反語

東京校閲センターの原田泰雄さんが面白いことを言っています。
「受験生だったころから古文の試験で釈然としなかったことがあります。反語表現の現代語訳です。たとえば吉田兼好の徒然草の一節「花は盛りに月は隈なきをのみ見るものかは」を現代語に訳せといった問題を出されたとします。そのまま訳して「桜の花は満開を、月は満月ばかりを見るものだろうか」でよさそうなものですが、これでは正解にはなりません。答えの末尾に「いやそうではない」と書かないと減点されてしまうのです。受験生としては反語表現を理解していることを明確にするために、「いやそうではない」と原文にはないことを書き加えなければならないのですが、私は蛇足以外の何ものでもない感じがしてとても嫌いでした。」
私は、この反語を非常に日本的な言い方のような気がしていたのですが、英語でも「rhetorical question」という話し手の意図していることをわざと疑問文で述べる言い方があります。そして、断定を強調しようとするのです。もうひとつ、反語には、あえて、本当に表したいこととは反対のことを述べるという効果を出そうとすることがあります。揶揄、皮肉を目的として用いられることが多いのですが、本当はどちらを意図しているかわからないことがあります。
このわかりにくい反語を、小さな子どもを怒るときに使う場面をよく見かけます。
「そんなこと、していいと思っているの!」
これを聞いたときに、これは本当に子どもがいいか悪いかわからないので聞いているとは思えませんでした。というのは、私がこの文章を書いたときに「思っているの!」と書いて、「思っているの?」とは書かなかったのは、その語感がさいご「!」で終わるような感じがしたからです。すると、子どもの答えは「ううん」と言うと、「じゃあ、なんでしたの!」と追い詰めていきます。またこの言葉も反語的表現です。「なんでしたの?」ではないのです。子どもは、もう、答えようがありません。なんでしたのと聞かれてもねえと思ってしまいます。
しかし、小さな子どもにも、この問いは疑問文ではなく、反語だということがそのいい振りでわかるようです。ですから、こんな答えようがないような叱り方はやめたほうがいいような気がします。なんだか脅迫じみて、尋問で追い詰めている検事のような気がするからです。
 子どもには、発達期における子ども特有な行動があります。ハイハイを始めた子どもに「なんで、ハイハイなんかするの!」と怒る親はいないでしょう。しかし、物に触ったり、壊したりすると「なんで、触るの!」と怒ります。ともに発達においては、必要な行動であることが多いのですが、大人にとって支障がなければほめられ、都合が悪い行動は怒られてしまうのです。いろいろなものに興味を持ち、いろいろなことを知ろうとすると、「そっちへ行っちゃあ、ダメ!」と止められてしまい、「フラフラする悪い子」と決め付けられてしまうのです。
 子どもは、大人の都合で決め付けられたり、気まぐれな大人の間で、苦労しますね。

反語” への4件のコメント

  1.  今回のブログを読んで、自分自身、はっ!と思いました。それは今までそのような言葉を子どもに実際に言ってしまったことがあるからです。確かに、「いいと思っているの!」と言われると「ううん」と自分が子どもでもそう答えます。そして「じゃあなんでしたの!」と言われると・・・。本当に変な怒り方ですし、子どもに尋問していますね。絶対にやめるべきです。実際にブログに書かれている言い方以外にも、子どもに対して理不尽な言い方をしていると思いますし、それに気づいていない気がします。冷静になって考えると、そんな大人の都合によって怒られている子どもはとても可愛そうですね。怒るときに限らず色々な場面で子どもに何か伝えたい時は、「子ども」として向き合うのでなく、一人の人間として向き合うことが大事だと思いました。

  2. 古文の反語はとても繊細な感じがして好きでした。いちいちきちんと訳さなくても、書いた人の細かな心情を少しでも察することができるだけでもいいのでは…と思ってはいましたが。それに比べて「そんなこと、していいと思っているの!」に趣きは感じられませんね。大人の都合や大人の世界から子どもの行動を見るのではなく、子どもの都合や世界から子どもの行動を見ることの大切さを感じました。

  3. 以前、家内と二人で近くのファミレスに行ったとき、隣の席で母親と4歳くらいの男の子が食事をしていました。普通の親子づれなのですが、ひとつ違っていたのが母親の言動が指示や命令、そして反語の連発だったことでした。男の子がご飯をこぼすと、「なんでちゃんと食べられないの!」こんな調子で母親からずっと叱られていたんです。この子はうつむいて何か言いたそうでしたが、じっと耐えていたようでした。もし母子家庭だったら、家でも四六時中こんな尋問を受け続けているんでしょうね。かわいそうでなりませんでした。周りの大人の関わり方ひとつで子どもの育ち方が大きく違ってくるものでしょうね。園や保育者や親の都合ではなく、子どもの発達を促すことを最優先に考えることが大事ですね。

  4. 今日のブログで紹介された原田さんのお話には懐かしさを感じます。一つは高校時代の古文の授業と二つ目は高校生と古文を勉強していた時です。「・・・だろうか、いや、そうではない・・・」と和訳しなければならない古典反語表現の現代語訳の切なさ、面倒くささ、その他諸諸。英語でも誰も知らないとか、神のみぞ知る、ということをWho knows ? といいます。rhetorical questionですね。サンスクリット語やチベット語を学習した時にも反語、rhetorical questionは存在しました。どうやら人間のコミュニケーションには必要な語法なのでしょう。確かに、子どもに対する反語表現はやめたほうがいいですね。ついつい口をついて出てくるようです。染み着いているということでしょうか。

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