず、時には独裁的な権力を行使して、会社の方向を決めてきたからである。その意味で言うと、日本式コンセンサスは隠れ蓑に過ぎないのだ。日本式コンセンサスというのは、自信がなく、能力にも欠ける経営陣が、何も決定しないで済ませるための言い訳に使うものである。」
ここでいう「日本式コンセンサス」というのはどういうものなのでしょうか。もともと、コンセンサスというのは、「合意」といってみんなの意見の一致を図ることです。しかし、簡単に合意といっても人さまざまな意見や考えがあり、それらが一致するということは難しいことです。ですから、当然コンセンサスを得るために、さまざまな議論などを通じて関係者の根底にある多様な価値を顕在化させ、相互の意見の一致させていかなければなりません。
この合意をさせていく過程を日本では「全員が同意しない限り、先には進まない」というように一見、民主的な決め方といってきたのでしょう。民主主義は一人一人の意見を尊重するのが原則だからです。しかし、民主主義とは本当にそういうことなのでしょうか。
大阪大学大学院生命機能研究科の柳田敏雄さんは、西洋と東洋の考え方の違いは、科学が追求している「真理」のとらえ方が基本的に異なることであるとしています。東洋人にとって, 真理は絶対的なものであるとする反面、 西欧の研究者にとっての真理は、みんなの「コンセンサス」ではないかと言っています。それは、キリスト教的コンセンサスに基づく論理の一貫性を基本にしていると言われる西欧の考え方に由来しているといいます。それに対して、日本人にとっては、論理よりもデータの正しさが絶対的なもので、コンセンサスに基づいて明快な議論を展開する西欧人と、どんなものかも解らない真理の追求を目標としている日本人とでは、議論をしても負けてしまいます。しかし、これからの時代は、混沌とした中から創発的に答えを導き出すような研究が重要であり、一義性を排し, 多様性やあいまいさを重んじ, 非論理性を受け入れる東洋的、特に日本的考え方のほうが有利になるのではないかと言っています。それは、コンセンサスなど飛び越えてゴールを見据えなくてはいけないような世界だからであるといいます。
 真理を求めていこうとするときには、改革が求められることがあります。そのときに、変えようとしない人の多くは、みんなの合意を得ないからという理由を言うことが多くあります。結局は、リーダーが変えようとする意志が弱いからのような気がします。

投稿者 fujimori : 21:23 | コメント (5)

2008年10月01日 近頃思うこと

異年齢保育の動機

2003年10月のメルマガにこんなことを書いています。
「大阪府吹田市教委は来年度から、16「あるすべての市立幼稚園で、4歳児と5歳児合同で保育を行うそうです。異年齢の幼児同士が触れ合う機会を増やすことが狙いです。
学級編成は学年ごとに行い、実際の保育では、活動内容に応じて、4,5歳児が混在する35人以下の学級を作るようです。(ここでは、3歳児保育は行っていません)
このように、複数の学年の園児を合同で保育する試みは、岸和田市に続いているそうです。」
確かに、この吹田市では、昭42年に制定された「教育委員会規則」の中の「吹田市立幼稚園の管理運営に関する規則」に「学級は、4歳児及び5歳児の異年齢児で編制する」と決められています。それは、「学校教育部政策推進方針」の中の「教育内容の充実」として「新しい時代の変化に主体的に対応できる心豊かでたくましい園児・児童・生徒の育成をめざします」とあり、実施には「異年齢の交流の中でいろいろな遊びを通して「人とかかわる力」を育むとともに、それぞれの発達に応じた保育を行うため、市立幼稚園の各園に補助者を配置し、4歳児と5歳児でひとつのクラスを編成する異年齢児学級保育の充実を図ります。」と書かれています。
同様に岸和田市でも、「幼児教育は子どもたちの学びの基礎をつくります」ということで、「市立幼稚園では、来年4月入園の園児を募集します。幼稚園での遊びを通して子どもたちの年齢に応じた発達を促すとともに、4・5歳児の異年齢児学級保育により優しさやいたわり、あこがれの気持ちを芽生えさせ、人を思いやる心や人とかかわる力を育みます。」と書かれてあります。
吹田市教育委員会は、今回、大阪府の橋下徹知事が強く公表を求めている全国学力調査の市町村ごとの結果(平均正答率)について、非公表とすることを教育委員5人の全員一致で決めたことで有名です。それは、吹田市のある大阪府の橋下知事が、大阪府の成績が2年連続で全国平均を大きく下回った学力調査結果を受けて、学力向上のためにはこれまで未公表だった市町村ごとの結果公表が必要だと主張し、府教委を通じて市町村教委に公表を要請していることに、吹田市長が異を唱えたからです。
もし、この反対が競争から協力の社会作りとして、幼児教育からの異年齢保育に関係しているならいいのですが、どうも、異年齢保育を始めた動機がおかしいような気がします。吹田市ではわかりませんが、岸和田市の異年齢保育にした経緯がこう説明されています。
「岸和田市では、市立幼稚園の4歳児の待機児童が200名を越えており、ここ数年来大きな行政課題となっておりました。その要因は市内に23ヶ所の幼稚園がありますが、その殆どが3教室で構成されており、5歳児が70名定員、4歳児が35名定員であり、4歳児の収容能力を持っておりませんでした。そこで当市は、4歳児と5歳児を一括して同一の教室で授業を行う異年齢児教育を導入したそうです。これによって、待機児童は20名ほどに減り、効果は十分にあったと、当局は評価しておりました。また、導入の際、先進地が他に無かったため、独自にカリキュラムを作成し、本年から導入したそうです。」
 「混合保育と異年齢保育は違う」と教育課の職員は言っているようですが、効果があったとする評価の内容が情けないですね。

投稿者 fujimori : 22:22 | コメント (4)