蛍と雪

 窓といって思い出す言葉に「蛍の光 窓の雪」がありますが、この歌にまつわる思い出は、人それぞれが違うでしょうね。少し年配の人は、「蛍雪の功」といって一生懸命に勉学に励むことによって、報われ、後に「功」をなすといわれてきました。また、もう少し若くなると「蛍雪時代」という受験時代にお世話になった雑誌を思い浮かべるかもしれません。
 一方、歌の「蛍の光」を思う浮かべるかも知れませんが、この歌ほどその歌の持つ印象が違う歌はないくらいです。普通は卒業式に歌う歌とか、いい晦日の紅白歌合戦の最後にその年が終わるのを惜しんで別れとして歌う歌とか、学校時代の下校の合図の歌とか、パチンコ屋の閉店の合図の歌とか人によってさまざまにその曲が流れる背景を思い出すことでしょう。
この歌の原曲はよく知られているように作曲者はよくわかっていませんが、古くからスコットランドに伝わっていたものです。それをスコットランドの詩人のロバート・バーンズが、従来からの歌詞を下敷きにしつつ、現在、よく歌われるような歌詞をつけました。この歌詞が基になって各国に広まっていますので、別れを表すような歌詞が多いのです。
元の歌詞はこうなっています。「旧友は忘れていくものなのだろうか、古き昔も心から消え果てるものなのだろうか。友よ、古き昔のために、親愛のこの一杯を飲み干そうではないか。我らは互いに杯を手にし、いままさに、古き昔のため、親愛のこの一杯を飲まんとしている。我ら二人は丘を駈け、可憐な雛菊を折ったものだ。だが古き昔より時は去り、我らはよろめくばかりの距離を隔て彷徨っていた。我ら二人は日がら瀬に遊んだものだ。だが古き昔より二人を隔てた荒海は広かった。いまここに、我が親友の手がある。いまここに、我らは手をとる。いま我らは、良き友情の杯を飲み干すのだ。古き昔のために。」
旧友と再会し、思い出話をしつつ酒を酌み交わすといった内容です。この歌詞を基にして日本では、明治10年代初頭、小学唱歌集を編纂するにあたって、稲垣千頴が作詞しました。しかし、日本ではこの歌は、戦前から戦中にかけて国のために使われることになります。戦争というものは、歌とか、絵画とか、文学という芸術や文化を利用して、国民にある意識を植え付けようとするものです。この「蛍の光」では普段は歌われない3番と4番に時代が現れてきます。
「3、筑紫の極み、陸の奥、海山遠く、隔つとも、その眞心は、隔て無く、一つに尽くせ、国の為。4、千島の奥も、沖縄も、八洲の内の、守りなり、至らん国に、勲しく、努めよ我が背、恙無く。」
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この歌詞が、先週末訪れた沖縄平和祈念資料館の中の資料で4番の歌詞を文部省が、領土拡張等により何度か改変しているのを知りました。明治初期の案では、「千島の奥も 沖縄も 八洲の外の 守りなり」であったのが、千島樺太交換条約・琉球処分による領土確定を受けて「千島の奥も 沖縄も 八洲の内の 守りなり」となり、日清戦争による台湾割譲により「千島の奥も 台湾も 八洲の内の 守りなり」となり、日露戦争後「台湾の果ても 樺太も 八洲の内の 守りなり」となっています。
 時代によって祖国があちこちに変わってしまう住民はえらい迷惑ですね。また、時代によって歌詞を変えられた歌も迷惑ですね。

蛍と雪” への4件のコメント

  1. 蛍の光の原詩は、「シュドゥ・オーザウェイ・タンスビーフォガー」とか言うんでしたね。なんとなく覚えています。若い頃出会った親友との再会を心から喜ぶ本当にいい詩なのに、3番からはとんでもない軍国調の歌詞がついていたんですね。初めて知りました。つい昨日、「沈黙のファイルー瀬島龍三とは何であったのか」という本を読んだばかりです。「不毛地帯」の主人公のモデルにもなった彼の戦中から戦後にかけての評伝です。大本営参謀であった彼が、シベリア抑留を経て、戦後の政財界で黒幕としてのし上がっていくわけですが、官僚というのはいつの時代も、自らの結果責任を問われることなく生き延びることができるようです。一体、あの忌まわしい戦争の本当の責任者は誰なのか、考えさせられました。

  2. NHK「紅白歌合戦」のフィナーレの「蛍の光」が思い出されます。私が子どもの頃は藤山一郎さんがタクトを振っていました。大人になった頃は宮川泰さんが振っていました。お二人とも今では鬼籍に入られています。私自身旺文社『蛍雪時代』・「百万人の英語」の世代です。懐かしいですね。受験雑誌のほうが「蛍雪の功」から来ていることを当時は全く意識していませんでした。ひたすら大学受験情報を入手していました。ところで、「蛍の光」に3番4番があってしかも国威発揚の詩がついていたとはyamaya49さん同様知りませんでした。しかも領土の拡張に伴って歌詞が変わっていたとは驚きです。スコットランドの曲「蛍の光」が日本の時代を反映させていた、というのは何とも凄いものを感じます。

  3.  「蛍の光 窓の雪」を聞くと高校時代にアルバイトをしていたスーパーの閉店の時に流れていたのを思い出しました。この歌がスコットランドに伝わっていた歌とは初めて知りました。歌詞がいかにも日本の言葉なので昔から日本で歌われていたものだと思っていました。さらに、この歌に3番と4番があったとはもっと知りませんでした。時代によって歌詞が変わるのは本当に迷惑ですね。ですが領土の確定や台湾割譲など、戦争の傷跡によって歌詞が変わるというのは、何か悲しくなりました。もう二度と日本の歌の歌詞が変わるようなことは起きてはいけないです。

  4. 戦争というものは本当に恐ろしいですね。この歌の歌詞もそうですが、情報操作によって都合のいいように人の心が動かされてしまいます。しかも、戦後といえどもこうした沖縄平和祈念資料館の資料などを見なければ、こういった事実はなかなか知らされないんですね。国にとって都合のいいことだけではなく、本当に考えなければいけないことを、子どもたちは教育や様々な機会を通して伝えられるんでしょうか。

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